NHK世調 内閣支持率21%(NHK/10年5月10日 19時45分)
●鳩山内閣を「支持する」 ――21%(前月比-11ポイント)
「支持しない」――68%(前月比-12ポイント)
●普天間基地県外移設全面断念について
「大いに評価する」 ――3%
「ある程度評価する」 ――21%
「あまり評価しない」 ――35%
「まったく評価しない」――34%
●移設断念の理由に「抑止力」を挙げたことについて
「大いに納得できる」 ――4%
「ある程度納得できる」 ――29%
「あまり納得できない」 ――30%
「まったく納得できない」 ――30%
●鳩山総理大臣が5月末までに決着できなかった場合に退陣すべきと思うか
「退陣すべきだ」 ――40%
「退陣する必要はない」――22%
「どちらともいえない」――34%
マスコミ各社が今日5月11日のインターネット早朝版で一斉に普天間移設問題の「5月末決着」を事実上断念したと報じている。これは昨日10日午後の記者会見で述べた発言を根拠としているが、10日朝の関係閣僚会議に先立ったぶら下がりで発言した中で既に「5月末決着」の軌道修正を自ら図るゴマカシを塗り込めて、「5月決着」としていたことの“結論”を巧妙に回避している。
10日朝の記者会見での発言を「NHK」記事――《首相 5月末までに必ず方向を》(10年5月10日 10時59分)動画から見てみる。
鳩山首相「あの、5月末というのは、私は、国民のみなさんに申し上げておりますから、これで行こうと、いう方向をね、必ず出したいと。閣僚会議は、当然のことながら、まあ、みんなで今日までの状況を、きちんと確認をすると、いうことでありまして、それは最終的な方向というものを、みんなでつくり上げていく努力の、その一環であると、いうことは間違いありません」
「5月末」という言葉は4月21日の記者会見でも使っている。平野官房長官が徳之島の3町長に会談を申し入れて断られたときの発言である。
鳩山首相「必ず、5月末までには、五月晴れにしなければならない」(NHK記事)
まさしく「5月末決着」を意味する「五月晴れ」という言葉であろう。一点の曇りもない“結論”ということでなければならない。
「国民のみなさんに申し上げて」きた「5月末決着」とは、「決着」という言葉自体が「結論・結果が出ること。物事の決まりがつくこと」(『大辞林』三省堂)を言うのだから、移転先地元と連立政府と米国の三者間で移転する基地の規模・機能、場所等で相互に受入れ可能の結論に至ることを言うはずだが、それを「これで行こうという方向」にすり替えるゴマカシを塗り込めている。
このようなゴマカシを可能としているのは名護市辺野古米軍キャンプ・シュワブ沿岸部埋め立ての現行案を杭打ち方式に替える修正案と鹿児島県徳之島へのヘリコプター部隊一部移転案を軸とした普天間移設の「方向」を政府が既に打ち出しているからだろう。
それを以て「国民のみなさんに申し上げて」きた「5月末決着」とし、今後地元の合意取り付けと米国の承認に時間をかけるとすることもできるわけである。あるいは連立政権内で反対している社民党党首福島瑞穂と国民新党亀井静香の納得に努力すると。
要するに「方向」の打ち出しは“決着”以前の段階であるにも関わらず、“決着”をそれ以前の段階である方向性の打ち出しに替えて、鳩山首相は自ら責任回避、辞任回避に持っていこうとするゴマカシを塗りこめたというわけである。
マスコミ各社は「5月末決着」の断念を伝えると同時に鳩山首相の責任を問う論調を掲げているが、首相がそれを如何に凌いで責任回避、辞任回避に持っていけるかにかかっている。責任回避、辞任回避を絶対条件としなかった場合、辞任し誰が次の首相になろうと、衆院を解散して民意を問わずに政権を維持したなら、自民党政権時に民意を問わずに首相の首のすげ替えで政権をたらい回しにしていると批判したことの言動不一致を突かれて、次のゴマカシの塗り込めが必要となり、ますます国民離れが生じて支持率を下げることになることが予想されるからだ。
勿論、首相退陣と同時に民意を問う解散・総選挙のプロセスを踏むならいいが、現在の国民離れの状態で総選挙する勇気を持てるかである。
ゴマカシは“決着”を「これで行こうという方向」へのすり替えばかりではない。「5月末決着」を「国民のみなさんに申し上げて」きたと言っているが、「国外、最低でも県外」も「国民のみなさんに申し上げて」きた約束である。それを党の公約ではない、党代表としての私自身の発言だと言って、「国民のみなさんに申し上げて」きたことをいともあっさりと反故にしたゴマカシの前科がある。
その前科を無視し、尚且つ“決着”を「これで行こうという方向」にすり替えて、「国民のみなさんに申し上げて」きた確約だとすることができる神経はさすが政治家だけのことはあると思わせる。
午後の記者会見では次のように発言している。《首相“合意の定義変えてない”》(NHK/10年5月10日 19時45分)
鳩山首相「沖縄のみなさん、それから、移転先に関わりのあるみなさん、さらには、アメリカの、方々、ま、そして、連立与党ですか、連立政権。こういったみなさんが、分かったと、この方向で行こうじゃないかと、いうことで、エー、纏まると、それを合意と、私は呼んだわけでありますけれども、その合意が得られるような、状況をつくると、言うことでありまして、定義を変えているわけではありません」――
午前中の記者会見では、「これで行こうという方向」を打ち出すことを「5月決着」として、「5月決着」が無理になったことを間接的に表明したが、午後は、地元、連立政権・米国の三者が、「分かったと、この方向で行こうじゃないかと纏まる」ことを「合意と私は呼んだ」が、「その合意が得られるような状況をつくる」ことを以ってして、「5月末決着」としている。
いわば、「合意」という“結論”に至ることを以ってして「5月末決着」とするのではなく、その一歩手前の段階の「合意が得られるような状況をつくる」ことが「5月末決着」だとゴマカシを塗り込めて、言葉は違えても、「5月末決着」の断念を同じく間接的に伝えている。
勿論、本人は断念したとは思っていないだろう。あくまでも上記段階に至ることを以ってして「5月末決着」だとゴマカシを塗り込めているからだ。
但し第三者が公平に見た場合、実体的な「5月決着」に見えないから、マスコミは一斉に“断念”と把え、その責任を問う声を上げた。
発言がゴマカシから出発しているから、発言の最後までゴマカシに支配される。動画に加えられていなかったが、移設先の自治体との交渉について次のように発言している。
鳩山「『根回し』というような手法よりも、誠心誠意、正面から対話を通じて理解を求めていきたい。『根回し下手だ』と言われるかもしれないが、言われても構わない。今までのように密室で談合的に決めて、国民にわからないように丸めていくという発想を、新政権は、できるだけとらないという立場を明確にしており、私としても、その思い、その立場で頑張っていく」――
自分は「今までのように密室で談合的に決めて、国民にわからないように丸めていくという発想」には立っていないからと自己を正当化させているが、「国外、最低でも県外」と言って沖縄県民に期待を抱かせ、それを党公約ではない、自分の発言だと裏切って県内移設の修正案に走った態度、あるいは掲げていた沖縄の負担軽減を散々言ってきた「国外、最低でも県外」を絶対条件として解消するのではなく、一部県外移設の不完全な条件で解消を誤魔化そうとする態度、さらにそのゴマカシの解消を背負わされる形で何の相談もなく徳之島が移設先とされたことが問題であって、「根回し」とか「根回し」ではないということではなく、問題をすり替えるさらなるゴマカシの塗り込めしか発言には見えない。
要するに、「『根回し下手だ』と言われるかもしれないが」と体裁のいいゴマカシを言っているに過ぎない。
首相が責任回避・辞任回避のゴマカシを働くから、閣僚も連携プレーのゴマカシを働かざるを得なくなり、内閣揃ってのゴマカシのオンパレードとなる。
《“政府案集約も1つの決着”》(NHK/10年5月10日 13時10分)
平野「鳩山総理大臣は、この問題について、今月末に政治的に何らか決着しなければならないと言ってきている。決着のしかたはいろいろあると思うし、『こういう姿が決着だ』ということを言う立場ではないが、何らかの先送り論みたいな話にはすべきではない。今月末のありようについては、総理の判断の下、閣僚の間でしっかり決めていく。・・・・沖縄の負担を削減するということで、包括的なケースやパッケージ論などいろいろあると思う。それをどういうふうにまとめることが今月末の判断になるのかを最終的に検討していく」――
「決着のしかたはいろいろある」と、「決着」を一つに決めないことによって免罪を謀ろうとするゴマカシを言葉に塗り込めている。要するにどのような「決着」であっても、これも「5月末決着」の一つだとするすり抜けが可能となる。共に責任回避・辞任回避を絶対条件としたいだろうから、鳩山首相が言っている「決着」の形が前以て共同謀議してつくり上げた「決着」の可能性も出てくる。
巧妙狡猾としか言いようがないが、言い抜けと取られることを恐れて、「決着のしかたはいろいろある」と言っておきながら、「『こういう姿が決着だ』ということを言う立場ではないが、何らかの先送り論みたいな話にはすべきではない」と、前後相矛盾することを平気で口にするゴマカシまで働いている。
鳩山首相自体が「5月末決着」を言葉通り、地元・連立政権・米国の三者合意に基づいた結論の成立としていないのだから、当然、「決着」は先送りされることになる。平野官房長官にしても、三者合意に基づいた結論の成立を言わずに、「決着のしかたはいろいろある」を免罪符にしようとしているのだから、「何らかの先送り論みたいな話にはすべきではない」はゴマカシでしかない。
この平野長官のゴマカシは鳩山首相の進退について述べた発言にも塗り込められている。
平野「総理大臣の進退については、常にそのことを考えながら政治を行っている。あらゆる政治課題について、身を粉にして政治を進めるということだ。普天間基地の移設問題に限らないものであり、この問題で進退うんぬんということではない」
「進退」は「普天間基地の移設問題に限らない」ということは、すべての政策遂行に進退がかかっているということであろう。そして、「総理大臣の進退については、常にそのことを考えながら政治を行っている」とするなら、普天間問題でも責任を果たせなかったなら、当然、「進退うんぬん」しなければ、言っていることに破綻が生じる。だが、「この問題で進退うんぬんということではない」と、普天間問題に限って進退がかかっていないことだとゴマカシを塗り込めている。陰険なところのある平野官房長官らしい。
前原国交相にしても、鳩山首相の責任回避・辞任回避に添うゴマカシ発言を行っている。衆議院の特別委員会での発言だそうだ。
《“今月末以降も移設先と協議”》(NHK/10年5月10日 19時45分)
前原「鳩山総理大臣から政府としての正式な考えは示されていない。その環境整備に向けて議論しているところだ。・・・・基本的には5月末までの決着だが、そのときの地元の合意をどのように定義づけるかだ。地元の理解を得るための不断の努力は5月を超えてもやっていかなければならない」――
平野官房長官の「決着のしかたはいろいろある」と同じゴマカシの塗り込めとなっている。「地元の合意をどのように定義づけるか」によって、「決着」が決まってくると、「定義づけ」次第だとしているからだ。
責任回避・辞任回避に添う「定義づけ」となるのは目に見えている。
また、「地元の理解を得るための不断の努力は5月を超えてもやっていかなければならない」はごく当たり前のことを当たり前に表面的に言ったに過ぎない。日米のロードマップで決めた普天間移設期限の2014年が迫っている。何らかの決着が必要であるし、途中で投げ出していい問題ではない。ゴマカシを塗り込めるだけでは問題解決とはいかないということである。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
5月8日の「YOMIURI ONLINE」記事――《福島党首「海兵隊、日本の抑止力とは違う」》
記事は社民党党首の福島瑞穂が8日、普天間問題で、「重要なのは時期ではなく、問題を解決することだ」と発言、5月末決着に拘るべきではない考えを改めて示したことを紹介した上で、8日朝のTBSの番組(『みのもんたの朝ズバッ』のこと)で次のように発言したことを伝えている。
「(在沖縄)海兵隊が抑止力や守備と関係があるのか。朝鮮有事の時の救援部隊で、米国人を救出するものだ。日本人の救出ではなく、日本の抑止力とは違う」――
日本の安全保障に関わる素晴らしい認識力を示している。在沖縄米海兵隊の任務が朝鮮有事の際の米国人救出にあるとは初めて知った。そうであるなら、当然、「日本の抑止力とは違う」ことになる。「日本の抑止力とは違う」在沖米海兵隊なら、存在理由の必然性を失う。さっさと出て行ってもらうしかない。
“抑止力”とは、想定し得る、あるいは想定外の“有事”の前以ての回避に備える軍事力、もしくは外交と、万が一発生した場合の“有事”を抑止して“平時”に戻す軍事力、もしくは外交のことを言うと思っていた。
福島はここでは米海兵隊を把えた発言だから、軍事力に限った“抑止力”ということであろう。
有事の際のそういった軍事力行使の過程で自国民、あるいは自国関係国民の救出をその必要が生じたとき行うのであって、いわば救出は二次的使命だと思っていた。
この発言をより詳しく紹介しているインターネット記事はないかと探したら、2チャンネルで紹介していた。参考引用させてもらう。
《☆ばぐた☆◆JSGFLSFOXQ》(2010/05/06(木) 17:00:09 ???0)
・6日放送の「朝ズバッ」で、福島みずほ大臣と自民・石破氏との普天間議論が行われた。
自民・石破氏
「今のままじゃいかんと言うのは一緒なんですけどね。
アメリカじゃなくて、日本の自衛隊が、今の憲法の範囲内で出来ることがたくさんあるんじゃないんですか。
例えば海外にいる日本人、いまアメリカの海兵隊が救出に行くことになっているんです。
じゃあそれを日本でやりましょうよと。
あるいは6千7千ある島を、日本の自衛隊の力で守れるようにしましょうよ。
日本で出来ることたくさんあるでしょ。沖縄の負担を減らすことはできるでしょ。
『自衛隊の強化だ。反対だ』『子ども手当には防衛予算以上の金を出すけど
自衛隊の能力強化には反対だ』というのはだだっ子と一緒。
例えば…反対ですか?賛成ですか?
