政治家に言葉の責任を求めるのは無理な話かもしれない
普天間移設問題で日本側が日米に関してのみ「5月末」で取り繕いたい必要上からだろう、米側と5月22日に決着とは程遠い形の大筋合意を果たした。
《普天間移設:シュワブ沿岸、日米合意 工法は9月に先送り》(毎日jp/2010年5月23日 2時43分)――
▽米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に滑走路を建設する
▽普天間の基地機能の沖縄県外への分散移転を検討する
▽代替施設の工法や、沿岸部のどの場所に建設するかは決めず、9月に先送りする
この3点で大筋合意したと伝えている。そして、〈28日にも発表する予定の日米共同声明に盛り込まれる見通し。〉だと。
「普天間の基地機能の沖縄県外への分散移転を検討する」の「基地機能」とは、他の報道によると、訓練のことで、その「分散移転を検討する」――いわば決定事項ではなく、今後の検討課題としている。これは主として受入れる自治体が決まっていない理由からだろうが、現在のところ、受入れる自治体との関係で決まる「負担軽減」という宙ぶらりんな状況にある。
鳩山首相が「負担軽減」のもう一つの柱としていた海兵隊部隊の一部移転は米側が主張するヘリ部隊と地上部隊の一体運用の壁に阻まれて姿を消しているから、当初より後退した「負担軽減」となる。
但し、選挙中に言っていた「国外、最低でも県外」のゼロに向けた「負担軽減」から見た場合、「軽減」が逆にゼロから計った方が近い後退形を取ることになる。
だからこそ、鳩山首相は、「5月で終わるわけではない。今後とも努力していく」と言っているのだろうが、後退している(=バックしている)事実は拭い去ることはできない。
「国外、最低でも県外」に期待した沖縄県民にとっては限りなくゼロに近い「負担軽減」と映るに違いない。それが知事を初め自治体の長の反対姿勢となって現れている。
上記「毎日jp」は日米大筋合意の中身を次のように解説している。
〈移設先を巡っては、日米実務者間の協議では当初、日本側は共同声明に「辺野古周辺」と明記することを求めた。しかし「辺野古への回帰に納得していない」(政府関係者)とされる鳩山首相が難色を示し、移設先としては「辺野古」を明記しない方向での調整を指示。結局「シュワブ沿岸部」との表現で、事実上の「辺野古」に落ち着いた。
工法については、当初日本側が検討した「くい打ち桟橋(QIP)方式」に米側がテロ攻撃に弱いなどと難色を示したことから、日米で「埋め立て方式」を検討中だが、共同声明には盛り込まない。米側は、具体的な建設場所や工法について詰めることにはこだわらず、現在進めている環境影響評価手続きを遅らせないよう求め、双方の折衷案となった。
普天間の基地機能の一部移転先として政府が検討している鹿児島県・徳之島も米側が難色を示していることなどから文書には盛り込まないことになった。
また沖縄の負担軽減策として日本側が求めた環境特別協定の締結は、他の同盟諸国との関係を考慮した米側から明記を拒まれた。〉――
鳩山首相が「辺野古への回帰に納得していない」ために移設場所を「辺野古」と明記せずに「シュワブ沿岸部」の文言を使ったからと言って、「辺野古への回帰」が消えてなくなるわけではない。鳩山首相はこの場に及んでもゴマカシを働かせている。
日米大筋合意を受けて、鳩山首相は23日日曜日に沖縄を再訪、仲井真知事や稲嶺名護市長などと会談している。23日の12時に「NHKニュース」で仲井真知事との会談の模様を一部流していたから、文字に起こしてみた。時間経過どおりに映像を流したわけではなく、部分的に中抜きしてあるように思えた。
民放では最初に仲井真知事が立ち上がって挨拶と沖縄が受入れるのは難しい状況にあることの説明を行っていたが、NHKでは省いている。
鳩山首相は仲井真知事のあと、自身も立ち上がって話し出すが、途中で仲井真知事から、おかけいただきませんかと促されて、座って話を続ける。
鳩山首相「普天間の、オー、返還、いうものを含んで、沖縄の皆様方のご負担を、できる限り軽減を申し上げたいと。あるいは普天間の、周辺の皆様方の、様々な、アー、危険を、できるだけ早く、除去、申し上げたいと、そのような思いの元で、エー、政府の、考え方を、様々、模索して、参ったところでございます。
国内、イー、及び、日米の間で協議を重ねた、結果、エー、普天間の飛行場の代替地、そのものは、やはり沖縄の県内に、エー、より具体的に申し上げれば、この辺野古の付近に、お願いせざるを得ないと、いう結論に、至ったところでございます。
代替施設の詳細を決める際には、言うまでもありませんが、住民の皆様方の、暮らしや、あるいは環境への影響というものに最大限、配慮、いたすことは当然で、ありますので、地元の皆様方とも、しっかりと協議をしながら、進めてまいらなければならないと考えております。このことは言うまでもないことだと思っております。
