西東京市14歳中学生虐待首吊り自殺は大人たちの生命(いのち)に対する想像力欠如・怠慢が導いた

2014-08-02 09:55:53 | Weblog



 先月7月30日、と言っても3日前のことだが、東京都西東京市の自宅アパート1室で中学2年14歳長男が義理の父親の虐待を受けて首吊り自殺した。母親は4年前、長男を連れて現在41歳の父親と再婚。夫婦の間に2歳になる次男がいる。

 殴るなどの虐待は母親が再婚した当時の4年程前から始まっていたという。

 男が再婚した妻の連れ子に虐待を繰返すというのは非常によくあるパターンである。虐待の定番と言ってもいいくらい見慣れた光景となっている。

 そうであるなら、子どもがいるシングルマザーが別の男と再婚、もしくは同居した場合、よくあるパターンとして虐待を一応は警戒しなければならないことを教えていることになる。

 誰に教えているかと言うと、再婚や同居を知り得る近所の住人であり、結婚届を出していたなら、女性側の再婚を知り得る市町村・区役所の戸籍課であり、家族構成を知り得る立場にある学校であり、子どもの心身に関わることであるゆえに学校が情報共有を図らなければならない児童相談所等ということになる。

 それぞれが把握した情報を連絡し合う情報交換を欠かすことができないことは言うまでもないことだが、後者に行く程、受け身ではない、万が一を想定した能動的な虐待防止の役目上の責任を負っていることになる。

 学校の場合、担任は学級活動(ホームルーム)の時間を利用して、生徒を特に注意深く観察することができるはずだ。例えば担任が児童・生徒全員に、「家で何か変わったことないか」と尋ね、「例えばお父さんとお母さんがプロレス顔負けの取っ組み合いの夫婦喧嘩したとか、普段と違う変わったことがあったら、教えてくれ」といったことを聞いたとき、余程児童・生徒に嫌われている担任でなければ、笑いを誘うはずで、児童・生徒が普通に笑うことによって普通の精神状態にあることを知ることができ、中に笑わなかったか、無理に笑おうとして却って強ばった顔になった児童・生徒が存在した場合は、普通の精神状態にないサインと疑ってかからなければならないことになる。

 勿論、後者が新しい男と関係を持つようになったシングルマザーの子どもなら、要注意となって、注意深い個別面談が必要になるが、関係を持たないシングルマザーやあるいは一般家庭の児童・生徒であっても、普通の子どもなら笑う場面であるにも関わらず笑わなかった場合はその原因をスクールカウンセラー等に委託して突き止める注意深い対応が必要となる。

 例えばシングルマザーが生活の困難に孤軍奮闘しながらも、空回りして生活に追いつめられ、その苛立ちを子どもに辛く当たって、それが日常化し、虐待へと発展させてしまうというパターンも決して珍しいことではない。各パターンを学習して、パターンに応じた対応を採ることは言うまでもない。

 児童・生徒が日常不断の極く普通の喜怒哀楽の感情を人知れずに自然な様子で隠すことや抑えることができたとしたら、神業である。どうしても無理が生じて、却って不自然な表情になる。児童・生徒の顔を見て、そこから感情の動きを読むことも重要な児童管理・生徒管理の方法であるはずである。

 学校がこのような姿勢を持つことによって、子ども連れのシングルマザーが結婚届を出していなくても、新しい男との同居であっても、あるいは同居とまでいかなくても、2011年10月に名古屋で中2男子を暴行死させた男の場合のように2009年から子ども連れのシングルマザーの市営住宅の部屋に出入りしていた関係であっても、虐待を把握し得る可能性は出てくる。

 この名古屋の場合、中学校は虐待を把握し、近所の住人からも虐待を疑う通報が中学校にあって、学校が児童相談所に連絡、児童相談所は家庭訪問しながら、「虐待を疑う要素はない」と判断。虐待を放置した結果の男の胸部殴打による暴行死であった。

 児童相談所の場合は、学校との情報共有によって子どもがいるシングルマザーが新しい男とどのような生活の形であれ、関係を持った場合、よくあるパターンとして万が一の虐待を疑う家庭訪問や面接を行わなければならないことになる。

 学校や児童相談所等が共同してそれぞれの役目上の責任を果たそうと心がける姿勢を持つことによって、児童・生徒の生命(いのち)に対するそれぞれの危機管理が生きてくることになる。

 すべては大人たちの児童・生徒の生命(いのち)に対する想像力が突き動かすことになる危機管理であって、その危機管理が機能しないということは機能させる想像力を欠いていたことの証明としかならない。

 そして今回の西東京市の虐待でも、学校と児童相談所はその想像力を欠いていた。

 生徒のクラス担任は男子生徒の顔にアザがあることに2回気づき、アザの理由を「父親に叩かれた」と生徒から聞きながら、教育委員会や児童相談所に連絡していなかったという。

 想像力を欠いていたばかりか、怠慢の罪が重なる。

 しかも、6月に父親から学校に「体調不良で休ませる」と電話連絡があり、それ以来男子生徒が休校していることに対して学校は家庭訪問を試みようとしたが両親に断られて家庭訪問を断念したということは、学校は母親が再婚していることを既に把握していたということであり、把握していながら、子どものいるシングルマザーの段階で新しい男と関係を持った場合のよくあるパターンとして虐待の発生を用心する児童・生徒の生命(いのち)に対する危機管理の想像力ばかりか、再婚を把握したのが先か、顔のアザに2回気づいたのが先か分からないが、後先がどちらであっても、その両事実の後も、そのような想像力を欠いているがゆえにパターン自体を認識していなかったことになる。

 児童相談所は例え学校からアザについての通報を受けていなくても、子どものいるシンブルマザーの段階から、家庭訪問や面接を通して学校と共々に注意と用心を払っていなければならなかったはずであり、特に家族構成の変化を把握した段階以降はより注意と用心を向けなければばならなかったはずだが、そのような動きをしていたようには見えない。

 注意や用心を払うことによってよくあるパターンであることを学習していたことになり、その学習は児童・生徒の生命(いのち)に対する想像力を動機づけとせずには発動させることのできない学習であるはずである。

 児童相談所にしても想像力の欠如と怠慢を見ないわけにはいかない。

 自殺した前日の7月29日、男は中2男子を殴った後、「24時間以内に首でも吊って死んでくれ」と言ったという。

 中2男子は1日悩んだ末に義理の父親の暴力とその言葉に絶望して、言われたとおりに首を吊ったのだろうか。男は警察の取り調べに、「一緒に暮らし始めてから、強くするために殴っていた」と供述しているということだが、殴打を正当化する口実に過ぎない。

 血を分けたわけではない子どもの立居振舞いに違う男の存在を見て、それを常に目にしなければならないことに苛立ち、その苛立ちを暴力に変えて子どもに当たることになったのだろうか。違う男の子どもだと思い定めて、子どもを共同生活者同士だと扱うことができたなら、少なくとも子どもを一個の存在として尊重することができたのではないだろうか。

 男自身が親子3人の生活の舞台から降りるべきだったが、自己中心でいたからだろう、降りることを考えることができず、その資格もなく強引に居座って、子どもを自殺させる形で生活の場から降ろしてしまった。


コメント (1)
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