ソウルやプサンにいる日本人を自衛隊が助け出しに行く。反対ですか?賛成ですか?」
福島みずほ大臣
「石破さんね、沖縄に海兵隊が必要だといって、しかし、沖縄の海兵隊はアメリカ人を先に
救出することになってるでしょ。日本人は(※聞き取れず)救ってもらえないわけですよ。
それが、どうして日本の抑止力なんですか?」
自民・石破氏
「自衛隊法に書いてあるからですよ。『輸送の安全が確保されない限りは行けない』と
書いてあるでしょ。何回この法律の改正を提案しても、反対したのはあなた方じゃないですか。」
みのもんた「じゃ、日本人は日本人が助けに行くってのに賛成したらどうですか?」
自民・石破氏
「賛成してください。」
福島みずほ大臣
「…それは、きちんと、また別の議論で…」
石破は、「今の憲法の範囲内で出来ること」として、「ソウルやプサンにいる日本人を自衛隊が助け出しに行く。反対ですか?賛成ですか?」と言っているが、憲法が第9条で禁じている「武力の行使」をどうクリアするのだろうか。武力を行使しないで救出が可能な場合は問題ないが、救出が目的であっても、救出ができずに戦闘行為に巻き込まれ、救出自衛隊が全滅する場合も想定しなければならないはずだ。
イラクでは日本の自衛隊はイギリス軍やオランダ軍による地域の治安維持のもと、復興支援活動を行うことができたが、「ソウルやプサンにいる日本人」救出に米軍の戦闘部隊に守られて行うとしたら、滑稽な倒錯を演じることになる。自衛隊自体が米軍の救出の対象となるからだ。
軍隊の第一使命は自国民の救出よりも、何よりも韓国に発生した“有事”を“平時”に戻すことで、それができなかった場合、自国民救出が例え成功したとしても、後で支払うことになる代償は遥かに大きなものになるに違いない。
“有事”を引き起こした国が北朝鮮である場合、日本の“平時”自体が危険な方向、“有事”の方向に向かわない保証を失う。北朝鮮の挑発、侵略に備えて自衛隊軍事力の強化、防衛予算の増額、米軍増強の受入れ等々を次の場面として用意しなければならないに違いない。
そういった場面を招かない備えが抑止力であり、それを主として担うのが軍事力ではあるが、外交によっても行われる。
それを福島瑞穂は在沖米海兵隊を、「(在沖縄)海兵隊が抑止力や守備と関係があるのか。朝鮮有事の時の救援部隊で、米国人を救出するものだ。日本人の救出ではなく、日本の抑止力とは違う」と、その抑止力を視野狭窄にも「米国民救出」に矮小化して把えているのみならず、そのように矮小化したいびつな情報をさも正しい情報であるかのように公共の電波を使って広く発信している。
福島瑞穂は3月12日の参院予算委員会で昨年9月の閣僚就任以来、初めて自衛隊を合憲と認めている。
《福島氏「自衛隊合憲」認める答弁 ただし「閣僚として」》(asahi.com/2010年3月12日19時26分)
元自衛官自民党佐藤正久議員「自衛隊は合憲ですよね」
福島瑞穂「閣僚としての意見は控える。社民党党首ですから」
閣僚として予算委員会に出席していたはずである。それとも社民党党首として出席していたのだろうか。社民党党首として閣僚席に列席していた・・・・。首に「社民党党首として当予算委員会に出席しています」と書いた看板を吊るして出席すべきだったろう。
その答弁に自民党が抗議して、審議が中断したと記事は書いている。
再開後――
福島瑞穂「社民党の方針は変わらない。内閣の一員としては内閣の方針に従う。自衛隊は違憲ではない」
「社民党の方針は変わらない」とは、社会党から社民党への名称変更後の2006年に出した「社民党宣言」に次のように書いていることに当たる。(一部抜粋)
(6)世界の人々と共生する平和な日本
国連憲章の精神、憲法の前文と9条を指針にした平和外交と非軍事・文民・民生を基本とする積極的な国際貢献で、世界の人々とともに生きる日本を目指します。核兵器の廃絶、対話による紛争予防を具体化するため、北東アジア地域の非核化と多国間の総合的な安全保障機構の創設に積極的に取り組み、「緊張のアジア」を「平和と協力のアジア」に転換します。現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。また日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めます。
党の宣言では、「現状、明らかに違憲状態にある自衛隊」としている。滑稽にも自衛隊の存在に対して自らに二重基準を強いる矛盾を演じて平気でいる。
自衛隊は違憲ではあるが、内閣の一員として内閣が合憲としている方針に従って合憲とする二重基準を正当と看做す矛盾した体質を抱えているからだろう、社民党は普天間の移設先として米領グアム、サイパンへの全面移転を最優先に掲げながら、〈移転までの暫定措置(5~15年)として、シュワブの部隊を陸上自衛隊相浦駐屯地(長崎県)に、普天間を相浦駐屯地近郊の海上自衛隊大村航空基地(長崎県)や佐賀空港(佐賀県)、航空自衛隊築城基地(福岡県)、海自鹿屋航空基地(鹿児島県)へ移設する案を検討〉(《社民、キャンプ・シュワブ陸上部隊の同時移設も提示へ 普天間移設で》msn産経/2010.3.2 21:03)することができに違いない。
もし内閣の一員としても自衛隊を違憲としていたなら、普天間の移設先とすることで違憲である自衛隊基地を正当化するという別の矛盾を演じることになるからだ。
先に、「(在沖縄)海兵隊が抑止力や守備と関係があるのか。朝鮮有事の時の救援部隊で、米国人を救出するものだ。日本人の救出ではなく、日本の抑止力とは違う」というふうに沖縄駐留米軍を把えているとするなら、存在理由の必然性を失うからさっさと出て行ってもらうしかないと書いたが、沖縄からの撤退に動くとしても、世界の平和維持に先進国家として、民主主義体制国家として役割と責任を担う使命を自らに課す必要が生じる。
世界から多大な経済的利益を得ながら、それを脅かし、阻害する状況に対して如何なる代償も支払わないで済ますことは許されない。
世界の平和維持は――“有事”への備えと発生した場合の“有事”から“平時”への回復は――人道支援のみで可能とすることはできない。
日本のその役目を今まで米軍が代って担ってきた。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
昨8日土曜日の夜にNHK総合テレビで「みんなでニホンGO!」なる番組を放送していた。たまたまチャンネルをまわして知った番組であり、ベッドに仰向けに寝転び、一杯飲んで眠たいのを我慢して視ていたので満足に頭に入ってこなかったが、現在の日本の社会で通用しているおかしな日本語を取り上げている番組らしかった。
途中で顧客と電話で遣り取りする事務職の女性が、「顧客様」、「携帯様」と呼びかけている場面が挿入されていた。
そのような日本語の一つとして昨夜取り上げたのが、病院で患者を呼ぶのに「患者様」と患者に「様」をつける呼称で、そのような呼称が許せるかどうか、あるいはスーパーや飲食店で客が入るたびに店員の一人が「いらっしゃいませ」と迎えると、その場にいない店員までが次々にその「いらっしゃいませ」に呼応して、「いらっしゃいませ」を連続して口にする、それを大輪唱と名付けていたが、その殆んどがマニュアル化された規則で、許せるかどうか、スタジオ招待の視聴者も参加してお互いに意見を言い合って許せるかどうか判定する内容であった。
患者に「様」をつけて「患者様」と呼ぶ慣習のキッカケとなったのは、小泉純一郎元首相の「聖域なき構造改革」によって病院経営も市場原理主義に曝されることとなって、座っていて患者が来て経営が成り立つわけではない、自らが患者獲得に努力しなければならない生存競争の時代に突入したことが「医療もサービス業である」という意識を要求することになり、そこへ厚生労働省が医療機関に対して「患者の姓名には『様』をつけて呼ぶのが望ましい」という通達を出したことから、患者の姓名そのものにだけではなく、患者という言葉自体にも「様」をつけて、「患者様」と呼ぶ習慣が出来上がったとか番組では解説していた。
いわば厚労省の通達に過剰反応したということであろう。いくら医療もサービス業だからと言って、患者の姓名に「様」をつけるだけでも丁寧の上に馬鹿がつく馬鹿丁寧な呼び方であるのに、患者という言葉にも「様」をつけるのは馬鹿を通り越した超馬鹿丁寧な呼び方に私自身は思うが、世の中にはその呼称にかなりの支持者がいるらしい。スタジオ参加者100人にアンケートを取った支持率は54対46とかで、「患者様」容認が8ポイントの優勢。鳩山内閣の支持率よりも遥かに高いではないか。尤もこれは有権者に「鳩様」と呼ばれても思われてもいないことの現われでもあるが。
病院が増え、医師の数も増えただけではなく、医師や看護師の大病院一極集中、その反動としての中小病院の医師不足・看護師不足といった歪んだ雇用状況が生じていることもあるが、社会の情報化によって医療過誤を引き起こした病院や医師・看護師の情報、あるいは逆に患者を大事に扱う病院や医師・看護師の情報、手術の技術の高い病院や医師の情報が一瞬のうちに世間一般に広まるようになって、医師、あるいは病院が何もせずに座っていて患者が集まる時代ではなくなり、患者を獲得しなけれならない状況に迫られた。様々な情報手段を用いて患者を獲得し、大切に扱うことで、その情報を逆に口コミなり、マスメディアを経て紹介されたりの情報の相乗効果、あるいは情報の相互通行によってさらに患者を獲得していかなければならなくなった。いわば医療のサービス業としての成り立ちである。
情報なる言葉は「宣伝」という言葉に置き換えることもできる。
医療=サービス業であるという意識が過剰なまでに働いて行き着いた先が「患者様」現象だとすると、患者第一、患者大切で患者を医師や看護師=病院の上に位置させたことを意味する。医師や看護師=病院を患者の下に置いたのである。
だが、かつては医師は偉い存在だった。病状の詳しい説明もなく、クスリの内容の説明もなく、患者側からすると、診察されるまま、薬を与えられるままに従ってきた。患者に対してすべてを任すことを求められる絶対的存在として君臨していた。そういった医師対患者関係にあった時代はセカンドオピニオンを求めるなど問題外であった。現在でも、かつての上下関係引きずったままに自己を絶対的存在としてセカンドオピニオンを許さない医師も多いに違いない。
これは医師を上に置いて絶対的存在とし、患者は自らを医者に従う下の存在とした権威主義の人間関係にあったことを意味する。出演していた経済ジャーナリストだとかいう荻原博子が医師はそれなりの高度な技術を取得していることと技術修養の年限をそれなりに費やしているといったことから、「お医者様と呼ぶのは抵抗はないが、患者様と呼ぶのには抵抗を感じる」と言っていたが、これは医師を上に位置させ、自己を医師の下に置く権威主義の意識からの発想であろう。
