国民の基本的人権を制約する意思が露わな自民党日本国憲法改正草案の危険性

2013-04-10 12:03:41 | 政治

 憲法はその条文に基本的人権を含めた国民の権利・義務を明確に規定することで、それを国家権力が恣意的に曲げたり、拡大解釈や制限を加えたりしないよう制約し、防御する基本的な役目を負っている。

 いわば憲法は国民の権利・義務を規定しながら、その規定を忠実に守るよう、国家権力を規定する。

 自民党案は、日本国憲法改正草案(2013年4月28日)に依る。
  
 現憲法・前文

 〈日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。〉――

 「福利」とは、幸福と利益を意味する。

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と言っていることは、国家権力は国民の信託を受けて、その権威のもと、国政を担い、国政の利益は国民が享受するという、国民を主とし、国家権力を従とした関係に両者を位置づけるということであって、そのよう両者の関係を規定した上で、恒久平和の念願や日本国家と日本国民の国際社会に於ける名誉ある地位の希求、日本国民だけではなく、全世界の国民が等しく生存の権利を有することの確認、いわば世界の国々及びそれらの国民との共存を図る崇高な理想と目的の達成に励むべきとする国と国民の権利と義務に触れている。

 自民党案・前文

 〈日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。〉――

 対して自民党案前文は、国民個人よりも国家主体となっている。いわば国家を主とし、国民を従に置く両者の関係付けを行なっている。

 このことは「国民主権の下」と言いながら、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家」だと、そのような国家を基本的な国の形としているところに如実に現れている。

 「戴く」とは自身に対して上に位置させた関係性を言う。天皇は国民統合の象徴として敬う関係にあるが、国民主権である以上、国民を下に置いて上下で位置づけていい関係性にあるわけではないはずだ。

 「天皇を戴く」という言葉は現行憲法にはない。

 国家主体は他の箇所にも現れている。
 
 「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」「美しい国土と自然環境を守りつつ」「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」等々、一見国民に対する義務付けのように見えるが、そのような義務付けの直接的な目的が国民一人一人の福利ではなく、国の形づくりであり、国の形づくりを福利となす国家主体の条文となっている。

 基本的人権の尊重に関しても、自民党案・前文に限って言うと、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び」となっていて、国民の義務とはしているが、憲法が規定し、国家が守る国民の権利という位置づけとはなっていない。

 国民の権利・義務を規定しながら、その規定を忠実に守るよう、国家権力を規定するという憲法の原則に反する文言となっていることも国民を従に置き、国家を主とする関係性と言える。

 自民党はそのような関係性を国民と国家の間に築こうとする意思を持っているということであろう。

 次に第1章「天皇」を見てみる。

 現憲法・天皇

 〈第1章 天皇

 第1条 天皇の地位

 天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 第2条 皇位の継承

 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第3条 天皇の国事行為に対する責任

 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第4条 天皇の機能

 (1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。 
 (2)天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 自民党案・天皇

 〈第一章 天皇

 (天皇)
 第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 (国旗及び国歌)
 第三条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
  2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

 第五条 天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない

 第六条
 4 天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。〉――
 
 要するに自民党は天皇を元首に位置づけるために、前文で日本を「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」としたのだろう。元首とする点に於いては大日本帝国憲法の復活である。

 〈大日本帝国憲法

 第一章 天皇

 第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

 第二條 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス

 第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

 第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ〉――

 旧憲法4条で、天皇は元首であって、憲法の規定に従い、統治権を掌握して統治するとしている。元首であるから、統治権を掌握して統治することと整合性を得る。

 【元首】「国際法上、外部に向かって国家を代表する資格を持つ国家機関。君主国では君主。共和国では大統領。日本では旧憲法下の天皇。現行憲法には規定がない。」(『大辞林』三省堂)

 現憲法も自民党案も天皇は「国政に関する権能を有しない」としているが、「国政に関する権能を有しない」天皇が外国を訪問して君主や大統領のように国家を代表するこは政治利用に当たって、整合性を得ることができないのではないだろうか。

 そもそもからして「国政に関する権能を有しない」上に国民統合の象徴という国内的存在に過ぎない天皇に一国家を代表させることに整合性を与えることができるのだろうか。

 従来からも天皇の政治利用は行われてきた。対外的発言としての「天皇のお言葉」は天皇自身の言葉ではなく、内閣や宮内庁の作成による言葉を天皇が単にアナウンスするだけの演出はいくら内閣の助言を騙ろうと、政治利用そのものである。

 それが元首とすることで政治利用をますます可能とするカラクリは危険そのものであり、そのような危険性を自民党日本国憲法改正草案は内在させている。

 最後に昨日、4月9日の午前中の衆院予算委で民主党の後藤祐一議員が自民党憲法草案のうち、第3章「国民の権利及び義務」のうち、第13条「個人の尊重」と、第21条「集会・結社・表現の自由と通信の秘密」を取り上げて、現憲法の第13条が「公共の福祉に反しない限り」としている権利制限を、自民党案が「公益及び公の秩序に反しない限り」としていることと、現憲法の第21条が無制限の自由を保障していることに対して自民党案第21条は「公益及び公の秩序を害する」場合は権利制限を設けていることを拡大解釈可能だとし、戦前の治安維持法のような法律をつくって取り締まることもできると、その危険性を指摘していた。

 では、現憲法と自民党案を比較してみる。

 現憲法・第3章 国民の権利及び義務

 〈第13条 個人の尊重

 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 第21条 集会・結社・表現の自由と通信の秘密

 (1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 
 (2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。〉――

 自民党案・第三章 国民の権利及び義務

〈(人としての尊重等)
 第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。〉――

 (表現の自由)
 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。

 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。〉――

 【福祉】「社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福」(『大辞林』三省堂)

 現憲法の「公共の福祉に反しない限り」と言っている「公共の福祉」とは対象が特定的ではなく、曖昧な点、他人に迷惑をかけない限りといった意味となるはずで、国家権力の干渉の余地は限りなく小さい。

 だが、自民党案の「公益及び公の秩序に反しない限り」となると、対象がより限定的となり、国家権力の価値判断次第で「公益」も「公の秩序」も解釈変更が可能となって、いわば勢力の違いや立場の違いで「公益」も「公の秩序」も姿を変えることになって(このことは戦前の日本で見てきたはずだ)、国民の権利・義務に対する国家権力の恣意的運用の制約を原則とする憲法の精神に反して、逆に国家権力の干渉の余地を拡大し、国民の権利を制約する危険性を孕んだ規定だと言うことができる。

 国民が現憲法が規定する「公共の福祉」を拡大解釈して、あるいは自分たちの価値判断を強引に当てはめて権利を踏み外した場合、民法や刑事訴訟法で罰することはできるが、国家権力が「公益及び公の秩序」を拡大解釈して、あるいは自分たちの価値判断を当てはめて国民の権利に制限を加えた場合、それを正当化する法律を前以て用意しているだろうから(このことも戦前の日本で見てきたはずだし、民主党の後藤祐一議員が言っていた治安維持法もその一つであった。)、憲法は国家権力に対する制約手段ではなく、国民の基本的人権に対する制約手段と化し、当然、国民のための憲法ではなく、国家権力のための憲法となる危険性を常に裏合わせすることになる。

 だからこそ、自民党の日本国憲法改正草案は国家を主とし、国民を従に置く国の形を優先させた国家主体の意思を露わにすることになっているのであって、そのような国の形の頂点に「天皇を戴く」ということになるのだが、憲法の原則に反するこのような思想構造の危険性は計り知れない。

 だが、数の力によって、罷り通ることになる。その危険性にも備えなければならない。

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日本維新の会党綱領の「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」云々の憲法観の筋違いな責任転嫁

2013-04-09 11:31:10 | Weblog

 橋下徹と石原慎太郎コンビの日本維新の会が3月30日党綱領を発表、その中で改憲意志を明確に提示している。

 〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。 〉――

 改憲に関する文言はこれだけである。だが、たったこれだけの短い文言が多くを語っている。

 安倍晋三と同じく日本国憲法を占領憲法だと断罪、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」とはおどろおどろしい。

 戦後に生き残った戦前の血を引いた日本の政治家には占領軍主導を待たなければ日本国憲法のような民主的憲法をつくる力を持たなかったことは昨日のブログに書いた。

 そのような占領軍主導制定の日本国憲法を日本人自身の手で改憲して、「国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」と高邁なる目標を高々と掲げている。

 このことを読み解くと、当然のことだが、占領軍憲法が日本国家、日本民族の自立を奪い、日本国家を仮死状態に陥れたということになる。
 
 ということは、これも当然のことだが、戦前の日本は国家としても、民族としても立派に自立していたということになる。

 要するに戦前の日本は国家としても、民族としても立派に自立していたにも関わらず、戦後占領軍がそのような日本国家、日本民族の自立を日本国憲法を魔法の杖にして奪ってしまい、日本を孤立と軽蔑の対象に貶めた。

 だから、占領軍憲法=日本国憲法を改憲して自立にかけた魔法の呪縛を解き放ち、孤立と軽蔑の対象から外して国家、民族の真の自立を回復させ、日本国家を蘇生させなければならない。

 日本維新の会の改憲意志はこのような論理を取っているはずだ。

 この論理を正当化するためには戦前の日本が国家としても民族しても自立していたことを前提としなければならない。

 果たして戦前の日本は国家として自立していたのだろうか。

 個人に関しても同じだが、国家が自立するについては、国家としての行動を与えられた義務と責任に基づいて自らを律し、行い、その行動の結果に対しても責任を負う体制を国家自らが構築していなければならないはずだ。

 構築していなければ、自らの行動を律することはできない。義務と責任を負わない場所に自立も自律も期待しようがない。

 個人に関して言うと、学校でイジメが事実として明かになりながら、校長や教師が情報隠蔽や情報操作を謀って責任回避や責任転嫁に走る。このような校長や教師は自立した個人と言えるだろうか。

 自立(もしくは自律)には常に義務と責任が伴う。
 
 戦前の日本は国家の行動として起こした戦争の敗戦という結果に果たして責任を負ったのだろうか。連合国側の東京裁判で様々な形で責任を取らされたが、日本国自らはどのような責任も取らなかった。

 これは当然の責任回避であろう。責任を明らかにする戦争の総括すら回避して行なっていなかったのだから。

 責任の明確化が存在しない場所に責任遂行は存在しない。あるのは責任回避と責任転嫁のいずれか、あるいはその両方である。

 いわば日本は敗戦に於いて自立していない国家の姿を曝した。

 戦争の敗戦という結果に対する責任だけではない。開戦の決定に関しても国家としての義務と責任に基づいて自らを律し、行動の結果に対して責任を負う自立国家の姿を果たして取っていたと言えるだろうか。

