――野田首相の中国反日デモ拡大、「想定は超えている」の矛盾と視点欠如の鈍感さ――
9月19日(2012年)夜のテレビ朝日番組発言だそうだ。
《首相 尖閣対応で特使派遣も検討》(NHK NEWS WEB/2012年9月20日 0時3分)
野田首相「もともと沖縄県の尖閣諸島を巡る領有権の問題は存在しないが、長期的に平穏かつ安定的に島を維持管理するために国有化するということを、再三、いろいろなルートを通じて中国側に説明してきた。ただ残念ながら十分理解されていなかったと思う。一定の摩擦は起こるだろうとは考えていたが、想定を越えている。
外交ルートでは局長級でやっており、外務副大臣も中国に行って説明した。外交ルート以外にも、さまざまなチャンネルを通じて政財界を含めて、コミュニケーションをちゃんと図っていきたいと思う。特使をどうするかも含めて検討したい」――
「領有権の問題は存在しない」が政府の態度であるなら、対外的にはどのような説明も必要とせず、日本政府の一存で決めることができる国有化のはずだが、「長期的に平穏かつ安定的に島を維持管理するために国有化するということを、再三、いろいろなルートを通じて中国側に説明してきた」こと自体が既に矛盾している。
「領有権の問題」を前提として取り得る対中国説明でなければならないはずだ。
中国が領有権を主張している以上、中国に尖閣諸島は日本固有の領土だと認めさせて初めて、「領有権の問題は存在しない」とすることができる。
だが、認めさせるべく、真正面から中国と向き合わない。
要するに「領有権の問題は存在しない」と主張することで、真正面から中国と向き合う面倒を避けている。
真正面から向き合ったなら、「領有権の問題は存在しない」の主張は崩れ去ってしまう。
この面倒回避意識が「領有権の問題は存在しない」と言いながら、中国に説明するという矛盾をつくり出している。
このような野田首相の事勿れな面倒回避姿勢と違って、「国民の生活が第一」小沢一郎代表は9月18日の記者会見で、この領土問題について次のように発言している。
小沢一郎「国民の生活が第一」代表「合意形成が難しいことは事実だが、日中両国が客観的に歴史的事実を検証して解決すべきだ」(47NEWS)
真正面から向き合うことを進めている小沢代表の方が判断能力に於いて遥かに合理性を備えている。
野田首相は中国に於ける反日デモの規模について、「一定の摩擦は起こるだろうとは考えていたが、想定を越えている」と言っているが、この視点欠如の鈍感さは如何ともし難い。
中国は尖閣諸島は中国固有の領土だと主張しているのである。中国側からしたら、中国固有の領土である尖閣諸島を、「長期的に平穏かつ安定的に島を維持管理するため」であろうと何であろうと、日本が国有化したとする視点に立つことは当然の反応であり、想定内としなければならなかったはずだ。
当然、中国領土の日本国有化は、日本から見た場合は理屈上であっても、中国側から見た場合、あくまでも日本の行動は主権侵害、あるいは領土侵略に相当する。
中国がそれ相応の対抗策を採ることは想定内としなければならない判断であろう。
だが、野田首相は判断力欠如から想定内とすることができなかった。想定外としたのは日本側の視点のみに立ち、中国側の視点を鈍感にも欠如させていたからだろう。
但し、「尖閣諸島は日本固有の領土である」、「尖閣諸島を巡る領有権の問題は存在しない」で政府の態度を厳格に首尾一貫させているなら、日本政府の一存で全て決まることであって、中国側の視点を欠如させた国有化であったとしても何ら問題はない。
中国が反発して、どのような規模の反日デモを展開しようとも、日本に対して如何なる経済制裁を課そうとも、想定外・想定内を問題とせずに、それぞれの規模に応じてそれぞれの被害を最小限に食い止める危機管理を以てして対処していくべき問題となるはずだ。
だが、日本政府の一存で決めるのではなく、中国に対して国有化の説明を「外交ルートでは局長級」で行い、「外務副大臣も中国に行って説明」では、国有化決定に尖閣諸島は中国固有の領土であると主張している中国の判断を求めていることになって、「尖閣諸島は日本固有の領土である」、「尖閣諸島を巡る領有権の問題は存在しない」の政府の態度を厳格に首尾一貫させていない矛盾を犯していることになる。
要するに口では「尖閣諸島は日本固有の領土である」、「尖閣諸島を巡る領有権の問題は存在しない」と毅然としたことを言いながら、中国側の視点からしたら中国領土の日本国有化である以上、反発は必至であって、そのことを想定内とする認識も持てずに願いどおりにいくはずもない中国の納得を得て平穏無事に事を進めようとする、毅然とは正反対の臆した態度が中国の反日デモや経済制裁等を含めて、決着のつかない平行線をつくり出すことになっているはずだ。
先ずは領有権問題の存在を認めて、「国民の生活が第一」の小沢代表が言っているように「日中両国が客観的に歴史的事実を検証して解決すべきだ」とする真正面から向き合う問題解決の時期がきていることを野田首相は、いくら認識能力を欠いていたとしても、悟るべきだろう。
2002年9月17日、小泉当時首相は北朝鮮の平壌で金正日総書記と初の日朝首脳会談に臨み、拉致を認めさせて、日朝平壌宣言に調印した。
それから昨日、2012年9月17日、ちょうど10年が経過した。
自民党総裁選候補者の街頭演説は日朝平壌宣言10周年に当たる9月17日、愛知県豊橋市で行われた。候補者の一人、当時内閣官房副長官として日朝首脳会談に臨席していた安倍晋三が10周年の9月17日に拉致問題に一言触れずにおくまい。
安倍晋三「私も小泉氏とともに平壌を訪問した。すべてのご家族が、(拉致された)お子さんの手を握りしめるまで私の使命は終わらない」(YOMIURI ONLINE)
街頭演説に集まった支持者の中から大きな拍手が起きたという。
安倍晋三は官房副長官として当時の小泉首相と共に北朝鮮を訪問、2002年9月17日の日朝首脳会談に臨席した。そこで金正日は北朝鮮による日本人13人の拉致を認め、「5人生存・8人死亡」を明らかにし、特殊機関が行ったこととして謝罪した。
そしてこの約1カ月後の10月15日、日本人拉致被害者5人の北朝鮮からの帰国を果たした。
この帰国は当初一定期間後北朝鮮に戻すとする一時帰国という形式であったが、安倍晋三は北朝鮮に戻すことを強硬に反対、一時帰国を一方的に破棄し、永久帰国へと持っていった。
勿論北朝鮮は反発したが、最終的には拉致被害者の家族の帰国まで実現させた。
尤も家族帰国の代償に食料支援の25万トンと1000万ドルの医療支援、さらに経済制裁を発動しないという約束を与えることとなった。
北朝鮮拉致認知の2002年9月17日の日朝平壌宣言締結から10年。拉致解決をどれ程進展させることができたのだろうか。
少なくとも自民党政権が崩壊する2009年8月までの約7年間、安倍晋三は自らの使命とした「すべてのご家族が、(拉致された)お子さんの手を握りしめる」場面の実現に一歩でも二歩でもスタートを切ることができたのだろうか。
特に安倍晋三は2006年9月26日から2007年9月26日まで1年間、首相を務め、その政権は拉致解決を最重要課題としていたのに対して、その1年間に自らの主導によって拉致解決進展の何らかの成果を見い出すことができたというのだろうか。
「対話と圧力」と言いながら、北朝鮮をして圧力を対話に変換させることができず、結果的に経済・金融・貿易制裁等の圧力一辺倒で推移することとなり、何ら成果を上げることができなかった。
自民党が政権の座を降りて3年。民主党対北朝鮮外交の拙劣さもあるだろうが、自民党政権が取り組み、培ったはずの拉致問題のノウハウが何ら役に立たなかった3年間でもあったはずだ。
合わせて10年が無為・無策のまま経過することとなった。
いわば、「すべてのご家族が、(拉致された)お子さんの手を握りしめるまで」としていた安倍晋三の拉致問題解決の「使命」は如何なる形を取ることもなく、10年という月日の経過のみを見ることとなった。
少なくとも自民党政権下の7年間、そのうちの首相在任の1年間は特に自らの「使命」形成に力を発揮して然るべきだったが、どのような力も発揮できなかった。
それでもなお、過去10年の「使命」実現の無力を無視して、「すべてのご家族が、(拉致された)お子さんの手を握りしめるまで私の使命は終わらない」と言う。
その発言に対して支持者が、やはり安倍晋三の過去10年の「使命」実現の無力を無視して、大きな拍手を送る。