いわば「患者様」現象が表している状況とは、かつては医師や看護師=病院を上に位置させ、患者は自らを下に置いた権威主義的な上下関係から、時代的な要因に迫られて医師や看護師=病院の側から患者は大事なお客様・顧客だいうサービス意識から患者を上に置き、自らを患者の下に置く権威主義的な上下関係に逆転を図った状況ということであろう。
このことは従来の医師や看護師=病院を上に位置させた権威主義に対するある意味反動主義からの逆転した権威主義の現われと言うこともできるのではないだろうか。
大体が厚労省が全国の医療機関に対して「患者の姓名には『様』をつけて呼ぶのが望ましい」とする、医療技術に何ら関係のない通達を出すこと自体が自分たちを上に置いて通達一つで医療機関を従わせようとした中央集権的な関係性にあったからで、医療機関にしても、厚労省の通達に自分たちは自分たちの遣り方があるとする主体的な独立独歩の姿勢を示すのではなく、社会的現象になる程にまで大勢順応的に従がったのは厚労省、あるいは厚労省の官僚・役人を医療機関の上に置き、その下に自らを置いた権威主義の関係にあったからこそ可能となった通達に対する無条件的な従属であろう。
医療機関側の「患者様」の呼称が両者間にあった権威主義的関係性の逆転であることを証明するインターネット記事がある。《<6>「患者さま」と呼ばないで》(西日本新聞/2007年11月19日)
この記事には厚労省の通達について次のように書いている。
〈一説によると、2001年に、厚生労働省から国立病院に対し「患者の姓名には『さま』を付けて呼ぶのが望ましい」というサービス向上努力の通達があった。それがきっかけで、医療機関では、個々の患者の姓名のみならず一般名称としての「患者」も、医療サービスの客という意味で、患者さまと呼ぶようになったらしい。〉――
但し次に、〈今年あたりから「患者さま」を「患者さん」に戻す医療機関も出てきた。〉と書いている。
〈医療者側の説明によると「患者さま」と呼んで持ち上げているうちに、一部の患者の態度が大きくなり、権利を振りかざし、医療者に過剰なサービスを求めたり、暴言を吐く、暴力をふるうなど「モンスター化」してきたので、必要以上にへりくだった呼び方はやめるということらしい。〉――
患者のこの「モンスター化」はつけ上がって自己を絶対的存在と看做して医師・看護師=病院の上に置き、彼らを自己の下に置くべく逆転的な権威主義の関係を迫ったことによって生じた態度であろう。
また、「患者様」なる呼称が〈必要以上にへりくだった呼び方〉だと病院側が把えていたことも、医師・看護師=病院を患者の下に置く権威主義の現われであったことの証明となる。
NHKの番組でも、「患者様」の呼称を取り入れた病院が患者の苦情を受けて、「さん・様検討委員会」を設けて、半年の検討の結果、「さん」の呼称に戻すことに決定、その報告の掲示に、「患者様へ」と書いてあったことが出演者一同の失笑を買ったが、患者に対する通知や案内の掲示に限って「患者さん」ではなく、「患者様」を用いることとしたことからの二重基準だそうだ。
日本人は個人差は当然あるものの、職業や地位、学歴等を上下・優劣で計ったモノサシで人間自体をも価値づける権威主義の人間関係にどうしようもなく支配されているために対等な人間関係の構築意識に欠けることから、あるいは不得手としていることから、どうしても下に置くか上に置くかに偏ってしまう。
つまり患者を上に置き、医師・看護師=病院を下に置いて「患者様」と堅苦しく、あるいは馬鹿丁寧、あるいはへり下って呼称することの反省から「患者さん」と呼ぶことに改めたとしても、通知や案内の場合は「患者様へ」というふうに改まった呼び方で患者を上に位置させてしまう。なぜ「患者さんへ」に抵抗を感じないで済ますことができないのだろうか。
医師・看護師がどのような優れた技術を持っていたとしても、彼らと患者が医療サービスを提供する側と医療サービスを受ける側として接する場合は対等であることによって、意思疎通がよりよく図ることができ、医師や看護師が持つ医療情報と患者が持つ症状の情報、あるいは病気を起こしている生活環境、親代々から受け継いでいる遺伝環境等の情報との相互伝達の自由度が高まって、よりよい治療が可能となるはずである。
言葉を変えていうと、医師・看護師=病院側と患者が対等であることによって、医師・看護師=病院の方からも、患者の方からも積極的に相互に治療に参加できる治療環境をつくり得るということである。
あくまでも一般論だが、これまでのように権威主義的に医者・看護師=病院が患者の上に位置していたときは、患者は遠慮して言いたいことを満足に言わず、聞きたいことも満足に聞かず、医師・看護師が治療するに任せてきた。医師・看護師の側も患者側からの遠慮して満足に出さない情報を基に治療を施すこととなって、結果として相互に積極的に治療に参加するといった慣習を築くことができなかったということではないだろうか。
では「患者様」と呼称を変えた医療現場に於いては上記障害が問題なく取り除かれたかと言うと、つけ上がって大きな態度を取る患者は勿論、「患者様」と呼ばれることで場違いな場所に放り込まれたという思いに駆られる患者が生じて萎縮してしまった場合、当然自己を下に置くことになって治療に必要な十分な情報の発信が期待できない障害の発生も予測され、却って「患者様」と医師・看護師=病院を下に置いたことが徒(あだ)となるマイナスが生じてもいるはずである。
いわば医師・看護師=病院側が患者を何と呼ぼうと、それが両者どちらか一方を上に置き、他方を下に置く権威主義的関係構築を結果として招く呼称であってはならず、対等な接し方を構築するに役に立つ呼称でなければならないと言うことではないだろうか。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
マスコミもその他関係者も「5月決着」は難しいと見ているが・・・
鳩山首相が7日午後、米軍普天間飛行場の一部移設先と検討している鹿児島県徳之島の伊仙、天城、徳之島の3町長と首相官邸で初めて移転正式要請の会談を行った。会談に先立って行われた7日午前の記者会見では、「誠心誠意、臨みたい」と心境を語っていたのをNHKのテレビでやっていた。
会談が始まってからは、3日前の沖縄訪問と同様に、「特に徳之島のことに関しまして、大変、島民の皆さん方にご迷惑をおかけいたしましたことを、まず冒頭、おわび申し上げたいと思います」(《普天間問題で徳之島3町長が移設要請拒否 野党から首相退陣を求める厳しい声も》FNN/10/05/08 01:02)と謝罪から入ったというが、この謝罪から入るスタイルは麻生太郎自民党末期首相が支持率の低下から自民党議員懇談会や両院議員総会で所属議員に対して、さらに昨年の総選挙遊説では有権者に対して、「私の言動とリーダーシップのなさが自民党の混乱や政治不信を招いた」と謝罪から入ったスタイルを連想させないでもない。
謝罪の次に控えていたのが首相退陣だったのだから、両者の「言動とリーダーシップのなさ」の重なりようから見て、退陣前症状のスタイルに見えないわけではない。
会談に応じた徳之島3町長は、要するに鳩山首相の謝罪にまるきり乗らなかったということなのだろう。日本人は甘いところがあるから、謝罪されるとついついその気になって相手の要求を呑んでしまいがちになるが、3町長は違った。
鳩山首相「徳之島の島民の皆さま方に、どこまでご協力をいただけるか、大変厳しい状況であることは十分に理解をいたしておるところでございますが、普天間の機能の一部をお引き受けいただければ、大変ありがたい」
3町長の最初の意思表示が島民およそ2万人の移設反対の署名を鳩山首相に手渡すことだった。
天城町・大久幸助町長「島民の民意を尊重し、断固これについては反対でございます」
伊仙町・大久保 明町長「鳩山総理のお気持ちは大変だと察しますけれども、いかなる施設もつくらせないという、私たちの民意は絶対変わることはないということを、ご理解していただいて、徳之島はぜひ断念していただきたいと思います」――
謝罪が何の効用も成さなかったという次第である。記事は、〈八方ふさがりの鳩山首相。〉と首相が置かれている状況を情け容赦もなく表現している。しかも「八方ふさがり」に手を貸している身内の言葉まで添えて。
国民新党代表・亀井金融相「辺野古の海から逃げてね、辺野古の海に帰ってくるというようなことはね、あり得ないと思いますよ」
菅副総理「わたし自身は、この問題にほとんど内閣の中でもかかわりを持っておりません」
岡田外相「県外というのはあり得ないと思うということを申し上げた。そこにこうにじみ出ているのは、(首相は)お感じいただいていることだと思います」――
離婚したばかりの女房みたいなことを言う。
民主党・渡部前最高顧問「『一生懸命頑張りましたけれども、代替地、見つかりませんでした』、『もうしばし沖縄の皆さん、辛抱してください』、それ以外にない」――
辞任を伴わなければ、言えない結論であろう。
記事は最後に会談後の鳩山首相の発言を伝えている。
鳩山首相「誠心誠意、真心を込めて尽くすということしかないと思っておりまして、私はこれからも、意見の交換をいたしていきたいと、そのように思っています」
会談前も、「誠心誠意、臨みたい」と、「誠心誠意」という言葉を使っていた。
だが、「誠心誠意」とか、「真心を込めて」とかは言葉で表して相手を納得させ得る心構えではなく、言葉に行動がついていって初めて相手の納得を得ることができる心掛けのはずである。
鳩山首相は5月4日に沖縄を訪問、仲井真知事や稲嶺名護市長と会談して「すべて県外へということは現実問題として難しい」と一部県内移設を打ち出して、それを正当化させるために「国外、最低でも県外」と言ったのは党の公約ではなく、党の代表としての発言だ、自分自身の発言に過ぎないとしたとき、鳩山首相の口からついて出る「誠心誠意」も「真心を込めて」も既に通用しない言葉となっていたのではないだろうか。
党の公約ではないことが事実であったとしても、党代表としての国民に対する約束事であり、その約束事は国民に対して自ら破棄を申し出ていなかったのだから、総理大臣になってからも引き継いでいた約束事だったはずである。
当然その約束事を破るについては、自身の実現能力の至らなさ、指導力のなさを正直に告白して謝罪すべきを、党の公約ではないことを理由とする。約束事であることを無視して、単なる個人的な発言だと逃げた。その卑劣さと「誠心誠意」、あるいは「真心を込めて」は相容れない価値観であろう。
いわば鳩山首相にとって、「誠心誠意」、あるいは「真心を込めて」なる言葉は既に“オオカミ少年”の言葉となっていたのだが、気づくだけの自省心もなく、効用もないままに使い続けている。
「辺野古の海を埋め立てることは、自然への冒涜(ぼうとく)だと強く感じている。あそこに立ったら、埋め立てられたらたまったもんじゃないと誰もが思う。現行案を受け入れるような話になってはならない」と、自分では「誠心誠意」を演じたつもりだろうが、埋め立て方式を単に杭打ち方式に変えるだけの修正案を立てていて、それを隠した発言でしかなかったのだから、「誠心誠意」とは無縁の、自分を偉そうに見せただけの自己偉大癖の言葉と化す。
