帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

グアム旅行 6日目

2010年12月04日 | 旅行等

本日で実質的グアム旅行は終了、明日はただ帰るだけ。

数日前から最終日はどうしょうかと考えていて、初めはフリーマーケットをまわり、その後でビーチサイドにあるバベキュー設備でお昼、後は魚の豊富なビーチで魚と戯れて一日すごしたいな~ なんて。

すると娘と息子、その彼女からココス島に行ってみたいという声が・・・

 

自分がココス島に行ったのはいまから約20年前、白い砂と青い空にシロアジサシが飛ぶ美しい島だった。

船から桟橋へ乗り移ると、すぐ横の海面に小魚の大群がいて、人の歩く音や振動で動く黒い風呂敷見たいな群れが形を変えつつ移動し、ここが自然に恵まれた楽園であることを嫌でも認識させてくれた。

島は殆どがブッシュで覆われていて、桟橋のあたりを中心に扇状に広がる柔らかくて白い砂で地面が覆われ、適度な間隔をおいてポツポツと生えている椰子の木と実がコロコロと転がっていたのが印象的だ。

シロアジサシは沢山いて数が多く、結構あちらこちらに姿をみせてくれ、しかしながら人を警戒するようでしないような微妙な距離を常に保っていた。

島にある施設で目立つのは少し奥にもうけられたボロトイレくらいの物で、特に他は観光用の無駄な建物も無く、他に人工的な物と言えばドラム缶をぶった切ったバーベキューグリルくらい。

そして椰子の木が一部無い、比較的広いところにバレーボールのネットが張ってあったのを覚えている。

ビーチは右端から左端までの砂浜全体が泳げるエリアで、すぐ後ろには椰子の木がせまり、それが適度な木陰を造りだしてくれるので、日差しが強すぎればすこしその陰に入ることで、後は優しい南風だけが体を包んでくれた。

幼かった息子が木陰でお昼寝をしていたのが今でも目に焼き付いている。

ビーチからマスクとスノーケルをつけて海に入れば、初めこそ何も無いけれど、少し沖に行けば驚くほど色とりどりの魚達がいて、それが非常に美しかった。

何にもないけれど、自然の美しさが十分に心を満たしてくれる島。

しばらく泳いでいると、どこからか美味しそうな香りが鼻をくすぐり、それが現地のチャモロ人スタッフ達が焼き始めたバーベキューから来ていると言うことがすぐに分った。

ランチターイム!と呼ぶその声に引き寄せられてみれば、オレンジジュースと香ばしい香りの肉、パンと何やら瓜のような野菜のようなものがトレイに無造作におかれ。

それを食べるとさほど高価な味付けはしていないのに、とんでもなく美味しく思えた。

その後は現地の人たちとビーチバレーしたり、昼寝する人、僕みたいに海で泳ぐ人と様々だ。

そして常に静かで、風だけが海からきて後ろの椰子の間に消えていく時間が傾きかけた日の光が海と空の色をいっそう華やかにしてくれるころ、遊び疲れた体と日焼けでほてる肌をお土産にする時間となる。

わずかに赤く日焼けした肩の我が子を抱きつつ帰りの船に乗り込むと、そこには来たときと同じように小さな魚たちが朝と同じように群れていた。

「さようなら!、でもまたきてね!」と語りかけるように・・・・

 

 

こんな思い出と共に、非常に強い思いをこの島に持っていた僕、その時の息子はすでに大きくなり、いまもあの小魚の群れはまだいるだろうか?と思う。

送迎バスの集合場所で約束の時間に待っていると、すでに予定時間を遥かにオーバーして、10時近くになろうとするのにいっこうに現われない。

家内が心配してツアーディスクに連絡していると、その傍らで僕の名前を呼ぶ声が。

なんだろう?と電話に出てみると迎えのバスが遅れていますとのこと。 電話の行き違いだね~こりゃ。 

「ココス島ですが」と電話でかたるその女性の説明を聞くが、遅刻に対する謝罪の言葉は一切無い。

仕方ないか・・・とそのまま待っているが、幾ら待っても現われない、やっとこさ姿を現したバスに乗ると、そのまま直行ではなく(当たり前ですが)他のホテルに向かいだした、当然さらに予定から遅れるわけだが、いくつかのホテルを廻ってやっと目的地に向かい始める。

ところがだ・・・・ このバス、やたら乗り心地が悪い上に、まったくスピードが出ない。

おいおいと思っていたけれど、更に予定時間より大幅に遅れて船乗り場に到着。 

バスから降りると、すぐに船へ移動下さいという言葉はなく、船付き場の小屋から出てきたスタッフが、ここで待てと、そこでも約20分近く待たされた。 

とんでもない遅刻におんぼろバス、おまけに全員そろっているのに、何で待たされるのかが分らない。

やっとこさ乗船となり、船は一路ココス島へ。

本島側から見るココス島は、いかにも南海の楽園という感じで、ここでも昔を懐かしく思い出してしまった。

だんだんと桟橋がみえてくるが、以前の粗末な桟橋ではなく、かなり頑丈で豪華に作り直したようで、しかしながら手の届くようなところにあった海面は遠くなり、さらにショックなのは、以前はたくさん見られたはずの小魚の群れがない、 「???」と思いつつ左右の海を歩きながら見るも、群れどころか魚影もない。 

