安倍晋三が第68回国連総会で「女性の力の活用」と武力紛争地域での「女性に対する性的暴力の防止」、弱者の立場に置かれがちな女性の存在性に対する配慮等を訴えた。
但し「女性の力の活用」は経済成長、もしくは経済活性化という文脈内での重視でしかなく、女性の男性と同等の人権改善の文脈で俎上に載せたわけではなく、「女性に対する性的暴力の防止」、弱者の立場に置かれがちな女性の存在性に対する配慮等は一見女性の人権尊重を訴えているように見えるが、人権尊重に努力しているところを見せるための現実の状況に対する政治的手当に過ぎない。
演説の本質はあくまでも女性の人権とは関係ない経済のための「女性の力の活用」が主題となっている。
第68回国連総会における安倍晋三一般討論演説(首相官邸HP/2013年9月26日)
安保理改革を訴えてから――
安倍晋三「議長、そしてご列席の皆様、
すべては、日本の地力を、その経済を、再び強くするところに始まります。日本の成長は、世界にとって利得。その衰退は、すべての人にとっての損失です。
ではいかにして、日本は成長を図るのか。ここで、成長の要因となり、成果ともなるのが、改めていうまでもなく、女性の力の活用にほかなりません。
世に、ウィメノミクスという主張があります。女性の社会進出を促せば促すだけ、成長率は高くなるという知見です。
女性にとって働きやすい環境をこしらえ、女性の労働機会、活動の場を充実させることは、今や日本にとって、選択の対象となりません。まさしく、焦眉の課題です。
「女性が輝く社会をつくる」――。そう言って、私は、国内の仕組みを変えようと、取り組んでいます。但しこれは、ただ単に、国内の課題に留まりません。日本外交を導く糸ともなることを、今から述べようと思います。
私はまず、国際社会を主導する一員となるための貢献を、4点にわたって述べてみます。
第一に日本は、UNウィメン(男女平等と女性の地位向上の促進に取り組む国連の専門機関)の活動を尊重し、有力貢献国の一つとして、誇りある存在になることを目指し、関係国際機関との連携を図っていきます。
第二に、志を同じくする諸国と同様、我が国も、女性・平和・安全保障に関する「行動計画」を、草の根で働く人々との協力によりつつ、策定するつもりです。
第三に我が国は、UNウィメンはもとより、国際刑事裁判所、また、「紛争下の性的暴力に関する国連事務総長特別代表」であるバングーラ(Zainab Hawa Bangura)さんのオフィスとの、密な協力を図ります。
憤激すべきは、21世紀の今なお、武力紛争のもと、女性に対する性的暴力がやまない現実です。犯罪を予防し、不幸にも被害を受けた人たちを、物心両面で支えるため、我が国は、努力を惜しみません。
第四に我が国は、自然災害において、ともすれば弱者となる女性に配慮する決議を、次回・「国連婦人の地位委員会」に、再度提出します。2年前、大災害を経験した我が国が、万感を込める決議に、賛同を得たいと願っています。
議長と、ご参集の皆様、
ここから私は、3人の個人に託し、「女性が輝く社会」の実現に向けた、我が国の開発思想と、なすべき課題を明らかにしたいと思います。
日本人の女性と、バングラデシュの女性を1人ずつ、3人目として、アフガニスタンの女性を紹介します。
佐藤都喜子(ときこ)さんは、母子保健の改善を、15年以上、ヨルダンの片田舎で担った、JICAの専門家でした。
村人が当初投げた不審の眼差しにひるむことなく、佐藤さんはどこででも、誰とでも、話をしました。芸能の力を借りて説得するなど、工夫に余念のなかった佐藤さんを、村落コミュニティはやがて受け入れます。
「子どもの数を決めるのは、夫であって、妻ではない」。そんな伝来の発想は、佐藤さんの粘りによって、女性の健康を重んじるものへ、徐々に変わっていったのです」――
「世に、ウィメノミクスという主張があります。女性の社会進出を促せば促すだけ、成長率は高くなるという知見です」との言い方は「ウィメノミクス」という名称の主張が世間に存在している、世間一般で流布しているとしているものであり、その意味・内容はこれこれという知見ですと紹介した文脈となる。
で、インターネットを調べてみたら、マスコミは「women」(woman=女性の単数形)の複数形の「ウイメン」と「アベノミクス」をかけた安倍晋三の造語であり、国連総会での新たな提唱だと扱っている。