記者から、「辺野古の海を埋め立てることは、自然への冒涜」の発言に絡めて、杭打ち案を含めて辺野古周辺への移設をすべて否定するのかと問われると、「政府案はまだ決めていない段階だ、決めていない段階でコメントはできない」として、直接イエス・ノーと答えることを避けている。
「辺野古の海を埋め立てることは、自然への冒涜」、「現行案を受け入れるような話になってはならない」と言った以上、イエスと答えるべきであり、ノーなら、そういったことは言うべきではなかったはずだ。ましてや「国外、最低でも県外」と、それが党の公約ではなく、党代表としての発言であったとしても、約束事であることに変わりはないのだかから、そう言っている以上、イエス・ノーを明確に意思表示すべきが「誠心誠意」ある態度だったろう。
それが4月26日。4月28日の記事で、沖縄県を訪問し、仲井真沖縄県知事と会談することを決めている。当然どういう政府案なのか、説明の用意はしてあるはずであるが、26日の記者会見では「政府案はまだ決めていない段階だ」とかわしている。
これが鳩山首相の口では言っている「誠心誠意、真心を込めて」の態度というわけである。
鳩山首相は徳之島3町長に基地受入れ拒否を受け、さらに〈15日の沖縄再訪問も地元の反発が強く、先送りとなった〉と7日付「日本経済新聞電子版」が書いていて、ますます先行き不透明になっているにも関わらず、4月6日夜、首相官邸で5月決着の意志を変えないことを表明している。
「5月末までに決めますと申し上げているんですから、それを変えるつもりはまったくありません」 (asahi.com)
ところがこの「5月末決着」、政府案自体が「正式な提案というより、まだアイデアの段階」の不完全なものだとアメリカ側から有難い評価を受けることとなった。
《首相の県内具体案 まだアイデア段階 米高官が見解》(東京新聞/2010年5月7日 夕刊)
米国防総省のモレル報道官が6日の記者会見で述べた発言だそうだ。「5月末決着」と期限を区切っている以上、この時期にきての「まだアイデアの段階」に過ぎない未完状態なのは首相の指導力の進捗状況がどの程度か示していると言える。
沖縄の反対も徳之島の反対も分かっていたことなのだから、スケジュールの組立てがなっていなかったということだろう。
同じ内容を扱った、《日本政府、アイデア段階=普天間移設問題で-米国防総省》(時事ドットコム/2010/05/07-11:58)は、鳩山首相の沖縄県外への全面移設は困難だと表明したことについてのモレル報道官の次のような発言も伝えている。
モレル報道官「問題解決に向けた日本政府内の日々の取り組みに立ち入らない。・・・・日本政府はまだこの問題を検証しており、今月末までその作業が必要であると伝えてきた」
「基地を抱える地域への影響を最小限にするよう、日本と緊密に連携している」――
いわば、「まだアイデアの段階」に過ぎない政府案を「正式な提案」とするための検証作業を終えるには5月末までかかると日本政府から連絡があった。
ということは、鳩山首相がなお拘る「5月末決着」とは、日本政府側の作業の決着――移転先地元の同意と連立政府内の合意の取付けが正体であって、日米の間で移設問題が決着することではないと言うことになる。
だが、マスコミにしても国民にしても上記文脈で首相の言う「5月末までに決めますと申し上げているんですから、それを変えるつもりはまったくありません」を把えていただろうか。
昨日のブログで、〈果して「5月末決着」は「党の公約」なのか、党代表としての発言なのか、首相としての発言なのか。国民の分からないところでそれらを使い分けているとなると、どちらなのか聞いておかなければならない。あとで、「5月末決着」は「党の公約」ではないから、首相としての個人的な発言だったとしても違約とはならないとされたら、たまったものではない。〉と書いたが、「5月末決着」が事実日本側のみの“片肺決着”で終わった場合、鳩山首相が自らの姿勢としている「誠心誠意」、「真心を込めて」なるアピールと同様に「5月末決着」にしても“オオカミ少年”の言葉であることを暴露することになる。
必要なのは言葉の丁寧さではない。言葉の丁寧さで問題解決能力を補うことはできない。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
では“腹案”とは一体何だったのか
鳩山首相が昨日(5月6日)午前の首相公邸前のぶら下がり記者会見で、自身が昨年の総選挙中に有権者に向かって訴えていた、まさしく民主党代表として訴えていた普天間基地移設の「国外、最低でも県外」は党の公約ではないと否定したという。《首相 負担軽減へ最大限努力》(NHK/10年5月6日 11時31分)記事動画からから文字に起こしてみた。
〈――国民からすると、すべての発言が場当たりのように聞こえる気がするんですが・・・・。
鳩山「場当たりな発言は一切しておりません。私は、ま、公約って言うのは党の公約。私はしかし、『国外、最低でも県外』、と言ったのは、自分自身の発言。自分自身が総理になった以上、その自分の言葉を実現したいと、思って、今日まで、政権の中で努力をしてきた、いうことです。
公約は、これは、みなさんもご案内のとおり、沖縄の負担軽減、そのための、米軍再編、それに対する見直しをしっかり行いたい、というのが、公約であります」
これを「場当たりな発言」と言わずして、何を以て「場当たりな発言」と言ったらいいのだろうか。
「自分自身の発言」とは党代表としての発言であって、単なる一候補者としての発言とは天と地の差がある。また民主党が総選挙で勝利し、政権交代が確実視されている状況にあり、当然、民主党代表たる鳩山由紀夫が総理大臣に就任することが予想されていた。そういった人物の発言である。
自分自身もそのことを自覚して、先頭に立って発言していたはずである。例え総選挙で勝利が予想されていなくても、如何なる党代表にしても、先頭に立って発言しない逆説は許されまい。党代表であるなら、余程無能でない限り、意図していようが意図していまいが、常に先頭に立った発言となる。
いわば党代表である以上、すべての発言が先頭に立った発言と看做される。例えそれが「党の公約」ではなかったとしても、党代表による先頭に立った発言であるなら、誰にしたって「党の公約」だと勘違いするに違いない。
それとも勘違いした有権者の方が間違っていたと言うのだろうか。
例えそれが有権者の間違いであったとしても、党代表でありながら、党の公約でもない「国外、最低でも県外」を先頭に立って発言した責任はどうなる。
なぜ「党の公約」でもない「国外、最低でも県外」を党代表として先頭に立って国民に訴えてきたのか。
いわば普天間移設に関しては党から離れて、単独行動を取っていたことになる。これも矛盾した話である。「党の公約」でないことを党代表の“個人的公約”として単独で実現を訴えてきた。
奇妙な話ではないか。
但し単独行動は内閣発足までで、「自分自身が総理になった以上、その自分の言葉を実現したいと、思って、今日まで、政権の中で努力をしてきた」と、内閣のトップに立ったから可能となったのだろう、単独行動をやめて、「国外、最低でも県外」の“個人的公約”を実現させるべく、「政権の中で努力をしてきた」
いわば内閣総理大臣として、鳩山内閣の首班として、「国外、最低でも県外」の実現に閣内で努力した。
このことを言い換えるなら、「党の公約」ではない、“個人的公約”に過ぎない「国外、最低でも県外」が鳩山内閣発足以降、内閣に於いて生き続けていたことを意味する。生き続いていたからこそ、「政権の中で努力」ができた。
いわば鳩山内閣に於いて「国外、最低でも県外」を「党の公約」でないにも関わらず閣内で共有し、実現に向けて共同行動を取った。
だからこそ、閣僚その他が米領グアムや米自治領北マリアナ連邦テニアン島に視察に行ったり、移設先として適確か検討したりしたのだろう。
このような経緯を説明するなら、「国外、最低でも県外」が「党の公約」ではなく、「自分自身の発言」、党代表としての“個人的公約”であったとしても、鳩山内閣の「公約」と化していたことを示す。
それをここにきて、「自分自身の発言」だとして、「党の公約」からだけではなく、党代表としての“個人的公約”であったことからも切り離す。総理大臣に向かいつつあった人間の言葉であったことからも切り離す。さらに一旦は内閣の「公約」としていたことからも切り離す。
切り離すことで、党代表として先頭に立って国民に訴えていた事実とその責任、内閣の「公約」としていた事実とその責任を抹消しようと謀る。
また「党の公約」ではないことを「自分自身の発言」とする、“個人的公約”とすることは、党代表でありながら、党の意向に反して公約違反を犯していたことを意味することになる。党代表であるにも関わらず、党の公約に反した勝手な行動、あるいは勝手な発言を繰返していたとうことであろう。
党代表であったことの資格を失い、このことの責任も負わなければならない。
党の代表としても内閣の代表としても公約違反を犯していた。公約違反を隠し、さも党の公約でもあるが如くに国民に訴えていた行為は一種の詐欺に当たる。この詐欺を避けるためには、最初から党の公約ではないが、自分としては実現したいと正直に言うべきだった。
また、沖縄県民、その他の国民は党の公約でもない「国外、最低でも県外」に騙され、踊らされていたことになる。国外を主張する社民党も、特に社民党党首福島瑞穂も踊らされていたことになる。それとも勘違いしたことと同様、踊らされた者も悪いとでも言うのだろうか。
例え悪者を沖縄県民や有権者に押し付けることができたとしても、「国外、最低でも県外」を実現するだけの政治能力もないくせに、早々に見切りをつけるべきをつけもせずに「5月末決着」と言いながら、5月末が近づくこの時期に至るまで長いこと掲げていたことになる。何という無能な首相だろうか。
果してなおも言い張っている「5月末決着」は「党の公約」なのか、党代表としての発言なのか、首相としての発言なのか。国民の分からないところでそれらを使い分けているとなると、どちらなのか聞いておかなければならない。あとで、「5月末決着」は「党の公約」ではないから、首相としての個人的な発言だったとしても公約違反とはならないとされたら、たまったものではない。
党の公約でもないにも関わらず国民の前で先頭に立って訴えた「国外、最低でも県外」を「自分の言葉を実現したいと思い、政権の中で努力してきた」と言うなら、最後まで貫抜くのが責任であり、実現できなかった場合、その責任を取って首相を辞任するのが自身の発言に対する責任でもあろう。「自分の言葉を実現したいと思い、政権の中で努力してきた」、しかし、ハイ、できませんでした、「公約は、これは、みなさんもご案内のとおり、沖縄の負担軽減、そのための、米軍再編、それに対する見直しをしっかり行いたい、というのが、公約であります」に代えて辞任しないでやり過ごすのはこれまでの経緯から考えても、無責任極まりない。
