明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ここ最近、体調が今ひとつである。眠くて眠くてしようがない。なんだか金魚に餌をやっては寝ているという感じである。無呼吸症候群を疑っているのだが。 個展の頃、面倒になり外食に頼ったが、検査の結果、数値があからさまに悪くなって、自炊に戻した。引っ越し以降、数値が良く、何をしましたか?といわれるくらいであったが、悪くなるのは簡単である。 芭蕉庵の制作も、潤沢に制作時間があるわけではないので、構想だけは錬らなくてはならない。出来れば古池も作りたいところである。一つ策が浮かんだのだが、どうも予算がかかりそうで、そこまでして、という気もしないでもない。スペースの関係上、作るとしても庵のすぐ側に古池という事になるだろう。 とりあえず、届いたばかりの作業机の上で作ることになるが、芭蕉を置いてみて全体のサイズを決めるが、かなりな大きさになりそうである。部屋から出すことを考え、屋根は取り外し可能にしなければならないだろう。カラオケ屋をやろうとして機械が部屋に入らなかった荒井注の轍を踏んではならない。 といいながら、本日考えたのが、おそらく私の死後も展示されると思うが、法隆寺五重塔の大工の落書きみたいな。某かしてみたい。それが露見するのが修理の時なのか、処分される時なのか、それは判らないが、現場で目にした連中に“おいおい何だよこれは”とひとしきりウケたいものである。 しようがねエなあ。最初に考える事がこれかよ。とあくび一つ。

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金魚に餌をやり過ぎてはいけない、と思いながらつい。昭和三十年代、当時はご馳走イコール、カロリーであった。食糧難を過ごした親には食べる程褒められたものである。親には私が、この金魚同様に見えたのだろうか。金魚がパクパクやっている所を見たい。なのでほんの一つまみだけ、何度もやってしまう。そうすると、泡と餌を間違えるのか、泡をパクパクやるのもいる。それを見ていて、空気を飲み込んで、腹を膨らますことは出来ないものか、と何度か試したのを思い出した。制作以外のことはできるだしたくなかった。 再来年、ふげん社で予定される、『寒山拾得展』は、私の個展デビュー四十周年となる。その第一回は、一日豆腐一丁と白菜を、夏に猫舌を利用し鍋にして一ヶ月食べた。十キロは痩せた。手伝いに来た友人は、積まれた豆腐のパックがいつ倒れるかと思って見ていたという。 父は設計技師から脱サラして商売を始めた。専業主婦のはずだった母はお陰で父が亡くなった後も仕事を続け、つい数年前まで苦労をしていた。父の葬式を済ませ、遅くまで仕事を手伝いながら、脱サラするといったとき反対しなかったのか、と聞くと、やりたいというし。としかいわない。そもそも東京に出てきたことが間違いだったんじやないか?と二人して笑った。 そんなこともあり、私に家庭があったなら、作家シリーズを辞めて寒山拾得をやる、とはおそらく言い出せず、「それじゃ人間ですらないじやないの!」と言われるのを想像して金魚に餌をやっていたに違いない。いやそれ以前に、向いてもいない陶芸を続け、苦しむ一生だったに違いなく、この金魚も違って見えただろう。

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金魚  


金魚を導入後、初めて餌をやる。金魚は一週間餌をやらなくても平気であるが、気をつけなければならないのは餌のやり過ぎである。餌を食べているのを見るのは楽しいので、ついやり過ぎ死なせてしまうことになる。水質悪化の原因にもなる。 今のところ池の中から捕まえることが出来た四匹だが、つまり選んだ訳ではないので、寒山と拾得、豊干、キャステイングが上手くいった感はない。後二匹はオーディションをやりたいところである。 豊干の乗る虎に関しては混泳が可能な、タイガープレコ、クラウンローチなど考えたが、どうもいま一つである。錦鯉にドイツ虎黄金というのがいて、これの小さいのなら、と考えたが、ネットで検索する限り、どこにも在庫がない。それに所詮鯉なので、水槽内ではそう大きくはならないだろうが、成長速度を考えると不安ではあった。本日、餌を買うためアリオ北砂のペットショップに行くと、朱文金の種類に、ドイツ虎黄金にちょっと似たのがいたので買う。虎朱文金とかいうらしく五センチ程と最も小さく、虎というには迫力不足ではあるが、いないよりはマシであろう。後は切り立った岩山に見立てた流木を入れたい。虎がこの調子なので、あまりリアルな風景など考えず、お芝居の書き割りのようなつもりの岩山にする。後は想像力である。今時の水槽用ライトはLEDで様々な色が出るので、眺めているのも楽しい。最近何だか常に眠く金魚を眺めながら寝てしまう。

