昨日8月10日(2014年)のフジテレビ「新報道2001」が、朝日新聞が従軍慰安婦に関わる「吉田証言」を虚偽だったとしてこれまでの記事の取り消しを行ったことに対して「慰安婦問題を巡る誤報の徹底検証」といった内容のコーナーを設けていた。例の如くと言うか、従軍慰安婦強制連行説否定の一方の旗頭として橋下徹大阪市長が出演していた。
非常に頭の回転の早い、立て板に水の早口の言い回しで、これ以上ない雄弁且つ知識豊富な発言を見せてはいたが、今まで聞いた限りでは耳にしたことのない新たな理論で従軍慰安婦強制連行を否定していた。
どのような新たな理論かと言うと、女性を強制的に連行し、強制的にレイプしたのは個別の兵士の個別的な行為であって、国家による強制連行でもなければレイプでもないというものである。それゆえに日本国家には道義的責任はあっても、法的責任はないとしている。
しかし橋下徹は今までは第1次安倍内閣2007年3月16日の、辻元清美議員提出の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問」に対する答弁書に記した「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする安倍内閣の事実を根拠として安倍一派と同様に強制連行を否定してきたのである。つまり直接当事者に「軍や官憲」を置いて、それを否定してきたが、今回はそれを「国家」に変えて否定している。
日本軍全体の慣行として強制連行が行われ、強制的な性行為強要が行われていたということなら、軍を管理するのは国家だから、国家の責任が問われて、“国家的”犯罪と指弾を受けても仕方がない。だが、従軍慰安婦問題で一般的に問題となっているのは直接的な当事者は軍なのか、軍の指示を受けた軍に所属する兵士なのか、あるいはそうでないのかであって、それをいきなり国家を持ってくるのは、あくまでも直接的な当事者は国家ではないのだから、あり得ないという印象を周囲に与えて同調を得るためのトリックとしての「国家」という言葉の如何わしいばかりの使用に見えないことはない。
では、当番組から私が聞いた限りでは今まで聞いたことのない橋下徹の新しい従軍慰安婦強制連行否定論を主として抜粋して、その理論の正当性を判断してみる。他のゲストの発言で、(要旨)と記しているのは、あくまでも橋下徹の否定論を対象としているために要旨のみを記すことにした個所である。
ゲストは橋下徹以外に言語学者で東海大学教養学部国際学科准教授の金慶珠(キム・キョンジュ)、 法学者の野村修也、 萩生田光一自民党副幹事長、 小池晃共産党議員、 日本の韓国学者、哲学者、京都大学教授の小倉紀蔵の面々。
最初に朝日新聞の謝罪が紹介される。「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」云々――
橋下徹「日本の保守派の人たちは朝日の(謝罪)記事を以って日本は悪いことはしていないと、何も問題はなかったと、また言い始めるかもしれない。これは間違っている。
反省と謝罪は当時の人たちに対して謝罪の意思を示すのは政治家たちの役目です。ただ、それは道義上のものです。これは日本国だけではなく、韓国の朴大統領だって、米兵に対する慰安婦、韓国でもあった。
それからアメリカやイギリスだって民間業者を使って、女性を性の対象としていた。戦地に於いてね。フランスやドイツ、慰安婦証を持っていた。世界各国の指導者がね、性の問題をしっかりと受け止めて、その当時の女性たちに対して反省とお詫び、謝罪をする。
これを道義上のこととして、世界各国の全指導者がやらなければならない、いけない。だから、日本は決して正当化できない。
ただ、重要なことは、今国際社会に於いては日本だけレイプ国家だと非難を受けているわけだから、これについては違うでしょうと。日本も正当化はしないけども、日本だけ不当に侮辱するのは(間違っていると)言い続けなければならない。
もう一つ、韓国に対しては日韓基本条約、請求権並びに経済協定で、この問題は完全且つ最終的に解決されたというのが日本の立場です。しかしこの朝日新聞の報道によって日本がレイプ国家であるがゆえに日韓基本条約では解決されていないというのが韓国なんですね。
ですから、道義上、日本はきちっと当時の女性たちに反省とお詫びで、韓国のみなさんにもお詫びをしながら、しかし法的には清算の問題は終わったんだということをしっかりと伝えていく。
これが日韓関係を改善させる唯一の方法だと思います」
金慶珠(キム・キョンジュ)(要旨)「日韓関係の悪化は朝日新聞が虚偽の証言を伝えたことが根拠になっているという判断は間違っている」
橋下徹「いや、それは強制連行という事の重大さを分かっていない人はそう言うんですよ。強制連行ということは国家による強制連行と、朝日新聞が往生際が悪いのはね、個別兵士の暴行と、これ、ゴチャゴチャにしているんです。
戦地に於いてはこれは、だからこそ戦争はやめなければいけないんですけど、戦地に於いては兵士がレイプするということは、これは厳然たる歴史的事実としてあるわけです。だからこそ、戦犯として処罰するわけなんです。
世界各国がみんな兵士が暴行、陵辱で女性の人権蹂躙ということで処罰されていますよ。そのことと今言われている、この朝日新聞が言い出した強制連行というものは日本だけが世界190カ国中で日本だけが国家として、レイプというものをやっていたと。
ここがね、国際社会での一番非難を受ける、これなんですよ。だから、これは違うということははっきり言って、韓国だって、米兵に対する慰安婦というものがあり、慰安所を持っている。
だから、韓国大統領だって、女性たちに対してお詫びと反省をしなければいけないんです。これは世界各国あったことで、日本だけを正当化するつもりはないけれども、でも、日本だけが不当に侮辱を受ける問題ではないですよ。
ここははっきりとさせなければいけませんね」
金慶珠「日本で強制性と言われている言葉と河野談話や世界で取り上げているもっと幅が広いもので――」
野村修也「ちょっと待ってください。今ね、金さん、ちょっと違うと思いますね。橋下さんと議論がズレてるのは主体が国家だったかどうかというのが争点になってる。強制というその行為がどうだったかということにすり替えてしまうと、今日本の中で議論していることがズレていってしまう。
国家じゃない人たちが、例えば騙している、女性を連れていくという行為は広い意味での強制性かもしれませんけれども、そういう場合は国は謝らなくてもいいわけですね」
さすがに法学者らしい正当性ある、十分に人を納得させることができる立派なことを言っている。会社である一定の地位ある、勤務も長い社員が会社の仕事を通して顧客の誰かに金銭的な詐欺を働いた場合、詐欺の主体が会社ではなくても、いわば会社が直接的な加害者の立場にはなくても、その社員を管理しているのは会社自体であり、会社の仕事を通した詐欺ということなら、会社の謝罪も必要となる。
例え強制連行とレイプが個別的な兵士が個別的に行った行為であっても、占領地その他で広く一般的に行われていたなら、兵士に規律を守らせることのできない軍の責任に関わってくるし、そのような軍を生み出した国家の責任も問われることになる。
沖縄その他の地域で米軍兵士が勤務外で個別的な性犯罪事件を起こした場合でも、兵士が勤務する米軍基地司令部に兵士に対する規律を求めるのは軍自体に責任を関連づけているからだろう。
橋下徹にしても野村修也にしても、関連づけてはいない。関連づけたなら、自分たちの否定論に差し障りが出てくる。
萩生田光一(自民党副幹事長)「自分の意志に反して、そういった職業に就いていた女性はいるかもしれないが、そういった(自分の意志に反した)女性には謝罪しなければならないかもしれないが、軍がトラックの荷台に無理矢理村中を回って、日本が組織的に女性たちを連れ去って、慰安婦に仕立てたというのは、そこは違うんじゃないのか。この数十年間の我々の主張です」
小池晃「今の議論は世界に通用しない。強制性ということは連れてくる手段の問題じゃない。騙したにせよ、人身売買的な形で来たにせよ、本人の意志に反して連れてこられれば、これは強制なんですよ。例えば誘拐した時に騙して連れてきたか、暴力的に連れてきたか、関係ないですよ。軍の中枢も関与して連れてくることも人数も、料金も含めて、全部指示を出して、こんなことをやっているのはナチス・ドイツと日本だけですよ。
結局そういった形で監禁して、毎日毎日何十人も、売春の相手を、兵士の相手をさせられると。そう言うことに対して国際的に怒りが広がっているわけですよ」
須田哲夫アナ「韓国には強制連行というイメージが根強くあるのですか」
小倉紀蔵「法的な問題もあるけれども、イメージの問題も重要。韓国人も日本のサヨクもね、強制連行という言葉も、余りにも軽く使い過ぎだと思います。もしそんなことがあったら、その程度の怒りで済みますかっていう話なんです。そんな奴隷狩りみたいなこと、もし日本がしたんだったらですよ、国家が。
それでね、90年台のはじめに韓国に行ったとき、この問題があった。テレビで連日のように、いわゆる再現フィルムというのをやるわけですよ。これが要するに『吉田証言』に基づいた、奴隷狩りのような、いたいけな14歳ぐらいの少女が畑で働いているのを、嫌だ、嫌だと言っているのを、リヤカーに連れ込まれて、日本の軍人がやっている。
そう言うことを連日見せられたら、どうなるんですか」
野村修也(要旨)「日本は冤罪という部分もある」
小池晃「『河野談話』が出たあと、8つの日本の裁判が、35人の元慰安婦について、これは強制的に慰安婦にされたって、事実認定されているわけです。個々の判決は確定している。漠然とした議論で言っているわけではありません。日本の裁判所で強制的に連行されたと、強制的にレイプされたと、裁判所で判決は確定している。これを否定するんですか」
橋下徹「小池さん、それは違います。個別の兵士の強制の問題、国家の強制の問題をごちゃごちゃにしている。個別の兵士がね、指揮命令に基づかずにやったということは、例えばですね、インドネシアのスマラン事件、オランダ人捕虜を強制的にレイプしました。これはね、戦犯で処刑されましたよ。
それからね、世界各国で、ノルマンディー上陸作戦のときに、これは連合国軍、これは米兵です。フランス人女性に対してね、レイプをしたと。これは事実として出てきています。
満州侵攻ですよ。ソ連軍が日本人を姦した。女性人権蹂躙というのも事実としてあったんですよ。ただこれはね、肯定はしませんよ。個別の兵士がこういうことをやるということは、きちっと処罰をしなければならない。
日本の裁判で判決されたのはそのような個別の兵士の話しであって、日本国家が国を上げてレイプ国家であったというところまで認定されていません」(以上)
橋下徹も野村修也も小倉紀蔵も萩生田光一も、強制連行は個別の兵士が個別的に行った行為であって、国家が行った強制連行でもなければ、レイプでもないと主張している。橋下徹は朝日新聞は双方を「ゴチャゴチャにしている」と非難している。
