安倍晋三の広島市の土砂災害下の国民よりも国家の上層を占めるお友達を優先し、大事にした今回のゴルフ

2014-08-21 08:20:58 | Weblog



      生活の党PR

      《8月20日 『広島市の土砂災害対策について』 小沢一郎生活の党代表談話》 
   
 「8月19日深夜から20日未明にかけ、広島市で記録的豪雨となり、土砂崩れや土石流が発生し、死者が27名、行方不明者が10名、けが人も多数出ています。

 今回の集中豪雨によって、亡くなられた方、被災された方に対し、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 政府には既に行っている自衛隊隊員の派遣も含めて、引き続き地元自治体と緊密に連携し、全力で被災者の救命・救助、災害対策に全力であたっていただきたいと思います」(以上) 
 安倍晋三が広島市の大規模な土砂災害発生中に夏休みのゴルフを、途中で中止したものの、豪雨被害報道中に始めたこと自体に野党から批判を受けたり、インターネット上でも無神経といった批判が飛び出している。

 先ず、《海江田代表 「首相はなぜゴルフを強行」》NHK NEWS WEB/2014年8月20日 21時35分)から野党の声を取り上げてみる。

 海江田民主党代表「亡くなられた方々に、心からのお悔やみを申し上げるとともに、政府は全力を挙げて被災者の救出・救援に力を尽くしてほしい。

 午前6時半には広島県から陸上自衛隊に災害派遣の要請が行われており、大変緊迫した深刻な事態だったことは分かっていたはずなのに、安倍総理大臣は、なぜゴルフを強行したのか。安倍総理大臣は、日頃から『国民の命を守る』と言っており、しっかり、そうした行動を取るべきだ。行動が伴わなければ無意味であり、もっとまじめにやっていただきたい」

 片山虎之助日本維新の会国会議員団政策調査会長「安倍総理大臣は、ゴルフなどの行動を慎まなければならなかった。被害の情報を知っていたのか、知らなかったのか。トップとしての責任を負ったのかどうかを、追及しなければならない。政府の対応を審議するため、衆参両院で災害対策特別委員会を開くよう求めていきたい」

 小野結いの党幹事長「安倍総理大臣は、被害が出ているのに朝からゴルフをしていた。安倍総理大臣の対応が適切だったかどうか、事実を解明して、指摘すべき事項を精査していきたい」

 片山氏と小野氏は両党の両院議員懇談会のあと揃って記者会見した時の発言だそうだ。

 水野みんなの党幹事長「安倍総理大臣がゴルフをしていたからといって、条件反射的によいとか悪いとかは言えない。ただ、これだけの被害が出ているので、安倍総理大臣にどのような報告が上がっていたかなど政府の初動対応を検証する必要がある。衆参両院で、災害対策特別委員会を開いて議論することは、あってしかるべきだ」――

 確かに水野みんなの党幹事長が言っているように「条件反射的によいとか悪いとかは言えない」。この点について、マスコミ報道その他からそれぞれの事態進行を時系列に並べて見てから、検証してみることにする。参考記事は最後にアドレス付きで掲載。文字強調は当方。

 先ず最初に雨は8月19日夜から降り始め、特に激しい雨は8月20日未明に集中したということを断っておく。

 

 8月19日

・21:26、広島地方気象台が広島・呉に大雨・洪水警報発表。
・22:28、「大雨と落雷に関する広島県気象情報 第1号」発表、19日夜遅くにかけ雷を伴った激しい雨が降り、大雨となるおそれがあるとして、土砂災害、浸水害、河川の増水やはん濫に警戒呼びかけ。

8月20日

・01:15、広島県広島市と廿日市市に「土砂災害警戒情報 第1号」発表。広島県が災害対策本部設置。広島市は異常を感じた場合、早めの避難を心がけるよう注意喚起。
・01:35、広島市が災害警戒本部設置。
・03:20、広島市を流れる根谷川に「はん濫警戒情報」発表。
・03:30、広島市が災害対策本部設置。
・03:49、「広島県記録的短時間大雨情報」発表、03:30までの1時間に広島市安佐北区付近で約120mm、安佐北区上原で114mmの猛烈な雨。

04:00過ぎにかけ、広島市安佐北区・南区で土砂崩れの通報相次ぐ。
・04:15、広島市安佐北区の一部地域に避難勧告。
・04:20、根谷川「はん濫発生情報」発表、広島市安佐北区可部3丁目(上市井堰右岸)付近よりはん濫。
04:20、首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置。情報収集。
・04:30、広島市安佐南区の一部地域に避難勧告。