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最近大分弱くなってきた気がするが、相変わらず家で飲むときは、一切割らずに氷さえ入れない。面倒なこともあるし、飲んでる最中はトイレに行かないのに、開け方頃、行くことが多いせいもある。電気ポットを頂いたので、寒いときに焼酎のお湯割りをやってみたが、ちょっとだらだらする。 割るのは外で飲む場合に、人のペースに合わせるためであり、一人で飲むには煩わしい。無人島に持って行くとしたら日本酒ということになるが、どうしても肴が欲しくなる。身体には蒸留酒の方が良いそうだが、カウンター?が家に来たので、つい余計なことを考えてしまうのだが、予感として、晩年はウィスキーに走るような気がする。これなら美味い刺身が欲しくなることもないし、ショットグラスで水槽の”寒山拾得“を眺めながら飲むのも良い。そんな物も引っ越しの時置いてきたので、ヤフオクで一つ。昔の映画のように、独身の男の元に急に会社の同僚が訪ねてきて、茶ダンスからウイスキーとショットグラスを出してきて、二人で飲むなんて相手は今時いないので、一つあれば良い。 作業机が益々バーカウンターに見えて来るが、しかし楢の木といえばドングリだが、洋酒樽に使われる、というイメージが本日のブログの根底にあって書かせたのだ、と思い至った。

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机は薄目で見ると学習机の古いのに見えるが、天板は楢の一枚板を四枚並べてあり、木目を見なければつなぎ目が判らない。頑丈で重い。いつ頃の物かは判らないが、木屑を固めて家具を作る時代に良い気分である。天板が事務仕事をするというより、粘土仕事をするに充分な広さである。ここまで頑丈である必要はないが。四十年前はコタツであった。コタツと決別するまで何年かかったか、と思ったらホットカーペットとの決別にも時間がかかった。暖房は全体的を暖めるから良くない。眠くなる。 頂いた鍋島緞通を机の下に敷こう。なんとも贅沢ではないか。椅子はオンボロだが、前の持ち主が座敷用に加工したのだろう、重さを分散するように脚に板が付いている。 片付けの苦手な人間はおそらく皆そうだと思うが、とにかく一服が多い。ちょっと何かを移動した、といってはゴロリと横になり、ついどうでも良い物を読んでしまったり、次に飼う金魚について考えたり。繰り返すが今回は適材適所に物を移動しさえすれば良い。 しかし制作に入ってしまえば、イメージの膜に覆われたような、その膜越しに生活をする事になるのだから、娑婆でグウタラも今のうちである。

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創作事になると、頭は役に立たないが、身体のどこか肝心な部分が反応し作動してくれる。ところが部屋の片付け、となると、頭では判っていても身体が反応を示さない。 今日は机が来ることが判っているのだから、スムーズに事が運ぶように事前に片付け、ただ置くだけ、とするべきであろう。人はそういうし、私もそう思う。だがそれが出来ない。小学校の通知表に書かれた“掃除の時間、何をしていいか判らずふらふらしています”そのままである。 引っ越し前のブログでは、粘土を入手すると制作に逃げてしまうと、グズグズと数か月、そただ片付けていて、見ている方は一体何をしている、と呆れていただろう。三十数年住んだマンションは、更新料がなかった。しかしそれは長く住む私ともう一家族だけで、出来ればリニューアルして更新料を取って貸したい。たまたま不動産屋でマンシヨン側の意向を聞いた。そこで不動産屋はおそらく後に後悔したであろう一言を口にした。”必要な物だけ持って行ってくれれば後はこちらで処分しますよ。“ 30 年以上家賃を払っていたのだから、それも良いだろう。という訳で、私は最後、マンシヨンの担当者にお暇の挨拶をし、不動産屋に鍵を渡すと、最後の荷物を抱え後ろも見ずにタクシーに乗って“脱出”した。以後一度電話があったが出なかった。何しろそちらがそういったのだから。 おかげで子供の頃の写真アルバム、私が作り撮影したBBキングのサイン入りツアーポスターなど忘れて来たが、取りに引き返す気にはなれなかった。という訳で、身軽になった私である。すでに要片付けとなってしまっているが、あの時と違うのは、室内には必要な物だけがある。つまり単に配置が上手く行っていないだけである。

