病院による「患者様」の呼称は権威主義の反動主義から?

2010-05-09 08:53:15 | Weblog

 次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき

 昨8日土曜日の夜にNHK総合テレビで「みんなでニホンGO!」なる番組を放送していた。たまたまチャンネルをまわして知った番組であり、ベッドに仰向けに寝転び、一杯飲んで眠たいのを我慢して視ていたので満足に頭に入ってこなかったが、現在の日本の社会で通用しているおかしな日本語を取り上げている番組らしかった。

 途中で顧客と電話で遣り取りする事務職の女性が、「顧客様」、「携帯様」と呼びかけている場面が挿入されていた。

 そのような日本語の一つとして昨夜取り上げたのが、病院で患者を呼ぶのに「患者様」と患者に「様」をつける呼称で、そのような呼称が許せるかどうか、あるいはスーパーや飲食店で客が入るたびに店員の一人が「いらっしゃいませ」と迎えると、その場にいない店員までが次々にその「いらっしゃいませ」に呼応して、「いらっしゃいませ」を連続して口にする、それを大輪唱と名付けていたが、その殆んどがマニュアル化された規則で、許せるかどうか、スタジオ招待の視聴者も参加してお互いに意見を言い合って許せるかどうか判定する内容であった。

 患者に「様」をつけて「患者様」と呼ぶ慣習のキッカケとなったのは、小泉純一郎元首相の「聖域なき構造改革」によって病院経営も市場原理主義に曝されることとなって、座っていて患者が来て経営が成り立つわけではない、自らが患者獲得に努力しなければならない生存競争の時代に突入したことが「医療もサービス業である」という意識を要求することになり、そこへ厚生労働省が医療機関に対して「患者の姓名には『様』をつけて呼ぶのが望ましい」という通達を出したことから、患者の姓名そのものにだけではなく、患者という言葉自体にも「様」をつけて、「患者様」と呼ぶ習慣が出来上がったとか番組では解説していた。

 いわば厚労省の通達に過剰反応したということであろう。いくら医療もサービス業だからと言って、患者の姓名に「様」をつけるだけでも丁寧の上に馬鹿がつく馬鹿丁寧な呼び方であるのに、患者という言葉にも「様」をつけるのは馬鹿を通り越した超馬鹿丁寧な呼び方に私自身は思うが、世の中にはその呼称にかなりの支持者がいるらしい。スタジオ参加者100人にアンケートを取った支持率は54対46とかで、「患者様」容認が8ポイントの優勢。鳩山内閣の支持率よりも遥かに高いではないか。尤もこれは有権者に「鳩様」と呼ばれても思われてもいないことの現われでもあるが。

 病院が増え、医師の数も増えただけではなく、医師や看護師の大病院一極集中、その反動としての中小病院の医師不足・看護師不足といった歪んだ雇用状況が生じていることもあるが、社会の情報化によって医療過誤を引き起こした病院や医師・看護師の情報、あるいは逆に患者を大事に扱う病院や医師・看護師の情報、手術の技術の高い病院や医師の情報が一瞬のうちに世間一般に広まるようになって、医師、あるいは病院が何もせずに座っていて患者が集まる時代ではなくなり、患者を獲得しなけれならない状況に迫られた。様々な情報手段を用いて患者を獲得し、大切に扱うことで、その情報を逆に口コミなり、マスメディアを経て紹介されたりの情報の相乗効果、あるいは情報の相互通行によってさらに患者を獲得していかなければならなくなった。いわば医療のサービス業としての成り立ちである。

 情報なる言葉は「宣伝」という言葉に置き換えることもできる。

 医療=サービス業であるという意識が過剰なまでに働いて行き着いた先が「患者様」現象だとすると、患者第一、患者大切で患者を医師や看護師=病院の上に位置させたことを意味する。医師や看護師=病院を患者の下に置いたのである。

 だが、かつては医師は偉い存在だった。病状の詳しい説明もなく、クスリの内容の説明もなく、患者側からすると、診察されるまま、薬を与えられるままに従ってきた。患者に対してすべてを任すことを求められる絶対的存在として君臨していた。そういった医師対患者関係にあった時代はセカンドオピニオンを求めるなど問題外であった。現在でも、かつての上下関係引きずったままに自己を絶対的存在としてセカンドオピニオンを許さない医師も多いに違いない。

 これは医師を上に置いて絶対的存在とし、患者は自らを医者に従う下の存在とした権威主義の人間関係にあったことを意味する。出演していた経済ジャーナリストだとかいう荻原博子が医師はそれなりの高度な技術を取得していることと技術修養の年限をそれなりに費やしているといったことから、「お医者様と呼ぶのは抵抗はないが、患者様と呼ぶのには抵抗を感じる」と言っていたが、これは医師を上に位置させ、自己を医師の下に置く権威主義の意識からの発想であろう。

 いわば「患者様」現象が表している状況とは、かつては医師や看護師=病院を上に位置させ、患者は自らを下に置いた権威主義的な上下関係から、時代的な要因に迫られて医師や看護師=病院の側から患者は大事なお客様・顧客だいうサービス意識から患者を上に置き、自らを患者の下に置く権威主義的な上下関係に逆転を図った状況ということであろう。

