明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日書いた熱帯魚を飼うきっかけになった幼馴染みYとは中学生になり、飼育部に入った。池や職員室、玄関の水槽の水換えや掃除をするので学校としては重宝だったろう。その代わり、文化部としては最も予算をもらっていた。そこで自分達の小遣いでは買えない熱帯魚を次々と購入した。学校の通りを隔てた所に熱帯魚屋があり入りびたっていたが、そこのオヤジもなかなかのワルで、我々を焚き付けていた。次々と魚を買っているうちに、生徒会で問題になった。小学校の時に転校して来たIに部長を押し付け、だったらお前ら夏休みに池の掃除やってみろ、って言って来いよ、と生徒会に送り出したが、こういう場合、口では勝てないうるさい女子が必ずいるものである。追い詰められる飼育部。そこで私とYは、女子が1人もいない飼育部の人気獲得、また目をそらすために文化祭で熱帯魚の金魚丸飲みショーと、タイだかベトナムで賭けの対象になっているという、オス同士にすると死ぬまで闘う、闘魚といわれるベタのショーの二本立てを考えた。そしてエログロの新東宝の宣伝文句みたいな原稿を私が書き、昼休みに放送部員に読むよう頼んだ。 文化祭当日。教室は満杯である。以外だったのは、血を求めた女子が存外集まったことである。ところが金魚など丸飲みだと聞いていたアストロノータスオセレータスは、金魚と平和に泳ぎ周り、死ぬまで闘うはずのベタは何事も起こさなかった。紛糾する教室内。吊し上げを食い、東大の三島由紀夫と違って涙ぐむ飼育部部長。首謀者である私とYは部長を見捨て、こっそり教室の後ろから逃げた。その後の飼育部の顛末、また我々に裏切られた部長とのその後、どうなったのかまったく覚えていない。今度会ったらYにも確認してみたいが、おそらく彼も私同様、記憶から削除しているだろう。 そんなこといちいち覚えているかよ、と。しかし一方我々に見捨てられた部長は、どこで生きているかは知らないが、間違いなくあの日のことは覚えているだろう。そうしたものである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




小学生の時に、同級生の影響で熱帯魚飼育を始めた。得にジャック・デンプシーというかつてのヘビー級ボクサーの名前がついた魚にはまり、以来、シクリッド科のブルーの輝きにはまったのだが、この種は光の縄張り意識が強く、混泳が難しい。色々飼うには水槽の数が必要になる。繁殖もさせたが、求愛行動が激しく、メスのヒレがボロボロになったりした。それを考えると金魚は、新たに仲間に加えても、以前からいたような顔をして、一緒に餌に食らいついている。なので、次から次へと飼いたくなってしまうのだが、その分換水の頻度も高くなり、水槽内が過密になると、それに応じて成長も止まってしまう。 寒山拾得の出演メンバーも決まり、これで落ち着くことになるだろう。どうしてもということになればベランダのトロ 舟がある。しかし本来金魚は上から眺めるものらしいが、私にはその良さがわからないのであった。 昔はお岩さんのように見えていた金魚の肉瘤が、色とりどりのキャンディに見えるようになってしまってからは、正面の顔がまた可愛い。やはり水槽で眺めたい。 水に隔てられているせいで、犬猫の飼い主のようにキャッキャキャッキャと親バカぶりを発揮すふことなく、ただ無表情に金魚の動きを追うだけだが、気がつくと半沢直樹が残り15分になっていたりするので気をつけなければならない。 そういえば幼稚園からの付き合いで、熱帯魚を飼うきっかけになった友人が、金魚に転向し、らんちゆうを増やしているのを思い出した。子供の頃、二人で江戸川の養殖場を見つけ、それはただの水田に金魚がいっぱいいるだけに見えて、入ってしまって叱られた。彼は教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと聞きかじり、家から持って来たレモンを水槽に絞った。三年程前に、たまたま地元で会ってお茶を飲んだが、まだらんちゆうを続けているだろうか。久しぶりに連絡してみたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




