僕の大好きな曲です
GARNET CROW: 夏の幻 〈Are You Ready To Lock On ?! ~livescope at JCB Hall~〉 =]
僕の大好きな曲です
GARNET CROW: 夏の幻 〈Are You Ready To Lock On ?! ~livescope at JCB Hall~〉 =]
息子が仕事について、早くも半年以上が経過。
「職場でどうなんだろう?」という親の心配を完全に裏切り、上司に可愛がられ、同僚には好かれ、一番難しいはずの人間関係で何ら悩むことなく過ごしている。
とうぜん、仕事は楽しいので、毎日、笑顔で帰宅。
職場の人間関係で問題すらないのなら、二年付き合っている婚約者との関係も当然良好であり、常に穏やかで有る以上、喧嘩すらした話すら聞かない。
普通なら、当然のように持つはずの人間関係に関する悩み、もっとも手強いはずのそれが息子には殆ど存在していないのですね。
僕は幼い頃から息子に対してはかなり厳しく接してきました。
厳しくと言うのは、訳の分らない体罰をしたり、その年齢で不釣り合いな無理難題を押しつけたりやらせたり、勉強を強要するようなことではなく。
あくまでも人という存在に対して正しい認識を持たせることだ。
現実をきちんと話し、そして随所でぶち当たる壁や問題に常に人としてどう対処すべきかという基本を教え、成長してからは本能を基に人はどう物事を考えるかについて説いてきた。
綺麗事をならべてその気にさせたり、誉めて育てたり、おだてて何かをやらせる等の、言うなれば子供を親の思うようする為の意図をはらんだ工作は一切していないのですね。
というか、こういった教育で子供を育てる事が狂気の沙汰でもあることを知っているからなのですが。
子供は成長に伴い、理想を教えられて、その理想を元にした社会と人間関係を頭に描きながら成長してきます。
学校もそうしていますし、社会全体もそれを良しとしています。
それそのものは基本として必要なものでし、それが正しいわけですが、それを父親が無思考のままで口当たりの良い部分だけに乗っかったり、評価したり、最悪なのは美化して諭すような事ですが、これは、降りかかる現実への対処能力を欠いた人間を育てるようなものです。
こうして育てられると 引きこもり、不登校、不出社、仕事に就かない等の問題が必ず起きてきます。
理想を他人から学ぶことはよい、しかし父親は子供達に社会の本質を垣間見せる窓のような存在でなくてはならないということですね。
ただ、こうした教育というのは非常に難しくもあり、当然周りの共達が理想を基本として育っているのに対し、家の子は現実も知りながら育ちますので、そこで対立やもめ事も起きやすく、特に中学へ上がってから始まった不良行動は目を覆いたくなるような事の連続でもありました。
周りの家庭で父親が皆同じなら、そんな行動等は起きないのですが、おりしも褒めて育てる教育全盛のころですから、「家だけおかしい!」という、息子の言葉に、それがよく現われていました。
息子が一気に方向転換することになったのは、素晴らしい人格を持つ人たちと知り合えたこと。
尊敬までしているその方達の考え方そのものが、僕と殆ど変わりがなかったことから、改めて親が何を伝えんとしていたのかという事に関して多くを学び考えさせられたようです。
人というのは、基本的本能をもとに性別という要素が加わり、そこに大人になるまでの経験と学習を積み、以降はそれを基礎にして様々な人たちと旨く交わりつつ人生の終演まで歩んでいくものです。
子供時代は可愛く、なんでも親の言うとおりなるものですから、とかく理想をかかげ、それに向かって清く正しくと育てるわけですが、思春期を迎えるころからそれまでの理想では解決できない現実というものに苦しむようになってきます。
母親は理想だけで子を育てても問題はないのですが、父親はそういうわけにはいきません。
ゆえに嫌われるのは父親であり、単にむかつくだけの母親とは異なって、嫌悪の対象そのものとなります。
思春期はそれまでの理想をもとにした教育の上に、自然がもたらす独立という要素が加わり自分たちを中心とした小さなコミュニティーを造り上げつつ、適度な間隔を保ちながら本能行動を押さえて共存することを学びます。
基本が自分たちの頭に描いた理想である以上、現実にある古くてダサイ社会の常識は見たくもありませんし、著しい成長と共に大人とさほど変わりなくなった身体は、常識なんて簡単にくつがえせるものだという誤った自信すらもたせます。
その代表たる父親はまさに排除すべき存在でもあるわけです。
そうであっても父親は凛として立ち続け、けしてへつらったりご機嫌取りなどしてはいけない。 正しい現実は正しい以上、間違いではないからですね。
昔の父親はみんなこうでした、僕の親父もやっぱりそうだったし。
そうした父親を横目に、しかしながら理想は理想で有る以上、現実に適合しない部分が出てくる。
この頃から仲間同士でもそれぞれの個性が出始め、それと共に摩擦も多数生じるわけですが、厳しい教育を受けてこなかった者はそれに耐える力がありませんから、少しずつ脱落を初め、それが引きこもりや不登校、という姿になります。
褒めて育てる教育、優しい子に育てる教育、こうした教育の台頭と同時に爆発的に増えたのは明らかなデータとしてあるわけですが、ここに来てそうした教育が間違いだという認識が広まってきたおかげで、現在は減少傾向になりました。
人と人の関係、すなわち人間関係は理想で解決できる事は殆ど無く、実際は人間同士で生じる物事、問題を如何に理解し、適正に対処処理していくかという事だけが全てです。
その際に優れた対処が出来れば、好かれ、信頼され、頼りにされますが、まともな対処が出来ねば嫌われ、疑われ、つまはじきにされ、子供の幸、不幸は全てこれによって別れ始めます
これを良い方向で処理できる子にするには、父親が幼い頃から人の本質をよく話し、その対処方法の基礎となるような知恵を少しずつ授けていく以外にはありません。
たとえその時に分らなくても、理解出来なくても、繰り返す言葉として血と肉にしてしまうわけです。
後の経験はそれらに関してどんどんと理解をうながし、頭の中に有ったバラバラが全てリンクされますから18歳になる頃までには対人関係における統合的知識として確立されます。
学習や、自己鍛錬などは、それによって必要と判断され、未来のために不可欠な物と認識されれば自発的にやり始めますので、こちらからやれと言う必要等ありません。 家は息子も娘もそうです。
しかし、その統合知識の礎となる物が無いままの、例えるなら母親に教育の全てを任せ、父親が人と接する事をほったらかしにしたり、逃げまわるような家庭で育った子は、人間性に大きな問題を抱えることが多く、それは当たり前なのですが、
最近は一般の認識でも理解されつつありますが、だからとて友達親子と言われるようなベタベタした存在に父親がなれば、これまたさらに大きな問題を抱えます。
現実社会は常に上下関係、見えない階級の様なものが頑固に存在し、それは人持つ本能そのものによって動かされているからなのですね。
残念ながら子供達に現実を教えてくれる人はいません、唯一親だけです。
です! ます! ハイ! ありがとうございました! から始まり、礼(正しく相手を理解する事)を基本としたものに、親の得た経験を分りやすくかみ砕きながら染みこませていく。
心を病む人が増えている今の社会、その原因は厳しさを消失した教育に有り、幼い頃からきちんと叱られないことが対人ストレスと戦うための基礎を失わせた事から来ています。
子のしたこと、行動に人間としての問題があれば、親として必ず不快を覚えますから、その不快のによって生じた感情のままで叱ればよいことなのですが、格好付けて感情を抑えこみ冷静に話したとて、それでは一番重要な人の持つ感情(心)の流れというものを我が子へ学ばせることは出来ません。
褒めて育てるという、自然な感情を不自然にねじまげる、いわゆる嘘感情の積み重ねにより子供を育てれば。
人の心など読めるはずもなくKY(空気読めない)だ等と笑われたりバカにされたり。
最悪なのは怒りの感情に接した時に、今自分の目の前にいる人間がどんな心の状態にあるかという事を判断する大切な経験がありませんから、見当違いの読み込みをしたあげくに、更に相手を激怒させることになり。
本人には理由も分らないのに、自分へ激しい怒りが幾度も向けられることから、他人という存在そのものが怖くなり、それが恐怖となり引きこもるようになる。
おやが嘘の感情で育てたとおりに、心の読めない人間へと育つわけで、これは自業自得なわけですが、それが親に向けば家庭内暴力、他人へ向けば逆ギレ。
