安倍晋三の真に理解しているとは思えない「チャレンジ社会」・「全員参加型社会」構築の安請合い

2013-04-20 11:37:57 | 政治

 安倍晋三が昨日、4月19日午後3時30分から日本記者クラブで講演した。首相官邸HP――「成長戦略スピーチ」を参考にし、発言の中から「チャレンジ社会」、「全員参加型社会」への言及を取り上げて、真に理解しているとは思えない主張を俎上に載せたいと思う。
 
 安倍晋三「すべての人が意欲さえあれば活躍することができるような社会をつくることが成長戦略です。老いも若きも、障害者や病気を抱える方も意欲があれば、どんどん活躍して貰いたいと思います。
 
 一度や二度の失敗にへこたれることなく、その能力を活かして、チャレンジできる社会をつくり上げます。すべての人材がそれぞれの持場で持てる限りの能力を生かすことができる全員参加型社会こそが、これからの成長戦略のカギであると思います。

 高度成長時代の所得倍増計画を理論づけた下村治博士は『経済成長の可能性と条件』と題した論文の中でこう論じています。

 『成長政策とは日本の国民が現に持っている能力をできるだけ発揮させる条件をつくることだ』と。下村博士は当時4千5百万人いた就業者が非常に高い潜在能力を発揮できる機会が少ないことを指摘し、機会さえしっかりと与えれば、日本経済は成長できると説きました。

 この下村博士の言葉は現在も普遍的な価値を持っていると考えます。

 政権が発足してから僅か3カ月でこれまで低迷していた新規求人数は4万人増えました。1本目、2本目の矢は確実に新たな雇用、という形でも、成長を生み出しつつあります」(以上)

 具体策として大学生が3年生まで学業に集中できるようにすることと帰国留学生が就職活動で不利とならないよう、国内卒業生との機会平等を図るために就職活動解禁時期を現在の大学3年生12月からを大学4年生の4月(春休み)への後ろ倒しや、各種資格習得試験支援の「自発的キャリアアップ制度」の創設、日本の若者の目を世界に向ける目的の世界の若者との交流の機会創設、そのための英語が確実に身につく教育環境の整備、女性の社会参加を容易とするための待機児童解消、子育てて休業、もしくは退職した女性の職場復帰の保証等を挙げている。

 安倍晋三は「一度や二度の失敗にへこたれることなく、その能力を活かして、チャレンジできる社会」の構築と「すべての人材がそれぞれの持場で持てる限りの能力を生かすことができる全員参加型社会」の構築を「成長戦略のカギ」だと断言した。

 いわば安倍晋三は日本の社会は「チャレンジ可能社会」とも、「全員参加型社会」ともなっていないと宣言したことになる。だから、成長できないのだと。

 だとすると、安倍晋三もかつて関わった自民党政権がこのような社会の構築を長年放置していたことになり、その怠慢・不作為を問わなければならないが、このことは措いて、そのような社会となっていることの原因はどこにあるのか、先ずは探らなければならないはずだ。

 原因不明のまま、新たな社会を設計しても、今まで構築できなかった原因は残ることになって、折角の新しい設計も構築できなかった原因が設計の阻害要因とならない保証はない。

 原因を先に探って、日本の社会に特有な事情、あるいは日本人に特有な思考性の結果としてあるなら、あるいは日本人に限らず、日本人を超えて人類にある程度共通した思考性の結果としてある原因なら、そのことの修正から入らなければ、「チャレンジ可能社会」も「全員参加型社会」も満足な設計図を得ることは難しく、当然、不満足な構築とならざるを得ない。

 安倍晋三は言いっ放しで、このような視点を全く欠いている。認識能力の程度が知れるというものである。

 安倍晋三の程度の低い認識能力からしたら、「チャレンジ可能社会」も「全員参加型社会」も期待はできない。

 学校社会は実社会の下位社会を形成している。相互に別個の社会として成り立っているのでは決してなく、実社会の在り様の影響を受けて学校社会は成り立っている。いわば学校社会は実社会のヒナ型として存在し、相互反映関係にある。

 実社会の大人たちが決める教育を受け、実社会のマスメディアが発信の大部分を占める(垂れ流すと言ってもいい)、大人たちが構成する知識・情報の影響を受けて人間としての成長を経て、実社会に出て、実社会の大人たちの仲間入りをするのだから、児童・生徒と大人たち、あるいは学校社会と実社会は、ある意味、年齢の大きく離れた双子の関係にあると言うこともできる。

 実社会が「チャレンジ可能社会」も「全員参加型社会」も実現し得ていないにも関わらず学校社会が両社会を実現していたなら、実社会のヒナ型として存在し、年齢の大きく離れた双子の関係にあって相互反映し合っているという両者の関係性は崩れることになる。

 学校社会は「チャレンジ可能社会」となっているのだろうか。「全員参加型社会」だと言うことができるのだろうか。

 学校社会はテストの成績を最重要・最優先の価値観とし、テストの成績をモノサシとして児童・生徒の人間の価値を測るか、部活に於ける野球なら野球と限った、あるいはサッカーならサッカーと限った運動能力の優秀性を最重要・最優先の価値観として、部員としての人間の価値を測る社会となっていることは事実としてある社会現実であろう。

 学校教育者も教育関係の識者も価値観の多様化と言いながら、多用な価値を認めず、学校社会に於ける児童・生徒の可能性をテストの成績か、それぞれの部活の能力に限定している価値観の閉鎖生が学校社会に於いて「チャレンジ可能社会」も「全員参加型社会」も構築し得ていない原因となっているということであろう。

 このことを逆説するなら、学校社会の大人たちはテストの成績か運動能力でしか、児童・生徒の可能性を試さないチャレンジ閉鎖社会・一部参加型社会を形作っていると言うことができる。

 学校社会と実社会は相互反映の関係性にあるからこその学校社会の「チャレンジ不可能社会」・「一部参加型社会」に対する実社会の「チャレンジ不可能社会」・「一部参加型社会」ということであるはずだ。

 学校社会で生まれながらに運動能力に恵まれていない児童・生徒がテストの成績を上げることができなかった場合、テストの能力か部活の運動能力しか求めない学校社会に於いてどのような再チャレンジの機会があるというのだろうか。

 自身の可能性に気づかされないままに学校を卒業し、社会に出て、何らかの幸運なキッカケで自身の可能性に気づいたか、他者が気づかしたかした新社会人も存在するだろうが、多くは可能性が分からないことが原因となって生活のために行き当たりばったりに就職しては辞めていくことの繰返しを続けることになる。

 実社会がチャレンジ不可能社会、あるいは非全員参加型社会となっている象徴的な事例として、大学卒から3年間は新卒扱いとするとする政府の通達を挙げることができる。

 実社会は大学新卒と既卒に差別を設けているということである。あるいは大学新卒と既卒に付与する価値観を異にして、前者により高い価値観を与え、後者により低い価値観を与えているということである。

 だから、わざわざ政府が通達を出さなければならない。

 このような状況をも含めて、学校社会、実社会共々チャレンジ不可能社会・一部参加型社会となっているそもそもの原因は職業や学歴、収入等々のそれぞれの価値を上下で測って人間の価値の上下に当てはめる日本人の権威主義にあるはずだ。

 例えば職業に貴賎はないと言いながら、職業を上下の価値観で測り、その上下に応じて人間に貴賎をつける。

 非正規社員が正社員と比較して非婚が多いのは単に収入が低いことだけが原因ではなく、非正規であることを以って人間価値的に下に見る蔑視感も影響しているはずだ。

 安倍晋三が学校社会に於けるチャレンジ不可能社会、非全員参加型社会に目さえ向けることができずに実社会だけに存在するかのように言う程度の低い認識能力を曝しているようでは、「チャレンジ社会」、あるいは「全員参加型社会」の何たるかを実際には理解していないまま、言葉自体の格好の良さのみで安請け合いした、多分参院選対策なのだろう、国民に対する約束としか思えない。

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安倍晋三の尖閣諸島「実効支配・有効支配の確立」は領土として単にそこに存在させていることではない

2013-04-19 08:41:52 | 政治

 「誤記・謝罪」昨日(2013年4月18日)記事――《海江田代表は参院選で沈没するなら、党首討論でアベノミクスの否定的要素を予言して沈没すべきだった - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、「円安」と表記すべきところを「円高」と間違えて表記してしまいました。午後2時30分の時点で訂正。謝罪します。

 4月17日(2013年)記事――《安倍晋三断言の尖閣諸島対中国「冷静且つ毅然とした対応」が功を奏している止まない領海侵入 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で安倍晋三が尖閣諸島周辺領海内中国艦船出没に対して「安倍内閣が発足した直後から、前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」と言っていたことに実効性を伴わせていないと批判したが、この記事をアップロードした同日の午後3時から党首討論が行われ、石原慎太郎の尖閣諸島に関わる質問に対して安倍晋三は相変わらず口先だけの強がり発言を行なっている。

 石原慎太郎「尖閣の実効支配、具体的にどういう形で、今の政府は尖閣諸島を実効支配しているのか。政府が人を置くなり、金を出してインフラを造るなりしてほしい」

 安倍晋三「尖閣についてだが、歴史的にも国際法的にも日本の固有の領土であることは疑いのないことではあるが、実効支配ということについては、われわれは日本の領海、そして接続水域において海上保安庁の船が日本の実効支配を守るために、しっかりと24時間態勢でそこに存在して、日本の支配、実効支配、有効な支配を確立をしている」(以上MSN産経記事から)

