明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



河童が登場する小説で最も好きな作品は、泉鏡花の『貝の穴に河童のゐる事』である。好色でオッチョコチョイでユーモラスな河童が登場する。河童は好色ゆえに人間に悪さをして、しっぺ返しをくらうことは良くあるパターンである。旅館客の芸人三人連れ。中の若い娘に見惚れていて見つかりそうになり、馬蛤貝(マテ貝)の穴に隠れる。ところが貝を掘り出そうとした旅館客のステッキで腕を折られてしまう。馬蛤貝は本来巣穴に塩をかけ、塩分濃度に敏感なために、にょきっと飛び出したところを捕まえるものである。穴といっても極小さい。河童は鎮守の森に住む異界の姫に仕返しを願い出る。本来お前が悪いだろう、という話しであるし、人間の方は河童の腕を折ったという自覚がない。旅館客は妖術により、訳の判らないまま踊らされ、これはどうも鎮守様に触ったのだろうと、奉納の踊りをする。異界のものたちは、それを見て喜び、河童も怒りが納まり、空を飛んで帰っていく。 河童の正体には諸説あり、カワウソ説も子供の頃からよく聞いていた。少々アルコール臭いが、好色で小柄なカワウソ風の人物は近所にもいる。甲羅をしょわせて色を塗れば、そのまま使えそうである。これがホントの“へ”の河童、というのはどうであろう。当人のお母さんの写真の修復が完成し、喜んでもらおうと思ったら、携帯を切っている。土曜日に飲みすぎたダメージが未だ回復していないようである。最近、回復に時間がかかるようになってきた。いくら周りでいっても無駄である。 河童で想い出したが、幼稚園からの幼馴染が高校で『河童の三平』の金子吉延と同級生だといっていたから、私とも同い年ということになる。

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アダージョの表紙を制作していたとき、誰かにかこつけ、何か怪異なものを作りたいと泉鏡花や小泉八雲などを提案したものだが、なかなかそうもいかず、かろうじて円谷英二で大蛸を登場させたが、私のイメージするものとは少々傾向が違い、そもそも円谷にならい、瀬戸内海から届いたホンモノを使ったのであった。柳田國男が決まった時は、ついに河童だ、と一瞬色めき立ったが、背景が都内は牛込柳町では水っ気もなく、いかんともしがたかった。 怪異といえば、東雅夫さん監修のちくま文庫、文豪怪談傑作選である。文豪怪談とは、またなんてことをしてくれた、という面白い企画で、本日のような寒い日には、布団から出ず、手元の灯かりだけで読むに限る。 さらになんといっても素晴らしいのが金井田英津子氏の表紙画である。柳田國男集では烏天狗が描かれているが、直接描かずとも、なんともいえない気配を感じさせてくれる。 金井田作品はパロル舎の『冥途』や『夢十夜』などですでに親しんでいたが、これらの怪談シリーズは実に怖い。明治篇の『夢魔は蠢く』なども不気味でたまらないのだ。私の辞書に載っていない、未知の暗がりからこんな世界を持ってこられると、ただ見惚れるばかりである。独特の線と陰。とくに陰は、ベタ塗りのはずが何か潜んでいるようで、目を凝らさずにはいられないのである。

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一日  


昼前、門前仲町の某ファミレスにて。ここは昨年の一番暑い時期にKさんと来て、通りの向かいで2時間以上運送会社のトラックが路上駐車をしているのは、駐車監視員と運送屋がつるんでいるからだ、と元運送会社勤務のKさんに聞いたのを思いだした。ヒマなKさんと渡辺温の背景を撮影に行き、Kさんが池の亀に足の指を噛まれた日ではなかったろうか。 携帯の待ち受けにお母さんの写真。この頃のお母さんはKさんの記憶の中にしかない。顔が違っていたら、と心配したが、見たとたん涙だったというし、これを見てKさんにそっくりだ、といってくれる人がいて嬉しかった。風景を復元するのと違い、私にとって人の姿形は専門分野といえるので、造形がうまくいったようである。昨日はしまいに泣きながら手を合わされてしまったが、何かを作って、こんなに感謝されたのは初めてであり、今後もないだろう。なるべく早く完成させてあげたい。よせば良いのに待ちうけ画面にするものだから、ひょいと覗いては泣いている。私も再びつられて。昼からファミレスでおじさん二人向かい合って、なにをしているんだという話である。  昨日、初対面で求婚されたという、藤あや子を老けさせた感じの人と会えず、本日会う約束をしているらしい。T千穂に連れて行くから是非来てくれという。Kさんのことだから話4分の1程度と行ってみると、はたして8分の1であったが、気の良さそうな人で、ひとしきり飲んで、二人してカラオケに出かけていった。