どんなに親が我が子の間違いに怒りを感じたとて、親である以上は必ず手加減が入るのに、現実世界ではそうした覆い等が全く無いままででまともに相手は追突してくるわけですから、それを受け止め、理解し、必要かつ正しい答えを瞬時に出す事が出来る様になるためには、やはり親から正しく叱られてくる経験が無ければならないわけです。
親が子供にもたらすことのできる最大の教育に、人の感情(心)があります。
特に親の正しい怒りをどれだけ経験したかでその力(心の理解力)は大きく変わってきます。
これこれすると人はこんなに怒るのか、こんなことすると人はこんなに悲しむのか、とむき出しの人間という物を、親から安全に学ぶのです。
この経験が”褒めて育てる教育など”で乏しいと、人の持つ怒りというものを理解する力が著しく欠落し、怒りを単なる自分への攻撃としか捕らえることが出来ない貧祖な理解力になり、それが怒りには怒りでという考え方をよんでいく。
一例をあげるなら、会社で上司に叱られた時などに、逆恨みする人間と、それを旨く処理して高い評価を得る人間がいます。
叱られることは本来不快そのもので、しかしながら親に叱られた経験がそれには多大なる影響をおよぼしていて、きちんと叱られた経験はじっと耐えて上司の話を聞く訓練そのもの。
うんざりしながら親の小言を聞かされた経験は、上司の放つ言葉の意味を受け入れ理解する力となり、その時々で激しかったり、拍子抜けしたり、穏やかだったりという、自然な叱り方のパターンと親の姿は、自分の行った事に対する他人の怒りの種類というものを正しく理解させる。
こうした経験が、上司との関係を素晴らしい方向で改善する礎として生きてくるわけだ。
すなわち怒りの正しい表示である、親の叱る行為は、人の持つもっとも難しく重要な部分を子供に学ばせるわけで、これは又、他人と如何に素晴らしい人間関係を築けるかという点で、人の怒りをどこまで理解しているか?ということが重要であること、それに他ならないわけだ。
人生を豊かに過ごすためにもっとも大切な人間関係の難しさ、それを楽々こなしている息子の姿をみると、間違いだらけにしか思えない家の教育にも、良い部分も有ったのだろうと思う・・・・
以前からこのブログで軍事と経済は密接な関係があるという事を何度も書いていますが、それを旨く説明する方法が無かった・・・
というか、こんなところでぐだぐだ書いたとしても退屈すぎて誰も読みませんから、書く気すら起きなかったのですが、このビデオでは本当に分りやすく説明されています。
注: それでも退屈な人もいるかと思いますが・・・・
何故、僕が一貫して自民党を支持し続けているかというなら、バブル崩壊後にガタガタだった日本経済を、マスコミによって先導された国民から袋叩きにされながらも支え続けてくれていたからですね。
決して表に出ないところで素晴らしい政策を取っていてくれたおかげで、さほど酷くもならないレベルでなんとか経済は支えられていたわけだ。
ところが民主党が政権を取って以降、「自民が~!」という言葉と共にこれまでとは真逆の経済政策を取り始めた。
嘘によるバラ色の未来をちらつかせながら、本来なら景気対策で打てるはずのお金を世界中へどんどんとバラマキ総額10兆円なり~!、あげくの果てには子供手当を初めとする絶対に景気浮揚効果が無い(全て貯蓄へ回されるか、利益関係で対立して片方がつぶれる)政策ばかりやっている。
簡単に言うなら、嘘ついて国民を騙し、増税してバラマキをやり、景気後退政策だけを取り続けているということ。
このガタガタ状態を軍事(これに替わる物?が有るなら別の物でも良いが)という側面から一気に経済状態を改善させるとするなら、沖縄、日本海、太平洋、北海道にそれぞれ1機動部隊、計4空母群を構成すれば総額100兆(10年にわたる経済対策、その間にアメリカはじめヨーロッパ経済も回復する)の経済対策となり、瞬時に景気は浮揚する。
協力企業には減税を行い、失業している人達全てに職をもたらして地方経済を潤わせる。 故に建造は北海道東北地区、 日本海側の新潟など地区、広島などの中国方面、そして沖縄で行い、必要であれば建造施設も含めて地元の建設業へ発注。
艦載機はマルチロール機で次期米海軍採用のF35を使用して、米軍との規格統一を目指し武器輸出3原則はそれに絡めつつ緩和する。
たったこれだけの事だけど、国民の生活を立て直す有効なカンフル剤が無い現在、箱物だけで何とかすることには限界が来ている以上、一番容易になしえる事だ。
軍事がらみでこう書くと、極右じゃないか?と言われることは間違いなく分っていながらこれを書いているのだけれど、デフレスパイラルの恐ろしさというのは絶対に節約(事業仕分けなど)で回復出来ない点にあり、自民党が支えとなっていた部分が、政権交代で崩落した現日本経済が、すさまじい勢いで落ち始めているその一部分はボーナスカット、有効求人倍率 0.54倍でハローワークに出来る行列、現学生の就職率をみれば誰にも身近に実感できる物だと思う。
問題はこれだけでは済まない、このまま民主党政権が続く限り、事業仕分けなどというパフォーマンスでごまかし喜ばされている間に、経済が加速度を付けて転落しはじめたら、もはや止める手段は何一つ無く、わずか数年の間にとんでもない事態となるのは、経済及び軍事を歴史という面からみれば容易に分かる事なのですね。
歴史は何度でも繰り返しますから・・・
そこに来てリチャード氏の言うとおり、ガタガタの経済で苦しむ民主主義国の中にやたら勢いのある人治国家が一人勝ちを続けて台頭すればどんなことになるか等、幼児でも理解出来るであろう。
事は尖閣あたりの小競り合いどころでは済まなくなるわけだ。
昨日三浦で行われたレース。
これはプロ昇格のかかった、登竜門レースでもあります。
家の娘が参戦したのは最上級スペシャルクラスの一部、レディースクラスですが、完全なる惨敗でした。
2年前に続いて二度目の惨敗。
プロとアマの境界は、ここをくぐればプロになる訳ですが、相手は超ベテランばかり13人。
全国から強者が来ていますし、歴戦の勇者ばかり(普通の男なんか相手にならないほど圧倒的に早い)。
16才になったばかりの小娘が早々かなう相手では有りませんね。
展開を見ていると、ジワ~という感じで離されていく、「どんな道具を使っているんだろうか?」と浜に置いてある道具を見ますが、当たり前の様に最新式のレーシングレースセイルとレーシングボードで武装、
それに対して家の娘は3年から6年前の型落ちフリーライドセイルとウェイブセイル(家では一枚10何万なんて最新セイルは到底買えません)、 ボードは一応スラロームですが6年前オンボロボード。
なるほどね~ と思いますが、事はそれだけで差が付いている訳ではない。
この日を目指して毎日の様にレース練習してきた大先輩達、それに対して、暖かいシーズンに僕が来られる時だけという条件の我が娘・・・・
今年の前半はヨットレース練習に全力注ぎ、学校では課外活動と委員会活動等様々に動き回り、それ以外の時間は舞台に立つための練習で消費され、自由時間すら殆ど無い。
僕が記憶出来る回数程度しか練習出来ていないというのが現実。
どうしても到達しなければならない(何とか後方で混ざってレース展開できる)レベルにまでもう一息(これが大変なのですが)だと思う物の、 爆風条件で危険だった事もそうですが、
さすがに昨日は見ていられずに、僕がレース途中で参加を遮断、二日間の予定を一日だけに切り上げて帰宅しました。
昨日は西高東低、バリバリの冬型気圧配置! 15m(ブローで17m越え?)オーバーの条件下でこれは無理 まだ骨が固まって無い年齢で身体へ繰り返し過大な負荷をかけることは、「百害あって一理無し!」
親として無理だけは絶対にさせません。 自然の力という物はそれだけ激しくて大きい物ですから。
最後までやらせるという考え方も有りますが、とにかく何でもやりすぎで、現在毎日のように帰宅が遅く、全身疲れ切っているのにそれを知っている親が管理せずに野放しというのはいかがなものか?
帰りの車の中で、バイアスかけ過ぎて苦しんだり、自分で自分に義務的な負荷をかけるのではなく、楽しむことがまず先に来てその延長にレースという考え方を持つ様、娘に話しました。
まあ、色々な経験を積極的に積むことは悪いことではありません、特にそれが若い時分なら、尚更のことですが、積み重ねを十分にした上での挑戦ならともかく、無謀に近いやり方は色々な面で良い影響を
もたらしません。
と、これで落ち込むのかと思っていたけど、そんなに弱くはないのが我が子、帰りのレストランでたくさん食べ、早くも次の目標を完遂する方向に気持ちを集中させていました。
良いんだか? 悪いんだか?