萩生田光一が、「軍がトラックの荷台に無理矢理村中を回って、日本が組織的に女性たちを連れ去って、慰安婦に仕立てたというのは、そこは違うんじゃないのか。この数十年間の我々の主張です」と言っていることと、小倉紀蔵が否定している「『吉田証言』に基づいた、奴隷狩りのような、いたいけな14歳ぐらいの少女が畑で働いているのを、嫌だ、嫌だと言っているのを、リヤカーに連れ込まれて、日本の軍人がやっている」ことを、インドネシア人元慰安婦女性の証言を集めた、『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)が事実として伝えている。
以前ブログに取り上げているが、14歳で日本軍に捕まったミンチェという女性の証言を綴っている。
ミンチェ「例え相手がどんなに謝罪しても、私を強姦した相手を決して許すことはできません。私はそのとき、『許してほしい、家に返してほしい』と相手の足にすがりつき、足に口づけしてまでお願いをしたのに、その日本兵は私を蹴飛ばしたのです。
日本兵は突然、大きなトラックでやって来ました。私たちが家の前でケンバ(石を使った子供の遊び)をしているときです。私は14歳でした。(スラウェシ島の)バニュキという村です。日本兵は首のところに日除けのついた帽子をかぶっていました。兵隊たちが飛び降りてくるので、何が起きたのかとびっくりして見ていると、いきなり私たちを捕まえて、トラックの中に放り込むのです。
一緒にいたのは10人くらいで、みんなトラックに乗せられました。私は大声で泣き叫んで母親を呼ぶと、母が家から飛び出してきて私を取り返そうとしました。しかし日本兵はそれを許しません。すがる母親を銃で殴り、母はよろめいて後ろに下がりました。それを見てトラックから飛び降りて母のところに駆け寄ろうとした私も、銃で殴られたのです。
トラックに日本兵は8人ぐらい乗っていて、みんな銃を持っていました。トラックの中には既に女の子たちが10人ほど乗せられていて、私たちを入れると 20人。みんな泣いていました。本当に辛く、悲しかったのです。そのときの私の気持がどんなものか、わかりますか。思い出すと今も気が狂いそうです。
それから、センカンという村に連れて行かれました。タナ・ブギスというところがあります。でも、どのように行ったのかは、トラックに幌がかけていたのでわかりません。着くと部屋に入れられました。木造の高床式の家です。全部で20部屋ありました。周囲の様子は、日本兵が警備していたので、まったく分かりません。捕まった翌日に兵隊たちがやってきて、強姦されました。続けて何人もの兵隊が・・・・・」
15歳で日本兵に捕まったヌラの証言。
ヌラのケース「家から1キロほど離れたところの学校に通っていたの。友達を歩いているとき、誰もいない場所で、帽子をかぶった日本兵が乗ったトラックに出会ったの。トラックには幌がかぶせてあったわ。私たちが怖くて逃げると、『もって来い、もって来い(こっちに来いということか?)。何だ、こらっ』と言って叫ぶの。そして片っ端から私たちを捕まえて、トラックの上に放り上げるのよ。
一緒に捕まったのは全部で8人。道の途中でも捕まえて、トラックに乗せたわ。幌があるから外は見えない。みんな泣いていると、兵隊が『バゲロー、泣くな』ッて言うの。トラックでルーラというところに連れて行かれたわ。そこは竹の家が並んでいて、入れって言われたの。服はぼろぼろになっていて、しかも一枚だけだったから、寒かったのを覚えているわ。
そこで食事を作っていたのはゴトウ班長という人。彼は『飯ごう、持ってこい』と言った。でも、ご飯は少しと、塩魚が少しだけ。竹の家はとても長くて、一人に一部屋与えられたの。お互いにのぞいてはだめだった。本当に辛かった。竹の家では、日本兵に『なんだ、この野郎』って怒鳴られたわ。殴られはしなかったけど。
小さなサロン一枚もらっただけで、寒かった。それと軍医がいたわ。名前はカワサキ。彼が注射したの。まだ、子どもだったから。何のための注射なのか聞けなかった。
たくさんの兵隊が次々とやってきたわ。とにかく日本兵は人間じゃなかった。私たちを動物のように扱ったの、食事も少しだけ。魚と味噌を少し。私たちは食べられなかった。それに大根の漬物も、酸っぱくて食べられなかった。捨てると怒られたの。それで、みんな痩せていたわ。向こうで亡くなった女性もいた。寒かったからかしら。私は8カ月くらいいたかしら。兵隊たちがパレパレなどからもやって来たわ」――
小倉紀蔵が言うようにリヤカーは現れないが、少女たちを捕獲して輸送する手段にトラックを使用していた。萩生田光一が言うように「村中を回っ」たわけではなくても、少なくとも一定程度の頭数の少女を確保するために村の中の一定距離をトラックを走らせた。そしてミンチェの場合は8人ぐらいの日本兵、ヌラの場合も、トラック運転手と捕獲役や監視役として複数の日本兵がいたはずで、兵士自体が未成年インドネシア人女性の略取・誘拐の当事者として関わり、二人とも、そこが民間人業者の経営による慰安所であったとしても、日本軍兵士が警備や料理に関わり、性病管理に日本軍軍医が関わっていた場所に監禁されて、複数の日本軍兵士から性行為の強要――つまりレイプを受けた。
これを以て個別的な兵士の個別的な強制連行と言うことができるだろうか。少なくとも駐屯地軍部隊が関与しなければできない犯罪であろう。
こういった行為がインドネシアだけではなく、フィリッピンや台湾や中国、さらに朝鮮半島でも行われていたという証言が記録されている。と言うことは、各地の駐屯地軍部隊を超えた日本軍全体の問題と見なければならない。
それを「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」事実のみを以ってすべてを否定し去ろうとしている。
橋下徹は個別的な兵士による個別的な強制連行とレイプは「戦犯として処罰する」罰則を掲げて、インドネシア日本軍占領下の未成年を含むオランダ人女性の強制連行と慰安所でのレイプに関しても、「インドネシアのスマラン事件、オランダ人捕虜を強制的にレイプしました。これはね、戦犯で処刑されましたよ」と個別的な兵士による個別的な強制連行とレイプであって、国家による強制連行でもなければレイプでもないという主張を組み立てている。
既に存在せず、かつて存在したオランダ政府の日本語サイト「日欄歴史調査研究」のアンバラワ抑留所「強制慰安」のページの最初に次の日記が記載されている。
「モドー
1944年2月23日
今日の午後3時、一杯の日本兵を乗せて二台の車がやって来た。全バラックリーダー達(バラック建てだったからだろう、オランダ民間人収容所のこと)が歩哨の所に来させられ、そこで18歳から28歳までの全女子と女性は即申し出なければならないと聞いた。この人達に質問されたのは、何歳か、そして結婚しているか子供達はいるかという事だった。その間彼女達は大変きわどく見られた。今又それはどういう意味を持つのだろう?又17歳の二人の女子達が紳士達のリストの中に18歳として記述されていた為率いられた。私達は忌まわしい憶測をしている」――
彼女は性的対象とされることを予感していた。そして実際にトラックに載せられて慰安所に送り込まれる未成年を含むオランダ人女性が現れることとなった。
この事実と、「Wikipedia」によると、スマランの問題となった慰安所自体が日本軍現地駐屯部隊がジャカルタに本部を置いていた第十六軍司令部に開設申請を出し、許可されて開設した慰安所であるという事実、さらに橋下徹が「戦犯で処刑されましたよ」と言っている、終戦後の1948年にオランダ軍によって開廷されたバタビア臨時軍法会議は被告は合計で何人か分からないが、BC級戦犯として11人が有罪、責任者である岡田慶治陸軍少佐が死刑を宣告された事実から、決して個別的な兵士による個別的な強制連行でもなければ、個別的なレイプでもなく、、例え2カ月で閉鎖の処分を受けたとしても、駐屯地部隊全体が関与しなければできない全体像であり、当然開設許可を出した点で第十六軍司令部にも責任がある、インドネシアに於ける日本軍の全体的な関与としなければならない事件であって、結果として管理・責任上日本国家の責任にも関係してくる。
レイプ国家と批判されても仕方のない状況を日本軍とその兵士たちは描き出していたということであり、橋下徹の強制連行個別兵士の個別的行為説の正当性をどこにも認めることはできない。
安倍晋三が月刊誌「文芸春秋」寄稿論文で、〈祖父の岸信介首相の内閣が国民皆年金や皆保険制度など「重要な社会保障制度」を整備したことを挙げて〉、次のように祖父の業績を強調したという。
安倍晋三「社会保障制度の整備と日米安保という土台づくりの上に、その後の池田勇人、佐藤栄作政権における高度成長があったことを忘れてはならない」
《「高度成長の土台つくった」=安倍首相、祖父の業績強調》(時事ドットコム/2014/08/07-19:56)
安倍晋三「(安全保障と経済は)極めて密接であり裏腹な関係にある」――
記事は末尾で、〈父の晋太郎氏が岸氏に「得意な経済で勝負しましょう」と強く進言したのに対し、岸氏が「確かに経済政策は重要だ。しかし、同時に安全保障は国の基本である」として、日米安全保障条約の改定に決意を示した場面があったことも明かしている。〉と解説している。
安倍晋三は血がつながっている岸信介を持ち上げることで北朝鮮の金日成・金正日・金正恩親子三代が自分たち権力の正統性の手段としているように血の正統性を打ち立てようとでもしているのだろうか。
だが、日本の高度成長の土台を作ったのは岸信介ではないし、他の自民党の総理大臣でもない。広く知れ渡っているように朝鮮戦争が日本の経済に最大の恩恵としてもたらした特需であることを改めて記さなければならない。
岸信介の在任は1957年2月25日~1960年7月19日まで。朝鮮戦争は1950年(昭和25年)6月25日に勃発、1953年7月27日に休戦協定を締結している。
朝鮮戦争前の日本の経済は敗戦(1945年(昭和20年))の影響でただでさえ壊滅状態にあったところへドッジ不況が加わって、最悪の不景気状況にあった。GHQ経済顧問ジョセフ=ドッジが戦後の日本経済の自立と安定を目的にインフレ収束と企業経営の合理化、資本の蓄積を柱として立案・勧告し、ドッジ・ラインとして1949年(昭和24年)3月7日に実施した財政金融引締め政策は戦後のインフレを収束させたが、逆にデフレを進行させて、失業や倒産が相次いだ。
そしてドッジ・ライン1949年実施の翌年1950年(昭和25年)6月25日に朝鮮戦争(1953年7月27日休戦)勃発。
《『日本経済史』》に次のような記述がある。
〈1.戦後経済復興期
太平洋戦争により、平和的国富(非軍事のストック)の被害率は25%となり、鉱工業生産は戦前の1/10となり、その後も1/3前後で推移した。
戦後の混乱への対策としては、1946年の金融緊急措置(インフレ阻止のための通貨量削減)、1949年以降のドッジ・ラインによる超均衡予算によるインフレ対策、そして重要産業への傾斜生産方式による基礎的生産能力の強化などがあげられる。また、戦前経済の反省と脱却のため、根本的な構造改革が行われた。第一は、財閥の解体である。1947年に、83社の財閥の解体が行われ、独占禁止法と過度経済力集中排除法が制定された。第二は、農地改革である。農地の多くが、それまでの小作農民に売り渡された。第三は、労働改革である。労働者の地位向上のため、労働三法(1945年の労働組合法、1946年の労働関係調整法、1947年の労働基準法)が制定された。