小学生の時に、同級生の影響で熱帯魚飼育を始めた。得にジャック・デンプシーというかつてのヘビー級ボクサーの名前がついた魚にはまり、以来、シクリッド科のブルーの輝きにはまったのだが、この種は光の縄張り意識が強く、混泳が難しい。色々飼うには水槽の数が必要になる。繁殖もさせたが、求愛行動が激しく、メスのヒレがボロボロになったりした。それを考えると金魚は、新たに仲間に加えても、以前からいたような顔をして、一緒に餌に食らいついている。なので、次から次へと飼いたくなってしまうのだが、その分換水の頻度も高くなり、水槽内が過密になると、それに応じて成長も止まってしまう。 寒山拾得の出演メンバーも決まり、これで落ち着くことになるだろう。どうしてもということになればベランダのトロ 舟がある。しかし本来金魚は上から眺めるものらしいが、私にはその良さがわからないのであった。 昔はお岩さんのように見えていた金魚の肉瘤が、色とりどりのキャンディに見えるようになってしまってからは、正面の顔がまた可愛い。やはり水槽で眺めたい。 水に隔てられているせいで、犬猫の飼い主のようにキャッキャキャッキャと親バカぶりを発揮すふことなく、ただ無表情に金魚の動きを追うだけだが、気がつくと半沢直樹が残り15分になっていたりするので気をつけなければならない。 そういえば幼稚園からの付き合いで、熱帯魚を飼うきっかけになった友人が、金魚に転向し、らんちゆうを増やしているのを思い出した。子供の頃、二人で江戸川の養殖場を見つけ、それはただの水田に金魚がいっぱいいるだけに見えて、入ってしまって叱られた。彼は教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと聞きかじり、家から持って来たレモンを水槽に絞った。三年程前に、たまたま地元で会ってお茶を飲んだが、まだらんちゆうを続けているだろうか。久しぶりに連絡してみたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、60年代にジミヘンが使っていたという日本製ギター。2290万円で落札されたようである。幼馴染みが中学生の時に秋葉原で1000円で買って来たギターと同じギターに間違いない。何しろ生まれて始めて触って音を出したエレキギターであるから間違えようがない。先日も書いたが、わずかにトレモロユニットの形が記憶と違ってはいるが。私の印象だと、カワイ製エレキギターだと思う。技術家庭科の授業で本箱作ったラワン材で、つまりバッタ物マホガニー。私の記憶では分厚く硬いポリウレタン塗装であった。もちろん音も覚えている。しかし時代はギブソン、フエンダーのコピーモデルの時代であり、またその友人の手が小さく、このあまりに太いネックに、活躍の機会はあまりなかった。彼が生きていたらあれが二千万円だぜ、とそれだけで一杯やるところだが。いや彼は酒タバコ一切やらなかった。 金魚坂で買った、中国産琉金は、官吏、役人風情にするには品があり、他の金魚にしよう。などと言っていたら、実はこの閭丘胤りよきゆういんこそが寒山詩を編纂した人であった。つまり森鴎外が解説を交え書いた寒山詩の序文も閭丘胤が書いた。実在したかは不明ではあるが。これはまったく失礼してしまった。本日加わった白いオランダ獅子頭を含め、ほとんどがオランダ系で、虎は朱文金だが、琉金はショートテールだけこれで閭丘胤も決まった。書き換えの効かない過去などない、と寺山修司もいっている。
寒山拾得水槽
いぶし銀の黒っぽいのが、青文魚の豊干。桜色のコンビが桜東錦の寒山と拾得。ホウキは拾得のもの。白いオランダ獅子頭が閭丘胤を案内した国清寺の僧、道翹どうじよう。最後、青い顔して立ち尽くすのは、この道翹であった。赤い金魚では青い顔は無理だろう。小さいのが朱文金の虎。豊干禅師が乗っている。紅白のショートテールが閭丘胤。真鍮色のアイアンコメツトは、その他大勢。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