 ブログ記事を書いたあとに「日本の支配、実効支配、有効な支配を確立をしている」と断言しているのだから、見過ごすことはできない。

 「海上保安庁の船が日本の実効支配を守るために、しっかりと24時間態勢でそこに存在して」いると言っているが、巡視船ができることは中国艦船が接続水域内に航行してきた場合は無線で領海内に立ち入らないように警告を発し、領海内に侵入してきた場合は同じく無線で領海外退去の警告を発する対応が精一杯で、日本側のそういった対応に対して中国側が直ちに従うわけではなく、接続水域航行も領海侵入も、領海外への退去も彼らの自由意志に任せているのが現状となっている。

 いわば中国政府の意志行動としてある領海侵入に関しては阻止する力を持たず、罰する力も持たず、日本側の領土領有意志の支配を有効たらしめるに無力な状態にある。

 実力で阻止もしない、拿捕して罰することもしない点に於いてまるで触らぬ神に祟りなしの体たらくである。

 だとしても、中国側の「釣魚島は中国固有の領土だ」とする主張にも関わらず、日本は尖閣諸島を日本の領土とはしている。

 果たしてこのような領土状態を実質的に「日本の支配、実効支配、有効な支配を確立をしている」と言えるのだろうか。

 先ず中国との関係に於いて尖閣諸島の領有権問題で外交的にも経済的にも障害を来している。最近の例では5月下旬にソウル開催で調整していた日中韓3カ国首脳会談が中国が日本との対立を理由に開催に難色を示していて見送られる見通しとなった(47NEWS)と言う。

 経済的障害の例の一つとして対中投資の一時的な減少、持ち直しているというものの中国人観光客の減少、あるいは輸出入の減少は今後共再現されない保証はない。

 外交的にも経済的にも障害を来している「実効支配、有効な支配」とは実質性を損ない、形式化を免れ難い。

 また、領土とは人間が住めない過酷な自然条件下にある以外、その土地と周辺の領海が可能とする開発を含めた様々な経済活動・様々な市民活動(=市民生活)を備え得て初めて領土・領海と言えるはずで、尖閣諸島に関しては市民活動どころか、自分たちの領土でありながら日本人の上陸さえ認めない状況、領海内で漁業活動は行われて入るが、海底に豊富な資源の埋蔵が認められていながら、宝の持ち腐れ状態に置いて何ら利用しない状況は果たして真の意味で「実効支配、有効な支配を確立している」と言えるのだろうか。

 このことは日本固有の領土でありながら、ロシアが実効支配している北方四島を見れば、理解できる。ロシアは日本のどのような抗議にも耳を貸さずに北方四島の開発を進め、市民活動を滞りなく推進している。日本の固有の領土であるという点からしたら逆説的だが、ロシアは現在のところ北方四島に関して「実効支配、有効な支配を確立をしている」と言える。

 いわばロシアの北方四島に対するように日本が尖閣諸島とその周辺海域が可能とする開発を含めた経済活動を推し進め、市民活動を展開して初めて尖閣諸島に対して「実効支配、有効な支配を確立をしている」と言えるはずだ。

 このことを別の言葉で言うと、「実効支配、有効な支配」と経済活動、市民活動は対応しているということ、あるいは対応させていなければならないということである。

 対応させて初めて、「実効支配、有効な支配を確立をしている」ことが証明され得るということでもあるはずである。

 尖閣諸島に当てはめて言うと、尖閣諸島に対して「実効支配、有効な支配を確立をしている」と言うためには尖閣諸島とその周辺海域が可能とする開発を含めた経済活動を推し進め、市民活動を展開しなければならないことになる。

 だが、安倍晋三は可能とする開発を含めた経済活動や市民活動を対応もさせずに「実効支配、有効な支配を確立をしている」と言っている。

 実質的には領土として単にそこに存在させているに過ぎない。

 ここには口先だけの強がりしか見えてこない。一種のゴマ化し以外の何ものでもない。

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海江田代表は参院選で沈没するなら、党首討論でアベノミクスの否定的要素を予言して沈没すべきだった

2013-04-18 12:12:43 | 政治

 昨日4月17日午後3時から党首討論が行われた。海江田民主党代表は、内閣支持率から言っても政党支持率から言っても勝ち目が殆どない分の悪い戦いに挑むことになると前以て認識していたのだろうか。

 認識していたなら、まともな戦いを仕掛けるべきではなく、何らかの奇襲作戦を敢行すべきだったが、まともな戦いを仕掛けてレフリーに相手のグローブをリング上で高々と掲げさせ、観客(=国民)から見たら、自らは自分のコーナーの椅子から立ち上げる元気もなく座り込む体の沈没を演じてしまった。

 党首討論の発言は《【党首討論詳報(4月17日)】(1)アベノミクスで「日本の空気変わった」と首相》MSN産経/2013.4.17 21:50)以下を参考にした。

 先ず海江田民主党代表はアベノミクスの副作用、特に金融緩和の副作用について尋ねた。

 副作用のない薬は存在しないと言われている。いわば副作用がゼロということはないわけで、副作用を覚悟しなければならない。問題はプラスの効果とマイナスの副作用の大小であり、あるいは効果が特定の階層に集中的に波及し、副作用が別の特定の階層を直撃する可能性の有無である。

 対して安倍晋三は14年間デフレから脱却できなかった経済低迷の閉塞感に覆われていた中にあって円高から円安への是正、約5割株価上昇、3カ月間で約5兆円上昇の年金の運用、大震災復興費充当予定のJTの株式売却益は民主党政権時代は5000億の計算が株価上昇によってプラス4700億円の9700億円の計算となっていると、事実とした成果を誇った。

 そして海江田代表が「副作用」に入れているだろうと予測した項目のうち、「財政健全化はしっかりと見ていく」で片づけ、賃金の上昇が物価上昇に見合うのかの点は、賃金上昇の正当要因とすべき実体経済の回復地点に現在のところ至っていない不確実な状況にあるからだろう、デフレから脱却できなかった14年間に50兆円の国民の富gざ失われた閉塞的状況に対して、そのように日本を覆っていたどんよりとした閉塞感を変えることができた成果に代えている。

 勿論、海江田代表としたら「副作用」の具体的な説明抜きでは満足できない。そこで小麦粉、パン、食料油、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、プラスチック製品と具体的に値上がり品目を上げて、さらに10月からの物価スライドから年金が下がることを指摘、生活者に対する気配りがないと批判したが、しかしアベノミクスは大胆な金融緩和→円安と株高→一方の輸入産品の物価高ともう一方の輸出拡大と企業業績改善→雇用改善と賃金上昇→消費者の消費拡大→インフレ(=物価高)→企業業績拡大→一段の雇用改善と賃金上昇・・・・といった具合に好循環をシナリオとしていて、その中に物価上昇を組み込んでいたことは承知していたはずだから、円安を受けた物価高を批判しても始まらないことを認識していなければならなかったはずだ。

 安倍晋三は心得たとばかりに次のように答弁している。

 安倍晋三「年金ですが、デフレが続いていけば年金は物価にスライドするから、年金を減らさなければいけません。だから今度2.5%。何回かに、何年かに分けて減らしていくことになります。他方、物価が上がっていけば、物価スライドしていくから、年金は上がっていくわけです」

 物価上昇に関する追及の点では既にここで勝負がついていた。年金に関してさらに追い打ちをかけた。

 既に安倍政権の「3カ月間で約5兆円上昇の年金の運用」と指摘していて、このことに反して年金の運用は民主党政権時代の昨年の12年の前半は1.5兆円マイナスの運用だったと成果を誇示した上で、「今、海江田さんは『感じ』で話すが、私はファクトで申し上げたい」と軽くいなされてしまった。

 円安、株高を受けた大企業の収益改善、物価上昇もすべて安倍晋三の言う「ファクト」(=事実)として現れている。生活者にマイナス要素の物の値段が高くなる物価上昇は物を売る企業側にとってはゆくゆくは業績改善につなっていき、企業が利益を上げれば雇用改善と賃金上昇に向かっていくというのも「ファクト」であろう。

 政治の側に尻を叩かれていたなら、戦後最長景気時のように企業は戦後最高益を上げながら、国際競争力維持の観点から人件費抑制を必要事項として賃金上昇の抑制で対応させたようにはいくまい。

 だとしたら、現在は「ファクト」であっても、将来的にも「ファクト」の形を取るのか、その継続性の点で争うべきだったのではないだろうか。

 アベノミクス3本の矢のうち、1本目の矢である異次元の金融緩和で円安と株高を演出し、「ファクト」とした。だが、2本目の「機動的な財政政策」、3本目の「民間投資喚起・規制緩和の成長戦略」がどのような「ファクト」を演出できるかは分からない。

 何しろ大胆な金融政策は安倍晋三のブレーンで、内閣官房参与も務める浜田宏一米エール大名誉教授の指導のもと打ち出した政策であって、確かに有能な人物の主張を取り入れるのも政治家の資質のうちだが、安倍晋三の創造性が生み出した金融政策ではないし、政策の実際の運用者は浜田宏一享受ではなく、安倍晋三以下である。

 本来的には安倍晋三も麻生も甘利も、国交省の太田昭宏も古い体質の政治家であるそういった面々が政策の実際の運用者である。頭で考えたことと絵に描いた通りに実行できるかどうかは別物である。

