8月10日(2014年)夜9時からNHK総合でNHKスペシャル『60年目の自衛隊 ~現場からの報告~』を放送していた。NHKの番組案内には次のように書き記している。
2014年〈7月1日。政府は、これまでの憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定し、戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えた。同じ日、自衛隊は創設から60年を迎えた。自衛官は、発足以来、「日本国憲法及び法令を遵守し、政治的活動に関与せず、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」などとする任官時の宣誓のもと、訓練や任務に臨んできた。今後の議論次第では任務が大きく変わる可能性があるいま、隊員たちは、どのような思いでいるのか。番組では、国内外の訓練の現場などを取材。自衛隊がこれまで積み上げてきたものを明らかにするとともに、60年目の今の姿を伝えていく。〉――
戦前の大日本帝国軍隊は兵士に対して「死ぬまで戦え」と、戦いの最終目的に死を置き、死を目的とさせて戦場に臨ませていた。死に照準を合わせさせて、戦いに於ける生命エネルギーの徹頭徹尾の放出を求めた。「死を恐れるな」と、命を懸けさせた。
戦闘、もしくは戦争は命を懸けて戦う性質の職務だろうか。命を懸けるとはその先に死を置いていることになる。
戦死は結果である。目的ではない。任務・使命の遂行の過程で予期せずに生じる結果としなければならない。例え常に死と背中合わせの危険な生の日々であったとしても、実際に命を懸けさせ、死を目的とさせてはならないはずだ。
だが、戦前の大日本帝国軍隊が逆を行っていたことは陸軍省制定、1941年(昭和16年)1月7日上奏、翌8日全軍示達の「戦陣訓」(戦陣での訓戒のこと)に現れている。日本時間1941年12月8日未明の真珠湾攻撃に遡る11カ月前の示達である。
いわば太平洋戦争中、日本軍及び日本軍兵士は戦陣訓の精神の支配下にあった。
〈特に戦陣は、服従の精神実践の極致を発揮すべき処とす。死生困苦の間に処し、命令一下欣然として死地に投じ、黙々として献身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり。〉
命令一下、喜んで「死地に投ぜよ」と、最初から死を目的とさせていた。最初から命を懸けることを求めていた。
〈攻撃に方りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已まざるべし。防禦又克く(よく「念を入れてするさま」)攻勢の鋭気を包蔵し、必ず主動の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委(い「任せる」)すること勿れ。追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし。〉
「敵を粉砕せずんば已まざるべし」という言葉で、敵を粉砕するまで戦いを止めてはならないと言っていることは、撤退も、撤退して部隊を再編し直して再度戦う仕切り直しも許さず戦い通せの意味であって、粉砕不可能となれば、玉砕――部隊全員戦死を結果とすることになって、死を目的とさせて戦場に臨ませていたことに変わりはない。命を懸けさせた。
〈戦友の道義は、大義の下死生相結び、互に信頼の至情を致し、常に切磋琢磨し、緩急相救い、非違相戒めて、倶に軍人の本分を完うするに在り。〉
「死生相結び」と生死を共にすることを求めているが、死は決して共に求めてはならないものである。求めることによって、兵士それぞれの意識の中に相互に、いよいよとなったらと、死を目的とさせ、命を懸けさせるさせることになる。
「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」
典型的なまでに死を目的とさせ、命を懸けさせようとしている。捕虜になる前に戦死せよと。そうすることが死して罪禍の汚名を残さない唯一の手段だと。