芭蕉庵は、芭蕉記念館の担当者と案を練っている。一辺が1メートルで作れば、芭蕉像を庵の中に配置し、それこそリアルで面白いが、かなりの大きさである。当初考えた古池までは無理である。第2案は後ろ半分をカットし、背後には周り込めないよう背後の壁面に接するよう配す。第3案は、芭蕉像を中に入れるのを断念し、コンパクトに芭蕉庵全体を作る。サイズによれば古池の制作も可能になるかもしれない。こればかりは私の都合だけで決める訳には行かず、私より間違いなく空間把握能力に長けている担当者と相談の上、進めて行かなければならない。 ベランダのトロ舟(セメントを練るのに使う容器。金魚によく使われる)に沈めて水を含ませ沈むように、とアク抜きをしていた流木を水槽内に設置。少しでも中国の山中風にしたい。 全作品を絵巻調に連ねて数メートルに及ぶ作品を考えているが、寒山拾得の各エピソードを並べて行く訳だが、陰影のない日本絵画は、時間経過でさえ、一枚の画面上に展開させることなど、まったく問題もなく可能である。よって一枚の絵巻の中には寒山と拾得や虎に乗った豊干が、何パターンも登場する。ただ、同じ空間といっても、場面ごとの区切りは必要である。それが岩山であったり、樹木であったり、小川であったり、する予定だが、水槽に沈めた流木も岩山として使えそうだし、本当の岩山も使いたい。また、こんな岩肌は実際無いだろ、というような、例えば曾我蕭白の、結晶が積み重なったような奇岩も石膏を削って是非とも作りたい。嘘もホントも、分け隔てなく登場するのか私の作品の特徴といえるが、これからさらにエスカレートし、土俵からはみ出せるだけはみ出し、これは果たして写真と言えるのか、などという議論は置いてきぼりにして、ギターに長いシールドを着け、ギターを弾きながらステージを降りて会場の外に出て、さらにタクシー乗ってしまったのはアルバート・コリンズだったか?のように行ってみたい。そもそも寒山拾得をモチーフにするということは、そういうことを意味しているだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




実は昨日、もう1人見つけてしまった。閭丘胤(りよきゆういん)が、寒山と拾得を訪ねて国清寺を訪れた時に対応に出た僧侶、道翹である。これで昨日のアイアンコメットのような、その他大勢でない一匹を向かい入れることができることになる。一応バランスを考えて決めている。最初に閭丘胤のつもりで買ってきた桜東錦が、あまりに可愛らしく、拾得に昇格させたが、そこで閭丘胤役を新たに金魚坂で選びんだ中国産のショートテール琉金が、プラチナホワイトの胴体にセロファンみたいな深紅が品が良く、役人風情にするにはもったいないな、と思っていた。なのでこれを国清寺の道翹にして、もう一匹、閭丘胤役を導入ずることにした。 しかし空気が読めない官吏だからといって、あえて不細工なのを選ぶことは止めた。選んでいて張り合いがないし、拾得が可愛いから、とコントラストをつけるために相方の寒山は、同じ桜東錦ではあるが、体型から雰囲気を違え、あえて不細工な顔を選んで、後悔したからである。オスメスの違いが未だに良くわからないからしかたがないが、拾得のスカート、いや尾びれの中に頭を突っ込むように追い回している。間違いがあってはいけないが、だとしたら、不細工なのを選ぶべきではなかった。なので、ボンクラ官吏調の閭丘胤だからといって、ボンクラを選ぶことは避けたい。水槽内に居ない柄から選んでみたい。こうなると、寒山詩を読み進めて行けば、さらに登場人物が得られるかもしれない。 先週半沢直樹を見ようと15分まえから気を付けていたのに、金魚を眺めていたら、残り15分になっていたが、本日は無事に見ることができた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