さて、来週末は学校の音楽祭、普通の学校とは違って二日間行われますが、1日目は選考オーディションを通過した色々な雄志グループによる歌や踊り等が中心、二日目は普通の歌による競い合いが中心になります。
そのオーディションを通過した内の2グループに同時参加している娘ですが、午前中に披露するフラダンスとポリネシアンダンス、午後はヒップホップでガンガン行くらしい。
先輩と共に参加希望者に教えつつ、自分も当然練習せねばなりませんから、又朝早くから放課後は夜遅くまで毎日練習するんだろうけど、親としては「くれぐれも体調を崩さないように」と祈る気持ちです。
しかし・・・・・なんでもやりすぎなんだよね。 えへへ
Miho Komatsu- Watash Sagashi .私さがし
昨日紹介したHPにある配線図は、僕が実験に使用したものとはとは異なります。
そこで、多少手を加えたものがこれ、
*一部図面に誤り、リレーはオムロンではありません。
実際に基盤へ実装するとこうなります。
これだと配線のつながりがよく分らないので、図面というか紙に落とすと
裏面が重要ですが
右下の赤は5Vの+、 緑は-で、安定化電源基盤よりパワーを供給します。
他に黄、赤、緑の配線が基盤から出て左下へ落ちていますが、これが温度センサーへの配線です。
写真だとよく分らないので、同じく紙に書き落とすと
朱書きの線は裏から表に出ている線を黒で書くと混乱するので色を付けて分りやすくしています。
以上、次は安定化電源ですが、これは秋月のキットを使うので、特に説明は不要かと思いますが、
これは次回、
それぞれの基盤とDanfossのユニット織り交ぜた総合的配線を紹介します。
電子制御の実験もとりあえずは終了。
そこで、今回使用した制御回路は、http://www.ni.bekkoame.ne.jp/sogawa/html/auction/thermo886_2.html
のものを使用させていただいております。
理由は簡単、必要なパーツが入ったキットで1400円と安い上に、一番面倒な温度制御用プログラムをすでに書き込んでくれているからなのですね。
ということは無駄な出費が一切無いということです。
これをそのまま応用し、出力が20mAあたりが限界のPICではリレーをドライブ出来ませんから、その辺に転がっているようなトランジスタを使って動かす簡単な回路をオリジナルで追加しました。
図面は次回アップします。
このキットに無いのが配線用基盤、リレー、ダイオード、トランジスタ等ですが、購入は秋月電子という有名なところに注文しました。
http://akizukidenshi.com/catalog/default.aspx
制御回路基板に安定した電圧を供給する電源基盤ですが、 安定度そのものが温度制御の正確性に結びつきますから、これを使用しています
http://akizukidenshi.com/catalog/g/gK-00095/
実験終了ですから、そのまま組み込み作業に入ればよいのですが、冬でもあることから横着してなかなか進みません。
春までには完全に終了させる予定でいます。
ふざけんなよ! その3 ココス アイランド リゾート
今回の旅行の中で最低最悪だったのがここ、憤懣やるかたない、息子も激怒で、当然うちの家族は二度と行くことは無い。
まずなんにも無い素のままで85ドルは請求される、バスで移動して、船でわたしてくれ、昼食がついての一日?滞在価格だ。
ツアーディスクで申し込んだら10ドル引きの75ドルだったけれど、レンタカーを使っていることを知っているテルミクラブのDFS案内所の人間は惜しげもなくこの75ドルツアーを受け付けてくれた。
しかし、レンタカーで直接渡し船乗り場にいって申し込むと40ドルになる。 これは帰国後ネットでみて知ったことだ。
正規価格との差、45ドルは往復のバス代ということだ。
不親切でありがとう!とてるみくらぶ案内ディスクに言いたくなる。
この島のツアーだけれど、基本的に金 金 金 金 を要求されると考えて良い、となれば当然のように経営そのものは日本人が行っていると思っていたら、やはりそのようだ。
島の美しさだが、20年前に一度来たことの有る僕の記憶からは程遠く、当時有った素朴さと美しさはすでに崩壊、ただの海水浴ビーチに成り下がった、白いビーチは以前のままだが・・・・・
以前は船着場のすぐ近くに群れを成して泳いでいた魚はいなくなり、スノーケリングで少し沖に出れば触れることが出来た濃く美しい海は無くなった。
ジェットがばんばん排ガスとオイルを垂れ流してバナナボートをやかましく引っ張れば当然起きる事で、珍しくはない。
正直、ここに美しい海を期待するのは無駄ということだけはこれを読む皆さんにお伝えしておきたい。
申し込んだのは一日?ツアー、9時35分に集合なのだけれど、お迎え時間を遅刻という無駄で消費してくれ、それに対しての謝罪の言葉すらない。
結局船乗り場に着いたのは11時半近く、さらに船へ移り変わる際に又無駄な時間を消費してくれ、島についたのは12時前。
4時過ぎには島を離れるので、結局半日賞味4時間滞在で85ドルということだ。
島についてまずセンターハウスに行くと、案内の日本人がサングラスかけたままで施設を案内、しかもその案内のしかたがまるでテープレコーダーをまわすような、あくまでもお客さんをなめたような説明だ。
世界中のバカンスを廻ったが、お客を前に無精ひげだかなんだか分らない顔にサングラスで無愛想というか、なめたように説明するという初めての経験をさせていただいた。
ここでも立派に日本式殿様商売が成り立っているのがよくわかる。
こいつは後にも不愉快なことをしているのでそれは後で紹介
このココス島だけれど、20年前は昼食に現地スタッフがドラム缶でバーベキューをやってくれ、そこでは焼いたお肉や魚、フルーツ等を出してくれ、ネット張ってみんなでビーチバレーやったりと、素朴だけれど暖かい接待がそこに有った。
そんな高尚なものは現在無い。
そのかわりに今はレストランが有り、ここでも日本らしいことが行われていた。
まずレストラン、なぜかTシャツ着用だと言う、これまたさすが日本人が経営するとこうなるという実に不愉快で日本式のやりかただ。
いったいここを経営している人間はどのくらい世界中のバカンス村やリゾートを経験して知っているのだろうか? とそのセンスを疑ってしまう。
実はビーチサイドにあるこうしたレストラン。 基本的に水着でOKなのがバカンス先進国である欧米資本のバカンスやリゾートの常識だ、Tシャツなどの上着着用が義務図けられるのは、ホテル内等の一般客が訪れるところに限られるわけで、これは食事の場所が泳ぎに来ているお客さん以外の人たちがいることを前提にしているからで、これは当たり前かつ常識だ。
入り口にいて目を光らしていた?日本人スタッフに「何故だ?」と理由を聞くと、衛生上の問題という答えが返ってきた。
ところがどっこい、テーブルにいくと、そこにある椅子は鳥の糞だらけ、テーブルもろくに拭かれておらず、このように食事をする設備についた汚れはそのままで、どっちに衛生上もんだいあるのか見識を疑わざるを得なかった。
「また日本式かよ・・・・」と思うが気を取り直してビュッフェとやらを除いてみれば、???????
ほぼ選択権の無い、どこがビユッフェ?なのかと言いたくなる品疎な内容、これで選べって言われてもねー、カレーにそうめんなんかですから・・・・・
おまけにコストを極力抑えたい意図が見え見え、元値がやすく見積もれるものばかりだし、だいたい85ドル払わされて飲み物有料ってなに?とおもってしまう。
ただ、有り難い事に水が無料でいただけるのは大変な救いといえる。
これなら前のバーベキューのほうが1000倍よかった。
おまけに聞きたくも無いウクレレを勝手に弾き出し、しかもたいして上手でもない。
潮の香りと風の清清しさ、かすかな潮騒の音が好きな僕には単なる雑音でしかない。
さて、次に浜へ出たのだけれど、ビーチチェアーを貸し出してくれるとの事で、ところがそこのあるのは寝られるタイプのものではなく、ただの椅子、プラスチック製で日本の海の家にもあるようなチャチナもの。
馬鹿らしいので、ゴザ式のビーチマットにしたのだが、なぜか自分達が泳いでいるうちに勝手に荷物を動かされたあげく、回収されていた。
聞きもせずにお客さんの荷物に触るという、絶対にやってはならないリゾートの鉄則を平然と破ってくれるという、さすが日本人が経営?するリゾート、どこまでも不愉快は続くわけだ。
さて、今回ここでは割と本格的なウインドができるような事を書いているホームページがあったので、今度こそはと期待していたのだけれど、インフォメーションに「まず機材を見たい」と伝えたところ「あっちにスタッフがいますからと」そっけない返事、簡単に言うなら面倒なこと要求するなという印象を持った。
これまた決してやってはいけない事だ、あっちではなく、簡単な地図もしくは島の見取り図を見せてこちらで案内していますと言わねばならない。
ろくに案内せず、それじゃ~肝心のウインド機材はどう保管されているのかというなら、いい加減そのもの・・・・
この時点で開いた口がふさがらなかった・・・・
この島を愛した有名なウインドサーファー、故飯島夏樹がこの惨状を目にしたらひたすら泣くだろう。
現在の経営者はそうしたものまでも粗末にしていることが良く伺える一時でもあった。
悲惨な状態をみて、それでもやろうかという気は自分に有ったが、ここまで続いたあまりの不愉快と、なにより当日の風が不安定で時折来るブロー頼みという状態だったことからあっさりやる気を失った。
次、この島のビーチだけれど、桟橋からセンターハウスに向かって、右側がスイミングエリアで、左側は一応遊泳禁止?となっているようだ。
こんな規制は以前無かったぞ?