 「Wikipedia」「総力戦研究所」の項目がそのことを教えてくれる。

 既にご存知の方も多くいると思うが、戦前の日本国家が自立国家だったかどうかを明らかにするためにこの項目を参考にして説明したいと思う。

 総力戦研究所は昭和15年(1940年)9月30日付施行の勅令第648号(総力戦研究所官制)により開設された内閣総理大臣直轄の研究所として組織され、昭和16年(1941年)7月12日。研究生に対して、日米戦争を想定した第1回総力戦机上演習(シミュレーション)計画が所長の飯村から発表された。同日、研究生たちによる演習用の青国(日本)模擬内閣も組織された。

 模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測。

 総力戦机上演習の結論。

 「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」

 日米開戦の1941年(昭和16)12月18日から遡る3~4カ月前の1941年8月の時点で日米開戦以後の実際の展開をほぼ予測していた。

 この研究結果と講評は1941年8月27・28日両日、首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』に於いて当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府・統帥部関係者の前で報告された。

 東条英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争というものは、君達が考へているようなな物では無いのであります。

 日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思はなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」――

 しかし日米国力の差、軍事力の差、軍の機動性の差(アメリカ軍は南洋諸島に飛行場を構築する際、ブルドーザー等の機械類を持ち込んだが、日本にはないために刑務所の囚人などを日本から動員して手作業で構築したという)、自国資源の差、特に日本は石油の80%近く、鉄類は70%近くをも当時アメリカからの輸入に依存していた、その差は厳然たる事実として存在していたはずだ。

 同じ総力戦研究所の総力戦机上演習を扱った次の記事――《【日米開戦 70年目の検証】考・資源 日本の国力「平和であればこそ」》MSN産経/2011.5.7 07:41)に以下の記述がある。

 〈米国は鉄産出で対日13倍、石炭8倍、石油300倍。産業の「コメ」である鋼材生産力は20倍近い。その「コメ」を材料に兵器を生み出す工作機械は米国製に頼っていたが、日米通商航海条約廃棄(15年1月)に伴い対日輸出が禁止されている。

 国民総生産は約1千億ドルと10倍以上。総合的国力は約20倍の格差があったと推定されている。机上演習は「敗戦」以外の結論を導きようがなかった。〉――

 こういった国力の差を示す厳然たる事実に対して東条英機は、日露戦争の勝因としてロシアが艦隊をバルト海方面からスエズ運河やアフリカの喜望峰周りで日本海に航行させなければならかった地の不利や日英同盟による英国のロシアに対する牽制といった事実としてあった勝因に関わった合理的な要素を挙げずに、「日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思はなかった。然し勝ったのであります」とか、「戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく」、あるいは、「諸君の考えている事は机上の空論とまでは言はないとしても」と事実を無視して空論もどきに貶め、「あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります」と、事実に基づく合理性から離れた精神論を戦争行為の主体的要素とする非合理性は無視できない。

 こういった頭の働きをすること自体が自立した人格とは言い難く、そのような人格の持主が陸軍大臣として国家の枢要な地位を占めて国の方向を決める大きな力となっていた。

 だとすると、1941年(昭和16)12月18日の総力戦机上演習結論無視の日米戦争突入を裏返すと、自立していなかったのは東条英機一人ではなく、戦前の日本国家自体が国家としての行動を与えられた義務と責任に基づいて自らを律し、行い、その行動の結果に対しても責任を負う自立国家の体裁にまで至っていなかったことの証明にしかならない。

 この証明が間違っていないとすると、戦前の日本国家の非自立をそのまま引き継いだ占領時代の日本国家の非自立ということになり、日本維新の会が党綱領で謳っている「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」とする政治目標は占領政策や日本国憲法に対する責任転嫁となる。

 責任転嫁してその価値を「軽蔑の対象に貶め」た。
 
 日本国家として自立していない存在性は占領や占領政策、さらには日本国憲法にも関係しない戦前から引き継いでいる日本人個人の問題となる。

 日本人個人が自立していないから、その集合体としての日本国家も自立できていないと言うことではないのか。

 「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた」と言っていることが日本国憲法9条の戦争放棄を指しているのだとしたら、武装解除・戦争放棄は当時としては戦前の日本の攻撃的軍国主義のツケを支払わされた当然の措置であろう。

 憲法の戦争放棄の規定が自立した国家として必要な対外行動を規制していると言うなら、先ずは戦争を総括して、国家としての自立を獲得していなければならなかったはずだ。

 戦前も国家として自立していなかった、戦後も自立していなかった。ここに来て自立云々を言うのは矛盾そのものだからだ。

 勿論、日本国憲法を占領憲法だと「軽蔑の対象」として貶めることも矛盾そのものとなる。

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安倍晋三が「占領軍が作った憲法」だと言うなら、日本国民にとってそれが正解だった日本国憲法

2013-04-08 10:11:28 | Weblog

 ――要するに占領軍の押しつけ憲法だと言うなら、押し付けだったことが戦後の日本国民に幸いし、戦前の日本をつくり出して戦後の日本に生き残った旧国家体制に災いした。だから、安倍晋三はレジーム・チェンジ(戦後体制の変革)を言う。――

 昨日のブログでは4月5日(2013年)衆院予算委での日本国憲法を取り上げた細野豪志と安倍晋三との質疑応答を文字起こしし、《2013年4月5日衆院予算委の日本国憲法観に関わる細野剛志民主党幹事長と安倍晋三の質疑答弁-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》との題名をつけて記事とした。

 今日はその安倍答弁から詭弁とゴマ化しを用いた日本国憲法否定=大日本帝国憲法肯定と占領政策否定の思想を炙り出して見たいと思う。

 全体の質疑応答は昨日の記事を参考にして貰いたい。

 先ず細野は昨年2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージ「本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」を読み上げて、「日本はどのように改造され、精神に影響を及ぼされ、そしてスタートがなぜ間違っていたのか」と質問した。

 この安倍メッセージの「占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか」は悪い方向への「改造」という、あるいは日本人の精神に悪影響を与えたとする「改造」というニュアンスを持たせた言葉であろう。

 良い方向への「改造」であったなら、国家主義者安倍晋三に於ける歴史認識のバックボーンを失うことになる。

 当然、細野はこの質問に際して、どのような「改造」だったのか、自分なりの解釈・歴史認識を確認して、安倍晋三の解釈・歴史認識と対比して追及していかなければならなかったはずだが、そういった追及とはなっていなかった

 国家主義者の立場でなければ、誰が見ても占領時代に占領軍が行ったことは日本の軍国主義を民主主義に改造したことであり、そのことは明治憲法(大日本帝国憲法)の精神から戦後の日本国憲法の精神への“改造”そのものが証明していることである。

 細野がこのことを踏まえていたなら、追及をより容易に展開できたはずである。

 当然、「何年間の占領時代というのは戦争状況の継続である」と言っている安倍晋三の言葉は、軍国主義から民主主義への改造が行われていたのだから、詭弁と化す。

 「占領時代と、これから独立をしたという、いわば精神に於いての区別をつけていなかったのではないか」と言っていることも、独立という点に関しては精神の区別はそれなりに伴わないわけはないはずだが、「区別をつけていなかった」と言っていることを事実だと仮定したとしても、日本国民が敗戦後早くから軍国主義からの解放、その反対給付としての民主化を期待していて、日本国憲法の1947年(昭和22年)5月3日発効からサンフランシスコ講和条約の1952年(昭和27年)4月8日発効による独立まで日本国憲法の精神を受け入れていた事実を前提として独立以後を考えると、憲法の精神を継続して受け入れていたことになり、やはり国家主義の立場に立っていなければ、何ら問題はなく、見当違いの発言ということになる。

 1952年(昭和27年)4月8日の独立の時点で、やはり旧体制擁護の国家主義者でなければ、戦後憲法が謳っている国民主権、平和主義、基本的人権の尊重は継続されていくという予定調和を国民は精神に感じ取っていたはずだ。

 逆に日本国憲法を否定することによって、占領時代と独立以後を区別していないという論が成り立つ。

 このことは続いての占領期間の「この7年間の間にですね、7年間の間に憲法とか、あとは教育基本法、国の形を決める基本的な枠組み、えー、が、できた。そしてそれは果たして、それでいいのかという、ま、ことであります」という発言が証明している。

 この発言を捉えて、細野は(憲法制定からサンフランシスコ平和条約発効までの「6年間の間に、もしくはその独立をするときには憲法を新しくしてスタートしておくべきだった、そういうご認識ですか」と切り返しているが、安倍の上記発言自体に存在する日本国憲法否定意思に直接狙いを定めて、「総理、あなたは日本国憲法を否定している」と攻めるべきだったろう。

 勿論、安倍晋三は日本人の手も加わった日本国憲法であることを無視して、「日本国憲法の中身は良くても、日本人自身の手で作られた憲法ではない。日本の国の憲法だから、日本人自身の手で制定されるべきだ」といった言葉を弄して巧みに逃げるだろうが、細野は「当時の戦前旧体制の血を受け継いだ政府内の日本人に日本国憲法のような憲法を作る力、あるいは精神を持っていたのか」と切り返すことによって、安倍晋三の詭弁を打ち破ることができたはずだ。

 当時の戦前旧体制の血を受け継いだ政府内の日本人に日本国憲法のような憲法を作る力、あるいは精神を持っていなかったことは国家主義者でなければ、周知の事実としていることであって、このことはあとの遣り取りによって証明することができる。

 安倍晋三はここでは 「ハーグ陸戦協定上ですね、えー、占領している期間にはその国の基本法を変えてはならない、という規定があるわけでございます。

 ま、しかし、そん中に於いて、えー、我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります」と言って、1899年オランダ・ハーグ平和会議で採択されて、1907年第2回ハーグ平和会議で改正されたハーグ陸戦協定を否定原理として「占領軍が作った憲法」だとして、日本国憲法を否定している。

 この日本国憲法否定は、当然、大日本帝国憲法肯定となる。

 何しろ、「占領している期間にはその国の基本法を変えてはならない、という規定がある」のだから。

 このことを謳っている実際のハーグ陸戦協定第43条は、「国の權力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽くすべし」となっていて、日本の民主化に大日本帝国憲法は「絶対的の支障」となるとする理由を設ければ、ハーグ陸戦協定違反とはならない。

 だが、国家主義者安倍晋三には大日本帝国憲法が戦後日本の民主化の「絶対的の支障」とは目に映っていなかったのだろう。

 尤も安倍晋三は内心の思いとは別に大日本帝国憲法肯定ではないと否定するはずだ。日本人自身の手で明治憲法に代わる民主憲法を制定すべきだったと同じ手を使って逃げるだろうが、当時の戦前旧体制の血を受け継いだ政府内の日本人に日本国憲法のような憲法を作る力、あるいは精神を持っていたのかという同じ問題に行き当たる。

