《ぶら下がり取材、避けたい?=鳩山首相》(時事ドットコム/2010/05/18-20:47)
5月18日夜の首相官邸での記者団ぶら下がり取材。鳩山内閣支持率下落原因について――
記者「首相が語る内容より、報道に問題があると考えるか」
鳩山首相「報道に問題があるなどと申し上げるつもりはない。・・・・ぶら下がりだと限られた方からの取材になる。それよりもすべての方々にオープンな記者会見をもっと活用したい」
この発言を記事は次のように解説している。
〈首相官邸では、米軍普天間飛行場移設問題などをめぐるマスコミ報道のせいで内閣支持率が下落しているとの不満があり、首相もぶら下がり取材は極力少なくしたいとの思いをにじませた。〉ものだと。
鳩山首相の後段の発言の意味は、《【鳩山ぶら下がり】「ぶら下がりより記者会見を活用したい」(18日夜)》(MSN産経/2010.5.18 20:05 )が、ぶら下がり取材とは首相官邸記者クラブの所属記者に限定された取材だと教えてくれる。
要するに首相官邸記者クラブ所属記者限定のぶら下がりよりも、他の記者もより多く参加できる記者会見の方がいい、前者よりも後者の記者会見により善なるものとして価値を置こうとしているということであろう。
その思いを、限られた記者だけではなく、その他大勢、より多くの記者を参加させたい親切心と解釈できないこともない。
上記「MSN産経」記事はこのときのぶら下がり取材での鳩山首相の発言を詳しく伝えている。
〈--最近、首相官邸内ではぶら下がり取材では首相の真意が伝わらないから見直したらいいんじゃないかという意見がある。首相も同じ考えか?。また、政権が普天間問題等で苦境にある中で、首相は首相ご自身が語られる中身よりも、それを伝える報道のほうにこそ問題があると考えるか
「それは報道に問題があるなどというようなことを申し上げるつもりはありません。ただ、私はぶら下がりよりも、本来、記者会見を充実させるべきではないかと。よりオープンな形で、すなわち、ぶら下がりですと、限られた方々からの取材ということに、どうしてもなりますから、それよりもすべての方々に対してオープンな記者会見というものをもっと活用したいという思いは感じております。で、その方向に私の考え方はございますが、しかし、やはり今までぶら下がりをやってまいりましたから、これを今、ご案内の通り、続けているという状況でございます」〉――
この発言を要約すると、上記「時事ドットコム」記事が伝える鳩山首相の発言となる。
しかし、鳩山首相の言っていることに矛盾がある。と言うよりも、記者会見という事柄に対する認識に客観性を欠いている。
ぶら下がりが首相官邸記者クラブ所属記者限定の、少人数相手の記者会見であったとしても、その内容は新聞・テレビの報道を通じて、国民に広く知れ渡る。特に首相官邸でのぶら下がり取材のテレビ報道は毎日のように目にするが、放送に編集があったとしても、肝心の発言箇所は首相の発言どおりに一言一句ストレートに伝わる。
いわば「限られた方々からの取材」であったとしても、その報道を通じて国民に対してオープン化される点に於いて、「オープンな記者会見」と条件を異にするわけではない。また国民にしても、首相の発言に触れる機会は首相官邸でのぶら下がり取材の新聞・テレビの報道に依存することが多いとしても、首相官邸以外のぶら下がり取材、あるいは国会中継や正式の記者会見の中継等の新聞・テレビ報道に依存し、発言全体からその人柄や指導力、発言の整合性等を総合的に判断するのであって、そのような総合的判断に首相官邸でのぶら下がり取材が首相官邸記者クラブ所属記者限定であるとかないとかは判断の条件として関わってくるわけではないはずだ。
にも関わらず、首相がそう発言したのは、背後にいる国民の存在に目を向けずに首相官邸記者クラブ所属記者だけを相手にしているという狭い認識に立っていたからだろう。
普天間問題に限って言うと、成算も見通しもなく、「国外、せめて県外」と言ったこと、それを公約ではない、個人的な発言だとしたこと、誰に対しても納得させる成算がさもあるが如くに「私には腹案がある」と尤もらしく党首討論で言いながら、既に知れ渡っていた案でしかなく、しかも地元からもアメリカからも、連立相手からも反対されて、腹案どころでなかったこと、埋め立ては「自然への冒涜」だと高邁なことを言って現行案への回帰を拒絶したような素振りを見せておきながら、埋め立てではなく、杭打ち桟橋方式に変えて現行案への回帰を試み、それがアメリカの反対に遭うと、環境型だと言って、「自然への冒涜」の免罪符として埋め立て現行案に後戻りしたこと、「5月決着」と言っておきながら、それが無理な状況になっても、さも可能であるかのように「5月決着」を言い張り、ここに来て政府案の日米合意のみを以って「5月決着」の体裁を繕おうとしていること。
そういった姿勢に対するマスコミの目、国民の目が決定づけることとなった評価が世論調査に現れた支持率であって、報道の問題ではないはずだ。
要するに「時事ドットコム」記事が記者の質問として取り上げている言葉を使うなら、「首相が語る内容」に問題があったということであろう。
鳩山首相自身は口では、「報道に問題があるなどというようなことを申し上げるつもりはありません」と言っているが、ぶら下がり取材から「オープンな記者会見」に軸足を移そうと意志していること自体が既に「報道に問題がある」としていることであろう。
記者会見のこの発言は既に書いているように18日夜の発言である。少し前のブログで菅直人が鳩山内閣支持率下落について、同じ18日の午前の記者会見で同じ趣旨の発言をしていることを取り上げたが、この「少なくとも政権を担当した時点から比べれば、かなり景気も改善しているし、一歩一歩前進している。報道がしっかりしていれば国民に理解されるのではないか」の発言と考え併せると、鳩山首相の「報道に問題があるなどというようなことを申し上げるつもりはありません」は腹の中では反対のことを思っていながら、差し障りなく体裁のいいことを言った発言としか解釈しようがなくなる。
このように解釈するのは、報道に問題があるからなのだろうか。支持率低下はすべては自分自身が撒いた種である。例え自分自身に直接関係のない問題であったとしても、それをどう処理するかの自身の指導力が常に問われ、問われた指導力の発揮内容によって支持率へと如何ようにも関係していく。