大阪市教委が桜宮高体育科系入試中止、普通科振替入試の決定を受けて、体育科系受験生の入学後の普通科カリキュラムに関して1月29日の会議でその概要を決定したという。
《大阪・桜宮高校 普通科の実技廃止に》(NHK NEWS WEB/2013年1月29日 18時52分)
(1)生徒が所属する部活動と同じ競技を授業の中で顧問の教師から学ぶ「実技科目」については、「部活動と一体化していた可能性がある」などとして、廃止。
(2)上記決定の代替策
体罰に頼らない指導方法を学ぶ科目の新設。
体罰を排除し、フェアプレー精神や相手を思いやる気持ちを学ぶ科目の新設
記事。〈教育委員会では、出願の時期が来月中旬に迫っていることから、受験生への情報提供を急ぐとともに、具体的な内容の検討を続けることにしています。〉云々。
記事はこの概要決定に対する橋下徹市長の発言は伝えていない。
次の記事がもう一つの改革方針と併せて、この方針に関する橋下徹市長の発言を伝えている。《【桜宮高2自殺】脱・暴力!運動部の顧問は外部委託に 大阪市教委方針》(MSN産経/2013.1.29 22:04)
桜宮高運動部活動の顧問を市教委が外部委託する方向で検討しているという内容である。
さらに校長も年度内に更迭、外部人材登用の方針だと記事は書いている。
橋下市長(記者団に)「部活動の在り方を変える。顧問を外部委託する方針を市教委から聞いた。全く違う学校になる。
(外部監察チームのアンケートで1割近い生徒が体罰を受けたと回答したとして)学校全体が暴力的な指導法が良いと思っていた。中身を変え、本質的な改革を着実に進める」――
「部活動の在り方を変える。顧問を外部委託する」と言うなら、新入生を単に普通科に潜り込ませただけで終わることになり、新入生を何も普通科で受入れずに体育科として受け入れても何の障害も生じないことになる。
それとも、改革してもなお障害があるというのだろうか。
「中身を変え」と言っている「中身」とは、部顧問の外部委託を受けた発言と限って判断すると、カリキュラムに関する「中身」ではなく、校長や部活顧問が関与する指導体制の「中身」を替えるということことであって、替えることによって、体罰指導を当たり前としていた在校生徒・保護者の意識改革・体質改革を共に行うということだろうから、これから入学する新入生にとって普通科に入学しようと体育科に入学しようと、改革の影響は何ら変わりはないはずだ。
例え普通科に入学しようと、自分は体育科の人間だという意識のもと、普通科から体育科への編入を待つ姿勢にのみ違いがあるということなら、普通科振替入学はさして意味を成さないことになる。
上記記事の市教委のカリキュラム改革の概要決定に対して、橋下徹市長は1月27日のあさひテレビ「報道ステーションSUNDAY」に大阪局から同時中継出演、決定を受け入れる発言をしている。
橋下市長「こんだ、あの、来年度、4月1日から、体育科は(入試を)1回中止しましたので、普通科で新入生を迎え入れて、この普通科のカリキュラムの中で、そういう授業(=新設科目の授業)を入れていくっていうことを教育委員会で決定しました。こういう形で変えていきます」――
新規カリキュラムに関る教育委員会の決定を支持している。部活顧問の外部委託、校長の外部人材登用、新しいカリキュラムの導入等、新入生が普通科に入学しなければできない対策だというのだろうか。
体育科に入学させたなら、実現不可能な対策だというのだろうか。場所は関係しない改革であるはずだ。
いわば体育科入試中止は市教委の新しい対策が普通科入学によって初めて機能し、体育科入学では機能しないとすることによって、正当性を確立可能とする。
だが、どう考えても、そのような形式でなければ確立できない正当性とはどこから見ても見えない。
橋下市長は部活顧問たちの体罰の蔓延と在校生・その保護者の体罰容認の風潮が相互反映して増長した現象だと見て、そういった相互反映の増長のもと、部活顧問の体罰によって一人の生徒が自ら命を断ったことを以って、その重大さを認識させる理由に入試中止を置いているようだが、例え保護者がもっと厳しく指導して欲しいと部活顧問に要求した結果の体罰の蔓延だったとしても、あくまでもそのような指導の正否を無視した学校の生徒管理にこそ、問題の根を見なければならないはずだ。
例え部員たちが保護者に同調して、保護者共々厳しい指導を求めたとしても、学校の生徒管理の問題であることに変わりはない。
保護者、あるいは生徒も含めた要求を無条件的に受け入れて、勝利至上主義に流された。あるいは部活顧問の教師自体が勝利至上主義に流されて、体罰を指導の効果ある手段とするに至った。
部員たち、あるいは生徒たちは体罰管理に馴らされ、良しとし、それが生徒指導の風土・文化となって、その中で育つことになった。
部活顧問や保護者に対する同調の罪はあるにしても、あくまでも教師・顧問に対する上下関係の中での下からの同調であって、上に位置する教師・顧問の主導的責任を免れることができるわけではない。
保護者や生徒に唆された体罰だとして、私達教師や顧問に責任はありませんと言うことができるだろうか。
入試中止は学校の生徒に対する指導管理の罪を受験生に迄なすりつける責任転嫁に見えて仕方がない。