 ここで安倍晋三は昭和21年当時の幣原内閣の松本烝治国務相の大日本帝国憲法に代わる憲法改正私案作成に言及する。この私案を「2月1日に毎日新聞がスクープをしたわけでありまして、このスクープをした案を見て、ま、マッカーサーが激怒してですね、そして4日に、2月の4日に、えー、ホイットニー民政局長とケイジツ次長を呼んでですね、これは日本には任せておけないから、これは私たちで作ろう、という指示をですね、えー、ホイットニーとケイジツに出して、そしてホイットニーとケイジツに対して、えー、委員会を作って、作りなさい。そして25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」と言って、さも毎日新聞がスクープしたことが問題であるかのようなニュアンスの発言となっているが、マッカーサーが問題としたのはその中身であって、毎日新聞がスクープしようとしまいと、早晩マッカーサーに提示して内容が知れることであって、単に時間の問題に過ぎなかったはずだが、ゴマ化しの意識があるから、松本試案の中身に言及せずに毎日新聞のスクープに言及することになったはずだ。

 しかも、「25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」と、日本国憲法否定衝動を露わにしている。

 ここで一つお断りと謝罪をしなければならないが、安倍晋三のホイットニー民政局長に対して次長を「ケイジツ」と発言したようにしか聞こえなかったが、実際はインターネットでは「ケーディス」の表記となっていた。悪しからず。
 
 マッカーサーが激怒としたとされる松本試案と大日本帝国憲法と日本国憲法の基本的な規定を比較してみる。

 《松本国務相「憲法改正私案」》(国立国会図書館/日本国憲法の誕生) 

(松本丞治一月四日稿/昭和21年1月4日) 

 (極秘)
三〇部ノ内第二六号

第三条 天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス

第十一条 天皇ハ軍ヲ統帥ス

第二十条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ役務ニ服スル義務ヲ有ス

第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

第三十一条 日本臣民ハ前数条ニ掲ケタル外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナシ

 大日本帝国憲法

第一章天皇

第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ

第二章 臣民權利義務

第二十二條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ居住及移轉ノ自由ヲ有ス

第二十八條 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

第二十九條 日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス

日本国憲法

第20条 信教の自由

 (1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の
    権力を行使してはならない。 

(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することは強制されない。 

(3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。

第21条 集会・結社・表現の自由と通信の秘密

 (1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 (2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第22条 居住・移転及び職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由

 (1)何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 
 (2)何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第23条 学問の自由

 学問の自由は、これを保障する。(以上)

 普通に読み取れば、今更解説は必要ないはずだし、既に多くの解説が出回っていて、二番煎じとなる恐れがあるが、安倍晋三の詭弁を際だたせるために一応の解釈を加えたいと思う。

 松本国務相の「憲法改正私案」は大日本帝国憲法の第1章天皇、第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」と言葉を変えただけで天皇絶対主義の精神は何ら変えていない。

 また、国民を天皇の支配下にある「臣民」と位置づけている点に関しても両者は何ら変わりはない。いわば、国民主権の意思は一片足りとも存在しない。

 基本的人権に関しても大日本帝国憲法は移住の自由に関して、国民は「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ居住及移轉ノ自由ヲ有ス」と法律の制限内の自由となっているし、言論や著作の自由、集会・結社の自由に関しても「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」と法律によって制限を受ける存在とされている。

 対して松本私案の信教の自由は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と、「安寧秩序」の維持の網をかけた中での制限された自由となっている。

 権力側に都合の悪い社会的力を有することとなった宗教団体、あるいは何らかの信念に基づいた社会的影響力を与えるデモ等に対しては権力側の恣意によって、安寧秩序を妨げたと治安維持法なりの法律を作って、国民の権利を抹殺できることになる。

 このことは日本国憲法が基本的人権として保障する自由に関して何ら制限を設けていないことによって証明され得る。

 安倍晋三が策する憲法は彼の国家主義の立場から考えると、こういった制限を設けていない自由に制限の網をかけるに違いない。

 戦前の日本政府は1945年(昭和20年)7月26日に発した対日無条件降伏勧告を求めたポツダム宣言に対して当初、大日本帝国憲法上の天皇の地位に変更を加えない「国体護持」を条件とした受け入れを申し出たが、米・英・中の連合国側の反対に遭い、翌7月27日、当時の鈴木貫太郎内閣が軍部の圧力により、ポツダム宣言黙殺の声明を出して、このことが連合国側に拒否と受け取られて、広島・長崎と原爆が投下され、ソ連参戦、進退窮まった日本は8月14日になってやっと無条件降伏を受け入れた。

 原爆投下、無条件降伏という痛い思いをした国体護持への拘りであったはずだが、日本政府は性懲りもなく再び松本試案で国体護持に走った。

 ポツダム宣言が「われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする」と謳っていたにも関わらず、人間が生まれながらに持っている基本的な権利としての基本的人権に向ける目を持たず、世界を見る目もなく、戦前と変わらずに天皇を絶対支配者に位置づけて国民を臣民扱いとし、天皇と国民をそのように規定した関係から必然的存在形態として基本的人権に制限を加えようとした。

 そして政治権力者は天皇の絶対権力をバックに国民を思うままに統治しようというわけである。

 戦前と変わらぬこの点に、いわば戦前と変わらぬ国体護持への拘りに当時の戦前旧体制の血を受け継いだ政府内の日本人に日本国憲法のような憲法を作る力、あるいは精神を持っていたのかという極めて強い疑問を発する根拠がある。

 答は当然、持っていなかったと答える以外にない。

 日本国民にとって正解だった日本国憲法ということである。

 中身を比較した以上の点を安倍晋三は問題とすべきだが、問題とせず、「事実上占領軍が作った憲法だった」として制定主体のみを問題とする愚かしい認識能力を垂れ流している。

 だからこそ、「全くの素人」が作った日本国憲法が国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三大原理の点に於いて、その点を欠いている大日本帝国憲法や松本試案と比較にならない程遥かに優れていながら、日本国憲法を「全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」と言うことができるのは日本国憲法に対する否定の意思・排斥の意思が否応もなしに疼いていると考える他ない。

 細野豪志の「当時の我が国の状況の中で3原則、即ち国民主権をしっかり確立をし、基本的人権を守り、そして平和主義を保っていくと。この3原則のもとに戦後60年に亘ってですね、日本が独立国としてやってきたことを評価をしています」という、恰も安倍晋三が評価していないかの意を込めた質問に対しては、安倍晋三は「勝手に私がですね、(笑って)あたかも自由や民主主義や基本的人権を否定しているが如くにですね、発言されるのは極めて迷惑な話でありまして、えー、自民党案に於いても明確に平和主義・民主主義・基本的人権、この基本的な考え方、いわば国民主権ですね、そうしたものは受け継いでいくということを、えー、予めですね、えー、宣言をしているわけでございます」と答弁、「憲法というには何のために存在するのか」という問いに対しては、「憲法って言うものについては、えー、権力を持っている、ま、権力者側、に対してですね、かつては王権でありますが、王権に対して様々な制約を国民が課す、という、そういう存在でありました」と答弁しているが、戦前の日本の国の形を規定していた大日本帝国憲法にはその思想は反映されていなかったし、毎日新聞がスクープしてマッカーサーが激怒したとする松本試案にも反映されていなかったし、唯一「全くの素人」がつくったと貶(けな)している日本国憲法のみが反映している皮肉な事実を無視している点から言うと、「平和主義・民主主義・基本的人権を受け継いでいく」と言っていることは頭から信用することはできない。

 このことは次の発言が証明してくれる。

 「自由や民主主義が定着していて、えー、国民主権ということが明らかである中にあって、果たしてそれだけでどうかということなんですね。いわば、どういう国にしていくか、ということもやはり憲法には、これは込めていくべきなんだろうと、このように私は考えているわけであります」――

 日本に於いては平和主義・民主主義・基本的人権は日本国憲法の保障があって可能となった権利である。憲法を変えることによって影響を与えることも可能であって、憲法が規定している関係からの絶対的保障は憲法が変わるまでという相対性を常に孕んでいることも忘れてはならない。

 国の形は政治的形態に於いても経済的形態に於いても精神的形態に於いても、平和主義・民主主義・基本的人権を基盤に国民の総体的意思によって決まっていく。なぜなら、国の政治に関わる政治家は国民の選択を受け、国民の付託に応じて国家を運営するからだ。国が上から決めていくことではない。

 特に精神的形態に於いて国家権力側からの愛国心や道徳心を求める力が強く働くと、最初に基本的人権が制約の対象となりかねない。次に平和主義や民主主義の制約へとつながっていく。

 このことはイスラム世界の上からの宗教上の決まり事が証明している。

 いわば国の形はどのような形態に関しても平和主義・民主主義・基本的人権を基本とした国民の意思に任せるべきで、国民の意志を反映させないまま国家権力が国の形の形成に関与していい問題ではないはずだ。

 以上、安倍晋三の日本国憲法否定=大日本帝国憲法肯定を見てきた。

 正否の判断は読者に任せるしかない。

 大日本帝国憲法の精神自体が、その精神の反映としての松本試案を覆っていた精神にしても、天皇を頂点とした国家主義によって彩られているのであって、だからこそ、安倍晋三は国家主義者と立場から戦前の戦争を侵略戦争と認めない歴史認識を持つに至る。


 最後に既にご存知かもしれないが、GHQとマッカサーが参考にしたという日本人による憲法草案のHPと、安倍晋三が第1次安倍内閣時代にも「占領軍が作った憲法」だと発言していて、その発言に関して松本試案を持ち出して書いた当ブログ記事を参考までに紹介しておきたいと思う。

 《憲法研究会「憲法草案要綱」》国会図書館/1945年12月26日)

 2007年8月5日当ブログ記事――《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 安倍憲法改正「日本人自身の手で」のマヤカシ》

 この記事での安倍晋三の「占領軍学が作った憲法」という発言がどこでいつ発言したのか迂闊にも記載してないが、第1次阿部内閣時代の発言であるはずである。 



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2013年4月5日衆院予算委の日本国憲法観に関わる細野剛志民主党幹事長と安倍晋三の質疑答弁

2013-04-07 11:36:38 | 政治

 新聞報道に促されて文字に起こしてみた。安倍晋三の日本国憲法否定衝動が如実に現れている答弁となっているが、今日は文字に起こした日本国憲法に関する質疑答弁のみの記載にとどめておき、明日にでも、自分なりの意見を述べてみたいと思う。

 皆さんはどう受け止めるだろうか。

 一つだけお断りしておくと、細野豪志は最後のところで沖縄返還の日を「昭和27年5月25日」と言い、安倍晋三は「6月25日」と言っている。「6月」というとき、少々舌に引っかかって聞き取れなかったが、「6月25日」が実際には「5月25日」と言ったとしても、調べてみたから確かであるはずだが、沖縄返還の日は「47年(1972年)5月15日」となっていて、二人共日を間違えている。