大体が3月31日に行われた鳩山首相と自民党谷垣総裁との党首討論でさも成算ありげに発言した、「私には今、その腹案を持ち合わせているところでございます」は何だったのだろう。「腹案は、現行案と比べて、少なくとも同等か、それ以上に効果のある案だと自信を持っている」とまで言い切った。当然、「国外、最低でも県外」の実現を「政権の中で努力してきた」ことと関連付けた、その成果としての“腹案”でなければならなかったはずである。
「公約って言うのは党の公約。私はしかし、『国外、最低でも県外』、と言ったのは、自分自身の発言」だと、「国外、最低でも県外」を断念したあとの“腹案”であったなら、意味を成さないことになるからだ。
いわば一部県外を以ってして、さも成算ありげな“腹案”としたのだろう。薄汚いゴマカシとしか言いようがない。
麻生太郎もひどい首相だと思ったが、麻生に優るとも劣らないひどい首相に見えてきた。ひどさの点に於いて麻生太郎と比較されるようになったらおしまいではないか。
この鳩山首相に相変わらず似た者同士の付き合いをしているのが平野官房長官ときている。
《官房長官「『最低でも県外』は党代表の発言」》(日本経済新聞電子版/2010/5/6 14:02)
6日午後の記者会見での発言だそうだ。「国外、最低でも県外」について――
平野「首相個人の発言というよりも党代表としての発言と受け止めている」
「首相個人」と「党代表」を巧妙・狡猾にも使い分けている。例え使い分けることが許されたとしても、次期総理大臣と国民に目された「党代表」として発信した発言の重さ、その責任はそれなりに負っているはずだが、そのことへの言及は無視して、使い分けで済ましている。使い分けで責任なしだとしている。
示し合わせて、あるいは阿吽の呼吸で「国外、最低でも県外」をなかったことにしようと企んでいる。
民主党の山岡賢次国対委員長が「普天間の話あるいは政治とカネの話は直接国民の生活には影響しない」と発言したことも同じ線上の責任逃れ、ゴマカシであろう。
《普天間「生活に影響ない」=沖縄の市議反発し、発言撤回-民主・山岡氏》(時事ドットコム/2010/05/06-15:31)
6日、党本部で開催の「女性議員ネットワーク会議」での挨拶の中で飛び出した発言だそうだ。
山岡「普天間の話あるいは政治とカネの話は直接国民の生活には影響しない」
6月から支給の子ども手当について――
山岡「大きな評価を得ているが、何か普天間でかき消されているような状態で残念だ。地方に行くと、普天間は雲の上のお話」
沖縄県糸満市の伊敷郁子市議から抗議の発言が出たと記事は書いている。
伊敷郁子市議「普天間問題はわたしたちにとっては生活を破壊される大きな問題だ。県民を冒涜(ぼうとく)している」
山岡「そう受け止められたら謝罪して撤回する。国会に出ている法案を生活法案と言うつもりで申し上げた」
会議後の記者会見で、
伊敷市議「民主党は国民生活が第一なのに、わたしたちは国民ではないのか」
山岡は民主党や鳩山内閣に不利な政治問題を無視、ないことにしたい思いから、子ども手当といった有利な話題で不利を覆い隠そうと強弁を働らかせるゴマカシをやらかした。
無責任の正当化そのものが強弁や言い抜け等のゴマカシでしか成り立たないから、ウソの上塗りならぬゴマカシの上塗りでしか正当化ができないという倒錯を踏むことになる。
民主党にしても鳩山内閣にしても、「政治とカネ」の問題や子ども手当の財源、高速道料金問題、天下り禁止問題、政治主導問題等、多くの政策や課題で強弁や言い抜けを用いたゴマカシのスパイラルに陥っている。その代表に鳩山首相と平野官房長官がなっている。
早くに立ち直らないと、参院選は過半数を取れないどころか、惨敗しないとも限らない。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
【裏金】「取引や交渉をうまく運ぶために表立たないで相手に渡す金銭」(『大辞林』三省堂)
あのウソつき名人が顔に現れている平野官房長官が2009年11月19日の記者会見で、鳩山内閣発足の9月16日以降、2回にわたり計1億2000万円の官房機密費を内閣府に請求、受け取っていると公表している。《“官房機密費 1億円余請求”》 (NHK/09年11月19日 12時20分)
平野「私の名前で、ことし9月と10月に官房機密費をあわせて1億2000万円を請求したことは事実だ。使いみちについては、必要があれば支出することになるが、私が責任を持って適切に判断している」
「私が責任を持って適切に判断している」と言っているが、信用できない人間が言っていることだから、“適切な判断”がどのくらい“適切”なのか、限りなく信用できない。
言っている言葉通りなら、使途が決まっているわけではないのに1億2000万円を用意したことになる。いわば9月と10月に続けて請求して合わせて1億2000万円を受け取り、内閣発足以来2ヶ月が経過しているにも関わらず11月19日現在何ら支出せずに手元に置いている。わざわざ断るまでもなく、「必要があれば支出することになるが」とは、支出の必要がなかったということだからだ。
鳩山内閣が9月16日に発足して2週間程残ったその9月の間と翌月の10月に合計して1億2000万円もの大金を官房機密費として請求、受領し、2ヶ月経過後も手付かずのままにしている。
緊急の必要に備えているのだと言われればそれまでだが、何も支出していないとはかなり疑わしい。未支出が事実だとしても、1億2000万円という金額に相当する備えは、何と何と何にといった具合に頭に描いていたはずだ。必要に応じてではなく、必要に備えて預金を下ろすなり資金を用意する場合は、誰にしたって必要と考えた用途に対応した金額を弾き出すはずだからだ。月5万円で生活している者が次月の生活資金に備えて預金を下ろす場合、10万も下ろすはずはない。
用途を頭に描き、必要だろうと弾き出して請求、受領した合計が1億2000万円。それを、「使いみちについては、必要があれば支出することになる」と後付のこととしているのはやはりどことなく胡散臭い。支出したと言えば、では、何に使ったのかと追及されることになるから、それを避ける目的の「必要があれば支出することになるが」の可能性も疑えないことはない
平野は支出した場合の公表の有無を問われて、次のように答えている。
平野「先方があることであり、適切な情報提供を受けることができなくなれば、政府の活動に障害が出て国益を損なうおそれがあるので、慎重に対応したい。総理大臣官邸や政府の運営を、1年を通じてしっかり見たうえで、公表すべきかどうかを含めて対応する。不透明だと言われるかもしれないが、シビアな判断を求められるという認識の下で対応したい」
要するに官房機密費の支出目的は「国益」を目的とした情報収集だとしている。公表した場合、「適切な情報提供を受けることができなくな」って「政府の活動に障害が出」るケースも生まれ、「国益を損なうおそれ」が生じるから、公表は「慎重に対応したい」
ところが、自民党でかつてドンと言われた、現在は議員を引退している84歳の野中広務が都内で記者団に暴露した官房機密費の使途はとても“国益”を目的としているとは言い難い、それから離れた程度の低い使途となっている。
《野中広務氏「官房機密費、毎月5千万~7千万円使った」》 (asahi.com/2010年4月30日21時42分)
小渕内閣で1998年から99年にかけて官房長官を務めていたときの経験だという。
野中広務「毎月5千万~7千万円くらいは使っていた」
この金額は平野官房長官が9月と10月の2ヶ月間で合わせて請求、受領した1億2000万円の月平均額になぜかほぼ符合する。
支出の内訳は、〈首相の部屋に月1千万円、野党工作などのため自民党の国会対策委員長に月500万円、参院幹事長にも月500万円程度を渡していたほか、評論家や当時の野党議員らにも配っていた〉と野中広務の話を元に記事は書いている。
野中「前の官房長官から引き継いだノートに、政治評論家も含め、ここにはこれだけ持って行けと書いてあった。持って行って断られたのは、田原総一朗さん1人」
無節操に誰とでも話を合わせ、簡単にヨイショする田原総一郎が断ったとは意外である。喉から手が出かかかっていながら、いいところを見せようとジッと我慢したのかもしれない。それにカネに不自由しているわけではないだろうから。
野中「政治家から評論家になった人が、『家を新築したから3千万円、祝いをくれ』と小渕(恵三)総理に電話してきたこともあった。野党議員に多かったが、『北朝鮮に行くからあいさつに行きたい』というのもあった。やはり(官房機密費を渡して)おかねばという人と、こんな悪い癖がついているのは絶対ダメだと断った人もいる」
記事が、〈与野党問わず、何かにつけて機密費を無心されたこともあった〉こととして書いた野中の暴露発言である。
新築祝いに3千万円を要求できる家の建築費は3千万円を遥かに上回る金額でなければ、要求できまい。また、いくら3千万円が新築祝いにふさわしい金額であったとしても、新築祝いにと要求されるとは官房機密費も足許を見られたものである。官房機密費がその程度の使い途(つかいみち)にしかされていないという認識が双方にあったからこそ請求できたのだろう。まさしく“国益”に見事に適う要求だったとも言える。
野中は暴露理由を次のように話している。
野中「私ももう年。いつあの世に行くか分からんから。やっぱり国民の税金だから、改めて議論して欲しいと思った」
記事は最後にこう解説している。〈鳩山政権では、平野博文官房長官が官房機密費の金額を公表しているが、その使途は明らかにしていない。野中氏は「機密費自体をなくした方がいい」と提案した。(蔭西晴子) 〉――
かく野中広務が暴露したこのような官房機密費の使途が平野官房長官が言っている「国益」を目的とした情報収集に合致しているのだろうか。元々政治三流国と名誉ある称号を頂いている日本の政治態様なのだから、上記これらの使い道が“国益”に相当する政治行為だったとこじつけることができないことはない。
多分、平野官房長官は民主党は自民党とは違うと言うだろうが、鳩山内閣発足翌日9月17日に記者会見で平野官房長官は記者から官房機密費について問われて次のように正直に答えていることからすると、とてものこと、どう逆立ちをしても自民党とは違うとは言えなくなる。
平野「そんなのあるんですか。全く承知していません」
官房機密費が国会対策や野党対策に使われていることが公然の秘密となっていて、色々と問題が生じていたことと1993年から1999年まで外務省要人外国訪問支援室長を務めていた松尾克俊が10億近い官房機密費を流用して4頭の競馬馬の購入やマンション購入に流用していた事件を受けて民主党は2001年7月に『機密費の使用に係る文書の作成、公表等に関する法律案』、略称(機密費流用防止法案)を提出、廃案となっている。
