鳩山首相“この国の人々で守る発想が今の日本にはない”の矛盾した嘆き

2010-05-28 08:23:19 | Weblog



 鳩山首相が嘆いたのは26日夜の首相官邸ぶら下がり記者会見。《普天間「政府対処方針は閣僚の署名が自然」5月26日午後6時25分》毎日jp/2010年5月26日)からその箇所だけを参考引用――
 
 〈Q:総理は1回目の沖縄訪問以降、抑止力を学んだ結果、沖縄県内および程近いところに基地が必要だと考えるようになったと言われてますが、そうだとすると、以前総理が、総理の立場で一時的に封印すると言っていた「駐留なき安保」という考え方は、一時的ではなくて、根本的に違ったというふうに考えますか。

A:「駐留なき安保」ではありません。「常時駐留なき安保」であります。私はいま、その考え方は封印をしておりますが、しかしその根底、すなわち、この国はこの国の人々で守るという、それは、すべての国にとって当たり前の発想だと思います。

 それが今の日本にはない、そのことを自然でいるかどうかという発想は、私は、国民の皆さん一人一人、やはり根底の中には持ち続けるべきではないかと、そのように思っています。
 
 鳩山首相は昨27日、沖縄米軍の訓練の一部移転を各自治体首長に求める全国知事会議を東京都千代田区の都道府県会館で開催。言ってみればこの全国知事会議は鳩山首相にとって「この国はこの国の人々で守る」ことを求める行脚の旅の一コマだったと言える。

 一般国民が「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」がなかったとしても仕方がないとしなければならないかもしれないが、全国の知事ともなると、あらゆる意味に於いて地域を守る立場にあるのだから、「当たり前の発想」としているだろうから、会議は基地の奪い合い、訓練の奪い合いの盛況のうちに終わったはずである。

 尤も大方の知事が「当たり前の発想」としていたなら、わざわざ全国知事会議と銘打って会議を開く必要性はないかもしれない。1都1道2府43県の47自治体のうち4割近くの知事が欠席、副知事が代理出席といった熱心さ、積極性を見ないで済んだ可能性も生じる。

 どのように「当たり前の発想」を見せてくれた会議だったのか、《【普天間】首相と知事会のやり取り》MSN産経/2010.5.27 21:54)から全文参考引用――
 
 《【普天間】首相と知事会のやり取り》MSN産経/2010.5.27 21:54)

 全国知事会議における主な議論は次の通り。

 鳩山由紀夫首相「(米軍)基地問題で沖縄県に多くの負担をお願いしているが、国民全体の問題として思いを分かち合ってほしい。東アジアの平和維持には日米同盟の維持が極めて重要だが、これ以上、沖縄県民に過重な負担をかけることは避けなければならない。米側との交渉過程で米軍機能の一部だけを移転することは難しくなった。沖縄県内に普天間飛行場の移設先を見いださざるを得ないが、訓練の一部移転が皆さま方のふるさとで可能だという話があればありがたい」

 沖縄県・仲井真弘多知事「県民の負担は重すぎ、大幅に減らしてほしい」

 神奈川県・松沢成文知事「自衛隊増強を考えるべきではないか」

 首相「自衛隊を増強して、米軍のプレゼンスを大きく減らすことが許される状況ではない」

 東京都・石原慎太郎知事「尖閣諸島で日中が衝突したら日米安全保障条約は発動されるのか。沖縄問題の前に日本の領土を守る抑止力があるかどうかを米国に確かめてほしい」

 首相「(尖閣諸島の)施政権は当然日本が有しているが、日中間で衝突があったときは、米国は日本に対し安全保障条約の立場から行動すると理解しているが、確かめる必要がある。米国は帰属問題は日中間で議論して結論を見いだしてもらいたいということだと理解している」 

 千葉県・森田健作知事「なぜ今、全国知事会議を招集したのか。普天間問題の火の粉を全国に分散することになる」

 首相「普天間の移設先は辺野古付近で考えているが、知事会を開催してもらったのは沖縄の負担軽減に理解を深めてほしいからだ。将来的に訓練移転を引き受けてやろうとの気持ちを示してほしい

 北海道・高橋はるみ知事「政府が具体的に移転候補先を示すべきだ」

 首相「すぐに理解を得られるとは思っていない。これから知事や市町村長に、より具体的な政府からの提案をしていきたい」

 大阪府・橋下徹知事「大阪は負担していないので、真っ先に手を挙げないといけないが、米国との問題もある。必要なら沖縄県に行き、我慢してくださいとおわびしたい」

 首相「感謝する。ぜひ協力してほしい」

 鹿児島県・伊藤祐一郎知事「徳之島は、島をあげて反対だと伝えたい」

 首相「反対の姿勢は分かっているが、将来的に訓練の移転先の一つとして徳之島を挙げて日米間で議論を詰めている」

 鳩山首相が会議で言った「将来的に訓練移転を引き受けてやろうとの気持ちを示してほしい」はイコール「この国はこの国の人々で守る」ということであろう。そしてそれは「当たり前の発想」でなければならないとした。

 千葉県・森田健作知事「なぜ今、全国知事会議を招集したのか。普天間問題の火の粉を全国に分散することになる」

 北海道・高橋はるみ知事「政府が具体的に移転候補先を示すべきだ」

 大阪府・橋下徹知事「大阪は負担していないので、真っ先に手を挙げないといけないが、米国との問題もある。必要なら沖縄県に行き、我慢してくださいとおわびしたい」

 鹿児島県・伊藤祐一郎知事「徳之島は、島をあげて反対だと伝えたい」云々――

 例え橋下知事が「真っ先に手を挙げ」たとしても、あるいは高橋はるみ北海道知事に対して「政府が具体的に移転候補先を示」したとしても、その先に県民の意向、あるいは地元とされる住民の意向がある。

 鳩山首相にしても徳之島住民の意向、あるいは沖縄県民の意向が障害となってスムーズに動けずにいるのである。

 いわば基本は地元住民の意向であろう。地元住民の意向が最終決定要因となる。橋下知事が「米国との問題もある」と言っているが、米軍基地機能維持との兼ね合いで、どこの自衛隊基地が訓練の移転可能か一つ一つ検討して、米側のOKが降りた時点で、その自治体の知事に、高橋はるみ北海道知事が言っている、「政府が具体的に移転候補先を示」す形式で話を通し、最終的に住民の意向を尋ねる手順を取るべきだが、逆の手順を取っている。

 要するにいくら知事が手を挙げても、その前に「米国との問題」があり、最終的には住民の意向の問題がある。

 住民の意向を無視して、押し付けると言うなら、話は別となる。住民意向無視なら、全国知事会を開催する必要性も失う。「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」を求める必要性も失う。沖縄県民が移設先に反対しているにも関わらず、日米合意を優先・先行させているように知事の意向を無視して、また住民の意向を無視して、米側が合意した訓練移転先を決定していけばいい。

 尤もこの手法は戦前の全体主義国家権力が上からの絶対的押付けですべてを取り仕切った政策遂行に近くなるが、そういった手法が許される時代ではないことが問題となる。

 それにしても橋下府知事は自身の人気・支持率に自信過剰となっているのか、「必要なら沖縄県に行き、我慢してくださいとおわびしたい」態度を示しさえすれば、沖縄県民が諸手を挙げて「ハイ、我慢しましょう」と従うとでも思っているのだろうか。思っているとしたら、思い上がりも甚だしいというだけではなく、物事を単純に考え過ぎている。あるいは口先だけで調子のいいことを言っていると見られても仕方がない。

 実際にやってみればいい。恥をかくだけだのことだろう。

 断るまでもなく、住民の意向とは民意とイコールを成す。

 鳩山首相が「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」を求めたということは、そういった内容の民意に期待したということであるのは断るまでもない。国会議員を選挙するそもそもの時点からしてそうであるように、民主主義が民意に則る制度となっているのだから、当然の方向性を示したに過ぎない。

 民意に期待したのなら、民意の選択である選挙を経て県政の負託を受けた知事であっても、知事の専権事項だとして決定できるわけではない基地や訓練の受入れに関することを、そこに民意を挟まないままに要請すること自体が間違っていたのではないだろうか。

 知事が民意を問わずに決定することが許されるなら、首相にしても、総理大臣の専権事項だとして、自身の判断一つで基地の場所も訓練の場所も決定できることになる。沖縄や徳之島を訪問して、受入れをお願いする必要もなかった。

 鳩山首相は言っていることとやることが矛盾している。

 矛盾は他にもある。鳩山首相個人からしたら、「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」だとしても、日本国憲法自体が、9条で軍事力を持たずに“この国を守る”ことを国の形としたのである。私自身は世界の平和維持に先進民主国家が等しく責任を持つことが要求されているグローバル化の時代に憲法9条は既に破綻していると思っているが、日本国民全体で見た場合、憲法9条に関わる世論調査でも、9条を守るべきだが半数を超えた“民意”にある。
 
 《憲法9条「変えない方がよい」67% 朝日新聞世論調査》asahi.com/2010年5月2日23時12分)

 〈調査方法〉4月17、18の両日、コンピューターで無作為に作成した番号に電話をかける「朝日RDD」方式で、全国の有権者を対象に調査した。世帯用と判明した番号は3457件、有効回答は2083人。回答率60%。

 戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条

 「変えない方がよい」――67%
 「変える方がよい」 ――24%

 日本の平和や東アジアの安定に9条がどの程度役立つと思うか

 「大いに役立つ」    ――16%
 「ある程度役立つ」   ――54%
 「あまり役立たない 」 ――19%
 「まったく役立たない」―― 3%

 (「役立つ」という人は若い年代ほど多い。)

 「大いに役立つ」と思う人の83%が9条を「変えない方がよい」
 「ある程度役立つ」と思う人の75%が「変えない方がよい」

 憲法を全体でみた場合の改正

 「改正の必要がある」――47%
 「改正の必要はない」――39%

 改憲の「必要がある」という人の9条への態度

 「変える方がよい」 ――41%
 「変えない方がよい」――52%


 これが全体的な“民意”である。いわば国民の67%が戦争放棄と戦力不保持を規定した憲法9条に則って「この国はこの国の人々で守る」「当たり前の発想」としているということである。

 そうでない国民が24%。

 だとすると、鳩山首相のそもそものの「この国はこの国の人々で守る」とするのが「当たり前の発想」だとする「発想」自体が、民意から大きくズレた「当たり前」ではない発言だとしなければならない。

 もし鳩山首相が日本の軍隊である自衛隊だけではなく、米軍駐留による軍事力を併せて日本という国を守る力として必要と考え、その考えに添って、「この国はこの国の人々で守る」ことを「当たり前の発想」とする“民意”を期待するなら、自身の言葉で国民に同じ考えに立つことの共感・共有を求め、民意をして、「この国はこの国の人々で守る」ことを「当たり前の発想」とする以外に道はないのではないのか。

 憲法9条を腫れ物に触るような扱いばかりして、政治家としての自らの言葉に恃んで、「この国はこの国の人々で守る」ことを「当たり前の発想」とする“民意”形成の努力を怠ってきたと言うことではないのか。怠ってきたから、ここに来て立ち往生せざるを得ない状況に追い込まれている。

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