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そろそろ昼食にしようかというところで、泥酔状態のKさんから電話がきた。これから蕎麦屋に行くから来てくれという。昨晩私が送ったお母さんの写真を見て、ハシゴをしないで帰ったというから、さぞかし嬉しかったろう。作った私としてみれば、どれだけ喜んでくれたか知りたいのは人情というものである。 行ってみると大変御機嫌。突然幼いときに亡くした母親の、始めてみる20代の写真が送られてきて、滂沱の涙だったという。そういいながら携帯を見つめては「有難う」と、大粒の涙を流すものだから、昼の蕎麦屋で私もつられてしまう。それを何度くりかえしたであろうか。これだけ喜んでもらえれば作った私も本望というものである。 Kさんはともかく、お母さんと写っている唯一の写真を、Kさんに内緒に独り占めされている兄弟に、完成したら、必ず送ってくれるよう念をおしたのであった。
という訳だが、このままだと、ただ良い話になってしまい、私としては大変不本意である。実際会うと、そんな良いものではないと強調しておきたい。 昨晩送った写真が逆効果だったか、実は帰ります、といいながら次の店へ行ってしまい、大変なことがおきたという。 そこにいたのはKさんと同年輩、60過ぎの着物美人。一緒にこちらで飲みましょう、とテーブルに招くその女性は、以前クラブだかを経営し、子供はいるが、現在豊洲の高層億ションに住んでいるという。そして次の寿司屋で、その初対面の女性にKさん求婚されたというのである。つまり本日蕎麦屋に呼び出された本題は、実はこの件だったのである。ようするに前半は、この話の合間の話を、マグロの中落ちをスプーンでかき集めるようにした話なのである。 今晩も女性に会うことになっているというKさんに、蕎麦屋のオバサン思わず「Kさん、ムジナって知ってるか?」。 まあこのオジサン。練炭にさえ気をつけてくれれば、どうなろうと私の知ったことではないのである。

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先日、これもまた富岡八幡の骨董市で入手し、何年も行方不明であった川端康成のプリントが出てきた。毎日新聞出版写真部の封筒に入っており、凡そ30枚。大体が8×10インチほどである。内容は昭和43年のノーベル賞受賞時のもので、大勢の報道陣がカメラやマイクを向けていたり、誰かが何かを読み上げていたり、通知を渡す役目のスウェーデン大使や、何人か作家の顔もあり熱気が伝わってくる。招かれた、ストックホルムのセントルチア祭のカットもあった。私は当然、川端邸にかけつけた三島由紀夫を探したはずだが、残念ながら入っていない。 写真資料も見つかり一日図書館で川端関連と、鏡花を一遍読む。鏡花は久しぶりに読む作品であったが、前回、場面を読み違えていたらしく、頭に浮かぶ風景がまるで別作品。自分で呆れた。そうこうして大分ヒートアップしてきた。内田百間と川端の頭部を明日から制作することにする。もしかしたらすでに開始、と書いていたかもしれないが、頼むから作らせてくれ、という空腹状態で始めるべきである。 帰りにT千穂に寄ると、具合が悪いから今日は行かない、といっていたKさん。まあいつものこと。どうせその通りにならないんだから今日は一杯で帰る、とか一々いわないでいいよ。先に帰り、ひきつづき鏡花を読む。鏡花も幼くして母を亡くし、母恋しさの影響が表れた作品も多い。人により色々である。そろそろ大分酒が回った頃であろう。Kさんに向け陰陽師の如くに式紙を飛ばす。 ビリビリのお母さんの写真から、ようやく顔の部分だけ復元させた。欠けてしまった右の頬から額にかけて、時代も角度も違うカットで修復。修復というより創作である。携帯で送り待つこと数分。 「帰って寝ます」。「ありがとう」。効可覿面であった。