・06:00、広島県が災害対策本部会議、湯崎知事が人命救助を第一に警戒にあたるよう指示。
06:30、広島県が広島市の要請を受け陸上自衛隊に災害派遣要請。
07:22、安倍首相山梨県鳴沢村の別荘発
07:26、同県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」着。ゴルフ開始。
      森喜朗元首相、茂木敏充経済産業相、岸信夫外務副大臣、加藤勝信官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、日枝久フジテレビ会長、笹川陽平日本財団会長とゴルフ。
・07:30、広島市が災害対策本部会議、松井市長が人命救助を第一に警戒にあたるよう指示。
07:40、陸上自衛隊海田市駐屯地から隊員28人が安佐南区八木の土砂崩れ現場に出発。
09:19、安倍首相ゴルフを中止し、ゴルフ場発。
・09:22、別荘着。
・09:41、別荘発。
・10:59、安倍首相、官邸着
・10:00、陸上自衛隊海田市駐屯地から隊員約120人を増派。
11:15、首相官邸の情報連絡室を官邸連絡室に格上げ。

 政府は8月20日早朝4時20分に首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置、情報収集に当たっている。だが、首相官邸の主は安倍晋三であり、国民の生命・財産を守る第一位の責任者である。当然、情報連絡室を設置した時点で、安倍晋三に連絡を入れておかなければならない。でなければ、首相官邸の主に何の連絡もなしに情報連絡室を設置したことになる。

 また4時20分に情報連絡室を設置したということは、気象庁や国土交通省が発信している大雨情報と共に4時の時点で既にマスコミによる土砂崩れのニュースが相次いでいたことを受けた措置であって、災害下の住民の状況が緊迫した状態にあると考えたからだろう。国民の生命・財産を守る危機管理にどんな手抜かりも洩れもあってはならないはずだから、真夜中であろうとなかろうと、連絡を取ったはずである。

 だが、安倍晋三は7時26分にゴルフ場に到着、準備もあるだろうし、コースに出るまでに多少の時間はかかるから、7時40分かそこらからゴルフを始めた。

 ゴルフ開始が予想されるこの7時40分は陸上自衛隊海田市駐屯地から隊員28人が安佐南区八木の土砂崩れ現場に出発した7時40分と合致することになる。

 但し首相官邸が外からは実態を窺い知ることができない密室である性格上、実際に4時20分に設置したかどうかである。安倍晋三が豪雨被害や土砂災害報道中にゴルフを一時間以上もプレーし始めてしまったために、その失態を可能な限り挽回する必要上、ゴルフ開始時間より遥かに早い時間の4時20分に設置したことにした、後付けの可能性は否定できない。

 この根拠として、情報連絡室設置の最も早いニュースは、調べた限りだが、時事通信社の記事を配信する形の「The Wall Street Journal」の「8月20日 09:06」発信を挙げることができる。

 「FNN」は「8月20日 10時44分」発信。「NHK NEWS WEB」は、「8月20日 11時30分」の発信。

 いずれも安倍晋三のゴルフ開始が予想される7時40分以降の発信となっている。但し「The Wall Street Journal」の「8月20日 09:06」発信は、安倍首相がゴルフを中止した9時19分よりも早いことから、ゴルフ中止後の後付けの設置の疑いをかけることは不可能となる。

 広島県が広島市の要請を受けて陸上自衛隊に災害派遣を要請したのは8月20日午前6時30分。陸上自衛隊海田市駐屯地から隊員28人が安佐南区八木の土砂崩れ現場に出発したのは午前7時40分。要請から出発までに1時間10分もかかっているのは、要請が県知事から「防衛大臣又はその指定する者」を経て、「防衛大臣又はその指定する者」が関係者と検討し、自衛隊部隊に出動命令を出すまでに一定の時間を要したからだろう。

 部隊自体の出動はいつでも出動できる態勢にあるだろうから、それ程時間はかからないはずだ。それなりの準備と装備を必要とする海外派遣ではない。国内出動に時間がかかりましたでは軍隊とは言えない。

 「自衛隊法第83条」は災害派遣について次のように規定している。

〈第83条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。

2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。〉――

 当然、小野寺防衛相、「又はその指定する者」が部隊出動を決定した時点で、安倍晋三が自衛隊の最高指揮官であるということからだけではなく、国民の生命・財産を守る第一位の責任者であることを踏まえて、その危機管理からも安倍晋三に部隊出動を報告していなければならない。

 問題は県知事からの自衛隊派遣の要請が「防衛大臣又はその指定する者」に届いた時点で、「防衛大臣又はその指定する者」からこういった要請があったと首相に報告するのか、「防衛大臣又はその指定する者」が災害派遣を決定して、自衛隊部隊に出動命令を出してから、首相に報告するのかである。

