明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



芭蕉庵は、当初私の人形サイズに合わせると、かなりな大きさになり、展示スペースのことを考えても、半分にカットした方が良いと考えていたのだが、芭蕉立像は54センチ、帽子を引いて53センチ。身長を158センチくらいとすると、私のイメージしていた東屋は、屋根を別にして一辺が1メートル4センチ、と思ったほどには大きくない。そこで結局芭蕉庵全体を作ることにした。古池まで手が回るかは判らないが、芭蕉の樹は庵の傍らにあったようだし、これは作らなければならない。開店を前に、カラオケ装置が店に入らなかった、荒井注と逆に、屋根を取り外し出来るようにしておかないと、部屋から出ない可能性があるが、制作上面倒なことになりそうであったら、ベランダから降ろそう。 先日まで、グループ展をやっていた江東区文化センターへ、『戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭 』"ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶"を観に行く。沖縄へはまだ車が逆の車線を走っていた頃、三回ほど行った。歩いていた婆さんから「ニッポンから来たね?」といわれたのを覚えている。まだコザ市があった。沖縄戦が悲惨であったことは想像ができたが、何がどう悲惨であったかが描かれていた。一人に浴びせられた弾薬は470発だったという。本土決戦の時間稼ぎに沖縄は利用され、友軍と呼んでいた兵隊は市民を守ろうとはせず。集団自決の悲惨。捕まれば殺される、と親に殺されることを望む子供達。手を下した親は投降して米軍に殺されようとしたら、水、食料を与えられ助けられてしまう無惨。教育、洗脳の恐ろしさ。上映後、ナレーシヨンの宝田明の対談。相変わらずカッコが良い。幼稚園児の頃、どちらがゴジラかも知らずに始めて観たのが『キングコング対ゴジラ』怪獣が実物大に見える恐ろしさ。キングコングのアップで父の背中に隠れ、しばらく悪夢を観た。宝田明、渾身のナレーションが胸に響いた。

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