 このことは沖縄のことがどれ程頭に入っているかどうかを占う記憶に関係することで、瑣末な問題として無視することはできないはずである。 



 2013年4月5日衆院予算委員会細野VS安倍晋三「日本国憲法観」

 細野豪志民主党幹事長「(主権回復の日について)4月28日に政府主催として式典を行うということが発表をされております。これは閣議決定されてますね。

 私共としても、この主権回復の日をどのように判断をしていくかということについて様々に意見を今交わしているとところでありまして、このことを考える上で総理に少し認識をお伺いしたいことがございますので、いくつかお答を頂きます。

 去年の4月28日、自民党を中心としてですね、主権回復60周年を記念の国民集会というのが開かれていて、安倍総理は当時おられませんでしたけども、メッセージを出されております。

 メッセージですから、一つ一つの言葉は揚げ足を取るつもりはありません。ま、そこに総理の重要なですね、、認識、歴史認識が入っているのではないかといいうふうに思いますので少し紹介させて頂きたいと思います。

 『本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした』

 えー、この、えー、昭和27年4月28日の、えー、このサンフランシスコ講和条約の主発点というのは本来あるべき姿でのスタートではなかったと、いうふうに読めるご挨拶をされているんですが、日本はどのように改造され、精神に影響を及ぼされ、そしてスタートがなぜ間違っていたのか、その辺りのことをお伺いします」

 安倍晋三「昨年、自民党ほぼ、自民党主催だったのかな、の、えー、主権回復の記念日が開催されたわけでございます。

 私は、えー、たまたま前から約束をしていた懇意がございましたので、メッセージを、ビデオメッセージを出したわけでございます。ま、そこでですね、昨年いわば、まさに、60年を記念して行った式典ではございましたが、ま、そこで、60年前にまさに日本は、サンフランシスコ条約、平和条約、を結んでですね、戦争時代を集結をしたわけでございます。

 何年間の占領時代というのは戦争状況の継続である、ということなんですね。そして平和条約を結んで、日本は外交権を初めて、主権を回復したということになるわけでございます。

 ただ、私が投げかけた問題点はですね、それをきっちりと区別していなかったことによってですね、占領時代と、これから独立をしたという、いわば精神に於いての区別をつけていなかったのではないか、ということですね。そして同時に、この7年間の間にですね、7年間の間に憲法とか、あとは教育基本法、国の形を決める基本的な枠組み、えー、が、できた。そしてそれは果たして、それでいいのかという、ま、ことであります。

 例えば、ドイツに於いてはですね、占領軍がいた段階に於けるものは、憲法ということではなくて、基本法という形をしてですね、いわば、そうした状況が変わったときにもう一度考え直そうという、ことでありましたが、日本はそうではなかった、ということであります。

 そこでもう一度、やはり考えてみるべきではないか、ということを申し上げたわけでございまして、えー、それは60年前にですね、本来であれば、やっておくべきことだったのではないかという問題意識を申し上げたところでございます」
 
 細野豪志「確認ですが、そうしますと、憲法ができたのは、えー、昭和21年ですね。27年に日本はサンフランシスコ平和条約が発効して独立をしていますね。

 つまり、その6年間の間に、もしくはその独立をするときには憲法を新しくしてスタートしておくべきだった、そういうご認識ですか」

 安倍晋三「基本的にはですね、いわば、えー、様々な疑問があってですね、例えばハーグ陸戦協定上ですね、、えー、占領している期間にはその国の基本法を変えてはならない、という規定があるわけでございます。

 ま、しかし、そん中に於いて、えー、我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります。

 ま、形式的にはですね、そうではないわけであります。しかし、占領下にあって、それが行われたのは確として事実であります。その中に於いてですね、やはり、占領が終わった中に於いて、そういう、いわば機運が盛り上げるべきではなかったか、というのが私の考えであります。

 ま、まさにこれは、えー、昭和21年でありますが、ま、当時の幣原内閣に於いて、松本烝治担当大臣が案を作って頂いたのでありますが、甲案、乙案、というのを考えていたわけでございますが、これは、2月1日に毎日新聞がスクープをしたわけでありまして、このスクープをした案を見て、ま、マッカーサーが激怒してですね、そして4日に、2月の4日に、えー、ホイットニー民政局長とケイジツ次長を呼んでですね、これは日本には任せておけないから、これは私たちで作ろう、という指示をですね、えー、ホイットニーとケイジツに出して、そしてホイットニーとケイジツに対して、えー、委員会を作って、作りなさい。そして25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります。

 ま、これは、原案、と言われているわけですから、しかしそこはですね、そういう事実を踏まえて、その段階ではそういう事実に対してみんな目を覆っていたんです。ですが、そういう事実はちゃんと見ながら、自分たちでですね、真の独立国家を作っていこうという気概を持つべきではではなかったかということを申し上げたわけでございます」

 細野豪志「あのー、ご認識はよく分かりました。あの、もう一つお伺いしたいんですが、あの、(自分の憲法観を話せとでもヤジが入ったのか)じゃあ、私は申し上げます。私はこの戦後の歴史の中で現憲法が果たしてきた役割を前向きに評価をしています。

 勿論、完璧なものではなかったかもしれない。しかし当時の我が国の状況の中で3原則、即ち国民主権をしっかり確立をし、基本的人権を守り、そして平和主義を保っていくと。この3原則のもとに戦後60年に亘ってですね、日本が独立国としてやってきたことを評価をしています。

 ですから、そこは総理と私の考え方というのは恐らく異なるということだろうと、いうふうに思います。

 その上で、総理、総理、お伺いしたいことがあります。それは憲法というには何のために存在するのかということですね。憲法っていうのは何のために存在するんですか、といったことが一番重要なんですが」

 安倍晋三「先ずですね、勝手に私がですね、(笑って)あたかも自由や民主主義や基本的人権を否定しているが如くにですね、発言されるのは極めて迷惑な話でありまして、えー、自民党案に於いても明確に平和主義・民主主義・基本的人権、この基本的な考え方、いわば国民主権ですね、そうしたものは受け継いでいくということを、えー、予めですね、えー、宣言をしているわけでございます。

 そこは誤解のないようにして頂きたいと思いますが、えー、憲法制定過程に於ける、えー、問題点についてですね、私は申し上げているわけでありまして、しかし問題点は決して小さなものではないということは申し上げておきたいと、えー、思うわけであります。

 そして同時にですね、憲法って言うものについては、えー、権力を持っている、ま、権力者側、に対してですね、かつては王権でありますが、王権に対して様々な制約を国民が課す、という、そういう存在でありました。

 しかし今ですね、自由や民主主義が定着していて、えー、国民主権ということが明らかである中にあって、果たしてそれだけでどうかということなんですね。いわば、どういう国にしていくか、ということもやはり憲法には、これは込めていくべきなんだろうと、このように私は考えているわけであります」

 細野豪志「先程私が申し上げたのは、総理と違うと申し上げたのは、現行憲法に対する評価が違いますねということを申し上げたんです。ですから、総理はできればスタートから現行憲法ではなくて、えー、自民党が主導してこられたような憲法が必要だとお考えであった。

 私は戦後憲法が果たしてきた役割を前向きに評価をしている意味で、違うねって言うことを申し上げた。

 で、今総理が、立憲主義についておっしゃいました。そうなんですね、憲法っていうのは権力をしっかりと縛るものなんです。

 そういった意味で自民党が出されているですね、自民党憲法案ていうのは、そういう大原則を逸脱していると思います。今日はそのことを長々と議論するつもりはありませんが、そこは戦後に対する認識であるとか、憲法観が民主党と自民党と違うとこがあると。

 ま、従いまして、4月28日のこの歴史をどう思うかについても、ややスタンスは違うけれども、私はですね、日本が主権を回復したということ自体は前向きに評価をしておりますので、えー、この会合にはですね、党を代表をして出席したいというふうに思っております。

 その上で総理、もう一つ提案があります。4月28日は本当に日本が真に独立した日なのかということについて私は疑問を持っている。なぜなら、4月28日に独立することができなかった人たちがたくさんいるわけですね。奄美の皆さん、小笠原の皆さん、そして沖縄の皆さんです。沖縄の皆さんが本土に復帰をされた、その時が本当の意味でですね、日本が独立した日じゃないですか。

 そこで提案があります。昭和27年5月25日、沖縄本土復帰の日をですね、4月28日と同じように政府としてしっかり式典をする。それをですね、主権回復の日として、もう一つしっかりとですね、定めるということを提案したいと思いますが、如何でしょうか」

 安倍晋三「今から61年前にですね、日本は主権を回復したが、残念ながら主権外に奄美、小笠原、そして沖縄があった。えー、しかし、この時にですね、えー、サンフランシスコ講和条約に於いて平和条約を結ばなければ、そもそも主権外に置かれている地域を取り戻す外交権すらなかったわけでありますから、当時は苦渋の決断なんですね。

 占領軍がいるんですから(両手を広げて強調する)、そん中に於いて、先ず占領軍から基本的にはですね、えー、占領軍という形ではなくて、日米、当時の安保条約という形で、条約に基づく駐留軍という存在に代えて、占領軍から自分たちの主権を取り戻した。外交権を回復をして、そして悲願として、そうした主権外に残された残された方々を取り戻す。

 そん中に於いて、当時の自民党もですね、えー、その段階では自民党ではありませんが、佐藤栄作もですね、まさにライフワークとして沖縄が還ってこなければ戦後は終わっていないということは明確であったわけでありまして。

 そういう歩みをしてきたということであるということは間違いのないということは申し上げておきたいと思います。

 そして今年の主権回復の日、平和条約を記念するその主権の日でございますが、毎年毎年やるというものではなくて、昨年は60年という節目でありましたが、えー、またそれはできなかったので、と言うことで、やるわけでありまして、どういうタイミングでやるかは今後考えていきたいと、まあ、それは毎年毎年やっていく式典ではないということだけは申し上げておきたいと思いますが、同時にですね、沖縄の、いわば返還されたこの6月25日でございますが、その日についてもですね、えー、どういうタイミングでやるか、どうかということは考えながら、当然、今幹事長から言われた提案も、考えていかなければならないと、こう思っております」

 細野豪志「以上で終わります。ありがとうございました」
 

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参院選与党過半数阻止の至上命題は必要とする野党同士の選挙区ごとの共闘バーター方式で実現すべき

2013-04-06 10:47:22 | 政治

 ――海江田代表の写経は平野民主党離党ショックの精神安定剤となるが、党が受けたダメージの修復材となるというのか――

 海江田民主党代表からしたら、民主党参議院選挙候補者の離党者が相次いでいることに加えて閣僚経験者である平野達男前復興相の選挙当選を最大利害とした――と言うことは、民主党公認を最大マイナス利害とした離党に怒り心頭に発したのだろう、その怒りを鎮めるために全日本仏教会との会合で「心が落ち着く」と助言された写経に取り組み始めたという。

 4月4日の記者会見。

 海江田代表「心の平静を取り戻す意味で写経しました。『諸仏はことごとく了知す、一切は心より転ず』という一節が気に入っています。地獄に落ちるのも成仏できるのも、心の持ち方だ」(asahi.com)――