 前者なら、広島県知事が陸上自衛隊に災害派遣を要請した8月20日午前6時30分からそんなに遅くない時間に要請は安倍晋三の耳に達していることになる。 

 後者なら、陸上自衛隊海田市駐屯地から部隊が出立した午前7時40分よりも前に、いわば安倍晋三がゴルフを開始する前か、あるいは開始したばかりの時間に報告が届いていたことになる。部隊派遣の報告のみならず、災害の状況も報告したはずだし、報告していなければならない。

 「NHK NEWS WEB」記事が、裏山が崩れて土砂が住宅に流れ込み、子ども2人が生き埋めになったと見て消防が捜索するニュースを8月20日5時56分発信で既に伝えている。

 その内の一人が心肺停止で発見されたニュースは6時25分の発信。マスメディアは非情にも死を淡々と伝えていく。幼い命までも含めて。

 こういった国民の生命が失われていく状況も安倍晋三には報告されていたと見なければならない。

 もし安倍晋三がゴルフを開始する前に報告が届いていたとしたら、予定通りゴルフを始めたことは大問題となるが、例えゴルフを開始してからの報告であったとしても、直ちに中止して首相官邸に向かって危機管理の指揮を取るのが「国民の生命と財産を守る」第一位の責任者の務めであるはずだが、「国民の生命と財産を守る」責任を横に置いて1時間以上もゴルフを続けた。

 もし安倍晋三がそういった状況にあったなら、実際に4時20分の早い時間に情報連絡室を首相官邸の危機管理センターに設置し、情報収集に当たっていたとしても、その多くの意味を失う。

 「国民の生命と財産を守る」第一位の責任者である安倍晋三自身の姿勢が何よりも問題となるからである。

 安倍晋三は集団的自衛権行使の目的に「国民の命と平和な暮らしを守る」を常套句としているが、その責任を負うことの宣言でもあるのだから、「国民の生命と財産を守る」首相としての危機管理にしても、その責任を負う宣言となる以上、言行一致・有言実行の体裁を取らなければならない。

 だが、実態は逆の姿を取った。国民に対する意識がその程度であるなら、集団的自衛権行使に関わる「国民の命と平和な暮らしを守る」にしても、同じ程度と見なければならない。

 安倍晋三の本質は国家主義者である。国家主義者は国民の在り様よりも国家の在り様を優先させる。当然の国民に対する意識と見なければならない。

 今回のゴルフに譬えるなら、その国家主義は広島市の土砂災害下の国民よりも森喜朗元首相、茂木敏充経産相、岸信夫外務副大臣、加藤勝信官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、日枝久フジテレビ会長、笹川陽平日本財団会長といった国家の上層を占める面々との関係を優先し、大事にしたところに現れているということである。

 《広島市で局地的豪雨、土砂災害多発で死者・行方不明者40人以上か》Yahoo!/ 2014年8月20日 18時00分) 

 《首相動静(8月20日)》時事ドットコム/2014/08/20-14:07)
 
 《広島市 住宅に土砂流入 子ども2人不明か》NHK NEWS WEB/2014年(8月20日 5時56分)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140820/k10013931791000.html

 《広島市 子ども1人心肺停止で発見》NHK NEWS WEB//2014年8月20日 6時25分)

 《広島県広島市における人命救助に係る災害派遣について(09時30分現在)》防衛省/平成26年8月20日)

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小沢一郎生活の党代表の民主党との統一会派問題、消費税増税反対を言ったわけではない

2014-08-20 07:33:20 | Weblog


 民主党の海江田代表が、〈来年春の統一地方選挙や国政選挙に向けて野党間の協力関係を強化するため、秋の臨時国会に政府・与党が提出する法案への考え方が一致する政党と、統一会派を組むことを模索する考えを示し〉たことに対して小沢一郎生活の党代表が、〈「大変結構なことだ」と述べ、民主党から打診があれば前向きに対応したいという考えを示し〉たと、次の記事が伝えている。

 《小沢代表 統一会派打診あれば前向きに》NHK NEWS WEB/2014年8月18日 16時56分)

 8月18日の愛知県豊橋市での記者団に対する発言である。

 小沢一郎生活の党代表「野党第1党の代表である海江田氏が、『野党が協力していかなければならない』と公然と話すようになったことは、大変結構なことだと思っている。

 野党間の連携は、国家的な基本の問題が一致していればよく、集団的自衛権を巡っては民主党とわれわれの考え方は同じだ。消費税の問題についても、私は税率の引き上げに反対しているわけではなく、『民主党が政権を取る際に掲げた約束を破ってはいけない』と言ったのであり、その面でも何ら支障はない」