芭蕉庵制作にあたり、納期はある程度任せていただくようお願いした。人形制作ならともかく、専門分野ではないので大工のようにはいかない。申し訳ないが、芭蕉庵の完成度で感心してもらおうとはハナから思っていない。ジャズ、ブルース時代の楽器もそうだったが、主役の人物をより良く見せるために作りたい。高さはおおよそ1メートル15 センチ前後。海辺の低い土地の深川だけに床は少し高め考えている。 金魚水槽には主だった寒山拾得メンバーがすでに揃ってしまったが、金魚にはまって間がないので、新しい金魚を入れたくてしょうがない。そういえば閭丘胤(りよきゆういん)が、高僧を期待したか、寒山と拾得を訪ねて行った寺には、その他大勢の僧達がいたではないか。早速決めたルールを拡大解釈し、アリオ北砂のペットショップでアイアンコメットという、鉄というより真鍮色の小さな魚を二匹買った。一匹500円くらいで、8のつく本日は生体20パーセント引きなので、罪悪感も薄まる。 思えば子供の頃から、この罪悪感を薄める工夫をし続けている気がするのだが気のせいであろうか。まあ人生上の味わいは、こんなところにこそ生ずるのであろう。とかなんとかいいながら。 子供の頃から飼っていた熱帯魚はシクリッドといって気が荒く、縄張りを主張するの魚種で、金魚と違って歯がある。混泳には気を作ったが、金魚はその点安心である。来たばかりのアイアンコメットは、私と初対面のはずが、すでに前からいたかのように、餌くれと、自分の何倍もある寒山や拾得等と互角に一緒になってジタバタしている。調子の良い奴だ。 時を忘れて水槽を眺めていると、いっそのこと、河本のカウンターを水槽の前に設置し、と考えないではないが、それは場所を取りすぎる。できれば折り畳みで、ウイスキーの瓶とショットグラス、あとは南京豆がどうにか乗る程度のテーブルが良い。などと書いていたら、木場の立ち肉屋のオヤジから次々と動画含めた河本の懐かしい画像が送られてきた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日クリニックに行った時、あまりに眠く立ちくらみがひどく、寝てばかりいたのは薬が合わないせいもあるかと、と相談したのだが、漢方的には、梅雨時にはありがちな症状だそうである。確かに梅雨が開けとともに上向いてはいる。 芭蕉庵については、そのサイズでは、玄関から外へ出すのは不可能で、どうやら屋根を外しても、ベランダから降ろすことになりそうである。しかし約1メートルというのは、私の作った芭蕉が室内にいたり、傍らに立っていたりするにはどうしても必要なサイズである。それは私の芭蕉像を生かすためであり、それは芭蕉の表情を生かすためである。着衣、ポーズそのすべてが頭部、そして表情を生かすたに作っている。なので写真作品の場合は、表情を生かすために、背景を左右反転させることも辞さない。もちろん反転しても不自然にならない背景にかぎるのが。 当初後ろ半分をカットすることを考えたが、やはり何割かカットした方が良さそうである。360度作るということは、それを眺めるためにさらにスペースが必要になる。そこで最初に考えたように、後ろは会場の壁面で塞ぐようにして背後には周り込めないような展示することを提案している。手が届く範囲を越えると、生来の空間把握能力の欠如が顔を出し始めるので注意を要する。

ウチの寒山拾得達
。この餌くれ攻撃に負けて餌をやっていると連中は長生きしない。ようやく節度を持った餌やりをしているが、この様子を眺めながら食事するとき、意地悪な看守の如き心持ちする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




芭蕉庵は、当初私の人形サイズに合わせると、かなりな大きさになり、展示スペースのことを考えても、半分にカットした方が良いと考えていたのだが、芭蕉立像は54センチ、帽子を引いて53センチ。身長を158センチくらいとすると、私のイメージしていた東屋は、屋根を別にして一辺が1メートル4センチ、と思ったほどには大きくない。そこで結局芭蕉庵全体を作ることにした。古池まで手が回るかは判らないが、芭蕉の樹は庵の傍らにあったようだし、これは作らなければならない。開店を前に、カラオケ装置が店に入らなかった、荒井注と逆に、屋根を取り外し出来るようにしておかないと、部屋から出ない可能性があるが、制作上面倒なことになりそうであったら、ベランダから降ろそう。 先日まで、グループ展をやっていた江東区文化センターへ、『戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭 』"ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶"を観に行く。沖縄へはまだ車が逆の車線を走っていた頃、三回ほど行った。歩いていた婆さんから「ニッポンから来たね?」といわれたのを覚えている。まだコザ市があった。沖縄戦が悲惨であったことは想像ができたが、何がどう悲惨であったかが描かれていた。一人に浴びせられた弾薬は470発だったという。本土決戦の時間稼ぎに沖縄は利用され、友軍と呼んでいた兵隊は市民を守ろうとはせず。集団自決の悲惨。捕まれば殺される、と親に殺されることを望む子供達。手を下した親は投降して米軍に殺されようとしたら、水、食料を与えられ助けられてしまう無惨。教育、洗脳の恐ろしさ。上映後、ナレーシヨンの宝田明の対談。相変わらずカッコが良い。幼稚園児の頃、どちらがゴジラかも知らずに始めて観たのが『キングコング対ゴジラ』怪獣が実物大に見える恐ろしさ。キングコングのアップで父の背中に隠れ、しばらく悪夢を観た。宝田明、渾身のナレーションが胸に響いた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