 結構毛だらけ、猫灰だらけ。自身の精神安定剤になるかもしれないが、平野、その他の離党で民主党が受けたダメージの修復に役立つ、外に働きかける力となるとでも言うのだろうか。

 写経は一人閉じ込もることをも意味する。外とは逆の方向に働きかけたのである。閉じ込もって一人怒りを鎮めるのではなく、その怒りを平野の無節操潰しにぶつけるべきだろう。目標を定めた外部に発散すべき怒りを自身の内部に引き取って、平常心に変えた。

 いわば怒りを無害化した。無害は相手から見た場合、無力に映る。

 内側でななく外部への方向性を持たせた発想を見せることができないところに代表としての資質に疑問符がつく。

 民主党執行部は模索していた日本維新の会との連携を日本維新の会側から政策の不一致を理由に相手にされなかったために憲法改正の点での政策の不一致を理由に断念、原則として、すべての選挙区に公認候補を擁立する方針を決定した。

 対して口先番長の前原誠司が異を唱えた。

 《民主 批判表面化で党結束危ぶむ声も》NHK NEWS WEB/2013年4月6日 4時13分)

 前原誠司「野党がバラバラに戦っていたら、自民・公明両党が喜ぶだけだ。選挙区によっては維新の会と連携できる可能性が残されている」――

 輿石参議院議員会長「維新の会とは、憲法などの考え方も違う。連携しないのは、役員会などで議論を積み重ねたうえでの党としての意思だ」――

 前原が言っていることは、要するに内閣支持率や政党支持率から予測して民主党単独では戦うことはできない、議席後退に手をこまねくだけだという切羽詰まった現実的な危機感からの維新の会に対するすり寄りといったところなのだろうが、参議院自公与党過半数阻止を至上命題とするなら、今や非現実化しつつある至上命題と言えなくもないが、新しい政党という点でも、橋下徹のタレントとしての人気に負っているという点でも日本維新の会に勢いがあるとは言え、日本維新の会にのみ単独に共闘という名の依存を図るのではなく、口先前原が言う選挙区に応じた民主党と日本維新の会との連携を選挙区の事情に対応させて他の野党にも広げて、与党に勝つために必要とする野党と、必要野党が複数であっても、共闘を組み、組んだ野党の中からその選挙区で勝てる候補者を抽出、協力の下自公候補者と戦い当選させていくという選挙対策を取ったなら、与党過半数阻止という非現実化しつつある至上命題を現実化できる可能性を残すことにならないだろうか。

 自公過半数阻止を絶対命題とするなら、全野党共闘バーター方式が理想だが、土台無理な話であろう。

 勿論、野党共闘選挙区に於ける当選者はいずれか一つの野党に偏る訳にはいかないし、バランスが必要となる。この選挙区はA野党の候補者に譲るから、この選挙区はB野党の候補者に譲ってもらう、さらに次はC野党の候補者に譲ろうというようにバーター方式で候補者を選び、野党同士が可能な限りほぼ同数の議席を獲得できるようバランスを図らなければ公平性を確保できない。

 共闘を必要とする選挙区に共闘野党の中から一人の候補者を立てる野党共闘の選挙で正確に同数の当選者の確保は不可能だが(偶然が同数を実現させる可能性は捨てきれないが)、各野党に可能な限り平均させた議席数を割り振ることができた場合の公平性は野党ごとの政策の違いに対しても公平性を与えることができ、野合という批判が回避可能となる。

 例えば憲法改正を掲げる野党と護憲を掲げる野党が共闘区でほぼ同数の議席を獲得できたなら、選挙後の参議院に於いても共闘区で当選した議員に限って、改憲と非憲の議員がほぼ同数を占める公平性を獲得できることになるからだ。

 このことを逆説すると、あくまでも与党過半数阻止を大前提とした場合、野党の間に政策に大きな違いがあっても、当選者数のバランスを図ることによって、共闘は可能となるということである。

 この選挙区に応じた野党共闘のバーター方式を民主党は離党した平野が当初は自民党の応援を期待し、自民党が新人を擁立する決定を行なって期待が潰れた参議院岩手選挙区に応用して岩手で影響力が強い小沢氏の生活の党と共闘を考えるとすると、いずれかの党の候補者に一本化して当選させることができたなら、民主党のメンツを守ることができるし、海江田代表の平野離党で平常心を奪うこととなった怒りも写経の力を借りなくても鎮めることができる。

 何よりも与党過半数阻止に向けた一コマは確保できる。民主党は岩手選挙区に平野に代わる自前の候補者を立てるそうだが、対して自民党が新人候補を立てた場合、太刀打ちできる情勢にあるとは思えない。ただでさそういった情勢にあることを考えずに生活の党と共闘しなかったなら、生活の党の候補者が当選すればいいが、しなかった場合、むざむざと自民党に一議席を与えることになりかねない。

 参院岩手選挙区をモデルケースとしていずれの野党も自公いずれかの与党の候補者に太刀打ちできない情勢にある全選挙区にバーター方式で共闘を必要とする野党との間で共闘候補を立てることができたなら、与党過半数阻止も夢ではなくなるはずだ。

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安倍晋三の「拉致はこの内閣で解決」は拉致解決の実態に反映しない踊る言葉と化している

2013-04-05 13:02:22 | Weblog

 第2次安倍内閣の発足は2013年12月26日。

 その2日後の2012年12月28日、拉致被害者家族会メンバーが首相官邸を訪れて、安倍首相や古屋拉致担当相、菅官房長官等と面会、拉致の早期解決を要請した。

 この時の安倍首相の発言は、《救う会全国協議会ニュース》(2012.12.28)に載っている。 

 安倍晋三「5年前に突然辞したとき、被害者家族の皆さんに大変残念な思いをさせた。私にとってもつらいことだった。私がもう一度総理になれたのは、何とか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。

 5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい。

 この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」――

 もう一度首相となった執念は「何とか拉致問題を解決したいという使命感」から発したもので、「私の使命と決意した」被害者全員帰国を「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」と、強い決意を披露している。

 首相就任3日目のこの強い約束に拉致被害者家族会メンバーは鬼に金棒の心強さを感じたに違いない。
 
 そして第2次安倍政権が発足から100日を迎える4月4日の前日の4月3日(2013年)、首相官邸で拉致問題対策本部の下に設置した有識者懇談会の初会合を開催している。そこでの首相の挨拶。《首相 拉致問題解決へあらゆる対策を》NHK NEWS WEB/2013年4月3日 20時36分)

 安倍晋三「拉致問題は、国の責任に於いて解決すべき喫緊の最重要課題であり、私の使命として必ず解決していく決意だ。

 専門的な見地から問題解決に向け積極的に提言してもらい、政府もあらゆる対策を検討していきたい」――

 発言の前段では「私の使命として必ず解決していく決意だ」と、首相就任3日目の強い決意・強い約束と同様の言葉遣いをしているが、後段の発言を見ると、第1次安倍内閣時代は勿論、以後の自民党政権でも、3年間の民主党政権でも様々なアプローチで取り組んできたはずだし、いわば、様々な対策を検討してきているはずだが、「検討していきたい」と、これから取り掛かるニュアンスの発言となっている。

 先ず行うべきはこれまでのアプローチの検証――日本側の間違いや不足点の洗い出し、北朝鮮側の対応の問題点等の洗い出しだと思うが、果たして行ったのかどうか、記事からでは分からないが、意見交換での懇談会メンバーの発言を見ると、検証を行なったようには見えない。 

 懇談会メンバー1「先ずはキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせなければならない」

 懇談会メンバー2「核、ミサイル、拉致問題に、包括的に取り組むべきだ」

 金正恩体制は金正日死去に伴い2011年12月17日から発足している。その8カ月後の2012年8月29日から、2008年8月の中国瀋陽での拉致問題再調査等を巡る交渉以来、4年振りの、金正恩体制下では初めての日朝政府間協議が課長級で行われている。場所は北京。

 だが、拉致問題の議題化に失敗。但しその2カ月半後の2012年11月15日、課長級から局長級にレベルを上げてモンゴルの首都ウランバートルで日朝政府間協議を再開。

 外務省幹部「今回の協議の内容から、北朝鮮側が『拉致問題は解決済み』という従来の立場を変えたかどうかは判断できない」(解説文を会話体に直す)(NHK NEWS WEB

 但し北朝鮮代表は「進展あった」と発言している。《日朝協議 北朝鮮代表“進展あった》NHK NEWS WEB/2012年11月18日 21時34分)

 2012年11月18日――

 ソン・イルホ日朝国交正常化担当大使・北朝鮮側代表「互いに問題を解決しようという方向のもと、真摯(しんし)で建設的な雰囲気の中で行われ、日朝ピョンヤン宣言に基づいて関係を改善すべきだという点で一致した。私は進展があったと思う」

 この11月18日の北代表の発言は野田・安倍党首討論で、当時の野田首相が「この(定数削減や議員歳費削減等の政治改革の)ご決断をいただくならば、私は、今週末の16日に解散をしてもいいと思っております。是非、国民の前に約束してください」と勇ましくも解散を言い切った2012年11月14日の4日後である。既に政権交代が予測されていた。

 記者「次の政権になっても日本側との対話を続けるのか」

 ソン・イルホ日朝国交正常化担当大使・北朝鮮側代表「総選挙をやっていないのに、次の政権のことまでお話しできない」

 要するにレームダック状態の野田政権と交渉しても取り決めたことの継続性が期待できないということである。次の交渉相手を待つ姿勢に転じたために日朝政府間協議は中断状態化した。
 
 そして2012年12月の長距離弾道ミサイル発射、年を明けた2013年2月の核実験に対する日本側の新たな制裁で政府間協議は完全に途切れることとなった。

 だとしても、懇談会メンバーの一人が「先ずはキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせなければならない」と言うなら、2012年8月29日の北京での日朝政府間協議、2012年11月15日のウランバートルでの日朝政府間協議で、なぜキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせることができなかったのか、その検証から始めなければならないはずだ。

 もしそのような検証から始めていたなら、単純に「先ずはキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせなければならない」という言葉は出てこないだろう。

 検証していたなら、検証を前提として、「どういった方法が有効か」と、従来のアプローチとは異なる効果的な具体策の模索から始めたはずだ。

 だが、効果的な具体策を模索する発言とはなっていない。当たり前のことを当たり前のこととして言っているに過ぎない。

 もう一人の懇談会メンバーが言っている「核、ミサイル、拉致問題に、包括的に取り組むべきだ」にしても、当たり前のことを当たり前のこととして言っているに過ぎない。

 金正日時代と変わらない先軍政治を掲げ、2012年4月13日のミサイル発射は失敗したものの、各国の経済制裁・金融制裁にも関わらず2012年12月の長距離弾道ミサイル発射と2013年2月の核実験の強行、そして韓国やアメリカのみならず、米軍基地の存在を理由に日本をも攻撃対象に入れて軍事攻撃の予告を繰返している軍事的に緊迫した状況下で日本が核やミサイル問題を抜きに拉致問題のみの解決に乗り出したなら、国際社会から一国主義と笑われるだろう。