その理由は何となくわかった、というのは、この桟橋、現在はパラセーリングなどの発着を行っており、その牽引用のボートが始終このあたりを走っているからだ。

何となく悲しいような気持ちのまま島にはいり、又驚いた。

椰子の木を切り倒し、大きな建物が幾つも建ち、完全に開発されて人工リゾート化していた。 

真ん中の建物で入村の説明を聞くが、その大半は向こう側の要求と、この島で行うツアーの説明(出来る限りお金を落としてね)でしかない。

はいそうですかと一応耳に入れるけれど、無意味にでかい建物に、「なんて事をしでかしてくれたのだ」という思いが強くて、ほとんど聞いてなかった。

それが終わると着替える訳だが、ロッカーシャワー室は妙に立派で、あたかもそこは日本の温泉の様だった。      自分は温泉へ来たのかと一瞬勘違いするが、当然の事ながら浴槽なんぞ有るわけが無い。

女性が着替えるのは時間がかかるために、先に出て外で待っていた自分の目に真っ先に飛び込んできたのはオウムがたくさん入られれている、そこそこにでかい鶏小屋。

何でこんな物があるのか自分には全く理解出来ない。 

そこには色とりどりのオウムがいたけれど、このグアムに野生のオウムなどいない。

理由は分らないが、おそらくこのオウム達は、この島が南の島であるという人工的イメージ作りの為に集められているように思う。 

「なぜ真っ白なシロアジサシだけではいけないんだ?」・・・そう思いながらしばらくこの鳥たちを見ていた。

その先に目を向けると、そこにあるのは以前の様なふかふかの白砂で覆われた地面ではなく、なぜか緑色の芝生で覆われて綺麗に刈り込まれた区画とそこを縫うように、これまた人工的な道が綺麗にひかれている。

自然ではなく、完全な人口造作物が全面を覆っているのだ。 

山をガンガン削りとってグリーンをひいたゴルフ場と同じような事がここにも出現していた。 

これをみて美しいという感覚は僕にはない、まったく以前の姿を知らない人がみれば綺麗と思うのかどうかは僕にはわからないが、僕にはそうした感覚はまず出てこない。

この時点で少しずつ出始めたため息、とはいうものの、それも時代の流れだろうと無理矢理自分を納得させ、着替えから戻って来た女性陣と合流してまずは昼食(すでに昼ですから)。

これまたでっかい建物、その奥に昼食が並んだビュッフエは有ったが、カレーやそうめん、後は鶏肉のぶつ切りを適当に焼いたのと、瓜らしきもの、その他数品有ったが、昔有った手作りで暖かみのある昼食ではない。

美味しくもない昼を腹に流し込むと、とりあえず泳げるビーチへと移動。

昔は椰子の木が自然に木陰を演出していてくれたが、現在はでかい建物前に、湘南ビーチのみたいにパラソルがさせるパイプが無機質かつ規則正しくならんでいるだけ。

5人いたのでパラソル一本と、ゴザマット4枚だしてもらって、さっそく泳ぐことにする。

すこし泳ぎ初めてここでも愕然、ほとんど魚がいない・・・・ 

以前のように沢山の魚がいないのだ、その状態はまるでタモン市内海岸にあるプライベートビーチとほとんど変わらず、言い方は悪いかもしれないが、すでにこのビーチは死んでいるように見える。

それでもしばらく粘って泳いでみるけれどやっぱりだめ。

無機質な海に嫌気さしたのか、息子とその彼女二人はパラセーリングの予約をして、乗りに行った。

発着はあの立派で豪勢な船着き場だ。

娘と二人でしばらく魚を求めて泳いでいた僕だけど、さすがにうんざりして戻って来たとき、丁度パラセーリングから戻って来た二人と合流。

本来の美しい生みを求めて桟橋挟んで反対側にあるビーチへ移動することにしたが、そこではジェットスキーがガンガンと走り回り、2サイクルエンジンであるそれらは構造上避けられない大量のオイルをたれながす。 

遊泳禁止らしき標識が椰子の木に釘?で打ち込まれているその先にいくと、現地のアメリカ人達が自分のホビーキャットで海を渡って遊びに来ているきれいな砂浜があった。

そこはそれなりの海流があり、でも透明度が高く、ここでしばらくスノーケリングをして楽しんだ。 

もっとも、本当に綺麗なところまで行こうとすると、それにともない海流がつよくなるので、そのすれすれのところまでにした。

ここでやっと20年前の海と同じ光景を満喫、しかしながら時間は残酷。

3時半頃には帰りの支度が必要と言うことで、例の温泉ロッカーまで戻り、シャワーを浴びる。

4時少し廻ったところで、桟橋から送迎線に乗り、本当へともどる。

ココス島から見る本当は日の傾きのせいで陰がこくなり美しい。

15分ほどでバス乗り場へと到着、後はタモン市内に戻るわけだが、窓から見える景色に虹が架かり、それはまるでもう一度きてください!と無言でこの島が投げかけているメッセージのようにおもえる。

しかしながら、僕はこう誓っていた、二度とここには来ないと。 

 

幾ら美しく見えても、その大半を人工物で造り上げ、それに包まれた状態で自然とか美しいでしょうと言われても、僕には意味不明だからだ。

人口工作物で構成されたリゾート、魚は海にいなくなり、その代わりにジエットやモーターボートが走り回る。

そう、ココス島はもう死んだのだ・・・・  

 

再びおんぼろバスでタモン市内まで移動、嫌な気持ちのまましばらく町中の店なんかを見て歩く、最後にTGI FRIDAYにて食事、グアム旅行最後の夜はこれで終わりとなった。