尤も安倍晋三が最近盛んに口にしている、金正日体制からその息子の金正恩体制への権力移行を拉致解決のチャンスだとする見立てが再び安倍晋三の使命感の頭をもたげさせたのかもしれないが、外交無策であったという事実は消去不可能で、その影響を引きずらない保証はない。
このことはその打開策が何ら役にも立たず、成果を何ら見ることのなかった、従来どおりの圧力策一辺倒となっているところに現れているはずだ。日朝平壌宣言10周年を折り返し点として、再び同じ10年に向かっていく予感しか湧かない。
安倍晋三に対するインタビュー記事――《【再び、拉致を追う】小泉訪朝10年、停滞する交渉 安倍元首相に聞く 正恩氏に決断迫ること必要》で次のように発言している。(一部抜粋参考引用)
安倍晋三「金総書記は『5人生存』とともに『8人死亡』という判断も同時にした。この決定を覆すには相当の決断が必要となる。日本側の要求を受け入れなければ、やっていけないとの判断をするように持っていかなければいけない。だから、圧力以外にとる道はない。
金正恩第1書記はこの問題に関わっていない。そこは前政権とは違う。自分の父親がやったことを覆さないとならないので、簡単ではないが、現状維持はできないというメッセージを発し圧力をかけ、彼に思い切った判断をさせることだ。
つまり、北朝鮮を崩壊に導くリーダーになるのか。それとも北朝鮮を救う偉大な指導者になるのか。彼に迫っていくことが求められている。前政権よりハードルは低くなっている。チャンスが回ってくる可能性はあると思っている」――
中国が外交カードとして有効な北朝鮮のその経済の崩壊を、有効な外交カードの放棄となるゆえに座視しないだろうし、ロシアは旧ソ連から引き継いだ北朝鮮110億ドル債務のうち、約100億ドルを帳消しとする政府間協定を北朝鮮との間で結んだと、9月18日の《ロシア 北朝鮮債務大半帳消し》(NHK NEWS WEB/2012年9月18日 23時2分)が伝えている。
残り約10億ドルはエネルギーなどの分野を中心とした両国の共同事業を通して償還する形を取るという。
記事は解説している。〈ロシアは、アジア太平洋地域との経済関係の強化を目指しており、懸案の債務問題を整理することで、シベリア鉄道や天然ガスのパイプラインを朝鮮半島に延長する計画などの投資プロジェクトに弾みをつけるねらいがあるものとみられます〉――
当たり前のことだが、要するに帳消しについても共同事業にしてもロシアの国益に基づいた政策だということである。帳消しだけでも、北朝鮮経済のカンフル剤とならない保証はない上にシベリア鉄道や天然ガスのパイプラインを朝鮮半島に延長する計画はロシアの国益を賭けてそれなりに利益を見込んだ投資とする以上、北朝鮮経済に利潤をもたらす政策となり得るはずである。
いわば北朝鮮経済にとってもロシアの投資は一大チャンスである。
こういった状況の展開を見るにつけ、果たして安倍晋三が言っているように、何ら役に立たなかった従来どおりの圧力一辺倒の外交で自らの「使命」を有効な形を取らなかったことから有効な形を取るよう転換することができるだろうか。
過去に結果を出すことができなかった「使命」を、その事実に関わりなく口にし、売り込むことができる安倍晋三の神経も、このような経緯を顧みないままにその発言に大きな拍手を送ることができる支持者の感覚も、それでいいのだろうかと思ってしまう。
断っておくが、小泉首相も安倍晋三も、 2002年9月17日の日朝首脳会談での「5人生存・8人死亡」で拉致問題の幕引きを図ろうとしていたのである。
日朝首脳会談で行った日朝平壌宣言は次のように書き記している。
〈1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。〉――
9月17日の首脳会談と目と鼻の先の10月中の国交正常化交渉を視野に入れていたのである。ここには「拉致解決なくして国交正常化なし」の認識は存在していない。
逆に、言ってみれば、「拉致問題終了、国交正常化へ前進」の認識の存在しか認めることはできない。「5人生存・8人死亡」に納得し、幕引きを図ろうとしたからこそ、可能とすることができた2002年10月中の日朝国交正常化交渉再開だった。
政府が納得したのに対して国民世論は「8人死亡」に納得せず、怒り、迫ることになった「拉致解決なくして国交正常化なし」の後付けの認識に過ぎない。
当然、安倍晋三の「すべてのご家族が、(拉致された)お子さんの手を握りしめるまで私の使命は終わらない」にしても、国民世論の怒りがなかったなら、担うことにはならなかった「使命」であって、あまり偉そうに自分の専売特許のように言う資格はないはずだが、その資格を無視して偉そうに言っている。
自民党総裁選に谷垣総裁を抑え込んで立候補した、石原慎太郎東京都知事の息子、石原伸晃自民党幹事長が9月11日夜(2012年)のテレビ朝日の番組で、〈派閥の重鎮らの受けが良いため「長老支配」との批判が出ていることについて〉、次のように反論したという。
《石原氏「長老のかいらいではない」=自民総裁選》(時事ドットコム/2012/09/11-23:37)
石原伸晃「私は体育会の少林寺拳法部出身で、先輩やOBへの接し方はたたき込まれてきた。その人たちの傀儡(かいらい)になるわけではなく、話を聞いたり接したりすることを悪いと言われたら、それは間違いだ」
「傀儡」とは糸で操られて、操る者の思い通りに動く操り人形のことを言う。当然、自らの権力も意志・判断も持たず、それらは陰で操る者の権力、意志・判断に支配されることを意味する。
「その人たちの傀儡(かいらい)になるわけではなく」と言っている意味は、長老たちに支配されているわけではなく、私は私であり、彼らは彼らであるとする、相互に自立した存在として彼らとの関係はあるということであろう。
いわば自分を下に置いた上下の関係ではなく、相互に自立した水平の関係にあると。
そして、そのような自立的対人関係を学習した場として、「少林寺拳法部」を持ち出して、そこで「先輩やOBへの接し方はたたき込まれてきた」ことを経験例としている。
と言うことは、少林寺拳法部に於いても自分を下に置いた上下の関係ではなく、水平の関係を叩きこまれて、そのような「先輩やOB」との間の自立的対人関係がそのまま現在の派閥の長老に対する自身の自立的対人関係に発展していったということでなければならない。
石原伸晃が何歳から少林寺拳法を学んだのか、あるいは大学で初めて学んだのか分からないが、いずれの段階でも体育会系にありがちな厳しい上下関係がなく、その刷り込みを免れたことになる。
このような説明を素直に受け入れることができるだろうか。
そもそもからして日本社会は上が下を従わせ、下が上に従う権威主義的人間関係を基盤とし、上司対部下、先輩対後輩、男対女、中央官僚対地方役人、中央政治家対地方政治家等々の関係を上下で律している。
そのような権威主義的な上下関係が象徴的に顕著なまでに現れている場面が体育会系の先輩・後輩の上下関係なのである。
人間関係をより的確に学ぶことのできる彼の大学時代を取り上げてみる。
石原伸晃は高校卒業後、アメリカの大学に留学、慶応義塾大学文学部在籍は昭和52年4月~昭和56年3月であり、20歳から24歳までの年齢である。
既に芥川賞作家として高名な父親の石原慎太郎は石原伸晃が慶応義塾大学に入学する前年の昭和51年12月から52年11月まで福田内閣の環境庁長官に就任していて、石原伸晃の慶大1年生の時と重なる。
普通の家の普通の息子としてではなく、高名な作家であり、高名な政治家の息子として、下手には扱うことのできない、それなりの敬意を持って処遇されたはずである。
このことが幸いして、上下関係の刷り込みを免れたとしたら、親の七光りを受けた自立的対人関係となって、親の援護なくして成り立たない、見せかけの自立的対人関係となる。
いわば親の石原慎太郎を上に置いた上下関係が少林寺拳法部に作用し、石原伸晃も親の側に身を置くことで体育会系にありがちな厳しい上下関係を相殺することになった見せかけの自立的対人関係ではないかと疑うことができる。
ここで思い出すのは、多分衆議院に初立候補した時の街頭演説なのだろう、最近のテレビで放送していた出来事である。
石原伸晃「私はあの石原慎太郎の血を引く者です」
この言葉には、少林寺拳法部で学習したと言っている私は私ですという自立心を窺うことができない。全面的に親の七光りを利用しようする積極的な意思しか感じ取ることはできない。