生産の戦前水準への回復は、1950年に勃発した朝鮮戦争の特需が主な要因となった。日本の産業界は、アメリカ軍から大量の軍需物資の発注を受け、輸出も急増した。その結果、1951年には、鉱工業生産指数、実質個人消費、民間投資が戦前の35年水準に回復し、1952年には実質国民総生産、実質賃金(製造業)が、同水準に回復した。こうして、戦後の混乱期からの復興をほぼ果たし、1955年からの本格的な高度経済成長過程となるのである。そして、1956年の経済白書では、「もはや戦後ではない」と宣言された。 〉――
1950年(昭和25年)6月25日の朝鮮戦争勃発翌年の1951年には、鉱工業生産指数、実質個人消費、民間投資が戦前1935年の水準に、たったの1年で一気に回復したのである。
朝鮮戦争特需による日本の復興の何よりの象徴は、誰もが指摘しているトヨタ自動車であろう。
『トヨタ自動車75年史』 「朝鮮戦争による特需の発生」》は次のように述べている。
〈1950(昭和25)年6月25日、朝鮮半島で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍隊が北緯38度線を越え、大韓民国(韓国)に侵攻した。朝鮮戦争の勃発である。
韓国軍の装備を早急に補うため、戦場に最も近い日本の工業力が利用され、同年7月10日には早くも米国第8軍調達部からトラックの引き合いがあった。トヨタでは、BM型トラック1,000台を受注し、7月31日にトヨタ自工・自販共同で契約を締結した。納入は、翌8月に200台、9月と10月に各400台であった。その後もトヨタは、8月29日に2,329台、翌1951年3月1日に1,350台と合計4,679台のBM型トラックを受注した。金額にすると36億600万円である。
このような特需の発生に対して、トヨタ自工では生産計画を月産650台から1,000台へと引き上げた。要員については、現有人員による2時間残業で対応し、また計画中であったBM型トラックのBX型への切り替えは、特需車両の完納後まで繰り延べることとした。〉――
朝鮮戦争特需の恩恵によって生産台数の急速な回復を見て取ることができる。
その結果、〈トヨタ自工は、ドッジ・ラインの影響で深刻な経営危機に陥り、人員整理にまで手をつけなければならなかったが、朝鮮特需を契機に業績は好転し、新たな一歩を踏み出すことができたのである。〉
倒産寸前であったが、朝鮮戦争特需が息を吹き返すに役立った。勿論戦争が終結すれば、生産側にとっての戦争による生産→破壊→生産→破壊の好循環は停止を受け、その反動としての不況に見舞われることになって一時的に国全体としての実質経済成長率を下げることになるが、特需によって獲得した莫大な利益を資本の蓄積に回すと同時に技術革新と設備投資を図ることで生産活動を活発化させ、朝鮮戦争休戦1953年2年後の1954年12月から1957年6月まで神武景気と名づけた好景気を迎えることができ、日本は順調に高度成長へと向けて発展することができた。
岸信介が首相に就任したのは1957年2月25日だから、日本の経済が絶好の位置につけていたときである。潤沢な国家予算を背景とすることができたのである。
全ては朝鮮戦争特需が日本の戦後経済復興のスタートであって、特需がなければ、息を切らせていた可能性は否定できない。そして1960年代になると、1964年からのアメリカの本格介入から1975年終結までのベトナム戦争を受けた1970年代前半までの戦争特需によって日本の経済は再度のテコ入れを受けることになった。
日本の経済にとってある意味、戦争様々であった。尤も戦前の戦争で日本の国力を壊滅させたことを考えると、戦後の2度の戦争特需は皮肉な巡り合わせとも言うことができる。
安倍晋三が言うように祖父の岸信介が手がけた「社会保障制度の整備と日米安保という土台づくりの上に、その後の池田勇人、佐藤栄作政権における高度成長があった』というのは真っ赤な大ウソに過ぎない。
朝鮮戦争特需が深刻な経営危機に陥っていたトヨタ自動車の息を吹き返させ、世界のトヨタへの階段を駆け上っていくスタートとなったように日本経済も朝鮮戦争特需が鉱工業生産指数、実質個人消費、民間投資を一気に戦前の水準に回復させて、その後の高度経済成長のスタートとさせしめことは忘れてはならない。
「2014年8月6日挨拶」●広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
8月6日に出席した原爆投下から69年目を迎える広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式での安倍晋三のスピーチの冒頭部分が昨年とほぼ同じ内容だったということでインターネット上で「使い回し」、「コピペ(文章の切り貼り)だ」と批判を集めているとマスコミが伝えていた。
当然、反響が反響を読んで、インターネットはこの話題で盛り上がっているに違いない。お固いサイト「ハフィントンポスト日本版」までが、《安倍首相、「広島原爆の日」の挨拶 "去年のコピペ"疑惑を検証する》と題して8月7日付で検証記事を載せている。
スピーチを、「前段の挨拶」、「政府の取り組みの説明」、「締めの挨拶」の三部構成におおまかに分け、私自身はその存在を知らなかったテキスト比較ツール「difff」(デュフフ)にかけて同じ文字を拾い出して比較、そして、〈■2013年を“下敷き”にしたことは確実
こうして比較してみると、2014年のスピーチは2013年を元に、実績部分のみ書き換え、前後の挨拶部分はほぼそのままであることがわかる。〉と結論づけている。
「ハフィントンポスト」を見習うわけではないが、自分なりに比較して、自分なりに結論づけてみることにした。
「2014年8月6日挨拶」は青文字で、「2013年8月6日挨拶」は黒文字で表わし、段落ごとに並べてみる。下線部分がそっくり同じとなっている。
「2013年8月6日挨拶」●広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
「2014年8月6日挨拶」●69年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
「2013年8月6日挨拶」●68年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
「2014年8月6日挨拶」●犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
「2013年8月6日挨拶」●犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。蝉しぐれが今もしじまを破る、緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
「2014年8月6日挨拶」●人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
「2013年8月6日挨拶」●私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
「2014年8月6日挨拶」●私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
「2013年8月6日挨拶」●昨年、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。
「2014年8月6日挨拶」●本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
「2013年8月6日挨拶」●本年、若い世代の方々を、核廃絶の特使とする制度を始めました。来年は、我が国が一貫して主導する非核兵器国の集まり、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開きます。
「2014年8月6日挨拶」●今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
「2013年8月6日挨拶」●今なお苦痛を忍びつつ、原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう、最善を尽くします。被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や被爆された方々の代表を含む関係者の方々に議論を急いで頂いています。
「2014年8月6日挨拶」●広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。
「2013年8月6日挨拶」●広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧倍の努力を傾けていくことをお誓いします。
「2014年8月6日挨拶」●結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
「2013年8月6日挨拶」●結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。
話の進め方の順番も同じだし、言葉が違っている個所でも言っている趣旨はほぼ同じとなっている。
本人が書いた原稿なら、どこでどう足をすくわれるか分からない身であることは承知しているだろうから、こういったヘマはしないだろう。多くの反安倍人間が鵜の目鷹の目でそのヘマを狙っている。私もその一人である。
市会議員、県会議員ばかりか、国会議員までが外国を視察して、その報告書をインターネット上の文章をコピペして提出、バレて、マスコミが騒ぐ時代でもある。
要するに誰かスピーチライターが書いた原稿を安倍晋三は読み上げたに過ぎないはずだ。
安倍晋三のスピーチライターとして内閣審議官の谷口智彦が既に名前が上がっている。安倍晋三の国会での施政方針演説や、米国の国際戦略研究所での英語での演説、2013年9月の国際オリンピック委員会第125次総会に於ける東京オリンピック招致プレゼンテーションなどを手がけていると「Wikipedia」が紹介している。
第2次安倍内閣の2013年2月から内閣官房にて内閣審議官に就任しているが、それ以前から安倍晋三の演説のスピーチライターを務めているという。
しかし谷口智彦のような大物のコピーライターとなると、自分が一度書いた文章をコピペするはずはないし、文章を形式化させることもないだろう。そんなことをしたら、自身の名折れとするはずだ。
つまり、安倍晋三の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式の挨拶は大物ではないコピーライターが書いた。そっくり同じ言葉を並べるくらいだから、小物の役人がコピーライターを務めたと見るべきだろう。
もしこの推測が間違っていないとしたら、安倍晋三及び安倍内閣は広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、原稿を小役人に書かせる程度の重要性しか見ていない証明としからない。
安倍晋三自身も昨年の挨拶と今年の挨拶で文言のかなりの部分が同じであることが気づかずに読み上げた。途中で気づいたが、中止するわけにはいかないために最後まで読み上げたとしたら、前以て目を通すことすらしていなかったことになる。