左側のほうがビーチのすぐ後ろに木陰が狭り、日陰が取りやすいうえに海の中の状態がはるかにいいのだけれど、現在はその木陰の向こうをサンドバギーが走り回り、海はバナナボート、ウェイクボードやジェットスキー等の発着所がある。
それらがあるので遊泳禁止と言いたいのだと思おうが、綺麗なほうで泳がせず、死んだ海で泳げという強制は、いかにも日本人が経営しているところらしいといえる。
とにかく不親切でやる気はないし、黙っていてもお客が来るという殿様商売なリゾートだが、ひとつだけよい点?も、鳥小屋に入れられたココバードが見られるということだ、正直ほかはよい点等無い、というか昔あったよさはすでに消滅したというほうが正解だ。
そんな素晴らしい?ココス等だけれど、最後の最後まで期待を裏切ってくれなかった。
集合して島を離れる船に乗る際に、時間が押していたこともあり男3人組の一人がロッカー室にかぎを忘れたらしい。
センターハウスの受付に返すのが基本なのだが、うっかりしていたようで・・・
とそこまではよかった、問題なのはその先、例の無精ひげサングラスのあんちゃんがそのお客さんをネチネチ攻めたてている、事情を聞いているつもりらしいが、事は単に忘れただけという至極単純で分りやすい事でしかない。
「鍵はどうした」、「鍵の本体はどうした」、「どこにおいてある?」、「なんで返さなかった?」 とまるで取り締まりの尋問
傍でその話をが耳に届いていた僕、はじめから態度が悪いのも気になっていたこともあって、だんだん腹が立ってきた、いい加減に「おい コラ?」と言いそうになったけど、そのあんちゃんが無線機らしきもので連絡を取り始め、それで一応終了したのでこちらもさらに事を荒立てるのもどうかと思い遠慮した。
ちなみにお客さんは若い3人組みの男性であり、お客さんをネチネチ尋問するような真似をへいきでするという、これまた素晴らしいまでの日本的経営’世界最低の品質といえる。
ふざけるなよ! その4
テルミクラブ DFS内案内ツアー案内所
これは島と直接関係無いかもしれないけれど、あまりの不勉強さに????
と、おもってしまう事があった。
実は最終日の土曜日に、朝市出かけその後は浜辺にある無料のバーベキュー設備で昼をとりながらのんびり美しいビーチで過ごしたかった僕。
タモン湾のビーチはリザーブだらけだし、そのほかのところもいまひとつ、そこで島の南エリアによい砂浜とベーベキュー設備、シャーとトイレを備えたところがないかと某案内の女性に尋ねたのだけれど。
尋ねた事と、答えが一致しない、プライベートエリアでやると叱られるだの、タモンの近くにあるだのと、見当違いの答えを並べてくる。
結局のところ単なる勉強不足、案内しているけれど、あくまでも自分たちのお金になるツアーのみの範囲にとどまる知識のみで、それ以外の情報はまったく持ち合わせていないらしい。
知らないなら知らない、分からないなら分からないと言えばよいだけの話。
自分はグアムにいて、しかも案内しているというプライドが邪魔するのかしれないけれど、最後まで見当違いなのと、だんだん逃げるような受け答えに腹が立ってきて、それを見計らった家内が割り込んで終了。
ふざけるな! その5
あんまりガーガー書き立てるのもどうかと思うのでこれで一応打ち止め。
某ビーチでの話し、浜にホビーキャット(双胴のヨット)があった、価格は1時間で20ドル。
さっそく受け付けにいってみると、経営は日本人。
たら~ と汗、駄目だこりゃ・・・・と思いながら貸してくれるかと聞くと。
私が操艇しますとのこと、「外に出ませんし、湾内なら自分で乗れますから」といっても駄目。
しかも一人20ドルで家内と二人だと40ドルだと、あ~ここにも日本があった。
まとめ
バカンスというのは先進国である欧米系を経験すると、本当に日本式というのがうんざりしてくる。
僕は日本という国が好きだが、こうした日本式商売というのが大嫌いだ。
お客さんが如何に楽しい思い出を持ち帰ってくれるかという発想がなく、このように金 金 金 と何かにつけてふんだくろうとする姿勢が思いっきりみえるくせに、その反面 あれだめ、これだめ、を連発して規制することで自分たちは楽な思いをする。
突き詰めれば楽にお金を稼ぐことばかりにだけに全精力を注ぐ日本式には触れるたびに吐き気がするほど不快な気持ちになる。
20年前に一度行った事のあるグアムは、雨が降るとすぐに停電し、素朴でいてドッグレースに熱くなったチャモロ人と米兵が街で謳歌していた。
その頃のグアムはもう失われてしまい、日本人が経営するあらゆるサービスがやたら目立っていた。
日本人相手に、粗末なサービスを高額な金額で提供する、そんなところに変わり果ててしまったのがいたく残念でならない。
最後に
これを読まれた方にお願いがあります。
ネットの情報というのは、情報の更新がない場合はいつまででも残ります。
もしグアムに行かれた方で、僕の書いた事が改善されているのを確認された方がおられましたら、コメントから”どう改善されたのか”ということを詳しい情報としてお寄せください。
数件情報がよせられ、日記に書いていることと改善された現状が適合しなくなった部分に関して精査したうえで判断し、削除をしていこうと思います。
そうでないと、すでに改善されている事にこちらが嘘情報を垂れ流すことになるからですね。
情報お待ちしています。
約1週間のグアム旅行、全体としては60点というところでした。
旅行記は後にアップするとして、まず一番先にグアムで盛んに行われているツアーを含め気づいた問題点、嫌なところ、 ふざけるな!と思った事を書いてみたいと思います。
普通、旅行記や現地の紹介をしているホームページなどをみると、良いことばかり書いていて、欠点や問題点を挙げているところはほぼ皆無です。
何故そうなのか?ですが、不満点があっても楽しい思い出として残したい思いがそうさせているのだと思います。
しかし、これからそこを訪れようとする旅行者は確実にその情報を鵜呑みにします。
結局間違い?情報を信じて現地で不愉快な思いをするだけだし、最終的には現地の旅行関係者も何が問題なのかを知ることなく毎日同じことが行われ、最終的にはお客さんが減っていくことになります。
そこで今日は、自分の気づいた問題点を自分が訪れた現地ツアー内で紹介したいと思います。
これを書く根拠となっているのは僕が若いころから家内と海外旅行を繰り返し、欧米人を中心にしたバカンス村をたくさん経験しているところから来ています。
ちなみにモルディブ、スリランカ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、バリ、ハワイ、タイ、アメリカ大陸、中国、サイパン等々それ以上の国を渡り歩きました。
僕の感覚からすれば、不愉快極まりなく感じた出来事の中で、特に我慢に耐えないものをピックアップしていますが、あくまでも経験との対比からくるものです。
もちろん有りもしないことを書きませんし、嘘もつきたくはありません、そのまま思ったことを書き連ねますので、これからGUAMを旅行しようと考えている方は参考にしてください。
注意:あくまでも僕の主観的なものを中心に書いていますので、人によっては逆の印象を持っていることもあります。
ふざけんなよ! その1
さて、ふざけんなよ!の冒頭にくるのが、かの有名な レストランであるプラネットハリウッド。
ハリウッドの雰囲気を店内いっぱいに散りばめたレストランということですが、僕はラスベガス、ホノルルの二箇所へ行ったことがあり、その2回とも隆盛期に訪れており、しかしながら今回で3回目のそこは、その凋落ぶりが肌で感じられるものでした。
まずは店内のディスプレイ。 以前は最新映画の撮影に使った物のレプリカなどが展示され、店内の雰囲気はまさにそうしたものでした。
ところが、現在はなんじゃこれ?と言うような安っぽくてお粗末なものばかりで、これどこがハリウッドなのだ?といいたくなるような品疎さ。
まずはそこから始まり、次が料理の問題、注文をとりに来たのはいいけれど、肉の焼き方をまったく聞かずに奥へもどってしまい、「どうするんだ?」と思っていたらそのまま料理が現れて、当然のことながら焼き加減を聞いていないのですから好み通りになんて焼いてない、出てきたのは僕の嫌いなレア、しかも肉は筋がやたらと固いだけの最低のものだというのがすぐにわかる品質。
本来一番うまいはずのTボーンなのですが、味付けは最悪で、さらに付け合せの野菜は半生というか、ほとんど生。
ニンジンはまだ耐えられるが、ブロッコリーを生で食べろといわれてもね~
おまけにサービスチャージ制で15%というバカ高い金額を上乗せされ、そのためにサービスと品質の悪さを、チップを支払わないというかたちで行う抗議もできない。
そこでマネージャ呼んで文句言おうかとしたところ、家内からストップされ、なんとか怒りを収めた感じ。
とてもではないがレストランと呼べる代物ではない。
価格が異常に高いために、提供している品質と価格がまったくつりあっていないという、最低のレストランという事だ。
このプラネットハリウッドのホノルルで日本人用、アメリカ人用に分けられた二重メニューで不愉快な思いをした記憶のある僕にとって再度悪夢の到来ともいえるかもしれない。
実はこのハリウッドプラネットのすぐ近くにある レストランTGI Friday's こちらのほうが価格は半分で、サービスは3倍以上、付け加えて不快な思いをすることはまったく無い。
ふざけんなよ! その2
PIC(パシフィック アイランズ クラブ)に一日のビジターで訪れて過ごした。
全体的な総合点をつけるとしたら60点というところ。 まず不満なのは一人130ドルという一日ビジター価格。
全アクティビティ使い放題で昼と夜の食事がついてこの価格、正直40ドル分は余計だ。
60点という点数を付けたのは、日本が経営にたずさわるとこうなるという見本といえるかもしれないところから来ている。
所詮は日本の資本が入り込んでやっているリゾートということでもある。
とにかくあちらこちらに見えないようで見える禁止、やるな、の日本お得意の規則が乱立している。
ビーチに出ればすぐ沖に、お得意のここから出るなの浮きが並び、できるだけ経営側とスタッフがが楽したいという姿勢が非常によく伺える。
さらにここでは、ウインドサーフィンができることを売りにしており(そうでなければ来る事はなかった・・・・)、こちらもそれを期待して一日ビジターとなったのだけれど、現実は2.4という子供サイズのふざけたセイルと、ストラップもついていない、いい加減なボードだけしかないというお寒い現実。
機材置き場の奥にきちんとしたセイルとボードがあるので、これを貸してくれとスタッフに言ったところ、帰ってきたのはあきれた返事。
「これはプライベート用だ」とぬかし、それならお客さん用はどれだと聞くと、これしかないと2.4のおもちゃセイルを指差した。
「は~?」 と思った僕、ここの売りは「ウインドサーフィンも楽しめると宣伝しているじゃないか?」とスタッフに食って掛かると(僕は英語で喧嘩できますので)、マネージャーに話すといって後は取り合わない。
ところがその後脱力感で(ウインドやりたかったですから)浜にそのままいたところ、自分より先に来ていた一人、その後に来た一人が、そのプライベートセイルとボードとやらを出してきて走り始めた。
ハイ! 何で~?と思った人に種明かしをします。 この二人、単純にここで働いている従業員スタッフ。
自分の私物をお客さんの目に触れる場所にならべておいて、時間ができたのか知らないがやっているわけだ。 しかも一人はこのアクティビティのマネージャーだ。
二人が気持ちよく走り回っているのを写真でとってそれをカタログに載せると、立派な詐欺カタログができあがるというよくできた話しだ。
ウインドサーフィンができると宣伝しておいて、実際はおもちゃだけをお客さん用に並べて、そのことでスタッフともめている目の前を、自分の道具を持ち出して気持ちよくウインドするという、このなんとも言いようの無い素晴らしさ!