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一日  


部屋の中で金魚でも動いていれば気分が大分違うものである。なるほと、四匹では物足りない。もう少しもらってベランダに火鉢でも置いてさらに飼いたくなってきた。豊干の乗る虎に見立てるつもりの魚は今のところネット上では在庫はなかった。気長に探そう。この金魚はけっこう気が強いらしく、沢山の鯉の中で一匹大きくなつたのが、餌を食べていた。混泳は可能のようである。 本棚の向きがどうも気に食わず移動、これで明日、仕事机が到着すれば、必要な物はとりあえずないので、雑物を引き出しに収めていこう。 給付金がようやく入る。個展の最後に手掛けた松尾芭蕉、USBに入れて、翌朝最後にもう一度見ておこうとしたら、モニターの接点が駄目になった。不幸中の幸いだったが、パソコンが古すぎて修理は出来ないだろう。というより限界であう。この際新しいのを買うことにする。途中で壊れるくらいなら。ちょうど時間となりました。という感じである。 三島は唐獅子牡丹の正面向いた別バージヨンがあり、一度プリントしたが、何だか顔が穏やか過ぎて顔の撮り直しを考えている。人には良くいわれるが、立体作品は、撮り方により表情が変わる。作った本人もそう思う。

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夕方、江東区役所奥の文化センターで、ここの池をボランティアで管理している人と待ち合わせる。玉サバという金魚をもらうのだか三匹いただくつもりが、それじゃ少ない、もっと持って行きなよ、と。寒山拾得と豊干の三匹とは説明しようがない。ところが、雨でびしよ濡れになりながら、でっぷりと丸く、琉金の尾びれがやや長い感じのこの金魚が早くてつかまらない。びっくりした。水槽の中でフラダンス踊っているような所しかみたことがない。広々としたところで飼っているせいなのか、金魚でも、フナに近い長い金魚ならまだしも。お見それしました。 昔NHKで、ドーピングがバレる前のベン・ジョンソンのスタートダッシュの反応時間ががいかに凄いか、という番組を観ていた。こういうことやらせると、さすがNHKとなるはずであったが。白人のハリーとか、スタートに定評のあった歴代の選手が紹介された。日本のロケットスタートの飯島も紹介されたかもしれない。半ズボンのアナウンサーがスタートダッシュの実験をした、良く邦楽を担当しているアナウンサーであったが、その反応時間がベン・ジョンソンを超えてしまった。機械の調子が悪いようで、とアナウンサー。そんなことありません、と否定する大学の先生。どうやって番組を締めたのかは覚えていないが。このアナウンサーのおかげでベン・ジョンソンに感心し損ねたのであった。

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風邪  


た数年に一度も、バカな風邪のひき方をする。薄着でモニターに齧り付いていて、頭の隅で、ちょっと寒いな、何か着なくては、と思いながら風邪をひく。小学校低学年で、図書室で本が面白すぎて、始業のチャイムが鳴ってるな、とどこかで思いながら目が離せず。これを何度か繰り返し図書室を出禁になった。あの頃から私の集中力は衰えを知らず、という話とは違うかもしれない。 昨晩は、ちょっと違って窓が開いてて寒いな、と思いながら、眠気に勝てず。そうこうして熱っぽくなったてきた。夜中に冬物のジャケットを着、目が覚めたら汗びっしょりで、無事生還。 夕方タンスが届く。決めていた場所が窓際で、ちょっとでも光が遮られるのがもったいない、と設置場所を変えることにした。となると本棚を移動することになり、本日はここまで。

