安倍晋三は日本敗戦の日という日本国にとって重要且つ大事な8月15日に今年は靖国神社に自ら足を運んで、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれ」と参拝せずに、萩生田自民党総裁特別補佐を使って、「自民党総裁・安倍晋三」名で私費で玉串料を納めさせ、参拝に替えた。
と言っても、萩生田が安倍晋三代理とし「お国のために尊い命を落とした」と参拝しなかったわけではあるまい。
近親者のお墓参りにしても、自身は忙しいからと代理を頼んで墓参りさせることもある。自身は自宅の仏壇や遺影に手を合わせて拝んで墓参りの替りとする。
安倍内閣では今回も古屋、新藤、稲田朋美の3閣僚が参拝を果たした。自民党からは国家主義のベッドで睦み合っている高市早苗が参拝。この連中にしても同じだろう。
「総理の分まで頑張って参拝する」と意気込んで靖国神社に足を運び、先ず最初に、「これは総理の参拝です」と言って、総理として手を合わせて頭を下げ、次は自分の参拝として手を合わせて頭を下げる。
参拝後機会を見つけて安倍晋三に、「総理の分まで参拝してきました。お国のために戦い、尊い命を犠牲にされた。日本が今あるのはあなた方が命を投げ打って国を守ろうとした、その気概があったからこそですとご英霊に総理の言葉として手向けてきました」とか言って報告する。
安倍晋三自身も萩生田が靖国神社で頭を下げる時間を見計らって首相官邸の自身の執務室などから靖国神社の方向に顔を向けて手を合わせ、参拝したはずだ。
その上、古屋や新藤や稲田朋美や高市早苗やその他その他がが雁首を揃えるように次々と「総理の分まで」と安倍晋三に成り代わって参拝し、「総理の分まで参拝してきました」と手柄顔に報告する。
安倍晋三が実際に靖国神社に足を運ばなくても、忠実な部下たちの忠実な行為に満足して、気分の上では実質的には何重にも参拝したと同じ達成感を得ることができていただろう。
靖国参拝で戦没者を「お国のために命を捧げた」と顕彰することは戦没者の戦前日本国家に対する行為を正当化すると同時に戦前日本国家そのものの正当化に当たる。戦没者の戦前日本国家に対する行為は正当化するが、国家そのものは肯定しないと言うことなら、国家と兵士の関係に於ける相互性の矛盾を示すことになる。
戦前の日本国家を思い浮かべて、「お国のために」とか「国のために」と言った瞬間、あるいは思った瞬間、戦前日本国家であるその「お国」を、あるいはその「国」を肯定し、正当化していることになるということである。
当然、天皇制への郷愁も胸に抱いていることになる。国家主義者、我が安倍晋三の性懲りのなさよ!!