明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝気が付いたらベランダのホテイアオイが薄紫の花が咲かせていた。私は観葉植物などことごとく枯らしてきた。これなら私でも、と勧められた植木、サボテンなどまったくダメであった。岡山の陶芸家のところに遊びに行って、たまたま買った花に混ざっていたとかで、知らずに植えていたら警官が慌てて抜きに来たという花ももらって来たが、すぐ枯れた。成功したのは小学生の時のアサガオくらいしか記憶にない。水があって陽が当たっていただけとはいえ、私が花を咲かせることなどないと思っていたから、まだまだこの先何が起こるか判らないなと思った。 物心つくかどうか以来、クレヨンに紙があれば何時間でも大人しく、クレヨン握ったまま寝てしまってシーツを汚して叱られたりしてきたが、そもそも何でイメージが頭に浮かぶのか?子供の頃から謎は一貫しており、そして未解決なままである。不思議なことはいくらでもあるが、やはりかつてに浮かぶイメージはどこから来るのか?それに尽きるだろう。 私はさしずめ浮かぶイメージに命ぜられるまま、降ってくるデータを3Dプリンターのように立体に出力しているだけな気がする。もともとぶきっちょなのに。その入力するデータというのは何由来の物なのであろうか。そして現在、私こと3Dプリンターは毎日金魚を眺めている。そんな心持である。 芭蕉庵は二転三転したが、様々な事情をかんがみ当初のイメージよりコンパクトに、その代わり大きなサイズだととても古池までは不可能であつたが、古池まで作れる可能性がでて来た。

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