親子の人間関係で説明すると、親の七光り利用は親と自身を水平の関係に置くのではなく、逆に親を上に置いて自身を下に置く、自立性とは正反対の権威主義性を石原伸晃自身が体現していたということである。
親の名声を自身の名声に擬(なぞら)えようとした。譬えるなら、石原伸晃は名声という点で心理的には自身を親の石原慎太郎の“傀儡”に貶めていたのである。
だとすると、「長老支配」批判に対して反論した石原伸晃の、「私は体育会の少林寺拳法部出身で、先輩やOBへの接し方はたたき込まれてきた。その人たちの傀儡(かいらい)になるわけではなく、話を聞いたり接したりすることを悪いと言われたら、それは間違いだ」の正当性は些か疑わしくなる。
大体が自身の対人関係性を証明するために体育会の少林寺拳法部を持ち出すこと自体が幼稚で、単純とか言いようがない。
「私は私です。常に自立した関係を心がけています」で説明の用を足すことができたはずだが、公党の幹事長まで勤めていながら、そうするだけの認識を備えていなかった。
〈自民党元幹事長の武部勤衆院議員(71)=北海道比例ブロック=は16日、稚内市で記者会見し、次期衆院選には立候補しないことを正式に表明した。〉ので出しで始まる、《武部氏が引退を正式表明 後援会は長男を後継に推薦》(asahi.com/2012年9月17日1時52分)記事。
小泉内閣の幹事長を務め、「偉大なるイエスマン」を自認した、あの武部勤である。
同9月16日(2012年)開催の宗谷管内連合後援会は引退を了承し、後継について秘書で長男の新(あらた)氏(42)の推薦を決めたと書いてあるが、予定の行動というわけなのだろう。
武部勤「民主党政権を許した自民党の責任は重いが、政権奪還のチャンスは迫っている。
自民党自身が改革を断行し、若い人に奮い立ってもらうことが必要。まず私が身を引いて若い人材にバトンタッチすることが重要だ。私の判断が混迷する政治に一石を投じることになれば、と決断した。
(私の後継者は)宗谷・網走の問題を共に考え、問題意識と解決策となる政策を持っているかが問われる。
政治家になるために、どれだけの経験や訓練を積んできたかを、有権者がどう判断するかだ。私は世襲を批判してきたが、候補者は公募して機会均等にやってほしい」
後段の発言を記事は、〈10年余にわたり秘書を務めた新氏への期待をにじませた。〉と書いている。
後援会が武部勤の長男の推薦することを決めたことと併せると、「候補者は公募して機会均等にやってほしい」とは言っているが、そのような形式を踏んだとしても、タテマエに過ぎず、「私は世襲を批判してきたが、息子となると別です」と言ったところか。
誰にでも、何にでも二重基準、三重基準はある。
特に政治の世界は国民との契約であるマニフェスト/政権公約でさえ、二重基準、三重基準を仕掛けて平然としているぐらいである。自身の発言を裏切ることぐらい、野田首相の「シロアリ発言」、菅直人の「米海兵隊沖縄全面撤退」発言等々を振返るまでもなく、例を挙げたらキリがないだろうが、お馴染みとなっていて、最早驚かない。
いわば過去の発言とは異なる現在の行動に、過去の発言には目を背けて自ら簡単に「イエスマン」となる政治家が多い。
勿論、世襲であっても構わない。真に優秀であるならである。ただ、対国民との関係にある以上、言行一致だけは守って貰いたいと願うのは二重、三重基準が当たり前の政治の世界では無理な注文なのだろうか。
9月2日(2012年)日テレ放送の「たかじんのそこまで言って委員会」で、〈「名場面」スペシャル!未公開映像も蔵出し…〉なるコーナーが設けてあって、2012年5月20日放送の安倍晋三登場の場面を再放送していた。
5月20日放送分も視聴していて、自身の国家主義思想に基づいて相変わらずトンチンカンな、的外れの天皇制論を披露しているなと思ったが、今回自民党総裁選に安倍晋三も立候補、もし当選して首相になった場合、天皇中心主義を内面的思想とした国家主義の教育論・歴史認識を再度刷り込む機会を与えることになりかねない危険性から、番組でのその発言をブログに取り上げ、その天皇中心主義が如何にトンチンカンで的外れであるかを解釈してみることにした。
安倍晋三「そもそも田島(陽子)さんもですね、編集長(加藤清隆時事通信社解説委員長のこと)も、いわば天皇という仕組み、天皇、皇室、当然、認めていないんだと思いますね」
田嶋陽子「そう」
安倍晋三「経緯もね。そうでしょ?そういう人がですね、どうあるべきかっていう議論をするのはあまり・・・・」
田嶋陽子「そんなことはない」
安倍晋三「(手を振って)いや、いや、いや。最後まで聞いてください。これは理性万能でもないし、合理でもないんですよ。・・・・(聞き取れない)でもないんですよ。
これは私達は軽薄だと思ってるんですよ、そういう考えっていうのは。
ですから、むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね。
この糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになるのであって、天皇・皇后が何回も被災地に足を運ばれ、瓦礫の山に向かって腰を折られて、深く頭を下げられた。
あの姿をみて、多くの被災地の方々は癒された思いだと語っておられたでしょ。あれを総理大臣とかね、私たちがやったって、それは真似はできないんですよ。2000年以上経って、ひたすら国民の幸せと安寧を祈ってきた、皇室の圧倒的な伝統の力なんですよ」
三宅久之「あのね、田島さん、安倍さんのこれだけ条理を尽くした話を、まだ分からない。これを分からないというのは日本人ではない」
田嶋陽子「話はわかるけど、正しいかどうかですよ」(以上)
そう、田嶋陽子が言う通り、安倍晋三の言っていることが論理的に「正しいかどうか」が問題となる。
安倍晋三は舌っ足らずなところがあって、全体的に発言が聞き取りにくいが、これは生まれつきの器質の問題だろうから仕方がないとしても、頭まで舌っ足らずでは首相の資格はあるまい。
【舌っ足らず】「舌がよく回らず、発音がはっきりしないこと。言葉・表現などが不十分なこと。」(『大辞林』三省堂)
天皇制は「理性万能でもないし、合理でもないんですよ」と言って、理性や合理主義からの価値づけを拒んでいるが、理性や合理主義で価値づけたわけではないその存在を国家の統治体制に組み込み、日本国憲法の第1章に置いていることを逆に証明している。
特に戦前は理性や合理主義で価値づけたわけではないその存在を国家統治の差配者としてタテマエ上、国家の頂点に立たしめていた。
ではどのような価値づけかと言うと、「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのもの」だと価値づけている。
この「日本の伝統と文化」は、「壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」と言っている以上、茶道や華道といった社会的に部分的な伝統と文化ではなく、歴史全体を通して日本国家そのものを覆う伝統と文化――国家性そのものであり、当然、皇室をその中心に常に位置させることになる。
だがである。皇室という「糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになる」としたら、国民は皇室から自立できていない後進的存在ということになる。
それ程にも情けない存在なのだろうか。
2007年5月16日の安倍首相と小沢民主党代表の党首討論でも、安倍はオハコの天皇制論を展開している。
幾つかの朝日記事から。
小沢代表「首相は『日本の国柄をあらわす根幹が天皇制』だという。首相の描く『美しい国』の根幹には天皇制がある。それが敗戦によって、占領軍によって憲法や教育制度が改変され、『美しくない国』になった。だから自分たちの手で作り直さなければならないということなのか。
国や社会の仕組みの基準をすべて天皇制に求めるという考えを私は持っていない」
安倍首相「すべて天皇中心に考えているわけではない。
日本人が織りなしてきた長い歴史、伝統、文化をタペストリーだとすると、その縦糸は天皇だ」――
戦後民主化された現代日本に於いて小沢氏の遥かに合理性を備えた発言に対して安倍晋三は天皇の存在なくして日本の歴史・伝統・文化はなく、そのような国家性を現在も引き継いで、日本国家は存在しているとしている。