それを国民の僕(しもべ)平野某は正直に「そんなのあるんですか。全く承知していません」と言える。平野が「民主党は自民党とは違う」と言ったとしても、その正直さから見て、果してそのとおりだと言えるだろうか。
野中が機密費の使途の一つに首相の部屋に月1千万円と挙げているが、高市早苗自民党衆議員の「首相夫人が『麻生太郎前首相が入った風呂には入りたくない』という理由で、内閣官房報償費(官房機密費)から約1千万円支出して風呂場の改修工事が行われた」の事実関係の真偽を問う質問書に対して、鳩山内閣は今年2010年2月23日に 鳩山首相夫妻が首相公邸入居にかかった経費は、内装補修約218万円、就寝用の和室の床改修などで約195万円、洗濯乾燥機2台の購入などで約61万円、計474万円、「内閣官房共通費」の「各所修繕」「首相官邸業務庁費」からの支出で、「浴槽の清掃が行われた事実はあるが、『公邸の風呂場改修工事』の事実はない」とする答弁書を閣議決定している。(《首相公邸への入居費用474万円 「風呂場の改修なし」》asahi.com/2010年2月23日13時53分)
ところが、平野官房長官は3月11日になって、474万円ではなく、+「点検・清掃・クリーニング費」281万円の合計694万円だと訂正している。474万円+281万円=694万円を成立させるために洗濯乾燥機2台の購入等の約61万円を抜かしたらしい。首相辞任の際は個人用として持って帰るということで自費支払いにまわしたということなのだろうか。
《首相、公邸の「点検・清掃・クリーニング」に281万円》(asahi.com/2010年3月11日23時11分)
この訂正は、〈鳩山氏以前の自民党の3首相については「清掃費」なども合算して公表していた。〉からだという。3首相の〈入居費の総額は、安倍晋三元首相は222万円、福田康夫元首相は282万円、麻生太郎前首相は382万円。〉だと記事は書いている。
このような慣例に反して鳩山首相の入居に「清掃費」を抜かしたことの説明を平野は次のように話している。
平野「(鳩山氏の費用については)工事費についていくらかという質問主意書だったから、その部分の数字を(答弁書で)答えた」
どのような工事であっても、特に住居となると、清掃は工事の最後に行われる欠かすことのできない、工事に付帯した最重要の工程である。当然、工事費に付帯して支払われる。これは常識であろう。
平野某がこれを常識としていなかったとしても、入居に必要とした経費として公金から支払われたことに変わりはないのだから、工事費に合算を当たり前のこととしなければならなかったはずだ。
それを「工事費についていくらかという質問主意書だったから、その部分の数字を(答弁書で)答えた」とする。安倍晋三元首相222万円、福田康夫元首相282万円、麻生太郎前首相382万円と比較して鳩山首相の694万円が突出していることから、少しでも低く見せるための「清掃費」削除のゴマカシだったと取られても仕方はあるまい。
洗濯乾燥機2台の購入等の約61万円を後になって計算に加えることをやめたのも、同じ趣旨のゴマカシと見ることができないわけではない。合計したら、麻生前首相の約2倍の1千万円に近い759万にもなる。
否応もなしにゴマカシが至るところから臭い立つ。
さらに民主党政権になって約8ヶ月。ほぼ半世紀続いた自民党一党支配で見慣れた「政治とカネ」の風景のみならず、公約違反、女性スキャンダル、その他の風景がたった8ヶ月しか経っていない民主党政権に於いても直ちに再演、繰返されている濃厚な近似性からしても、官房機密費の使途に関しては自民党とは違うと言われても、あるいは「使いみちについては、必要があれば支出することになるが、私が責任を持って適切に判断している」と言われたとしても、平野みたいに正直に信じることはできないだろう。
政治の世界では多くのことが“国益”の名の元、いい加減なことが行われてきたに違いない。そして今現在も行われていることだろう。
このような思いは政治不信から発し、新たな政治不信を増殖させていく。このことに平野官房長官は力となっている。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
鳩山首相が初めて沖縄に訪問、沖縄県知事や名護市長と面会、5月4日の午後に記者会見した。その模様――
感想は質疑の途中途中で( )付青文字で簡略且つ横着に記した。
――今日は行く先々道中で、反対意見が非常に囲まれる訪問となりました。これだけ反対意見が出ていることについて総理は、どのようにお考えになっていますでしょうか。えー、また一部県内にお残しになることに変わりはないでしょうか。
(「お残しになる」という敬語表現は残される沖縄にとって有難い話ではないのだから、見当違いな使い方に思える。)
鳩山首相「ハイ、大変厳しい1日だったことはそのとおりであります。やはり、県民のみなさん、普天間の移設に関しましては、最低でも県外にして欲しいと、いう思いを殆んどの方から、伺いました。そこまでみなさんが、お考えになっているということの厳しさを改めて実感をいたしました。
ただ、私はやはり、住民のみなさんとそのようにお伺いすることができたし、来てよかったと率直に思っております。厳しかったけれども、来てよかったと。私の思いというものも、理解はなかなかいただけなかったと思います。しかし、自分として、やはり、例えば、この国の平和を考えたときに、日米同盟の将来を思うにつけ、どうしても一部は負担をまた、お願いをしなきゃならないという考え方をそれぞれ、申し上げたところでございます。
これが考え方に変わりはありませんが、ただ、なかなかご理解をいただいていないもんですから、これからも住民のみなさん、あるいは、仲井真知事さんを初め、しっかりと意見交換をしていきながら、解決をしていきたいと思っています」
――公約を覆したことの政治責任、政治的責任については、どのようにお考えですか。
鳩山首相「公約と言う言い方はあれです。私は、公約というのは選挙のとき、の党の考え方と言うことになりますが、党として、は、という発言ではなくて、私自身、オー、代表としての発言、ということで、あります。その発言の重みというのは、感じております。
(代表の発言で、「党の考え方」を述べた発言ではないから、公約ではない、と言っている。では、公約ではないとしても、党の代表として発言した責任はどうなるのか。あるいは党の代表でありながら、「党の考え方」ではないことを発言した責任はどうなるのか。どこか狂っている。
また、「発言の重み」を言いながら、その「重み」を具体化できないでいる責任に関しての発言がない。)
ただやはり、先程から申し上げておりますように、普天間の危険性の除去と、それから、沖縄の負担軽減というものを、パッケージで、考えていくときに、どうしても一部をご負担をお願いせざるを得ないというところを、これからも、しっかりと、みなさん方との意見交換の中で、模索して、解決して参りたいと思っております」
――今日は辺野古の海もご覧になりましたけれども、杭打ち桟橋方式に関しては、これは、この前おっしゃいました、「自然への冒涜」に当たらないと、お考えになっていますでしょうか。
鳩山「うん、これはまだ、今日も辺野古の海を拝見して、大変綺麗な海だと、思います。従って、私はまだ、どこにという、この件に関して、移設先を決めているというわけではありませんが、どのような状況であっても、大事なことは、環境を守ると、環境と言うものに最大限の配慮をしていく必要があると、思っております。
その一環の中で、桟橋という話が、アー、これは新聞紙上に載っている話ではありますが、まだ、それが確実になったとか、いう議論ではありません。一番大事なことは、当然、この国の環境を守りながら、平和を維持していくためにどういう解決策があるかということを、国民のみなさん全員で以て、考えていかなきゃならない。その先頭に立って、私自身が考えなきゃならんことだと思っています」
(直接答えていない。案としてその実現可能性を模索している以上、沖縄訪問もその実現可能性模索の一環なのだから、そうでなければ訪問は必要なくなる、杭打ち桟橋方式となった場合は「自然への冒涜」に当たるかどうか直接答えるのが正直な誠意ある態度というものであろう。)
――(「沖縄琉球放送」の誰とか言っていた。)総理、選挙の際にですね、「最低でも県外」ということをおっしゃって、で、県民の期待も高まったわけですが、先日は県民大会も開かれて、県民の意思というものが示されました。で、そうした中、今回ですね、エー、申し訳ないですとか、お詫びしたいですとか、あとは、その、すべて県外というのは厳しいと、いう発言が出ていますけど、エー、今回説明された、考え方ですね、そうした県民の思いに対して、応えられるものなのかどうなのか、先程名護市長からは、差別という話が出ましたけども、この辺りの整合性、をどう図っていくのかという、お考えを聞かせて欲しいと思います。
鳩山首相「先ず沖縄の県民のみなさんに、こちらにお邪魔をして、色んなお話を伺いながら、改めて、エー、もっと早く来いと、いうお気持も含めて、お詫びを申し上げに参りました。その思いが伝わったかどうかということになれば、そう簡単に、一度で十分に、伝わったとは思っておりません。
それだけに、また、みな様方と、意見交換をできるような機会を、これからも伝えたいと思っております。自分自身の、オー、気持と、それから県民のみな様方のお気持の中で、まだ乖離があることは、認めます。ただ、私は決して沖縄の、みな様方に対して、歴史的に大変な、例えば、基地を自分たちの土地を接収されて、強引に造られてしまったと、いう歴史的な事実が、あるかと思います。
そういった、アー、思いというものが強くあるだけに、沖縄の県民のみな様のご負担を、少しでも、和らげることができないかと、いう一心で、本来なら、もう、ある意味で、前政権がなさったことだからと、いうことで、昨年のうちに、結論を出してしまえば、あるいは、それで、私は終わった話にはならないと思っていますが、一つの結論は出せたかもしれませんが、私にはとても、それをやる、という、思いにはならなかった。
(「前政権がなさったこと」ことを「国外、最低でも県外」だと仕切り直しのスタートを切ったのは首相就任前の鳩山民主党代表自身である。いわば「前政権」の「結論」を自ら覆したのだから、「前政権」の「結論」で「終わった話」になるとかならないとかの問題ではない。)
それだけに、なかなか県民のみな様方にご理解いただけないですが、これからもお詫びを含めて、お邪魔をして、そして、みなさん方のご理解を少しでもいただけるうように努力してまいりたいと思います」
――総理は県外移設に難しい理由としてですね、海兵隊の抑止力の問題であるとか、日米同盟の重要性などを説いていらっしゃいました。今日はエー、そういうことになりますと、既に去年の時点で、エー、総理が最低でも県外と言った時点では、そういった認識が、言い方は悪いですが、浅かったと、県民からすれば、思ってしまうと思うんですね。その辺り、県民に対して、もう一度抑止力であるとか、日米同盟の重要性であるとか、だけで、今回県外移設はダメでしたということで十分な説明になるかどうか、そのあたりを総理はどうお考えでしょうか。