前もって目を通すこともしなかった、読み上げていても、気づかなかったとしたら、最悪である。昨年の挨拶をすっかり忘れていたことになる。
以上のような状況であったとしたら、慣例に従った出席と慣例に従った挨拶――いわば儀式化していたことになる。儀式化していたからこそ、同じ文言を並べることができたし、話の進め方も昨年通りにすることができた。読み上げる方も、単に機械的に読み上げるだけで済ますことができた。
やはり安倍晋三にしても安倍内閣にしても69年前の原爆投下と広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に対しての重要性をその程度にしか見ていないという結論に行き着かざるを得ない。
今後安倍晋三が立派な言葉を並べ立てて演説するとき、コピーライターは誰なのか、大物か小物の役人か、想像しながら聞くのも悪くはない。
橋下徹日本維新の会代表が8月6日、朝日新聞が旧日本軍の従軍慰安婦関連報道に一部誤りがあったと認める検証記事を掲載したことについて大阪市役所で記者団の質問に答えている。
《野党幹部「朝日の罪大きい」=元記者の国会招致要求》(時事ドットコム/2014/08/06-17:51)
橋下徹「強制連行の事実は少なくとも朝鮮半島に於いてはなかった。朝日新聞(の報道)は大問題。罪が大き過ぎる。
(但し)(検証記事で)保守の政治家が鬼の首を取ったかのように日本を正当化したら完全に誤る。わが国が負っている国際的非難の原点になった報道だ。韓国国民に感情的な反発心を植え付けた朝日新聞の罪は大きい」――
橋下徹は今まで「強制連行の事実は少なくとも朝鮮半島に於いてはなかった」などと「朝鮮半島」という場所を限定した言い方をしたことはなかった。この発言だけで橋下徹のご都合主義を見て取ることができるが、詳しい発言を知ってからではないと、下手なことは書けない。
横着して、書き起こしの対記者団発言がないかとインターネットを探すと、運よく見つけることができた。《橋下市長、朝日新聞の従軍慰安婦特集についてコメント》(BLOGOS編集部/2014年08月06日 22:52)
読み通して気づいたことは、支離滅裂、言っていることに終始一貫性がなく、矛盾だらけの発言となっている。全文の読み通しはアクセスして貰うとして、矛盾した発言個所を無断引用して、そのご都合主義を指摘してみたいと思う。
現在の行革大臣の稲田朋美が以前産経新聞の「正論」に、かつて公娼制度というものがあり、慰安婦は合法的だったと書いていたと言及してから、次のように言っている。
橋下徹「個人の評論家とか、個人がね、いろいろその、いわゆる売春というものについていろいろ合法化論を唱えるのはいいのかも分かりませんけども、国家運営の責任者が、世界スタンダードで考えたときに、これを堂々と合法化論というものを唱えるのは、絶対に世界的に見ても、世界の潮流から見てもこれは誤ってしまう」――
2013年5月13日の大阪市役所での記者会見。
橋下徹「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる。
当時の歴史を調べたら、日本国軍だけでなく、いろんな軍で(慰安婦を)活用していた。なぜ日本の慰安婦だけが世界的に取り上げられるのか。日本は国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。だが、2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定では、そういう証拠がないとなっている。事実と違うことで日本国が不当に侮辱を受けていることにはしっかり主張しなければいけない」(asahi.com)
直接的には稲田朋美のように公娼制度を根拠とした合法化論ではないが、休息を与えて再びの戦闘を元気づけるという意味での戦闘上の必要性を根拠とした堂々とした合法化論となっている。
勿論、橋下徹は国家運営の責任者ではないが、その発言が公共上の責任を負っているという点で稲田朋美と遜色ないはずだ。時と場合によっては世間に対する発言の影響力は橋下徹の方が遥かに凌ぐ場合がある。
過去の自分のこの発言をすっかり忘れて、売春の非合法性を訴えるご都合主義を発揮している。
橋下徹はここで2007年の第1次安倍内閣の閣議決定に触れている。「朝鮮半島」という場所を限定して「強制連行の事実は少なくとも朝鮮半島に於いてはなかった」と言っていることが如何にご都合主義であるかを証明することになる閣議決定ではあるが、先に具体的にどう発言していたかを見てみる。
橋下徹「ただ強制連行の、これで事実が、少なくとも朝鮮半島に於いてはなかったと。他の地域で、軍が強制的に女性に暴行を加えたという事実はあったんでしょう。これは、オランダ人捕虜のね、スマラン事件でもそうですけど、これはね、戦犯です。戦犯なんです」――
他の地域には強制連行はあったが、朝鮮半島ではなかった。他の地域の例として、日本軍占領統治下のインドネシアでのスマラン事件を取り上げて、戦後オランダ軍による軍法会議で戦犯として裁かれたことに触れている。
だが、この発言自体が少しあとの発言と矛盾することを照らし出すことになる。
橋下徹「但しね、やっぱり認めちゃいけないところ、で、これ何が問題になっているかと言ったら、世界から、日本だけが特殊なことをやったという風に指摘されているわけですよ、“性奴隷”という言葉を使われて。でもこれ、強制連行の事実がなかった、強制連行が無かったということになれば、日本だけが性奴隷を使っていたという批判は当たりません。もし、日本がね、この慰安婦を利用していたということで性奴隷を使っていたというんであれば、世界各国がみんな性奴隷を使っていたということにしなきゃいけないんです。どちらでもいいです。だから日本が性奴隷を使っていたという国連の人権報告書が出てますけども、それだったら世界各国が性奴隷を使っていたというように国連も改めなきゃいけませんね」
ここでは、少し前の「他の地域で、軍が強制的に女性に暴行を加えたという事実はあったんでしょう」という発言と矛盾して、日本軍が占領していた地域、戦争を行っていた地域全てに亘って「強制連行の事実」はなかったとしている。
だから、「強制連行が無かったということになれば、日本だけが性奴隷を使っていたという批判は当たりません」と言うことができる。
例え朝鮮半島では強制連行はなかったが事実だとしても、他の地域ではあったとするなら、その地域での生活している場所から軍慰安所までの暴力的強制連行、そして軍慰安所内での暴力的な性行為強要は世界各国や国連から性奴隷に貶めたと非難を受けるのは当然であり、事実あったことは多くの証言によって明らかになっていることであって、「日本だけが性奴隷を使っていたという批判」はそれ相応に受けるべき当然の代償ということになる。
橋下徹はこれまで兵士相手の売春は世界各国どこでも行われていたという論法で日本の従軍慰安婦制度に免罪符を与えようとしていた。このことは最後の方の次の発言に現れている。
橋下徹「今回、強制連行がなかったということになったらね、日本だって、これ、誇れることじゃない、絶対に反省しなきゃいけないけれども、他国と同じような、まさに戦争の中の戦場における性の問題として、不幸な過去としてね、世界各国が共有すべきような、そういう事案、それと同じなわけですよ。 それを強制連行、強制連行と言っていたもんだから、日本だけが性奴隷を使っていた、日本だけが特殊なことをやっていた、だから謝れ、謝れ。これはひどいと思いますよ」――
この発言でも全ての地域で強制連行はなかったとする文脈を前提とする矛盾を犯しているが、証言などで証明されているその実態が、軍が主体となった若い女性それぞれの意に反した拉致・誘拐紛いの強制連行と強姦紛いの性行為強要であった例は日本以外に存在するだろうか。
ここに問題があることに気づいていない。どこの国の兵士であれ、戦争中に少人数の集団を組んで現地の女性を拉致・誘拐して集団で代る代る強姦する例は世界各国存在するだろうが、軍自体が軍にとって一種の公の場所である軍慰安所に女性を拉致・誘拐して監禁し、日常的に性行為を強要した。女性側からしたら、性奴隷の境遇に置かれたことになる。
橋下徹はかつて従軍慰安婦の強制連行はなかったとする論拠を第1次安倍内閣の閣議決定に置いていた。
2012年8月24日記者会見。
橋下徹「河野談話は閣議決定されていませんよ。それは河野談話は、談話なんですから。だから、日本政府が、日本の内閣が正式に決定したのは、この2007年の閣議決定だった安倍内閣のときの閣議決定であって、この閣議決定は慰安婦の強制連行の事実は、直接裏付けられていないという閣議決定が日本政府の決定です」――
2007年3月8日、当時社民党衆議院議員だった辻元清美が、安倍晋三が河野談話に関して「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」とする主張を打ち出して河野談話の見直しの動きがあることについて、その根拠等について質問主意書を安倍内閣に提出し、2007年3月16日のその答弁書の中で次のように答えている。答弁書から一部抜粋。
答弁書「お尋ねは、『強制性』の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成3年12月から平成5年8月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(筆者注―いわゆる河野談話)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」――
答弁書はその内容を閣議決定して、質問主意書提出者が衆議院議員であるなら、衆議院議長(当時は河野洋平)に送付される。
この閣議決定以降、安倍晋三は答弁書で示した「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」事実を河野談話が指摘している従軍慰安婦の強制連行を否定する根拠としている。
そして橋下徹もまた、この閣議決定を根拠として従軍慰安婦の強制連行を否定、上記発言となった。
答弁書が「政府において、平成3年12月から平成5年8月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月4日の内閣官房長官談話(筆者注―いわゆる河野談話)のとおりとなったものである」と言っている、河野談話の元になった調査・聞き取りとは内閣官房内閣外政審議室による調査・聞き取りのことであって、《いわゆる従軍慰安婦問題について》という題名で1993年8月4日に公表されている。
「関係者からの聞き取り」対象は「元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等」となっているが、「慰安所が存在していた地域」は、「今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である」となっている。
但し現地調査に関しては、「調査の過程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別途の通りである」としているように、韓国を除いて慰安所が実際に存在した外国への現地調査は行われていない文脈となっている。
