アベ君は、「国を愛する心」をどのような方法で教えようと考えているのだろうか。日本の素晴しい歴史・伝統・文化を教えて、「日本はこのような素晴しい歴史・伝統・文化を持っている。このような素晴しい日本という国を愛さないのは日本人としての資格はない。愛することによって、過去の日本人が苦労して築いてきた素晴しい日本を受け継ぎ、次世代の日本人に伝えることができる」と教えるのだろうか。
それとも、「日本の技術の素晴しさは世界一だ。ノーベル賞受賞者はアジアで最も多い。世界有数の経済大国という地位を獲得したのも、日本の技術が優れているからだ。今の日本人が豊かに暮らしていけるのも、日本の素晴しい技術がもたらした経済大国のお陰だ。そのような日本という国に誇りを持ち、国を愛する日本人にならなければならない。誇りと自信が日本の発展を支え、世界一である日本の地位を守っていく」
あるいは、森元首相みたいに、「日本は神の国だ」とでも教えるのだろうか。「日本の国は隅々まで神が宿っているから、素晴しい日本の心、素晴しい人情、素晴しい風土、素晴しい文化に恵まれた。日本という国に神をもたらしたのは天皇陛下の祖先であって、代々の天皇陛下が神を引継ぎ、神の覆いを見守っている。だから、日本は素晴しい、優秀な国であり続けることができた。日本人の誰もが愛せる国、それが日本だ。戦後、そのことに気づかない日本人が増えた。かつての日本は愛国心が満ちていた」
あるいは、もうちょっと現実的に、「天地と共に窮りない永遠なる万世一系の天皇陛下が国民統合の象徴として日本という国に自らの万世一系たる命を吹き込み、日本の国を永遠の繁栄に導いていく。この幸運と恩恵に応えるには、皇室を敬い、日本を愛する心を忘れないことだ」
あれも素晴しい、これも素晴しい。このような素晴しい日本は皇室がその精神的礎となり、自由民主党が日本のこの素晴しさを日本人の生活に反映させるべく、そのための国家建設を戦後一貫して担ってきた。民主党でもかつての社会党でもない。ましてや共産党であるはずがない。
いいことづくめを持ち出して、誇りと自信を植えつけることができたとしても、それで手に入れることができるのは偏見や独断に支配された独善的的感性であって、客観的認識能力の育みを逆に阻害する。なぜなら如何なる国の制度も文化も、当然それらの推移によって刻み込まれていく歴史もまたいいことずくめであった試しはなく、常に何らかの矛盾を抱えた不完全なものだからである。人間自体が矛盾に満ちた存在であり、そのことに比例対応した人間営為の成果としてある社会や国家が矛盾に満ちているのは当然な反映である。それを無視し、結果として矛盾から目を逸らさる企みを図るのだから、これほどの独善主義はない。
戦前の侵略戦争一つ取っても、そのことを証明することができる。如何なる国の歴史・伝統・文化も、常に正しい歴史・伝統・文化ばかりではなく、往々にして汚濁にまみれた歴史・伝統・文化が存在した。いわば、常に善が満ちていたわけではない。
〝日本の心〟と言われる民族的美徳も同じである。〝日本の心〟が事実存在していたなら、日本に犯罪は存在しないだろう。犯罪を犯す政治家・官僚も一人として存在しないはずである。〝日本の心〟を持たない日本人もいるからだと言うなら、〝日本の心〟という表現自体が誇大広告となる。
ウソを教えて、日本の絶対善を信じ込ませる。独善意識を育み、ウソをウソと見抜く力をつけぬままに大人となっていく。ウソをウソと見抜けない人間こそが、平気でウソをつく。自分がついているウソでさえも、ウソだとすることができずに、ホントのことだと簡単に正当化してしまうからだ。日本の政治家・官僚にそういった人間が多い。
逆説するなら、人間の矛盾、社会の矛盾、政治の矛盾、国の矛盾に気づかない客観的認識能力に欠けている日本人こそが、いいこと尽くめを言い立て、愛国心を煽り立てることができる。
学校教育で客観的認識能力が欠けている人間の言うことを頭から信じて、国を愛する気持を植えつけられる精神回路の生徒ばかりだったなら、自らも客観的認識能力を持てずに、安倍晋三みたいな単細胞の人間だけが世に出ていくことになるだろう。政治家にとってはそのような人間ばかりの方が、好き勝手な政治をしても、国を愛せ、国を愛そうと愛国心でいくらでも誤魔化すことができて都合がいいだろうが。
国内の矛盾を隠すために外国との軋轢を演出して国民の愛国心を煽り立て、国民の目を外に向けさせるのと同じく、愛国心は矛盾を隠す装置ともなり得る。
人間の進歩は社会や政治の矛盾と向き合い、あるいは人間の矛盾に満ちた存在そのものと向き合い、それらの矛盾を解消していくことにある。それでも新たな矛盾に出会う。さらにその矛盾に立ち向かっていき、矛盾の排除に努める。そのためには矛盾は矛盾としてしっかりと直視し、受け止めなければならない。