 アベノミクス第2の矢として掲げた「機動的な財政政策」が柱としている公共事業を見てみる。

 4月5日の閣議後会見。

 太田国交相「公共事業が第2本目の矢としての役割を果たす。第2の矢が続き、日本の景気回復に努めたい」(MSN産経

 だが、前の自公政権時代、経済回復の有効打として打ち出した公共事業は持続的な経済効果を生み出すことができなかったばかりか、国の借金を増やすばかりで却って財政悪化に手を貸した。

 その時代の政治家が現在政権を担っている。いくら「防災・減災」だと、その必要性を声高に言おうと、従来どおりに持続的な経済効果を伴わない必要性の消化で終わる危険性は否定出来ない。

 もし国の借金を今以上に増やすと、経済に詳しくないが、インターネット情報によると、財政への信認低下による金利上昇(国債価格の下落)を招いて、政府の資金調達の圧迫と圧迫に伴う行政サービスの削減等の国民生活への直接的な悪影響が生じることになるという。

 また財政悪化は財源不足から政策の自由度を奪うという。

 要は海江田民主党代表はアベノミクスの現在現れている「ファクト」で戦うのではなく、可能性として考え得る将来的な否定的要素で戦うべきだった。

 最初の発言者は海江田代表である。アベノミクスが現在成果としている円安や株高を認めつつ、アベノミクスに於ける第2、第3の矢の否定的可能性を持ち時間の殆どを使って、具体的かつ詳細に予言する形で延々と並べ立て、その否定的要素を国民の目に焼き付けることを自らの成果とし、安倍晋三に対しては答える時間を可能な限り与えない、成果拒否の戦法に出ていたらどうだったろうか。

 安倍晋三にしてもまだ取り掛かっていない第2、第3の矢に関して「ファクト」を述べることはできなかったはずだ。

 最後に、「アベノミクスが失敗した場合のリスクを想定しておく危機管理は欠かすことはできないから、否定し難い失敗の可能性を說明させて頂いた」と言ってやればいい。

 実際にも現在の成果と比較した失敗した場合の反動は決して小さくないはずだ。

 どうも安倍晋三の人間性とその認識能力の低劣さから判断すると、アベノミクスが成功するようには思えない。

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安倍晋三断言の尖閣諸島対中国「冷静且つ毅然とした対応」が功を奏している止まない領海侵入

2013-04-17 11:39:15 | 政治

 中国艦船や監視船の尖閣諸島周辺の領海侵入が収まらない。昨日の4月16日(2013年)も、午前9時頃から海上保安庁巡視船の警告にも関わらず領海侵入を強行している。

 今年に入っては延べ18日の領海侵入だとマスコミは伝えている。

 外務省は在中国大使館に電話で「尖閣諸島は日本の固有の領土だ」と抗議。

 中国側「中国の固有の領土であり、抗議は受け入れられない。抗議の内容は本国に伝える」

 ときには在日中国大使を外務省に呼びつけて直接抗議する。

 勿論、答は「中国の固有の領土であり、抗議は受け入れられない。抗議の内容は本国に伝える」と一点張りに違いない。
 
 この繰返しである。

 この繰返しにもう一つ、首相官邸の危機管理センターに設置してある「情報連絡室」を中国艦船や中国機の領海侵入や領空侵入を受けるたびに「官邸対策室」に切り替える繰返しが加わる。

 但し今回の領海侵入に関しては切り替えたことを伝えている記事は見当たらなかった。

 だが、午前9時頃から午後6時頃までの約9時間の領海侵入である。今までの例からして切り替えなかったとは考えられない。

 このような繰返しを許しているということは安倍政権に打つ手を持たないことの証明としかならない。

 但しこの打つ手を持たない状況は安倍晋三の国会での断言と矛盾する。

 3月7日の午前中の衆院予算員会で萩生田光一自民党議員の質問に対して次のように答弁している。

 安倍晋三「前の政権では、過度に軋轢を恐れるあまり、領土・領海・領空を犯す行為に対して、当然行うべき警戒・警備の手法に極度の縛りがかけられていた。相手方に誤ったメッセージを送ることになり、不測の事態を招く結果になると判断したので、安倍内閣が発足した直後から、前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」(NHK NEWS WEB

 「安倍内閣が発足した直後から」と断って、「前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」と断言している。

 だが、現実を見る限り、安倍晋三が口で言っているようには有効な対応とはなっていない。

 この矛盾を把えて、「口先だけ」と批判してブログにも書いたが、今回は違ったアプローチで矛盾を突いてみたいと思う。

 第2次安倍内閣は2012年12月26日に発足している。その5日後の12月31日午後1時半頃、中国の海洋監視船2隻が相次いで領海に侵入している。

 海上保安庁の巡視船が無線で領海外への退去を求めると、海洋監視船側は「釣魚島及び付属の島々は昔から中国固有の領土だ」(asahi.com)と応答。

 これも同じことの繰返しとなっている一つなのだろう。
 
 「安倍内閣が発足した直後から」の「冷静かつ毅然とした対応」とは、無線で領海外退去を求め、中国側が自国領土だと応答して、暫く領海に居座り、海上保安庁の直ちにという時間ではなく、自分たちが決めた時間に領海を出て行く、毎度お馴染みとなっているその時々の結末を既定事実とするということなのだろうか。

 年が明けた2013年1月7日午前11時頃、合わせて4隻の中国海洋監視船が相次いで領海に侵入、政府は「情報連絡室」を「官邸対策室」に切り替えて情報収集と警戒に当たった。

 斎木昭隆外務審議官が翌8日、安倍政権発足後初めてとなる中国の程永華駐日大使の外務省呼び出しを行い、厳重抗議。

 程永華駐日大使「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国領。抗議は受け入れられない」(MSN産経

 そして12日後の1月19日午前9時過ぎ、中国の海洋監視船3隻が相次いで日本の領海に今年2回目となる侵入。

 19日午前9時に「情報連絡室」を「官邸対策室」に切り替え、情報収集と警戒に当たる。

 勿論海上保安庁巡視船は無線で領海外への即刻退去を求めただろうし、外務省は駐日中国大使を呼びつけるか、電話するかで抗議を伝えただろうし、相手は決まり文句となっている「釣魚島は中国領。抗議は受け入れられない。抗議の内容は本国に伝える」という言葉を形式的に伝えたに違いない。

 1月19日午前、海洋監視船3隻が日本の領海に侵入。「情報連絡室」を「官邸対策室」に切り替え、情報収集と警戒。

 1月21日朝、海洋監視船3隻が相次いで日本の領海に侵入。

 1月30日午前、海洋監視船3隻が日本の領海に今年に入って4回目となる侵入。「情報連絡室」を「官邸対策室」に切り替え、情報収集と警戒。

 記事には書いてなくても、海上保安庁の無線での領海外への退去要請と中国側の決まりきった対応、外務省の中国大使館に対する厳重抗議と抗議に対する中国大使館側の同じく決まりきった対応は付き物として登場しているはずだ。

 2月4日午前、中国海洋監視船2隻が日本の領海に侵入。海上保安庁巡視船による領海外退去の警告。領海内での航行は14時間にも及び、去年9月に政府が尖閣諸島を国有化して以降、最長の記録達成。

 この最長の記録達成にしても、安倍晋三が言う野田前政権とは異なる「安倍内閣が発足した直後から」の「冷静かつ毅然とした対応」の成果に違いない。

 どう考えても、「冷静かつ毅然とした対応」があったからこその最長の記録としか思えない。

 2月15日午前、中国海洋監視船3隻が日本の領海に侵入。海上保安庁巡視船による領海外退去の警告。「情報連絡室」を「官邸対策室」への切り替え。

 「どこまでも続くよ――」の線路みたいだ。

 中国国家海洋局(2月15日)「海洋監視船3隻は釣魚島(沖縄県・尖閣諸島の中国名)の中国領海内で航行を続けている」(MSN産経

 この2月15日、政府は中国海軍艦船による自衛隊護衛艦等に対する火器管制レーダー照射の証拠開示を「日本の情報収集能力を明かすことになる」からと見送る方針を打ち出している。

 この証拠開示見送りは中国の照射事実否定に一定の手助けを与えるものとなったに違いない。

 2月18日午前、中国海洋監視船3隻が日本の領海に侵入。海上保安庁巡視船による領海外退去の警告。「情報連絡室」を「官邸対策室」へと切り替え。

 2月21日午後、中国漁業監視船1隻が領海侵入。以下、同文。

 2月23日午後4時50分頃、中国漁業監視船1隻が領海に侵入。政府が昨年9月に尖閣諸島を国有化して以降、29回目。

 2月24日午前、中国漁業監視船1隻が領海に侵入。今年では10回目。

 同2月24日午後、中国海洋監視船3隻が領海に侵入。

 2月28日朝、中国海洋監視船3隻が領海に侵入。

 3月6日午前、中国漁業監視船1隻が領海に侵入。「情報連絡室」を「官邸対策室」へと切り替え。

 同3月6日午後、国海洋監視船3隻が領海に侵入。既に「情報連絡室」から「官邸対策室」へと切り替えていたから、再度切り替える手間が省けたに違いない。

 この翌日の3月7日に国会で安倍晋三は「安倍内閣が発足した直後から、前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」と宣言した。