「調査の結果発見された資料の概要」とは、「参考とした国内外の文書及び出版物」を指すらしく、「韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した」となっている。これ以外の資料の記述は存在しない。
そして内閣官房内閣外政審議室のこのような調査結果に基づいて従軍慰安婦の日本軍による強制連行を認めた「河野談話」が作成された。
だが、第1次安倍内閣が閣議決定した答弁書が「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」としている以上、その「見当たらなかった」は、いわば強制連行の非事実は場所限定ではなく、慰安所が存在した内外の地域全てに該当する事実としなければならない。
でなければ、矛盾することになる。
いわば朝鮮半島という場所を限定とした「見当たらなかった」――強制連行の非事実ではないということである。
だが、橋下徹は従軍慰安婦の強制連行はなかったとする論拠を第1次安倍内閣の閣議決定に置いていながら、朝日新聞が旧日本軍の従軍慰安婦関連報道に一部誤りがあったと認める検証記事を掲載するや、「強制連行の事実は少なくとも朝鮮半島に於いてはなかった」と場所限定のすり替えを行っている。
引き続いて少しあとの発言で全ての場所で強制連行はなかったとする文脈の矛盾したことを言っているが、この矛盾にしてもすり替えにしても、橋下徹のご都合主義を如実に現して余りある。この矛盾とご都合主義を考えた場合、朝日新聞を批判する資格はない。
国家主義者安倍晋三とその一派は「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」事実を以って「河野談話」を否定、安倍晋三自身は2012年9月12日自民党総裁選立候補時に、「河野洋平官房長官談話によって強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない。河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある。孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」とまで発言して、「河野談話」が認めている事実に嫌悪を示している。
だが、「政府が発見した資料の中」に限定した「強制連行を直接示すような記述」であって、このことが“政府が発見しない資料”の中での「強制連行を直接示すような記述」が皆無であることの保証とはならない。
資料ではなくても、日本軍占領下のインドネシアでオランダ人女性だけではなく、未成年を混じえた現地人女性を日本軍兵士が略取・誘拐の形で暴力的に連行し、強制的に売春を強いた事実を被害者となった多くのインドネシア人女性が証言している。
当然、「政府が発見した資料」を限定として「河野談話」を否定することは許されない。
橋下徹のご都合主義と矛盾で成り立たせた今回の対記者団発言も許されはしない。
朝日新聞が8月5日の朝刊で、従軍慰安婦強制連行の根拠の一つとしてきた吉田証言を「虚偽と判断」したとして、吉田証言に基づいて書いてきた記事を取り消した。
但し朝日新聞は従軍慰安婦強制連行説を捨てたわけではない。〈これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。〉とする言葉に自分たちの立場を要約している。
一方、朝日新聞等の従軍慰安婦強制連行説に対立して軍や官憲による従軍慰安婦の強制連行を示す政府や軍の資料は一切見つかっていないという立場を採ってきた安倍晋三やその他、日本民族優越主義を血としているがゆえに大日本帝国軍隊の無謬性・絶対性を信じる復古主義者たちは自分たちの立場の正しさの改めての証明として、表面的には隠しているだろうが、内心、鬼の首でも獲ったかのように欣喜雀躍したに違いない。
このことは石破茂自民党幹事長の8月5日の党本部での記者会見の発言に現れている。次の記事――《慰安婦問題:朝日記事巡る自民・石破幹事長の一問一答》(毎日jp/2014年08月06日 00時37分)から、発言の全てを引用してみる。
記者「朝日新聞が従軍慰安婦問題を巡る報道の一部に事実の誤りがあったと認めた。どう受け止めているか」
石破茂「私どもとして、この記事は非常な驚きをもって受け止めている。今まで有力紙たる朝日新聞が(慰安婦狩りをしたと証言した)吉田(清治)さんという方の証言に基づいて慰安婦問題を世論に喚起して、そしてそれが国際的な問題となってきました。
それを取り消すということになれば、今までの報道は一体何であったのか、ということだ。(朝日新聞は)どうしてこういうことになったのか紙面で述べておられますが、これだけ大きな問題になっている。我が国がそういうことをする国家であるということで国民も非常に苦しみ、そしてまた国際的な問題ともなっている。
なぜ十分な裏づけが取れない記事を今日に至るまで、ずっと正しいものとしてやってこられたのか。その検証はこれから先、日本国の国益のためにも、この地域を友好の地域として確立をしていくためにも、極めて重要なことだと思っている。
これは、これから国会の中で、我が党としていろいろと議論をしていくことですが、場合によっては、これだけ大きな地域の平和と安定、あるいは地域の隣国との友好、国民の感情に大きな影響を与えてきたことですから、検証というものを議会の場でも行うということが必要なのかもしれません。真実がなんであったのかということを明らかにしなければ、これから先の平和も友好も築けないと思っております。それは書かれた社の責任としてその責任を果たされたいと考えている」
記者「(朝日新聞報道の)関係者の国会招致も検討するのか」
石破茂「要は糾弾するとかいう話ではなくて、国民の苦しみや悲しみをどうやって解消していくのか。我が国だけではない。そうやって取り消しちゃえとされてしまいましたが、そういう報道に基づいて日本に対して怒りや悲しみをもっている国々の、特にこの場合は韓国ですが、人に対する責任でもあると考えている。それはいつにかかって、その地域の新しい環境を構築していくために有効なものであるとすれば、そういうこともあり得るでしょう。現時点においてなんら確定しているものではない。
記者「朝日新聞は十分説明を尽くしたと思うか」
石破氏 (検証記事は)まだ続きがあるんでしょう。読んでみなければ判断できません。ただ、どうして社会の木鐸(ぼくたく)、社会の公器たる新聞が十分な裏づけも取れないままこういうことをやったのか、疑問が氷解したわけではない」
記者「議会で明らかにすべきなのは、朝日新聞の報道がなぜこうなったかということか。
石破茂「私がすべきだといっているのではなくて、議会のことですから、(自民党)会派の責任者たる私が一存で決めるわけには参りません。これから、我が党のそれぞれの現場の担当者がどのように判断するかということにかかっているので、私としてすべきだと申し上げているのではない。しかし、これだけ多くの国民、日本だけではない、そういう人たちがこの報道を前提にいろんな議論をしてきた。それによって怒りや悲しみや苦しみが生じている。なぜこういう経緯になったのかということは、この取り消された報道に基づいて生じた関係の悪化、怒りや悲しみや苦しみ、それを氷解させるのに必要なことであれば、議会がその責任を果たすことはあり得るということだ」――
要するに公正・公平でなければならない公共の報道機関が誤った歴史認識を国民に植えつけた結果、「我が国がそういうことをする国家であるということで国民も非常に苦しみ、そしてまた国際的な問題ともなっている」のだから、国会で検証、あるいは関係者の国会招致もあり得ると発言している。
但しこの石破発言は、当然のことながら、従軍慰安婦の強制連行は一切なかったとする文脈の歴史認識を前提としている。一切なかったからこそ、朝日新聞はそういうことをする国家であるかのように誤った歴史認識を植えつけたために国民を精神的に傷つけたばかりか、国際的な信用を失わせたとすることができる。
朝日新聞の謝罪を内心鬼の首でも獲ったかのように欣喜雀躍していなければ、このような発言とはならなかったろう。
石破のこの歴史認識は日本民族優越主義との関連で大日本帝国軍隊の無謬性・絶対性を信じる復古主義が背景にあるものの、具体的な根拠として軍や官憲による従軍慰安婦の強制連行を示す政府資料は一切見つかっていないという自分たちの事実に基づいているはずだ。
安倍晋三や石破たちが事実と認めざるを得ない資料が存在したなら、いくら日本民族優越主義や大日本帝国軍隊の無謬性・絶対性の強がりを以てしても、強制連行の事実は否定できないことになる。
従軍慰安婦の強制連行はあったとする立場の歴史認識者は軍や官憲による従軍慰安婦の強制連行を示す政府や軍の資料が存在しない理由を戦前の日本政府が敗戦を決意して1945年8月14日に重要文書類の焼却を閣議決定、1945年8月15日午前0時を以って焼却処分開始と連合国軍進駐までの約2週間の間に終了の指示を出していることから、焼却に付されたか、強制連行という軍や官憲にとっての不都合・不名誉を理由として資料として最初から記録していなかった、口頭で処理していたからではないかと見ている。
但し強制連行を示す外国の資料は存在する。周知の事実だが、日本軍が占領中のインドネシアでオランダ民間人抑留所から未成年を含む若いオランダ人女性を日本軍が強制連行して、日本軍人が強制的に性行為を強要した事件の戦後1948年のオランダ軍によって開廷されたバタビア臨時軍法会議の公判記録である。
そこに関係した日本軍人の証言が記録されている。
「Wikipedia」、その他のインターネット記事を参考にすると、例えばスマランなる地域には既に4個所の慰安所が開設されていたが、性病が蔓延していて、現地南方軍の幹部が4個所から性病に罹っていないオランダ人女性を選抜して新たな慰安所の開設を計画、インドネシアに於ける軍政担当、ジャカルタに本部を置いていた第十六軍司令部に認可申請し、認可を受けているという。
当然、認可申請から認可までの経緯を記録した資料が第十六軍司令部に残されていなければならない。ごく一般的な事例なら、文書で認可申請を受け、文書で認可したはずだからだ。現地南方軍幹部はその認可を記した文書に基づいて部下や業者に慰安所開設の指示・命令を出すことになる。
新たに開設されたスマランの慰安所は1944年3月1日から営業開始したものの、自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に慰安所の存在と強制連行というその実態をだろう、訴え、同大佐の勧告により16軍司令部は1944 年4月末にすべての慰安所を閉鎖したとされているが、現地日本軍兵士のオランダ人女性に対する強制連行と性行為の強要は第十六軍司令部の認可を受けた慰安所開設である以上、閉鎖に至る経緯とその実態を臭い物には蓋の姿勢でなければ、記録しておいたはずだ。
もしそのような記録や資料の類いが存在しないとしたら、軍の不都合・不名誉となる事実だからという理由で臭い物には蓋を実行して記録しなかったか、記録しておいたが、重要文書類焼却の閣議決定を受けて不都合・不名誉な事実として証拠隠滅の焼却処分としたか、いずれかになって、このような予測し得る事実を政府や軍の資料が存在しないことの理由としてきた歴史認識者の立場は正当性を得ることができる。