芭蕉庵の制作にあたり、既に一体収蔵されている立像の高さを、芭蕉記念館に問い合わせている。すべてカンに頼って制作しているので、自分の作品のサイズは知らない。アイデアスケッチの類いを一切描かない私も芭蕉庵のおおよそのスケッチを描いた。身長158センチ前後、と設定し、人形の立像に合わせてサイズが決まるだろう。 父は工学部を出て、サラリーマン時代、船のイカリの設計をやっていた。ところが私はというと、誰かが笑わせようと画策したかのように、父とは何もかも正反対の人間になってしまった。算数など、こんなつまらない物が大人になって必要になるはずがない、と思っていた。小学1年のある日、計算が出来た人から廊下に出て答え合わせをする。という授業で一度だけ一番で廊下に出た。これが私の人生における数学上のハイライトであった。まだ加と減しかなく、乗除はなかった。何しろハイライトであるから木造校舎の匂いとともに鮮明に覚えている。 人形制作は、まず頭部を作り、それに合わせて身体を作る。ジャズ、ブルースシリーズの頃は、頭部の次に、それに合わせてまず楽器を作ったが、すべてカンに頼っていたために、ウエス・モンゴメリーに、オクターブ奏法をさせるはずが、ギターが大きすぎて、背後に立て掛けることしかできなかった。そう思うと、グランドピアノ作った時も万事その調子で、制作に数字が登場するのは始めてかもしれない。作るのが、かっての違う建造物だから仕方がないだろう。だがしかし、私に人並みな計算能力があったとしよう。100パーセント制作を続けては来られなかったであろう。そう考えると、私の笑顔は、計算能力の欠如が支えている、といっても過言ではない。いや笑顔どころか私の幸せを支えているのは、といっても良い。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最近あまり体調が良くなく、ピリッとしなかったが、どうも"三島ロス"もあるような気がする。あの歯応えは尋常ではなかった。そんな中、久しぶりに粘土届く。これで箱の中から掴み出せば何か作れるという訳で、気分が変わった。 暑いなか、材料を買うついでということで、久々に本郷三丁目の金魚坂へ。そもそもこちらで室生犀星と本物の金魚で『蜜のあはれ』で個展をやった時に、赤井赤子役の、被写体となった琉金をいただくはずが、引っ越しで金魚どころでなく、ようやく引っ越し後、水槽の用意をしたものの、今度は赤子の調子が悪くなり死んでしまった。 ということで、最後のキャスト官吏である閭丘胤りよきゆういんは、金魚坂で調達しよう、と出掛けた。 役人だけに、打てば響くというタイプではなく、何かを期待して寒山と拾得に会いに行くが、二人はゲラゲラ笑いながら何処かへ行ってしまい、青ざめた顔して取り残されて終る、という、大事な役でもあり、最後の一匹なので慎重に選ぶ。丁度NHKが生放送で取材に来ていた。事務所で放送を拝見する。ウチの水槽にはない色を、ということで、中国産琉金に決めた。深紅に銀鱗が映える。ショートテールということだが、おかげで甚だしく泳ぎが下手くそである。水槽内には拾得の持つホウキも既に沈んでいる。後は中国の岩山に見立てた流木を入れてみたい。

本日の水槽

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




私の場合、コロナに関係なく、家に閉じ籠る生活であるし、引っ越し前も、ほとんど三百メートル四方にしか飲みにも出掛けなかった。出不精もかなりこじらせていた。何度か書いたが、ツアーで一度だけニューヨークに行き、中華街やイタリア人街から一歩も出ずに死んでいく人がいる、とツアーガイドに聞いたとき、そのあまりの狭さに、そいつらバカじゃないのか?と思ったものだが、気がついたら私がそうなっていた。そんな訳で、コロナだといって、特に何も変わらないな、と思うのだが、金魚を相手に寒山拾得制作に備える、というのは、私がいくらおっちょこちょいだとして、奇策、奇手というにも程がある。水槽を眺めていて、私なりにコロナが、某かに影響しているのではないか?急にそんな気がしてきた。寒山拾得をモチーフに、というのは、以前からブログでぶつぶついっていたし、作家シリーズも随分やってきたし。流れもそうなってていた。となると、コロナ禍の渦中で飯沢耕太郎さんとの無観客トークショーで口走ったのが引き金だったかもしれない。ブログなら干からびさせた糠床の話のように、黙ってしまえば済むことだが、お相手のあるトークショーはそうはいかない。となると、コロナが某か、反映していた可能性は大いにある。人と相対せないから代替え案として、金魚を、などという単純な事ではないはずである。そもそも参考になる人間などいないし。私の頭は単純だとしても、臍下三寸辺りに存る何かは、そんな軽々なことで済ますはずがない。あまりこんなことばかりいつているとノイローゼを疑われそうなのでこの辺りにしておく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




