新聞記事から見る全国学力テスト成績底上げの実態は“傾向と対策”効果ではないか

2013-09-01 09:24:53 | Weblog


 
 4月24日実施、8月27日公表の全国の小学6・中3対象の2013年度全国学力テストの結果について、あくまでも二つの新聞記事の解説から読み解いてみようと思う。

 誰もが似たような読み解きとなると思うが、日本の教育が暗記教育からどの程度脱しているか、あるいは今以てどの程度に縛られているか、そこに焦点を当ててみようと思う。

 1つ目の記事は、《全国学力テスト「底上げ図られている」》NHK NEWS WEB/2013年8月27日 18時30分)

 4年ぶりの全国学力テストで、児童・生徒約230万人のすべてが受けたという。

 テスト科目は国語と算数・数学で、各科目ごとの種類は基礎的な知識を見る問題Aと知識を活用する力を問う問題Bの二種類。

 公立学校の正答率の平均――

▽小学校国語A――62.7%、
 小学校国語B――49.4%
▽小学校算数A――77.2%
 小学校算数B――58.4%

▽中学校国語A――76.4%
 中学校国語B――67.4%
▽中学校数学A――63.7%
 中学校数学B――41.5%

 国語と算数・数学共々のA高B低は過去の傾向を踏襲するもので、〈複数の内容を分析的にとらえて自分の考えを書くなど、知識を活用する力に依然として課題があることが分か〉ったと解説している。

 要するに考える教育が優勢とはなっていないことを示している。但し暗記教育が主流であったとしても、考える教育がかなり進んでいることをも示していることにもなるが、実際にそうなっているのだろうか。

 また、〈正答率の低い地域と全国平均の差が縮まり、今回初めて小学校のすべてのテストで最下位と全国平均の差が5ポイント以内に収ま〉ったというから、地域間格差は縮小の方向に向かっていると見るべきだろうか。

 文科省の分析「学力向上の取り組みで底上げが図られている」――

 「学力向上の取組み」が単に暗記力を高めてテストの解答技術を磨くことなのか、考える力を向上させることなのか、取り組み方には様々ある。

 都道府県別成績の上位は相変わらず秋田県と福井県が常連校として顔を出している。

 秋田県――

 小学校国語AとB 小学校算数AとB、中学校国語AとBで共に最高得点。

 福井県――

 中学校数AとBで最高得点。

 文科省の分析「学校と教育委員会が一体となって家庭学習の充実や、自分の考えを文章化する授業に取り組んできたことが背景にある」

 確かに「自分の考えを文章化する」訓練は暗記教育の力学から離れた場所で自身の考える力を身につける機会となり得るし、論理的思考へ近づいていく道ともなり得るが、そこに他者の考えとの闘わせ(=議論)がないと、自分自身の表現の範囲内にとどまって思考の発展が限定的となる場合もあるし、そうなったとき、自己主張能力の育みを置き去りにしかねない。

 自己主張能力の未熟は上に位置した強い立場の者や強く主張する者の意向に従属しがちな権威主義性に侵されやすい。他者の知識・情報に機械的に従属する暗記教育の力学と重なる。

 また、「自分の考えを文章化する」取り組みの目的が考える力を身につけるためと称しながら、基礎的な知識を見る問題Aよりも知識を活用する力を問う問題Bの成績が劣ることからの後者の成績アップと、アップによって学力テストランクトップ、もしくはトップクラスの成績を維持することであった場合、やはりテストのためのテクニック向上という側面を抱えることになって、そこに自ずと限界が生じることになる。

  記事は、〈文部科学省「活用力に課題」〉という副題で、次の発言を紹介している。

 勝野頼彦文部科学省国立教育政策研究所・教育課程研究センター長「過去に正答率が低かった問題を意識的に出した結果、一部改善は見られたものの、引き続き課題となっていることが分かった。特に、基本的な知識や技能を実生活や問題解決に活用できるかどうか、いわゆる『活用力』に課題があった。

 (問題の中でヒントを加えると以前に比べて正答率が上がったことについて)教員がヒントや具体的な考え方を示すことで、児童生徒の“その先を考える力”を引き出すなど、実際の授業にも応用できる取っかかりのようなものが見えた」――

 「過去に正答率が低かった問題を意識的に出し」、それに応えた「一部改善」というテストの成績の「底上げ」であるということなら、受験対象者は小6と中3であって、一度きりの受験機会しかなく、受験対象者にとって常に最初にして最後のテストという都合上、設問に触れることができるのは教師側の過去のテストの設問を使った“傾向と対策”の機会しかなく、そのことの反復練習が功を奏した「底上げ」を実態とすることになって、文科省が分析した「自分の考えを文章化する授業」の効果も怪しいものとなり、より暗記力に頼った受験テクニックの成果と言えなくもない。

 後段の、「教員がヒントや具体的な考え方を示すことで、児童生徒の“その先を考える力”を引き出すなど、実際の授業にも応用できる取っかかりのようなものが見えた」と言っていることは主客転倒の矛盾を犯している。

 「具体的な考え方」はテストに関係なしに授業でこそ育むべき能力であって、そうである以上、その能力がテストの場でも発揮されるという順序を取るべきが、設問の中でヒントを加えて正答率が上がったことを理由に、「実際の授業にも応用できる取っかかりのようなものが見えた」と順序を逆にしている。