このような天皇中心によって紡ぎ織られた日本の歴史・伝統・文化の国家性を背景としているからこそ、「天皇・皇后が何回も被災地に足を運ばれ、瓦礫の山に向かって腰を折られて、深く頭を下げ」たことが、被災者の多くの心を癒すことができたとしている。
そして続けて、「あれを総理大臣とかね、私たちがやったって、それは真似はできないんですよ」と言って、天皇・皇后の存在の偉大さを訴えている。
だが、この主張に合理的な正当性をカケラでも見い出すことができるだろうか。
総理大臣と天皇・皇后の役目の決定的な違いを無視した合理性を欠いた、愚かしい発言に過ぎない。天皇・皇后がいくら「瓦礫の山に向かって腰を折られて、深く頭を下げ」たとしても、瓦礫の山が片付くわけではない。
被災者の多くが心を癒すことができたとしても、精神的な足しにはなっても、腹の足し(物質的な足し)になるわけではない。
これは総理以下の政治家の役目である。
それを同次元に扱う、自らの合理性の欠如に愚かにも気づかない。
だとしても、天皇・皇后の被災地訪問が多くの被災者の心を癒した事実は事実として存在し、否定できない。それが「皇室の圧倒的な伝統の力」だとしても、歴史全体を通して日本国家そのものを覆い、国家性そのものとなっている皇室の伝統と文化だと果たして言えるのだろうか。
その答は8月20日当ブログ記事――《12年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」に見る指導者達の責任不作為 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。
〈天皇は大日本帝国憲法第1章天皇第1条で、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」、第11条で「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と、絶対権力者に位置づけられていたのである。
(中略)
当然天皇は自らのリーダーシップで臣下の意思を自らの意志するところへと纏めていく権力を示してこそ、絶対権力者の名に違わない態度となるが、逆に臣下に対してお伺いを立てる姿勢を示し、最終的には臣下の態度に従っている。
要するに後者の姿勢こそ、天皇の現実の権力を示しているずだ。大日本帝国憲法に規定された天皇の絶対者としての有効性が実際の政治権力者たちに効力を持たないとなれば、その有効性は実際の政治権力者たち以外の一般国民が対象となり、一般国民をして天皇の名に於いて国民統治を容易とする装置に過ぎないことになる。
要するに絶対者としての姿は一般国民にのみの通用となる。〉――
このことの確たる歴史的証拠を『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋・07年4月特別号)から挙げてみる。
〈昭和17年6月9日の日記の一節。〈御製(ぎょせい「天皇・皇族の作った詩文や和歌』〉天皇御下げになり。北方海戦に航母4隻撃破せられたる御趣旨の、有難き御製を遊ばされたるも、極秘事項に属するを以て、御歌所へも勿論下げず、御手許に御とめ置き戴くこととせり。〉――
〈半藤一利氏(昭和史研究家・作家)注〉「ミッドウェイ海戦の戦果は初め天皇にも敵空母4隻撃破と報告されたことが窺える記述。天皇はそれを受けていったんは御製(和歌)を作ったようである。実際には1隻撃沈しただけ。このときの御製が書かれていないのが残念である」――
大本営発表の情報操作は天皇にも及んでいた。ここには騙される存在としての天皇の姿はあっても、絶対権力者の姿はない。
いわば軍部や政治権力者たちが絶対権力者としての天皇を創り出して、その権力を一方では国民統治の絶対的装置としていたものの、天皇自身に対しては彼らにコントロールされる存在としての権力の二重性を担わせていた。
戦後の象徴天皇に於いても基本的な構造は変わらない。日本国憲法で天皇は「国政に関する権能を有しない」と規定していながら、外国に対する戦争犯罪の謝罪や友好関係の演出に内閣や宮内庁が中心となって「天皇のお言葉」を作成、それを天皇の口からアナウンスさせる天皇の政治利用を行い、国民統合の象徴という存在と政治利用に供する存在と、権力の二重性を持たせている。
前者の国民統治の装置が象徴と姿を変えた天皇に今なお機能させていて、それが被災地で地震・津波の犠牲となった死者を悼み弔う姿を見て、心癒される思いに駆られることになる。
だが、安倍晋三には天皇のこの権力の二重性という認識は一切ない。天皇主義者としたら認め難い認識であるからなのだろうが、但し自著『美しい国へ』で、「天皇は歴史上ずうっと『象徴』だった」と位置づけている。「天皇は『象徴天皇』になる前から日本国の象徴だった」と。
尤も例の如く「理性万能でもないし、合理でもないんですよ」の合理的精神を一切欠いた主張となっているのはごく当たり前のことと見做さなければならない。
容量の関係でダウンロードしたままになっている、2000年1月3日の自作HP――《「市民ひとりひとり」第7弾! 日本人はなぜ天皇を必要とするのか》で、天皇の権力の二重性を次のように書いた。
〈天皇とは何者か?
日本の歴史を『日本史広辞典』(山川出版社)を参考にひも解いてみよう。大和 朝廷で重きをなしていた最初の豪族は軍事・警察・刑罰を司る物部氏であった。
それを滅ぼして取って代わったのが蘇我氏である。蘇我稲目は欽明天皇に二人のムスメを后として入れ、後に天皇となる用明・推古・崇峻の子を設けている。
稲目の子である崇仏派の馬子は対立していた廃仏派の穴穂部皇子と物部守屋を攻め滅ぼし、自分の甥に当たる崇峻天皇を東漢駒(やまとのあやのこま)に殺させて、推古天皇を擁立し、厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子にしている。このような皇室に対する恣意的な人事権は実質的な権力者が天皇ではなかったことの証明であろう。
親子である「蘇我蝦夷と蘇我入鹿は甘檮岡(あまかしのおか)に家を並べて建て、蝦夷の家を上の宮門(みかど)、入鹿の家を谷の宮門と称し、子を王子(みこ)と呼ばせた」と『日本史広辞典』に書かれているが、自らを天皇に擬すほどに権勢を誇れたのは、その権勢が天皇以上であったからこそであろう。
聖徳太子妃も馬子のムスメで、山背大兄王(やましろのおおえのお)を設けている。だが、聖徳太子没後約20年の643年に蘇我入鹿の軍は斑鳩宮(いかるがのみや)を襲い、一族の血を受け継いでいる山背大兄王を妻子と共に自害に追い込んでいる。
蘇我入鹿は大化の改新で後に天智天皇となる中大兄(なかのおおえ)皇子に誅刹されているが、後の藤原氏台頭の基礎を作った中臣鎌足(なかとみのかまたり)の助勢が可能とした権力奪回であるから、皇子への忠誠心から出た行為ではなく、いつかは天皇家に代って権力を握る深慮遠謀のもと、いわば蘇我氏に続く実質権力者を目指して加担したことは十分に考えられる。
その根拠は鎌足の次男である藤原不比等(ふじわらのふひと)がムスメの一人を天武天皇の夫人とし、後の聖武天皇を設けさせ、もう一人のムスメを明らかに近親結婚となるにも関わらず、外孫である聖武天皇の皇后とし、後の孝謙天皇を設けさせるという、前任権力者の権力掌握の方法の踏襲を指摘するだけで十分であろう。
藤原氏全盛期の道長(平安中期・966~1027)はムスメの一人を一条天皇の中宮(平安中期以降、皇后より後から入内〈じゅだい〉した、天皇の后。身分は皇后と同じ)とし、後一条天皇と後朱雀天皇となる二人の子を産んでいる。別の二人を三条天皇と外孫である後一条天皇の中宮として、「一家三皇后」という偉業(?)を成し遂げ、「この世をば我が世とぞ思ふ」と謳わせる程にも、その権勢を確かなものにしている。
藤原氏の次に歴史の舞台に登場した平清盛は実質的に権力を握ると、同じ手を使って朝廷の自己権力化を謀る。ムスメを高倉天皇に入内(じゅだい)させ、一門で官職を独占する。今で言う、ついこの間失脚したスハルトの同族主義・縁故主義みたいなものである。その権力は79年に後白河天皇を幽閉し、その院政を停止させた程にも天皇家をないがしろにできるほどのものであった。
本格的な武家政権の時代となると、もはや多くの説明はいるまい。それまでの天皇家の血に各時代の豪族の血を限りなく注いで、血族の立場から天皇家を支配する方法は廃れ、距離を置いた支配が主流となる。信長も秀吉も家康も京都所司代を通じて朝廷を監視し、まったくもって権力の埒外に置く。いわば天皇家は名ばかりの存在と化す。
そのように抑圧された天皇家が再び歴史の表舞台に登場するのは、薩長・一部公家といった徳川幕府打倒勢力の政権獲得の大義名分に担ぎ出されたことによってである。明治維新2年前に死去した幕末期の孝明天皇(1832~1866)に関して、「当時公武合体思想を抱いていた孝明天皇を生かしておいたのでは倒幕が実現しないというので、これを毒殺したのは岩倉具視だという説もあるが、これには疑問の余地もあるとしても、数え年十六歳の明治天皇をロボットにして新政権を樹立しようとしたことは争えない」と『大宅壮一全集第二十三巻』(蒼洋社)に書いてある。
天皇家と姻戚関係を結んで権力を確実なものとしていったかつての政治権力者は確実化の過程で不都合な天皇や皇太子を殺したり、幽閉したり、あるいは天皇の座から追い出したりして都合のよい天皇のみを頭に戴いて権力を握るという方法を採用している。そのような歴史を学習していたなら、再び天皇を頭に戴いて権力を握る方法を先祖返りさせた倒幕派が天皇と言えども都合の悪い存在を排除するために「毒殺」という手段を選んだとしても、不思議はない。
明治以降実質的に権力を握ったのは薩長・一部公家の連合勢力であり、明治天皇は大宅壮一が指摘したように彼らの「ロボット」に過ぎなかった。天皇を現人神という絶対的存在に祭り上げることで、自分たちの政治意志・権力意志をさも天皇の意志であるかのように国民に無条件・無批判に同調・服従させる支配構造を作り上げたのである。これは昭和天皇の代になっても引き継がれた。実質的な権力を握ったのは明治政府の流れを汲む軍部で、彼らの意志が天皇の意志を左右したのである。軍服を着せられた天皇の意志によって戦争は開始され、天皇の意志によって国民は戦場に動員され、天皇の意志によって無条件降伏を受入れさせられるという形を取った。
いつだったか、かなり前になるが、元首相のなかそね・やすひろくんは「天皇はいつの時代も象徴天皇だった」と言っているが、天皇主義者のなかそね・やすひろくんである。「象徴」とは聞こえもいい身贔屓な表現で、「象徴」を厳しい言い方で表現するなら、傀儡(かいらい)・操り人形・ロボットと言い換えることができる。そのことは孫に当たる天皇にさらに自分のムスメを嫁がせるという、限りなく天皇の血を薄める、いわばひ孫の天皇は天皇家の血を1/4しか受け継がず、権力者のムスメの血を3/4も受け継ぐ家父長制度下の自己血族化の作業が自ずと証明している。〉云々。(後略)
安倍晋三は同じ書で、「世界を見渡せば、時代の変化とともに、その存在意義を失っていく王室が多いなか、一つの家系が千年以上の長きに亘って続いてきたのは、奇跡的としか言いようがない」と書き、続けて前出の、「天皇は『象徴天皇』になる前から日本国の象徴だった」の合理性も何もない結論に至っている。
要するに権力の二重性を“象徴”という言葉に置き換えたに過ぎない。政治権力は時代時代の実質的権力者が天皇の名の下握り、天皇は実質的権力を何ら握らない権力の象徴として存在してきたのだという意味で、“象徴”という位置づけを行ったはずだ。
時代時代の権力者が権力志向から自分の娘を天皇に嫁がせて生んだ子どもを次の天皇に即位させ、血族として天皇が担っているとする権力を実質的に発揮する二重権力構造を歴史的に演じさせてきた天皇の「家系が千年以上の長きに亘って続いてきた」としても、単に権力掌握に利用されたというだけのことで、どれ程に意味があるだろうか。
「奇跡的」どころか、時々の権力者にとっては天皇家の血が連綿と続くことが権力掌握の利用価値として必要だったに過ぎない。自身が権力を握り、国民統治を容易とするための二重構造の存在として。
要するに頭が悪いから、自身では気づいていないだろうが、安倍晋三は日本の天皇制を説明するために、情緒的解釈か神秘的解釈でしか説明不可能であるゆえに、「理性万能でもないし、合理でもないんですよ」と、理性や合理性からの解釈を排除したのである。
この程度の判断能力しかない。この程度の歴史認識しかないのである。
安倍晋三自身がいくら否定しようとも、小沢一郎氏が「国や社会の仕組みの基準をすべて天皇制に求めるという考えを私は持っていない」と危惧しているように、合理性を欠いた認識で天皇、あるいは皇室を日本の伝統・文化の中心に据えた国の仕組み・社会の仕組みを志向した場合、合理性を欠いているが故に、その一点で民主主義や国民個々の基本的人権を危険に曝す恐れは決して否定できまい。
当然、再度日本の首相にすることは危険極まりないということになる。
現在以上に頭を良くしてから、期待不可能だが、出直すべきだろう。
「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土」であって、「解決すべき領有権の問題は存在しない」というのが日本政府の立場である。
8月10日(2012年)の李明博韓国大統領竹島訪問、さらに8月15日の香港の民間団体活動家の尖閣諸島・魚釣島上陸を受けて、8月24日、野田首相は竹島・尖閣諸島に関して首相官邸で記者会見を開き、尖閣諸島について日本政府の立場に添って発言している。
野田首相「なお、尖閣諸島については、歴史的な経緯や状況が竹島とは異なり同一には論ずることはできませんが、これもまた、日本固有の領土であることに疑いはありません。そもそも、解決すべき領有権の問題が存在しないという点が大きな違いです」
「解決すべき領有権の問題が存在しない」と断言している。
野田首相は香港民間団体活動家尖閣諸島・魚釣島上陸問題のみならず、政府による尖閣諸島国有化に関わる中国の反発も考慮してのことだろう、胡錦涛中国主席宛の親書を山口壮外務副大臣を訪中させて、8月31日、中国側に手渡している。
親書の内容は山口副大臣自身を情報源として、《山口外務副大臣、中国主席宛ての親書手渡す》(YOMIURI ONLINE/2012年8月31日18時57分)が伝えている。
〈1〉今年が日中国交正常化40周年にあたり、戦略的互恵関係を深化させていくことが重要
〈2〉日中関係を円滑に発展させていく観点からも、政治レベルを含むハイレベルでの緊密な意
思疎通を行っていくことが有意義等々――
9月13日、山口外務副大臣は記者会見している。その発言を二つの記事から見てみる。
《中国への事前説明不十分、尖閣国有化で外務副大臣》(MSN産経/2012.9.13 19:12)
山口壮外務副大臣(尖閣諸島国有化について)「なぜもっと事前に(中国側に)説明を重ねなかったのか、自戒の念も込めて思っている」
記事解説。〈日本政府による中国側への説明が不足していたとの認識を示した。〉
野田首相親書を手渡した8月31日の戴秉国国務委員らと会談した際の尖閣国有化の説明について――
山口壮外務副大臣「私からは相当(日本側の考えを)言った。私以上のレベルの外相なり首相なりで、もっともっと説明しておくべきだった」
記事締め括り。〈政府が国有化の目的を「平穏かつ安定した維持・管理」のためとしていることに関して、「普通の日本人が聞いても分からない」と述べ、政府として国民的な理解を得る努力を払う必要との考えを示した。〉――
《日中緊迫、外交で解決を=「軍人が出ないように」-山口外務副大臣》(時事ドットコム/2012/09/13-19:32)
山口壮外務副大臣「(尖閣諸島国有化をめぐる日中関係について)「かなり緊迫しているし、もっと緊迫しかねない。外交官で話をつけ、軍人が出ることはないようにと考えている。
外相や首相のレベルでもっと説明をしたかった。所有権を(国に)移す処理が、(石原慎太郎)都知事が買おうとすることに対して、(より)良いと、よく説明した方が物事はスムーズにいった」
野田首相が言うように「尖閣諸島については解決すべき領有権の問題が存在しない」を外交的事実としているなら、その事実に厳密に則った外交的対応を採用しなければならないはずだ。
それができなければ、外交的事実は崩れる。
「尖閣諸島については解決すべき領有権の問題が存在しない」を外交的事実としているなら、国有化に中国に対する説明をなぜ必要とするのか。
「領有権の問題は存在しない」を外交上の立場としていながら、「私以上のレベルの外相なり首相なりで、もっともっと説明しておくべきだった」と、国有化の了承を中国に対して求めようとしている。
この態度は「尖閣諸島については解決すべき領有権の問題が存在しない」の外交的事実を崩す態度であり、と同時に中国に対して日本を下に置く態度ともなっている。
山口外務副大臣は尖閣諸島には日中間に解決すべき領有権問題が存在することを認めたということである。
これは内閣不一致なのか、それとも「尖閣諸島については解決すべき領有権の問題が存在しない」はタテマエに過ぎず、尖閣沖中国漁船衝突事件での中国人船長逮捕時に見せたように実際には中国の反発と圧力を受けるたびに恐れ慄いた迎合的態度で中国と向き合っていて、それが政府全体の姿勢となっているところへ持ってきて、その一端を山口外務副大臣が図らずも露見させてしまったということなのだろうか。
中国自体は領有権の問題は存在するとしている。日本政府もそのことを認めて、堂々と渡り合うべきときが来ているのではないだろうか。
堂々と渡り合うことが出来ず、「尖閣諸島については解決すべき領有権の問題が存在しない」を逃げの手に使っているようにしか見えない。
沖縄米軍アメリカ軍普天間基地配備計画の最新型輸送機オスプレイが9月6日夜、米南部ノースカロライナ州基地から5キロ離れた市街地のレストランや教会の裏の空き地に緊急着陸した。
原因は米海兵隊がNHKの問い合わせに対して、「飛行中に操縦席内の計器が直ちに基地に戻るよう求める警告の表示を示したため、パイロットの判断で、安全を最優先に、あくまでも予防的な着陸を行った」と説明したという。
計器は5キロ先の緊急の基地帰還を指示していたが、パイロットの判断は、要するに実際の操縦の具合から5キロ飛行する余裕を感じることができなくて、市街地ではあったが、着陸可能な空き地を発見して緊急着陸の安全性を最優先したということになる。
このこと自体が機体のどこかに異変が生じていたことを示しているが、計器が緊急の基地帰還の警告表示を出したことそのものが既に機体に異変があったことの反応でなければならない。
では、どのような異変なのか、次の記事が伝えているが、直接的な関係者の「原因は調査中」だとしている発言も紹介している。
《オスプレイ:「エンジン出火」海兵隊筋が証言》(沖縄タイムズ/2012年9月9日 09時47分)
沖縄タイムスの取材に対して複数の海兵隊筋が証言したという。
海兵隊筋「エンジンから出火したため、すぐに着陸する必要があった。事故につながる可能性もあったが、操縦士の適切な判断で着陸できたため、機体に損傷もなかった」
2010年のアフガニスタン墜落事故調査委員長を務めたドン・ハーベル元空軍准将。
ドン・ハーベル元空軍准将「計器(異常)の点検など、危険性の低い予防着陸の場合は、基地への帰還が可能だ。
緊急着陸が必要となる原因は、出火またはエンジン故障のいずれかだ。今回は、基地が目前にあるにもかかわらず、住宅地の空き地に着陸していることから、二つのエンジンが故障した可能性もある」
米国防総省国防分析研究所(IDA)アーサー・リボロ元主任分析官は、オスプレイのフライトマニュアルの「予防着陸」には三つのケースが明記されていると指摘。
アーサー・リボロ元主任分析官「(今回のケースは)安全上の懸念が伴うもので、近くの畑や道路、校庭などにできるだけ早く着陸する(ケース)。
米本土の基地と立地条件の違う普天間飛行場周辺で、こうした緊急着陸の場は確保されているのだろうか」
ウルフ米海兵隊司令部広報官(大尉)(沖縄タイムズに対して)「今回の緊急着陸は、できるだけ早く基地に帰還する必要を促す警告表示が点灯したため、安全を優先し、予防的措置として空き地へ着陸した。原因は調査中。
(緊急着陸の回数などデータの開示には)そのような統計はない」
米海兵隊司令部広報官は「原因は調査中」と言って、未だ不明の状態にあるとしているのに対して、複数の海兵隊筋は原因はエンジン出火だと証言している。
どちらが事実を証言しているのか分からないが、何らかの機体の異変を原因としていることは否定することはできない。
9月11日、沖縄県を訪れた森本防衛相が、その原因を仲井真沖縄県知事に伝えた。《オスプレイ緊急着陸 車の不具合と同じ 防衛相》(沖縄タイムズ/2012年9月12日 10時05分)
原因は熱交換機からの油漏れだと伝えたという。
森本防衛相「車を運転するときに、警告灯がついたので道の脇に止めてチェックしたことは、必ずしも事故と言わないのと同じようなもの」
仲井真知事「熱交換機がオーバーヒートというのは大変だ。そうは、軽くない」
森本防衛相「軽くはないが、事故とはいえない」
森本防衛相は仲井真知事と会談後、佐喜真淳宜野湾市長と面談。終了後、記者会見に応じている。
記者の質問とその質問に対する森本防衛相の発言は、《緊急着陸は「自転車の押し歩き」 森本防衛相》(沖縄タイムズ/2012年9月12日 10時42分)に依る。
記者「緊急着陸は車を路肩に止めて調子をみるようなものだと発言した」
森本防衛相「自転車に乗っていて、ちょっと天候が悪くスリップがしやすいときには、自転車を降りて押して歩く。そういう措置をわれわれは日常生活の中でやっている。それを事故とは言わない」
記者団に語ったこの発言をその場で直接聞いたのか、あとから聞いたのか分からないが、佐喜真淳宜野湾市長が次のように発言してる。
前の記事から。
佐喜真宜野湾市長「自転車と違ってオスプレイは万一、事故、不時着が起これば大惨事につながりかねず、自転車と例えるとはいかがなものか」・・・・・
森本防衛相は熱交換機からの油漏れを原因としたオスプレイの緊急着陸を、「車を運転するときに、警告灯がついたので道の脇に止めてチェックしたことは、必ずしも事故と言わないのと同じようなもの」だと譬えた。
確かに車のそのような場面は「必ずしも」どころか、全然「事故と言わない」
だが、果たして結果は常に車と同様の場面を迎える得るという保証をオスプレイの緊急着陸に与えることができるだろうか。
停車を必要とし、それが可能な車の不具合、あるいは故障の場合、点検するための停車地を、「道の脇」等、地面続きでどこにでも確保できる。
だが、飛行機やヘリコプターが緊急着陸を必要とする、熱交換機からの油漏れ等の機械の不具合、故障、いわば機体の異変が生じた場合、緊急着陸地を空中続きでどこにでも確保できる保証を常に背負っているわけではない。
緊急着陸を必要とするということは直ちに着陸しなければならない機体の状況にあるということだろうから、時には緊急着陸に適当な空き地を見つけることができなくて、民家に突っ込んだりする場合もある。
今回の緊急着陸が事故ではなくても、車の警告灯がついたのとは違って、簡単に事故に変わり得るということである。
このことを無視して、車の事故ではない譬えを持ち出して、オスプレイを同列に扱う強弁を働かせている。
この強弁は事実の歪曲そのものである。
自転車の“押し歩き”の譬えも事実の歪曲そのものである。決して自転車の“押し歩き”程には些細な出来事であるはずはないにも関わらず、自転車の“押し歩き”という、「事故とは言わない」些細な出来事を譬えに持ってきて、オスプレイの緊急着陸まで、「事故とは言わない」些細な出来事と思わせる狡猾な牽強付会を演じているが、事実の歪曲なくして成り立たない牽強付会の譬えであろう。
自転車の“押し歩き”という「措置をわれわれは日常生活の中でやっている」とまで言って、オスプレイの緊急着陸を平穏無事なことのように思わせようとしている。
森本防衛相はなぜこのような強弁、牽強付会の事実の歪曲を働いてまでして、オスプレイの緊急着陸を事故ではない、些細な出来事と思わせようとするのだろうか。
答は一つ。配備を既成事実としたいがための国家意志優先が働いているからだろう。
配備を既成事実とするためには事故や故障を小さく見せなければならない。
民間人であったが、防衛相に就任してから、国家意志の下僕(しもべ)と化した。
評論家だけあって、言葉の使い方、譬えは巧みだが、事実を歪曲してまで国家意志を通そうとする狡猾さは卑怯であり、下劣である。
ロシアのウラジオストクで開催のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議出席のため当地を訪れていた野田首相が首脳会議の全体会合開始前に尖閣諸島日本国有化方針で関係が険悪化、正式会談が見送られた中国の胡錦涛主席と非公式の立ち話で15分間言葉を交わしたという。どういった言葉を交わしたのか、「近いうちに一杯やりましょう」と野田首相が問いかけ、胡錦濤国家主席が「近いうちにとはいつのことなのか」と問い返したといった類いなのか、次の記事から見てみる。
《首相 日中関係は大局的観点で》(NHK NEWS WEB/2012年9月9日 16時9分)
この記事には書いてないが、野田首相が9月9日首脳会議閉幕後、記者団に明かした内容だという。
野田首相は先ず9月7日発生の中国南西部雲南省の地震被害についてお見舞いを述べた。
次いで沖縄県の尖閣諸島問題等を巡って悪化している日中関係について次のように話しかけたことを明かしている。
野田首相「中国の発展は、日本や、この地域にとってもチャンスだ。ことしは日中国交正常化から40年にあたることもあり、戦略的互恵関係を深化させたい。現在の情勢には、大局的な観点から対応したい」
記事が伝えている野田首相の15分間の立ち話での会話内容はこれだけである。他の記事も似たり寄ったりとなっている。
記事解説も、〈政府が尖閣諸島を国有化する方針を示して以降、日中両国の首脳が直接、会話したのは、今回が初めてです。〉と伝えているのみで、後は首脳会議の場で隣り合わせに席を取った李明博韓国大統領と交わした言葉を伝えて記事を締め括っているのみである。
野田首相「北朝鮮を巡る問題などもあり、日韓両国はしっかり連携していかなければならない。大局観に立った2国間関係を構築していこう」――
他の記事と照らし合わせてみても分かることだが、要するに李明博大統領に対してと同様に野田首相の方から胡錦涛主席に声をかけた。
そして野田首相は自分から話しかけた言葉だけを日本の記者団に対して情報公開したのみで、いわば国民に対する説明責任を果たしたのみで、野田首相のそれぞれに向けた話しかけに対して相手側がどのような言葉で応じたのか、賛意、もしくは同調を示したのか、反論したのか、野田首相は記者たちに明かさなかったことになる。
これは情報公開、あるいは国民に対する説明責任としては片一方に偏り過ぎていないだろうか。
胡錦涛主席が野田首相の話しかけに対してどう応じたのか、野田首相自身の口からではなく、日本のマスコミが中国のマスコミの胡錦涛発言報道を紹介することで知ることになる。
《尖閣:首相「大局的に対応」 胡主席、国有化の撤回要求》(毎日jp/2012年09月10日 13時12分)
先ず上記記事と同趣旨で野田首相が尖閣諸島国有化に関しての中国反発を視野に「大局的な観点から対応したい」と呼びかけたことを紹介。
次に中国国営通信機関新華社の報道を引用する形で野田首相の呼びかけに対する胡錦涛主席の応答を伝えている。
胡錦涛主席「日本側による島の購入はいかなる方式であっても不法、無効であり中国側は固く反対する。
日本側は事態の重大性を十分に認識すべきで、誤った決定をせず、中国と共に中日関係発展の大局を守るべきだ」
「MSN産経」記事によると、この胡錦涛発言は中国外務省が新華社を通じで公表したもので、その後、削除した記事と差し替えたが、再び復活したという。
なぜ野田首相は自分の発言だけではなく、問いかけに対して胡錦涛主席はこう答えたと公表をしなかったのだろうか。
また、記者たちは野田首相の問いかけに対して胡錦涛主席はどう答えたのか、その場で質問したのだろうか。
質問したのかどうか不明だが、何れにしても野田首相は自分の発言だけを記者たちに伝えて、胡錦涛発言を公表しなかった。
それとも、記者が問い質したのに対して、中国側が公表するだろうからと答えたのだろうか。
野田首相にとって、中国側の公表に任せるメリットが一つある。
胡錦涛主席が立ち話で口にしなかった言葉を報道機関を通じて、さもそのように話したかのように公表した場合、国家の信用問題に関わるから、ほぼ同じ言葉遣いで公表したことを前提とすると、胡錦涛主席の反応に対する野田首相の反応を隠すことができるメリットである。
特に胡錦涛主席の強い反発に野田首相が驚いて、満足に受け答えができなかったとしても、その失態を国民に知らせずに済む。
但し自身の不都合を知らせないというのは一種の情報操作に当たる。
我々国民が一番知りたいことは胡錦涛主席の反発に対して野田首相が即座にどのような言葉で日本の立場の正当性を伝えたかである。
その判断能力によって、外交を任せることができる首相であるかどうかが判定できるからである。
「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土であり、中国の主張は受け入れることはできない。この問題で日中関係全般に悪影響を与えることは日中の政治・経済のみならず、世界の政治・経済の安定を欠く要因となりかねないために避けなければならない」とでも答えたのだろうか。
まさか相手に言わせっ放しで一切反論せず、ニタニタ笑いを浮かべて終わりにしたわけではあるまい。
あるいは顔を引きつらせてその場を過ごしてしまったというわけではあるまい。
我々は野田首相の主張に対する胡錦涛中国国家主席の反論を中国の報道を引用する形で日本の新聞で知ることができた。だが、胡錦涛主席の反論に対する野田首相の再主張を中国の報道からも日本の報道からも知ることができず、全て藪の中である。
野田首相の資質に関わる知りたいと欲している事実が知っている当事者である野田首相から一切伝えられない。
果たして自身の不都合を隠す情報操作はなかったのだろうか。
昨日9月10日(2012年)午後3時からNHK総合テレビが都内のホテルで行われたという民主党代表選立候補者4者による共同記者会見を生中継した。
政権の舞台から退場濃厚な与党の代表選共同会見である。だが、発言は政権与党の立場からの物言いで、その落差に何を聞いても虚ろに聞こえた。
譬えるなら、現在の立場での明日はないのに、現在の立場での今日の続きを明日に向けて広げる話を聞いているようなものである。
明日がないのは今月9月7日~9日調査のNHK世論調査が証明している。
内閣支持率
「支持する」31%(前回比+3ポイント)
「支持しない」53%(前回比-3ポイント)
「支持する」31%は5か月ぶりの30%台回復だと書いてあるが、内閣維持危険水域ギリギリの31%であるばかりか、次期衆院選後の政権枠組みに関する問いが、「自民党の望ましい連携の在り方」となっている。
このことはどの政党も過半数獲得不可能で、自民党第1党を予測した、いわば民主党を第1党から外した政権の枠組みに関わる問いかけということであって、政権の継続性が断ち切られるだろう状況を見越した世論動向の検証であるはずである。
「自民党の望ましい連携の在り方」
「民主・自民・公明の3党での連携」17%
「大阪維新の会との連携」16%
「どちらともいえない」57%
野田首相は党代表の再選が確実視されている。しかも現職の首相としてその意識のまま発言しているから、悲観的な政権の継続性に反することになって、なおさらにその発言は滑稽に響く。
野田首相の発言を、《民主代表選告示 共同会見で4人が決意》(NHK NEWS WEB/2012年9月10日 17時41分) から見てみる。
発言内容は、《民主代表選告示 共同会見で4人が決意》(NHK NEWS WEB/2012年9月10日 17時41分)
野田首相「社会保障と税の一体改革という大きな山を乗り越えることができた一方で、多くの離党者が出て、いまだに傷跡が残っている。こうした厳しい現状を乗り越えて党の再生を図り、引き続き日本再生に向けてしっかりと取り組みを強化するために、中途半端に政権を投げ出すわけにはいかない」
政権の舞台から退場濃厚な状況にあるにも関わらず、「中途半端に政権を投げ出すわけにはいかない」と、かくかように政権の継続性を前提とした発言となっているが、国民の選択が他の党に向いている情勢にあることを前提とした場合、この逆転性は何とも虚しい。
「社会保障と税の一体改革という大きな山を乗り越えることができた」と言っているが、9月7日首相官邸記者会見では次のように発言している。
野田首相「私には、こうした国政の重要な諸課題を中途半端な形で放置することはできません。この未完の一体改革や道半ばの震災復興をはじめ、日本が抱えている残された課題とこれからも格闘し、克服していきたいと思います」
この発言も政権の継続性を前提としているが、「社会保障と税の一体改革」についてはここでは「未完の一体改革」と言っている。
「未完の一体改革」でありながら。「大きな山を乗り越えることができた」とはどういうことなのだろう。
要するに消費税増税率と増税時期を決めたことを以って「大きな山を乗り越えることができた」ということでなければならない。
社会保障改革を後回しにして、あるいは政権交代が生じた場合、野田政権が望んだ形での社会保障改革が完成するかどうかも先行き不透明であるというのに、「大きな山を乗り越えることができた」と言うのは状況を見る目、判断能力を欠いているからに他ならない。
3党合意の取り扱いや次の衆議院選挙の時期について。
野田首相「民主党の代表選挙と自民党の総裁選挙を経たあとも、3党合意をお互いに尊重しながら知恵を出していくべきだ。『近いうち』は文字どおりで、それ以上でもそれ以下でもない。衆議院選挙の時期について、特定の時期を明示することをしてはいけない」
要するに政権の継続性が確実視される状況にあったなら、直ちに解散・総選挙に打って出るだろうが、逆の状況にあるから、「それ以上でもそれ以下でもない」という、時期不明とする口実を前以て用意して、「近いうちに信を問う」とする曖昧模糊とした約束を持ち出し、谷垣自民総裁を籠絡したということなのだろう。
勿論、籠絡される方も悪い。
TPP=環太平洋パートナーシップ協定への対応に関して。
野田首相「高いレベルの経済連携をアジア太平洋地域で実現することは、国益になる。貿易立国、投資立国でやってきた日本が、もう一度ブラッシュアップするチャンスだ」
野党転落が確実視される中、与党としてのTPP関与は限りなく外野席の中からということになる。だが、政権の継続性に立った、政権与党の立場からの物言いとなっていて、いくら立派なことを言おうとも、虚ろにしか響かない。
尤もこの空虚感は以上の意味からだけではなく、抽象的な物言いでのバラ色の約束はもう飽き飽きとしていることからも加味された空虚感でもあるはずだ。
TPPに参加したら、日本農業は壊滅的打撃を受けることはない、政策投資によってこのように維持・活性化される、国民の暮らしはこのように向上すると具体的な数値を使った約束が必要な時期となっていて、そのように具体的に約束することが国政を担うものの責任であろう。
だが、今以て抽象的な物言いのバラ色の約束に終始していて、政治の責任を果たしていない。
このことは政権の継続性よりも重大な問題であるはずだ。
野田首相は常日頃から、「決めることのできない政治からの脱却」、「決める政治」を言っているが、この共同記者会見での発言も、「決める政治」を前提としたそれぞれの約束である。
いわば政権与党を継続してこそ言える約束事となるが、政権の継続性が困難な現在の状況下ではカラ約束に過ぎない。例え連立のおこぼれに与って与党の一角を占めることになったとしても、主体的に決める位置を確保することは難しい。
このことは3党合意そのものが証明している。与党の位置につけていながら、消費税増税は成功したものの、参院の力関係の影響を受けて、社会保障関連では先送りや後退、断念を強いられて、与党として主体的に「決める政治」とはなっていなかった。
与党の立場にいながら、この状態であったのだから、当然、「民主党の代表選挙と自民党の総裁選挙を経たあとも、3党合意をお互いに尊重しながら知恵を出していくべきだ」としても、主体的立場からの知恵の提供は限りなく困難となる。
繰返しになるが、政権与党の舞台から退場濃厚な状況にあるにも関わらず、野田首相の首相を維持することを前提とした発言はただただ虚しいばかりであった。虚無感さえ催した。
細野豪志の社会全体にパニックが起こることを懸念してSPEEDIを未公開としたとする発言に窺うことのできる国民の生命の安全を守る危機管理意識欠如から、民主党代表選に立候補する資格はないし、ましてや首相になる資格もないと、9月7日当ブログ記事――《野田首相、細野環境相に民主党代表を務める資格なし》に書いた。
主として党内の若手から党代表選立候補を要請されて、一旦は真剣に考慮する姿勢を見せたものの断念、野田首相に対する支持表明で幕を閉じることになったが、その立候補断念理由発言を見て、やはり代表にも首相にも向かない、その資格のない政治家であると確信を深めた。
《【民主代表選】不出馬の細野氏「41歳で経験不足」と説明》(MSN産経/2012.9.8 18:03)
9月8日(2012年)の茨城県日立市での講演。
細野環境相「41歳で12年しか国会議員を務めていない私が党代表になり、首相になるのは、通常では考えられない。
悩みに悩んだが、福島をはじめ被災地には厳しい問題があり、猶予できない状況だ。
(野田首相を再選支持する考えを示し)素晴らしい資質を持った政治家だ。
(代表選での被災地に関わる主張について)被災地に手を差し伸べ、元気な日本にしていこうという呼び掛けが必要だ」
記事は最後に、「元気な日本にしていこうという呼び掛けが必要だ」という発言を紹介しているが、政治にとって最早掛け声の時期は過ぎ、何をどうするか、何が不足か、それは正しい方法なのか等々、一つ一つ検証しつつ、改めるべきは改め、推し進めるべきは強力に推し進めて、復興完遂の具体化を図っていく時期に差し掛かっているはずである。
いわば、「元気な日本」を取り戻す過程に着実に邁進しているのかどうかを、復興担当の政策実務者の一人として問題としていなければならない時期であるにも関わらず、今以て呼びかけに目を向けている。
この判断能力の錯誤一つを取っても、とてもまともな考えの出来る政治家には思えない。
細野は、「41歳で12年しか国会議員を務めていない私が党代表になり、首相になるのは、通常では考えられない」と言っている。
経験や知識が年齢や勤務年数に応じた獲得事項であるなら、言っていることは正しい。同じ年齢の人間が同じ経験を同じ年数経たとしても、同じ知識や同じ技能を獲得するわけではないのは極々当たり前の常識である。
同じ経験から、何をどう学んで自身の知識とし、その知識を次の経験にどう応用し、活用するかで、その人間の能力や創造性は決まってくる。
経験から自身が必要とする知識や創造性を読み取る能力を欠いていたなら、何年国会議員をしていたとしても、どう歳を取ろうとも、ごく普通の政治家であることから一歩も出ることはできないだろう。
だが、細野は年齢と国会議員としての勤務年数で以って自己の能力を測り、経験不足だとしている。あるいは創造性不足だとしている。知識不足だと言っている。
「大阪維新の会」橋下徹代表は1969年6月29日生まれの43歳。大阪府知事を3年8カ月務め、大阪市長を8カ月少々務めているだけだが、国政レベルの自らの政治集団の組織を予定し、その党代表を務め、次の衆議院選挙で一大勢力を築こうとしている。
橋下徹と比較したら、細野は2歳年下であっても、12年の長きに亘って国会議員をしている豊富な経験を抱えていることになる。
だが、その豊富な経験が党代表としての、あるいは首相としての知識や能力・創造性に役立たないと見做している。
このことが事実とするなら、橋下徹にしても党代表としての資格も、衆議院選挙に組織下の党員を立候補させる資格もないことになる。
経験や知識、能力を年齢と議員歴で測るから、こういった合理性のない、矛盾した考えを尤もらしげにに披露することになる。
また政治はトップリーダーが一人で行うものではない。チームプレーである。自身が経験不足と思うなら、それを補う人材を党役員・閣僚に用いいれば補うことができる。「最善かつ最強の布陣」(野田首相)の布陣と言って内閣を組織しながら、ボロを出して早々に首のすげ替えをやらかしているようでは内閣の長としての判断能力を疑われることになる。
かくかように必要な資質は先ずは的確な合理的判断能力であって、その能力が指導力を保証することになる。年齢でも、経験年数でもない。
満足な判断を下すことができなければ、指導力は発揮しようがなく、指導力が満足に発揮できなければ、どのようなトップであっても、組織を満足に指導・運営することはできようがない。
党代表の資格、あるいは首相の資質に年齢と国会議員としての勤続年数を持ってきたところに、逆に細野には党代表となる資格もなければ、首相となる資質もないことを自ずと物語っていることになる。
要するに野田首相と同じく言葉の巧みさ、口達者で持っている政治家だということなのだろう。
だとしても、細野が党代表及び首相の資格を年齢と国会議員勤続年数に置いている以上、何歳の年齢と何年の勤続年数が党代表及び首相の資格獲得に当たるか、国民に説明すべきである。