安倍晋三のフェイスブックにブロックされたようだ ケチ臭い話ではないか

2013-09-23 08:40:52 | 政治

 

 2013年7月参院選後から、安倍晋三のフェイスブックにアクセクできなくなった。「このページはご利用いただけません リンクに問題があるか、ページが削除された可能性があります」の文言が表示されて、文言の下に右手の拳を握って一本だけ突き立てた親指の頭に包帯が巻いてある画像がでんと鎮座している。 

 フェイスブック利用規約に違反するコンテンツを投稿した場合、そのことによって不利益を被る側からの通報等によってフェエイスブック側がそのページのアカウントを停止するケースがあるということだが、アカウントを停止されたなら、フェイスブックそのものを利用できなくなる。利用できる状態を維持しているから、私自身のフェイスブックはアカウント停止を食らっていないことになる。当方からの安倍晋三のフェイスブックページに対するアクセスのみ、ブロックされたとしか考えることができない。

 フェイスブックやツイッターのシステムにあまり詳しくないから、最初はページが削除されたのかなと思った。だが、時々暇を見つけてインターネットで調べてみたら、「ブロック」という機能があって、安倍晋三側からブロックされたようだと気づいた。

 安倍晋三が田中均元外務審議官の拉致問題に関わる対安倍発言批判に対して自らのフェイスブックで反論、小泉訪朝後の田中均氏の対応に対して批判を展開していることを新聞記事で知って、小泉訪朝時の拉致被害者の帰国に関わるそもそもの間違いを指摘する当方のブログ記事を紹介するコメントを寄せたのがキッカケで、折に触れて安倍晋三批判のブログ記事を書いてはコメント欄に紹介してきた。

 そして参院選約1カ月前から、安倍晋三をヒトラーに仕立てた画像をブログ記事冒頭に載せた。そのことも安倍晋三の心証を害することになったのかもしれない。

 時には全世界にまで通じる公共性を担ったマスメディアの影響力とは比較にならない微小な個人による泡沫的な批判言論であったとしても、僅かながらに読者が存在する以上、何らかの公共性を持たないわけではないのに対して自身の主張に反するからと、あるいは気に食わないからとブロックという方法で批判言論を遮断したのだとしたら、自身が常に正しい訳ではないにも関わらず、逆に批判のない気に入る意見や主張だけに触れて自己を常に正しい場所に立たせようとする素地を本質としていて、そのことゆえに一方で異質を排除する衝動を隠し持っていることになり、言論というものに対して一国の首相でありながら、ケチ臭い偏狭な態度しか持ち合わせていないことになる。

 政敵の存在やマスコミの批判を当たり前とする政治の世界にあって精神を逞しく育てているはずだが、そうはなっていないということでもある。

 第1次安倍内閣で親しい仲間だけを集めて「お仲間内閣」と批判されることになったことも、その素地が影響していたはずだ。第2次安倍内閣でも、国家主義思想の点でベッドを共にしている高市早苗や稲田朋美、下村博文のお仲間を身近に置いている。

 彼らの意見・主張は安倍晋三にとって耳に心地よい音楽に聞こえるに違いない。

 だが、微小な個人による泡沫的な批判が心地よい音楽を消し去って、不快な雑音として耳を煩わせたということか。

コメント (2)
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