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古池  




明日はプリント収納用のタンスが届くので片付ける。これで立体とプリントを分けて収納が出来る。到着時刻によっては、明日にはコーナンに行って、芭蕉制庵制作用の工具、材料などチェックしに行きたい。三島のことをようやく考えないようになった。 芭蕉庵も作るのだから、写真作品も手がけたい。一つはどこかの実景に芭蕉庵を配し、勿論古池もどこかを撮影したい。深川の松尾芭蕉の写真作品の決定版として残したい。ついでに夜の芭蕉庵の芭蕉も。久しぶりにこれでもか、と陰影礼賛とい行きたい。今回は江東区のコミュニティ財団の依頼であるから、たった1カットのためにここまでやるのか、というお馴染みの罪悪感を感じないですむ。何よりである。 昨日の段ボール箱で作った江戸川乱歩の屋根裏と違って長く展示されるものであるから、強度に関しても考慮しなくてはならない。 アリオ北砂で買い物をしていて展示用の古池のアイデアが浮かんだ。土台をかさ上げして、池の穴を作る訳には行かない。展示スペースを考えるとタライぐらいの面積か。水溜りに近い。 名張市の中相作さんから新著『うつし世の三重』江戸川乱歩三重県随筆集を賜る。伊賀といえば、松尾芭蕉である。当地からもサミットには関係者がお出でいただくのであろう。



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机と椅子から文机と座椅子にしたのは、椅子だと脚がすぐに浮腫んでしまうこともあった。母と同じ体質である。なので足置きなどで対処することにした。ヤフオクでさっそく机を落札。文机は読んで字の如し、粘土細工には向いていない。今度の机は広々と感じるだろう。プリントをしまうためにタンスも購入したが、送料が呆れる程高く、今度はそのあたりも注意し関東圏に限り探し、おかげでどういう訳だか873円だという。何よりである。 芭蕉庵の構想も練り始める。色々調べている。かつて江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』で屋根裏を作るのに構造など調べた。たまたま新しいパソコンを買った時で、当時は梱包がやたらと大きく、丁度良い、と屋根裏にした。作家シリーズを考えたとき、最初に降って来たイメージは尻ハショリした乱歩が屋根裏に潜み、こちらを見ているところで、全くそのまま作ったが、作ったのは出版が決まった七、八年後であったろうか。乱歩は私に小声でいった。「君、よそでいっちゃ困るよ。」



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文机  


しばらく人形制作から遠ざかって、作業台である文机を眺めると、いかにも無理がある。かなり古い物だからそういうものかもしれない。私のイメージにあったのが、あの華奢で、繊細で神経質が着物を着ているような泉鏡花だったから、私も少しは身の程を知れ、という話であろう。腰に負担がかかるので、いつまでも粋がってないで引っ越し前に戻って、作業は机と椅子ですることにした。ただ、東京オリンピック以前の東京のイメージで来たから、今更パソコンデスク、という訳には行かない。 それでも、この文机からは、三島の椿説弓張月、松尾芭蕉、葛飾北斎の3体が生まれた。揃いも揃って日本が誇る世界的な人物ばかりであるから、まあ上出来といえよう。 寒山拾得については、頭を悩ませているうちは何も起こらない。ジタバタすればただホコリをたたせるだけである。寒山と拾得、豊干と虎の4匹が揃う予定の水槽は、水音ばかりで未だカラである。私は密かに、金魚達をダウジングの振り子やロッド代わりに使えないか、と考えている。口を開けて東の空を見ていたら、ぼた餅が落ちてくるようにイメージが浮かんだ、というより寒山拾得に見立てた金魚を眺めていたら、の方が形として良いのではないか。なので考えているうちはお話しにならないので、ユーチューブで金魚の飼い方を見たり、ラジオを聴いたり、傍から見ればただだらけているようにしか見えないだろう。実際、ただだらけてはいる。しかしこんな時でないとぼた餅は絶対降って来ないのが辛いとである。