だが、約1年前の2012年10月17日NHKテレビ放送のクローズアップ現代『女性が日本を救う?』が、『女性は日本を救えるか?』というタイトルで、「女性の社会参加を増やすことが日本の経済を成長させる鍵」だとする内容のIMF・国際通貨基金のリポートを紹介している。
インターネットで調べたところ、IMFアジア太平洋地域局のチャド・スタインバーグと中根誠人両氏の著作として、『女性は日本を救えるか?』(IMF WORKING REPORT/2012 年10 月)の題名で紹介されている。
但し、〈本論文は、国際通貨基金(IMF)の考え方を表すものではない。本論文で発表された考え方は筆者のものであり、必ずしもIMF の政策や考え方を表していない。本論文は、筆者によって進行中の調査を記したものであり、さらなる論議や批評を喚起するために発行された。〉と但し書きがついているが、安倍晋三のキレイゴトの「知見」とは違って、事実としての各種統計に基づいた一つの知見であることに間違いはないはずだ。
また、上記放送は既に韓国が2001年から女性の社会進出を国家戦略と位置づけて女性の社会進出の増加を図っていると解説している。
韓国民の多くは安倍晋三の国連総会演説を聞いたなら、何を今更と腹の中で笑ったに違いない。
クローズアップ現代は2012年10月放送の時点でだろう、「日本における女性管理職の割合は1割」と紹介している。対して、《今を読む 増えるか、女性管理職》(YOMIURI ONLINE/2013年6月20日)は、〈政府は「社会のあらゆる分野で2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30%以上とする」目標を掲げ〉たが、〈現在、国家公務員の本省課長級以上の女性比率は2.4%、民間企業や公務員全体で課長級以上は11.9%と、現状との開きは大きい。〉とし、〈管理職の女性比率は、アメリカ43%、フランス38%など欧米では30%超が普通だ。アジアでもフィリピンは52%、シンガポール34%。韓国は、06年から大企業に女性管理職比率の提出を義務付け、規模別・産業別に平均値の60%未満の企業に改善命令を出すことによって現在約16%まで高めている。〉と紹介している。
アベノミクスをもじった名称に過ぎないのに、「世に、ウィメノミクスという主張があります」とさも社会的に一般化している主張であるように尤もらしげに装ったのは既に「女性の社会進出」が進んでいる、あるいは進めている国際的状況とのバランスから、第三者の提唱であるが如くに見せる必要があったからだろう。
では、「ウィメノミクス」とアベノミクスをもじった意味を失うが、そこは自分の手柄としたい俗気が働いて、結果、誤魔化すことになったといったところではないのか。
まさしくキレイゴトの名人の戯言(たわごと)である。
このようなキレイゴトの名人がアベノミクスの成功のために経済成長、もしくは経済活性化という実利の文脈内で女性の社会進出を利用しようとするのは極々当たり前のことだし、痛い程に理解できるが、女性の人権や女性の権利尊重をどう言おうと、キレイゴトから逃れることができるはずはない。
その何よりの具体的な証拠は安倍晋三の女系天皇反対の姿勢にある。
2005年(平成17年)1月26日、当時の小泉首相が私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」を設置、同2005年10月25日、有識者会議は全会一致で皇位継承資格を皇族女子と「女系皇族」へ拡大することを決めたが、後任の安倍晋三は女系天皇反対の立場から、「直系長子優先継承、女系継承容認」の有識者会議の報告を白紙に戻している。
そして、私自身は読むのはカネと時間のムダだから、読んでいないが、2012年1月10日発売「文藝春秋」2月号に 『民主党に皇室典範改正は任せられない 「女性宮家」創設は皇統断絶の“アリの一穴”』と題する一文を寄稿、その中で当時民主党野田政権が議論していた「女性宮家創設」に反対する意向を示したという。
安倍晋三「私は、皇室の歴史と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」――