 どこが「冷静かつ毅然とした対応」なのか分からない。「冷静かつ毅然とした対応」が中国側の領海侵入に対してどう実効性を持たせているのか、見えてこない。

 3月12日午前、中国海洋監視船3隻が領海侵入。

 3月18日午後6時半頃、中国の海洋監視船3隻領海侵入。「情報連絡室」から「官邸対策室」へと切り替え。

 4月1日午後1時半頃、中国海洋監視船3隻領海侵入。海上保安庁巡視船による領海外退去の警告。「情報連絡室」を「官邸対策室」へと切り替え。尖閣諸島国有化以降、延べ36日。

 4月9日午前、中国海洋監視船3隻領海侵入。海上保安庁巡視船による領海外退去の警告。「情報連絡室」を「官邸対策室」へと切り替え。今年に入って9日間、国有化後36回目。

 そして冒頭に挙げた4月16日の海洋監視船3隻の領海侵入である。

 安倍晋三が手を打っているはずの「安倍内閣が発足した直後から、前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応」に相呼応して現れているはずの尖閣諸島周辺と首相官邸を舞台とした、明らかに儀式化している同じ繰返しの場面であるはずである。

 中国艦船の接続水域航行は数知れない。

 安倍晋三の国会での断言の実効性がどの程度のものか、わざわざ言葉を尽くさなくても、誰の目にも明らかである。

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安倍晋三は女性の人権尊重を装った女性差別主義・男女不平等主義を本質としている

2013-04-16 12:12:32 | Weblog

 安倍晋三が4月4日、官邸で森雅子少子化担当相と会談、少子化対策について「三本の矢で進めていく」と指示したと4月4日付「MSN産経」記事が伝えていた。

 少子化対策の三本の矢とは、「待機児童対策」、「女性の仕事と家庭の両立支援」、「結婚、妊娠、出産支援」の三本だそうだ。

 自民党総裁に返り咲いて大胆な金融政策を打ち出して以来、なかなか抜け出すことができなかったこれまでの円高がウソのように円安に大きく振れ、株高の場面をつくり出していることに鼻高々、気をよくしたのか、三本の矢づいているが、少子化対策三本の矢の後二者を見ると、女性の人権尊重、あるいは男女平等の立場からの女性の社会参加を強く促す政策と解釈できないことはない。

 女性に対してどういった価値づけの姿勢なのか、2012年12月16日投開票の総選挙で自民党が大勝し、政権を奪還、自公合わせて衆議院再可決可能な3分の2を超える325議席を獲得後の党役員人事や閣僚人事、内閣発足後の記者会見などで様々に行なっている女性についての発言から見てみる。

 《安倍氏 新執行部人事で“自民変わった”》NHK NEWS WEB/2013年12月25日 17時11分)

 2013年12月25日、党の新執行部のメンバーと共に自民党総裁として記者会見。

 安倍晋三「『自民党は変わった』ということを人事でも示すためと、来年の参議院選挙を勝ち抜く態勢を作るため、新執行部を作った。

 (女性2人の党役員起用について)選挙戦を通して、『これからの日本は、女性の力を活用していかなければ、活力を取り戻せない』という話をしてきた。女性議員は非常に少ないが、一番難しい党執行部の役員に就任してもらった」――

 どちらかと言うと、女性活力の強力な活用による国力活性化の文脈での女性尊重発言であって、経済的側面からの要請である色彩が色濃い。

 但し2012年衆院選自民党公約に「社会のあらゆる分野で2020年までに指導的地位に女性が占める割合を30% 以上とする目標の達成に向け努力します」と掲げている。この女性議員2人の党役員起用にしても、公約に掲げていたことの対応の一部でもあるのだろう。

 この選挙公約は、そのことを2020年に向けてを順次具体化し得たとき、指導的立場に立った3割の女性は今以て日本社会に色濃く残っている男尊女卑の権威主義的風潮、あるいは男性上位・女性下位の権威主義的風潮が男女の実際に基づかない虚構に過ぎないことを男たちに教える格好の生きた教材材となるに違いない。

 問題はそこまで考えて、安倍晋三が女性の活用や女性の指導的な立場云々を言っているかどうかである。

 なぜなら、男尊女卑、男性上位・女性下位の社会的・文化的・意識的風潮を打破することで初めて築くことができる真の男女平等に基づいた女性活力活用、あるいは女性の指導的立場3割実現でなければ、本当の意味での社会参加とは言えないからだ。

 単にその時々の労働力を変数とした女性の社会参加を答とすることになり、労働力の過不足に対応した女性の活力活用の範囲内にとどまりかねない。

 2012年12月26日、閣議決定による安倍内閣基本方針。

 〈政権交代が実現した。本日、「新しい日本」に向けた国づくりをスタートするに当たり、まずは、今回の選挙で示された、日本の現状に対する国民の強い危機感を共有し、内閣全体が緊張感を持って政権運営に当たることが必要である。

 4.暮らしの再生

 誰もが安心できる持続可能な社会保障制度の確立を目指すとともに、女性が活躍し、子供を産み育てやすい国づくりを進める。また、難病や障害など、社会的に弱い立場にある人たちが、社会で活躍できる環境を整備する。〉――

 「『新しい日本』に向けた国づくりをスタート」と言いながら、女性に関する言及はこの個所以外にはない。

 2012年12月26日、安倍首相就任記者会見。

 安倍晋三「持続可能な社会保障制度の確立も喫緊の課題であります。三党合意に基づきまして、社会保障・税一体改革を継続してまいります。

 また、女性活力・子育て支援担当大臣を設置いたしました。女性が活躍をし、子供を産み育てやすい国をつくっていくことも安倍政権の使命であります。まず、隗より始めろとの精神に基づいて、党の4役のうち2人を有能な女性にお願いをいたしました。今回の人事でも、実力本位で、積極的に女性を登用いたしました」――

 2012年12月26日閣議決定による安倍内閣基本方針をその通りなぞった発言で、やはりこの個所以外に女性に関する言及は一切ない。

 2013年1月1日、安倍首相年頭所感。

 安倍晋三「持続可能な社会保障制度を確立するために、自民、公明、民主の『三党合意』に基づき、社会保障・税一体改革を継続します。女性が活躍し、子どもを生み、育てやすい国づくりも、前に進めてまいります」――

 前の発言の繰返しに過ぎないし、女性に対する言及もこれ以外にない。

 2013年1月7日、政府与党連絡会議での安倍冒頭挨拶。

 安倍晋三「大胆な金融政策、そして機動的な財政政策、さらには、民間の投資を喚起する成長戦略、この「3本の矢」でもってデフレ脱却を目指していかなければなりません。

 また、東日本大震災の被災地は、2度目の寒い冬を迎えることになりました。

 被災地の皆様の心に寄り添う現場主義で、復興の加速化に取り組んでまいります。

 また、持続可能な社会保障制度の確立も喫緊の課題でありますし、また、女性が活躍し、子どもを産み育てやすい社会を作っていくも我々の政権の使命であります。

 こうした課題に、内閣で一丸となって取り組んでまいります。与党の皆様方のご協力のほど、よろしくお願い申し上げます」――

 こうも立て続けに同じことを言っていると、単にスローガンとして喋っているに過ぎない疑いが濃厚となる。

 この疑いは男尊女卑、あるいは男性上位・女性下位の社会的・文化的・意識的風潮の打破を意図し、その意図に基づいた女性活力活用、あるいは女性の指導的立場3割実現と言っているのかどうかという疑いへと否応もなしに跳ね返っていく。

 このことの強力な証拠として、ここでも女性に関する言及にしても、やはりこの一箇所のみであることを挙げることができる。他のどのような女性に関わる発言も一切ない。
  
 そもそもからしてスローガンの多用は身についていない思想に発することが多い。身についている思想なら、発言をスローガンのみで終わらせることはないはずだからだ。

 2013年1月28日、第183回国会安倍首相所信表明演説。

 安倍晋三「世界中から投資や人材を惹(ひ)きつけ、若者もお年寄りも、年齢や障害の有無にかかわらず、全ての人々が生きがいを感じ、何度でもチャンスを与えられる社会。

 働く女性が自らのキャリアを築き、男女が共に仕事と子育てを容易に両立できる社会。

 中小企業・小規模事業者が躍動し、農山漁村の豊かな資源が成長の糧となる、地域の魅力があふれる社会。そうした『あるべき社会像』を、確かな成長戦略に結び付けることによって、必ずや『強い経済』を取り戻してまいります」――

 「若者もお年寄りも、年齢や障害の有無にかかわらず、全ての人々が生きがいを感じ、何度でもチャンスを与えられる社会」とは障害者差別なき平等社会の謳いである。

 だが、アベノミクス成長戦略が功を奏して景気が大きく回復し、企業が利益を上げて、人件費に回す資金に余裕が出た。やれ雇用創出だと動いたが、人材不足で人が集まらない。余裕が出た人件費資金で健常者を1人使ってさせる仕事を障害者を2人か3人か使って対応させるからといったことからの障害者雇用なら、不景気になったとき、平等意識からの障害者活用でなければ、障害者が先に人員整理の対象となりかねない。

 いわば経済的要請からの約束に過ぎないことになる。

 女性に関して言うと、前の発言と同様にこの個所以外に女性に関わる言及がないことからして、「働く女性が自らのキャリアを築き、男女が共に仕事と子育てを容易に両立できる社会」の確約にしても、障害者の雇用と同様に経済的要請からのみの女性尊重と疑わなければ整合性を与えることはできない。

 2013年1月16日~19日のベトナム、タイ、インドネシア3カ国訪問時、1月18日インドネシアで表明した「開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―」