軍や官憲による従軍慰安婦の強制連行を示す政府や軍の資料は一切見つかっていないという事実を以って強制連行はなかったとする安倍晋三等の日本民族優越主義を血としているがゆえに大日本帝国軍隊の無謬性・絶対性を信じる復古主義者たちは、当然のこと、インドネシア・ジャカルタの第十六軍司令部に残されているべき慰安所開設とその実態の資料が存在しないことの理由を証明しなければならないことになる。
もし記録や資料が存在するなら、軍や官憲による従軍慰安婦の強制連行を示す政府や軍の資料がないことを以って従軍慰安婦の強制連行を否定する立場の正当性は失われることになる。
絶好の機会である。朝日新聞を国会に参考人招致して、徹底的に検証、そろそろシロ・クロをつけるべきだろう。
国土交通省がICAO=国際民間航空機関のテロ対策強化の要請を受け、今年2014年10月から航空会社の社員等空港従業員を対象に立ち入り制限区域に入るための許可証を発行する際、犯罪歴を確認するよう全国の空港に要請したという。
《空港で働く人 許可証発行で犯罪歴確認へ》(NHK NEWS WEB/2014年8月5日 4時26分)
具体的な対象者は手荷物検査場より先の立入り制限区域に入るためには許可証の発行を受けなければならない航空会社社員や免税店従業員等空港で働く人などだそうだ。
報告対象の犯罪歴は禁錮以上の刑を受け、刑の執行が終わってから5年未満の場合。
欧米では既に実施されていて、日本の場合、確認の対象は、数万人に上るとみられると記事は解説している。
但し確認は任意で、確認に応じない場合や犯罪歴がある場合も、許可証は発行されるとしている。
国土交通省「プライバシーや職業選択の自由を侵すものではなく、あくまで対策強化のためだ」――
プライバシーは侵さない、職業選択の自由も侵さない。確認は任意で、確認に応じない場合も犯罪歴がある場合も、許可証は発行される。
犯罪歴の確認以外は何も変わらないように見えるが、問題ありと判定された人物は監視対象となる。でなければ、犯罪歴確認の意味を失う。特に確認に応じない場合は犯罪歴がある場合よりも厳しい監視を受けることになるはずだ。
確認に応じない氏名に基づいて警察庁は犯罪歴照会を行い、犯歴の有無を調べるだろうが、犯歴がなくても、応じるまいとした思想を憶測させることになって、監視対象にとどまることになるはずだ。
監視は空港内だけではなく、プライベートな空間に於いても、誰と会っているか、監視されることになる。監視側に万が一を恐れる過剰な危機管理意識が発動されないとも限らない。特に万が一のことが起きた場合の責任を恐れる意識が強く働いた場合、ありもしない万が一の影に怯える心理が働いて、過剰反応するケースの発生も考えられる。
少なくとも一般市民には見えない場所で監視社会が形成されることになる。立入り制限区域内に入る際の念入りな身体検査だけで済まないのだろうか。
この犯罪歴確認はICAO=国際民間航空機関の要請の形を取っているが、特定秘密保護法と無関係ではあるまい。特定秘密保護法は年12月6日成立、2013年12月13日公布、施行は「公布日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日」とされている。
いわば施行は2014年12月12日以内であり、国交省が要請した犯罪歴確認は2014年10月からである。そして特定秘密保護法が秘密とすべき指定対象情報には、「テロリズムの防止に関する事項」が含まれている。
特定秘密保護法の施行日を国交省の犯罪歴確認要請の2014年10月に合わせれば、国内法に則った形で犯罪歴確認も、監視も可能となる。
また、特定秘密保護法は第四章で「特定秘密の取扱者の制限 」を設けていて、「特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者でなければ、行ってはならない」と規定し、認められるには「適性評価」を受けなければならない。
この「適性評価」にしても、本人の同意を必要としているとしているものの、「犯罪及び懲戒の経歴に関する事項」が評価対象として含まれている。
当然、この「適性評価」が国交省要請の犯罪歴確認に相当することになる。
特定秘密保護法に於ける「適性評価」は特定秘密の取扱いの業務を行う本人だけではない。評価対象者の家族(配偶者、父母、子、兄弟姉妹、配偶者の父母及び子)の氏名、生年月日、国籍及び住所と、いた場合の同居人の氏名、生年月日、国籍及び住所の調査を求められる。
要するに多くの国民が国家から人的且つ物理的な監視を受けるばかりか、例え受けなくても、心理的には常に監視を受けている状況に置かれることになる。いわば欧米やロシアや中国と同様の監視社会へと着々と進んでいく。
国民の在り様よりも国家の在り様を優先させる国家主義者安倍晋三肝入りの特定秘密保護法が動き出すのは時間の問題ではあったが、国交省の犯罪歴確認要請のニュースがそれを施行に先んじて実感させることになった。
生活の党PR
《『生活の党 機関紙16号』8月10日発行号》
◆小沢一郎代表 巻頭提言
「自立と共生」をキーワードに世界平和を実現する21世紀型主権国家を目指す
◆声明:原子力規制委員会による川内原発の安全性に関する審査結果について
◆第186回国会活動報告――生活の党が取り組んだ主な議員立法
◆OPINION :奈良女子大学教授 小路田泰直「立憲主義とは何か」
◆衆議院議院運営委員会海外派遣報告:小宮山泰子国会対策委員長「インド、トルコ、ヨルダ
ン、UAEを訪問」
◆安倍内閣の閣議決定を受け、有楽町マリオン前で野党5党が合同緊急街頭演説会を開催
《石破氏「統一選勝利で政権奪還は完成」》(NHK NEWS WEB/2014年7月31日 14時27分)
石破茂自民党幹事長が東京都内で講演して、今後の政権運営に関連して次のように発言したという。
石破茂「これまでの地方選挙では勝つこともあれば負けることもあったが、これを総括し、統一地方選挙に生かしていきたい。衆議院選挙、参議院選挙だけでは政権奪還は完成せず、統一地方選挙で勝利して初めて完成する。
地方は潜在力を発揮できないでおり、これまでの政策を根本的に変える強い意志が必要だ。首都圏に人口がどんどん集中し続けている現状を改善し、地方が評価してくれる政策を進めたい」――
先ず、「衆議院選挙、参議院選挙だけでは政権奪還は完成せず、統一地方選挙で勝利して初めて完成する」とはどういう意味なのだろう。
次の統一地方選挙は来年の4月となっている。安倍晋三が2012年12月総選挙で勝利して政権を運営してから、2年と3カ月経過していることになる。
いわば安倍政権下の政権奪還後の統一地方選挙は国民が2年3カ月間の安倍政治を評価づけ、採点する通信簿となる。そして統一地方選挙に勝利した場合、2年3カ月間の安倍政治が評価を受けたことになって、ある意味政権奪還は完成したとは言えるが、しかし決して政権奪還の完成を目的としていい統一地方選挙ではない。
なぜなら、安倍政治を評価・採点し、統一地方選挙を通信簿とする主体は各自治体の国民であって、政権奪還の完成云々は各自治体の国民の通信簿を通して委ねるべき事柄だからだ。
逆に安部政権もしくは自民党が主体となって政権奪還の完成を目的とした場合、そのことのみをお願いすることになって、統一地方選挙が各自治体の国民の安倍政治に対する評価・採点の通信簿であることから目を逸らさせることになる。結果、「完成」という言葉で国民に与党に投票させようと狙っていることになり、決して正直で正しい遣り方とは言えず、却って狡猾な選挙戦術となる。
安倍晋三と同様、元々狡猾なところがある石破茂だから、政権奪還が「統一地方選挙で勝利して初めて完成する」のお願いは石破茂らしいレトリックと認識しなければならない。
発言の後段、「地方は潜在力を発揮できないでおり、これまでの政策を根本的に変える強い意志が必要だ。首都圏に人口がどんどん集中し続けている現状を改善し、地方が評価してくれる政策を進めたい」は如何にも地方を考えた政策の推進を頭に入れているように聞こえるが、それがいくら立派に聞こえる政策であっても、統一地方選挙が安倍政治に対する総合的な評価・採点の通信簿としなければならない以上、政策実行力や政策自体の実現困難性が関係してくることになる。
例えば政府保護のハードルを国際水準並みに下げても自立できる農業を日本の政治はこれまで実現できずにいた。地方活性化策の一つに自立できる農業政策をいいこと尽くめの立派な言葉で大々的に打ち上げたとしても、統一地方選挙で示す安倍政治に対する総合的な評価・採点の通信簿はその実現困難性と安部政権の政策実行力を前以て計算した内容としなければならない。
いわば政策提示イコール政策実現と看做す採点・評価の通信簿とするわけにはいかない。だが、石破茂は「地方が評価してくれる政策を進めたい」と、統一地方選だけではなく、その他国政選挙が持つ国民による各政権政治に対する総合的な評価・採点の通信簿という機能を無視して、政策提示のみで「地方が評価してくれる」、政策提示イコール政策実現と看做す採点・評価の通信簿を求めたのである。
石破茂の「統一選勝利で政権奪還は完成」のレトリックに決して騙されてはいけない。
【謝罪と訂正】
何度も謝罪と訂正を繰返してすみません。
前日8月3日のブログ――《西東京市14歳中学生虐待首吊り自殺、学校・担任は責任回避のために死人に口なしをいくらでも利用できる - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、最後の文章が乱れていることに今朝気づきました。次のように訂正しておきました。
〈要するに学校・担任は虐待のパターンや、実際には虐待であるにも関わらず虐待を受ける側の児童・生徒の虐待を否定するパターンを考えることもせず、“強くするために殴る”指導が真に教育的に正当化され得るのかどうかも考えることもせず、「子どもを育てる熱意が強い」継父像をつくり上げたということは、事実そのとおりだと錯覚していたとしても、結果的に男子生徒の自殺に対して学校・担任は責任回避の正当化を謀ったことになる。
例えどのように正当化を謀ったとしても、自殺した生徒が既に死人に口なしである。どのようにも責任回避の正当化を図ることができる。〉――
すみませんでした。
安倍晋三は7月20日、横浜市で講演、「地方創生」関連の法案を秋の臨時国会に提出する考えを明かした。
安倍晋三「魅力あふれる地方を創造していく。金太郎アメのような町をつくっても東京や大阪に太刀打ちできない」(MSN産経)
人口減少対策や地域経済活性化に取り組む「まち・ひと・しごと創生本部」の発足に向けた準備室を近く立ち上げるということである。
安倍晋三は日本時間の7月2日夜の訪問先ブラジル・サンパウロでの記者会見でも同じことを言っている。
安倍晋三「デフレ脱却は道半ばであり、景気回復の実感を全国津々浦々に届けていかなければならない。『地方創生』という大きなテーマにも取り組み、新たな安全保障法制に向けた準備も本格化していかなければなりません。新たなスタートを力強く切るために、心静かに準備を進めていく夏にしたい」(NHK NEWS WEB)