戦闘を交えようという段階で兵士同士が撤退も捕虜も許されないという覚悟を先に立て、生死を共にしようという思いを持ち合い、“死地に投じる”心構えでいたなら、戦闘開始と同時に死へ向かって一直線に「敵を粉砕せずんば已まざるべし」と、死を目的に据えて戦ったとしても不思議はない。
また、「敵を粉砕せずんば已まざるべし」は玉砕を最終目的に置いた言葉である。当然、兵士は最初から玉砕を覚悟の悲壮感で命を懸ける戦いを行うことになる。
【玉砕】「玉のように美しくくだけ散ること。全力で戦い、名誉・忠節を守って潔く死ぬこと。「デジタル大辞泉」
果たして冷静に敵味方の動きを把えながら科学的に合理的な戦術に則って戦うことができたのだろうか。戦死は任務・使命の遂行の過程で予期せずに生じる結果と看做して、任務・使命の遂行のみを念頭に置いて戦っていてこそ、兵士一人ひとりが冷静に科学的に合理的な戦術を駆使し得るはずである。
だが、最初から“死”という余分な障害物を頭や意識に置いて戦場に臨んでいた。
『玉砕』という言葉がいつ頃から使われ始めたのか、「Wikipedia」で調べてみた。
〈太平洋戦争当時の日本で「玉砕」の表現が初めて公式発表で使われたのは1943年のアッツ島玉砕であるが、軍隊内での文章などではそれ以前より使用例が見られる。
例えば、1942年(昭和17年)2月の第一次バターン半島の戦いでは、木村部隊から師団司令部へ「第一大隊ハ玉砕セントス」との電文が送られている。また、公刊戦史上は、1942年(昭和17年)12月8日にニューギニア戦線のゴナにおけるバサブア守備隊の玉砕を記録、続く連合軍の攻勢により、1943年(昭和18年)1月2日には同じニューギニア戦線でブナの陸海軍守備隊が玉砕したが、これらが国民に知らされたのは1944年(昭和19 年)2月以降であった。
1943年(昭和18年)5月29日、アッツ島の日本軍守備隊が全滅した際、大本営発表として初めて「玉砕」の表現を使用した。これは「全滅」という言葉が国民に与える動揺を少しでも軽くして「玉の如くに清く砕け散った」と印象付けようと意図したものであった。また補給路を絶たれて守備隊への効果的な援軍や補給ができないまま、結果的に「見殺し」にしてしまった軍上層部への責任論を回避させるものであった。
「アッツ島玉砕」では守備隊2,650名のうち、29名が捕虜になった。〉――
1942年頃から使われ出したとしても、1941年1月8日全軍示達の「戦陣訓」に既に“玉砕思想”が現れていた。
問題は、この“玉砕思想”を民主主義の現代の自衛隊が引き継いでいるかどうかである。NHKスペシャル『60年目の自衛隊 ~現場からの報告~』から、関係箇所を引き出してみる。
インタビューに答えて。
前田忠男陸将補・陸上自衛隊幹部候補生学校長「今の候補生は我々以上に厳しい現実に置かれているんだと、校長としては思っています。これからの有事は如何なる有事かと言うと、我々ば、校長が経験したときの有事と違うかもしれない。
その中でも全く崩れないものがあって、それは国民のみなさんに被害を出してはならないし、我々の仲間にも出してはならない。但し任務ということを遂行するためにそういうことが起こり得るという覚悟は持たなければならない」――
任務遂行のみを視野に入れ、被害(=例えば死)を結果に置いている。こうも言っている。
前田忠男陸将補・陸上自衛隊幹部候補生学校長「最も強い組織は最も謙虚でなければならない」――
戦前の軍人は自分たちを何様に置いた。天皇の軍隊だと、天皇の虎の威を借りて国民の上に自分たちを置いていた。軍人の役目の中に死をも役目に置いていたために、国民に対してお前たちとは違うんだ、別人種だという驕りを生じせしめていたのかもしれない。
6月下旬、陸上自衛隊幹部候補生学校(福岡・久留米市)
「任務と命の重みを考える授業」が行われていたと女性の解説者が話していた。命に重みを置くとは、死を如何なる目的ともしないということであろう。
殉職した自衛官の遺影が飾ってある部屋に幹部候補生たちが一人ずつ一礼して入室。この学校で訓練などで殉職した幹部たちの遺影が額縁に入れて並んでいる。チーンと「鈴」(りん)を鳴らしてから、一同黙祷。