「さすがPICだ!」 しばらくその姿を怒りをこらえつつ見ていると、先ほど文句を付けたスタッフがこのマネージャーに何か話し、奥からぼろぼろで年式遅れの100L一枚と、これまたモノフイルムでない、超年式遅れの重くて性能の悪いセイルをアップ用アップホールラインもつけずに、しかもろくにダウン引きしていない加減な状態で出してきて、これを貸してくれるという。
こちらはその素晴らしいサービスに感謝感激(あまりのなめた態度に)し、チューニングやり直す意欲もなくなっていたところ、息子が見返してやるとそのセットのままで出て、プレーニングにレイルジャイブをかまして戻ってきた。
お前らに乗れるのか?というマネージャおよびスタッフの態度に僕だけじゃなく息子も相当来ていたようだ。
それを見ていた後、ここが日本人の経営するホテルなのだということを思い出して変に納得、バカらしくなったことでやっと腹の虫も収まり、ウインドが駄目ならホビーキャットに乗ろうかと趣旨変更したところ、これまた自分で操艇は駄目という。
もう奥にもう一艇、艤装はずしたのが有るじゃないか?と聞くと駄目だという。
こちらはヨットに乗れるんだと言っても駄目、何も環礁を超えて沖まで行こうというわけじゃない。
「ふ~」とため息つくが、申し込んでいたので仕方なくスタッフの操艇するホビーキャットへ乗る事にしたけれど、やはり文句言わずにおとなしく言いなりになるという、完璧に日本人向けのバカンス施設だ。
別の言い方をするなら、こうしたお客さまの為の施設という事だ。
ちなみに日本人向けのリゾートとは、何があっても文句を言わず、やたらと多い規則に大人しく従い、スタッフが楽するためにすすんで協力し、最低のサービスで愚痴を言わない人間の来る場所ということ。
悪いが、このPICの広報に言いたい、アクティビティの案内にあるウインドサーフィンはオチャラケです、ビーチにあるセットはすべてスタッフが楽しむ為に置いてありますと括弧書きすべきである。
ちなみに、ヨーロッパ資本の本格的リゾートでは、こうしたヨットやウインドサーフィンは客が自由に乗れるようになっており、その為レスキュー用の船が常にスタンバイされている。
まったく乗れない場合以外は、基本的注意事項を伝えられるのみで何の制限もかからず自由にやらしてくれる。
道具はもちろん本格的なものを各種取り揃えているのがあたりまえだ。
そして、もし何かあったり流されるような事があればレスキュースタッフがすぐに来てにこやかに救い上げてくれる。
さらにバカンス村に滞在していれば、一日中乗っていても無料というおまけまでついてくる。
次は、PIC内のレストラン SKYLIGHT ここで昼食を食べたけれど、特に問題はなかった。
さらに、先のウインドやホビーキャットの件を除いて、アクティビティ全体としては良質、プールもきれい、設備関係はロッカー室のシャワーが全て壊れて使えないのを除いて70点、スタッフもほぼ70点をあげられるくらいでなかなかよい。
次に問題があったのは夕飯。
何が不満かというなら、ビールが激高! ビール一本15ドルとあまりの安さ?に涙が出る。
大き目のピッチャーで頼むと同じく15ドルだが、味はその分はるかに落ちる。
このあたりは居酒屋や宴会の延長そのものであり、とにかく酒代でお金をふんだくろうという日本式経営が見え見え。 日本企業がリゾートで夕飯を演出するとこうなるという、まさに見本のような夕食だった。
ちなみにこの夕食はビュッフエスタイル(日本ではバイキングと言われている)、一見豪華に感じる人も多いかと思うが、じつのところ、このスタイルは最低の人件費で収益を上げられる経営サイドに極め都合がよいシステムでしかない。
ちなみにヨーロッパ資本はアルコールに関してビジターで有ろうが何だろうが、初めに払う料金の中に組み込まれているのが普通、というか多く、一番楽しいはずの夕飯に不愉快な思いをすることはほとんどない。
客に対しての配慮という物が根本的に違うのだ。
ちなみにアルコール代を食事の際に支払う払う場合は、ビジター料金そのものを安く設定している。
さて、夕飯の後に演出される呼び物のポリネシアンダンスのレベルだが、男性はまあまあ?、女性はスパリゾートハワイアンズのほうが遥かにレベルが高い。
ただ、会場の広さと日本より緩い消防法により炎をうまく演出している点はまあまあというところ。
意外なのは、この夕飯とショーが終わった後に、プールサイドで行われていたカントリーソングとダンス。
みんなホテルにもどってしまい、僕の家族とごく一部の人たちだけがこれに参加したけれど、軽快なカントリーソングとアメリカンダンスをみんなで楽しめ、これが良かった。
これが無ければ総合点数は50点程度にしかならない。
最後に補足情報だが、今回のPICにはやたらと韓国人が目立った、おそらく70%近くはそうだったんじゃないかと思えるほど、僕は韓国人が嫌いじゃないし、多かろうがなんだろうが気にしないけれど、嫌いな人は微妙かも知れない。
あまり多いので、その理由を日本人スタッフに尋ねてみたところ、韓国ではグアムといえばPICというくらい人気が高く、日本の会社が経営しているという点が最大の魅力らしく、当然安心してすごせるのと、アクティビティが充実しているので大人気らしい、そしてここに来る韓国の人は親日の人が多いとの事で。 確かに滞在中にそうした面での不快な思いは一度たりともなかった。
今日がグアムの最終日。
といっても朝3時起きで4時にはチェックアウト、日本には午前中に着いてしまいます。
仕事も終わったし、中国の侵略から日本を守る為の日米合同演習も問題ないようで、安心して帰国できます。
しかし、翌日から現実に戻るのは結構つらいものですね。
本日で実質的グアム旅行は終了、明日はただ帰るだけ。
数日前から最終日はどうしょうかと考えていて、初めはフリーマーケットをまわり、その後でビーチサイドにあるバベキュー設備でお昼、後は魚の豊富なビーチで魚と戯れて一日すごしたいな~ なんて。
すると娘と息子、その彼女からココス島に行ってみたいという声が・・・
自分がココス島に行ったのはいまから約20年前、白い砂と青い空にシロアジサシが飛ぶ美しい島だった。
船から桟橋へ乗り移ると、すぐ横の海面に小魚の大群がいて、人の歩く音や振動で動く黒い風呂敷見たいな群れが形を変えつつ移動し、ここが自然に恵まれた楽園であることを嫌でも認識させてくれた。
島は殆どがブッシュで覆われていて、桟橋のあたりを中心に扇状に広がる柔らかくて白い砂で地面が覆われ、適度な間隔をおいてポツポツと生えている椰子の木と実がコロコロと転がっていたのが印象的だ。
シロアジサシは沢山いて数が多く、結構あちらこちらに姿をみせてくれ、しかしながら人を警戒するようでしないような微妙な距離を常に保っていた。
島にある施設で目立つのは少し奥にもうけられたボロトイレくらいの物で、特に他は観光用の無駄な建物も無く、他に人工的な物と言えばドラム缶をぶった切ったバーベキューグリルくらい。
そして椰子の木が一部無い、比較的広いところにバレーボールのネットが張ってあったのを覚えている。
ビーチは右端から左端までの砂浜全体が泳げるエリアで、すぐ後ろには椰子の木がせまり、それが適度な木陰を造りだしてくれるので、日差しが強すぎればすこしその陰に入ることで、後は優しい南風だけが体を包んでくれた。
幼かった息子が木陰でお昼寝をしていたのが今でも目に焼き付いている。
ビーチからマスクとスノーケルをつけて海に入れば、初めこそ何も無いけれど、少し沖に行けば驚くほど色とりどりの魚達がいて、それが非常に美しかった。
何にもないけれど、自然の美しさが十分に心を満たしてくれる島。
しばらく泳いでいると、どこからか美味しそうな香りが鼻をくすぐり、それが現地のチャモロ人スタッフ達が焼き始めたバーベキューから来ていると言うことがすぐに分った。
ランチターイム!と呼ぶその声に引き寄せられてみれば、オレンジジュースと香ばしい香りの肉、パンと何やら瓜のような野菜のようなものがトレイに無造作におかれ。
それを食べるとさほど高価な味付けはしていないのに、とんでもなく美味しく思えた。
その後は現地の人たちとビーチバレーしたり、昼寝する人、僕みたいに海で泳ぐ人と様々だ。
そして常に静かで、風だけが海からきて後ろの椰子の間に消えていく時間が傾きかけた日の光が海と空の色をいっそう華やかにしてくれるころ、遊び疲れた体と日焼けでほてる肌をお土産にする時間となる。
わずかに赤く日焼けした肩の我が子を抱きつつ帰りの船に乗り込むと、そこには来たときと同じように小さな魚たちが朝と同じように群れていた。
「さようなら!、でもまたきてね!」と語りかけるように・・・・
こんな思い出と共に、非常に強い思いをこの島に持っていた僕、その時の息子はすでに大きくなり、いまもあの小魚の群れはまだいるだろうか?と思う。
送迎バスの集合場所で約束の時間に待っていると、すでに予定時間を遥かにオーバーして、10時近くになろうとするのにいっこうに現われない。