この、オ、方針というものは、人口密集でございます。普天間の飛行場の返還を実施するために、どうしても、代替施設を、捜していかなきゃならないという現実を踏まえて、エー、断腸の思いで、エー、下した、エ、結論で、エ、ございます。
私自身の、オー、言葉、『できる限り、県外』だということを、この言葉を守れなかったということ。そしてその、結論に至るまで、エー、その過程の中で、県民のみなさん方に大変、エー、ご迷惑を、オー、招いていしまいましたことに関して、エー、心からお詫びを申し上げたいと、思っております」(以上)――
工法は別として、「毎日jp」記事が書いていたように現行案回帰を「この辺野古の付近に」と場所を特定としないことで誤魔化している。
「地元の皆様方とも、しっかりと協議をしながら、進めてまいらなければならないと考えております。このことは言うまでもないことだと思っております」と言っているが、日米大筋合意には沖縄との協議を排除してその頭越しに行いながら、大筋合意という決定事項を受入れさせることを前提とした段階になってから、そういった前提がないかのように沖縄との協議を言う、一種の騙しの手口を使っている。
「エー、断腸の思いで、エー、下した、エ、結論で、エ、ございます」から、「エー」とか「オー」とかの短い言葉が入る。次の言葉が容易に思い浮かばないことからの間合いの言葉というよりも、「断腸の思い」が実際はそうではない偽りの感情だから、次の言葉が素直に出てこなかったからだろう。
その偽りは「できる限り、県外」という言葉が何よりも証明している。「断腸の思い」が正真正銘の正直な感情から出た言葉であるなら、鳩山首相自身がかねて言っていた言葉も言っていたとおりに正直に言うはずで、誤魔化したりはしないはずだ。
いわば感情表現上は「断腸の思い」と「できる限り、県外」は照応し合っている言葉でなければならないはずであるということである。
鳩山首相は「国外、最低でも県外」と言っていたのであり、「できる限り、県外」と言っていたのではない。もし言ったことがあるとしたら、「国外、最低でも県外」からハードルを後退させたときに口にした言葉としなければならない。「国外、最低でも県外」と「できる限り、県外」とは似て非なる言葉だからだ。
「できる限り、県外」は可能性の提示、努力目標であって、厳密な意味での約束ではない。例え、「できる限り、県外を約束します」と言ったとしても、可能性の範囲内の「約束」、限定された「約束」となる。
だが、「国外、最低でも県外」は、「国外」を移設候補の第一選択肢としたことを意味する。「国外」を移設候補の第一選択肢としつつ、それがダメなら、「最低でも県外」とした場合の「最低でも」とは、それ以下はないという限度を示す“最低限”という意味であって、「県外」を最低限約束したということ、あるいは「県外」で線を引いたことを意味する。
夫が妻に「最低一日に一度は愛していると言う」と約束した場合、「一日に一度」に線を引いたことになって、最低限、一日に一度は「愛している」と言わなければ約束違反となるが、「できる限り一日に一度は愛していると言う」の約束の場合は、「できる限り」の努力目標を意味するから、できない場合も生じたとしても許されることになる。
最低限、「県外」でなければならならなかった約束を、その言葉の責任も取らずに「できる限り、県外」だと可能性の問題にすり替えて、「国外、最低でも県外」の反故を正当化しようとするゴマカシがここにはある。
当然、「断腸の思い」も信用できない言葉と化す。
小さな問題のように見えて、人間性に関わる問題だから、決してい小さな問題だと済ますわけにはいかない。「国外、最低でも県外」の約束を果たさないのだから、「沖縄の皆様方」とか「ご負担」だとか、いくら言葉をバカ丁寧に敬語使用したとしても、どのような意味も成さないばかりか、虚ろに響く役目しか果たさないだろう。「沖縄の皆様方」、あるいは「ご負担」という言葉を聞くたびに腹立たしい思いをする沖縄県民も多くいるに違いない。
「NHK」テレビは仲井真知事との会談を終えたあと、鳩山首相は記者会見を開いている。
鳩山首相「なかなか厳しいと、いうお話は、いただきました。これからも、しっかりと、理解を深めていけるように努力して参りたい。今回、この5月末で、エー、すべてが、終わりだ、という話では全く思っておりません。これからもアメリカに対して、求めて、いきたい。エー、負担軽減策は、様々ございます。そういったものも、しっかりと、これから、先の議論として、エー、協議をして、纏めていきたい・・・・」――
負担軽減策を5月以降も模索したとしても、「国外、最低でも県外」を無とした負担軽減であることに変わりはない。こういった状況をすべて自分でつくり出しておきながら、その反省も認識もなく、“5月以降”を言っている。
尤も、自分の中で「できる限り、県外」と言っていたと心底受け止めるゴマカシを働いているようなら、無としたわけでも何でもなく、却って負担軽減に向けた進展を図ろうとしているのだと信じているに違いない。