伊吹文明の元文科大臣を務めただけあっての、見事な体罰一定程度肯定教育論

2013-02-10 11:06:54 | Weblog

 元文部科学大臣、現衆議院議長伊吹文明が体罰を容認する発言をしたという。保守的立場から国の教育行政を与ってきた身として、当然の発言と見るべきなのかもしれないが、常識としなければならない教育論から見た場合、果たして正当性ある発言なのか、見てみる。

 《「体罰全否定して教育はできない」伊吹衆院議長》MSN産経/2013.2.9 18:46)

 2月9日(2012年)、自民党岐阜県連主催の政治塾での発言。

 伊吹文明「体罰を全く否定して教育なんかはできない。この頃は少しそんなことをやると、父親、母親が学校に怒鳴り込んでくるというが、父母がどの程度の愛情を子に持っているのか。

 何のために体罰を加えるのかという原点がしっかりしていない。立派な人になってほしいという愛情を持って体罰を加えているのか、判然としない人が多い」――

 要するに体罰全面否定ではなく、「立派な人になってほしいという愛情」から体罰を加えるのだという認識をしっかり持っている場合は許すべきだとする限定的体罰容認論となっている。

 要するに「体罰愛のムチ論」の範疇に入る。

 また、教師から子供が体罰を受けて、「学校に怒鳴り込んでくる」親は子供に愛情を持っていない親だと一刀両断に価値づけている。

 この発言を逆説すると、子供に愛情を持っている親は少しくらい体罰を受けても、「学校に怒鳴り込んで」行かない、あるいは行ってはならないということになる。逆に教師は教師の務めを果たしているのだと見て、子供を「あなたの教育のためなのだから」と諭さなければならない。諭さなければ、子供に愛情ある親とは見做されないことになる。
 
 だが、「立派な人になってほしいという愛情を持って」行なう体罰など存在するのだろうか。

 殆どの体罰は生活指導の面で思い通りの行動をしない、あるいは部活で思い通りの動き、思い通りのプレーをしない児童・生徒に対して、単に思い通りにさせようとして感情的に身体的強制力を用いてその場その場での矯正を図っているに過ぎない。

 授業に遅刻したからといって殴り、居眠りしていたからと殴り、部活で上手にプレーできなかったからといって殴り、得点することができなかったからといって殴り、試合に負けたからといって殴る、短絡的な視点からの暴力を用いた懲罰が正体の体罰に過ぎないはずだ。

 教師なり部活顧問なりが児童・生徒に対して「立派な人になってほしいという愛情を持って」いたなら、諄々(じゅんじゅん)と言葉で説いて相手の判断力に期待するはずだ。

 自主的・主体的判断力こそが生涯に亘ってどう行動するかの決定権を握っている。

 だが、満足に言葉を持たないから、教師にしても部活顧問にしても説くべき言葉が出てこず、手や足が出ることになる。

 また、教師自身や部活顧問自身が満足に言葉を持たないから、児童・生徒の自主的・主体的な判断力が良好な刺激を受けて育つという環境に立つ機会を得ず、児童・生徒の自主性・主体性が期待できないところで体罰を加えるから、未熟な自主性・主体性が機能するはずはなく、教師や部活顧問の体罰自体がその場その場での矯正となって、体罰は延々として続くことになり、生徒の側にしても自らの自主性・主体性に恃(たの)むのではなく、体罰という身体的強制力を持った指示に従って行動するようになり、体罰を延々として必要とすることになる。

 言葉の不在を契機とした体罰の需要と供給の関係が成り立っていると言うことができる。

 児童・生徒の、自らが考えて行動するという自主性・主体性が期待できな場所で彼らが体罰を恐れて行動を改めたとしても、体罰に対する回避行動を誘発すしたに過ぎない。その道が最も近い道でありながら、吠える犬がいて怖いからと遠回りする道を選択していたのでは、犬が鎖に繋がれていて、鎖の長さ以上には行動半径を超えて噛みつくことはできないと考え、行動することを学ぶことにはならないのと同じで、自らが考えて行動するという自主性・主体性を介在させないままの恐れからの体罰回避行動は自身の考えや思いから発した、そのことを原点とした自主的・主体的行動を育むことにはならない。

 児童・生徒自身が考え、行動する自主性・主体性を恃まずに「立派な人」に成長することができるだろうか。だが、堂々巡りになるが、教師・部活顧問が満足に言葉を持たず、自らが未熟な自主性・主体性を抱えているばかりだから、言うことを聞かせ、思い通りにするために体罰や罵声を優先させることになる。

 教師・部活顧問による感情的に身体的強制力を用いた児童・生徒の行動の矯正は体罰回避行動を誘発するが、ただでさえ満足に育っていない自主的・主体的な判断力を逆に去勢することになると言える。