 安倍晋三いままで、育てることを怠ってきた人的資源もあります。日本女性のことですが、わたくしはこれらのポテンシャルを一気に開放し、日本を活力に満ちた、未来を信じる人々の住む国にしたいと考えています」――

 女性の雇用という観点からの女性に関する言及はこの個所のみで、それ以外はインドネシアと締結したEPAで日本に来て看護師試験を受け、合格したインドネシア人女性に触れた個所のみである。

 どう公平に見ても、経済的要請からのみの女性尊重としか受け取ることができない。

 このことは安倍首相が訪米してオバマ大統領と会談後の2013年2月22日夕方、米国の有力シンクタンクの戦略国際問題研究所で講演した発言によってよりはっきりする。

 安倍晋三「もっと重大な課題が残っています。日本の生産性を向上させる課題であります。日本の経済構造を、作り直すという課題です。女性には、もっと多くの機会が与えられるべきです。預金が多いのは主に高齢層ですが、租税負担が重くならないかたちで、若い世代に譲り渡すことができなくてはなりません。わたくしの政府は、いままさにそれを実行しています」――

 「日本の生産性を向上させる課題」という要請に答を出す観点からの女性の雇用であって、女性の人権尊重、あるいは男女平等の立場からの女性の社会参加の一つの形である女性の雇用をそもそもの出発点としているわけではない。

 この講演でも女性に関する言及はここ一箇所のみである。

 2013年2月28日、第183回国会安倍首相施政方針演説。

 安倍晋三(女性が輝く日本)

 他方、家庭に専念して、子育てや介護に尽くしている方々もいらっしゃいます。皆さんの御苦労は、経済指標だけでは測れない、かけがえのないものです。
 皆さんの社会での活躍が、日本の新たな活力を生み出すと信じます。皆さんが、いつでも仕事に復帰できるよう、トライアル雇用制度を活用するなど、再就職支援を実施します。

 仕事で活躍している女性も、家庭に専念している女性も、全ての女性が、その生き方に自信と誇りを持ち、輝けるような国づくりを進めます。皆さん、『女性が輝く日本』を、共に創り上げていこうではありませんか」――

 あくまでも雇用の面からの“女性の輝き”となっている。勿論、女性雇用の拡大によって、安倍首相が意図していないことであったとしても、期せずして男尊女卑社会、あるいは男性上位・女性下位社会の緩和に役立つ側面を持たないわけではない。

 だが、問題としている要点は安倍晋三自身に女性社会参加拡大政策を促している基本的な思想であって、男女差別の精神構造に与える間接的効果ではない。

 次の記事が安倍晋三の女性の存在性に関わる思想を露わにしている。《怒れる女性11団体 男女共同参画会議 「つくる会」元副会長起用》/2013年3月28日 朝刊)

 男女共同参画社会の実現を目指す「mネット・民法改正情報ネットワーク」など11女性団体と弁護士・有識者ら33人が3月27日夜、南野(のおの)知恵子元法相と共に政府が男女共同参画会議議員に高橋史朗明星大教授を起用したことに対する抗議文を会議議長の菅義偉官房長官に提出したという内容である。

 記事解説。〈高橋氏は従軍慰安婦をめぐる教科書の記述を自虐的と批判する「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長。男女差別の解消を進めた日本の戦後教育を連合国軍総司令部(GHQ)による「精神的武装解除」と捉え、夫婦別姓や性教育にも批判的だ。2004年に埼玉県教育委員に就任した際は、公平性に疑問があると市民団体から抗議の声が上がった。〉――

 抗議文「高橋氏はジェンダーへのバッシングの急先鋒(せんぽう)として知られ、男女共同参画会議議員として極めて不適格」――

 菅官房長官(27日記者会見)「知見を参考にしたいと任命している。著書で男女共同参画に反対しているのではないことも明確に述べている」――

 本人が「男女共同参画に反対しているのではない」と言っていたとしても、男女差別解消推進の日本の戦後教育を連合国軍総司令部(GHQ)による「精神的武装解除」だと言って自分自身の思想としている点、夫婦別姓や性教育を批判的な思想としている点から判断すると、男女共同参画に矛盾する思想となって、単に口で言っているだけとなる。

 男女差別解消推進の日本の戦後教育を「精神的武装解除」と価値づけて、どう男女共同参画を実現できるというのだろうか。夫婦別姓や性教育に批判的な立場から、男女平等思想を本質としなければならない男女共同参画をどう実現できるというのだろうか。

 こういった人物を政府の男女共同参画会議議員に起用していること自体が安倍晋三の女性に対する姿勢との相互対応の証明でしかないが、安倍晋三自身も高橋教授と同様に夫婦別姓反対を明らかにしていて、両者響き合わせた思想であることが分かる。

 自身が会長を務め、最高顧問に安倍晋三と同様に天皇主義者である平沼赳夫を据えた創世「日本」の2010年2月5日総会で、在住外国人地方参政権や選択的夫婦別姓制度などを問題法案として反対する運動方針を決定している。

 少なくとも選択的夫婦別姓は男女平等思想に基づいているはずだ。いわば選択的夫婦別姓への反対は男女平等思想への反対と等しくし、安倍晋三が政策として掲げている「女性の仕事と家庭の両立支援」にしても、女性の力の活用にしても、2020年女性の指導的立場3割にしても、「女性が輝く日本」にしても、男尊女卑社会、あるいは男性上位・女性下位社会の打破に基づいて女性の人権尊重社会の実現、あるいは男女平等社会の実現を発意した政策ではなく、日本経済活性化のためのみの人材活用に過ぎないことになる。

 このことの何よりの証拠が女性宮家反対に現れている男尊女卑思想であろう。《【安倍首相インタビュー】詳報 TPP、集団的自衛権、村山談話、憲法改正…》MSN産経/2012.12.31 02:07)

 12月30日の産経新聞のインタビュー。

 皇室典範見直しに関して。

 安倍晋三「皇位継承は男系男子という私の方針は変わらない。(女性宮家創設の検討など)野田佳彦政権でやったことは白紙にする。しかし、宮家がこのままいくと次々後継者がいなくなるという問題に直面するので、新たな方向性については有識者にもう一度ヒアリングを行いながら全く白紙から検討していきたい」――

 皇室に関しては男子優位としているが、一般国民に関しては男女平等の立場に立っているという口実を成り立たせることもできるが、真に男女平等を思想としていたなら、その思想は皇室と言えども反映させないではいられないはずだ。何しろ天皇や皇族が自ら決める決定ではなく、政治権力が決めて、議席を獲得していさえすれば、法律(=皇室典範)として成立させることが可能な決定だから、否応もなしに政治権力側の思想の影響を受ける男子上位云々、男女平等云々ということになるからだ。

 だが、野田政権が検討したことを覆す。この決定からは男女平等思想は些かも読み取ることはできない。

 安倍晋三の言っている女性の活用、社会参加、指導的立場3割、女性が輝く日本等々は経済発展に必要要素としての取り扱いに過ぎず、決して女性の人権尊重や男女平等思想に発した目標ではないことを見てきた。

 口では色々と言うものの、女性の人権尊重を装った女性差別主義・男女不平等主義が安倍晋三の本質だと見做さざるを得ない。 

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安倍晋三の戦争を総括しないまま戦死者が正当性ある国家の戦争を戦ったかのように装う歴史のゴマ化し

2013-04-15 10:02:07 | 政治

 安倍晋三が4月14日(2013年) 硫黄島を訪れ、戦没者の遺骨収集の様子を視察したあと、現地開催の戦没者追悼式に出席、愚かしいばかりの挨拶を行なっている。

 《首相 硫黄島の遺骨収集に全力》NHK NEWS WEB/2013年4月14日 17時49分)

 安倍晋三「祖国の安寧を祈願し、遠く離れた家族を案じつつ、戦場に散った方々に思いをいたすとき、悲痛の思いが胸に迫るのを禁じえない」――

 追悼式後、記者団に。

 安倍晋三「いまだに戦没者のおよそ半数の遺骨は眠ったままだ。総理大臣官邸がリーダーシップをとって、なんとか遺骨帰還事業を着実に進めていきたい」――

 遺骨早期収集は「総理大臣官邸がリーダーシップ」を取ろうが取らまいが、早期に完了しなければならない大切なことだが、何よりも大切なことは国家が硫黄島戦でアメリカ軍戦死者約7千弱に対してその3倍近い日本軍約2万の兵士を戦死させるに至った国家の戦争の正当性の検証であって、国家が兵士を戦士させた戦争に正当性を与え得て初めて戦死者に対して悼みの思いを伝える顕彰の正当性を得ることができるはずだ。

 検証・総括の結果、国家の戦争が正当性ある戦争だったと高々と宣言できたとき、硫黄島戦に限らず、すべての戦闘の戦死者は国家の戦争の正当性を受けた正当性ある戦死との位置づけが可能となって、特に国家権力に所属する人間にとって、初めてその死を顕彰の対象とする資格を得る。

 当然、硫黄島戦のみならず、沖縄戦やガダルカナル戦等々を含めて全体としての国家の戦争の正当性を検証する戦争総括にこそ、「総理大臣官邸がリーダーシップ」を取って行わなければならないことになる。

 このことを逆説するなら、正当性の答を出さずに「戦場に散った方々に思いをいたす」とか、「悲痛の思いが胸に迫るのを禁じえない」とか言うことは、その言葉自体の正当性も失うはずだ。