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日本もこうなってくると、朝っぱらから鏡花でも読んでいないとやってられない。鏡花必殺の体言止めを堪能する。 河出書房新社の『鏡花幻想譚』2海異記の巻の『海異記』は、鯨漁で知られる房総の和田、江見が舞台である。つまりKさんが昼間から新鮮な鯨や魚を食べ、なのにマルタイの棒ラーメンは美味しい、と瞼を閉じた場所である。 解説は『鏡花と兎』という題で、鏡花の弟の娘で、妻すゞの養女、泉名月が書いている。鏡花は酉年の生まれで、数えて七番目の物を持つと“身のお守りになり出世する”と、母親は子供の鏡花に水晶の兎を持たせた。その母親は鏡花十歳の時に亡くなる。 名月が鏡花の家に養女としてはいったとき、数え切れないほどの兎に驚いたそうである。母恋しさと極端な縁起かつぎのせいであろう。貯金箱からステッキの握り、香炉からどんぶり、着物の柄から帯止めなど、あらゆる物にわたっている。 すゞと住んだ熱海の座敷に本箱があり、白い陶器製の実物大の兎が、友禅縮緬の座布団にふっくらと坐っていたという。この兎は鏡花が手に持ったり、膝に乗せている写真が残されているが、4絵本の春の巻の付録にも掲載されており、すゞが鏡花に見立てて大事にしていたとある。拙著『Objectglass12』(風涛社)にも書いたが、丁度鏡花を制作中、写真を参考に似たような兎を膝に乗せようとしていて、偶然富岡八幡の骨董市で同じものを入手した。京都の旧家から出たという旧い萬古焼きである。 私は拙著に“兎の効可は今のところウンともスンともである”などと気軽に書いたが、信心が足りないんだか兎の数が足りないんだか、恐ろしいくらいに未だに効可がない。

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人形制作再開に際して、Kさんの写真の復元を急がないとならない。先日昼過ぎに泥酔状態のKさんに洲崎のスナックに呼ばれ、写真二枚を見せてもらった。一枚はお母さんの遺骨と一緒に持ち歩き、ビリビリになった写真で、弟さんを抱いて、その足元にキャップを被った小学生のKさんが坐っている。お母さんの顔が破れてプリント面が欠けてしまっているので、これに割烹着姿で一人立っている写真から顔だけ取り出して合成するつもりが、さらに状態が悪くなっており、諦めてKさんを割烹着のお母さんに合成することにした。 お母さんの後ろの建物は何?と訊くと、入院中だった鹿児島の病院だそうで、この近所にインスタントの『マルタイ棒ラーメン』を調理して食べさせる店があり、病院に訪ねていくといつも食べさせてくれたという。棒ラーメンを常々美味しいといっていたが、房総に行ってもせっかくの魚にほとんど手を付けずにいうものだから、なんて張り合いのない爺だと思ったものだ。それには理由があったのである。写真のKさんが被るキャップも、貧乏なのに何で買ってくれたんだろう、という。浜松の自衛隊基地で買ったブルーインパルスのキャップを大事にしていたのも、そんな理由があったと知った。客もまばらな昼間のスナックで、ウェイトレスに声をかけて嬉しそうにしている横で、何で今そんな話するんだよ。一人シミジミしてしまった。 今回作るのはKさんとお母さんの二人でいいといっていたが、抱かれている弟さんはお母さんの記憶もない。なのにこの写真の存在を内緒にしていているらしい。なんて酷い兄貴であろうか。私は以前、寂しさのあまり酔っ払って、兄弟に妙な電話をしてしまったところに居合わせた。何故か私に電話を渡すものだから、弟さんに、本人はああいってますが元気にやってますよ、といっておいた。つまり兄を心配する真面目そうな声を聴いてしまっている。これでは弟さんを含めた、ビリビリに破けた方を復元しないわけにはいかないではないか。