 いわば、「核、ミサイル、拉致問題に、包括的に取り組むべきだ」ではなく、「どうしたら、包括的に取り組むことができるか」、あるいは「どうしたら、議題を包括的に取り上げたテーブルに就けることができるか」という場所からスタートしなければならないはずだが、そのようなあるべき場所からのスタートとなっていない。

 このような懇談会メンバーの当たり前のことを当たり前のこととして言っているに過ぎない場所に佇んでいる実態は安倍晋三の「私がもう一度総理になれたのは、何とか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ」とか、「必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい」、あるいは「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」という強い決意・強い約束を忠実に反映させた実態とは非対称の実態であって、安倍首相の強い決意・強い約束が単に言葉で終わっている実態をも示しているはずだ。

 あるいは反映させるだけの言葉の力を持たない実態となっているということが言える。

 このことは古屋拉致問題担当相が3月30日(2013年)に松本京子さん=失踪当時(29)=が北朝鮮に拉致されたと現場とみられる米子市立和田小学校周辺を視察したことにも言うことができる。

 古屋拉致問題担当相「必ず祖国に戻すという気持ちを鼓舞するため現場に来た」

 気持の鼓舞は必要だろうが、問われているのは解決のための具体策である。何千回、何万回と拉致現場を訪れたしても、解決策が見い出されるわけではなく、必要とされている事柄は北朝鮮を相手とした外交上の交渉術であって、拉致現場視察が外交上の交渉術に反映されるわけではない非対称の実態で終わっていることは古屋拉致問題担当相が拉致問題担当相でありながら、安倍晋三の拉致解決に向けた強い決意・強い約束を反映させていない実態にあることの証明でしかなく、当然、安倍首相の強い決意・強い約束が単に言葉で終わっている実態をも示していることになるはずだ。

 安倍首相の拉致解決に向けた「この内閣で必ず解決する決意」等々の発言が解決の実態に反映させる力を持たないということは単に踊る言葉で終わらせていることを意味する。

 単に発言を聞いているだけでは勇ましいことを言っているように聞こえるが、よくよく検証すると言葉を踊らせているに過ぎないことに気づく。

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野田、前原、玄葉の参院選前の何と無責任な「國酒議連」発足のブラックユーモア

2013-04-04 10:33:51 | Weblog

 古川元久元国家戦略・経済財政相を会長に野田佳彦前首相と前原誠司前国家戦略担当相と玄葉光一郎前外相を顧問に据えた、いわば野田前内閣の主たる閣僚をメンバーとして民主党國酒プロジェクト推進議連を発足、その設立総会を4月3日に開催したと次の記事が伝えている。

 前原誠司は総会に欠席したということだが、顧問に就いたことに変りはないはずだ。

  《野田、前原、玄葉氏が決起?! 「國酒議連」が発足》MSN産経/2013.4.3 19:30)

 高級な日本酒・焼酎に舌鼓し、メデタシ、メデタシと手でも叩こういうことなのか。

 記事題名にある「決起」とは、野田政権の下の2012年12月総選挙で歴史的大敗を喫して党組織がただでさえ弱体化しているところへもってきて、党支持率が低空飛行状態で低迷したまま回復する兆しのないことが否応もなしに予測させる夏の参院選現有議席割れ大敗が結果としかねない党分裂をあり得る事実として提示、「民主党政権時代の旧主流派保守系が決起?!。」と冷やかしていることからの表現である。

 議連の目的は、〈「日本酒・焼酎の魅力の認知度の向上と海外への輸出促進」を働き掛けていく。〉ことだそうだ。

 野田前首相(挨拶)「ご無沙汰でございます。子供たちが毎朝、元気に牛乳を飲むように、毎日、国酒を欠かさずたしなみさせていただいています」

 何とまあ、後生楽な。

 『後生楽』

 1.死後に行く世界は安楽であると思って安心すること。
 2.憂慮すべき事があっても気にせずのんきでいるさま。また、そういった者をののしったり注意したりしたする時にもいう。(『大辞林』三省堂)

 民主党の今日の国民の信用失墜状況を招いた責任は民主党政権歴代首相のうち鳩山元首相にも菅元首相にも責任はあるが、しかし12年総選挙大敗北を当事者として演じ、政権を自民党にプレゼントした直接的責任は野田前首相にあるはずだ。

 そしてなかなか党支持率が回復しない進退窮まった状況はまた、国民が民主党政権に撃ち降ろした鉄槌の打撃が未だ癒えていない半死半生を引きずっている状態にあることを物語っているのであり、それ程の打撃を招いているのでもある。

 3月16、17日(2013年)実施ノ朝日新聞社の世論調査から、政党支持率を見てみる。

 自民44%
 民主6%
 維新2%

 夏の参院選挙で比例区投票先

 自民47%
 民主9%
 維新12%

 政党支持率では維新を上回っていながら、参院選比例区投票先では維新にさえ遅れを取って、自民47%に対して2割以下の支持しか受けていない。

 しかも極貧といってもいい民主党の低迷した支持率では間近に迫った夏の参院選で戦わなければならない任期切れを控えた民主党参議院議員が満足に票は獲得できないと計算してのことだろう、相次いで離党し、民主党の看板外しに取り掛かっている。

 そして今回、閣僚経験者までが離党するに至った。平野達男である。

 菅内閣で内閣府特命担当大臣(防災担当)の任にあった松本龍が2011年7月3日東日本大震災被災地を訪問して被災県知事と会談、不適切な発言をして物議を醸し、世論の批判を浴びて辞任したのを受けて後任となり、2012年2月10日の復興庁設置に伴って野田改造内閣に於いて初代復興大臣に就任し、野田政権崩壊までその任にあった男である。

 平野達男が選挙区としている岩手県の達増知事が離党について発言している。

 達増岩手県知事「選挙は現職が現職でいたいという就職活動のためにあるのではない」(YOMIURI ONLINE

 名言である。国会議員にとって選挙当選が最大の利害ではあっても、最低の節度は必要であろう。人間の信用に関わってくるからだ。

 閣僚経験者の離党は現民主党代表の海江田万里にとって最悪だが、「福島の再生なくして日本の再生なし」を事あるごとに訴え、その任を任せるべく初代復興相に任命した野田首相にとっても最悪の事態であるはずだ。

 当然、支持率低迷は現在の党執行部の問題とばかりに片付けるわけにはいかない。全国を回って、自身の内閣運営の至らなさ・非を詫び、例えいくら頑張ってみても、自ら手を貸して失った国民の信用の膨大な総量には追いつきはしなくても、少しでも民主党支持率の回復に力を尽くす責任はあるはずだ。

 平野達男が秘書を通じて民主党本部に離党届を提出したのは4月2日。野田前首相顧問の民主党國酒プロジェクト推進議連の設立総会開催はその翌日の4月3日。

 この設立が参院選に於ける民主党の戦いに直接影響して好結果をもたらす、議席後退阻止に目に見える効果が予測されるというならいい。

 だが、そんなことはないはずだ。

 挨拶が「ご無沙汰でございます。子供たちが毎朝、元気に牛乳を飲むように、毎日、国酒を欠かさずたしなみさせていただいています」である。

 もし民主党の現状に痛切な責任を感じていたなら、酒は否応もなしに苦い酒となって尾を引くはずだし、自身の内閣で任命した閣僚経験者までが離党するということになったら、いたたまれない責任感から、深酒となって悪酔いを誘いもするはずだが、毎晩飲む日本酒は苦い酒となっていないようだ。

 民主党の党勢回復をもはや待ったなしの喫緊の課題とし、そのことに最大限の政治的全エネルギーを注ぐことに時間を費やし、自らの責任行為としなければならないはずだが、民主党國酒プロジェクト推進議連を設立し、その総会開催に時間を割いていること自体が、あるいはそういった趣旨に考えや面倒を割く余裕があること自体が、責任感の希薄を証明することになって、イコール苦い酒とはなっていないことの証明ともなる。

 いわば民主党の悲惨な現状自体が、それをつくり出した当事者としての責任からなかなか解放してくれない苦い酒となっているはずだし、苦い酒としていなければならないはずだが、その苦さに影響されることなく美味い日本酒を美味いままに味わう余裕を与えてくれているということであるはずだ。

 勿論、野田首相一人に責任があるわけではない。その内閣を構成した閣僚それぞれが責任を負っているにも関わらず、今すべきこととは思えない民主党國酒プロジェクト推進議連の顧問に名を連ねる。

 こういった後生楽な連中が総理大臣でございます、外務大臣でございます、国交相でございます、内閣府特命担当相でございますと収まっていたのかと思うと、日本の政治に於ける最大のブラックユーモアだと言わざるを得ない。

 ますます民主党の将来を予測する無責任な出来事ではないだろうか。

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高市早苗の学校給食食材国産化と安倍政権の就活大学4年4月解禁の愚かしい取り組み

2013-04-03 09:07:14 | Weblog

 自民党の高市早苗政調会長が3月30日、長崎市での講演などで公立学校の給食食材の全面国産化を夏の参院選公約に盛り込むよう検討する考えを示したと言う。《学校給食の国産化検討 参院選公約で自民・高市政調会長》MSN産経/2013.3.30 23:56)

 現在の給食費負担を維持したままの実現には年間約500億円の国の補助が必要との試算も明らかにしたそうだ。

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に参加した場合に打撃を受けることが予想される農林水産品に関しての言及。

 高市政調会長「輸出戦略に加えて国内でも需要を増やす。需要を増やすには学校給食は大きな効果がある」――

 一つの手かもしれないが、確実に需要を見込むことができる政府お抱えのシステムとして現状維持志向の甘えを生みかねない逆効果、例え入札で納入単価を決めたとしても、そこに利権を入り込ませることで単価を維持する癒着・慣れ合いが生じかねない逆効果を考えると、歓迎すべき国産化とは思えない。

 こういったことに加えて、真に必要な選択はこのような単発的な需要策の創出ではなく、農業全体に亘る活性化策や新しい農業の創造であって、そういったことの志向からしたら、愚かしい取り組みとしか言いようが無い。

 学校は児童・生徒が社会に出る前の重要な教育空間である。児童・生徒を国産の農林水産物で育てるよりも、現在の暗記教育では期待可能性を限定的とする新しい産業を創造する能力の基礎となる考える力、あるいは従来の常識化した慣習を打ち破って新しい生き方や新しい社会、新しいルール、新しいモノづくり等を創り出す力の基礎となる探究心を育むことに重点を置いた教育システムとなっていなければ、教育空間としての意味を失う。