 もし国家の戦争に正当性を与えることができなかったなら、顕彰の対象とするのではなく、国家の戦争によって犠牲となった犠牲者として、安倍晋三は謝罪の対象としなければならない。

 戦死者の家族・近親者にしても、「戦場に散った」という文脈ではなく、国家の犠牲にされたという文脈での追悼に変わるはずだ。

 確かに戦場に駆り出された兵士は「祖国の安寧を祈願し、遠く離れた家族を案じつつ」苦しい戦争を戦い、家族を残し兄弟姉妹を残し、その生命を散らしていっただろうが、だが、安倍晋三がそのように言う言葉は戦死者が正当性ある国家の戦争を戦った言葉であって、国家の戦争の正当性を問う検証・総括をしないままのそのような国家の戦争の正当化は歴史のゴマ化しそのものであろう。

 戦前、内閣総理大臣直轄の研究所として組織された総力戦研究所が昭昭和16年(1941年)7月12日、日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習(シミュレーション)を、日米国力比較・戦力比較等の様々なデーターとソ連参戦等の予測可能性を駆使して行った結果、日米開戦前の時点で“日本必敗”の予測結果を出していたいうことは4月9日の当ブログ記事――《日本維新の会党綱領の「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」云々の憲法観の筋違いな責任転嫁 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 内閣総理大臣直轄の研究所が勝てないと予測したにも関わらず、国力が20倍近くも格差のあるアメリカに戦争を仕掛けていって、旧厚生省統計によると、日中戦争の発生から敗戦までの日本人の戦没者数は軍人、軍属等約230万人、外地の一般邦人約30万人、空襲等による国内の災死没者約50万人、合計約310万人もの死者を出し、国を破壊した国家の戦争に安倍晋三は検証・総括の結果、どのような正当性を与えようとしているのだろうか。

 それとも以後も国家の戦争を検証・総括せずに、さも正当性ある国家の戦争であったかのように装って戦死者を悼み続ける歴史のゴマ化しを押し通そうとするのだろうか。 

 尤も後者がふさわしい安倍晋三の人格とは言うことができる。

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新入社員の上司に丁寧な指導を期待する、自己保護の時代の優しさの権威主義性

2013-04-14 05:06:32 | 教育

 この春入社新入社員約400人対象の上司に対する期待の種類を尋ねた調査を伝えている記事がある。《新入社員 上司に丁寧な指導を期待》NHK NEWS WEB/2013年4月13日 4時55分)

  社員研修などを手がける「ジェイック」の調査だそうだ。複数回答となっている。

 「何を期待するか」

 「人間的に尊敬できる」25%
 「本気で指導してくれる」20%
 「相談にのってくれる」18%

 (業務上のスキルの高さに対する期待度の設問)

 「統率力がある」8%
 「決断力がある」7%
 「成果を残す」3%

 調査担当者「上司の姿から見て学ぶことより、部下と積極的に関わって、きちんと指導をしてもらいたいという受け身の姿勢が強い」――

 石田浩司ジェイック・マネージャー「昔はできる上司の背中を見て仕事を覚えるというのがあったが、今は違う。普通に接し、向き合って指導をして欲しいという傾向がアンケートに出ている」――

 以上から、何を読み取ることができるのか。記事は、〈人間的に尊敬できる上司から、丁寧な指導を望む傾向がうかがえました。〉と解説している。

 調査担当者は「部下と積極的に関わって、きちんと指導をしてもらいたいという受け身の姿勢が強い」と言っているが、要するに上司に優しさを求めているのではないだろうか。

 この「受け身の姿勢」に「上司の姿から見て学ぶ」姿勢を対置させているが、一般的に幼保・小・中・高・大学と教師が教える知識・情報を自ら考え、判断して自分なりに独自の知識・情報へと発展・拡大させていくのではなく、丸のまま暗記して自分の知識・情報としていく暗記教育は児童・生徒・学生の教師に対する姿勢そのものが受け身で成り立っているからこそ可能なのであって、そのような両者の関係性を日本の教育は伝統としてきたことを考えると、「上司の姿から見て学ぶ」姿勢とは、石田浩司ジェイック・マネージャーが「昔はできる上司の背中を見て仕事を覚える」と言っていることも同じだが、一見自分から学ぶ姿勢を持っているかように見えるが、実際は上司の仕事を見て、自ら考え、判断して自分なりに独自の仕事方法を獲得していく発展性を持たせた学びの姿勢ではなく、上司の仕事の遣り方を丸のまま取り入れていく従属の範囲内の受け継ぎであったはずだ。

 そのような従属性の上に時代の要請や会社外の他者との接触等によって仕事方法は改良させていくが、基本は上司から部下への従属が貫いていて(横並びと言ってもいい)、それが伝統となっているといったところであろう。

 もし「上司の姿から見て学ぶ」姿勢が上司の仕事を見て、自ら考え、判断して自分なりに独自の仕事方法を獲得していく発展性を持たせた姿勢であるなら、その姿勢は下位社会である学校社会で学び取った姿勢でなければならないはずで、学校社会に於いても教師が教える知識・情報を児童・生徒・学生が自ら考え、判断して自分なりに独自の知識・情報へと発展・拡大させていく、考える教育となっていたことになり、暗記教育の現実と矛盾を来す。

 元々から権威主義社会である。上司対部下の関係は上下関係で縛られていたし、現在も縛られている。要は「昔」という時代に於いても現在と変わらず、上司に対する部下の受身の姿勢は存在していた。

 現在の新入社員にしても「昔」の社員と同じく暗記教育の血を受けているのだから、それなりに上司の仕事をなぞり、それを自分の仕事の遣り方としてそれなりに受け継いでいくはずだ。

 但し現在の新入社員が上司に優しさを求めている点、受け身の意識が「昔」という時代よりも強くなっていることを示すのかもしれない。

 受身の姿勢で周囲に優しさを求めるということはまた、自身に対する保護を意味し、保護の意識が働いた受け身ということなのだろう。

 雇用が簡単に崩れるこの雇用環境の厳しい時代を考えると、雇用の維持=生活の維持=人生の維持なのだから、自身を保護したい意識から周囲に優しさを求めたとしても、何ら不思議ではない時代性と見なければならないのかもしれない。

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安倍晋三のアベノミクス“好循環”効果に論理矛盾する地方公務員の給与カット

2013-04-13 11:54:41 | 政治

 野田政権下、東日本大震災復興財源確保を目的として2012年4月から2年間、国家公務員給与の平均7・8%カットが決定した。民主党から自民党へと政権交代後、今年に入って2013年1月、安倍政権は地方公務員給与を平均で7・8%カットの国家公務員に準じて引き下げるよう自治体に要請した。

 但し地方から反発が上がった。そこで安倍政権は地方公務員給与カット分に相当する24年度比3921億円減額の改正地方交付税法を3月29日(2013年)成立させ、対抗した。

 地方自治体は他の予算を減額しないことには地方公務員の給与を現状通りに維持できないことになるが、他の予算減額に行政サービス予算が含まれていて、地方公務員給与現状維持では今度は自治体住民が黙ってはいまい。
 
 情け容赦もない兵糧攻めといったところである。

 だが、この強制的な地方公務員給与カットはアベノミクスが柱としている、いわゆる景気回復の好循環と論理矛盾していないだろうか。

 元々安倍晋三は頭が粗雑に出来上がっていて、単細胞、欠陥認識能力を自らの資質としていて、論理矛盾を歴史認識に於いても、教育観に於いても当たり前の風景としているから、今更驚きもしない。

 小沢一郎「生活の党」代表も大阪市で記者団に安倍晋三の憲法観の論理矛盾を皮肉っている。《「安倍さん、論理的矛盾じゃないか」生活・小沢氏》((asahi.com/2013年4月13日0時23分)

 記事には日付は書いていないが、大阪市で記者団に話した発言となっていて、記事発信日時が「4月13日0時23分」だから、4月13日の午前中と思われる。

 小沢一郎「生活の党」代表「日本維新の会の党綱領は、占領時代に占領軍が絶対平和を押しつけた憲法だから変える、と。安倍(晋三首相)さんもね、同じような趣旨のことを従来から話していますね。

 前の安倍政権のとき、私は党首討論で『独立していない占領時代に米国から押しつけられた。日本国民の自由な意思で作ったのではない。だから憲法改正だということは、現在の日本国憲法を否定するんですね』と聞いたら、安倍さんは『いや、良いところは残すんだ』という答弁をしたんだよ。

 良いところを残すんだったら、占領軍から押しつけられたからけしからんという論理ではない。押しつけられたものでも良いところは残すんでしょ。ちょっと論理的に矛盾するんじゃないか」――

 このことはいくら安倍晋三が占領軍がつくった憲法だと言おうと、当時の戦前旧体制の血を受け継いだ戦後政府内の日本人に日本国憲法のような民主的な憲法を作る力、あるいは精神を持っていなかったことからの占領軍憲法だと当ブログ記事に書いた。

 アベノミクスと称せられる景気回復策は大胆な金融緩和によって円安と株高を招き、その双方が輸出拡大や企業業績改善に繋がって、雇用改善・賃金上昇へと発展して、それを受けて消費者の消費が拡大していく。消費拡大は物価高のインフレを招くが、その物価高がさらに企業業績を上向かせて従業員の雇用改善と賃金上昇へと還流してしていき、企業の業績改善と雇用改善・賃金上昇、さらに消費拡大が相互循環しながら一体的に雪ダルマ式に膨らんでいき、日本の経済は拡大、税収も増えるというシナリオを描いている。

