NHK報道「路上生活者4割襲撃経験」の現代日本社会と戦争中の社会的弱者排除の共通性

2014-08-18 09:36:47 | Weblog


 ツイッター、その他で次の記事がインターネット上で盛んに取り上げられていた。それだけ関心が高かったのだろう。その多くが批判的見地からの嘆かわしさを示す関心のようだった。

 《路上生活者の4割が襲撃受けた経験》NHK NEWS WEB/2014年8月14日 19時48分)
 
 東京都内でホームレス等を支援している団体が新宿や渋谷、池袋などのホームレス300人余りに聞き取り調査を行った。

 「襲撃を受けた経験」

 「よくある」7%
 「たまにある」20%
 「過去にはある」13%

 合計40%の経験。

 「加害者」

 「子どもや若者」38%
 「大人」22%
 「その他・不明」40%

 大人の加害者が存在するとは意外である。

 「具体的な襲撃の方法」

 「空き缶や石の投擲」
 「花火を打ち込み」
 「物を使った暴力」

 「物を使った暴力」とは、バットや棒を使って直接殴ったりすることなのだろうか。

 襲撃時期は夏場に多いということである。
 
 調査団体「こうした暴力が人の命を奪うことさえあることを、若者たちが認識していないとしたら恐ろしいことだ。人権について、教育現場でしっかり学べるようにしてほしい」

 周知のようにホームレス襲撃は今に始まったことではない。襲撃の口実もほぼ決まっていて、決まっているがゆえに月並み化することになっている。「ゴミ」、「最低」、「生きる価値がない」、「人間のクズ」といった、ほぼ同じ口実となっている。

 口実から現れる襲撃の本質的な理由はホームレスは社会に役立たない存在だということであろう。

 2007年5月にベンチに寝ていたホームレス男性の腹の上にライターオイルを入れたポリ袋を置いてライターで点火した5人の少年うち、主犯のタイル工(17歳)の取調べに対する供述に襲撃の口実が最も象徴的に凝縮されていいる。

 タイル工「ホームレスはゴミだ。人間として最低で、世の中の役に立っておらず、犬や猫と一緒。生きていようが死んでいようが気にしない」(スポーツ報知

 だが、このタイル工にしても、他の襲撃者本人にしても気づいていないが、襲撃の真に本質的な理由は襲撃者自身が襲撃行為によってホームレスを最低の人間の位置に置くことで自身をそれより上の位置に置いて、自分たちをホームレスと違って社会に役立つ存在だと確認することにある。

 なぜなら、「あいつは役に立たない人間だ」と言うとき、その人間との比較で自身を役に立つ人間だとしていることになるからであり、それと同じ論理に立っているからだ。

 ホームレスが例え社会に役立たない存在であったとしても、それぞれが喜怒哀楽の感情を持って生きている生身の人間である。思いならぬままに喜怒哀楽の感情の十全な活動を渇望し、その感情を呼吸させる権利は等しく誰にもある。 

 ホームレス襲撃者は社会に役立たない存在=喜怒哀楽の感情の十全な活動を許されない存在としている過ちに気づいていない。

 この記事に触れたとき、2014年8月9日(土)放送のNHK ETV特集『”戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~』を思い出した。再放送を8月16日(土)午前0時00分から行っている。

 番組は世田谷区にある昭和7年創立の肢体不自由児が通う光明(こうめい)特別支援学校が肢体不自由児は戦争に役立たないという一点で学童集団疎開から外されたことを題材としている。

 太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲による被害を避けるために国は大都市の児童約60万人を農村地帯などに学童の集団疎開を決め、昭和19年6月30日に「学童疎開促進要項」を閣議決定した。

 実施要項は国が一部補助金を出して東京都など対象の都府県が宿泊施設、移動手段、引率教職員の体制、疎開先での教育内容の準備等、疎開の手筈を整えることになっていた。

 学童集団疎開の理由。

 上田誠一内務省防空総本部総務局長「疎開によって人的にも物的にもいわゆる戦闘配置を整えて、国家戦略の増強に寄与せしめることを狙っておるのであります」

 要するに大都市空襲に備えて、子どもたちの避難や保護に手を煩わされることを前以て排除して戦闘に専念できる体制とするための学童集団疎開だった。突き詰めて言うと、足手纏いとならないようにしたということであろう。

 但し希望する全ての学童が対象ではなく、昭和19年7月10日策定の「帝都学童集団疎開実施細目」は「虚弱児童等ノ集団疎開ニ適セザル者ハ努メテ縁故疎開ニ依ラシムル如ク措置スルコト」となっていた。

 親戚とか知人を頼って個人的に疎開して貰いたいと。地方に親戚や知人がいない家庭は自身の居住地にとどまるしかない。

 昭和19年8月策定の、現在の品川区に入っている荏原区の「学童集団疎開衛生注意事項に関する件」、その他の区は「帝都学童集団疎開実施細目」の「虚弱児童等ノ集団疎開ニ適セザル者ハ努メテ縁故疎開ニ依ラシムル如ク措置スルコト」を受けて、「集団疎開参加不適当疾病異常標準」を決めて、その中に開放性結核、トラホーム、疥癬、喘息、癲癇、夜尿症、肢体不自由、性格異常等を指定している。