家内が心配してツアーディスクに連絡していると、その傍らで僕の名前を呼ぶ声が。
なんだろう?と電話に出てみると迎えのバスが遅れていますとのこと。 電話の行き違いだね~こりゃ。
「ココス島ですが」と電話でかたるその女性の説明を聞くが、遅刻に対する謝罪の言葉は一切無い。
仕方ないか・・・とそのまま待っているが、幾ら待っても現われない、やっとこさ姿を現したバスに乗ると、そのまま直行ではなく(当たり前ですが)他のホテルに向かいだした、当然さらに予定から遅れるわけだが、いくつかのホテルを廻ってやっと目的地に向かい始める。
ところがだ・・・・ このバス、やたら乗り心地が悪い上に、まったくスピードが出ない。
おいおいと思っていたけれど、更に予定時間より大幅に遅れて船乗り場に到着。
バスから降りると、すぐに船へ移動下さいという言葉はなく、船付き場の小屋から出てきたスタッフが、ここで待てと、そこでも約20分近く待たされた。
とんでもない遅刻におんぼろバス、おまけに全員そろっているのに、何で待たされるのかが分らない。
やっとこさ乗船となり、船は一路ココス島へ。
本島側から見るココス島は、いかにも南海の楽園という感じで、ここでも昔を懐かしく思い出してしまった。
だんだんと桟橋がみえてくるが、以前の粗末な桟橋ではなく、かなり頑丈で豪華に作り直したようで、しかしながら手の届くようなところにあった海面は遠くなり、さらにショックなのは、以前はたくさん見られたはずの小魚の群れがない、 「???」と思いつつ左右の海を歩きながら見るも、群れどころか魚影もない。
その理由は何となくわかった、というのは、この桟橋、現在はパラセーリングなどの発着を行っており、その牽引用のボートが始終このあたりを走っているからだ。
何となく悲しいような気持ちのまま島にはいり、又驚いた。
椰子の木を切り倒し、大きな建物が幾つも建ち、完全に開発されて人工リゾート化していた。
真ん中の建物で入村の説明を聞くが、その大半は向こう側の要求と、この島で行うツアーの説明(出来る限りお金を落としてね)でしかない。
はいそうですかと一応耳に入れるけれど、無意味にでかい建物に、「なんて事をしでかしてくれたのだ」という思いが強くて、ほとんど聞いてなかった。
それが終わると着替える訳だが、ロッカーシャワー室は妙に立派で、あたかもそこは日本の温泉の様だった。 自分は温泉へ来たのかと一瞬勘違いするが、当然の事ながら浴槽なんぞ有るわけが無い。
女性が着替えるのは時間がかかるために、先に出て外で待っていた自分の目に真っ先に飛び込んできたのはオウムがたくさん入られれている、そこそこにでかい鶏小屋。
何でこんな物があるのか自分には全く理解出来ない。
そこには色とりどりのオウムがいたけれど、このグアムに野生のオウムなどいない。
理由は分らないが、おそらくこのオウム達は、この島が南の島であるという人工的イメージ作りの為に集められているように思う。
「なぜ真っ白なシロアジサシだけではいけないんだ?」・・・そう思いながらしばらくこの鳥たちを見ていた。
その先に目を向けると、そこにあるのは以前の様なふかふかの白砂で覆われた地面ではなく、なぜか緑色の芝生で覆われて綺麗に刈り込まれた区画とそこを縫うように、これまた人工的な道が綺麗にひかれている。
自然ではなく、完全な人口造作物が全面を覆っているのだ。
山をガンガン削りとってグリーンをひいたゴルフ場と同じような事がここにも出現していた。
これをみて美しいという感覚は僕にはない、まったく以前の姿を知らない人がみれば綺麗と思うのかどうかは僕にはわからないが、僕にはそうした感覚はまず出てこない。
この時点で少しずつ出始めたため息、とはいうものの、それも時代の流れだろうと無理矢理自分を納得させ、着替えから戻って来た女性陣と合流してまずは昼食(すでに昼ですから)。
これまたでっかい建物、その奥に昼食が並んだビュッフエは有ったが、カレーやそうめん、後は鶏肉のぶつ切りを適当に焼いたのと、瓜らしきもの、その他数品有ったが、昔有った手作りで暖かみのある昼食ではない。
美味しくもない昼を腹に流し込むと、とりあえず泳げるビーチへと移動。
昔は椰子の木が自然に木陰を演出していてくれたが、現在はでかい建物前に、湘南ビーチのみたいにパラソルがさせるパイプが無機質かつ規則正しくならんでいるだけ。
5人いたのでパラソル一本と、ゴザマット4枚だしてもらって、さっそく泳ぐことにする。
すこし泳ぎ初めてここでも愕然、ほとんど魚がいない・・・・
以前のように沢山の魚がいないのだ、その状態はまるでタモン市内海岸にあるプライベートビーチとほとんど変わらず、言い方は悪いかもしれないが、すでにこのビーチは死んでいるように見える。
それでもしばらく粘って泳いでみるけれどやっぱりだめ。
無機質な海に嫌気さしたのか、息子とその彼女二人はパラセーリングの予約をして、乗りに行った。
発着はあの立派で豪勢な船着き場だ。
娘と二人でしばらく魚を求めて泳いでいた僕だけど、さすがにうんざりして戻って来たとき、丁度パラセーリングから戻って来た二人と合流。
本来の美しい生みを求めて桟橋挟んで反対側にあるビーチへ移動することにしたが、そこではジェットスキーがガンガンと走り回り、2サイクルエンジンであるそれらは構造上避けられない大量のオイルをたれながす。
遊泳禁止らしき標識が椰子の木に釘?で打ち込まれているその先にいくと、現地のアメリカ人達が自分のホビーキャットで海を渡って遊びに来ているきれいな砂浜があった。
そこはそれなりの海流があり、でも透明度が高く、ここでしばらくスノーケリングをして楽しんだ。
もっとも、本当に綺麗なところまで行こうとすると、それにともない海流がつよくなるので、そのすれすれのところまでにした。
ここでやっと20年前の海と同じ光景を満喫、しかしながら時間は残酷。
3時半頃には帰りの支度が必要と言うことで、例の温泉ロッカーまで戻り、シャワーを浴びる。
4時少し廻ったところで、桟橋から送迎線に乗り、本当へともどる。
ココス島から見る本当は日の傾きのせいで陰がこくなり美しい。
15分ほどでバス乗り場へと到着、後はタモン市内に戻るわけだが、窓から見える景色に虹が架かり、それはまるでもう一度きてください!と無言でこの島が投げかけているメッセージのようにおもえる。
しかしながら、僕はこう誓っていた、二度とここには来ないと。
幾ら美しく見えても、その大半を人工物で造り上げ、それに包まれた状態で自然とか美しいでしょうと言われても、僕には意味不明だからだ。
人口工作物で構成されたリゾート、魚は海にいなくなり、その代わりにジエットやモーターボートが走り回る。
そう、ココス島はもう死んだのだ・・・・
再びおんぼろバスでタモン市内まで移動、嫌な気持ちのまましばらく町中の店なんかを見て歩く、最後にTGI FRIDAYにて食事、グアム旅行最後の夜はこれで終わりとなった。
グアムに来てもう5日目、あっという間に時は過ぎていきます。
今日の予定は イルカウオッチング バナナボート シュノーケリング 釣りがセットになったツアー
家内と僕には特に目新しい物ではありませんし、価格が高いのですが、子供達の経験無いことからこれを選択。
他にもこれを選んだ理由がありまして、オプションでスクーバダイビング体験が安くできるからなのですね。
初めのPICで一応ダイビング体験した実娘はよしとして、その時出来なかった息子の彼女には、どうしても体験させてあげなければなりません。
実の子と全く平等に扱う必要がありますから。
このツアーはABC あるファイン ビーチ クラブというところでやっている物。
ここはホテルまで直接迎えに来てくれましたので、僕だけ後のことを考えてレンタカーで後ろを着いての移動。
15分くらいでABCに到着、即説明などを受けますが、やはりここも日本人が経営しているようで、それを知った段階から引け引け状態に落ちていくわけですが、 みんなの事を考えると我が儘は言えないし、それでみんなが不愉快な思いをするのもどうかと・・・・
ここでは受付だけで、後は船の発着所までバスで移動し、ハーバーより出発することになります。
この船の後ろにバナナボートが牽引されているわけですが、ここを選んだ理由の一つにバナナボートをひく手段が、イルカウオッチングポイントまでの移動中の海上で行われると言うこと。
大型のジェットやモータボートで浜の近くをやかましく走り回る騒音や、オイルの大量垂れ流し(ジェットの2サイクルエンジンではありませんから)、それによる魚への影響や水質汚染の恐れが少ないためです。
スクーバダイビング、ウインド、ヨットなどの自然の力を駆使しておこなうスポーツを愛する僕にとって、こうした反自然的な乗り物があまり好きではなく、緊急時以外はやたらと使用しないでもらいたいと思っているのが本音です。
港から沖に出始めて、だいたい30分くらいすると、ライフジャケットの装着がはじまり。
海のど真ん中でバナナボートに乗るわけですが、これだと先もかいたように誰にも迷惑をかけないのでGOOD!