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http://www.kinokuniya.co.jp/label/20111116100000.html
母とサザンシアターに向かうが、方向音痴のクセにロクに調べずに来たせいで、探しているうち少々遅刻。昨日T屋で飲んだばかり今拓哉さんがすでに舞台に。 井上ひさし作、存続の危機に陥っている旅一座の話である。前回拝見したミュージカルで某国国王だった今さんは、一座の二枚目という役どころである。TVで馴染みのある出演者も多い。聞いた事のない、芝居言葉が頻繁にでてきて面白い。腹をすかして豚小屋の豚の尻の肉を切り取り、あとに泥を塗っておくと豚は平気でいる、とかいう話が出てきたが、昨日、今さんに旅役者の実話だと訊いた。 終演後楽屋へ。楽屋へ向かう狭く階段が多い通路で見得をはって、杖をたたむ母。記念写真ということで今さんと母が並ぶ。距離があるものだから母に「それでいいの?」ときくとお馴染みのハグ写真。いつも気さくな今さんである。 今日は母をT千穂へ連れて行くことになっている。Kさんにも会いたいというのだが、昨日Kさんに、酔っ払ってたら呼ばない、といってある。すると昨日飲みすぎてずっと寝ていたというKさんが来る。横に坐らせて母を「カアチャン々」と触られてもたまらない。念のため隣には坐らせないことに。しかしKさんの具合の悪さが幸いして、はじめ大人しく、最終的にいつもの3分程度の酔い加減で終る、という理想的進行であった。途中、K本からHさん一家も合流し、記念写真を撮ったり母も楽しそうであった。 その後KさんとK路に。昨日店での態度をZちゃんに3時まで説教された話を3時まで。懲りない人である。

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昨年の今頃は丁度アダージョの最終号が出たころで、すでに三島由紀夫に取り掛かっていた。田中角栄を作りながらレプリカの『関の孫六』を振り回していたのを思い出すが、その頃は個展の開催は今年と考えていた。テーマがテーマだけに会場探しが難航し、ようやくオキュルスで決まり、今年のいつにするか相談の電話をしようとHPを見たら、その日に震災の影響でキャンセルされた方がおり、それが丁度三島の命日がらみであり、これも縁だと、発作的に決めてしまった。そこからが大変であった。  ジャズシリーズ最後の個展で始めて写真を展示したが、制作しながら実質、撮影期間は2ヶ月である。その後1年で作家シリーズに転向したが、この2回の個展は未だによくやれたと思うし、物理的に計算が合わないとさえ思うのだが、あれがまだやれるのではないかと考えた。当時は合成をしていなかったので、例えば泉鏡花を持って金沢で二、三泊すれば、何十カットもモノにして帰ってこれたわけである。それが今では背景を作り、その1カットのためだけに人物を造形するので、手間がかかること甚だしい 。しかも背景に合わせて作るので、展示可能な人物像は少ない。唯一幸いしたのは齢のせいで睡眠時間が短くなっていたくらいであろうか。 三島由紀夫へのオマージュ展はスケージュールの変更で、以降本来のリズムに合わすことができず、しばらく読書に時間を費やすことで取り戻すことに努めた。 こんなに時間がかかるとは。あまり無茶はするものではない。来週制作を再開するにあたり竹べらを新調した。

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午後はずっと図書館。横の高校生が何かを覚えるためであろう、ノートに鉛筆でもなく、机を爪でやたらと叩くので注意してあげた。ここは深川というごく狭い土地である、お前はそういう狭い所に暮らしているのだ、今のうちに覚えておけ。 夜になりT千穂。時間が早いのでカウンターにはまだKさんだけ。今日は早く帰るという。そういっていつもいくところまでいくのだが、ダメージがいまだ癒えていない様子である。それで良いのだ。 Kさんの小学生時代、お母さんと唯一写っている写真を受け取る。酔っ払って23針縫うことになったお母さんの命日。土葬を掘り起こした生の遺骨と一緒に汚い布に包まれ、皺くちゃになっていたのをYちゃんが私物の沢田研二だったかの写真を外して、プラスチックのケースにいれてくれたはずが、ケースはないし、さらにビリビリ。なにやってんだよ!といっても何も覚えていない。 このお母さんの顔の部分が欠けてしまった写真に、別の顔のカットを合成してあげようと思ったのに、これではさすがの私も、三島由紀夫をジェット戦闘機に乗せるくらい難しい。女将さんにセロテープを借りて、裏から貼っていると、視界の隅に、Kさんが女性からのメールをチェックしているのが目に入る。『貴様ァ』。あんたがカラオケで『無縁坂』を歌おうとして、まったく同じ状況だったと、出だしの“母がまだ若い頃 僕の手を引いて この坂を登る度いつもため息をついた ”までしか歌えないで泣くものだから、この唯一の写真を生かしてあげようと思ったのに,,,。ようし判った。あんたがそういう了見なら、完成した写真をまえに、カラオケで『無縁坂』をフルコーラス歌ってもらうからな!

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