 またこの主張は順序を逆にしていることとテストで取り入れた実験の効用のススメとなっていることから、「具体的な考え方」の育みが正答率アップを目的としていることになる。

 このことは教育全体を考えるのではなく(教育全体を考えていたなら、順序が逆なことは簡単に気づいていたはずだ)、学校のテストを扱っていることからのテストの成績のみを考える縦割りの弊害の現れでもあるはずだ。

 「ヒント」について言うと、お笑い番組等で、いきなり、「ここで質問です」と出題して、出演者が誰も解答できないと、「ではヒントを出します」、あるいは出演者の方からヒントを求めて、それを手がかりとしてそれぞれが解答を口にするのと同じ構造のもので、あくまでもテストの設問に対して解答を導き出す手助けを目的としているのだから、「“その先を考える力”」にしても、一つの設問に対する一つの解答に限定して与えられたヒントに基づいて発揮する考える力という制約を受けることになり、設問に関係なしにヒントをも自分から考えて見つけ出して解答へとつなげていく自発的で全体的な、それゆえに応用の効く考える力というわけではない。

 結果、解答できない設問に対して常にヒントを求める依存心を植え付ける危険性とヒントがない設問に解答できなかった場合、理由に設問にヒントがなかったからという正当性を与える危険性を生みかねない。

 「具体的な考え方」は教師が伝える知識・情報をそのまま鵜呑みにして暗記し、自分の知識・情報とする構造の教えでは育むことは不可能で、教師のリードによって児童・生徒同士が議論し合う過程で育み可能となる能力であって、そういう過程を経て暗記教育から脱することができる。

 いずれにしても「過去に正答率が低かった問題を意識的に出した」結果の底上げということなら、各地域の生活習慣ということも影響しているだろうが、主として県の教育委員会を筆頭に各市町村の教育委員会の指導のもと、“傾向と対策”の徹底的訓練を的確に行い得た自治体の学校が好成績を上げることができたと言うことができるはずである。

 もう一つの記事を見てみる。《学力テスト:上位・下位県の固定化も 要因はどこに》毎日jp/2013年08月27日 23時41分)

 記事解説。〈上位常連の秋田、福井両県の県教委担当者が、共に好成績の一因として挙げるのが県独自の学力テストの活用だ。1951年度以降ほぼ毎年続けている福井県は、昨年は12月に小学5年と中学2年を対象に実施。問題作成には県教委の指導主事だけでなく、教員も参加し、正答率の低い問題については指導例を作り授業改善に生かす。秋田県も2002年から毎年12月に小学4年~中学2年までを対象に実施し、結果を基にクラス単位で課題克服を図る。〉――

 要するに、“傾向と対策”に徹底的に取り組んでいる。いわばテストのための勉強となっている。

 だとすると、この手の教育が各自治体全体でうまくいっているかどうかで成績の順位が決まってくることになる。

 福井県は応用力を問う「B問題」対策にも力を入れていて、2010年度から県・市町教委の指導主事が学校を月1回程度訪問し、読解力や活用力を育成する授業を教員と共に研究する「コア・ティーチャー養成事業」を開始したという。

 先ずはテストの成績を上げるためにはテストの成績を上げることができる教員養成からというわけである。
 
 〈学校からは「子供たちが自力で問題を解くようになった」との報告が寄せられ、上々の成果だという。〉――

 だが、あくまでも全国学力テスト正答率アップに狙いを定めた、“傾向と対策”を背景としたテストの自力解答であって、テストの成績という呪縛から解き放たれた自由な場所で育まれた考える力を基礎とした自力解答ではないはずだ。

 テストの成績はあくまでも教育の結果であるが、背に腹は代えられないという現実問題に負けてテストのための教育となっている。

 このことは記事末尾の解説が証明している。〈全国で正答率アップに躍起になる動きが広がっていることに「テストの点数ばかりで、子供の学ぶ意欲や教師の創意工夫ある授業実践がおろそかにされている」(北海道の小学校教諭)といった反発の声も上がっている。〉――

 テストの成績によって学力という個々の児童・生徒の能力・可能性が測られ、学力によって児童・生徒の人間的価値を決定づける。

 否応もなしに“傾向と対策”に走った教育となる。

 この傾向を最も色濃く体現しているのが学習塾であろう。学習塾はテストの成績を上げるために存在している。常に“傾向と対策”に取り組み、“傾向と対策”を的中させた学習塾程、有名塾となり得る。

 学校はその準存在化している。

 “傾向と対策”は学校、もしくは学習塾が似たような設問が出ることを予想して、同じような設問を幾つも例題と出し、その解答の仕方を滞りなく訓練づけることを目的としている。

 “傾向と対策”がそのような性格を抱えている以上、テストの成績は考える力を基礎としているのではなく、いくつも例示され、前以て訓練を受けた設問の解答の仕方を擬(なぞら)えて、その設問に必要とする解答に応用する力――機械的な暗記力を基礎としても正解を可能とすることになる。

 基本のところでは暗記教育を主体とした日本の教育であるように思える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする