鳩山首相の「最低でも県外」は党の公約ではなく、自分自身の発言だとする無責任、世も末

2010-05-07 09:00:34 | Weblog

 次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき

 では“腹案”とは一体何だったのか

鳩山首相が昨日(5月6日)午前の首相公邸前のぶら下がり記者会見で、自身が昨年の総選挙中に有権者に向かって訴えていた、まさしく民主党代表として訴えていた普天間基地移設の「国外、最低でも県外」は党の公約ではないと否定したという。《首相 負担軽減へ最大限努力》NHK/10年5月6日 11時31分)記事動画からから文字に起こしてみた。
 
 〈――国民からすると、すべての発言が場当たりのように聞こえる気がするんですが・・・・。

 鳩山「場当たりな発言は一切しておりません。私は、ま、公約って言うのは党の公約。私はしかし、『国外、最低でも県外』、と言ったのは、自分自身の発言。自分自身が総理になった以上、その自分の言葉を実現したいと、思って、今日まで、政権の中で努力をしてきた、いうことです。

 公約は、これは、みなさんもご案内のとおり、沖縄の負担軽減、そのための、米軍再編、それに対する見直しをしっかり行いたい、というのが、公約であります」

 これを「場当たりな発言」と言わずして、何を以て「場当たりな発言」と言ったらいいのだろうか。

 「自分自身の発言」とは党代表としての発言であって、単なる一候補者としての発言とは天と地の差がある。また民主党が総選挙で勝利し、政権交代が確実視されている状況にあり、当然、民主党代表たる鳩山由紀夫が総理大臣に就任することが予想されていた。そういった人物の発言である。

 自分自身もそのことを自覚して、先頭に立って発言していたはずである。例え総選挙で勝利が予想されていなくても、如何なる党代表にしても、先頭に立って発言しない逆説は許されまい。党代表であるなら、余程無能でない限り、意図していようが意図していまいが、常に先頭に立った発言となる。

 いわば党代表である以上、すべての発言が先頭に立った発言と看做される。例えそれが「党の公約」ではなかったとしても、党代表による先頭に立った発言であるなら、誰にしたって「党の公約」だと勘違いするに違いない。

 それとも勘違いした有権者の方が間違っていたと言うのだろうか。

 例えそれが有権者の間違いであったとしても、党代表でありながら、党の公約でもない「国外、最低でも県外」を先頭に立って発言した責任はどうなる。

 なぜ「党の公約」でもない「国外、最低でも県外」を党代表として先頭に立って国民に訴えてきたのか。

 いわば普天間移設に関しては党から離れて、単独行動を取っていたことになる。これも矛盾した話である。「党の公約」でないことを党代表の“個人的公約”として単独で実現を訴えてきた。

 奇妙な話ではないか。

 但し単独行動は内閣発足までで、「自分自身が総理になった以上、その自分の言葉を実現したいと、思って、今日まで、政権の中で努力をしてきた」と、内閣のトップに立ったから可能となったのだろう、単独行動をやめて、「国外、最低でも県外」“個人的公約”を実現させるべく、「政権の中で努力をしてきた」

 いわば内閣総理大臣として、鳩山内閣の首班として、「国外、最低でも県外」の実現に閣内で努力した。

 このことを言い換えるなら、「党の公約」ではない、“個人的公約”に過ぎない「国外、最低でも県外」が鳩山内閣発足以降、内閣に於いて生き続けていたことを意味する。生き続いていたからこそ、「政権の中で努力」ができた。

いわば鳩山内閣に於いて「国外、最低でも県外」「党の公約」でないにも関わらず閣内で共有し、実現に向けて共同行動を取った。

 だからこそ、閣僚その他が米領グアムや米自治領北マリアナ連邦テニアン島に視察に行ったり、移設先として適確か検討したりしたのだろう。

 このような経緯を説明するなら、「国外、最低でも県外」「党の公約」ではなく、「自分自身の発言」、党代表としての“個人的公約”であったとしても、鳩山内閣の「公約」と化していたことを示す。

 それをここにきて、「自分自身の発言」だとして、「党の公約」からだけではなく、党代表としての“個人的公約”であったことからも切り離す。総理大臣に向かいつつあった人間の言葉であったことからも切り離す。さらに一旦は内閣の「公約」としていたことからも切り離す。

 切り離すことで、党代表として先頭に立って国民に訴えていた事実とその責任、内閣の「公約」としていた事実とその責任を抹消しようと謀る。

 また「党の公約」ではないことを「自分自身の発言」とする、“個人的公約”とすることは、党代表でありながら、党の意向に反して公約違反を犯していたことを意味することになる。党代表であるにも関わらず、党の公約に反した勝手な行動、あるいは勝手な発言を繰返していたとうことであろう。

 党代表であったことの資格を失い、このことの責任も負わなければならない。

 党の代表としても内閣の代表としても公約違反を犯していた。公約違反を隠し、さも党の公約でもあるが如くに国民に訴えていた行為は一種の詐欺に当たる。この詐欺を避けるためには、最初から党の公約ではないが、自分としては実現したいと正直に言うべきだった。

 また、沖縄県民、その他の国民は党の公約でもない「国外、最低でも県外」に騙され、踊らされていたことになる。国外を主張する社民党も、特に社民党党首福島瑞穂も踊らされていたことになる。それとも勘違いしたことと同様、踊らされた者も悪いとでも言うのだろうか。

 例え悪者を沖縄県民や有権者に押し付けることができたとしても、「国外、最低でも県外」を実現するだけの政治能力もないくせに、早々に見切りをつけるべきをつけもせずに「5月末決着」と言いながら、5月末が近づくこの時期に至るまで長いこと掲げていたことになる。何という無能な首相だろうか。

 果してなおも言い張っている「5月末決着」「党の公約」なのか、党代表としての発言なのか、首相としての発言なのか。国民の分からないところでそれらを使い分けているとなると、どちらなのか聞いておかなければならない。あとで、「5月末決着」「党の公約」ではないから、首相としての個人的な発言だったとしても公約違反とはならないとされたら、たまったものではない。

 党の公約でもないにも関わらず国民の前で先頭に立って訴えた「国外、最低でも県外」「自分の言葉を実現したいと思い、政権の中で努力してきた」と言うなら、最後まで貫抜くのが責任であり、実現できなかった場合、その責任を取って首相を辞任するのが自身の発言に対する責任でもあろう。「自分の言葉を実現したいと思い、政権の中で努力してきた」、しかし、ハイ、できませんでした、「公約は、これは、みなさんもご案内のとおり、沖縄の負担軽減、そのための、米軍再編、それに対する見直しをしっかり行いたい、というのが、公約であります」に代えて辞任しないでやり過ごすのはこれまでの経緯から考えても、無責任極まりない。

 大体が3月31日に行われた鳩山首相と自民党谷垣総裁との党首討論でさも成算ありげに発言した、「私には今、その腹案を持ち合わせているところでございます」は何だったのだろう。「腹案は、現行案と比べて、少なくとも同等か、それ以上に効果のある案だと自信を持っている」とまで言い切った。当然、「国外、最低でも県外」の実現を「政権の中で努力してきた」ことと関連付けた、その成果としての“腹案”でなければならなかったはずである。

 「公約って言うのは党の公約。私はしかし、『国外、最低でも県外』、と言ったのは、自分自身の発言」だと、「国外、最低でも県外」を断念したあとの“腹案”であったなら、意味を成さないことになるからだ。

 いわば一部県外を以ってして、さも成算ありげな“腹案”としたのだろう。薄汚いゴマカシとしか言いようがない。

 麻生太郎もひどい首相だと思ったが、麻生に優るとも劣らないひどい首相に見えてきた。ひどさの点に於いて麻生太郎と比較されるようになったらおしまいではないか。

 この鳩山首相に相変わらず似た者同士の付き合いをしているのが平野官房長官ときている。

 《官房長官「『最低でも県外』は党代表の発言」》日本経済新聞電子版/2010/5/6 14:02)

 6日午後の記者会見での発言だそうだ。「国外、最低でも県外」について――

 平野「首相個人の発言というよりも党代表としての発言と受け止めている」

 「首相個人」と「党代表」を巧妙・狡猾にも使い分けている。例え使い分けることが許されたとしても、次期総理大臣と国民に目された「党代表」として発信した発言の重さ、その責任はそれなりに負っているはずだが、そのことへの言及は無視して、使い分けで済ましている。使い分けで責任なしだとしている。

 示し合わせて、あるいは阿吽の呼吸で「国外、最低でも県外」をなかったことにしようと企んでいる。

 民主党の山岡賢次国対委員長が「普天間の話あるいは政治とカネの話は直接国民の生活には影響しない」と発言したことも同じ線上の責任逃れ、ゴマカシであろう。

 《普天間「生活に影響ない」=沖縄の市議反発し、発言撤回-民主・山岡氏》時事ドットコム/2010/05/06-15:31)

 6日、党本部で開催の「女性議員ネットワーク会議」での挨拶の中で飛び出した発言だそうだ。

 山岡「普天間の話あるいは政治とカネの話は直接国民の生活には影響しない」

 6月から支給の子ども手当について――

 山岡「大きな評価を得ているが、何か普天間でかき消されているような状態で残念だ。地方に行くと、普天間は雲の上のお話」

 沖縄県糸満市の伊敷郁子市議から抗議の発言が出たと記事は書いている。

 伊敷郁子市議「普天間問題はわたしたちにとっては生活を破壊される大きな問題だ。県民を冒涜(ぼうとく)している」

 山岡「そう受け止められたら謝罪して撤回する。国会に出ている法案を生活法案と言うつもりで申し上げた」

 会議後の記者会見で、

 伊敷市議「民主党は国民生活が第一なのに、わたしたちは国民ではないのか」

 山岡は民主党や鳩山内閣に不利な政治問題を無視、ないことにしたい思いから、子ども手当といった有利な話題で不利を覆い隠そうと強弁を働らかせるゴマカシをやらかした。

 無責任の正当化そのものが強弁や言い抜け等のゴマカシでしか成り立たないから、ウソの上塗りならぬゴマカシの上塗りでしか正当化ができないという倒錯を踏むことになる。

 民主党にしても鳩山内閣にしても、「政治とカネ」の問題や子ども手当の財源、高速道料金問題、天下り禁止問題、政治主導問題等、多くの政策や課題で強弁や言い抜けを用いたゴマカシのスパイラルに陥っている。その代表に鳩山首相と平野官房長官がなっている。

 早くに立ち直らないと、参院選は過半数を取れないどころか、惨敗しないとも限らない。

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