民主党は大人でない?

2006-04-07 08:24:51 | Weblog

 いよいよ民主党の代表選が大詰めを迎えた。今朝(4月7日)のテレビで、鳩山幹事長が「選挙が過熱すると、後で必ずしこりが残る」と、そうならないよう選挙後は党が一つに纏まり、挙党体制が築かれることを願う発言をしていた。

 羽田名誉代表だとか、何だか分からない役職のシーラカンスが一本化工作すべく、鳩山幹事長をパシリにして小沢・菅会談をセットしたようだが、一本化はならず、選挙後は協力し合っていくことを確認したという。この場に及んで一本化などと、何か密約があったのかもしれないと疑いたくなる。

 大体がしこりだとか分裂とかは何を意味するのだろう。敗れた者が敗れたことに面白くない感情を持って、当選した者の政策の足でも引っ張ると言うことなのだろうか。目に見える形でそうしなくても、協力しない形で間接的に足を引っ張る。何か失敗したら、それ見たことか、ザマー見ろと内心囃す。そういうことだろうか。それとも、じゃあ、俺は俺の政治をやると、仲間を連れて党を割るということなのだろうか。

 もしそうだとしたら、民主党議員一人一人が大人ではないと言うことではないだろうか。

 党代表を決める選挙で、それがいくら激しい戦いになったとしても、しこりが残ったり、分裂の危機が生じたりするのでは、今まで何ために民主党という組織を築いてきたのか意味不明となる。もし分裂すると言うなら、そんな党なら、分裂してしまった方がいい。

 選挙後、新代表の政策が対立候補だった者の政策と相容れないものだったなら、そのときこそ話し合いの場を持ち、徹底的に議論して政策の合意点を見い出す努力をする。いくら議論を重ねても合意点を見い出せなかったなら、そのときは相手の政策に任せる。そういった手続きを踏むのが当たり前の政治家のすることではないだろうか。

 渡部国対委員長は「当選した者が代表、敗れた者が幹事長」と言っていたが、頭の古さは相変わらずである。党人事は代表の専管事項であって、代表が自身の政策を強力に推し進めるために自己の政策を強く支持する腹心でまわりを固めようが、あるは世代間のバランスや党内勢力のバランスを優先して、役職を満遍なくバラ撒こうが、選挙で破った者を厚遇しようが、あるいは密約があって、それを果たそうが、すべて新代表の責任で行うことである。すべてはそういった代表を選出した結果としてある行く末であろう。いわば代表選出とは、それが支持した代表だろうが、支持しない代表だろうが、党員全体がつくり出した一幕だと言うことである。それがどう転ぶかである。

 大人になってないせいか、それぞれに任せることができないらしい。任せてダメなら、やめてもらう。それで党自体が衰退してしまうと言うなら、衰退してしまえばいい。みっともないゴタゴタを国民の前に曝すよりはマシではないだろうか。

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