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本当のことなどどうでも良い、と言い続けながら、実在した人物には律儀になってしまう私であったが、実在したかどうかも判らない、説話上の人物なら、もうやりたい放題だ、と思っていたら、最初の関門に引っかかった。肝心要の寒山詩の序文に寒山が痩せている、と一言書いてある。私の創作なのだし、なんで柔軟に対処出来ないのか。残念な性分である。しかし死んで五十年経った三島にウケようなんて思うのだから、永年あまたの人々のモチーフとされた対象にも敬意を表さずにはいられない。 満更方法がないとは言えない。フーテンの寅を長く演じた渥美清は、若くして片肺をなくしていて体力はない。あの大きめの衣装はそれを隠すのに使われていただろう。それより何よりフーテンの寅を続けられたのは、あの独特の顔、というより頭部の骨格だろう。張り出した頬骨、上下の顎が頬をこけるのを内側から防いでいただろう、精悍さを出すために、奥歯を抜く役者がいるが、その逆である。さすがに最晩年、死期が近い目をしていたが、痩せた首をマフラーで隠せば、顔のラインは相変わらずである。フーテンの寅を永らえさせたのは、そのしっかりした頭骨が貢献していたのは間違いないないだろう。 寒山拾得図が完成した暁に、最初はあんな所から始めたのか、と腹をかかえるには丁度良い本日のブログであった。

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日本的遠近法は、取り入れるのはほぼ諦めている。主役の人物をリアルに作っておいて、空間だけ歪んでいるというのは矛盾でしかない。様々な歴史的作品を眺めても、人物が、リアルになるにつれ、遠近感も正しくなって行く。考えてみれば当たり前のことだが、写真を始めた当初から、レンズ越しの遠近感を悪戯?するのが面白かったものだから、ここへ来ても、何かやれるのではないか、と考えたのだが、空間は歪んでいるのに主人公の人物だけが正立しているのは、さすがに無理であった。それはともかく。 森鴎外が書いた寒山拾得は、寒山拾得詩の序文に書かれた文章を、解説を交えほぼそのまま書いている。序文によると痩せた乞食のような人物だそうだが、寒山拾得図の名作には肥満型も多い。そもそも中国は寒山寺の土産物の拓本自体が相撲取りのようである。確かに寒山と拾得のキャラクターからすると、ゲラゲラ笑って走り去ったり、唐子のような、コロコロした子供染みた人物の方が愛嬌もあり、と思うが、寒山詩の徐には痩せている、と書いているのだから、とまた、私の律儀さが頭をもたげてくる。おそらく実在しなかった説話上の人物なのだし、長年ほんとうのことはどうでも良い、などどほざいていたわりには、簡単にはなかなかなそうはならない。何しろ書いてあるのだから。 作り始めるにしても、まずそこが決まらないと話しにならない。

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一日  


間もなく金魚は来るだろう。水槽からはすでにチョロチョロと水の音。これは心地が良い。めそれにしても殺風景である。長押にあるのは、本物は百に一つといわれる人物の扁額の書、当然九十九の口だと思われる。トイレの横には、ジャック・タチのぼくの叔父さんのフランス版ポスター。もう少し彩りが欲しい。何度か自作品を、と思ったが、どうもいけない。川瀬巴水の版画のレプリカを飾ることにした。深川の水辺を描いた作品などあるし、随分教えられた。 本はなるべく図書館で、と昨日書いたばかりだが、筑摩書房の禅の語録13『寒山詩』が届く。もっと新しい寒山拾得詩を持っていたが、引っ越しの際に置いてきてしまった。まだその気になっていなかったのが判るが、同じ物を買うのもしやくだし、図書館で見て欲しくなった。これから二年間は読み倒すことになるだろうと入手した。奥付を見ると昭和45年11月15日初版第一刷発行とある。三島が自決する十日前。森田必勝と篠山事務所を訪れ「どれが良い?」なんて嬉しそうにやっていた頃だろうか。生首写真もあったという。3日後には、まさか出版が50年後になるとも知らず“男の死”の契約書に実印を押した。 私もいちいち奥付なんて見てるんじゃない、こんなことになるんだから。

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