鳩山首相「私は海兵隊、というものの存在が、果たして、直接的な抑止力にどこまでなっているのかと、いうことに関して、エー、その当時は、海兵隊の存在の、そのものを取り上げれば、必ずしも抑止力として、沖縄に存在しなければならない理由にならないと思っておりました。
ただ、このことを学べば学ぶにつけて、やっぱりパッケージとして、即ち、この海兵隊のみならず、エー、沖縄に存在している、米軍の存在全体、の中での、海兵隊の役割というものを考えたとき、それがすべて連携をしていると、その中での抑止力が維持できるんだと、いう思いに至ったところでございます。
(日米の軍事専門家、あるいは軍事問題に詳しい民主党内の議員と議論を戦わせた上で、海兵隊の抑止力効果、存在意義等を煮詰めるといったプロセスを踏まなかった鳩山首相の「国外、最低でも県外」ということになる。だとしたら、「浅かった」ということだけではなく、軽率・無責任の謗りを受けることになる。)
それを浅かったと言われれば、あるいは、そのとおりかもしれませんが、海兵隊に対する存在の、トータルとしての、連携の中での重要性、というものを考えたときに、すべてを外に、県外、あるいは国外に見い出すという結論には、私の心の中でならないと、いうことであります」
(「それを浅かったと言われれば、あるいは、そのとおりかもしれませんが」とは、「私は愚かな首相かもしれません」の二の舞発言ではないのか。)
――総理、遠くにすべてを移すことは不可能な案だという発言がありました。徳之島に関して、・・・・(聞き取れない。)
鳩山首相「私はまだ徳之島の町長さん方にもお目にかかっていない段階で、あります。従って、結論は出ていない段階であります。しかし、やはり、何らかの形で徳之島のみな様方に、ご負担をお願いしたいと、沖縄のみな様方のご負担を、いくらかでも和らげるための、徳之島の活用というものにご協力を願えないかと。その中で、徳之島のみな様方のご理解をできる限りいただきたいということでありますので、これから徳之島の町長さん方にお目にかからせていただく機会がありますので、そのときに申し上げたいと思っておりまして、今ここで、結論が出ている話ではありません。恐縮です」
(鳩山首相の返事からすると、記者の質問は政府案として浮上している徳之島へのヘリコプター部隊の一部移設について聞いたのであろう。だが、「結論が出ている話ではありません」と言って、直接的な返事は避けている。順序として徳之島の町長に先に通す話ではあっても、「何らかの形で徳之島のみな様方に、ご負担をお願いしたい」という表現で徳之島案が実現可能性模索の段階にあることを示唆している以上、またそのための徳之島の町長との会談なのだから、詳しい話はできないがという断りを入れて、政府としては考えているぐらいは明らかにするのが誠意ある態度と言えるかと思うが、「国外、最低でも県外」を誤魔化して“一部県内”を正当づける沖縄訪問となっているから、ウソの上塗りならぬゴマカシの上塗りを犯すこととなって、誠意ある態度を自ら捨てることになっているのだろう。
このことはテレビのニュースで流していたことだが、稲嶺市長と会談したあとの記者会見で、「前政権よりも沖縄の負担軽減は不可欠だ」といったことを言っていたが、自らが約束した「国外、最低でも県外」を条件とした「負担軽減」とすべきを誤魔化して、前政権と比較した沖縄の負担軽減で“一部県内”を正当化し、併せて「国外、最低でも県外」を消去しようとする発言意図にも現れている誠意を欠いた態度であろう。
かくして矛盾だらけ、ゴマカシだらけの記者会見となった。)
人権抑圧国家北朝鮮の独裁者金正日(キム・ジョンイル)が厳戒態勢にお門違いにも守られ、守られるべきは北朝鮮国民のはずだが、4年ぶりの中国訪問を行った。
北朝鮮国民を飢餓・餓死に陥れ、人権を抑圧し、国民の生命・財産を守らない独裁的国家指導者を厳戒態勢で守るという逆説を以ってして中国は唯一の訪問受入れ国となっている。金正日の独裁性に何ら抵抗を感じない、それと響き合う近親性を自らの血の中に抱えているからではないのか。
両者にあるのは国民のあるべき存在性を欠いた国家の存続性のみ。
中国は今回の金正日の訪問受入れで経済援助と引き換えに北朝鮮の6者協議復帰、核の放棄を狙っているというが、6者協議に復帰することはあり得ても、復帰は経済援助を受けた単なるお返しとしての形式で終わり、核は金独裁体制を維持するお守り札となっているだろうから、その放棄は表面的に演じることはあっても、隠匿する形で保持し続けるに違いない。
中国が唯一の訪問受入れ国なのは独裁者金正日にとって自分の場所以外に行くところは中国しかないからではあるが、他に行くところがあるとしたら、絞首台とすべきだ。絞首台こそが、自らの最終訪問場所とすべきだが、その点でも北朝鮮国民を裏切り続けている。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
昨5月2日日曜日フジテレビ「新報道2001」で長妻厚労相が出演、子ども手当の効果についての討論を行っていた。要するに15歳までの子ども1人当て22年度は13000円、次年度からは予定では満額26000円の現金支給は果して少子化対策になるのか、保育所の整備といった保育サービスの充実その他の現物支給こそが少子化対策になるのではの少子化対策から見た肯定論・否定論、そして財源論から見た肯定論・否定論、経済効果から見た肯定論・否定論の遣り取りが例の如くというか、子ども手当を議論するとき、どの番組でも行われる構図で展開されていた。
ここでは子ども手当が貯蓄に回って経済効果が見込まれないとする議論に主として焦点を当てることにした。
番組は最初に年収別と子どもがいる、いないの家庭をモデルに子ども手当が支給される場合の収入の増減を弾き出して、高額所得者程有利となる構図を描いて見せた。
長妻厚労相は先ず現金支給の正当化を図るべく、日本が先進国の中で子どもにかける国の予算が圧倒的に少ないことの例として05年度の「各国の子ども関係予算の対GDP比の比較」を挙げ、それと関連付けてのことなのか、「各国出生率」をフリップで示した。
(対GDP費子ども関係予算)
日本 ――0.81%
米国 ――0.60%
カナダ ――1.60%
イタリア――1.36%
ドイツ ――2.22%
フランス――3.00%
イギリス――3.19%
(出生率・2008年度)
日本 ――1.37
米国 ――2.12(07年)
カナダ ――1.66(07年)
イタリア――1.41
ドイツ ――1.38
フランス――2.02
イギリス――1.96
長妻「現金支給も足りない、現物支給藻足りない。車の両輪として充実させていく」
98歳になって聖路加国際病院理事長で同病院名誉院長だという日野原重明「子ども手当は少子化対策にならない。働いていて、結婚して、子どもが産める状況が必要。産科が少ない・・・・」
次に子ども手当支給に所得制限がないことが否定的要素として取り上げられた。
長妻厚労相「現金支給の部分では所得制限がないが、(扶養控除、配偶者控除等の)控除をやめて、手当に振り向ける。若年者控除――15歳以下の控除は外していく。控除というのは年収の高い人程有利。絶対金額がある意味、得をする。実質的な控除をなくして、手当を支給する。セットで考えると、実質的手取りは年収の高い人程少なくなる」
要するに子ども手当を高額所得者にも所得制限なく平等に支給する代わりに収入にかける各控除をなくして、所得税に上乗せして徴収する分を子ども手当から差引きされる形を取らせて、その分子ども手当は少なくなという論法となっている。
次に長妻厚労相は2700人の子どものいる女性に聞いた「少子化対策で重視するものは何か」の2009年1月~2月内閣府調査のフリップを取り出した。
1.経済的支援措置――72.3%
2.保育所などの子ども預かる事業の拡充――38.1%
3.出産・育児のための休業、短時間労働――35.1%
4.出産・子育て退職後の再就職支援――32.9%
いわば72.3%の母親が経済的に困窮、あるいは逼迫していて、子育てに現物支給以上に経済的支援を必要としている状況にあり、子ども手当という現金支給の間違いではないことの正当性を紹介している。
そしてそのフリップに付属させた65歳以上高齢者1人を支える社会保障体制が1990年は現役世代5人であったのに対して2009年には現役世代3人となっている現状、さらに2055年には現役世代1人となる図を通して少子化の進捗状況を示し、如何に少子化対策が喫緊の課題となっているかを示唆することで同じく子ども手当支給の正当性を主張している。
ここでコメンテーターの映画監督崔洋一が異を唱えた。
崔洋一「大臣お言葉ですけれども、同じ内閣府の調査で、昨日の新聞に出ていましたけど、子ども手当全額支給になったら、どうするかと言う、そういう調査を同じ内閣府がやっていらっしゃるんだけど、そのうちの43%が預貯金にまわす。そういう結果がでている。
つまり、ここで見えることは何か。生活実感として生活安定がない限り少子化対策にはならないという一つの方向性がこの調査から見えているのではないでしょうか」
長妻「子ども手当については、かつての政権の定額給付金のような景気対策じゃない。結果的には景気によくなると思うが、預金すると確かに経済効果はないだろうが、将来子どものために貯金すると言うことで、しかもお子さんを育てるということは子ども手当を貯金をしても、おカネに色はないから、子がいるというだけで、お子さんのいない家庭に較べて、支出は多いわけです。お子さんがいるということでもうおカネを使っているわけでありまして、社会全体が子育てを応援していきましょうと、こういうメッセージで、少子化の流れを変えるというのも、一つの目的であります」
民主党のマニフェストでは需要喚起を目的の一つとしていたはずだが、その見込みが怪しくなったのか、ここでは触れていない。
確かに崔監督が言っているように、「生活実感として生活安定がない限り少子化対策にはならない」のは事実であろう。このことは子どもを産む・産まない以前の問題として、低収入の派遣社員の非婚率の高さが証明している。結婚もカネ、出産もカネ、当然子育てもカネ、カネが常に立ちはだかっている。「生活安定」こそが結婚の保証となり、出産・子育ての保証となる。
だが、夫婦の生活さえどうにか遣り繰りできれば、出産以降の子育ては子ども手当を当てにすることで計算可能となり、この場合は全額支給の月26000円が必要となるが、子ども手当が「生活安定」の一助とならないわけではないだろう。
当然のことだが、子育てという生活要素が加わっても「生活安定」の保証条件となる全額支給26000円を当てにする家庭の場合、それが半額だったり、保育所整備といった現物支給にまわすために削られた場合、子育ての計算は困難となって、出産・子育てを諦める夫婦が出てくることも予想される。