教官「志半ば、職務遂行中に殉職をされた方々、148柱、おられる。君たちはやっぱり歴史を学ぶ以上、過去を学ぶ以上、この人たちの功績があって、今に至る。この人たちが色々とやってくれたんで、それぞれ今の幹部候補生学校であったり、陸上自衛隊であったり、自衛隊がある。それは忘れないように」
そして遺影の反対側の壁に生徒一同向かい合う。壁には入隊時の宣誓書が額に入れられて掛けてある。
女性解説者「『日本国憲法を遵守し、事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責任の完遂に務める』(と宣誓書を要約してから)、教官は任務に命を懸けることの意味を教えるよう伝えていました」――
今の時代の自衛隊に於いて「任務に命を懸ける」とは何を意味するのだろうか。
インターネットじ調べた自衛隊入隊宣誓は次のようになっている。
「私はわが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責任の完遂に務め、以って国民の負託に応えることを誓います」――
入隊宣言のどこにも、任務に命を懸けることを求めていない。
教官「『事に臨んでは危険を顧みず、身を以って』――(聞き取れない。「事に」と言ったのか)立ち会う。『身を以って』という部分、そういう身分ですよ。
そこは忘れないように。それをずっと考える必要はない。しかしそういう立場にあるよ。そこはしっかりと自分で整理して、しっかりとする。整理をして、やる。
これはどう取り繕おうと、事実だから、そこは根源はどこかにありますよ、自衛隊員としてはここは、ここでしっかりと思ってほしい」――
部屋から退場するとき、生徒一同、出入口のところで部屋に振り返って一礼してから去る。
女性解説者「教官は任務に命を懸けることの意味を教えるよう伝えていました」と解説していたが、教官は一言も「命を懸ける」という言葉を使っていない。「身を以って」ということの意味を伝えようとはしていた。
だが、「身を以って」とは命を懸けることを意味しているわけではない。
【身を以て】(みをもって)「1 自分自身で。みずから。「―範を示す」 2 からだ一つで。やっとのことで。「―難を逃れる」(デジタル大辞泉)
宣言にある「身を以って」の意味は、「自らの判断とその判断に応じた自らの身体動作を通して」という意味であるはずだ。「事に臨んでは危険を顧みず、自らの判断とその判断に応じた自らの身体動作を通して責任の完遂に務め、以って国民の負託に応える」ことを求め、自衛官は求められているということであろう。
要するに「身を以って」「責任の完遂」と「国民の負託」への対応を求めている。
そしてその判断とは日本国憲法及び法令の遵守と自衛隊の使命、任務遂行上の責任、学んだ戦術、あるいは経験上知り得た知識等々に従った臨機応変の身体的・頭脳的対応に基づいていなければならない。
教官がこの「身を以って」を命を懸けることだと解釈しているとしたら、愚かしいばかりに危険である。
例え命を懸けることが「死ぬか生きるかの覚悟で事に当たる」(大辞林)意味であり、覚悟を言っている言葉であっても、覚悟の中に死を予期しない結果とするのではなく、死を目的とする意識を含んでいるからである。
この覚悟が先鋭化した場合、あるいは過剰な形を取った場合、戦前のようにいつ、どこで玉砕思想と重ね合わせて、死を明確な目的とした戦いを求めないとも限らない。
安倍晋三の次の言葉も玉砕思想を含んでいる。
安倍晋三「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」(『この国を守る決意』)
いくら国を守るための戦争であっても、命を投げ打つ決意を少しでも求めたなら、戦前のようにそこに死を以って国家に奉じる意識や風潮が生じて死を最終目的として戦うことになり、否応もなしに精神論を優先させることになる。それが自衛隊全体の玉砕思想へと変じた場合、同じく戦前のように合理的且つ科学的な戦術や戦略を排除することになる。
例えそれが確率の高いものであっても、あるいは死を日常的に意識することがあったとしても、戦死はあくまでも自らの判断とその判断に応じた自らの身体動作を通した任務・使命の冷静果敢な遂行の果ての予期しない結果としなければならない。
NHKの番組を見て思い出した安倍晋三の言葉と番組の感想から、以上のことを書いてみた。