 安倍晋三は黒田東彦新日銀総裁が大胆な金融緩和策を打ち出す前に自身の金融緩和策を発表しただけで頑固な難病と化していた円高が大きく円安に振れ、株高を招いた市場の激変ぶりに、「結果を出しているんです」と誇らかに自身の金融政策と結果責任の正しさを自賛していたが、この自賛は同時にアベノミクスがシナリとしている好循環そのもののシナリオ通りの結果を約束した自賛ともなる。

 好循環がシナリオ通りの結果を得ずに円安と株高止まりでは、「結果を出しているんです」の言葉自体もそうだが、言っているところの好循環自体が論理矛盾を来すことになる。

 「結果を出しているんです」と発言した以上、シナリオに書いた起承転結どおりに結果をすべて出して初めて論理的整合性を得ることができる。

 いわば安倍晋三はアベノミクスによって民間被雇用者の賃金上昇を確約の一つとした。

 政府も日銀もインフレによる物価目標を2%に置き、達成期限を2年としているが、だとすると、アベノミクス“好循環”効果による見るべき賃金上昇は1年以内乃至2年以内実現の責任を負っていることになる。

 賃金は景気回復による企業業績改善に伴って順次上昇していく形を取るからだ。そうでなければ、アベノミクス“好循環”効果の一つである雇用改善も伴わないことになる。
 
 もし賃金上昇が1年以内乃至2年以内に順次上昇していかなければ、逆に円安による日常生活品の輸入物価高が中低所得層を襲うことになり、シナリオ通りのアベノミクス“好循環”効果をウソとすることになる。

 ウソとしないためには円安による日常生活品の輸入物価高以上の賃金上昇を例え少し遅れでも実現しなければならないのだから、この点からもアベノミクスは円安との競争で賃金上昇の1年以内乃至2年以内の順次実現の確実な責任を負ったことになる。

 このことを言い換えるなら、アベノミクスは賃金上昇を夜が来れば、朝を迎えるように既定事実としたシナリオだと言うことができる。

 そうでなければ、アベノミクスなるシナリオは成り立たない。

 もし民間企業被雇用者の賃金上昇の1年以内乃至2年以内順次実現を既定事実としたアベノミクス“好循環”のシナリオであるなら、国家公務員と地方公務員の給与が平均で月額5万円程の差があり、地方公務員と民間企業の給与が月額約10万円程の差があるそうだが、地方公務員の給与カットをここで行わなくても、据え置いた状態に置けば、1年以内乃至2年以内に民間被雇用者の給与が追いつくことになって、地方公務員給与を超えたとしても、地方公務員がそれまで余分に得ていた分が民間企業と比較してプラスマイナスゼロになるまで、給与引き上げを押さえていれば、バランスは取れるはずだ。

 しかも国家公務員の7.8%給与カットは2年間の暫定措置で、2年後に元に戻る。いわばこの2年間の問題であるなら、アベノミクスの2年間でカバーできないことはあるまいし、カバーすればいいことではないか。

 アベノミクスの好循環の話を聞いていると、賃金上昇にそれ程の勢いがなければ、円安の物価高に負けることになって、やはりアベノミクスは成り立たないことになる。

 地方公務員と国家公務員の給与の差額も民間企業の給与が国家公務員の給与を超えたところで併せて引き上げてバランスを取れば、ゆくゆくは三者共に平均化することができる。

 だが、安倍政権地方公務員給与カット分に相当する24年度比3921億円減額の改正地方交付税法を成立させてまで、地方公務員の給与カットに拘っている。

 このことはアベノミクス“好循環”効果の一つである民間企業賃金上昇の確約に対する、まさに逆行そのものの地方公務員給与カットの論理矛盾を現しているはずだ。

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元Jリーグ選手の体罰に見る、選手の主体性と自己責任に期待していない指導の質

2013-04-12 10:37:44 | 教育

 今まで学校教師を含めた指導者の児童・生徒・部活部員に対する体罰関係のブログ記事を何度か書いてきたが、かなりの部分、重なる文言があり、同じ繰返しとなるかもしれないが、思ったことを書いてみたいと思う。

 元Jリーグ選手西脇良平(33歳)が自身が仲間と共に2006年に設立した小学生や中学生向けのサッカークラブNPO法人「FCアルマ大垣」所属の中学2年生(13歳)の男子に体罰を加え、両腕骨折の3カ月の重傷を負わせて傷害容疑で逮捕されたという事件を次の記事から見てみる。

 他の記事が2009年には全日本少年サッカー大会岐阜県大会で初優勝に導いていると書いている。

 《元Jリーグ選手“熱血指導”裏目か わが子を強く「親も容認」傾向》MSN産経/2013.4.11 22:12)

 記事。〈合宿の練習試合の合間に暴力が振るわれたことから、プレーや言動に対する体罰だった可能性が高い。なぜ行き過ぎた指導が行われたのか。〉――

 他の記事によると、男子中学生の両腕を蹴り上げて、両腕骨折の重傷を負わせたと伝えている。西脇良平が身体を宙に浮かせる形で一度に両足を蹴り上げて男子生徒の右腕、左腕を同時に骨折させることは不可能だろうから、右腕か左腕かどちらかを先に蹴り上げ、そのあと右腕か左腕か、もう片方を蹴り上げて合わせて両腕の骨折ということであるはずだ。

 片腕で終わらせていないところに執拗な念入りさ――悪質さを感じないでもない。男子中学生が練習試合中、ボールを両手で取る形になって、ハンドでもやらかしてしまい、それで両腕を体罰の攻撃対象としたのだろうか。

 腕に痛い思いを焼きつければ、二度とハンドはしないだろうとばかりに。

 さらに別の記事によると、男子生徒は午後の試合にも出場したという。西脇良平の指示によるのか、男子生徒が自分から進んで黙って出場したのか分からないが、どちらであっても、西脇良平の持つ、あるいは普段発揮している強制性はかなり強いものがあったことになる。

 西脇容疑者(供述)「指導の一環だった」

 要するに正しい指導だという認識を持っていて、その認識のもと足で選手の腕を蹴り上げた。

 尾関孝昭岐阜県サッカー協会専務理事(55歳)「子供たちに厳しい言葉を浴びせることで有名だった。熱血さが裏目に出たのでは…」――

 「厳しい言葉」、「浴びせる」、「有名」と言っている3つキーワードから解釈すると、選手を自分のところに呼んできつい言葉で叱るといった指導方法ではなく、遠い位置から日常的に激しい言葉をかけていた指導方法を窺うことができる。

 問題は、「バカヤロー、何度言ったら分かるんだ。言われたことが何でできないんだ」とか、「お前、バカか、言われたことを言われた通りにやれっ」といった罵声を日常化させていなかったかである。

 一般的には罵声の日常化から体罰へと発展する。罵声だけでは抑えきれなくなって。

 勿論、自分のところに呼んで叱るにしても、遠いところから罵声を浴びせる指導と同じであったなら、単に距離の違いだけで終わることになる。

 何度言っても改まらないプレーは改まらないプレーをしてしまうその選手に特有な場面を他の選手を交えた敵味方の攻防の形で設定して反復練習で、監督だけではなく、他の選手のアドバイスも受けながら身体と意識に覚えさせるしかないはずだ。

 それを怒鳴ったり、罵声を浴びせたり、平手打ちやその他の体罰で改めさせようとすることに指導の合理性を見い出すことができるだろうか。

 但し気をつけなければならないことは反復練習も過ぎると、疲労から反応が鈍くなって思うような動作ができなくなり、いわば動きにキレがなくなり、判断能力も鈍くなって、改まらないプレーの修正に逆にブレーキをかけることになるから、注意が必要となる。

 岐阜県サッカー協会専務理事は「熱血さが裏目に出たのでは…」と言っているが、「熱血さ」とは怒鳴ったり、罵声を浴びせたり、体罰を加えたりの見た目の熱心さではなく、例えそういった指導方法によって好成績を上げることができたとしても、科学的な合理性を備えた指導方法かどうかを基準として測るべき価値観であろう。

 人一倍熱心に指導しているすべてが熱血というわけではあるまい。

 玉木正之スポーツ評論家「野球や柔道に比べ、サッカーは体罰が少ない世界。サッカー界全体の問題ではなく、個人の資質によるものではないか。

 最近ではむしろ保護者が『厳しく指導してくれ』と要望し、コーチらにプレッシャーをかけるケースが多いと聞く。自分の子を強くするため、多少の暴力を容認する傾向が体罰を生む土壌となっているのではないか」――

 記事題名を読んだとき、「FCアルマ大垣」所属選手の保護者が容認していた体罰指導かと思ったが、一般論として述べた“親容認”を記事題名に使ったことが分かった。
 
 勿論、「FCアルマ大垣」所属選手の保護者の中にも体罰を含む厳しい指導求める親も存在するかもしれない。

 だが、例えそれが指導者の助言からの才能の発展、あるいは才能の開花であっても、単に助言に言いなりになるのではなく、あれこれ試行錯誤の実践の末に自分自身の才能としていく形態の、自分で考え・判断する主体性と自己責任を介在させた内発的な自己達成と叱られたり、体罰を加えられたりして発奮して力を発揮する外発的な自己達成とでは人間的な能力の点でも運動能力の点でも、この二つの能力が相互影響し合う関係にある以上、どちらが身につくかは明らかに前者であって、後者との間に自ずと大きな違いが出るはずだ。