 そういった教育シムテム下で学んて、それぞれの分野に亘る広い意味での科学する力を基礎的に身につけた児童・生徒が社会に出た場合、科学する予備軍として自ずとその力を発揮していき、ゆくゆくは日本の産業や日本の文化、ひいては日本の社会の全体的な発展に寄与するはずで、寄与した場合の日本全体に亘る将来的な波及効果、国益となって蓄積されていく知の量・経済効果は農林水産業全体に亘る活性化策の創造や新しい農林水産物業の創造にもつながっていくことになり、国産の農林水産物を給食として消費する利益よりも遥かに大きく、こういった観点からも比較すると、高市早苗の提案はやはり愚かしい取り組みそのものと言うことができる。

 力を注ぐべき問題点を根本的に大間違いしている。

 安倍政権は大学3年生の12月からスタートの企業の就職説明会の開始時期を、早過ぎて学力低下につながっているという理由で4年生の4月以降とする考えでいるという。

 4ヶ月間違いで、どれ程学力がつくというのだろうか。暗記思考に慣らされているだろうことを前提とすると、格段の学力がつくと考えているとしたら、その脳ミソを疑う。

 大学生が一般的に暗記思考に慣らされているのは、何度かブログに書いてきたが、テレビ番組が企業の評価として、「東大生は企業から見ると処理能力は優秀だが、 指示待ち人間が多い」と言っていることや、世界的に著名な建築家安藤忠雄が自身の建築事務所に雇っている東大や京大の卒業生に対して「優秀な学校だと言われている学校だけれども、先ずは自分から一歩踏み込むことはしないから、言われたことはやる。だけどそれ以上のことはやらない」と評価していることは東大や京大以下の大学生も似た傾向にあるはずだから、全般的に暗記思考型人間であることが分かる。

 もし暗記教育となっている日本の教育システムを以上見てきたように考える力を育み、広い意味での科学する力にまで高めていく思考教育を主体とした教育システムに脱却できたなら、小中高と引き継いで大学でも、どのような教科を学んでも自分で考え、自分で決定していく力をなお蓄積していき、自ずと科学する力に磨きをかけるだろうから、そういった思考能力を基礎としていれば、就職活動からも社会を学び、企業の会社説明から、その業種に関して自ら考えてそれ相応の知識を広めることもするだろうし、面接会場で初めて出会う企業人からも人間を学び、知識・教養の糧とするだろうから、4カ月間の教室での拘束で得る暗記思考を基礎とした暗記学力でしかない学力に価値を置くこととどちらが重要なことか、明らかに分別できる。

 やはりどこに問題があるかを履き違えている。

 米倉経団連会長「自分が会長を務めている住友化学の新入社員の声を聞くと、就職活動のスタートを遅らせるのは、僅か数か月の間に結婚相手を決めろというのと全く一緒で、かなり難しいという意見が結構あった。

 就職活動の開始時期を遅らせることは、学生にとっては死活問題になってくる。そのことをよく考えたうえで、政府は方針を決めてほしい」(NHK NEWS WEB

  長谷川経済同友会代表幹事「企業が学生の質の低下を嘆くのであれば、3年生は勉学に集中させたいという大学の要請に当然、応えるべきだ」(毎日jp

 個人の考える思考性がしっかりとしていたなら、他人に教えられなくても、自分から学び、考えを発展させていく。思考性が身についていなければ、いくら他人から教えられても、自身の知識・情報に取り込んで既知とした自身の知識・情報と加味・濾過して自分の考えとして発展させていくことはできない。

 安倍政権の就活解禁期限にしても、高市早苗の公立学校給食食材の国産化同様に取り掛かるべき選択を間違えた愚かしい取り組みにしか見えない。

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橋下徹の日本維新の会党大会挨拶に見る自民党補完勢力化の可能性と今夏参院選自公過半数阻止の矛盾

2013-04-02 10:57:17 | Weblog

 橋下徹日本維新の会共同代表が3月30日の党大会で今夏の参院選挙では自公与党の過半数阻止に動くが、安倍政権には協力すると、矛盾した挨拶を行ったようだ。

 私自身の解釈だと、どうしてもそうなる。

 橋下徹「安倍政権のいいところは応援するが、今の自民党はやはり既得権だ。既得権の打破と統治機構を変える体制維新で、新しい国づくりを進めるのが、維新の会の党是で、参議院選挙で自民・公明両党の過半数を阻止できるかどうかが、体制維新の分水れいだ」(NHK NEWS WEB

 「安倍政権のいいところは応援する」と、是々非々主義の対応をするかのように言っているが、後半の発言からすると、全面応援=全面協力ということになる。

 「今の自民党はやはり既得権だ」と言っている意味は、自民党は何事も直接的に国民の利益となる既得権とするのではなく、自分たちの利益のために既得権化させていて、「既得権」で成り立っている既得権政党だということであろう。

 結果、自民党は自分たちの利益を介在させた上で国民の利益を次に図る二段階方式の利益構造を取っているということになる。

 簡単に言うと、政治の果実は先ず自分に、残りは国民にという搾取を既得権化させた構造だと表現できる。

 予算の配分でも、予算をつけた事業でも、あるいは様々な法律からも自分たちのための何らかの既得権をつくり出して、自分たちの利益とする。

 勿論、政治家だけで搾取を既得権化できるわけではない。官僚や業界にも利益のお裾分けをして、集団で既得権構造を固めていき、鬼に金棒の盤石とする。

 このようなことを以って、政官財癒着と言われてきたはずだ。

 例えば業界の利益となる法律を最初からの目的として官僚と共に制定、業界の利益をつくり出して、業界から政治献金や選挙の時の票、あるいは一番うまい汁としてワイロの形で等々、何らかの見返りを得て、自分たちの利益とするという遣り方で既得権化の共同世界をつくり出す。

 本来の使途から外れた予算の流用も、官僚の利益のためだけではなく、政治家や業界が絡んでいるケースもあるはずだ。

 当然、橋下徹が「今の自民党はやはり既得権だ」と言っていることは自民党は政官財癒着の、何でも既得権化してしまう政治世界に未だ仁王立ちしていると解釈しなければならない。

 何しろ戦後ほぼ一貫した一党独裁体制の過程で盤石化した既得権の世界なのだから、それが未だ崩れていないということなら、その世界に仁王立ちしていると表現しても、決して大袈裟な表現ではないはずだ。

 現在の中央集権体制も長年の自民党政権が維持・堅牢化してきて、既得権の一つとして利用している国家構造であろう。

 橋下は一方で、「安倍政権のいいところは応援する」と是々非々主義を掲げているが、その是々非々主義が安倍政権の延命に手を貸すことになった場合、ただでさえ内閣支持率が高く、自民党単独でも長期政権が予想されるのだから、安倍政権延命に手を貸すことになる確率も高いはずで、そうなったときの橋下徹が力添えしたその延命が参院選自公過半数阻止とは逆の力となって働かない保証はなく、働いた場合、イコール自民党の既得権化の世界の延命に手を貸す矛盾が生じる確率も高いと見なければならない。

 いわば「安倍政権のいいところは応援する」ということは既得権体質保持の自民党の補完勢力となることの宣言ともなる。

 橋下徹の上記挨拶を常識的に解釈すると、こういった答にしかならないはずだ。

 挨拶の矛盾を解くためには「安倍政権のいいところは応援する」の是々非々主義を貫き通して、自民党の既得権体質に目をつぶるか、自民党の既得権体質を完全に潰すために安倍政権と徹底的に戦うか、いずれかの道を選択しなければならないはずで、いずれかの選択によって日本維新の会共同体表としての態度に決着がつくことになる。

 もし前者を選択するとしたら、日本維新の会が掲げる体制変革のスローガン、中央集権体制打破のスローガンとの整合性が完全なまでに崩れることになる。

 いわば後者を選択することによってのみ、自らが掲げるスローガンとの整合性を守ることができる。

 安倍政権と徹底的に戦うという選択が「安倍政権のいいところ」を無視することになるジレンマは、例え安倍政権の評価すべき政策であっても、それ以上に国民の利益となる政策を創造することによって解決し得るはずだ。

 そのような政策の創造があって初めて、体制変革のスローガン、中央集権体制打破のスローガンが生きてくるし、掲げる資格を得る。

 すべての言動からの矛盾の排除が可能となる。

 日本維新の会が掲げる憲法改正にしても、例え自民党と協力することになったとしても、安倍政権よりも内容ある憲法改正草案を国民に示すことによって、選挙で有権者の支持をより多く獲得できるはずだし、そのことが自民党の既得権打破の流れにつながっていくはずだ。

 だが、「安倍政権のいいところは応援する」と、さも潔いことを言っているかのような装いを発言に纏わせているが、その是々非々主義が結果として自民党の補完勢力となって、自民党の既得権体質維持に手を貸す確率が高くなり、このことが参院選挙で安倍政権の延命に直結していく自民党の議席獲得に貢献する動きとなる可能性が予想されるはずだが、いわば過半数阻止の可能性を限りなく低くすることになるにも関わらず、そういった認識はなく、一方で「参議院選挙で自民・公明両党の過半数を阻止できるかどうかが、体制維新の分水れいだ」と可能性低い矛盾を平気で言うどっちつかずを実際には演じているのである。

 橋下徹は今後共自身を有利に生かすために自らが掲げる主義・主張に関係なく、カメレオンのように節度・節操をその時々で巧妙に変えていくだろうし、例え変えたとしても言葉ではそうとは悟らせない、逆にさも素晴らしいことを訴えているかのような言葉の装いを巧まずに駆使していくに違いない。

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安倍晋三の水戸黄門葵の印籠の如くに言う「価値観外交」の有効性

2013-04-01 11:28:02 | Weblog

 安倍首相のいわゆる「価値観外交」がフル活動している。安倍首相自身にしても万能な外交術であるかのように振舞っているが、マスコミも盛んに取り上げ、同じく万能であるかのように持て囃しさえしている。

 安倍首相 平成25年 年頭所感(2013年1月1日)

 安倍晋三「広く世界を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交を大胆に展開します。国民の生命・財産と領土・領海・領空を断固として守り抜くため、国境離島の適切な振興・管理、警戒警備の強化なども進めてまいります」――

 第183回国会に於ける安倍首相所信表明演説(2013年1月28日)

 安倍晋三「外交は、単に周辺諸国との二国間関係だけを見つめるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった、基本的価値に立脚し、戦略的な外交を展開していくのが基本であります」――

 「広く世界を俯瞰して」、「地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して」と、気宇壮大な視野を持たせた、あるいは世界の動きを全体的に一手に見据えた価値観外交を向かうところ敵なしの感じで推し進める。

 世界を背負って立っている気概をひしひしと感じ取ることができる。願わくば“気概”が“危害”とならないことを願う。

 安倍晋三は今回も3月30日、31日と2日間の日程でモンゴルを訪問、強力に価値観外交を推し進めてきたようだ。

 但しである、安倍首相のモンゴル出発を伝える「NHK NEWS WEB」記事が、〈安倍総理大臣は、モンゴルが北朝鮮と国交があることを踏まえ、拉致問題の早期解決などに向けて協力を求めることにしています。〉と書いてあり、それが事実その通りの要請を予定しているとしたら、価値観外交の効能性吹聴に反して外交的認識能力を欠いているのではないかと疑った。