また、子ども手当を計算に入れた「生活安定」が出産を保証したとしても、それが第二子に向かう保証とはならない。子どもを預ける保育所等の現物支給が未整備の場合、第二子分の子ども手当は豚に小判の役目しか果たさなくなる。
このことは第一子の場合にも言えることだが、「生活安定」が保証されさえすれば、自分の子どもを持ち、この世に残すという本能が子どもを預けることに苦労しても、どうにか遣り繰りするのではないだろうか。
夫の収入によって「生活安定」が保証されて専業主婦でいられる場合は現物支給に関係なく2人目も設けることができる。
要するに国民の大多数を占める中低所得層に関して言うと、少子化対策に於ける「生活安定」は初期的条件でしかないと言えなくもない。
崔監督が言っていた内閣府の「子ども手当」の最も優先したい使い道を尋ねた調査を伝えている、《子ども手当 43%が貯蓄に》(NHK/10年4月30日 4時20分)を見てみる。
調査は去年11月、第1子が0歳から中学3年生までの子どもを持つ親2万4500人余りを対象にインターネットで行い、45%にあたる1万1145人から回答を得たという。
「最も優先したい使い道」
1.「子どもの将来のための貯蓄」――43%
2.「日常の生活費に補てん」 ――11%
3.「子どもの保育費」 ――11%、
4.「子どもの習い事などの費用」――10%
上の結果は、1.は生活に相当に余裕のある中高所得層、2.は生活に余裕の少ない、あるいは全然余裕のない低所得層、3.は生活に余裕の少ない中所得層、4.はかなり生活に余裕のある中所得層プラス高所得層とある程度重なっていると見ることもできる。
「子どもの将来のための貯蓄」――43%が生活に相当に余裕のある中高所得層だとするこの見方が正しければ、この43%を把えた崔監督の「生活実感として生活安定がない限り少子化対策にはならない」は内容的には正しい主張だとしても、間違えた43%の把え方とはならないだろうか。
記事は次に「貯蓄」に充てたいという親の内訳の統計を伝えている。
「貯蓄」に充てたいという親の内訳
1.保育所や幼稚園に通っていない「未就園児」を持つ親――55%
2.「小学生」の親――42%
3.「中学生」の親――29%
この傾向を記事は、〈子どもが大きくなるにつれて貯蓄の希望は減少し、習い事などに充てたいという親が増えていることが窺え〉ると解説している。
貯蓄にまわすの43%に対して、日常的生活費への補填と子どものために使うを含めて消費が合計で32%。但し貯蓄にまわす43%の親の場合でも、子どもの将来的な成長段階に応じて消費に向かう傾向が現れているということであろう。
29%は貯蓄にまわすという「中学生」の親にしても、高校無償化と言っても、塾に通う高校生活に備えたり、さらにその先の大学入学や入学以降の大学生活に備える意味の貯蓄の可能性が考えられるから、当初は貯蓄という形で寝かすことになっても、段階的に消費に向かい、一定の期間を置いて消費が循環することになるのではないだろうか。
尤も政権が変われば、政権の運命と共に子ども手当の運命も分からなくなる。
要するに43%の親が子ども手当を支給された場合、「子どもの将来のための貯蓄」にまわすからといって、社会全体で子どもを育てるという趣旨にしても経済効果にしても、また少子化対策にしてもが完全に否定できるわけではなく、「子どもの将来のための貯蓄」にまわす43%はかなり生活に余裕のある所得層であって、生活に余裕のない中低所得層にとっては消費効果も出産・子育て効果も見込める子ども手当と言うことができるのではないだろうか。
次の衆議院選挙で政権党を決めることとして、それまで国の政治を不安定とする衆参ねじれは阻止されるべき
内閣・党とも、一蓮托生、運命共同体だとして腹を括るか、同じ船に乗ることを拒否して一蓮托生、運命共同体を断るかすべし
小沢民主党幹事長が東京第五検察審査会から「起訴相当」と議決されたのは4月27日。共同通信社が全国緊急電話世論調査を行ったのが4月28、29の両日。当然、検察審査会の「起訴相当」の議決に対する国民の反応を反映している。
《内閣支持20%に急落 83%が小沢幹事長辞任を》(47NEWS/2010/04/29 16:29 【共同通信】)
鳩山内閣支持率――20・7%(4月3,4日前回調査-12・3ポイント)(鳩山内閣として30%を割った
のは初めての快挙)
不支持率――64・4%(4月3,4日前回調査+11・1ポイント)
小沢氏は「幹事長を辞めるべきだ」――83・3%(前回調査+2・4ポイント)
「続けてよい」 ――10・3%(前回調査-4・2ポイント)
米軍普天間飛行場移設問題5月末未決着の場合
「首相を辞めるべきだ」――54・4%(前回調査+7・3ポイント)(初めて過半数超え)
「辞めなくてよい」 ――39・2%(前回調査-6・1ポイント)
政党支持率
民主党 ――24・1%(前回調査-6・2ポイント)
自民党 ――18・7%(前回調査+0・7ポイント
みんなの党 ――11・5%(初めての2桁台)
政党支持率に限って言うと、みんなの党が自民党に近い“みんなの党”になりつつあると言うことなのか。尤も民主、自民に対する不人気を受けた相対的人気上昇といった側面は否定できない。
小沢一郎「起訴相当」を受けた4月30日の閣議後の記者会見での各閣僚の発言を《検察審査会議決 閣僚から発言》(NHK/10年4月30日 12時28分)が伝えている。
菅副総理兼財務大臣「小沢幹事長本人がもう少し説明することが必要ではないか。進退問題は、鳩山総理大臣と本人の判断を待つしかないが、鳩山総理大臣は小沢氏に頑張ってほしいと伝えており、その判断に従いたい」
仙谷国家戦略担当大臣「法律的な手続きに従って東京地検がもう1回捜査をするのだから、それを見守るしかない。進退問題は、一般論から言っても、本人、あるいは鳩山総理大臣との2人で判断するべき事柄ではないか」
枝野行政刷新担当大臣「参議院選挙に影響があるのは間違いない。幹事長のいちばんの役割は選挙に勝つことであり、そのことを踏まえていろいろと考えていると思う。みずからの政治家としての責任に基づいて本人が判断することだ」
小沢環境大臣「本人も驚いているという話だったが、私自身の第一印象もそうだ。検察の動きを見守っていきたい。参議院選挙に影響がないわけではないと思うが、閣僚としては、精いっぱい政策面で頑張ってばん回したい」
赤松農林水産大臣「国民がたいへん厳しい目で見ているということは、民主党として認めたほうがよい。ただ、直ちに辞めるべきだなどと、他人が言うことではなく、みずからが判断するべきことだ」
社民党党首福島消費者・少子化担当大臣「検察審査会の結論は、重く受け止めなければならない。今後は、検察側が、ほかにどういう証拠があるのか、公判を維持できるのかも含めてしばらく検討すると聞いているので、その結果を注視したい」――
参議院選挙への悪影響は記事が伝える範囲内では枝野行政刷新担当相以外は誰一人直接言及していないが、誰もが悪影響を及ぼすだろうとは認識しているはずである。悪影響を取り除く唯一の最善策は小沢幹事長の自発的辞任に尽きるが、福島社民党党首の検察の判断を待つと菅直人の首相の幹事長続投指示の判断に従うとする以外は幹事長職の進退は本人の判断だとして、直接的には誰一人辞任を求めていない。
民主党内で反小沢のトップである前原国交相は4月29日、訪門先ワシントンでの記者会見で「起訴相当」に対する自身の考えを述べている。《“小沢氏問題 参院選に影響”》(NHK/10年4月30日 12時7分)
前原国交相「検察審査会の起訴相当という議決を考えて検察がどう判断するかということもあるが、それ以前に3人の秘書が逮捕されていることについての責任はあると思う。そういう意味で参議院選挙への影響はあると思う」
「任命権者の鳩山総理大臣がどう判断されるかだと思う。あと、40年間も一線で自民党幹事長から民主党代表、そして与党の幹事長をされている方なので、ご自身が判断すべき問題だと思う」
同じ反小沢派の枝野行政刷新担当相と同じく参院選への影響に言及しているが、進退は首相と本人の判断だとしていて、やはり直接的には辞任すべきだと求めてはいない。
各閣僚のこれらの意思表示は小沢幹事長が「起訴相当」と議決された同じ4月27日に党本部の記者会見で、「私自身、何もやましいこともないので、与えられた職務を淡々と全力でこなしていくということにつきる」(asahi.com)と幹事長を辞任する意思のないことを早々に伝えたことと、菅副総理が「鳩山総理大臣は小沢氏に頑張ってほしいと伝えており、その判断に従いたい」と言っているように首相の小沢続投支持が影響した反応でもあろう。
首相は4月30日の首相官邸でのぶら下がり記者会見で参議院選への影響を認めつつ、幹事長続投容認を明らかにしている。《鳩山首相「参院選に影響ある」 小沢氏の「起訴相当」に》(asahi.com/2010年4月30日20時22分)
首相「参議院選挙に影響はあると考えるべきだ」
「(小沢氏には)頑張っていただきたい。改革の志をもった者たちが行動してきているわけだから、その思いは決して曲げてはならない」
――参院選まで小沢氏にがんばって欲しいのか。
首相「当然そうでしょう」
任命権者たる鳩山総理大臣が小沢一郎幹事長の続投を支持、小沢幹事長本人も続投意思を表明、辞任する意思のないことを示した。そしてこのような首相と幹事長の姿勢に閣僚の誰一人異を唱えていない。
いわば各閣僚が首相や小沢幹事長の前以ての姿勢に影響を受けたとしても、進退についてはそれぞれが首相プラス本人の判断を基準とした時点で、首相の続投支持判断及び小沢幹事長の辞任する意思のない判断、続投意思判断を認めていたことになる。進退は首相と本人の判断次第なのだから、首相と本人が続投と言うなら、それに従いましょうとしたということである。
このことを言い換えるなら、首相及び小沢幹事長と同じ船に乗ったということであろう。同じ船に乗った以上、内閣・党とも、一蓮托生、運命共同体だとして一致団結して腹を括るしかないはずである。玉砕を覚悟で潔く参院選に突入すべきであろう。
小沢幹事長が幹事長の座にいる限り、どうしても参院選が戦えないということなら、同じ船に乗ることを拒否して小沢幹事長の自発的辞任を強硬に求めるか、受入れられないなら、求めた閣僚は自ら抗議の閣僚辞任を行って、例え不発に終わったとしても幹事長の辞任を誘うべく行動すべきではないだろうか。
そうとでもしなければ、同じ船に乗ることを拒否することにはならない。
いわば態度をどちらか一つにすっきりとさせるべきである。
一つにすっきりとさせずに自発的辞任が期待不可能な状況にあることを認めることができないままに、同じ船に乗ることになるサインであるにも関わらず、「進退は本人の判断だ」といった雑音を様々に立てることが有権者の民主党支持離れ、支持率降下に手を貸すことになっていることに気づいていない。