このように書いてあるという。
更に言うと、安倍晋三と国家主義の点で精神的にベッドを共にしている高市早苗自民党政調会長が4月27日(2013年)午前の読売テレビに出演、女性宮家の創設に関して、「皇位継承の話なら明らかに 反対だ。述べ、男系の皇統は堅持すべきだ」と述べたという。
女系天皇とは、インターネット上の説明を借りると、仮に現在の皇太子と雅子妃の子供である愛子内親王が即位しても、父は皇太子、祖父は今上天皇であって、父方の祖先を辿っていけば必ず初代神武天皇につながる血統を有していて男系として問題はないが、愛子内親王の子が、父が(男系の)皇族でない限り、母親の愛子内親王は初代神武天皇に辿り着くことができても、女系となり、その父の祖先をどのようにいくら辿っても初代神武天皇に辿り着くことができない非男系となるということで、その関係上、男系天皇支持派は女系には反対ということになるということである。
だから、平沼赳夫は2006年、「愛子さまが天皇になることになって、海外留学して青い目の外人ボーイフレンドと結婚すれば、その子供が将来の天皇になる。そんなことは断じて許されない」と女系天皇容認に反対した。
女系に反対し、男系に拘るのは女性の血よりも男の血の尊重を意味する。いわば血で以って、男女を上下に価値づける差別を精神としていることになる。
また、血の区別は権威の区別でもある。男と女性の血の違いを基準として男に権威を置き、女性を男性の権威下に置く権威主義をそれぞれの存在性のモノサシとしている。
このような男女それぞれに対する価値づけの上下が日本の男尊女卑の風潮となって社会に脈打ち、歴史となって引き継ぐことになって、男女平等を謳う民主主義の時代になっても現在も色濃く残すことになっている社会の状況ということであるはずだ。
この手の日本の男尊女卑が、管理職の女性比率がアメリカ43%、フランス38%等、欧米では30%超が普通であるのに対して日本に於ける女性管理職の割合は1割前後という低い比率に反映している主たる要因でもあろう。
安倍晋三たち女系天皇反対派は皇族と一般国民は違うと言うかもしれないが、そのような反論は許されない。なぜなら、人間の価値・権威は皇族であろうと一般国民であろうと、それぞれがどのような人間であるのかの人間性で決められるべきで、血や家柄、いわば血統で決められるべき時代ではないからだ。
もし厳密に人間は血の違いで権威づけも価値づけもすべきではなく、真に男女平等であるとする思想に立っていたなら、女性天皇の夫が皇族ではなく、青い目の男性であったとしても、妻たる女性天皇と青い目の夫は血の違いで権威づけることも価値づけることもなく、権威も価値も血も等価値ということになって、二人の間の子どもの父親たる青い目の祖先を辿って初代神武天皇に辿り着くことができなかったとしても、優先されるべきは二人の存在性の平等性であるはずだ。
存在性の平等である地点から、それぞれの人間の人間性が判断されることになる。
初代神武天皇に辿り着くことができないことが問題とされ、辿り着くことが優先されるとするなら、女性天皇と青い目の夫との等価値・等権威――二人の存在性の平等性は意味を失う。
皇族であろうが一般国民だろうが、最優先に尊重されるべきは男女の存在性の平等性であるはずだ。そういった時代ではないにも関わらず、男性と女性、どちらの血が上だとか下だとか、その上下で権威や価値が判断されるとしたら、あるいは皇族と一般国民は違うと、その血に違いをつけ、権威・価値を差別するとしたら、国民同士の平等性は失われるし、天皇対国民に関して言うと、戦前と同様に国民は天皇に従属する存在に位置づけられるていることを意味することになる。
当然、そのような価値観を持った人間が女性尊重をどう言おうが、女性の権利をどう訴えようが、マヤカシ、キレイゴトの類に堕することになるはずだ。
再度言う。安倍晋三が血の違いを価値基準として女系天皇反対の姿勢を取っている以上、国連総会演説で取り上げた、一見して女性の人権尊重を訴えているように見える「女性に対する性的暴力の防止」とか、弱者の立場に置かれがちな女性の存在性に対する配慮等はいいところを見せるための付け焼き刃に過ぎないと断言できるし、キレイゴト名人の戯言としか言い様がない。