 このことは従来の医師や看護師=病院を上に位置させた権威主義に対するある意味反動主義からの逆転した権威主義の現われと言うこともできるのではないだろうか。
 
 大体が厚労省が全国の医療機関に対して「患者の姓名には『様』をつけて呼ぶのが望ましい」とする、医療技術に何ら関係のない通達を出すこと自体が自分たちを上に置いて通達一つで医療機関を従わせようとした中央集権的な関係性にあったからで、医療機関にしても、厚労省の通達に自分たちは自分たちの遣り方があるとする主体的な独立独歩の姿勢を示すのではなく、社会的現象になる程にまで大勢順応的に従がったのは厚労省、あるいは厚労省の官僚・役人を医療機関の上に置き、その下に自らを置いた権威主義の関係にあったからこそ可能となった通達に対する無条件的な従属であろう。

 医療機関側の「患者様」の呼称が両者間にあった権威主義的関係性の逆転であることを証明するインターネット記事がある。《<6>「患者さま」と呼ばないで》西日本新聞/2007年11月19日)

 この記事には厚労省の通達について次のように書いている。

 〈一説によると、2001年に、厚生労働省から国立病院に対し「患者の姓名には『さま』を付けて呼ぶのが望ましい」というサービス向上努力の通達があった。それがきっかけで、医療機関では、個々の患者の姓名のみならず一般名称としての「患者」も、医療サービスの客という意味で、患者さまと呼ぶようになったらしい。〉――

 但し次に、〈今年あたりから「患者さま」を「患者さん」に戻す医療機関も出てきた。〉と書いている。

 〈医療者側の説明によると「患者さま」と呼んで持ち上げているうちに、一部の患者の態度が大きくなり、権利を振りかざし、医療者に過剰なサービスを求めたり、暴言を吐く、暴力をふるうなど「モンスター化」してきたので、必要以上にへりくだった呼び方はやめるということらしい。〉――

 患者のこの「モンスター化」はつけ上がって自己を絶対的存在と看做して医師・看護師=病院の上に置き、彼らを自己の下に置くべく逆転的な権威主義の関係を迫ったことによって生じた態度であろう。

 また、「患者様」なる呼称が〈必要以上にへりくだった呼び方〉だと病院側が把えていたことも、医師・看護師=病院を患者の下に置く権威主義の現われであったことの証明となる。

 NHKの番組でも、「患者様」の呼称を取り入れた病院が患者の苦情を受けて、「さん・様検討委員会」を設けて、半年の検討の結果、「さん」の呼称に戻すことに決定、その報告の掲示に、「患者様へ」と書いてあったことが出演者一同の失笑を買ったが、患者に対する通知や案内の掲示に限って「患者さん」ではなく、「患者様」を用いることとしたことからの二重基準だそうだ。

 日本人は個人差は当然あるものの、職業や地位、学歴等を上下・優劣で計ったモノサシで人間自体をも価値づける権威主義の人間関係にどうしようもなく支配されているために対等な人間関係の構築意識に欠けることから、あるいは不得手としていることから、どうしても下に置くか上に置くかに偏ってしまう。

 つまり患者を上に置き、医師・看護師=病院を下に置いて「患者様」と堅苦しく、あるいは馬鹿丁寧、あるいはへり下って呼称することの反省から「患者さん」と呼ぶことに改めたとしても、通知や案内の場合は「患者様へ」というふうに改まった呼び方で患者を上に位置させてしまう。なぜ「患者さんへ」に抵抗を感じないで済ますことができないのだろうか。

 医師・看護師がどのような優れた技術を持っていたとしても、彼らと患者が医療サービスを提供する側と医療サービスを受ける側として接する場合は対等であることによって、意思疎通がよりよく図ることができ、医師や看護師が持つ医療情報と患者が持つ症状の情報、あるいは病気を起こしている生活環境、親代々から受け継いでいる遺伝環境等の情報との相互伝達の自由度が高まって、よりよい治療が可能となるはずである。

 言葉を変えていうと、医師・看護師=病院側と患者が対等であることによって、医師・看護師=病院の方からも、患者の方からも積極的に相互に治療に参加できる治療環境をつくり得るということである。

 あくまでも一般論だが、これまでのように権威主義的に医者・看護師=病院が患者の上に位置していたときは、患者は遠慮して言いたいことを満足に言わず、聞きたいことも満足に聞かず、医師・看護師が治療するに任せてきた。医師・看護師の側も患者側からの遠慮して満足に出さない情報を基に治療を施すこととなって、結果として相互に積極的に治療に参加するといった慣習を築くことができなかったということではないだろうか。

 では「患者様」と呼称を変えた医療現場に於いては上記障害が問題なく取り除かれたかと言うと、つけ上がって大きな態度を取る患者は勿論、「患者様」と呼ばれることで場違いな場所に放り込まれたという思いに駆られる患者が生じて萎縮してしまった場合、当然自己を下に置くことになって治療に必要な十分な情報の発信が期待できない障害の発生も予測され、却って「患者様」と医師・看護師=病院を下に置いたことが徒(あだ)となるマイナスが生じてもいるはずである。

 いわば医師・看護師=病院側が患者を何と呼ぼうと、それが両者どちらか一方を上に置き、他方を下に置く権威主義的関係構築を結果として招く呼称であってはならず、対等な接し方を構築するに役に立つ呼称でなければならないと言うことではないだろうか。

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