統一地方選挙が来年2015年4月に予定されている。統一地方選挙向けのアドバルーンなのだろうか。だとしても、何らかの成果を上げるべくカネをかけることになる。しかしどれ程の効果が上がるだろうか。
東京オリンピック開催を決めて、2020年に向けて東京再開発に突き進めば、ヒト・モノ・カネはなおのこと東京一極集中に向けて流れ込むことになる。地方のヒト・モノ・カネを奪うことでその一極集中は成り立つ。
にも関わらず、地方創生を言う。
2020年オリンピック開催都市国が決まっていなかった2013年1月7日の当ブログ記事―― 《猪瀬都知事の「東京が日本を支えないといけない」の中央集権体制思想下での東京オリンピック反対 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に反対の理由を次のように書いた。
〈東京は2020年夏季オリンピック開催都市に立候補している。もし招致に成功したなら、東京のヒト・モノ・カネの一極集中はなお加速化して巨大都市として膨れ上がるだろうが、高度成長初期時代に東京を代表として都市が地方のヒトを吸収し、ヒトの吸収に伴ってカネ・モノをも吸収していったように地方のヒト・モノ・カネを逆に吸収、もしくは搾取することになり、そのよな東京の一極集中と併行して地方の疲弊が進行することになるだろう。
ヒトが移動すれば、移動したヒトが稼ぐカネも移動することになり、そのヒトが消費するモノもヒトの移動に伴って移動することになる。
ヒトの地方から都市への移動が地方のヒト・モノ・カネを損なっていく、最悪搾取されるという構造を取ることになる。
以上の意味で、2020年東京オリンピック開催には反対である。〉――
東京の再開発を、《BEYOND 2020 東京・首都圏 未来予想図》( itot)から主なところを拾ってみる。
itot(あいとっと)とは地域情報サイトだと紹介されている。
竹芝地区の都市再開発
竹芝地区は、〈国際化が進む「羽田空港」と都心を結ぶ延長線上に位置し、旧芝離宮恩賜庭園と浜離宮恩賜庭園という二つの歴史的景観資源が近辺に存在、複数の劇場など文化芸術施設や都市型ホテルも有して〉いて、都有地を利用して東京に国際企業のアジア統括拠点及び研究開発拠点を誘致しようとする「アジアヘッドクォーター特区」の指定地域ともなっているということである。
ここでの大規模都市開発は当然、日本国内の地方からだけではなく、アジア・世界からも現在以上にヒト・モノ・カネを呼び込むことになる。
葛飾区新宿(にいじゅく)都市再開発
葛飾区が葛飾区新宿(にいじゅく)にあった三菱製紙中川工場の広大な跡地を中心にして新宿(にいじゅく)6丁目周辺を大規模に再開発、既にオープンしている東京理科大学葛飾キャンパスを核として新たな「学園都市」を構想、総合的には住宅、文化、教育、交流、医療福祉など複合的な都市機能の導入を計画していると紹介している。
発展が発展を呼び、今以上にヒト・モノ・カネの流れを誘い込む。
2027年開業予定のリニア中央新幹線も東京再開発の一環として紹介し、開業年の前倒しに期待を示している。開業ともなれば、ヒト・モノ・カネの流れは東京から地方へ向かう以上に地方から東京へと向かうことになるだろう。
足立区千住大橋駅周辺の都市再開発
東京駅から7km圏に位置する足立区千住大橋駅周辺のニッピ及びリーガルコーポレーションの大規模工場敷地の土地利用転換を柱として、「みらい千住 ポンテグランデTOKYO」と名付けた千住大橋地区全体の再開発計画。
計画内容は共同住宅を中心とした商業施設、フットサルコートや公園等の遊戯施設、保育園や医療施設等の建設。地域に根付いた活気あふれる街づくりを目指していて、住宅街区では2013年11月14日時点で既に分譲マンションが完成し、入居が始まっているという。
その他、いくつかの都市再開発を紹介している。築地市場が豊洲新市場に移転すれば、跡地の南側一部は環状2号線臨海部区間の建設用地となるそうだが、残る跡地の都市開発も進み、ヒト・モノ・カネを集めることになるはずだ。
このように急ピッチで進められている、あるいは進めようとしている東京大規模再開発に匹敵する全国規模の地方創生は果たして可能だろうか。地方創生を契機とした東京から地方へのヒト・モノ・カネの逆流は果して可能だろうか。
逆流なくして地方の過疎化は止めることはできない。東京へのヒト・モノ・カネの一極集中を止めたでけでは、地方に於ける過疎化の現状を維持するだけとなる。
2020年東京オリンピック開催を決めたこと自体が東京再開発の大部分の刺激剤となったはずだ。いわば2020年東京オリンピック開催を決めて地方創生を言うことは矛盾しているということである。
東京開催にかかるカネを多くの識者が指摘するように東京の都市機能の一部、例えば極度に集中している大学施設を地方に分散する等の方法を採用して振り向けなければ、ヒト・モノ・カネの東京一極集中の流れを緩めることはできない。
日本の政治が地方創生を果たすことのできる程の政治力を有していたなら、こうまでも地方の衰退を招かなかったはずだ。要するに東京一極集中を図った政治の代償が地方の衰退であるはずだ。
【謝罪】
前日のブログ――《西東京市14歳中学生虐待首吊り自殺は大人たちの生命(いのち)に対する想像力欠如・怠慢が導いた - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、14歳中学生が自殺したのは義理の父親から殴られた後、「24時間以内に首でも吊って死んでくれ」と言われた当日の先月「7月30日」としてしまいまいましたが、言われたのは前日の「7月29日」でした。謝罪し、訂正しておきました。
西東京市の中2男子生徒が継父から虐待を受け、首吊り自殺した事件でマスコミが新たな事実を伝えている。
これまで警察の取調べて判明し、マスコミが伝えていた継父やその他の発言と新たに判明してマスコミが伝えている事実から、学校と担任の対応に焦点を当てて書いてみたいと思う。
継父(警察の取調べに)「一緒に暮らし始めてから、強くするために殴っていた」(読売テレビ)
4年前に男は子どものいるシングルマザーと結婚した。
最初は女性側の連れ子に対する愛情から事実そのとおりであったかもしれない。だが、7月29日に殴った後、「24時間以内に首でも吊って死んでくれ」と死の宣告をする程にも憎悪の対象としていた。
「強くするために殴っていた」という供述は「NHK NEWS WEB」記事では、男はボクシング経験者で、「ボクシングのグローブをはめて長男を殴った。これまでも強くするために殴った」となっていて、正当性をより強めた男の発言となっている。
学校の担任が中2男子の顔のアザに最初に気づいたのは、「asahi.com」記事――《継父の暴力、学校は把握 児相に通告せず 中2虐待自殺》(2014年8月2日15時20分)によると、昨年10~11月頃となっている。時期に幅があるのは担任の記憶に頼った日付だからだろう。
きちんと記録して置かなかったのだろうか。もし担任が虐待の主たるパターンの一つとして男が再婚や同居した女性の連れ子に加えやすいことを頻繁な事例として把握していたなら、万が一の事を考える危機管理意識から、きちんと記録して置いたはずだ。
だが、記録して置かなかった。
担任が生徒に尋ねると、生徒は「継父から暴力を受けた」と話した。担任は「暴力を受けた」理由と初めてのことなのか、よくあることなのか尋ねたのだろうか。記事は何も触れていないが、常識的には尋ねなければならない。
〈学校は母親に医者へ連れて行くよう伝え、母親が了解したため、様子を見ようと判断した〉。
記事のこの説明からすると、学校は大した問題ではないと解釈した。だから、児童相談所に届けなかったのだろう。「暴力を受けた」理由を聞いていたとしても、生徒は父親ではなく、自分が悪いことをしたか、あるいは自分がヘマしたようなことを答えていたのかもしれない。
だが、父親の再度の暴力を恐れて父親に関して否定的なことは言わずに自分の責任とすることも虐待でよく見るパターンである。
担任はこのことを認識していたのだろうか。
従来の虐待の例からすると、怪我の理由を自転車で転んだ、とか、椅子の角に頭をぶっつけたとか、階段から滑ったといったウソの理由が使われている。
二度目に顔のアザに気づいたのは今年4月。生徒は継父の暴力と説明。昨年10~11月頃に受けたアザの時と同じ説明をしたことになる。
中2男子「いつもではないので大丈夫」
継父の暴力であることを完全には訴え切ることができない生徒の心理を窺うことができる。勿論この生徒心理に対する観察は継父の暴力の繰返しよる虐待自殺と知った上での結果から振り返った観察でもあるが、虐待が起こりやすいパターンや虐待を受けている側の児童・生徒が話すアザや怪我の理由のパターンを心得ていたなら、児童・生徒の心理に先回りすることもできるはずだ。
勿論、先回りが常に正しいとは限らないが、児童・生徒になお説明を求めることによって、少なくとも正しいか間違っているかの検証を行うことができる。
中2男子が言うように継父の暴力が「いつもではない」が事実であったとしても、昨年の10~11月頃から二度続けて“顔にアザ”と言うのは重大である。例え「ボクシングのグローブをはめて」、「強くするために殴った」ことであっても、許されることではない。
このことの理由は後で言う。
学校は継父から話を聴いた。
記事。〈「子どもを強くしたい」などと説明を受け、特段の対応は取らなかった。〉
要するにボクシングの練習で、強くしたいがためについ力が入って顔を殴ってしまったといった説明を受けたのだろう。
学校は虐待のパターンを疑ってかかることもせずに、男が言ったことを素直に真に受けたことになる。
8月1日夜、校長が記者会見。
校長「子どもを育てる熱意が強いと担任は感じた。学校側の判断が甘かった」――
無料の「asahi.com」記事はここまでの記述となっている。
担任は中2男子生徒が顔のアザの原因を「父親の暴力」と言っているのに対して、継父を暴力を振るうような人物ではなく、体育会系の教育熱心な人物と見ていたことになる。
いわば虐待のパターンを些かも疑っていなかった。児童・生徒の生命(いのち)に対する想像力も、虐待やイジメに対する危機管理意識も窺うことができない。
「子どもを育てる熱意が強い」継父像は担任が自身の責任逃れのためにつくり上げた虚構ということもあり得る。虚構の人物像の創造は、実像からはそのようなことをするようには見えなかったとすることができる責任回避のパターンの一つとなっている。
男子生徒は既に自ら命を絶っている。いわば死人に口なしで、学校・担任は後からどうとでも付け加えることができる。
「MSN産経」記事は、「長男にも自分を殴らせていた。練習のつもりだった」と、お互いが殴り・殴り合う、あくまでもボクシングの練習であって、虐待であることを否定している継父の発言を伝えている。
継父は多分、2度目のアザで学校から事情を聞かれたとき、同じようなことを答えていたのだろう。
暴力は男が子ども連れのシングルマザーと結婚した4年前からだと警察の取調べに対して供述したとマスコミは伝え、「MSN産経」記事が、「3~4年前に暴行が始まり、今年6月中旬からエスカレートした」と母親の言葉を伝えている。
つまり継父が提示している正当性に立って計算すると、小学校4年生か、5年生の時からグローブをはめてボクシングの練習を始めたことになる。だが、小学校4年生か、5年生の初心者がボクシングを学ぶためにはグローブの構え方、上体や腰の屈め方、パンチの繰り出し方、足の位置と踏み出し方などから学び始めなければない。これらを全体的により実践的に学ぶために父親が子どものパンチを受けるためのパンチングミットを両手にはめて、子どものパンチを受けながら子どもの動きを点検し、より正しい構え方、より正しいパンチの繰り出し方といった基礎を先ず教える必要があり、子供の方も基礎を学ぶことから始めなければならないはずだ。
もしこういった方法を採らずに双方がグローブをはめて殴り合うことから始めるとしたら、年齢差による体力差と継父がボクシング経験者であったことによる技術差を考えて、子どもの頭部と耳と顔を保護するヘッドギアを着用させなければ、練習とは言えない。念には念を入れるとなったなら、野球の審判が胸の保護に着用するような胸部プロテクターもボクシングの練習では使う。
もし真にボクシングを覚えさせて、強くしたいと思ったなら、継父はこのように基礎の基礎から始めなければならないし、子どもの方も基礎の基礎から始めることになったろう。
あるいは百歩譲って、子どもに防護具を着用させない練習であったとしても、同じ年令の子がボクシングで殴り合うように継父は極度に手加減をしなければならなかったはずだ。
例えば父親が子どもをバッターボックスに立たせて自分がピッチャーを務めるとき、父親が持てる最大限の豪速球を投げるだろうか。相手が打てる程度のスピードの球を投げるはずで、子どもが幼ければ、近い場所から、下手から緩いボールを投げるといった手加減をすることから始めるのがごくごく常識的な方法である。
いずれかの方法を採っていたなら、できるはずもない顔のアザを2度も見かけるということはないはずだが、子どもの身体には顔のアザを含めてなのか、数十か所に上っていたと「NHK NEWS WEB」記事は伝えている。
学校・担任が年少の初心者に対するボクシングの練習がこのような方法を採用することを知らなくても、男子生徒が少なくとも顔に2度目のアザをこしらえたとき、生徒が継父の暴力と説明している以上、年少者に対するボクシングの練習で顔にアザをこしらえるものなのか、ボクシングに詳しい誰かに聞く程の児童・生徒の生命(いのち)に対する想像力を発揮すべきだった。
したことは父親の説明を真に受けて、何の対応も取らなかったことである。
大体が「強くするために殴っ」て、真に人間的に強くなるのかどうか教育面から考えたのだろうか。
殴られて獲得する精神的な強さ、あるいは技術の獲得は受け身の非自律性の性格を正体とすることになる。例え指導を受ける身であっても、自身の可能性として目指す技術を自ら進んで獲得して、そのことに自信を得て精神的にも強くなる積極的で自律的な性格を正体とするわけではない。
学校の部活でも、それが体罰に当たると理解もせずに、“強くするために殴る”指導が横行し、生徒は“殴られて強くなる”他律性の力学に呪縛され、支配されていたから、体罰は恒常化することになった。
自律的に獲得した自律的な技術であるなら、例えまずいプレーをしたとしても、自律的に修正できるが、他律性を性格とした技術であるなら、まずいプレーをしたとき、その修正に於いても他律性を必要とすることになる。
監督や顧問が試合を継続させたまま罵倒してしっかりさせようとしたり、あるいはタイムを求めて選手を集め、相手選手や観客の目があるにも関わらず平手打ちの懲罰を与えてしっかりしろと叱咤したりして発奮させる、体罰を通した他律性を演じなければならないことになる。
要するに学校・担任は虐待のパターンや、実際には虐待であるにも関わらず虐待を受ける側の児童・生徒の虐待を否定するパターンを考えることもせず、“強くするために殴る”指導が真に教育的に正当化され得るのかどうかも考えることもせず、「子どもを育てる熱意が強い」継父像をつくり上げたということは、事実そのとおりだと錯覚していたとしても、結果的に男子生徒の自殺に対して学校・担任は責任回避の正当化を謀ったことになる。
例えどのように正当化を謀ったとしても、自殺した生徒が既に死人に口なしである。どのようにも責任回避の正当化を図ることができる。
先月7月30日、と言っても3日前のことだが、東京都西東京市の自宅アパート1室で中学2年14歳長男が義理の父親の虐待を受けて首吊り自殺した。母親は4年前、長男を連れて現在41歳の父親と再婚。夫婦の間に2歳になる次男がいる。
殴るなどの虐待は母親が再婚した当時の4年程前から始まっていたという。
男が再婚した妻の連れ子に虐待を繰返すというのは非常によくあるパターンである。虐待の定番と言ってもいいくらい見慣れた光景となっている。
そうであるなら、子どもがいるシングルマザーが別の男と再婚、もしくは同居した場合、よくあるパターンとして虐待を一応は警戒しなければならないことを教えていることになる。
誰に教えているかと言うと、再婚や同居を知り得る近所の住人であり、結婚届を出していたなら、女性側の再婚を知り得る市町村・区役所の戸籍課であり、家族構成を知り得る立場にある学校であり、子どもの心身に関わることであるゆえに学校が情報共有を図らなければならない児童相談所等ということになる。
それぞれが把握した情報を連絡し合う情報交換を欠かすことができないことは言うまでもないことだが、後者に行く程、受け身ではない、万が一を想定した能動的な虐待防止の役目上の責任を負っていることになる。
学校の場合、担任は学級活動(ホームルーム)の時間を利用して、生徒を特に注意深く観察することができるはずだ。例えば担任が児童・生徒全員に、「家で何か変わったことないか」と尋ね、「例えばお父さんとお母さんがプロレス顔負けの取っ組み合いの夫婦喧嘩したとか、普段と違う変わったことがあったら、教えてくれ」といったことを聞いたとき、余程児童・生徒に嫌われている担任でなければ、笑いを誘うはずで、児童・生徒が普通に笑うことによって普通の精神状態にあることを知ることができ、中に笑わなかったか、無理に笑おうとして却って強ばった顔になった児童・生徒が存在した場合は、普通の精神状態にないサインと疑ってかからなければならないことになる。
勿論、後者が新しい男と関係を持つようになったシングルマザーの子どもなら、要注意となって、注意深い個別面談が必要になるが、関係を持たないシングルマザーやあるいは一般家庭の児童・生徒であっても、普通の子どもなら笑う場面であるにも関わらず笑わなかった場合はその原因をスクールカウンセラー等に委託して突き止める注意深い対応が必要となる。
例えばシングルマザーが生活の困難に孤軍奮闘しながらも、空回りして生活に追いつめられ、その苛立ちを子どもに辛く当たって、それが日常化し、虐待へと発展させてしまうというパターンも決して珍しいことではない。各パターンを学習して、パターンに応じた対応を採ることは言うまでもない。
児童・生徒が日常不断の極く普通の喜怒哀楽の感情を人知れずに自然な様子で隠すことや抑えることができたとしたら、神業である。どうしても無理が生じて、却って不自然な表情になる。児童・生徒の顔を見て、そこから感情の動きを読むことも重要な児童管理・生徒管理の方法であるはずである。
学校がこのような姿勢を持つことによって、子ども連れのシングルマザーが結婚届を出していなくても、新しい男との同居であっても、あるいは同居とまでいかなくても、2011年10月に名古屋で中2男子を暴行死させた男の場合のように2009年から子ども連れのシングルマザーの市営住宅の部屋に出入りしていた関係であっても、虐待を把握し得る可能性は出てくる。
この名古屋の場合、中学校は虐待を把握し、近所の住人からも虐待を疑う通報が中学校にあって、学校が児童相談所に連絡、児童相談所は家庭訪問しながら、「虐待を疑う要素はない」と判断。虐待を放置した結果の男の胸部殴打による暴行死であった。
児童相談所の場合は、学校との情報共有によって子どもがいるシングルマザーが新しい男とどのような生活の形であれ、関係を持った場合、よくあるパターンとして万が一の虐待を疑う家庭訪問や面接を行わなければならないことになる。
学校や児童相談所等が共同してそれぞれの役目上の責任を果たそうと心がける姿勢を持つことによって、児童・生徒の生命(いのち)に対するそれぞれの危機管理が生きてくることになる。
すべては大人たちの児童・生徒の生命(いのち)に対する想像力が突き動かすことになる危機管理であって、その危機管理が機能しないということは機能させる想像力を欠いていたことの証明としかならない。
そして今回の西東京市の虐待でも、学校と児童相談所はその想像力を欠いていた。
生徒のクラス担任は男子生徒の顔にアザがあることに2回気づき、アザの理由を「父親に叩かれた」と生徒から聞きながら、教育委員会や児童相談所に連絡していなかったという。
想像力を欠いていたばかりか、怠慢の罪が重なる。
しかも、6月に父親から学校に「体調不良で休ませる」と電話連絡があり、それ以来男子生徒が休校していることに対して学校は家庭訪問を試みようとしたが両親に断られて家庭訪問を断念したということは、学校は母親が再婚していることを既に把握していたということであり、把握していながら、子どものいるシングルマザーの段階で新しい男と関係を持った場合のよくあるパターンとして虐待の発生を用心する児童・生徒の生命(いのち)に対する危機管理の想像力ばかりか、再婚を把握したのが先か、顔のアザに2回気づいたのが先か分からないが、後先がどちらであっても、その両事実の後も、そのような想像力を欠いているがゆえにパターン自体を認識していなかったことになる。
児童相談所は例え学校からアザについての通報を受けていなくても、子どものいるシンブルマザーの段階から、家庭訪問や面接を通して学校と共々に注意と用心を払っていなければならなかったはずであり、特に家族構成の変化を把握した段階以降はより注意と用心を向けなければばならなかったはずだが、そのような動きをしていたようには見えない。
注意や用心を払うことによってよくあるパターンであることを学習していたことになり、その学習は児童・生徒の生命(いのち)に対する想像力を動機づけとせずには発動させることのできない学習であるはずである。
児童相談所にしても想像力の欠如と怠慢を見ないわけにはいかない。
自殺した前日の7月29日、男は中2男子を殴った後、「24時間以内に首でも吊って死んでくれ」と言ったという。
中2男子は1日悩んだ末に義理の父親の暴力とその言葉に絶望して、言われたとおりに首を吊ったのだろうか。男は警察の取り調べに、「一緒に暮らし始めてから、強くするために殴っていた」と供述しているということだが、殴打を正当化する口実に過ぎない。
血を分けたわけではない子どもの立居振舞いに違う男の存在を見て、それを常に目にしなければならないことに苛立ち、その苛立ちを暴力に変えて子どもに当たることになったのだろうか。違う男の子どもだと思い定めて、子どもを共同生活者同士だと扱うことができたなら、少なくとも子どもを一個の存在として尊重することができたのではないだろうか。
男自身が親子3人の生活の舞台から降りるべきだったが、自己中心でいたからだろう、降りることを考えることができず、その資格もなく強引に居座って、子どもを自殺させる形で生活の場から降ろしてしまった。