 肢体不自由児が通う光明(こうめい)特別支援学校は世田谷区に所属しているが、世田谷区も「集団疎開参加不適当疾病異常標準」に倣っていたのだろうか、国の学童集団疎開から外された。

 当時の日本は各地域から集団疎開参加不適当疾病者のみを一つの集団に編成して、集団疎開させるという思想がなかった。いわば肢体不自由児その他は足手纏いの中にも入れて貰えなかったということになる。人間の数のうちに入れてもらえなかった。

 当時の在校生「身体の不自由な人間に鉄砲は持てないから、生きている必要はないと言われた」

 当時の在校生「兵隊になれないのは人間じゃないみたいに思われた。人間扱い受けなくなった」

 鉄砲を持ってお国のために戦うことができるかどうか、一つの可能性に限定して、その他の可能性を排除し、一つの可能性のみで人間の価値を決める。一般市民としての生き方さえ認めようとしなかった。

 当時の松本保平校長手記「都の学務課に相談しても全くのお手上げ。一般学校の疎開事務に忙殺されて、光明までは手が回りかねるという。同じ学校でありながら、肢体不自由児学校は都の厄介者か。お荷物か」

 軍部の厄介者視・お荷物視を受けた都の厄介者視・お荷物視であろう。軍の命令・意向は絶対だったからである。勿論、軍部の障害者に対する厄介者視・お荷物視は日本人の障害者蔑視・障害者差別が背景にある。

 日本人の元々の障害者蔑視・障害者差別を受けた軍部の障害者に対する厄介者視・お荷物視である。

 松本保平校長手記「一個の生命が顧みられないところに、すべての個性は軽んじられる。教育は、すべてのものの教育である。肢体不自由児も教育を受けることによって有能な社会人となる」――

 昭和19年7月、松本保平校長は都心から通う子どもが多かったため周辺に田圃が広がる学校に避難させた方が安全と考えて、「現地疎開」と名づけて学校を疎開先とした合宿生活を決める。そして万が一を考えて、校庭に防空壕を4個所造る。

 光明学校に通っていた子どもたち111人のうち、半数を超える59人が親元を離れて学校に寝泊まりすることになる。現地疎開者は教職員と合わせて150人の総勢となった。

 そして昭和20年3月10日、東京都心が大空襲を受けることになる。

 校長手記「ここも安全な地ではない。これ以上とどまるのは危険である。『太古では、生存のための闘争が激しかったので足手まといの肢体不自由児や老人は常に取り残されて、死ぬがままに任された』と記録にあるが、いまは太古ではないはずだ。

 疎開先は自分で見つけるしかないだろう。しかし、光明の児童を引き受けてくれる県があるだろうか」

 松本保平校長は自力で集団疎開先を長野県の温泉地上山田村にやっとのことで決め、生徒の移動手段も荷物の運搬手段も自分で手配する。鉄道局に3日通い続けて、客車1両を貸し切って貰うことにし、治療器具の輸送は学校近くの陸軍の部隊長に直訴。「本土決戦になった場合、肢体不自由児は足手纏いになります。この児童がいなければ、それだけ戦力は増強します。 是非、引っ越しに手を貸して下さい」と、わざと陸軍にとっての邪魔者だからと逆説的迎合を用いて懇願、部隊長はトラック10台で治療器具運搬を引き受けさせるに至る。

 治療器具運搬がトラック十台も要し、対して生徒が50人の集団疎開。学校を合宿場所とした「現地疎開」そのものが生徒59人に対して教職員が91人も占めていた理由は、残されていた16ミリフィルムの映像でも紹介していたが、手足をマッサージしたり、不自由な体の部位を矯正する、今で言うリハビリを施す職員を大勢必要治していたからであって、そのための治療器具がトラック十台ということであるはずだ。

 教室での授業も普通の学校と同じ音楽や理科、算数等々を行い、手に職がつくようにと男子に対しても裁縫の授業を行っていた。

 それだけ手厚い、社会参加にも向けた教育も含めて行われていたということなのだろう。生徒それぞれに対して一個の人間としての価値を認め、尊重していた。

 だが、国は戦争に役立たない存在だという一点で肢体不自由児、その他を排除した。人間としての価値を認めない排除であった。

 肢体不自由児、その他の障害者の遥か上に自分たち人間を置いていた。

 当時の国や軍部や都や、さらには一般国民にもあった障害者に対する価値観は現在のホームレス襲撃者のホームレスに対する価値観に通じているはずだ。社会に役立たない存在と看做すことによって人間としての価値まで否定する思想に於いて両者は相通じ合っている。

 あるいは当時の国や軍部や都や、さらには一般国民にもあった障害者蔑視・障害者差別の価値観を現代のホームレス襲撃者は色濃く受け継ぎ、彼らの血の中に生きづいている。

コメント
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