イジメ防止対策推進法の実効性を覚束なくさせる教師たちのイジメだと疑わない怠慢・不作為

2013-09-06 05:14:47 | 教育


 
 与野党の議員立法によるイジメ防止対策推進法が、2013年6月20日衆院本会議で可決、2013年6月21日の参院本会議で可決、成立し、2013年6月28日公布。公布の日から起算して3カ月を経過した日から施行と決まった。

 2013年8月12日当ブログ記事――《道徳教育熱心の安倍・下村コンビの道徳教育を用いた「イジメ防止対策推進法」のイジメ抑止効果は疑問の逆説 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、この法律は対処療法であって、原因療法となっていないからと、その効果に疑問を呈したが、法律の実効性を覚束なくさせるイジメに関わる事態が、早速というか、起きている。

 私が一般的に「いじめ」と表記される出来事を「イジメ」と表記するようになったのはカタカナの方がより陰湿的に表現できるように思えるからだ。ナメクジをカタカナで表記するように。

 8月23日(2013年)午前7時半頃、山形県庄内地方の公立高校で2年生の男子生徒(17)が校舎4階の窓から転落、重症を負った事件は、通常は施錠されている窓であることと、その後の学校のアンケート調査でイジメを受けていたことが判明したことで、男子生徒が自分で開けて飛び降りた自殺未遂の可能性が高いと見られているという。

 当然、死を以ってイジメを逃れる目的を持った飛び降りということになる。

 同じ事件を取り扱っている《生徒転落、学校側は「いじられキャラと認識」》YOMIURI ONLINE/2013年8月27日11時51分)と《高2転落 教諭ら「いじめ」目撃、個別指導せず…山形》YOMIURI ONLINE/2013年8月27日)の二つの記事から問題点を見てみる。

 同8月23日昼頃、男子生徒のクラスメート40人に対して記名のアンケート調査を実施。

 質問項目。

 「23日朝、男子生徒と会った人はいないか」
 「転落を目撃した人はいないか」
 「以前から、男子生徒に変わった様子はなかったか」

 約20人からイジメを疑わせる回答があった。

 「授業中に暴言を受けていた」
 「休み時間にヘッドロックをかけられていた」等々――

 男子生徒が所属していた運動部の部員約50人に同内容のアンケート調査を行う。

 「ジュースを買いに行かされていた」(数人の部員)

 同8月23日、次に担任や部活動顧問、授業担当の教諭らにも男子生徒の様子について尋ねる。

 複数の教諭が、生徒がアンケート調査で回答していたイジメを疑わせる行為を目撃していたことが判明。

 記事は、〈「やり過ぎるなよ」とその場で注意した教諭もいたが、個別に指導することなどはしなかった。〉と解説しているが、要するにその教諭はイジメと認識せずにふざけ合いかからかい合いと見ていた。

 学校「当時は、いじめではないと判断してしまった」
 
 副校長「現在は、いじめだったと認識しており、当時、当事者や生徒から詳しく話を聞くべきだった。男子生徒がどのように感じているかを考えることができなかったのは、我々の責任。再発防止に努めたい」――

 生徒や部員に対するアンケート調査と担任等に対する聞き取りの結果、初めてイジメだと認識することができた。生徒たちの普段の行動からではイジメとは認識できなかった。

 アンケート調査等の聞き取りは何か事が起きてから、あるいは問題視しなければならない疑いを認識してから行われる。

 自殺とか自殺未遂とかがまだ何も起きず、イジメだと認識することもなかったのだから、当然、「当時、当事者や生徒から詳しく話を聞くべきだった」は後で気づく寝小便、決して行われることはなかった聞き取りということになる。

 要するに口先だけの後悔に過ぎない。そうである以上、「再発防止」は何か事が起きてから言う永遠の再発防止になりかねない。

 生徒同士の間で行われていた実態と教師の認識にズレが有るなら、法律がイジメ防止対策推進法であろう何であろうと、役に立たないことになる。

 教師がイジメを「やり過ぎるなよ」と注意して事足りる程度の行為だとしか認識していなかったのは、窓から飛び降りた男子生徒を「いじられキャラだと認識していた」からだという。

 桶谷守京都教育大教授(生徒指導論)「周りの生徒からからかわれる『いじられキャラ』は、本人が望んでいなければ、いじめになる。ただ、周囲は、ふざけているだけ、という認識の可能性がある。被害にあう生徒も、その場を笑ってやり過ごしてしまうことが多い。ふざけているだけと思わず、複数の教諭で情報を共有するなど、きめ細かなサポートが必要だ」

 桶谷教授は大津市のいじめ自殺問題で第三者調査委員会の委員を務めているという。

 遊びとして行うプロレスごっこや他のふざけ合いが実際はイジメだったという例が過去にいくらでもあるのだから、学校教師は学習していなければならないはずである。しかもイジメ防止対策推進法案が国会で議論され、2013年6月21日の参院本会議で可決・成立した時点で、6月28日公布から起算して3カ月経過後の施行を待たずとも、日本全国すべての学校教師が一人残らずイジメに対する責任意識を高めたはずだ。

 いや、高めなければならなかった。

 だが、過去のイジメの事例に対する学習もなく、イジメではないか、あるいはイジメではないだろうなと一応は疑ってかかる責任意識を発揮することもできず、「やり過ぎるなよ」程度の責任意識しか見せることができなかった。

 日本全国すべての学校教師が一人残らずイジメに対する責任意識を高めなければならなかった以上、一部の教師の怠慢・不作為と見做す訳にはいかない。

 桶谷教授は「周りの生徒からからかわれる『いじられキャラ』は、本人が望んでいなければ、いじめになる」と言っているが、イジメはプロレスごっこであっても、「いじる」というふざけの仕掛けであっても、力関係の優劣が固定化した中で力関係が上にある者による下にある者を標的とした攻撃(大勢が二人とか三人を対象とする場合もあるが)という形を取る。

 また、優劣の力関係の固定化は一般的には一定のメンバー間で発生する。イジメ側が攻撃の対象を変えるのは相手がイジメ側の生徒を恐れてオドオドしたりするから、優劣の関係を知らしめる攻撃を欲することになるからだろう。

 知らしめることによってイジメ側は自己達成感を獲得し、そのことによって自己存在証明とする。あるいは自己実現とする。

 もしそれがイジメでなかったなら、例えばプロレスごっこで一方が常に勝ち、一方が常に負ける関係にあり、プロレスごっこに限っては力関係が固定化していたとしても、プロレスをするメンバーが固定化していることもなく、他の力関係全てに亘って優劣の固定化を反映させるということはないはずだ。

 いわばプロレスごっこで常に勝者だからと言って、敗者に鞄を持たせたり、買い物に走らせたり、暴言を浴びせたり、蹴飛ばしたり、他のすべての場面に於いても優劣の関係を思い知らせる攻撃の形を取ることはない。

 当然、教師は固定化した優劣の人間関係にあるかどうか、それが全てに亘って反映されているかどうか見なければならない。

 その人間関係に優劣のが固定化を見たなら、まずはイジメかどうか疑ってかかる必要が生じる。

 そうすることが新しい法律に応えることでもあるが、法律があろうとなかろうと関係なく、過去のイジメを学習することによって身に付けることができるイジメ防止の対策でもあるはずだ。

 だが、法律の可決・成立を以てしても、無学習を曝し、責任意識を高めることもなかった。

 法律ではどうすることもできない教師たち個人個人の資質ということのように思える。

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