鳩山首相の野党の立場からの追及を排斥することになる愚かな発言

2010-05-12 08:03:14 | Weblog

 次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき

 昨夜のNHK総合テレビのニュースが伝えていた鳩山首相の衆議院環境委員会(11日)での発言に引っかかった。どうでもいい細かいことのように見えるが、そこに巧妙なゴマカシを感じて、記事に取り上げることにした。「FNN」記事によると、普天間移設問題で自民党の中谷元防衛庁長官の質問に対して答えた発言だそうだ。

 NHKのHPからその記事にアクセスして確認してみた。《首相“移設先 沖縄も負担を”》(NHK/10年5月11日 19時4分)

 中谷議員が問題となっている「5月末決着」を問い質したのだろう。

 鳩山首相「5月末までに、日米間で合意するために最善の努力をしている。その前に、沖縄の皆さんや、移設先になろうかと思われる方々にも、ご理解を深めていただくことは当然必要だ。5月末までに、1つの結論、合意を導くために、今、最善の努力をしているところだ」――

 「5月末までに、1つの結論、合意を導くために、今、最善の努力をしているところだ」の要点は「最善の努力」の期限を「5月末までに」とは区切っていないところにある。
  
 いわばここでも、「1つの結論、合意を導く」ことを以ってして「5月末決着」とするのではなく、そのことに「最善の努力をしている」努力目標に変化させて、「5月末決着」の断念に間接的に言及している。

 社民党が国外や沖縄県外への移設を目指すべきだと主張していることについての質問に――、

 鳩山首相「移設先として四十数か所を検討したが、最終的に沖縄にもご負担をいただかなければならない。社民党の理解をいただいて、問題の最終的な決着を図っていきたいと思っており、連立3党でしっかりと歩んでいきたい」――

 次が引っかかった発言箇所。鳩山首相が初めて沖縄に訪問、沖縄県知事や名護市長と面会後の5月4日の午後の記者会見で記者から、海兵隊の抑止力の必要性と日米同盟の重要性を挙げて県外移設断念の理由としたが、にも関わらず去年の時点で「最低でも県外」と言っていたのは認識が浅かったからではないのかと問われて、首相は「それを浅かったと言われれば、あるいは、そのとおりかもしれませんが」と答えている。そのことへの追及に対する答弁――

 鳩山首相「抑止力として、必ずしも海兵隊が沖縄にいなければならない理由があるか疑問を感じていたときがあった。野党の時代には、まるで見えないものが、総理大臣官邸にいると見えてくるものもある。そういうなかで認識を新たにしていく部分もあり、沖縄における海兵隊の存在の重要性を認識している」

 以前のブログにも書いたが、「抑止力として、必ずしも海兵隊が沖縄にいなければならない理由があるか」否かは軍事・外交問題の多くの識者の意見を聞き、自ら判断すれば、「野党の時代」であろうがあるまいが、「総理大臣官邸」にいようがいまいが、そういった立ち位置的条件は無関係とするはずである。

 いわば自分自身が持っている沖縄に於ける米海兵隊の存在意義に関わる、それが不完全な情報であったとしても、自らの感性や創造性が受け入れ可能な識者からの意見によって海兵隊の抑止力、あるいは存在意義等に関わる自らの“認識”(=情報)を新たに打ち立てることができるはずである。

 何も受入れない、そういった感性や創造性であったなら、自身の“認識”(=情報)に従う以外に道はない。だが、以前は「必ずしも海兵隊が沖縄にいなければならない理由があるか疑問に感じていた」「抑止力」の必要性を自らの“認識”(=情報)に受入れるに至った。要するに「認識を新たに」した(情報を新たにした)というわけである。

 受入れた“認識”(=情報)内容に応じて、日米同盟の重要性の把握程度が決まってくる。

 そういった過程を踏んでいさえすれば、「疑問を感じ」ることもない「沖縄に於ける海兵隊の存在の重要性」に関わる“認識”(=情報)だったはずである。

 また、単なる頭数が存在理由となっている国会議員でない以上、党の代表を務め、政権を取れば総理大臣となる地位にいた以上、何よりもそういった過程を踏み、問題となっている状況、あるいは問題の必要性を読み取って的確に判断し、答を出すことができる自分なりの“認識”(=情報)を常に用意しておかなければならなかったはずである。

 しかし首相は自身をそういった場所に置いていなかった。置かなかったばかりか、「野党の時代には、まるで見えないものが、総理大臣官邸にいると見えてくるものもある」と、認識の浅さを当事者か否かの立ち位置的関係性に置き換えている。

 これは当事者か否かの立ち位置的関係性による先見性の否定ともなる。沖縄米海兵隊の抑止力に関わる“認識”(=情報)に向けた先見性を野党時代を理由として自ら否定したのだから。

 確かに当事者ではないと理解できない“認識”(=情報)というものがある。だが、当事者から直接“認識”(=情報)を得ることによって、あるいは既に当事者から“認識”(=情報)を得た関係者から迂回する形の間接“認識”(=間接情報)を得ることによって、当事者の“認識”(=情報)に近づくことはできる。あとは受け手側の感性・創造性の先見性にかかってくる。

 先見性の否定ともなる、“認識”(=情報)の獲得は当事者か否かの立ち位置的関係性に従うとするこのような考え方を正当とすると、野党の議員が何らかの政策で国会で首相を追及したとき、「あなたには何も分かっていない。首相官邸に入らないと見えないこともあるんです。まさにあなたが今追及していることがこれに当たる。野党の時代にはまるで見えないことなんですよ」という口実のもと、多くの追及を排斥することも可能となる。まさに「野党の時代」に於ける先見性の否定である。愚かな発言としか言いようがない。

 要するに、「野党の時代には、まるで見えないものが、総理大臣官邸にいると見えてくるものもある」は自らの約束事でありながら反故にすることとなった「国外、最低でも県外」をウヤムヤとする口実として持ち出した薄汚い逃げ口上に過ぎないのではないのか。

 そうとでも取らない限り、とても理解できない先見性の否定となる。また、野党の立場からの追及を排斥することになる愚かな発言としか言いようがない。

 記事は最後に鳩山首相の「最低でも県外」発言に対する菅副総理兼財務大臣の発言を伝えている。

 菅直人「広い意味で言えば、民主党を代表する立場での発言なので、公約と受け取られるのは十分理解する」

 これはどういった意味なのだろうか。「公約と受け取られたのは仕方がないことだ」と擁護した発言なのだろうか。それもと、公約と受け取られても仕方のない党代表としての発言だと批判することで、鳩山首相の足を引っ張り、次の首相を狙ったのだろうか。

 常識的に取るなら、前者なのだろうが、前者だとすると、公約だと間違えて受け取った側が悪いということになり、後者だとすると、間違いを与えた首相自身が悪いことになる。

 但し、前者は首相に免罪を与えるゴマカシを如何ともし難く含むことになる。党の公約ではなくても、党代表が散々に約束したことである。その責任についての言及も行動も何もないまま、現在党代表であると同時に総理大臣の職にある。

 追記

 既に読んでいる読者があるかもしれないが、「goo」に普天間問題に関係して米英の記事を紹介した面白い記事が載っていたから、アドレスを付記しておきます。

 《鳩山氏は「がっかりするほど、らしかった」と英誌 もっと議論すべきなのは・加藤祐子》(ニュースな英語/2010年5月11日(火)18:33)

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