うちの寒山拾得もそうだが、描かれた寒山拾得像の多くが肥満体である。中国は舘山寺で長年売られている土産物の拓本自体が相撲取りのようである。しかし舘山詩の序には"痩せてみすぼらしいと"と書かれている。私は新たな、私の寒山拾得像など創作するつもりはなく、人形を被写体に、石塚式ピクトリアリズムで描ければそれて良いと考えており、説話の世界だから、と好き勝手に調子に乗って飛びかかって、巴投げを食らって大の字になる。これだけは絶対に避けたい。私の処女出版は江戸川乱歩だったが、乱歩は早々にトリックのネタも尽き、整合性云々といわれ、子供っぽい作品しか書けなく、と本人もいっているくらいだが、それを真に受けその気になって、私ならこうする、と油断してかかると、巴投げを食らう。乱歩は食虫植物のように、創作者に対し危険な甘い香りを放ち続けている。そして多くの映画、ドラマ化で累々たる屍を連ね、その体液をすすって乱歩作品は未だに生き続けている。私は決して調子に乗らず、できるだけ乱歩が描いていることに従った。三島由紀夫が死んでいる様子を作って二回も個展を行った作者は、案外こう見えて慎重派なのである。人がいってくれないので自分でいう。 話は戻るが、なぜ多くの寒山と拾得が、"痩せてみすぼらしい"と書かれているのに肥満体で描かれる理由が気になるのだが、私としては"痩せてみすぼらしい"と一言書かれていたなら律儀に、痩せた寒山拾得にせざるを得ない。これも性分である。そう思うと、あのイカれた曾我蕭白の寒山拾得図はちゃんと痩身である。 いずれにしても、まだ金魚眺めているだけに見えるだろうけれど、いや実際そうなのだが、すでに水面下では、差し手争いは始まっている。はずである?2年後には水槽の金魚を眺めて暮らし、寒山拾得に挑もうと、本気で思っていたのだ、と笑い話になるのかどうか。 本日、フェイスブックで、2002年のニジンスキー、コクトー、デイアギレフをモチーフにした個展のことを思い出す書き込みを拝見した。これなど、前年にイベントで一度バレエを観ただけで開催してしまった。そりゃバカでなければ暴挙な事ぐらい判る。しかしやりたくて仕方なければ、そこに必ず何かが待っている。勿論開催して良かった。性能の悪い頭を使わぬよう。このためにもウチの寒山拾得が必要なはずである。 本日はテレビがないので半沢直樹をスマホて観ようと15分前まで気にしていたのに、金魚を眺めていたら残り15分となっていた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




配役まで決めて、新たに寒山拾得、我が家の金魚達のページを作りたいと思い、それは同時に寒山拾得制作に向けての備忘録となれば良いな、と考えていたが、先日書いたように、生き物のことであるから途中で死なれでもしたら。躊躇してしまうのだが、ただ眺めるだけに金魚を飼うと書いたのに、そうは思わなかったように、被写体にするつもりだと。確かに鈴木春信など美女二人で、見立て寒山拾得、という作品もあるが、私にはそのつもりはまったくない。金魚は室生犀星で充分である。 最初に決まったのは、青文魚の豊干禅師。目がいかにも中国由来の淡水魚という目をしている。黒い僧衣を着ているようで、いぶし銀が渋い。次に決まったのが拾得。豊干に拾われたことで拾得と呼ばれる。脇役のつもりであったが、ポニョのようであまりに可愛らしく、拾得に昇格した。だったらまだ志村養魚場産、桜東錦がホームセンターにいるうちに、と不細工ではあるが、寒山顔を選んだ。このコンビには、桜色の音楽と称された、横綱照国万蔵にちなんで照国と万蔵という別名まで付けてしまった。 あと一匹は、豊干が乗る虎であるが、小さな虎柄の朱文金である。柄もまだ変わる可能性があり、暫定的である。あとは、官吏の閭丘胤(りょきゅういん)を探すだけとなった。連中とは毛色の違うのを見付けたい。 金魚の飼い方には、金魚に名前を付けてはいけないと書かれていた。それは死なれた時のことを考えているのだと思うが、寒山と拾得には、別名まで付けてしまった。どうやら私もペット愛好家にありがちな親バカ調になってきたようである。
本日の寒山拾得

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »