安倍政権の中国レーダー照射、事実でないから証拠開示を見送ったという論理も成り立つ

2013-02-17 12:08:05 | Weblog

 2013年1月19日、海上自衛隊護衛艦搭載飛行中のヘリコプターに向けた、中国海軍艦艇から発射するミサイルや大砲等を標的に誘導するための、一般的には攻撃目的の射撃管制レーダーの照射をヘリコプター搭載の電波探知装置(ESM)が感知した。

 ヘリは回避行動を取って、レーダーから逃れた。

 攻撃目的だから、攻撃を目的としない射撃管制レーダーの照射はあり得ないを常識としていることになる。と言うことは、いたずらや威嚇目的の照射はあり得ないということも常識としていることになり、このことは次の発言が証明する。

 防衛相幹部「照射された側が対応行動として先に攻撃しても、国際法的に何ら問題ではない」(MSN産経

 この発言はレーダー照射に対する電波探知装置(ESM)の感知確度を同時に証明している。

 次の発言も同じことを証明している。

 ケビン・メア元米国務省日本部長「米軍であれば、(自らへの)攻撃と判断して反撃する」(YOMIURI ONLINE

 だが、実際に照射したかどうか確かめるために防衛省運用企画局がデーターを解析。1月21日、「中国側のレーダー照射であるとの確証は得られなかった」と小野寺防衛相に報告。

 一般的には攻撃目的の射撃管制レーダー照射に対する日本の自衛隊装備の電波探知装置(ESM)の感知確度は照射を受けた現場では正確な判断は不可能な程性能が劣るらしい。

 2013年1月30日、今度は自衛隊の護衛艦が中国艦艇から再び照射を受けた。照射を受けた現場では正確な判断は不可能だから、再び防衛省運用企画局にデーター送付して、解析、今度は実際に照射を受けていたという解析結果を受けた。

 2013年2月5日夜、小野寺防衛相が安倍首相の了解を得て、公表。

 〈公表にあたり詳細なデータ分析・検証で事実関係を固めたのは、「中国側が『ぬれぎぬ』と言いがかりをつけてくる」(政府高官)ことを念頭に反論の余地を残さないためだ。〉(MSN産経

 〈公表にあたり詳細なデータ分析・検証で事実関係を固めた〉と書いていることはおかしい。前提はあくまでも照射は事実かどうかの分析・検証であったはずだ。書いているとおりなら、1月19日の照射も事実であることを前提とした事実関係固めでなければならない。

 だが、1月19日の照射は分析・検証の結果、事実とする確証を得ることはできなかった。

 だとすると、事実であるかどうかの分析・検証が「中国側が『ぬれぎぬ』と言いがかりをつけてくる」(政府高官)懸念に対する危機管理だとしていることは照射が事実だと確認できた後の危機管理ということになる。

 1月30日の照射は分析・検証の結果、事実だと確認できた。公表したら、「中国側が『ぬれぎぬ』と言いがかりをつけてくる」かもしれない。言いがかりをつけてきても大丈夫なようにデーター上の事実関係をしっかりと固めなければならない。

 こういった経緯を取ったはずだ。

 日本政府のこの公表と抗議に対して中国の外務省も国防省も正式な見解を発表しなかった。

 菅官房長官「不測の事態を招きかねない危険な行為と捉えており、強く抗議し、いたずらにこうしたことを行うことがないよう、引き続き外交当局で、しっかりと説明責任を果たすよう求めている」(NHK NEWS WEB

 2月7日になって中国が反応した。

 華春瑩・中国外務省報道官「このところ、日本側は人為的に危機をあおって緊張した状況を作り、中国のイメージをおとしめている。中国側の強硬な姿勢が問題なのではなく、日本側の船や航空機が中国の領海や領空を絶えず不法に行き交い、主権を侵害していることが原因だ」(NHK NEWS WEB)――

 照射の事実には触れずに日本を非難する開き直りを見せた。

 2月8日午前、中国国防省が射撃管制レーダーに関わる初めての直接的な公式反応として談話を発表。

 中国国防省談話「射撃管制レーダーは使用していない。日本側の言っていることは事実と異なる。中国側に事実の確認をしないで、一方的に虚偽の状況を発表し、日本政府の高官が無責任な発言で『中国の脅威』を誇張し、緊張した雰囲気を作り出し、国際世論を誤った方向に導いている」(NHK NEWS WEB

 同月8日、中国側定例記者会見。

 華春瑩・中国外務省報道官「中国の関係部門がすでに事の真相を公表している。日本側の言い分は完全なねつ造だ。

 中国側は対話と協議を通じて両国が直面する問題を解決しようと努力してきたが、日本は過ちを正すどころか、多くの船や航空機を出動させ、中国の主権を損なう行動をますますエスカレートさせている。

 日本がこのようなことをするのはいったい何のためなのか問わずにはいられない。われわれも強い警戒を続けざるをえない」(NHK NEWS WEB

 日本政府の中国艦船レーダー照射説は「捏造」だとして、さらに開き直りを強めている。

 だが、こういった捏造説、事実無根だとする開き直りに対抗するためにも、レーダー照射の事実確認ができたのだからと、詳細なデータ分析・検証による事実関係固めの危機管理を行い、公開したときの「中国側が『ぬれぎぬ』と言いがかりをつけてくる」場合に備えていた。

 中国の捏造説に対する日本政府の反応。
 
 2月8日午前記者会見。

 石破自民党幹事長「こちらは時間をかけ、詳細な分析をして公表に至っている。軍事的能力を察知されない範囲で、どこまで客観的な事実が示せるか、防衛省に工夫が必要だ」(MSN産経

 「軍事的能力を察知されない範囲」という条件付きで、照射の客観的データーの開示による中国側の捏造説に対する有効な対抗策を模索すべきだとしている。

 だが、ここでもやはり電波探知装置(ESM)の性能は不正確で、いわば防衛省運用企画局備え付けのデーター分析・検証機器と一体となって、初めて一人前の性能を発揮できるという事実は隠蔽したままである。

 肝心の小野寺防衛相の2月9日「読売テレビ」番組出演時の発言。中国が捏造だとしていることについて。

 小野寺防衛相「レーダーの写真や動画映像などを、照射の証拠として公開を検討している」(解説を発言体に転換。)(毎日jp

 2月9日、都内で記者団に。

 小野寺防衛相「データは洋上ではなく、(高い技術を持つ)横須賀の専門部隊で分析した。事実は間違いないと確信している」(同(毎日jp

 要するに石破幹事長と同様に海上自衛隊護衛艦搭載の電波探知装置(ESM)で分析したのではなく、「横須賀の専門部隊で分析」したのだから、証拠として確実だとしてはいるが、電波探知装置(ESM)の性能を「横須賀の専門部隊」の分析・検証能力と一体として扱うことで、電波探知装置(ESM)の性能そのものの劣りは隠している。

 2月12日、菅官房長官の閣議後記者会見。

 菅官房長官「照射を受けたレーダーの周波数などの電波特性や、護衛艦と相手の位置関係などの現場の状況を、慎重かつ詳細に分析したものであり、(捏造だとする)中国側の説明は全く受け入れられない。

 (公表は)我が方の情報分析能力を明らかにするおそれがあり、そうしたことを踏まえて、(データ公表は)慎重に関係省庁で調整を行っている」(NHK NEWS WEB

 くどい言い方になるが、電波探知装置(ESM)の性能は不正確で、防衛省運用企画局備え付けのデーター分析・検証機器と連携・一体とすることで事実確認が可能となるという経緯を前提とすると、「(公表は)我が方の情報分析能力を明らかにする恐れがあり」と言っていることは防衛省運用企画局備え付けのデーター分析・検証機器の性能が漏洩することへの忌避感と同時に現場備え付けの電波探知装置(ESM)の欠陥性が明らかになることへの忌避感も含むはずだ。

 そうでなければ、1月19日の電波探知装置(ESM)が一度は事実とした照射の分析・検証の結果、その事実の確証は得ることができなかった、確証の不成立といった経緯との整合性が取れない。

 政府は2月15日になって、レーダー照射証拠の開示を、あれ程確かな証拠だとしていながら、見送る方針を決めた。

 防衛省幹部「日本の情報収集能力を明かすことになる」(毎日jp

 この「日本の情報収集能力」の漏洩にしても、電波探知装置(ESM)の性能の劣りの漏洩も入っているはずだ。

 要するに中国のデーター捏造説に対して、日本側の情報分析能力、あるいは情報収集能力の優秀さも劣りも含めた漏洩を恐れて、一切開示しないとした。

 漏洩回避だけではなく、世界の国々の多くが中国の捏造説を信じていなくて、レーダー照射が事実あったと認めていることも非開示とした背景にあるとマスコミは伝えている。

 だとしても、何処かで毅然とした姿を見せておかないと、常に足許を見られることになる。捏造説を打ち上げた中国である。彼らからしたら、世界がいくら照射は事実だと見ていても、照射は事実ではないから、開示を見送ったという論理をも、いとも簡単に成り立たせることができるだろう。

 我々の捏造説が正しかった。証拠もないのに死刑判決を下したのと同じだ、と。

 まさか開示するとしても、電波探知装置(ESM)の性能の劣りは隠して、都合のいい部分だけを開示しても、十分中国を追い詰めることができると考えていながら、中国を下手に追い詰めたなら、追い詰めた以上の中国の反発・反撃を恐れて、腰砕けとなったということではないことだけは願っている。

 2010年9月、尖閣沖で違法操業していた中国漁船が日本領海からの退去を求めた海上保安庁巡視船に体当りし、海上保安庁は公務執行妨害て船長を逮捕、中国がこのことに反発して、経済的圧力を加えてきたことに菅政権は毅然とした態度を取ることができず、逆に経済的圧力のエスカレートを恐れて、処分保留のまま釈放。

 だが、それから常に中国の風下に立つことになった。

 レーダー照射の証拠開示の見送る方針を決めた2月15日午前9時過ぎ、中国海洋監視船3隻が早速と言うべきか、尖閣諸島沖合日本の領海に侵入している。日本側の情報分析能力漏洩を理由に公開を逡巡している姿勢を見ての領海侵入なのか、証拠開示見送り方針の情報を前以て入手した上での行動なのか、いずれなのか分からないが、レーダー照射がなかったかのように領海侵入や領空侵入、あるいは接続水域航行といった元の風景に戻ったとしたら、日本政府が毅然とした態度を一度も存在させないことは中国側のレーダー照射事実消去に手を貸すことにもなるだろう。

 いくら日本側が口ではレーダー照射の事実はあったと言い立てたとしても、その事実を毅然とした態度に結びつけることができなければ、中国側はいくらでも捏造説を打ちたて可能とするだろうし、そうなれば、足許を見てくる材料の提供にしかならないはずだ。 

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大阪府大東市小5男児自殺、学校は生きていくということはどういうことか、教えているのだろうか

2013-02-16 11:02:54 | Weblog

 2月14日(2013年)午後4時25分頃、大阪府大東市で市立小5年の男児(11)がJR野崎駅ホームから快速電車に飛び込み自殺した。メモを残していたという。

 《「どうか命とひきかえに」=自殺の小5、閉校中止訴え-大阪》時事ドットコム/2013年 2月 15日 22:00)

 小5男児メモ「どうか一つのちいさな命とひきかえに、とうはいごう(統廃合)を中止してください」

 統廃合によって母校の閉校が決まっていたらしい。

 いくら11歳の年齢だからと言って、自身が自殺することによって統廃合が中止となり、自分の学校を残すことができるのではないかと思い決める思考能力は幼過ぎる。

 だが、学校は2月17日予定の閉校式の延期を決めた。いくら何でも生徒一人が自殺したのだからと、閉校式を予定通りに進めることができなかったらしい。

 但し統廃合を中止する理由とすることはできないはずだ。

 学校は統廃合が決まった時点で、全校生徒に対して統廃合しなければならない理由の十分な説明を行なっていたのだろうか。

 児童祖母(取材に)「死んで何かを解決する風潮があってはいけない」

 児童両親(市教育委員会に)「死んで解決することは正しくない」

 祖母や親のごく常識的な合理的判断能力を受け継いで、自らの合理的判断能力としていなかったらしい。

 飛び込む3分前に母親の携帯電話にメールが送信されていたという。

 携帯メール「家族み→んな大・大・だあい好き」

 自身の家族に対する「だあい好き」という感情に対応した祖母や両親の児童に対する感情が自身の死によってどう影響を受けるか、考えることができるまでに思考能力は発達していなかったらしい。

 自殺によって統廃合を止めることができるのではないかという強い思い込みがあったとしても、その思い込みが恐怖をある程度相殺することができたとしても、完全には恐怖を打ち消すことはできなかったはずだから、飛び込むについては余程の決意と覚悟を必要としたに違いない。

 同級生に統廃合賛否のアンケートを取っていて、全員が統廃合中止に賛成だったということも思い込みに影響を与えていたに違いない。25人の思いを自分が引受けて、実現できるかもしれないと。

 アンケート後の児童のメモ「自分をぬいて25人全員が『とうはいごうがなくなってほしい』に賛成しました。ちなみにぼくは賛成です」――

 次の記事が校長と市教委の反応を伝えている。《大東・小5自殺:「悩んでいたこと把握できず」校長が謝罪》毎日jp/2013年02月15日 21時18分)

 自殺翌日の2月15日市教委記者会見。

 校長「男児は昨年、『学校がなくなるのは本当に残念』と作文に書いていたが、思い悩む様子は見られず、自殺当日も普段と変わりなかった。(ここまでは記事解説を発言体に変更)

 ここまで思い悩んでいたことを把握できなかった。非常に申し訳ない。男児は繊細で非常に優しい子。もっと子どもたちの気持ちに目を向けるべきだった」

 市教委「男児の両親から『死ぬことで事態を変えようとするのは正しいことではなく、統廃合を中止してほしくない』との要請があったとして、予定通り統廃合を実施します」(記事解説を発言体に変更)

 校長は「ここまで思い悩んでいたことを把握できなかった」と言い、「もっと子どもたちの気持ちに目を向けるべきだった」と言っているが、児童・生徒の思い悩みの把握、負の気持に目を向けるということは対象となる児童・生徒に対して学校や教師がその場その場で採るべき態度であって、そういったことのみが学校・教師の全責任だとでも思っているのだろうか。

 例えば児童・生徒の誰かが普段の元気がなく、沈んだ様子を見せている。尋ねても、「何でもない」と答えるだけ。偶然、両親が離婚を話し合っているという情報を手に入れ、元気をなくしている原因に気づいた、その子どもに何かを話しかけ、いつでも相談に乗るからと告げることを以って思い悩みや負の気持を把握したから、責任を果たしたということになるのだろうか。

 両親の離婚といったことは非常に個人的な問題であって、離婚に学校が関与できる事柄ではないゆえにその子どもの思い悩みや負の気持に目を向けることができたとしても限界を抱えることになって、学校・教師の責任は不完全燃焼を来すばかりで、責任を果たしたということにはならないだろう。

 何か問題を抱えた児童・生徒が普段と違う様子を見せてくれればいいが、見せてくれなかった場合、例え違う様子を見せたとしても、教師が気づかない場合もあるし、気づかなければ教師の中では普段と同じ様子となるから、違う様子を見せてくれなかったことと同じとなり、常に学校・教師が児童・生徒一人一人の思い悩みや負の気持を把握できるわけではなく、すべての児童・生徒に注意を向けることは不可能である。

 だが、この不可能を限りなく可能とするためには、少なくとも可能とすることができるように努力を尽くすためには個人的な問題と考えたときには思い悩みや負の気持は個別の問題となって、個別に対応しなければならないが、個人的な問題であることを超えて児童・生徒の誰もが一人一人の年齢相応の人間として年齢相応に何らかの形で抱える全体の事柄だと考えたとき、人間の問題として児童・生徒全体を相手とした教育に応えなければならないことになる。

 そのような教育に応えるためには全体を相手にそれぞれが抱えることになるその時々の思い悩みや負の気持の解決に役立つ根本的且つ包括的な対処方法の形を取らなければならない。

 その方法とは生きていくということとはどういうことなのかという教えに尽きるはずだ。

 生きていくということとはどういうことなのかを学んだとき、自殺した生徒は生きていくということとはどういうことなのかという思いの中で、学校の統廃合を考えたはずである。

 学校から教えられ、自身も学んだ生きていくこととはどういうことなのかという思いと自問自答した末の結論として飛び込み自殺を選択したと言うことなら、その生徒は自殺を自身の生きる一つの姿としたことになり、校長が生徒の思い悩みを把握しようが、負の気持に気づこうが、止めることはできなかっただろう。

 果たして学校はそういう教育を行なっていたのだろうか。もし行なっていなかったなら、違った結末を迎えていた可能性は否定できない。

 こういった教育は当たり前のことだが、入学早々から開始しなければならない。

 生きていくこととは自分の世界を広げ、自分の知識を広げ、自分の経験を広げて、それらを精神の糧(肥やし)として人間として成長を果たしていくということであるはずである。

 行動という名の活動をすることによって世界を広げ、世界を広げることによって知識を広げ、逆に知識を広げることによって世界は広がり、経験が広がる。より多くの知識を持つことによって、経験は違った形で広がる。また、経験を広げることによって、知識は広がり、自身の世界を広げることができる。

 少なくとも統廃合問題が持ち上がったとき、なぜ統廃合が必要なのか、少子化の問題、財政の問題、効率の問題等々、大人の世界の都合を垣間見せる教育を行ったのだろうか。大人の世界を見せることによって、子どもは自らの世界を広げ、世界を広げることによって知識・経験を広げていく。

 さらに統廃合によって、新しい友人を持つことも自分の世界を広げることであり、その友人から教えられる知識やその友人との付き合いから生じる新しい知識が自分の世界を広げ、自分の知識を広げ、自分の経験を広げて、精神的に成長していくのだと教えたのだろうか。

 世界を広げ、知識を広げ、経験を広げていくのは自分だけではなく、他の誰もがすることで、その過程で他の誰かと衝突することもある。その衝突を乗り越えていくことも、世界を広げ、知識を広げ、経験を広げていく糧となり、衝突を乗り越える数だけ、人間は逞しく成長していくのだと。

 普段の通学路を変えて違う道を通るちょっとした変化も、世界を広げること、知識を広げること、経験を広げることだと教えていたのだろうか。

 教えていたなら、児童・生徒は、例外はあるだろうが、自覚的に生きていくことをするはずだ。こうすることも、生きていくこととの一つだな、世界を広げたことになるのだな、知識を広げたことになるのだな、経験を広げたことになるのだなと。

 活動や行動と併行して、自分の世界を広げているこの行為は、知識を広げているこの行為は、経験を広げているこの行為は正しい行為なのだろうかと、規範意識で自省する児童・生徒も出てくるはずだ。

 自分が生きていくことに対しての責任感の芽生えである。

 学校・教師が学力の刷り込みだけではなく、児童・生徒一人一人の生きていくことの責任感の芽生えに力を尽くすことこそが、真に「子どもたちの気持ちに目を向ける」ことであって、校長が「もっと子どもたちの気持ちに目を向けるべきだった」と言っていることが学校統廃合問題を限定対象とした児童たちの個別問題と把えて、そのことの反省であるなら、生きていくことの意味を教える教育を行なっていたとは到底思えない。
 
 また、校長を筆頭に副校長、学校主任、担任等々なのだろう、例の如くに一列に立ち上がって、雁首を揃えて一斉に頭を下げて謝罪する姿からも、肝心な教育を行なっていたとは見えない。

 もしそのような教育を行なっていたなら、そのような教育の至らなさの反省も出てくるはずだ。出てこないところから判断しても、行なっていたようには思えない。個別問題にその場その場で対応していく対処療法しかできす、しかもその対処療法さえ、満足に対応できなかった。

 〈男性不妊のため第三者から精子提供を受ける非配偶者間人工授精(AID)を希望し、実施拠点となっている慶応大病院で受診した夫婦112組を対象に厚生労働省研究班が実施した調査の結果、15%が「生まれてくる子にAIDの事実を伝える」との考えを示したことが15日、分かった。〉とする記事――《人工授精「子に伝える」15% 割合増、厚労省調査》47NEWS/2013/02/15 17:35 【共同通信】)

 2010年8月~11年12月の調査。
 
 「告知しない」――52%
 「告知する」 ――15%

 記事、〈告知に肯定的な夫婦の割合は08年度の同種調査より増え、意識の変化が浮かんだ。

 近年、提供精子で生まれた人たちが告知の大切さや出自を知る権利を訴える活動をしており、変化の背景にあるとみられる。〉――

 告知する場合、親は自身の思いを伝えるに言葉が必要となるが、思いを伝え切るだけの言葉を創造しなければならない。

 告知された子は一般的な子どもとは異なる世界を広げ、異なる経験を積んでいき、そういったことが自身の知識となっていくことになる。

 それが彼の生きていくということになる。

 父親と血が繋がっていない子供ばかりか、養子という形で、両親と血が繋がっていない子供も世界にはたくさん存在することを教える。アメリカの俳優が自身は白人だが、黒人の子を養子にしていることなどを。

 彼ら子どもたちは、血が繋がっていなくても、両親を父親として扱い、母親として扱っていると。

 また、父親と血が繋がっていないことが原因して親子の関係が築くことができないとするなら、全然血が繋がっていない男と女は夫婦としての関係を築くことができないことになり、この世に夫婦という存在はないことになることも教えなければならない。

 血の違いや趣味や習慣の違いを乗り越えて共に生きていくことを可能としている。片方の親と子が血が繋がっていなくても、両方の親と子が血が繋がっていなくても、それを乗り越えて生きていくことを可能としている。

 成長しなければ理解できないことを幼いうちから理解できるように教えることによって、子どもは自身の出自を自覚し、自身が広げていく世界、経験、知識を自覚的に把え、その自覚性が彼なりの世界や知識や経験を尚更に広げていく。

 告知する親は告知することによって同時に子どもに一般的な子どもとは当初は異なることになる、生きていくこととはどういうことかを教えることになるはずだ。言葉によってその手助けをする。

 言葉を教育の武器としなけれがならない学校教師が生きていくこととはどういうことかも言葉を駆使して教えることができなかったり、生活指導や部活指導で言葉を満足に駆使できず、手で殴ったり足で蹴上げたりするというのは倒錯そのものでしかない。

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安倍晋三の経団連賃上げ要請は国民のためではなく、自己保身と参院選勝利の場当たり政策

2013-02-15 11:04:43 | Weblog

 安倍首相が2月5日(2013年)、首相官邸で「経済財政諮問会議」を開催、経済団体にデフレ脱却に向けて賃金上昇につながる取り組みを要請したという。

 賃上げによる企業負担の代償にだろう、政府として労働市場の規制緩和策などを検討していく考えを表明したという。

 これを以て労働者から見た場合の賃上げのプラスと労働市場規制緩和のマイナスの差し引きプラスとなるかマイナスとなるかである。

 企業側から見た場合、労働市場規制緩和のプラスと賃上げのマイナスの差し引きプラスとなるかマイナスとなるかということになる。

 労働市場の規制緩和がなくても、賃上げによってモノが売れ、企業が利益を獲得できれば、賃上げの負担とプラス・マイナスして、利益のプラスとなると計算できても、それで良しとすることはないだろう。リーマン・ショックによる不況、欧州金融不安による金融危機の経験がボーナス等の一時金は許しても、賃上げの固定化を忌避するはずだ。

 アベノミクスにしても、出だしは良くても、先行きの確定値は誰も予想できないだろう。超インフレを招く危険性を指摘する声もある。

 果たして安倍晋三は2%の物価目標の設定と大胆な金融緩和を掲げてデフレからの脱却を目指した時点で、市場の反応を受けた円安局面での輸入物価の値上がりをスケジュールに入れ、政策上の危機管理の一つとしていたのだろうか。

 景気を回復しないうちの物価の値上がりは個人生活を直撃し、政権の支持を失う危機に変じかねない。そこで企業団体に賃上げの取り組みを要請したのだろうが、それが前以て予想していた危機に対する管理としての行動だったのだろうか。

 賃上げ要請は一見春闘前の妥当な時期に見えるが、円安は野田前首相が2012年11月14日の対安倍党首討論で、2日後の11月16日に「解散しようじゃありませんか」と勇ましくも衆院解散を宣言して以降、株高と円安の局面が一貫して続き、2月11日のニューヨーク外国為替市場での円相場は一時、1ドル=94円台半ばまで値下がり、約2年9カ月振りの水準まで円安ドル高が進んだとマスコミは伝えるまでになっている。

 一方、円安による輸入価格の高騰はどうかと言うと、経済産業省資源エネルギー庁2月14日発表の、2月12日時点のレギュラーガソリン全国平均小売価格は、原油相場の上昇基調も原因の一つになっているということだが、主として円安によって10週連続の値上がりとなっているという。

 10週連続70日と言うと、昨年の12月初め頃からである。野田前首相が11月14日の党首討論で解散宣言、11月16日解散を受けて円安が始まった時期とそう遠く離れていない。

 衆院解散宣言と時を同じくして円安がスタートしてから約3カ月も経っている。見方によっては春闘前になってからではなく、野田前首相の衆院解散宣言以降、株高と円安の方向への進行が確実視できたときから、もし円安効果で各企業が業績を上方修正する局面を迎えることができたなら、その利益を賃上げに回して欲しいと機会を捉えて何度も発信していてもよさそうだし、そうすることによって賃上げの状況をより確実にできたはずである。

 だが、円安開始から2カ月半も経過した、春闘が始まる直前の2月5日の賃上げ要請となった。どう見ても、円安の進行に応じた輸入価格の高騰、高騰を受けた個人生活の圧迫といったシナリオを前以て計算に入れていた危機管理からの賃上げ要請には見えない。

 輸入価格の高騰を受けて、急いで設定した「経済財政諮問会議」での場当たりの急な賃上げ要請に見えて仕方がない。

 この場当たりではないかという疑いは2月11日付の「日経電子版」記事――《アベノミクス第2幕 なぜ給与増を仕掛けるのか》が意図しないまま、図らずも疑いではないことを証明してくれている。

 〈状況の変化に応じて柔軟に主張を変えるのが、保守政治家の本領である。危機対応などに手引書があるわけではない。「場数を踏んだかどうかだ」と安倍晋三首相の周辺はいう。

 「42キロメートル余りのマラソンを、100メートル走の勢いで走っている」と霞が関で評される首相。金融緩和、積極財政に次ぐ成長戦略は何か。時間軸とそれに見合う政策課題の選択がモノをいう。〉と言って、安倍晋三の経済団体に対する賃上げ要請を、〈状況の変化に応じて柔軟に主張を変え〉たものだと解釈している。

 要するに前以てシナリオを描いていた政策に従った行動ではなかった。国民の所得が増えない中での輸入製品の価格高騰による生活必需品の値上がりを目の当たりに見て、危機感を持ち、急いで賃上げを要請したということになる。

 当然、記事が書いているように、〈状況の変化に応じ〉た柔軟性からの主張の方向転換など取ったシロモノではないことになる。

 次の記事がこのことを証明している。《参院選前の賃上げに期待=安倍首相》時事ドットコム/2013/02/12-21:03)

 2月12日夜の都内で開かれた公明党幹部のパーティーに出席。2月5日に続いて2月12日も経済団体と意見交換会を持ち、賃上げを要請したことに触れて、発言。

 安倍首相「企業の業績改善が見込まれる中、うまくいけば国民に還元され、消費が増え、日本の景気がぐぐっと良くなる。そういう中で参院選を迎えられれば理想的だ」――

 要するに賃上げ要請は国民の所得向上を最初の目的としてのことではなく、所得が上がらない中で生活物資が値上がった場合の安倍内閣の支持失墜を恐れたことが最初の目的であって、支持を失った場合の参院選への悪影響の回避を二次的目的とした、いわば自己保身からの措置であることを安倍晋三自ら暴露した発言となっている。

 このことは企業利益の国民への還元を、「うまくいけば」と言っているところに現れている。

 国民の生活を現在以上に困窮させるわけにはいかないことを第一の目的としていたなら、「うまくいけば」などといった言葉は口をついて出てこないはずだ。

 このように国民の利益を第一に考えたのではなく、自身の保身のためを目的としていることの本人の気づかない齟齬は、春闘での賃上げに慎重だとしている大手企業が大勢を占めている状況を感じ取ったことも影響しているかもしれないが、小泉内閣時代の戦後最長景気を受け継いで第1次安倍内閣を組閣していながら、小泉内閣の2004年3月1日労働者派遣法改正によって製造業派遣解禁、その他の労働規制の緩和によって企業がより安価な労働力確保が可能となり、大企業は軒並み戦後最高益を得ていながら、その利益を国民に還元せず、個人所得も個人消費も伸びなかった、一種の貧困状況を政治的な手を打たずに小泉純一郎と共に座視した政治姿勢、経済的格差拡大を招いても有効な対策を用いて是正しなかった政治姿勢を現在も変わらぬ血として受け継いでいることからの、根は国民のための政治ではなく、自己の名誉のための政治となっていることから発した齟齬のように見える。

 小泉純一郎「格差が出ることが悪いとは思わない。成功者をねたんだり、能力ある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」(2006年2月1日の参院予算委員会)

 格差の程度と格差拡大の原因の一つとなった、企業が正社員を切り捨て、非正規社員を増やしていったチャンスの制約と奪取を共に考えない、いわば一般国民の感覚を無視した発言を平気で行うことができる政治家体質を見せている。

 賃上げ要請が功を奏して賃上げが実現し、個人所得が伸びていって、個人消費も上向き、景気を回復していくかもしれないが、安倍晋三のそもそもの姿勢・体質が国民の目線に立った配慮を出発点としているのではなく、単に結果オーライに過ぎないことを今回の賃上げ要請で見せることになったことだけは確かである。

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体罰教師・体罰部活顧問は大人になり切れていない大人たち

2013-02-14 12:20:12 | Weblog

 私自身も大人になり切れていない大人の一人だと断りを入れなければならない。 

 大津中2男子生徒イジメ自殺や大阪市立桜宮高のバスケットボール部員体罰自殺と似たような自殺がマスコミによって再び報道された。《監督の叱責受けた当日に… 高校野球部マネジャーが自殺》asahi.com/2013年2月13日5時48分)

 岡山県立岡山操山(そうざん)高校の当時男子2年生の野球部マネジャー(16)が昨年7月に自殺。

 時間を経てから報道されるという点も前ニ者と共通している。

 あるいは地元のマスコミは報道していたのかもしれない。

 彼は野球部監督から繰返し叱られていたという。

 県教委の両親に対する文書回答。

 県教委「行き過ぎと言われても仕方のない指導や発言があった。自殺と指導の因果関係がはっきりしない」

 はっきりしないことを以って公表しなかったという。公表しなくても、噂が立って、地元紙の知れるところとなり、報道するということもあるが、中央のマスコミが報道しないところを見ると、地元紙も知らないでいた事実かもしれない。

 〈生徒は選手として野球部に入部し、昨年6月11日に退部。7月23日にマネジャーとして復帰したが、同26日朝、岡山市内で自殺しているのが見つかった。〉――

 遺書はなかったという。

 〈両親からの要請で、県教委は昨年10~11月の3日間、部員に聞き取り調査をした。その結果、生徒は復帰の日のミーティングで監督から「マネジャーなら黒板くらい書け」と怒られ、自殺当日も「声を出せ」と注意されていた。練習後も本塁付近に1人呼ばれて叱られ、帰宅途中、同級生に「俺はマネジャーじゃない。ただ存在するだけ」と話したという。〉

 監督からマネージャーとして認められていない、ただそこにいるだけだの存在だと絶望感を話したのだろうか。
 
 男子生徒(部員に対して部を一度辞めた理由を)「先生に怒られるのが嫌。野球がおもしろくない」

 (復帰した理由)マネジャーなら叱られない」

 部員の話「監督は練習中に『殺す』などの言葉を使ったり、パイプ椅子をふりかざしたりすることがあった。チーム全体にビクビクしているところがあった」

 監督(県教委の調査に対して)「厳しい指導や叱責(しっせき)は指導の一環」

 広本勝裕校長「結果として行き過ぎた指導がなかったとは言えない。指導と自殺の因果関係は分からない」

 両親「責任感の強い子だった。『もう辞められない』と思い、監督に叱られて追い詰められたのではないか。なぜ息子が死ななければならなかったのか、第三者による調査で自殺と指導の因果関係についてもっと具体的に検証してほしい」

 監督は11月中旬に交代。

 校長は「結果として行き過ぎた指導がなかったとは言えない」と、「結果として行き過ぎた指導」があったとしている。

 「結果として」とは意図したことではない、目的としたことではないが、そうなってしまったという意味であろう。だが、これは第三者が認識したことで、監督自身は「結果として行き過ぎた指導」を行なっていながら、「行き過ぎた指導」だと認識する能力を持ち合わせていなかった。

 生徒の自殺という異常事態が起きなければ、「殺す」と恫喝したり、「パイプ椅子をふりかざしたり」を「行き過ぎた指導」とも思わずに、「厳しい指導や叱責(しっせき)は指導の一環」として延々と続けたことになる。

 体罰は言葉の問題だと兼々言ってきたが、その言葉とは「殺す」と恫喝したり、「バカヤロー」と怒鳴ったりする言葉のことを言っているのではない。

 言葉にも色々ある。言葉には自身の考えや判断を伝える言葉と感情を伝える言葉とがある。「殺す」、「バカヤロー」の類は考えや判断を伝える言葉ではなく、怒りの感情、あるいは貶めの感情を伝える言葉であろう。最近使うかどうか知らないが、年少の子どもが友達に向かって、「馬鹿、カバ、チンドン屋、お前の母さんデベソ」と人をバカにするのは貶めの感情からか、あるいは親近感を持ちながら、親しみを伝える言葉を見つけることができないから。つい憎まれ口を叩いてしまうとかであって、決して考えや判断を伝える言葉ではない。

 要するに考えや判断を伝える言葉を持たないからこその、その代償作用としての感情を伝える言葉と言える。

 考えや判断を伝える言葉は成長していくと共に発達していく。いわば幼い頃には満足に備わっていない能力と言える。

 一方の感情を伝える言葉は幼い頃から、備わっている。幼い子どもが主として好き嫌いの感情で物事を評価することが証明している。

 だとすると、成長しても考えや判断を伝える言葉が満足に使えず、感情を伝える言葉を主たる意思伝達の方法としているということは大人として成長していない、大人になり切れていないことを示すことになる。

 大人になっても、自身の考えや判断を伝える言葉を満足に持たず、自分の意思を伝えるのに罵声を浴びせたり、怒鳴ったり、あるいは罵声や怒鳴り声に付属させて殴ったりする感情の言葉を主たる手段としている、あるいは言葉まで省いて、いきなり殴ったりする感情の発露は、どう見ても、大人として成長していない、大人になり切れていない大人のやることと言うしかない。

 大人として成長していない、大人になり切れていない大人が部活顧問を務めている。このことは教育という観点から、根本的に座視できない重大な問題を孕んでいる。

 野球部員に対して監督が、「殺す」と恫喝する姿に大人を見ることができるだろうか。

 独裁者の姿を見ることができるかもしれない。但し独裁者というのは意思の一方通行があるのみで、お互いに意見をい言い合うという対等・双方向であるべき人間関係に於いて民主的に大人になり切れていない姿であろう。

 部活指導に於いて、教室での授業でもいいが、顧問や教師が考えや判断を伝える言葉を駆使したなら、部員や生徒はそれらの言葉に刺激を受け、反応して、彼ら自身も考えや判断を伝える言葉を育み、発達させていくはずで、そのような言葉を使うということ自体が自主性・主体性の表現となる。

 そしてそのような地点から、部員たちは大人へと成長していく。

 だが、如何せん、部活顧問や教師が考えや判断を伝える言葉を持たない大人になり切れていない大人が多いから、部員も生徒も考えや判断を伝える言葉の育みという点に於いても、大人への成長という点に於いても、学び切れないことになる。

 このことの有力な証拠は、体罰で叩かれて育った部員が指導者となって体罰を用いた指導を行なうという循環そのものが証明している。考えや判断を伝える言葉を持たない大人になり切れていない大人を顧問として持ったことから、自身も考えや判断を伝える言葉を持たない大人になり切れていない大人ヘと成長、指導者となって考えや判断を伝える言葉を指導の手段とするのではなく、殴ったり罵声を浴びせたり感情を伝える言葉や感情だけの発露を主たる手段とすることになる。

 もし周囲の校長や教育委員が体罰や罵声を指導の手段とするのは部活顧問や教師が大人になり切れていないために考えや判断を伝える言葉を満足に持ち合わせていないからだと認識することができていたなら、桜宮高の体罰自殺にしても、上記岡山県立岡山操山高男子2年生の自殺も、体罰指導、あるいは体罰紛いの指導の存在に気づいた時点で、大人になり切れていない大人を部活顧問や教師に採用していた自分たちの責任上からも、教育という観点からも、部活顧問や教師個人の問題ではなく、自分たちの問題でもあると把えて重大事案だと受け止めるはずだが、殆どが個人の問題だと片付ける責任回避から出発している。

 体罰が考えや判断を伝える言葉の欠如と欠如は大人になり切れていないことから発していることを、2月12日(2013年)火曜日放送のHP――「NHKクローズアップ現代」《“体罰”なぜ繰り返されるのか》から見てみる。   

 詳しくはHPにアクセスして貰いたい。

 桜宮高バスケットボール部の〈生徒が亡くなる前の日の練習試合。

 顧問は試合中、生徒をコートの外に呼びます。

 「なぜボールに飛びつかない」。

 「なぜディフェンスを見ない」。

 「なぜ相手を意識しない」。

 ひと言問うごとに顧問は平手で、ほおをたたきました。

 何も言い返せない生徒に対して、やるのかやらないのかと問い詰め、後輩や他校の選手もいる前で繰り返し、たたいたといいます。〉――

 元バスケットボール部員「実際に叩かれて発奮して活躍する選手もいたし、自分もそうでした。この人(顧問)についていけば、全国大会に出られるというのがあったので、その時叩かれても体罰だと思ったことはなかった」

 「叩かれて発奮」するとは部活顧問の考えや判断を伝える言葉を仲介させ、その言葉に、それが内心のものであっても、あるいは「ハイ」と答えるだけであっても、自らの考えや判断を伝える言葉で反応させた「発奮」ではなく、それらを一切介在させない他発性の動作であって、相手の指示に対して自分で考え、判断して動く自発性の動きでは決してないはずだ。

 そのような地点からは、自分から考え、判断して動くという自発性・主体性は育みようがない。育まれないから、体罰や罵声は繰返されることになる。顧問の考えや判断を伝える言葉の不在に対応した生徒たちの考えや判断を伝える言葉の不在となって現れるのみである。 

 また、指導する方も「なぜボールに飛びつかない」、「なぜディフェンスを見ない」とかの言葉を使うが、「相手がボールを持って、こう動いたとき、相手は正面にいる誰それに視線を向けてボールが取られないように警戒していたが、君が一番接近した斜めの位置にいて、正面の敵に気を取られていた相手の隙を突く絶好のチャンスだったから、あそこでボールに飛びつくべきだったじゃないか」等々の自身の考え、判断を伝える言葉にまで高めていない。当然、そのような言葉となっていないことによって、部員の考え、判断を促す言葉とはなり得ない。

 部活顧問が自身の考えや判断を伝える言葉とその言葉に反応する生徒の考えや判断を伝える言葉の遣り取りを習慣としていない場所で、「叩かれて発奮」したとしても、考えや判断を欠いた反射的反応に過ぎない。例え内心で「よし、分かった」と叫んでいたとしても、言われたことを実行するだけで終わるのは、やはり体罰が延々と続くことが証明することになる。

 ゲスト出演していた友添秀則・早稲田大学スポーツ科学学術院長が、体罰は言葉の問題だと発言している。

 友添秀則氏「体罰をした人たちにインタビューしてみると、やはり感情の吐露だって言うんですね。カッと来て、口で説明ができないで、つい手が出てしまうということを言う人たちが結構多いですね。

 短期的にある時期だけ成果を上げようとすると、こういう体罰っていう手は有効だとはいわれているんですね。

    ・・・・・・・

 例えば試合に向けてどういう練習が必要なのか、どんな練習を組むのか、そういうことが説明されて選手あるいは高校生あるいは中学生とちゃんと合意ができてやっていかなければいけないんですけれども、日本の場合は言葉がないっていうか、スポーツの指導の場には言葉がなくて、おい、やれ、走れ!飛べ!っていうような形でですね、頻繁に命令が起こっている。

 そこでうまく伝わらないと、つい手が出てしまうっていうような現実ですね」(以上)

 言葉は考え、判断する習慣をつけることによって、大人になればなる程、論理性を備えつつ発達していき、発達させることによって論理的な説明能力を身につけていくはずだが、自身の考えや判断を効果的に伝える言葉を持たない。そういった言葉の代わりに怒りや不満を体罰を通してぶっつける、感情を伝える言葉を指導の主たる手段とする。

 このような体罰指導を教育の範疇に収めることができるだろうか。決して教育でも何でもないはずだ。

 それを指導だと言って教育の一環としている。大人になり切れていない大人たちが理性ではなく、感情を剥き出しキーキーカッカしてやっていることとしか表現しようがない。 

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安倍晋三の北朝鮮核実験「断じて容認できぬ」、かつては金正恩政権交代に期待した、その認識能力

2013-02-13 11:45:00 | Weblog

 勿論、我が日本の安倍晋三は北朝鮮に対してミサイル発射や核実験を行なうことを期待したわけではない。金正日体制からその息子の金正恩体制へと権力の父子継承によって拉致解決ができるのではないかと期待した。

 昨日、2013年2月12日、北朝鮮が核実験を強行したことを受けて、安倍首相は「声明」を発した。《安倍首相声明全文=北朝鮮核実験》時事ドットコム/2013/02/12-17:05)

 冒頭箇所一部引用。

 安倍首相声明「本日、北朝鮮が第3回核実験を実施したとの発表を行った。

 わが国を含む国際社会が、北朝鮮に対し、既存の国連安保理決議の完全な順守を求め、核実験を含む挑発行為を決して行わないよう繰り返し強く求めてきたにもかかわらず、今回、北朝鮮が核実験を強行したことは、北朝鮮が大量破壊兵器の運搬手段となり得るミサイル能力を増強していることと併せ考えれば、わが国の安全に対する重大な脅威であるとともに、核兵器不拡散条約(NPT)を中心とする国際的な軍縮不拡散体制に対する重大な挑戦であり、北東アジアおよび国際社会の平和と安全を著しく損なうものとして断じて容認できない」――

 北朝鮮の核実験は「断じて容認できない」と、強い言葉で非難している。

 但しこの言葉に実効性を持たせる責任が発言者に課せられることになる。

 金正恩に対するこの「断じて容認できない」の発言に反して、かつて安倍晋三は父親の金正日からその子金正恩への父子権力継承に期待した。

 金正恩が金正日の後継者としての地位を確立したのは2010年9月。2011年12月17日、金正日死去。その2日後の12月19日、その訃報が宣告され、金正恩の父子権力継承が確定した。

 権力継承確定から8カ月後の2012年8月30日、フジテレビ「知りたがり」に出演したときの安倍晋三の発言である。

 安倍晋三「金正恩氏はですね、金正日と何が違うか。それは5人生存、8人死亡と、こういう判断ですね、こういう判断をしたのは金正日ですが、金正恩氏の判断ではないですね。

 あれは間違いです、ウソをついていましたと言っても、その判断をしたのは本人ではない。あるいは拉致作戦には金正恩氏は関わっていませんでした。

 しかしそうは言っても、お父さんがやっていたことを否定しなければいけない。普通であればですね、(日朝が)普通に対話していたって、これは(父親の拉致犯罪を)否定しない。

 ですから、今の現状を守ることはできません。こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ。

 そこで思い切って大きな決断をしようという方向に促していく必要がありますね。そのためにはやっぱり圧力しかないんですね」

 かくかように金正恩の父親金正日との違いに期待した。

 「知りたがり」に出演から約半月後の2012年9月17日付け「産経新聞インタビュー」でもほぼ似た発言を行なっている。

 安倍晋三「金総書記は『5人生存』とともに『8人死亡』という判断も同時にした。この決定を覆すには相当の決断が必要となる。日本側の要求を受け入れなければ、やっていけないとの判断をするように持っていかなければいけない。だから、圧力以外にとる道はない。

 金正恩第1書記はこの問題に関わっていない。そこは前政権とは違う。自分の父親がやったことを覆さないとならないので、簡単ではないが、現状維持はできないというメッセージを発し圧力をかけ、彼に思い切った判断をさせることだ。

 つまり、北朝鮮を崩壊に導くリーダーになるのか。それとも北朝鮮を救う偉大な指導者になるのか。彼に迫っていくことが求められている。前政権よりハードルは低くなっている。チャンスが回ってくる可能性はあると思っている」――

 だが、ブログで何度も書いているが、金正恩は父子権力継承の正統性を父親金正日の血に置いているのである。その血はその父親金日成から引き継いだものだが、当然、その血はありとあらゆる正義を体現しているものと見做さなければ、権力継承の正統性に瑕疵が生じることになる。

 金正日の血は正義であり、正義とは金正日の血を意味し、その存在そのものを正義とすることになる。そうすることによって権力継承そのものを正義と価値づけることができ、そこに正統性が生まれる。

 存在そのものを正義とする以上、金正日が自らの最優先の政治思想として掲げていた、金正恩に対する「遺訓」としている、すべてに於いて軍事を優先させる「先軍政治」も含まれることになる。

 また、権力を父子継承するについては、金正日独裁体制を支えた北朝鮮軍部や朝鮮労働党の側近をも継承し、自らの体制としなければならない。父親金正日の正義を支えた体制でもあるからだ。

 当然、継承した側近たちの以降に左右されることも生じる。

 かくかように独裁体制下の権力の父子継承とは父親の正義を(世界の一般常識からしたら、不正義を)その子が受け継いで自らの正義とすることを意味するはずだ。

 どこに期待する要素があるというのだろうか。安倍晋三は独裁体制の父子権力継承の危険性に何ら意を用いなかった。

 2012年4月13日の人工衛星打ち上げと称したミサイル発射も、「先軍政治」の一環であったろう。だが、打ち上げは失敗した。

 野田政権はその情報収集に失態を演じ、国会で追及され、世論の不評を買った。

 だが、打ち上げに失敗したものの、安倍晋三はミサイル発射は金正恩による金正日の「遺訓」の一つの実行であり、「先軍政治」の体現と見なければならなかったはずだ。

 多分打ち上げ失敗を糊塗し、意志の揺るがないところを見せるためだったのだろう、打ち上げ失敗から12日後、安倍晋三のフジテレビ「知りたがり」の出演や産経新聞インタビューから3カ月乃至3カ月半前の2012年4月25日、朝鮮人民軍創建80年の祝賀の中央報告大会を平壌で開催、金正恩が出席、朝鮮中央テレビは午前9時過ぎから故金日成主席や故金正日総書記が軍を指導する姿や軍事演習の様子を映した番組を放映、軍を最優先とする「先軍政治」の路線を強調している。(asahi.com

 いわば金正恩は金正日と変わらぬ軍事独裁優先の「正義」を見せていたのである。それは金正日の正義の全てを受け継ぎ、自らの姿としていた正義であったはずだ。

 にも関わらず、安倍晋三は金正恩の金正日との違いに期待していた。その程度の認識能力しか見せることができなかった。

 そして昨年12月12日(2012年)、人工衛星打ち上げに成功したとするミサイル発射は正義としている父親から継承した軍事優先の変わらぬ姿、「先軍政治」の変わらぬ姿を自らの正義として、ミサイル技術の発展と共に世界に誇示した一大演出だったはずだ。

 北朝鮮・朝鮮中央通信は12月1日夕方、ミサイルの打ち上げ予告の談話を発表している。

 談話「今月10日から22日の間に地球観測衛星『クァンミョンソン3号』の2号機を積んだロケットを北西部にある発射場から打ち上げる。

 今回の衛星の打ち上げは強盛国家の建設に拍車をかけている国民を力強く鼓舞するもので、われわれの宇宙技術を新たな段階に引き上げる重要な機会となる」(NHK NEWS WEB

 金正日時代と、あるいは金正日の北朝鮮とどこに違いがあるというのだろうか。

 そして今回の核実験。

 金正恩が父親の金正日の権力を継承し、その血、その正義に父子権力継承の正統性を置いている以上、その血を受け継いでいる者として父親の正義をも受け継ぎ、その最優先の政治思想としていた「先軍政治」をも遺訓として受け継ぎ、体現していくのは北朝鮮に対する危機管理上、想定の一つとしていなければならなかったはずで、そのような危機管理を想定していたなら、ミサイルの性能向上や核弾頭の小型化を目的としたミサイル発射、核実験をもあり得ることとして予定の行動と見ていなければならなかっただろう。

 このことは韓国政府が全文入手したとする金正日の「遺訓」の一部を伝えている記事からも証明できる。《韓国、金総書記の遺訓全文入手か 「核兵器発展させ保有せよ」》47NEWS/2013/01/29 09:58 【共同通信】)

 遺訓「核兵器と長距離ミサイル、生物化学兵器を絶えず発展させ十分に保有せよ。

 (6カ国協議について)我々の核をなくす会議ではなく、核を認めさせ核保有を公式化する会議にせよ」

 だが、安倍晋三は金正恩の金正日との違いに期待していた。

 このことは拉致だけの問題で終わらない。北朝鮮のミサイル開発や核兵器開発は拉致問題に大きく影響することになるからなのは断るまでもない。

 当然、金正恩に期待したことと核実験に対する安倍晋三の「断じて容認できない」の声明は明らかに矛盾した認識となる。

 安倍晋三がこの程度の認識能力しかなかったでは済まない。何しろ日本の首相を務めているのだから。

 日本のいずれの政府にしろ、米国政府にしろ、早い時期から金正日からの独裁権力の父子継承は反対すべきだった。

 2008年9月15日当ブログ記事――《金正日重病説/日本が為すべきこと-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のようなメッセージを世界に発信し、権力の父子継承に反対すべきだといったことを書いた。 
 
 メッセージ「日本は金正日独裁権力の父子継承は望まない。世界も望むべきではない。

 北朝鮮国民が飢餓を免れ、人間らしい生活が送れるよう、独裁体制が金正日政権で終わり、北朝鮮の国家体制が人権の自由と平和を保障する民主主義体制となることを望む」

 安倍晋三みたいに期待するのではなく、逆に父子権力継承の阻止こそが、少なくとも核開発やミサイル開発阻止の期待要件となったはずだ。北朝鮮が核開発やミサイル開発を断念した地点からでなければ、拉致解決の地平が容易には開けないのではないだろうか。

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JNN世論調査アルジェリア人質事件「評価」65%、中国レーダー照射「評価」80%にケチをつける

2013-02-12 10:18:57 | Weblog

 TBS「JNN世論調査」の結果にケチをつけつつ、模擬国会質疑を試みて、中国レーダー照射首相官邸の情報隠蔽と情報操作を改めて浮かび上がらせてみようと思う。

 今月の、と言っても2月1日から2月10日までの間のことだろうが、JNN世論調査で安倍内閣の支持率が先月比+9.2ポイントの76.1%と大幅に増えたと昨日のニュースで伝えていた。

 「支持できない」は22.9%。私は少数派の一人となった。だが、少数派である自分を褒めてあげたい。

 内閣支持の内訳として、アルジェリア人質事件対応に関して「評価できる」が65%、中国海軍射撃管制レーダー照射対応に関して「評価できる」が80%と、その指導力を高く買っている。

 しかし私自身はアルジェリア人質事件は単に、安倍首相を筆頭に安倍政権は「人命優先」を言っていただけで、アルジェリア政府の「テロとは交渉せず」の制圧優先に何ら影響を与えることができなかったばかりか、邦人人質の犠牲者が出たあと、人命優先がホンモノなら、その犠牲が制圧が優先された不条理の結果だと何らかの抗議の形で世界に向けて発信してよさそうなものだったが、そういった配慮を経ずに自衛隊法改正による武器使用基準の緩和だとか、邦人保護策だとかに関心を移していった。

 日本人の犠牲者が出たあと、直ちに首相官邸を始めとして国の施設すべての日章旗を半旗とすることによって、人命優先が軽視されたことの抗議の意思を世界に発信できたはずだが、そうすることすら思いつかなかった。

 世界に発信することによって、日本政府の人命優先第一の姿勢を刻印できたはずだ。

 1月23日日揮本社が半旗を掲げたのは、あくまでも社として犠牲者を追悼する意味であって、政府が菅官房長官の会見室の日章旗の頭の金色のガラス玉を黒布で覆い、そこから長さ1メートル前後の幅の狭い黒い布を垂らしたのは弔(とむら)いの意味の弔旗としてであって、人命優先を発信する何ものでもなかった。

 テレビ映像で見たことだが、同じ日の首相官邸建物前のポールに掲げられた日章旗は弔旗になってもいなければ半旗にもなっていないまま、当たり前のように掲揚され、当たり前のように垂れ下がっていた。

 安倍晋三は口で言うだけで、首相官邸としては日本人テロ犠牲者に対する人命優先に関わる何らの不条理も発信しなかった。

 あれ程「人命優先」を言い続けたのである。だが、結果を導き出すことができずに10人もの日本人の犠牲者を出した。半旗という方法ではなくても、テロ制圧が優先されたことによる人命優先軽視の不条理を何らかの形で抗議の意思を世界に向けて発信してよさそうなものだったが、人命優先の結果が既に出てしまって、すべてが終わってしまったということなのか、取り立てて何もしなかった。

 にも関わらず、アルジェリア人質事件対応が「評価できる」が65%と国民から高い支持を得ている。

 次に中国海軍射撃管制レーダー照射対応に関して「評価できる」が80%を見てみる。

 この件に関して既にブログで2回に亘って安倍首相は情報隠蔽と情報操作を行ったのではないかと疑う記事を書いた。

 改めて照射の経緯を記してみる。 

 1月19日、中国海軍艦艇からの対海自ヘリレーダー照射を疑い、発生当日に安倍晋三首相と防衛相に一報。

 この時点で公表しなかった理由。

 小野寺防衛相「証拠がしっかり国際的にも表明できる内容になるか不安があった」

 1月21日、防衛省運用企画局がデーターを解析、「中国側のレーダー照射であるとの確証は得られなかった」として、防衛相に改めて報告。

 小野寺防衛相「しっかりとした明確な違反が確認されたことをもって対応したい(明確な違反が確認された場合にのみ、防衛相に報告するように)」と防衛省に指示。(2月7日衆院予算委答弁)

 1月30日、中国海軍艦艇から海上自衛隊護衛艦に射撃用レーダー照射の疑い。

 この疑いの事実を以って、疑いの段階であるから、1月19日照射の時のように発生当日に小野寺防衛相に報告することはしなかった。当然、小野寺防衛相も首相官邸に報告はしない。

 2月5日(1月30日照射から6日後)小野寺防衛相、防衛省運用企画局から、レーダー照射であったと報告を受け取る。

 同日2月5日夜、小野寺防衛相、緊急記者会見を開いて、公表。

 2月7日衆院予算委答弁。

 安倍首相「事務方がより慎重になり、私のところに(情報が)上がってくるのが遅くなった。今後は未確認でも私や防衛相に上がるようにする」

 模擬国会質疑――

 質問「1月19日の中国艦船から自衛隊ヘリコプターへの射撃管制レーダー照射が疑われた件についてお尋ねします。ヘリコプター搭乗員自身はヘリコプター搭載の電波探知装置(ESM)によってレーダー照射を感知したわけですね」

 答弁「感知しました」

 質問「感知したけれども、その場で実際に照射があったのかどうか判断できないので、電波探知装置が記録したデーターを防衛省運用企画局に持ち込んで、データーの解析をお願いした」

 答弁「そういういうことでございます。防衛省運用企画局がデーターを解析した結果、中国側のレーダー照射であるとの確証は得られなかったとの報告を受けました」

 質問「要するにESMと呼ばれる電波探知装置は射撃管制レーダー照射に関しては、その程度の能力、その程度の精度しか期待できない、事実照射があったかどうかは解析に回して、確認しなければならないということになりますが」

 答弁「そういうことになります」

 質問「自衛艦の電波探知装置はレーダー照射を感知して、自衛艦は回避行動を取ったということですが、実際に照射されたか確認できないままに回避行動を取ったことになりますが」

 答弁「そういうことになります」

 質問「有事の際、あるいは突発的に予期しない有事が生じた場合、自衛のためであってもレーダー照射に対して反撃できない、できるのは回避行動だけということになりますが」

 答弁「そういうことになります」

 質問「相手が実際に攻撃の意志があった場合、レーダーを照射するということはミサイル等の発射がいつでもできる状態にした上で次の段階として行なう行為であるから、電波探知装置がレーダー照射を感知した時点から回避行動に移っても、攻撃を受けずに回避は成功するのですか」

 答弁「回避行動は対抗電波の発信やアルミ片の散布で防御措置を取りながら行います。回避行動の全てが成功しないとは限りません」

 質問「要するに電波探知装置は射撃管制レーダーを照射された場合、実際に照射されたかどうか確認の解析に何日か必要する関係から、回避行動にしか役に立たないということですね。自衛のためでも下手に反撃して、解析の結果、1月19日の自衛隊ヘリコプターの場合のように実際には照射の確証は得られなかったという事案が生じる危険性も考慮しなければならないからです」

 答弁「そういうことになります」

 質問「但し、1月19日も1月30日も実際には攻撃は受けずに終わったとしても、また、照射の事実の確証には時間が必要であるということを前提としても、電波探知装置が一応照射の疑いを感知した以上、危機管理上、攻撃の可能性を考慮してもいい重大事案であることに変わりはないと思いますが、その点はどうです」

 答弁「レーダーが照射された際、中国艦船からミサイルなどが日本の護衛艦に向けられる動きはありませんでしたから、回避行動を取るだけで十分であったと思います」

 質問「しかし中国艦船がどういった態勢でレーダーを照射したか、その事実は、照射の事実確認の解析に日数を必要とすることとは別に逐一防衛相に情報として報告し、同じく防衛相が逐一首相官邸に情報として報告すべきではなかったのですか。事実を情報として把握することによって、把握した時点から危機管理上の対応策を対策できるのであって、事実確認の解析を待ってからでは、解析にかかった日数分、対応策に遅れが出ることになる」

 答弁「そういうことになります」

 質問「小野寺防衛相が即日報告ではなく、『しっかりとした明確な違反が確認されたことをもって対応したい』と言って、解析の結果、照射が事実確認できてから、防衛相に報告するようにしたということは、危機管理上、過失があったとは言えませんか」

 答弁「今後は照射を受けた時点で、即日報告するような体制に持っていきます」

 質問「今後のことはそうすることが当然だが、なぜ最初から即日報告の危機管理意識を持つことができなかったのか、判断の過失がなかったかどうか、その有無を問うているのです」

 答弁「過ちがあったと認めざるを得ません」

 質問「実際には防衛相に報告があり、防衛相は首相官邸に報告を上げた。だが、中国との間で首脳会談を予定している都合上、中国を刺激して首脳会談が立ち消えになることや、良好な方向に向かう気配のある中国との関係が悪化するのを恐れて、なかったこととして情報隠蔽を図ったということはありませんか」

 答弁「そういった事実は一切ありません」

 質問「ところが2月4日午前9時半頃から、中国海洋監視船2隻が午後11時半過ぎまで14時間に亘って日本の領海内を航行するに及んで、これ以上中国の無法を我が物顔に横行させるわけにはいかないと、翌日照射事案を公表することにした手前、公表せずに報告の事実を隠していた情報隠蔽の露見を回避し、同時に、なぜそれまで公表しなかったのか、その不手際を追及された場合の危機管理として、照射の事実確証の解析に時間がかかった、事実確証後に報告することとしたといった情報操作をやらかしたのではありませんか」 

 答弁「そういった事実は一切ありません」

 質問「要するに照射の確証の解析に日数がかかるとしても、電波探知装置がレーダー照射を感知した事実だけでは重大事案だと受け止めるだけの危機管理意識を欠いていた、そのことだけが問題だったというわけですか」

 答弁「そのとおりです」

 質問「軍事面の指揮によって国土防衛と国民の生命・財産を守る任に当っている防衛相として危機管理意識を欠いていたということは指揮官としての資格と、その人事に与った首相の任命責任が問われることになると思いますが」

 答弁「・・・・・・」

 責任を認めはしないだろう。

 答弁の全てを事実だと信じるに値するだろうか。

 自衛隊護衛艦に対する中国艦船射撃管制レーダー照射を電波探知装置が感知した。例えそれがその場で照射の確証を得ることができず、日数をかけた解析を待たなければ確証に至らないとしても、照射の事実を確証する場合もあるのだから、感知した時点で、その事実を即日報告し、情報としなければならなかったはずだ。

 解析の結果、照射の確証を得た。照射の時点に遡って危機管理上の対応策を打ったとしても常に間に合うという保証はあるまい。

 もし情報隠蔽も情報操作もなかったが事実とすると、即日報告の危機管理対応を取るべきが危機管理意識の欠如から取らなかったことになる。

 これは重大な過失に入るはずだ。安倍首相官邸と小野寺防衛相が危機管理上重大な過失を犯したことになる。

 もし即日報告の危機管理対応を取っていたとしたら、情報隠蔽と情報操作を行なって対中危機管理が後手に回ったか、いずれかになる。

 だが、国民の多くがこういった疑いを抱かず、安倍首相の中国レーダー照射に対する対応に80%もの評価を与えている。

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安倍晋三が見せた日米首脳会談に向けたTPP交渉参加の対米従属外交・対米追従意識

2013-02-11 08:38:18 | Weblog

 単細胞安倍首相が2月9日、被災地岩手県陸前高田市を訪問、そこで記者たちに今月下旬予定日米首脳会談でTPP=環太平洋パートナーシップ協定参加問題についての自身の対応を述べている。

 《首相“関税撤廃の例外確認し判断”》NHK NEWS WEB/2013年2月9日 18時54分)

 安倍首相「聖域なき関税撤廃を前提条件とする以上、交渉に参加しないことは不動の方針だ。

 オバマ大統領との日米首脳会談で、私自身が聖域なき関税撤廃なのかどうかの感触をつかむことができるどうかだ。それで判断していくことになる」――

 「聖域なき関税撤廃を前提条件とする以上、交渉に参加しないことは不動の方針だ」と断固とした絶対的姿勢を示しつつ、「オバマ大統領との日米首脳会談で、私自身が聖域なき関税撤廃なのかどうかの感触をつかむことができるどうかだ」と、オバマ大統領の姿勢次第だと言って、最初の断固とした絶対的姿勢を絶対的どころか、平気で断ち切っている。

 これを以て対米従属外交・対米追従意識と言わずして、何を以て対米従属外交・対米追従意識と言うことができるのだろうか。

 「感触を得ることができるかどうかだ」とはオバマ大統領から得ることができる「感触」にかかっている、その「感触」に従うということを意味するはずだ。いわばオバマ大統領の姿勢に従属する受身の姿勢となっている。

 これではバカの一つ覚えみたいに自身が能書きとしている、「人命、財産、領土、領海、領空、国益を断固として守り抜く決意をしっかりと示していく」という外交姿勢に反する。

 「聖域なき関税撤廃が前提条件なら、交渉不参加が不動の方針だ」といったことを勇ましく宣言したなら、例え相手が「聖域なき関税撤廃を前提」としようが、自らの外交能力を以ってしてあくまでも例外を要求していくという断固とした絶対的姿勢を示してこそ、発言で示している前後の姿勢に一貫性と整合性を持たせることができるが、そうはなっていないところに普段の能書きが口先だけ、言っているだけなのを証明することになっている。

 このTPP交渉参加はオバマ大統領からの感触に従うという発言は2月8日の衆院予算委員会でも使っている。《首相 関税撤廃の例外確認したい》NHK NEWS WEB/2013年2月8日 19時46分)

 山田・日本維新の会筆頭副幹事長「日本維新の会は、なるべく早く交渉に参加すべきだという考えだ。TPPに参加できれば、経済対策への福音になるのではないか」

 安倍首相「日米首脳会談の議題を申し上げることは差し控えるが、私自身が聖域なき関税撤廃を前提としているのかどうかについて感触を得ることができるかどうかは、極めて重要なポイントである」――

 やはりオバマ大統領が聖域なき関税撤廃を前提としているのかどうか、感触から判断できる相手の姿勢次第だとしていて、そこが「極めて重要なポイント」だと、対米追従外交・対米追従意識を図らずも見せている。

 何とも情けない一国の首相像となっている。

 「聖域なき関税撤廃が前提条件なら、交渉不参加」とする以上、林芳正農水相が示している姿勢を出発点としなければならないはずだ。《米国に「例外」認めさせる=TPP交渉参加問題で林農水相》時事ドットコム/2013/01/18-20:56)

 1月18日の「BS朝日」番組収録発言。

 太平洋連携協定(TPP)交渉の参加をめぐる政府の決断時期が夏の参院選後でも問題ないとの見方を示したという。

 林農水相「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、交渉参加に反対という公約は守らなければならない。

 (交渉主導の米国に関税撤廃の)例外は認めようと言わせる」

 「例外は認めようと言わせる」と言うことによって、聖域なき関税撤廃前提は交渉不参加とする断固とした絶対的姿勢との一貫性・整合性を初めて保ち得る。
 
 だが、安倍首相は例外を自ら獲ち取る断固とした姿勢を示すことができず、逆に対米従属外交・対米追従意識を見せることとなった。

 勿論、「例外は認めよう」と提案したとしても、実現という結果を出すかどうかも外交能力にかかることになるが、少なくとも「聖域なき関税撤廃を前提条件とする以上、交渉不参加」の姿勢と整合性ある姿勢とはすることができる。

 もし関税ゼロの例外を認めさせることができたなら、TPP参加が国益に適うと見ているなら、オバマ大統領のTPPに関わる言動から感じ取ることができる受け身の感触で交渉参加を決めるのではなく、自らが能動的に働きかけて例外を獲ち取る姿勢を全面に打ち出すことこそが必要とされるが、言葉はその人間の合理的判断能力の反映として存在することになるから、そういった姿勢を示すことができなかったのは自身の外交能力に余程自信がないことの現れとして出た姿勢なのか、あるいは元々対米従属姿勢・対米追従意識に囚われていたことからの姿勢なのか、このことも自らの合理的判断能力が選択していることだが、オバマの決定に待つ受け身の姿勢に重点を置く判断能力を自らの合理性としていたことになる。

 為替を円安に導き、株高を演出する局面に於いては先頭に立ってリードする姿勢を示すことができたが、両方共、その多くは投機がつくり出した場面であって、経済そのものを直接的に動かして、動かし得たその実体を裏打ちとした成果ではない。

 自らが関わって自らの政治能力・外交能力を以てして直接成果の実体をつくり出さなければならない場面で、果たして一国のリーダーとしてどれ程の力を発揮しできるかと言うと、TPP交渉参加問題に見せた対米追従外交・対米追従意識だけではなく、尖閣領有問題で中国に対して有効な手を打てないでいる成果の実体から判断しても、その政治能力・外交能力に些か疑問符を付けなければならない。


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伊吹文明の元文科大臣を務めただけあっての、見事な体罰一定程度肯定教育論

2013-02-10 11:06:54 | Weblog

 元文部科学大臣、現衆議院議長伊吹文明が体罰を容認する発言をしたという。保守的立場から国の教育行政を与ってきた身として、当然の発言と見るべきなのかもしれないが、常識としなければならない教育論から見た場合、果たして正当性ある発言なのか、見てみる。

 《「体罰全否定して教育はできない」伊吹衆院議長》MSN産経/2013.2.9 18:46)

 2月9日(2012年)、自民党岐阜県連主催の政治塾での発言。

 伊吹文明「体罰を全く否定して教育なんかはできない。この頃は少しそんなことをやると、父親、母親が学校に怒鳴り込んでくるというが、父母がどの程度の愛情を子に持っているのか。

 何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていない。立派な人になってほしいという愛情を持って体罰を加えているのか、判然としない人が多い」――

 要するに体罰全面否定ではなく、「立派な人になってほしいという愛情」から体罰を加えるのだという認識をしっかり持っている場合は許すべきだとする限定的体罰容認論となっている。

 要するに「体罰愛のムチ論」の範疇に入る。

 また、教師から子供が体罰を受けて、「学校に怒鳴り込んでくる」親は子供に愛情を持っていない親だと一刀両断に価値づけている。

 この発言を逆説すると、子供に愛情を持っている親は少しくらい体罰を受けても、「学校に怒鳴り込んで」行かない、あるいは行ってはならないということになる。逆に教師は教師の務めを果たしているのだと見て、子供を「あなたの教育のためなのだから」と諭さなければならない。諭さなければ、子供に愛情ある親とは見做されないことになる。
 
 だが、「立派な人になってほしいという愛情を持って」行なう体罰など存在するのだろうか。

 殆どの体罰は生活指導の面で思い通りの行動をしない、あるいは部活で思い通りの動き、思い通りのプレーをしない児童・生徒に対して、単に思い通りにさせようとして感情的に身体的強制力を用いてその場その場での矯正を図っているに過ぎない。

 授業に遅刻したからといって殴り、居眠りしていたからと殴り、部活で上手にプレーできなかったからといって殴り、得点することができなかったからといって殴り、試合に負けたからといって殴る、短絡的な視点からの暴力を用いた懲罰が正体の体罰に過ぎないはずだ。

 教師なり部活顧問なりが児童・生徒に対して「立派な人になってほしいという愛情を持って」いたなら、諄々(じゅんじゅん)と言葉で説いて相手の判断力に期待するはずだ。

 自主的・主体的判断力こそが生涯に亘ってどう行動するかの決定権を握っている。

 だが、満足に言葉を持たないから、教師にしても部活顧問にしても説くべき言葉が出てこず、手や足が出ることになる。

 また、教師自身や部活顧問自身が満足に言葉を持たないから、児童・生徒の自主的・主体的な判断力が良好な刺激を受けて育つという環境に立つ機会を得ず、児童・生徒の自主性・主体性が期待できないところで体罰を加えるから、未熟な自主性・主体性が機能するはずはなく、教師や部活顧問の体罰自体がその場その場での矯正となって、体罰は延々として続くことになり、生徒の側にしても自らの自主性・主体性に恃(たの)むのではなく、体罰という身体的強制力を持った指示に従って行動するようになり、体罰を延々として必要とすることになる。

 言葉の不在を契機とした体罰の需要と供給の関係が成り立っていると言うことができる。

 児童・生徒の、自らが考えて行動するという自主性・主体性が期待できな場所で彼らが体罰を恐れて行動を改めたとしても、体罰に対する回避行動を誘発すしたに過ぎない。その道が最も近い道でありながら、吠える犬がいて怖いからと遠回りする道を選択していたのでは、犬が鎖に繋がれていて、鎖の長さ以上には行動半径を超えて噛みつくことはできないと考え、行動することを学ぶことにはならないのと同じで、自らが考えて行動するという自主性・主体性を介在させないままの恐れからの体罰回避行動は自身の考えや思いから発した、そのことを原点とした自主的・主体的行動を育むことにはならない。

 児童・生徒自身が考え、行動する自主性・主体性を恃まずに「立派な人」に成長することができるだろうか。だが、堂々巡りになるが、教師・部活顧問が満足に言葉を持たず、自らが未熟な自主性・主体性を抱えているばかりだから、言うことを聞かせ、思い通りにするために体罰や罵声を優先させることになる。

 教師・部活顧問による感情的に身体的強制力を用いた児童・生徒の行動の矯正は体罰回避行動を誘発するが、ただでさえ満足に育っていない自主的・主体的な判断力を逆に去勢することになると言える。

 当然、体罰によって根性が生まれるという主張も、体罰が児童・生徒の自主的・主体的な判断力の去勢作用の側面を持つ以上、その根性は自主的・主体的な判断力から発した精神性ではなく、体罰を受けて動きを改めるときのような、単なる勢いや体力で見せる根性でしかなく、冷静な判断に根付いた根性とは縁遠いはずだ。

 体罰や罵声に頼るのではなく、言葉で説く指導こそが、児童・生徒の言葉を育み、言葉の育みが自主性・主体性の育みにつながっていって、最終的にそれぞれの自主性・主体性に基づいた判断能力に恃むことが可能となる。

 伊吹文明の体罰発言を伝えているもう一つの記事がある。《体罰を全否定、教育はできない…伊吹衆院議長》YOMIURI ONLINE/2013年2月9日23時18分)

 伊吹文明「体罰を全く否定しては教育はできないと思う。(教える側も)人間性を磨くことが必要であり、古典を読んで歴史を学び、見識を広げてほしい」

 一定の体罰を肯定した上で、一定の体罰を行なう教師・部活顧問は人間性を磨いた人物であり、一定限度を超えた体罰を行なう教師・部活顧問は人間性を磨いていない人物であって、「古典を読んで歴史を学び、見識を広げて」人間性を磨かなければならないということになる。

 だが、家庭内暴力や児童虐待が最初は小規模なことから始まり、次第にエスカレートしていって過剰な暴力の姿を取り、ときには殺人に至るように、体罰にしても、特殊な例外を除いて、一般的には最初から過剰な暴力の姿を取るのではなく、最初は小規模な身体的強制力から始まって、それが頻繁且つ過剰な形へとエスカレートしていき、ときには自殺を招く経緯を辿るはずだ。

 いわば体罰の程度で人間性は計ることはできないということである。

 もし伊吹文明の一定程度の体罰は許されるとする体罰肯定論からすると、しつけという口実で一定程度の児童虐待も許されることになり、同じく一定程度の家庭内暴力も許されることになる。

 そして一定程度の児童虐待や一定程度の家庭内暴力でとどめている限り、人間性を磨いた親、人間性を磨いた夫とすることができることになる。

 だが、悲しいかな、エスカレートしない児童虐待も家庭内暴力も、例外としてしか存在しないはずだ。

 児童虐待も家庭内暴力も言葉を用いないことによって生じる。言葉が通じないから、言葉の代わりに腕力を用いたという口実は成り立たない。自身の言葉に正当性があるかどうかの判断も、言葉を必要とする。当然、満足に言葉を持たなければ、自身の言葉の正当性は判断できないことになる。

 伊吹文明は「古典を読んで歴史を学び、見識を広げてほしい」と言っているが、 文部科学大臣在任中の2007年2月25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会の講演で次のように発言している。

 伊吹文明「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた、大和民族が日本の国を統治してきたということは歴史的に間違いない事実。日本は極めて同質な国だ」――

 そもそも国の形をなした大和政権以前の日本は縄文人と大陸半島からの渡来人で成り立り、その混血が日本人の形を取っていった。

 その混血によって同質化していったとしても、民族によってではなく、個人によって立つ現在のグローバルな時代に「大和民族」を言い立てるのは、大和民族を絶対的存在として優越的な位置に置いているからで、そこには独裁意識がある。

 なぜなら、独裁者は自民族を他民族に優る優越的位置に置き、その優越性に自己権力の正統性を同格化して、民族の優越性に対応する自己の優越性と価値づけ、地位の保障とするからだ。

 また、自民族を他民族に優る優越的位置に置くためには自民族という枠の中での同質性を求めて、優越性の証明とする。自民族の同質性の阻害要件となる異質性は同時に優越性証明の阻害要件となる。

 結果、渡来人との混血である事実や韓国人や朝鮮人の存在を否定したい衝動を抱えることになる。

 「古典を読んで歴史を学び、見識を広げ」た結果の、「日本は極めて同質な国だ」の伊吹発言である。見識がどの程度か、知れる。

 自民党や公明党の与党は身内庇いから問題にしないだろうが、野党が「体罰を全く否定して教育なんかはできない」という発言を無視するとしたら、その見識を疑う。

 教育は一定程度の体罰を認めることではなく、児童・生徒に言葉を教え、自ら考え、判断して行動する自主性・主体性を育むことにある。

 そのためには教師自身が言葉を身につけなければならない。体罰を受けて育った指導者が体罰を繰返す循環が言われているが、言葉の育みを受けないで育った教師・部活顧問が言葉を不在とした体罰に走り、そのような指導で育った児童・生徒も言葉の育みを得る機会を持たないまま言葉を不在とする循環にあると言うことができ、それが体罰がなくならない原因となっているはずだ。

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安倍首相の物静かな外交からの転換宣言がより証明するレーダー照射の情報隠蔽と情報操作

2013-02-09 11:02:47 | Weblog

 昨日2013年2月8日の当ブログ記事――《射撃管制用レーダー照射、首相官邸報告遅れには情報操作の臭いがする - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、レーダー照射時点で米軍などは解析・確認を可能としていることから、自衛隊も可能とし、1月30日の照射の場合も1月19日と同じ対応を取って発生当日に首相官邸と防衛相に報告、両者は中国を刺激することによる関係悪化のエスカレートを恐れて情報隠蔽を謀っていたのではないのか、だが、2月4日の中国海洋監視船2隻が14時間にも亘って日本領海を侵入するに及んで、これ以上の無法、国際法違反は許すことはできない、いわば中国側に非があることを訴えるために公表せざるを得なくなり、公表するにはレーダー照射発生当日に報告を受けていたことの情報隠蔽が必要になり、辻褄を合わせるために情報操作まで犯すことになったのではないかといったことを書いた。

 この疑惑を2月8日の衆院予算委員会安倍首相国会答弁が本人の意図していないところでより色濃く裏付けてくれている。

 本題に入る前に、昨日2月7日昼のTBS「ひるおび!」に、あの嫌味な(個人的印象)森本前防衛相が出演、レーダー照射のロックオンを受けた艦船はレーダーを探知する電波探知機を備えていて、周波数を分析、確認後、音で管内に知らせるといった知識を披露していた。

 インターネットで調べると、射撃管制レーダーは他のレーダとは違って周波数が高く、周波数で直ちに特定できるようだ。

 要するに照射を受けた時点で、それが射撃管制レーダーなのかどうか、判別できるということである。当然、1月19日照射を受けた当日に首相官邸と防衛省に報告したように1月30日の照射に関しても、例え正確に確認する必要から分析に回すとしても、報告のみはその当日にあってもいいはずである。

 常に最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態がいつ起きても、最小限の被害で食い止めることができるように備えておく危機管理の点から言っても、次の日に、あるいは2日後にどのような形でもエスカレートしないと断言できる保証も確証もないのだから、そのための情報として事実だけは伝えておく必要はあったはずだ。

 事実報告していなかったとしたら、軍の最高指揮官である首相は中国艦船による自衛隊護衛艦への射撃管制レーダー照射の情報を6日間も何ら持たず、何ら知らずにいたことになる。

 これ程の迂闊な空白を許されるだろうか。

 もし小野寺防衛相が防衛省に対して照射を受けて直ちにではなく、それが実際に射撃管制レーダーなのかどうか解析・確認してから報告することをルールとしたとしたなら、危機管理意識を欠いていたことになり、この点の責任が問われることになる。

 もしこのルール作りが安倍首相が主導、その指示であったなら、安倍首相自身の危機管理意識欠如の責任も問わなければならないことになる。

 では、次の記事――《首相“日本の考え主張する外交に”》NHK NEWS WEB/2013年2月8日 12時31分)から、情報隠蔽・情報操作を疑うことができる発言を取り上げてみる。

 中田日本維新の会政策調査会長代理「中国では、『中国の脅威をデッチ上げるための政治劇だ』などと報道がされている。日本は世界に対して、戦略的に日本の立場を伝えていくべきだ」

 安倍首相「今回の事案は極めて慎重に精査して発表した。日本外交は、国際社会において、礼儀正しく、物静かだったが、主権や国益が侵害されるときには、しっかりと日本の考え方を述べていく外交に変えていく。国際社会に日本の主張を浸透させるために、戦略的な体制を取る必要がある。

 安倍内閣の方針として、人命、財産、領土、領海、領空を断固として守り抜く決意をしっかりと示していく。新年度予算案で防衛費を増額したのは、国家として、これらを守っていくという意思表示だ」――

 事実、「外交に変えていく」と、記述通りの言葉遣いをしたのか、記事付属の動画で確かめてみた。

 以下動画から。

 中田日本維新の会政策調査会長代理「『レーダー照射中に脅威をデッチ上げるための政治劇だ』。こういうふうな報道も中国では出回っています。かなり、真剣に、組織立って、戦略的に、日本の立場というものを伝えていかなければまずい・・・・」

 安倍首相「日本外交というのは、国際社会に於いて、あるいはまた、国際条理に於いて礼儀正しく、物静かな外交を行なってきたんだろうなと、思います。

 しかし、主権や国益が侵害されるときには、しっかりと我々の考え方を述べていく、そういう外交に変えていきます。

 その意味に於いて、国際社会に於いて我々の主張を浸透する上に於いて、戦略的な体制を取っていく必要があるだろうと。えー、今、そういうことについては、既に指示を出している・・・・」――

 確かに「変えていきます」と言っている。「そういった外交を展開していきます」と「変えていきます」とでは大きな違いがある。

 従来の外交手法を全然別物の新しい手法に変えていくということを意味するからだ。

 では、従来の外交手法はどのようなものか、安倍首相は「日本外交というのは」と前置きして、「国際社会に於いて、あるいはまた、国際条理に於いて礼儀正しく、物静かな外交を行なってきたんだろうなと、思います」と言っている。いわば、「行なってきたんだろうな」と、距離を置いて価値判断する目で把えていることから判断して、従来の「日本外交」に自身の外交手法を加えていないことが分かる。

 「礼儀正しく、物静かな外交」手法は取りません、「しっかりと我々の考え方を述べていく、そういう外交に変えていきます」と宣言したのである。

 要するに「礼儀正しく、物静かな外交」を「しっかりと我々の考え方を述べていく、そういう外交」の否定要素として対置させた。

 それが記事が伝えている発言、「人命、財産、領土、領海、領空を断固として守り抜く」外交だということなのだろう。

 しかし従来の日本の外交手法を変えるについては第2次安倍政権発足を転換の契機としていいはずだが、中国艦船による自衛隊護衛艦への射撃管制レーダー照射に関わる国会質疑の中で、「変えていきます」と宣言した。

 当然、転換の契機は中国のレーダー照射ということになる。

 では、第2次安倍政権発足から中国のレーダー照射までの間、安倍首相はどのような外交手法を目指していたのだろうか。

 2012年10月31日の野田首相所信表明演説に対する安倍晋三自民党総裁・衆院代表質問から振り返ってみる。

 安倍晋三「われわれ自民党は、インド・豪州・ASEAN諸国との安全保障・経済・エネルギー各分野の関係をより緊密化し、さらに、中国・韓国との関係改善を図ってまいります。同時に、我が国の美しい領土・領海は断固としてわれわれが守るとの決意を国民に、世界に示さなければなりません」

 安倍晋三自民党総裁が政策づくりに関わった「2012年自民党衆院選マニフェスト」の外交政策。

 〈自民党は、国民の生命・領土・美しい海を断固として守り抜きます。

 2012年12月26日安倍内閣閣議決定の政権運営基本方針

 「外交・安全保障の再生」の項目。

 〈国民の生命・財産・領土・領海・領空を断固として守り抜くため、国家安全保障会議の設置に向けて取り組むほか、国境離島の適切な振興・管理、領海警備の強化等を図る。〉――

 2013年1月1日安倍首相年頭所感。

 安倍晋三「広く世界を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交を大胆に展開します。国民の生命・財産と領土・領海・領空を断固として守り抜くため、国境離島の適切な振興・管理、警戒警備の強化なども進めてまいります」

 2013年1月4日安倍内首相年頭記者会見。

 安倍晋三「日米関係を一層強化し、近隣諸国との関係を立て直していくために、私自身が先頭に立って戦略的な外交を大胆に展開してまいります。国民の生命、財産、我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜いていくという決意であります。大規模災害やテロ、重大事故などの危機管理対応に24時間、365日体制で万全を期してまいります」

 2013年1月11日安倍首相記者会見。

 安倍晋三「中国でありますが、尖閣について、この海と領土、これは断固として守っていくという姿勢は、いささかも変わりがありません。この問題について交渉するということは、余地はないということはもう既に申し上げてきているとおりであります」――

 2月8日の衆院予算委国会質疑では、「しっかりと我々の考え方を述べていく、そういう外交に変えていきます」と言い、それがどのような外交かと言うと、「人命、財産、領土、領海、領空を断固として守り抜く決意をしっかりと示していく」外交だと説明した。

 また、「しっかりと我々の考えを述べる」「断固として守り抜く」とは相互的な言い替えに過ぎないはずだ。

 しっかりと我々の考えを述べない断固とした外交は倒錯的な自己撞着そのものである。「断固として守り抜く」については、「しっかりと我々の考えを述べ」なければなければならないし、述べて初めて整合性を持った正当性を得る。

 だが、以上見てきたように「断固として守り抜く」外交手法は最初からのものであって、何も変わっていない。散々に言ってきたことを中国のレーダー照射を転換の契機として、「しっかりと日本の考え方を述べていく外交に変えていく」と宣言する必要はどこにもなかったはずだ。

 ではなぜ、中国のレーダー照射を転換の契機として、「変えていく」と宣言したのだろうか。

 やはりそこに1月30日、1月19日と同様にレーダー照射当日に防衛省が小野寺防衛相に報告を上げ、小野寺防衛相がさらに首相官邸に報告を上げていたにも関わらず、何らかの対中国配慮から、その情報を隠蔽し、隠蔽したものの公表せざるを得なくなって、情報隠蔽の露見を回避するために1月30日当日には報告は上がってこなかった、その他の情報操作を行ったために、もうそういった外交手段は取るまいとする決意が、「しっかりと日本の考え方を述べていく外交に変えていく」とつい思い改めさせたといったところではないだろうか。

 つまりレーダー照射という危険行為を突きつけられても、日中関係の悪化を恐れて、「しっかりと日本の考え方を述べ」るのを我慢したが、我慢しても中国の行為はエスカレートするばかりで、我慢の無意味に気づき、「断固として守り抜く」最初の決意に立ち戻ることにした。

 このように考えでもしなければ、「変えていく」という言葉の辻褄、言葉の整合性を見つけることはできない。

 もし1月30日に報告を受けながら、報告事実の情報隠蔽を謀り、情報隠蔽を次の隠蔽に付すために情報操作を行ったのだとしたら、かねてから外交姿勢として掲げていた人命、財産、領土、領海、領空、国益等々を、「断固として守り抜く」という一大決意は口程にもない、犬の遠吠えにも等しい有言不実行の言葉となる。

 一国の首相として自身の発した言葉の行方はその人間性そのものを現すことになる。

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射撃管制用レーダー照射、首相官邸報告遅れには情報操作の臭いがする

2013-02-08 09:17:35 | Weblog

 謝罪

 昨日のブログ記事――《橋下徹の1月27日「報道ステーションSUNDAY」出演の桜宮高体育科入試中止論には無理がある - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、最初「報道ステーションSUNDAY」を「新報道2001」と間違えて扱っていました。2時間程で直しておきましたが、直す前にアクセスした読者には謝罪いたします。


 次の記事が照射から首相官邸報告、そして公表の経緯を詳しく伝えている。《小野寺防衛相への報告は6日後=1月30日のレーダー照射》時事ドットコム/2013/02/07-21:39)

 以下は黒江哲郎防衛省運用企画局長、その他による2月7日予算委質疑等で判明した事実となっている。

 1月19日、中国海軍艦艇からの対海自ヘリレーダー照射を疑い、発生当日に安倍晋三首相と防衛相に一報。

 この時点で公表しなかった理由。

 小野寺防衛相「証拠がしっかり国際的にも表明できる内容になるか不安があった」

 レーダー照射だと明確に確認できなかったことになる。

 防衛省運用企画局がデーターを解析、1月21日、「中国側のレーダー照射であるとの確証は得られなかった」として、防衛相に改めて報告。

 解析に2日間から3日間かかったことになる。

 小野寺防衛相「しっかりとした明確な違反が確認されたことをもって対応したい」と防衛省に指示。(2月7日衆院予算委答弁)

 要するに間違えた反応を避けるためにレーダー照射かどうかの解析後、事実を明確に確認できてから対応することを自らか、あるいは安倍首相も関わってのことなのか、ルールとし、そのようなルールで行くことを防衛省に指示したということになる。

 記事は、〈この指示により、30日の照射の報告が6日後になったとみられる。〉と解説している。

  1月30日、中国海軍艦艇から海上自衛隊護衛艦に射撃用レーダー照射の疑い。

 この疑いの事実を以って、疑いの段階であるから、発生当日に首相官邸と小野寺防衛相に報告することはしなかった。

 いわば解析・確認後の報告とする予定としていた。

 発生から6日後の2月5日、小野寺防衛相、防衛省運用企画局から、レーダー照射であったと報告を受け取る。当日2月5日夜、小野寺防衛相は緊急記者会見を開いて、公表。

 解析に5日間かかったことになる。照射時間と解析終了時間によっては、6日間か、6日間近く時間を要したことになる。

 一般的には疑いが疑いでしかなかったときの方が何度も確認する必要に迫られるために時間がかかるもので、疑いが明らかな事実だと判明する場合は、その分、痕跡が色濃く残されているために時間がかからないものだが、一般的と違って、逆の解析時間となっていて、少ない時間で済むと思われる後者の方が2倍近くか、2倍も時間がかかっている。

 なぜなのだろう。限りなく疑いたくなる点である。

 安倍首相「事務方がより慎重になり、私のところに(情報が)上がってくるのが遅くなった。今後は未確認でも私や防衛相に上がるようにする」(2月7日衆院予算委答弁)

 要するに疑いの段階でも、解析・確認を待たずに首相官邸に直ちに報告させるルールとすることを言明、小野寺防衛相が一人決めたルールなのか、安倍首相も共に話し合って決めたルールなのか、解析・確認後の報告という前のルールを改めることとしたということになる。

 問題はルールではない。安倍首相や小野寺防衛相が発言している経緯・展開が事実存在したかどうかである。

 映画では味方戦闘機が敵戦闘機に射撃管制用レーダー(マスコミによっては火器管制レーダーと表現している)を照射、うまく捕捉すると、「ロックオン」と知らせ、ミサイルを発射するかどうかの指示を待つ。

 敵戦闘機も気づいて、発射される前に逃げようとする。いわば瞬時にレーダーが照射されたかどうか判断できることを窺うことができるシーンとなっている。

 このことは沖縄差別発言で米国務省日本部長の職を更迭され、元米国務省日本部長の肩書となったケビン・メア氏の発言が証明してくれる。

 《「レーダー照射、米軍なら反撃」メア元日本部長》YOMIURI ONLINE/2013年2月6日20時15分)

 2月6日、国会内で講演。

 ケビン・メア氏「米軍であれば、(自らへの)攻撃と判断して反撃する。中国海軍は規律が良くないし、あまり訓練もされていない。非常に危ない。

 (中国の海洋戦略に関して)尖閣諸島だけでなく(沖縄本島などの)琉球諸島も狙っている。中国の脅威にどう対処するか、日本は決断しなければならない」

 軍備増強を求めたという。

 「攻撃と判断して反撃する」には、レーダー照射と同時に瞬時に解析可能でなければならない。少しでも時間がかかったなら、相手にミサイル等で攻撃する意思があった場合、常に反撃前に撃破されることになる。

 政府関係者も似た発言をしている。

 政府関係者「米軍なら照射を受けた時点で反撃していただろう」(MSN産経

 この発言の方が瞬時の解析可能であることの証明となる。但し記事は、〈国際基準との差を指摘する声〉だと位置づけていて、自衛隊法で「防護のための武器の使用」が許されているにも関わらず、反撃しないことの日本と外国の違いレベルでこの発言を把えているに過ぎない。

 だが、1月19日の海自ヘリコプターの場合も、1月30日の海上隊護衛艦の場合も、「照射を受けた時点」どころか、前者は2日間から3日間、後者は5日、あるいは6日か6日近く解析に時間がかかった。

 有事の際のレーダー照射だった場合、敵は解析・確認の3日間とか5日間、攻撃を待ってくれるのだろうか。有事であっても、相手が分析・検討する時間ぐらい待ってやろうじゃないか、それからでも発射は遅くないと配慮してくれるなら、間に合うかも知れない。

 そうでなければ、今回の中国海軍艦艇からのレーダー照射の解析・確認が5日もかかったために防衛相への報告も首相官邸への報告も遅れた、公表も遅れたといった説明・情報公開との整合性が取れない。

 米軍の場合は照射された時点で解析・確認は可能だが、自衛隊の場合はそれが不可能だという話は通らない。

 また、有事ではないから、解析・確認に慎重の上にも慎重を期した、有事の際は照射時点で直ちに解析・確認するから、いたずらに攻撃を招くということはしないという話も通らない。

 一般常識的に照射された時点で解析・確認ができていたとしたら、防衛省がその情報の防衛相や首相官邸への伝達を怠っていたか、防衛相も首相官邸も情報を受け取っていながら、国民への情報開示を怠っていたか、いずれかになる。

 但し1月19日のケースの場合が発生当日に防衛相と首相官邸に報告している関係から、実際は1月19日と同様に1月30日の場合も発生当日に報告していたが、首相官邸と防衛相は中国との間に事を荒立てたくないとして情報隠蔽を決め込んだものの、いわばなかったことにしていたところ、レーダー照射事案公表の2月5日前日の2月4日午前9時半頃、中国海洋監視船2隻が尖閣諸島沖合日本領海内に侵入、午後11時半過ぎまで14時間に亘って領海内を航行するに及んで、事を荒立てたくないとする我慢の尾が切れて、これ以上の無法、国際法違反は許すことはできないと翌日照射事案を公表するに至ったとするなら、米軍の場合は照射時点で解析・確認が可能だが、自衛隊の場合は不可能となっている不自然な矛盾に整合性が取れることになる。

 この見方が正しいということなら、小野寺防衛相の「しっかりとした明確な違反が確認されたことをもって対応したい」とする、防衛省から小野寺防衛相への解析・確認後の連絡とするルールも、安倍首相の「事務方がより慎重になり、私のところに(情報が)上がってくるのが遅くなった。今後は未確認でも私や防衛相に上がるようにする」も、情報隠蔽を隠すためにあとから作った情報操作のためのシナリオということになる。

 また、2月4日の14時間に亘る中国海洋監視船2隻日本領海内侵入にしても、1月30日の中国海軍艦艇レーダー照射に対して日本政府が沈黙を守っていたことから、その足許を見た、既成事実作りの決行と見ることができる。

 だから、14時間にも亘って我が物顔に堂々と侵入できたのではないのか。

 どう見ても、情報隠蔽が結果的につくり出した情報操作に見えて仕方がない。

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