第一陣がでて、僕らは第二陣でしたが、第一陣で満席?だった事から僕らの番は定員の半分くらい。
ところがこれが良かったのか? 弾む!弾む! 特にボヨンボヨンのバナナボートで波を乗り越える際にわざと両足つかって腰をジャンプさせると思いっきり面白い。
それを見ていた家族みんながまねしはじめて皆でぴょんぴょんと大笑い、そこそこの時間を引っ張ってくれ、そろそろ飽きてきた頃に終了。
さて、その後船に乗り移って少し行くとスノーケリング場所へ到着。
ただし・・・・・
スノーケリングはあくまでもロープで囲ったエリア内だけでしか許されず、それもさほど広くはないために芋洗いとまでは行かない物の正直狭すぎ。
海流は若干有るけれど流されるほどの物ではない、なのにライジャケ着用義務と来ている物だから面白くない(僕だけだと思います)。
水深5m位のところで行われますが、一番喜んでいたのは中国人達。
あまり泳げないみたいで、なんかバタバタ手足動かしてロープにつかまったりしていますが、それを見ている方が面白かったりして (笑)
一応僕も出てはみましたが、前述の理由から程なく船に戻り、釣りへと変更。
このスノーケリングですが、海底の状態はさほど悪くなく、透明度も良いし、魚の数もそこそこないので、沖の深いところでスノーケリングをしてみたいけど怖い・・・という方には向いているかと思います。
釣りは船の先端デッキで行われますが、初めて一投目であっさり釣れてしまい。
先に来ていた人たちが釣れていなかったこともあり、意味のない優越感(笑)。
僕が釣ったのを見ると即座にやってくるのが家内と娘、僕が釣れなければ彼女らは決してやりません。
理由を説明すると、僕が釣れるのだから自分達だともっと釣れるはず! という計算が働いているようで?
しかしながら敵も然る物、引きはするけれど全部餌をとられ、何度もぼくが餌を付ける羽目になります。 その間に他の人たちが何匹かつり上げました。
このつられた魚たちですが、僕の分ふくめ全てリリース、当然と言えば当然。
第一食べる気にならないよ、この極彩色・・・・
さて、それが終わると、最後はイルカポイント。
ほぼ90%の確率でみられるということですが、いました。
バンドウイルカに比べて小柄ですがやたらサービス精神旺盛で先に来ていた船が円を描くように走るとその後ろをいっせいについて歩きます。
総数で30頭ほどはいるでしょうか・・・・
船について行く以外のイルカは盛んにジャンプを繰り返し、まあ元気なことで。
僕はイルカを見たことは何度もありますが、ここまで数が多いのは初めて。
そういえば息子はウインドサーフィンで沖を走っている時にイルカたちが併走してくれた経験があり、それはダイナミックで素晴らしい物であったようです。
残念ながら国内でそんなチャンスにあうのはなかなか無く、一度でも良いから経験してみたいとおもうのですね。
さて、たっぷりとイルカの愛嬌を楽しんだ後は港へともどり、再びABCに移動。
後はここでビュッフェスタイルの昼食をとりますが、 ないようは悪くもなくよくもなくというところ。
例のごとく余り?が出る、それもって早速ビーチで餌付け。
初めはいつもの連中が集まってきましたが、ぎょっとしたのはカマスが集まり始めたこと。
こいつはワニみたいな口をもつやつで、餌を持ったままの手を水に入れたままにしておくな!と皆に呼びかけます。
魚とはいえカマスは油断できる魚ではありませんので、要注意。
その後は、例のごとくというか、ビーチにあるカヤック(やたら疲れる)やら水上三輪車? なんかで遊んでいる内に、体験ダイビングのお迎えが来る時間。
娘と息子の彼女はダイビングスタッフの車に乗り移動、残りは後ろを付いて移動。
どこでやるのかと思っていたら、なるほどという場所。
ここはビーチエリアではなく、ただし海流の影響も、波の影響も受けない、それでいて海底の珊瑚がそこそこに有る場所でした。
ウエットスーツとタンクを背負い、インストラクターと海の中へ消えていきましたが、思っていたより遥かに長い時間、おそらく40分近い時間だと思いますが潜水していました。
ビーチエントリーという方法ですが、レンタル機材とエアチャージしたタンク一本。
ガイドついて教えてくれながら、餌付け体験(後でビデオ見ましたがすごい魚の数でした)と海中散歩で65ドルは安い方かもしれません。
上がってきた二人に感想を聞くと偉く楽しかったようで、ライセンス取りたいと口にしますので、
当然、後ほど取得していただきます と答えておきました。
マリン一家である以上、当然潜りが出来て、ウインド、ヨット、サーフィンは出来なくてはなりませんから えへへ。
、さてこのあとABCへもどると、もう時刻は5時ぎりぎり。
そのあとレンタカーでタモン市内に移動、娘息子達は例のごとくうろうろ、僕と家内はKマートで夕飯の買い出し。
合流してホテルに戻ると、みなで夕飯をいただきました!
さすがに昨晩遅かったせいでなかなか起きれないみんな、
すこしゆっくり目にホテルを出ると、今日の予定であるサブマリンの送迎バス乗り場へと向かいます。
約30分ほど美しい海岸沿いを走ると、潜水艦乗り場へ連れて行ってくれる船の発着所へ到着。
ここから船に乗り約20分ほど沖へ行くと、潜水艦が待っています。
この潜水艦、おもちゃみたいな物ではなく、結構本気で造ってあり、水深40M以上潜行出来るということで、展望窓は10cm程の厚さのあるアクリルプラスチックで出来ています。
しばらく船でまっていると、海中から潜水艦が浮上を見せてくれました。
18mほどなので、潜水艇という方が正解かもしれませんが、それなりの迫力でザバン!と上がってきます。
船は艦内の人間が送迎船に乗り移るのと入れ替えのような感じで乗り込みますが。
入り口は潜水艦らしく頑丈なハッチがあり、その時点でわくわくさせてくれます。
乗って艦内で待っていると、案内が流れて説明と共に潜行開始、 的の外には珊瑚の海底がひろがりますが、ダイバーである自分には窓を通して目にはいる青の光が強すぎるのと、思ったほど魚影がないのが残念。
色々解説をしてくれているのですが、後尾にある設備機器からの騒音がやかましくよく聞こえない。
潜水艦はそのまま深度14mから18mくらいを保ちながらゆっくり進みますが、このポイントがダイバーのポイントを兼ねているらしく、窓の外では五,六人のスクーバダイバーが魚に餌をあげたり、こちらへ手を振ってくれたりとサービス。
潜行時間そのものは約30分程度ですが、最後に40mちかくの最大潜行が行われます。
さすが40mも潜ると海底は殆ど砂ばかりで魚は極端に少なくなります。
ダイバーである僕は過去に小笠原諸島の父島二見港で旧日本海軍の特殊潜行艇が沈んでいるのを見るために45mまで潜った経験がありますが、海底はわずかでもフインで蹴上げるとあたり一面が真っ白で見えなくなるほどデリケートな状態になります。
中性浮力を完全にキープしたまま出来るだけ水をかき回さない特殊な泳法が必要なのですが、
この潜水艦でもぐった40mの窓から見える景色はそれを思い起こさせてくれました。
さて、40mの世界でしばらく留まると、今度は海面に向けて一気に浮上を開始します、フロウタンク内の圧調整のためにパージされるエアに包まれつつジュラシックパークの音楽が艦内を流れてそれをダイナミックに演出。
なるほどと思えるような内容でした。
この潜水艦、パイロットはおそらく元米海軍兵士、潜水艦操縦のための特殊な許可証をもっているのでしょうね。
退役して、その技術と経験を生かして企画を立て、出資者をつのって、さらに海軍の協力を得て実現させたという感じ。
なぜなら、この潜行する場所から程近いところに海軍基地が有るからです。
このツアーはアメリカ人が基本的な演出していますから当然不満点はゼロ。
みんなの楽しい思い出になりました。
さて、それが終わってタモン湾に戻ってきた家族、 ほぼ午後が丸一日空いているということで、
とまっているホテルの提携ホテルのビーチにて残りの時間を過ごしました。
その後はマイクロネシアンモールに再び行ってみたいという希望が出ましてので、そこにいってしばらく土産物探し、その後はタモン市内を回りたいという息子の希望で二手に分かれて行動する事にしました。
息子と彼女はタモン市内、僕と家内はというと、グアムのホームセンターであるHOME DEPO
空港のすぐ下にあるのですが、やたらでっかくて、しかも中は建設資材ばかりで、バスタブの陳列見ていても仕方ないのと、家内がすぐに飽きてしまい、仕方なくKマートへ移動。
こちらの方が、日本のホームセンターにイメージが近い。
ただ、やはり待ち合わせの時間がせまり、ざっとみて見て歩いて明日の朝食と今晩のピザをしいれると急いで逆戻り。
初めにはしゃぎすぎで疲れてダウン気味の娘を心配して、今日は速めにホテルに帰りました。
ビールとピザで、明日の予定なんかを話したあと、僕はねむくなったので早々の就寝となりました。
朝から風が吹いていて、PICでウインドが出来るぞとばかり張り切って出発。
このときの運転は息子の彼女、左ハンドル、右側通行、家は未経験でも平気で運転させます。
怖がっていたらいつまでも出来ません!、この先レンタカーを多用する旅行が何度もあるでしょうから、運転できないというのは手足をもがれたのと同じになるからですね。
助手席はナビ兼ねて僕が座り、アメリカの交通ルールを実際の運転に合わせて教えながらPICへ
向かいます。
駐車場に到着してホテル入り口にある受付を済ませると簡単な説明をうけて入場。
着替えをさっさと済ませると、一番楽しみにしていたウインドを乗りに行きます。
初心者と間違えているカウンタースタッフに、みんな中級以上だとつげると、何とも言えない顔をして機材置き場を案内。
そこにあったのが6.3のモノフィルムセイルと、多少痛んでいるけれど135L位から100Lボード。
やった~と期待が大きくふくらみ、風も良風だし・・・
ただ、沖にここからでるなの赤い浮きが浮いていて、それがやたらと近すぎて????