 当然、体罰によって根性が生まれるという主張も、体罰が児童・生徒の自主的・主体的な判断力の去勢作用の側面を持つ以上、その根性は自主的・主体的な判断力から発した精神性ではなく、体罰を受けて動きを改めるときのような、単なる勢いや体力で見せる根性でしかなく、冷静な判断に根付いた根性とは縁遠いはずだ。

 体罰や罵声に頼るのではなく、言葉で説く指導こそが、児童・生徒の言葉を育み、言葉の育みが自主性・主体性の育みにつながっていって、最終的にそれぞれの自主性・主体性に基づいた判断能力に恃むことが可能となる。

 伊吹文明の体罰発言を伝えているもう一つの記事がある。《体罰を全否定、教育はできない…伊吹衆院議長》YOMIURI ONLINE/2013年2月9日23時18分)

 伊吹文明「体罰を全く否定しては教育はできないと思う。(教える側も)人間性を磨くことが必要であり、古典を読んで歴史を学び、見識を広げてほしい」

 一定の体罰を肯定した上で、一定の体罰を行なう教師・部活顧問は人間性を磨いた人物であり、一定限度を超えた体罰を行なう教師・部活顧問は人間性を磨いていない人物であって、「古典を読んで歴史を学び、見識を広げて」人間性を磨かなければならないということになる。

 だが、家庭内暴力や児童虐待が最初は小規模なことから始まり、次第にエスカレートしていって過剰な暴力の姿を取り、ときには殺人に至るように、体罰にしても、特殊な例外を除いて、一般的には最初から過剰な暴力の姿を取るのではなく、最初は小規模な身体的強制力から始まって、それが頻繁且つ過剰な形へとエスカレートしていき、ときには自殺を招く経緯を辿るはずだ。

 いわば体罰の程度で人間性は計ることはできないということである。

 もし伊吹文明の一定程度の体罰は許されるとする体罰肯定論からすると、しつけという口実で一定程度の児童虐待も許されることになり、同じく一定程度の家庭内暴力も許されることになる。

 そして一定程度の児童虐待や一定程度の家庭内暴力でとどめている限り、人間性を磨いた親、人間性を磨いた夫とすることができることになる。

 だが、悲しいかな、エスカレートしない児童虐待も家庭内暴力も、例外としてしか存在しないはずだ。

 児童虐待も家庭内暴力も言葉を用いないことによって生じる。言葉が通じないから、言葉の代わりに腕力を用いたという口実は成り立たない。自身の言葉に正当性があるかどうかの判断も、言葉を必要とする。当然、満足に言葉を持たなければ、自身の言葉の正当性は判断できないことになる。

 伊吹文明は「古典を読んで歴史を学び、見識を広げてほしい」と言っているが、 文部科学大臣在任中の2007年2月25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会の講演で次のように発言している。

 伊吹文明「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた、大和民族が日本の国を統治してきたということは歴史的に間違いない事実。日本は極めて同質な国だ」――

 そもそも国の形をなした大和政権以前の日本は縄文人と大陸半島からの渡来人で成り立り、その混血が日本人の形を取っていった。

 その混血によって同質化していったとしても、民族によってではなく、個人によって立つ現在のグローバルな時代に「大和民族」を言い立てるのは、大和民族を絶対的存在として優越的な位置に置いているからで、そこには独裁意識がある。

 なぜなら、独裁者は自民族を他民族に優る優越的位置に置き、その優越性に自己権力の正統性を同格化して、民族の優越性に対応する自己の優越性と価値づけ、地位の保障とするからだ。

 また、自民族を他民族に優る優越的位置に置くためには自民族という枠の中での同質性を求めて、優越性の証明とする。自民族の同質性の阻害要件となる異質性は同時に優越性証明の阻害要件となる。

 結果、渡来人との混血である事実や韓国人や朝鮮人の存在を否定したい衝動を抱えることになる。

 「古典を読んで歴史を学び、見識を広げ」た結果の、「日本は極めて同質な国だ」の伊吹発言である。見識がどの程度か、知れる。

 自民党や公明党の与党は身内庇いから問題にしないだろうが、野党が「体罰を全く否定して教育なんかはできない」という発言を無視するとしたら、その見識を疑う。

 教育は一定程度の体罰を認めることではなく、児童・生徒に言葉を教え、自ら考え、判断して行動する自主性・主体性を育むことにある。

 そのためには教師自身が言葉を身につけなければならない。体罰を受けて育った指導者が体罰を繰返す循環が言われているが、言葉の育みを受けないで育った教師・部活顧問が言葉を不在とした体罰に走り、そのような指導で育った児童・生徒も言葉の育みを得る機会を持たないまま言葉を不在とする循環にあると言うことができ、それが体罰がなくならない原因となっているはずだ。

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