 指導者側から言うと、指導相手自身の内発的な自己達成と外発的自己達成のいずれが本当の意味での能力を身につけさせることが可能かは外発的な自己達成が罵声や体罰の指導が一般的には延々と続くことが証明している。

 今井文男東京学芸大教職大学院特命教授「元プロ選手が指導に当たる場合、『試合に勝ちたい』という自らの思いが先行、行き過ぎた指導に発展してしまうことがある」――

 プロだった選手が指導・監督を引き受けると、プロだったという前歴に応じた成績を、あるいは選手時代の能力に応じた成績を上げ、それを当たり前としなければいけないという強迫観念に駆られて、指導しているチームがそれ相応の成績を上げなかったり、あるいはたった1試合のことであっても、負けたりすると認め難い気持が起こって、つい怒鳴ったり、殴ったりしてしまうケースもあるに違いない。

 しかも2009年に全日本少年サッカー大会岐阜県大会で初優勝に導いている。当然、それが基準となって、上位大会への出場、さらには上位大会での上位進出、さらには優勝、その段階以下の成績は許されない・許さないという強迫観念に自らを追い込み、チームの選手にもプレッシャーをかけることになった可能性を疑うことができる。

 だが、成績は監督の采配や指導者としての選手育成の能力も然ることながら、優秀な能力を持った選手に恵まれることが重要な条件となる。

 この両者が相まって、成績を得ることができる。いくら選手育成の能力があろうと、集まった選手自身の総合能力の程度に応じて育成に限界が生じる。

 他のチームから優秀な選手をスカウトしてチームの能力不足を補うことが可能なプロスポーツでない以上、育成に関わる限界の見極めが必要で、最初に見極めた能力以上に選手自身の主体性と自己責任に基づいた内発的な自己達成からの能力の底上げにこそ、目標を置いていたなら、選手の腕を蹴り上げて骨折させるといった事態は起きようがなかったはずだ。

 例え優勝できなくても、あるいは下位成績で終わろうとも、内発的な自己達成は選手自身の人間的な能力を高めることを伴う

 だが、そのような指導方法とはなっていなかった。

 石井昌浩教育評論家「熱血コーチだからといって、暴力が許されるものではない。スポーツも教育の範疇(はんちゅう)だから、両腕骨折という結果の重大性からみると、明らかに教育から踏み外している。

 刑事事件化により、本来の意味での熱血教師まで萎縮させることがあってはならない。事件化の判断には暴力なのか指導なのかの峻別(しゅんべつ)を慎重に行うべきだ」――

 「本来の意味での熱血教師まで萎縮させることがあってはならない」と言っているが、どのような指導を以って「熱血」と言うのか、明らかにしなければならない。

 児童・生徒・部活部員・選手が自分で考え・判断する主体性と自己責任に基づいた内発的な自己達成に期待し、そのような姿勢に導くことのできる言葉を駆使できる指導でなければ、私自身は熱血教師など要らないと思っている。

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安倍晋三と下村博文の粗雑な頭と粗雑な頭が響き合った粗雑な教育論

2013-04-11 09:38:57 | 政治

 ――日本維新の会の中山成彬も粗雑な頭の一人に加えなければならない――

 昨日、4月10日(2013年)の衆院予算委員会は教育をテーマの集中審議だったそうで、いじめ、体罰、そして教科書検定、道徳教育等々が議論されたという。

 このことを次の記事で知った。《首相 教科書検定基準の見直しを》NHK NEWS WEB/2013年4月10日 12時53分)

 現在の教科書検定について――

 安倍晋三「第1次安倍内閣で教育基本法を改正し、日本の伝統と文化や、愛国心、郷土愛というものを尊重することを書いたが、残念ながら、教科書の検定基準には改正教育基本法の精神が生かされていない。検定する側にも、その認識がなかったのではないか」――

 日本の伝統、文化、愛国心、郷土愛が常に絶対善の姿を取っていたわけではない。にも関わらず、「日本の伝統と文化や、愛国心、郷土愛というものを尊重する」教育が必要だとしていることは、それらを絶対善としているからであって、この絶対善は「日本の伝統と文化や、愛国心、郷土愛」を絶対善と価値づけていることによって成り立つ。

 国体の本義「忠君なくして愛国はなく、愛国なくして忠君はない。あらゆる愛国は、常に忠君の至情によって貫かれ、すべての忠君は常に愛国の熱誠を伴っている。固より外国に於ても愛国の精神は存する、然るにこの愛国は、我が国の如き忠君と根柢より一となり、又敬神崇祖と完全に一致するが如きものではない」

 「忠君」とは大本の意味では天皇に対する忠義を指す。「敬神崇祖」(けいしんすうそ)とは神を敬い、先祖を崇(あが)める意味だが、戦前の日本に於いては国民は自分たちの先祖の頂点に皇祖(天皇の先祖)を位置させている。

 戦前の愛国心は国家の強制を形態としていた。国家権力が西洋の価値観を排斥し、日本古来からの伝統・文化・精神を絶対善と価値づけて成り立たせた日本国家に対する愛国心を国家権力は絶対善の前提のもと、大人ばかりか、子どもにまで一方的に押し付け、大人も子どももその愛国心を無条件に受け入れ、言われるままの愛国心で行動した。

 戦後の自由と民主主義と基本的人権が普遍的な行動原理と化すことで個人の価値観に従って主体的に行動しなければならない時代に国家権力が絶対善とする「日本の伝統と文化や、愛国心、郷土愛」を暗記教育という一種の暗黙的な強制を以って児童・生徒に教え、児童・生徒が国家権力の強制と暗記教育の強制の段階を経て強制されるままに絶対善と価値づけたなら、どうなるだろうか。

 成功したなら、戦前の愛国心日本を戦後の日本に現出させることになりかねない。

 だが、幸いなことにいくら国家主義者安倍晋三の力を以てしても、現在のところ、戦前程の強制力を再現させることは不可能だろう。但し安倍政権が長期政権を成功させ、その後も安倍国家主義者の亜流が安倍内閣を何代にも亘って引き継いでいったなら、戦後日本人を戦前日本人に染め上げることも不可能ではない。

 戦前の日本が証明しているように日本の伝統にしても文化にしても、愛国心、さらに郷土愛にしても、使いようで国家主義にも姿を変えるし、民主主義にも姿を変える。粗雑な頭の持主でなかったなら、個人個人の価値判断を封じ込めることで成り立つ一つの姿に閉じ込めた価値観を強制するようなことはしないはずだ。

 安倍晋三は粗雑な頭に出来上がっているからこそ、得々とできるとする発言を可能とする。

 上記記事は安倍晋三の粗雑な頭を響き合わせ持った下村文科相の発言も伝えている。

 下村博文「改正教育基本法や新学習指導要領の趣旨を踏まえた教科書で学ぶ必要があるが、残念ながら、これらにのっとった教科書でないものもあると感じている。日本に生まれてよかったと思ってもらうような歴史認識を教科書に書き込むことは必要で、今後、教科書検定の現状と課題を整理し、見直しを検討していきたい」

 この発言も絶対善の認識に覆われている。安倍第1次内閣が制定した改正教育基本法を無謬と前提し、絶対善に位置づけて、教科書検定に対する強制力を働かせる意志を露わにしている。

 絶対善の価値観と強制力は「日本に生まれてよかったと思ってもらうような歴史認識を教科書に書き込むことは必要」と言っていることに如実に現れている。

 歴史認識は個人個人が自ら考え、判断して決定していくべき自身に独自な歴史の個々の姿・個々の解釈によって成り立たさなければならないはずだが、「日本に生まれてよかったと思ってもらう」と一つの価値観に固定化し、それを絶対善の歴史認識として教科書に書き込み、そのような粗雑な認識のもと、児童・生徒に強制する意志を露わにしている。

 日本という国に生まれたことの存在性以前に一個の人間として生まれたことの存在性をこそ問題としなければならないはずだ。

 そのような存在性が集まって、国家は成り立つからだ。

 一個の人間として生まれたことの存在性にはそれぞれに独自の判断・認識によって成り立たせた自己を含む。

 独自の判断・認識を持たずに他の判断・認識に従った個人の集団としての国家は戦前の日本か現在の北朝鮮に擬えることのできる名誉を担うことはできるが、民主主義の時代に於いてどれ程の意味がるだろうか。

 当然、国家権力であろうと何であろうと、他の強制が働いた判断・認識はそれが自身に独自な判断・認識と衝突したとき、自己自身の存在性を歪め、阻害する。

 下村博文にしても安倍晋三に負けず劣らずの粗雑な頭に出来上がっているから、「日本に生まれてよかったと思ってもらうような歴史認識」を絶対善として固定観念とすべく一つの価値観を強制する意志を働かせているが、一つの価値観を絶対善とした固定観念化の強制が児童・生徒の自ら考えて判断する能力の育みを阻害する強制力ともなることに気づいていない。

 自由な発想・自由な判断は、当たり前のことだが、価値観の強制からは生まれない。独自な価値観を持つ思考のメカニズムがそのまま自由な発想・自由な判断を生み出す。

 このような思考のメカニズムに気づかない粗雑な頭をした政治家が国の教育を司る文科大臣を務め、そのような政治家を文科大臣に就ける一国の首相の粗雑な頭は、相互に響き合っているからこその人事であり、それぞれの教育観であろう。

 恐ろしいことではないか。 

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