 尤も何に関しても認識能力を欠いている政治家だから、外交面に於いても同じく欠いていたとしても不思議はない。

 拉致は金正日が張本人の国家的犯罪であって、国家機密としなければならな微妙な性格を抱えていることと、金正恩が権力の父子継承の正統性を父親の金正日に置いている関係から、金正日の権威を失墜させることができない立場に立たされていて、当事国の日本の拉致解決要求に対しても拒絶反応を示している。

 ましてや当事国ではない第三国のモンゴルがいくら北朝鮮と国交を持っていたとしても、そのことの理由だけで北朝鮮が拉致解決に関するどのような助言も受入れるとは思えないし、モンゴルにしても基本的には日本と北朝鮮が直接的な交渉で解決しなければならない問題を国交を持っているという理由のみで北朝鮮に対して解決を促すということはしないはずだ。

 例え促したとしても、北朝鮮に「日本との拉致問題は解決した、もはや拉致問題は存在しない」と一蹴させられるのがオチだろう。

 また、モンゴル訪問の価値観外交自体をマスコミは、中国との関係改善が進まない中での周辺国との連携強化による中国牽制だと取り沙汰しているが、果たしてモンゴルに有効な対中牽制の価値観外交足り得るのだろうか疑問である。

 安倍晋三はモンゴル訪問の経済分野での成果を技術協力を含めた石炭等の資源開発の協力強化の合意と経済連携協定(EPA)交渉加速の確認を挙げているが、モンゴルとの間にそのような協力強化を進めているのは日本だけではなく、既に中国やロシアも加わっているはずだ。

 以上、拉致と価値観外交と資源協力3点の有効性をマスコミ報道等から見てみる。

 先ず拉致問題を、《日モンゴル首脳会見要旨》時事ドットコム/2013/03/30-23:57) から見てみる。

 両首脳共同記者会見である。

 記者「北朝鮮によるミサイル発射や核実験、拉致問題については」

 アルタンホヤグ首相「モンゴルは北朝鮮と友好関係を保っている国として、(北朝鮮との)話し合いをウランバートルで開催する用意があることを伝えた。モンゴルは2月の北朝鮮の核実験に対する国連安保理決議を守っていくと伝えた」――

 要するにモンゴルは日本と北朝鮮の話し合いの場を首都ウランバートルにセットすると言っているだけのことで、モンゴル自身が北朝鮮に対して拉致解決を進めるよう直接申し入れるとは言っていない。

 記者「中国の習近平国家主席がロシアを訪問した」
 
 安倍晋三「コメントすることは適当ではない。私の政権では自由、民主主義、法の支配、基本的人権といった普遍的価値観を共有する諸国との関係を重視し、地球儀をふかんするように戦略的外交を展開していく」

 持論を繰返したに過ぎない。但し価値観外交が水戸御老公の葵の御紋入りの印籠さながらに万能であるが如きニュアンスを漂わせた物言いとなっているのは相変わらずである。

 果たして万能なのだろうか。

 記者「北朝鮮や中国に関し、会談でどのような話があったか」

 安倍晋三「北朝鮮に対する日本の立場を首相と大統領に説明した。北朝鮮が国際社会に対して取っている挑発的な行為は断じて許すことはできない。安保理決議を実行していくことが重要だ。拉致問題は極めて重視しており、安倍政権で解決していく決意だ。モンゴル政府からはわが国に対する理解と支持の表明があった。

 日中関係は厳しい局面にあるが、日本からエスカレートさせるつもりは全くない。中国は関係全体に影響を及ぼさないようにコントロールしていくべきだ。対話のドアは常にオープンだ」――

 この発言からも、モンゴル自身の拉致解決に向けた北朝鮮に対する直接的な働きかけを窺わせる文言を見い出すことはできない。単に日本に対する「理解と支持の表明があった」のみである。

 この「理解と支持の表明」は儀礼で済ますこともできる。

 だが、こういったことは最初から理解していなければならなかったはずだ。

 中国に関する発言は日本からは何もしないと言っているに等しい。中国も日本に対して日中の関係改善は「実際の行動」で示せと、日本側からの働きかけを求め、中国側からの働きかけを否定している。

 当然、日中会計改善は宙に浮いた形で推移することになる。それが対中安倍外交ということなのだろう。

 モンゴルの北朝鮮に対する日本と北朝鮮との会談セットがうまくいったとしても、また会談場所がどこであろうと、解決に向けた交渉自体はモンゴルに関係しない日本の外交能力にかかっている。

 このことも最初から理解していなければならないことで、理解しないままモンゴルに解決に向けた何らかの協力を要請したものの儀礼的な反応しか得ることができなかったために、「安倍政権で解決していく決意だ」と言ったとしたら、その決意自体が怪しくなる。

 次に価値観外交及び資源協力について見てみる。

 《最近のモンゴル情勢と日・モンゴル関係》(外務省アジア大洋州局中国・モンゴル第一課/2012年10月)に次のような記述がある。 

(イ)中国との関係

〈2011年6月,バトボルド首相は中国を公式訪問,温家宝首相との間で行われた首脳会談では,両国関係を「戦略的パートナーシップ」に格上げすることで一致し,右成果を含む共同声明を発出したほか,6つの協力文書に署名がなされた。

2012年1月,ザンダンシャタル外交・貿易大臣が中国を公式訪問,楊潔チ外交部長との外相会談では,モンゴル,中国間の「戦略的パートナーシップ」の更なる発展のための協力拡大について意見交換したほか,石油燃料を長期間安定的に供給するための契約を締結すること等で一致した。8月には周永康中国共産党中央政治局常務委員がモンゴルを訪問し,経済技術協力協定他,経済協力に関する複数の文書に署名がなされた。〉――

 先ず資源協力を見てみる。「石油燃料を長期間安定的に供給」が中国からモンゴルに対してなのか、モンゴルから中国に対してなのか、この記事からでは窺うことができないが、次の記事――《モンゴル国内で中国による原油採掘が始まった》日本戦略研究フォーラム/2011年10月3日)には次のように書いている。

 〈モンゴル国内における外国の原油の採掘(試掘及び採油)の状況は、現在、中国のみが原油を採油し輸入するに至っている。現在推定されているモンゴルの原油埋蔵量は約1.5億トンであり、石油精製施設はウランバートル南方約100kmに建設されていると聞いている。元政府高官等によれば、中国は、両国間の取決めより約1.5倍の試掘を行い、また中国が採油する原油の半分はモンゴルの取り分となると聞いている。これまでに中国以外の国も試掘を行ったが、硫黄分が多いなどの理由から採算がとれないとして断念している。〉――

 要するにモンゴルでは石油の試掘と採油が始まった段階にあるようだから、「石油燃料を長期間安定的に供給」は中国からモンゴルに対しての、石油の採掘が軌道に乗り、石油生産が活発化するまでのモンゴル国民の生活に深く直結する重要な取り決めということになり、モンゴルから見た場合、中国は重要な資源供給国ということになる。

 このこととモンゴルと中国が「戦略的パートナーシップ」の関係にあることからすると、何も日本だけがモンゴルと資源協力を結んでいるわけではないし、安倍晋三の言う価値観外交のみがモンゴルとの結びつきを強くすわけではないことになる。

 いわば二国関係に於ける資源協力にしても価値観外交にしても、例え「戦略的パートナーシップ」と名付けた二国関係であろうと、二国関係以外の第三国との関係に於いてそれぞれが常に相対化されるということであって、万能であるかのような絶対的価値を持つわけではないということである。

 このことは日本とインドとの関係についても言うことができる。

 安倍首相は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」を共有するインドとも「戦略的パートナーシップ」関係を強化し、中国の力を相対化する外交として重視しているが、インドは中国とは国境を接しているという地政学的な理由から日本が求めるそのような外交のみを受け入れているわけではない。

 《「独立外交」堅持=新幹線導入、コスト抑制が重要-インド外相》時事ドットコム/2013/03/27-18:37)

 3月27日(2013年)、日中のインドのクルシド外相が都内で記者会見。

 クルシド外相(日米両国との戦略的関係強化の可能性について、今後も積極的に対話を続けるとしつつも)「我々はあくまでも独立した形で、自立的な意思決定を行う」

 この発言を記事は次のように解説している。〈日米が企図する「中国包囲網」とは一定の距離を置く考えを示した。〉云々。――

 要するに日米両国関係は重視するが、インドと中国との関係は独自に決定していくという趣旨となっている。

 中国牽制の意味を込めた、あるいは中国包囲網の意思を込めた日本の対インド価値観外交にしても、戦略的パートナーシップ関係にしても、両関係共インドの対中国関係に於いて相対化されることを示している。

 この両関係はインドと中国が軍事的に極度に対立したときや軍事的な衝突が起きたときにしか生きてこないだろう。

 このようなインド政府の意向を反映しているのだろう、〈インドの有力英字紙「ザ・ヒンドゥー」のシダールタ・バラダラージャン編集長は30日までに都内で時事通信の取材に応じ、日本とインドの2国間関係について、「中国包囲網」形成を狙ったものであれば「非生産的」だと指摘した。〉と次の記事が伝えている。

 《中国包囲網は「非生産的」=対日関係で-印有力紙編集長》  

 常に相対化の宿命に曝される価値観外交であり、戦略的パートナーシップ関係でありながら、安倍晋三は認識能力を欠いているからだろう、さも万能な外交術であるかのように振舞い、マスコミにしても万能であるかのように持て囃している。

 バラダラージャン氏「中国は東シナ海や南シナ海で領有権主張を強めているが、挑発的言動は何も生み出さないことに気づくべきだ。

 日印中3カ国はどれか1カ国に対抗することを狙いとした2国間関係を結ぶべきではない。対中問題を日印関係の中心に据えるのは、両国にとって非生産的な結果をもたらす」(一部解説文を会話体に変更)
 
 二国間関係に於ける価値観外交及び戦略的パートナーシップ関係の多国間関係に於ける相対化そのものの言及である。
 
 だが、こういったことに対する視点を安倍晋三が価値観外交を語るとき、安倍晋三自身にしても日本のマスコミにしても持ち合わせていない。

 安倍晋三は自らの価値観外交を話すとき、さも万能な外交術であるかのように言及し、日本のマスコミも中国包囲網として、あるいは中国牽制として有効であるかのように持て囃している。

 価値観を共有していない対中関係の困難は理解できるが、価値観を共有していても常に相対化の宿命を受ける。国際関係が水戸御老公の葵の印籠の如くに簡単に処理できるものではないことを常に認識していない外交に信を置くことはできない。

 そのような外交発信の代表格が安倍晋三であろう。

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