担当スタッフが来たので早速貸してくれと頼むと・・・・・ 後は ふざけるな!に書いた通りの出来事勃発 。
このとき相当頭に来ていたのだと思うのが、息子が水着のポケットにライターとタバコを入れたまま沖に出てしまうと言う一件があり、普段僕より遥かに冷静な息子にしては珍しい。
一悶着あって、仕方ないので少し離れたところにあったホビーキャットにしようとするとそこでも????
なんか出だしから不快な思いが連発で、ムカムカする心を抑えるのに精一杯。
この時点で全額払い戻しできないだろうか?と考えるも、家内が落ち着け落ち着けとなだめてくる。
仕方なしにビーチから海へとエントリーしてしばらく泳いでいるとだんだん落ち着いてきた。
まあ仕方ないべ と、気分転換&おなかも空いてきたので早めのランチを取ることにした。
レストランはビュッフェスタイルだけど、種類が豊富なのと幾種類かのアルコールも無料、味も良いし従業員も感じよい、特に問題はないけれど、強いていえば多少冷房の効き過ぎかな。
キムチがたくさん出ていたのですが、これは韓国の人が多く来るからだそうで、自分も多少取って食べてみましたが、日本で売られているより遥かに酸味が強く。
美味しいといえばそうだし、これが本当の味だろうか?なんて思ったりもする。
結構美味しかったこともあって、みんな食べ過ぎ気味で楽しいお昼は終わり。
この時、ブュッフェスタイルでよくあるのが皿への取りすぎなのだけれど、これは後で間違いなく廃棄処分されてしまうので、それならとナプキンに包む。
あとでビーチへ持って行き、魚にあげる為だ。
さて再びビーチに出ると、先ほどの餌?を持ってエントリー
ここは多少の流れがあり、その分魚が他のところより多く、パンなどちぎって上げだしたらどんどん集まって大変なことに・・・・
サヨリはガンガン自分の周りを回るし、なんていう名前か忘れてしまったけれど鯛に似たでかいのがぞろぞろやってくるし。
はぎの仲間みたいなのから何からどんどん集まって来る。
スクーバダイバーである僕と家内、息子は驚きもしないけれど、娘と息子の彼女は大感激。
途中ですぐ近くに来た韓国人のカップルがそれをみて感激の声を上げ始めたので、当然自分のもっていたパンをお裾分け。
そのあと彼らと一緒にしばらく魚と戯れていました。
そういえば、午後には潮が満ちてきて午前より遥か先までホビーキャットが出せるとかいう情報があったので、家内が再度予約。
ただ、午前中操艇していたアメリカ人(白人)の学生アルバイト?らしきクソガキの態度が余りにもわるかった(できるだけ走る距離を短くして楽しようとする)ので 、
又こいつなら しばいたろか?と思っていたところ、出てきたのは何とも陽気で明るいスタッフ。
とにかくみんなを笑わせてくれ、午前中に山積した嫌な思いを吹き飛ばしてくれました。
このスタッフはいいですね~
一番左が僕です。
さて、その後は体験ダイビングが出来るというので、ライセンスのない娘と息子の彼女をダイビングの道へひきずりこむが為にそれようのプールへ連れて行く。
受付は日本の女性でこの人もよかった。
とこがここで又問題発生、といっても今度はこちらの問題。
昼のレストランでビールが飲めたので、息子とその彼女が少しだけど飲んでしまっていたのですね。
とてもまじめの子ですから、素直に申告、ダイビングはアルコールが絶対にだめなので、残念ですが今回はOUT
仕方がないので、娘だけ体験させてもらい、その子は息子とウオータースライダーへ。
ここのダイビング体験施設ですが、ただのプールではなく、海水を組み入れて本当の魚が泳いで出来る限り自然に近い状態にしています。
先ほどの女性スタッフの話では、サンオイルや、プール塩素などの影響を受けやすいことから魚が弱ったり病気になったりと、その管理には結構気を遣うそうです。
基本的なレクチャーを受けた娘は、短い時間ですがプールの中へ。
おそらく四mくらいの深さですが、上がってきた娘は水の中で息が出来ることに感激していました。
体験ダイブが終了したので、僕らもウオータースライダーに移動。
短距離、長距離とあり、どちらも結構おもしろい。
浮かれて数え切れないほどやってしまった・・・・・・あはは
飽きてきた頃プールへ移動すると、息子が疲れがでたのか昼寝。
そこで始めたのが家内と娘僕の三人でプールバレーボール。
途中からサイパンから来たチャモロの男が二人参加で、1時間以上?は大騒ぎ。
にぎやかなのが好きな彼らですから、ボールの返しが続いただけでやたらとハシャグ。
この辺が日本人との違い。
さて、だんだん、日が傾き、スコールの影響もあって冷えてきた、最後に暖かいスパがあったのでみんなで入っていると、3歳の子を連れた韓国人のお母さんと話になり。
というか、何でもかんでも話しかける家内が片言の英語で韓国ドラマが好きだと話し始めたのがきっかけ、俳優の名前だとなんだとか、結構和気藹々の一時を過ごさせていただきました。
さて、夕飯があるので多少速めに着替え、ところがロッカールームサイドにあるシャワーが全て壊れていて使えない。
仕方なしにそのまま着替えて食事へ向かいます。
ショーがみられる屋外ステージ横にテーブルがもうけられ、案内係が誘導、早めだったこともあり、結構良いテーブルをもらえました。
食事の無いような例のごとくビュッフエスタイル、ところが客の数に対して品物数が何となく少なく、
狭いところにごった返すような状態でいささか????
という感じ、さらにアルコールがやたらと高額・・・・・・
途中でピッチャー頼んだのですがね~
まあなんだかんだと一日の話などしながら食事は終了、そして始まったポリネシアンダンス。
でもなんか、演出が今ひとつ、滝を演出した大きなセット全体をつかっての演出ですが残念な事に今ひとつ、更に言うなら踊りのレベルが低すぎでしょ・・・・
ショーが終わって、さて帰ろうかと思ってプールサイドを歩いていたところ、バーのすぐ横でカントリーソングを歌い出した二人組がいる。
カントリー大好きな僕は思わず家族をひっぱってそこへ吸い寄せられてしまいました。
数曲歌い、ただの演奏だとおもっていたのですが、途中からカーボーイスタイルの女の子と男の子が現われてダンスを始めた。
やがて、観客参加型の演出に変わり、どんどんお客さんを引きずり込んで、みんなでカントリーダンス。
さすがにアルコール飲んでいた僕はついていけず途中から千鳥状態、このまま数曲参加の全員が踊らされたのですね。
一番初めに引っ張り出された娘
これが結構楽しいのですね、なんていうか昔のフォークダンスというか(笑)
次にゲームをやり、
帽子ゲームのファイナルで残った人たち
再び踊って、さいごは6人のダンサーによる素晴らしい踊りを見せていただき終了しました。
正直ポリネシアンダンスよりこちらの方が圧倒的にたのしかった。
ホテルに着いたのは夜の11時近く、まあまあの一日でした。