 小沢一郎代表は集団的自衛権に関しては一内閣による憲法解釈変更ではなく、国民の意思を問う憲法改正で行使容認へ持っていくべきだと主張している。

 また、民主党時代の消費税増税反対は、民主党が4年間は消費税増税は行わないというマニフェストのもと2009年総選挙を戦い、安定多数を獲得する圧倒的な議席獲得で勝利し、政権交代を成し遂げた関係から、マニフェストに忠実であるべきだとの姿勢を貫いたに過ぎない。

 勿論、当時の小沢氏には政局もあっただろう。政治は議席が深く関係することも強く認識している政治家でもあった。政権交代が単なる4年間ではなく、せめて2期8年はと考えていたはずだ。

 政治が議席でもあることは現在の民主党が一番悔しい思いで噛みしめているはずだ。議席を失うということは政治の手足をもぎ取られるに等しい。
 
 4年間は消費税増税は行わないというマニフェストにも関わらず、鳩山首相の後継の菅無能は2010年7月の参議院選挙のたった1カ月前の参院選マニフェスト発表の2010年6月17日記者会見で、突然消費税増税を表明した。

 党で何の議論もせず、何の準備もしていないかった。このことは増税率に現れている。

 菅無能「なお、当面の税率については、自由民主党のが、提案されている、ジュウ、10%という、この、数字、10%を、一つの、参考とさせていただきたいと、考えております」

 単なる官僚ではなく、国民の生活を預かっている政治家なのだから、国民の生活及び経済への影響と必要税収との兼ね合いで重い気持ちで算出すべき税率を野党の税率を参考にし、それを「当面の税率」と言うお手軽さからは周到な準備も前以ての議論も窺うことはできない。

 お手軽だったからこそ、菅無能は参院選の遊説で発言がコロコロと変わることになった。

 年収に応じて消費した金額にかかる消費税分を全額還付するという逆進性緩和対策を打ち出したのはいいが、秋田市内での遊説では、「年収が300万円とか350万円以下の人」を対象とし、青森市での遊説では「年収200万円とか300万円」、山形市では「年収300万~400万円以下の人」と遊説の先々で年収に違いを見せた。

 大体がはっきりしないことを言う「とか」という言葉で年収を打ち出す曖昧さは何の準備もないままに消費税増税を言い出し、参院選挙中も準備のない状態だったことの証明でしかない。

 何というお手軽な国家リーダーだったのだろうか。そのお手軽さゆえにマスコミや国民の嘲笑の対象となった。内閣支持率は下がり、2010年7月11日投開票の参院選は現有54議席を下回る44議席、過半数を失うねじれ状態の大敗は当然の結果だった。

 菅無能はこの参議院与野党逆転状態を政策を成立させるためには“熟議”を必要とする新しい局面を迎えた「天の配剤」だと言い放った。自身の無能の結果を天が与えた良い結果だとしたのである。

 そして菅無能の後継の野田首相も4年間は消費税増税はしないとしたマニフェストに違反して消費税増税を言い出した。

 国民の「マニフェスト違反」という批判にも耳を貸さなかった。

 ところが、野田首相の民主党幹事長代理時代の2009年衆院選選挙での大阪16区民主党森山浩行候補応援演説のビデオがインターネット上に出回ることになって、菅無能同様に国民やマスコミの嘲笑の対象となった。

 野田佳彦幹事長代理「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。
それがルールです。

 書いてないことを平気でやる。これっておかしいと思いませんか。書いてあったことは4年間何にもやらないで、書いてないことは平気でやる。それはマニフェストを語る資格がないと、いうふうに是非みなさん思って頂きたいと思います。

 その一丁目一番地、税金の無駄遣いは許さないということです。天下りを許さない、渡りは許さない。それを、徹底していきたいと思います。

 消費税1%分は、2兆5千億円です。12兆6千億円ということは、消費税5%ということです。消費税5%分のみなさんの税金に天下り法人がぶら下がってる。シロアリがたかってるんです。

 それなのに、シロアリ退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか?消費税の税収が20兆円になるなら、またシロアリがたかるかもしれませ ん。鳩山さんが4年間消費税を引き上げないと言ったのは、そこなんです。

 シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方です」――

 「鳩山さんが4年間消費税を引き上げないと言ったのは、そこなんです」と言いながら、その舌の根をまるきり別人のものに変えてしまった。

 マニフェスト違反という批判に対しては、法律は通しても、実際の増税時期は衆院任期4年後の2014年8%、2015年10%だからマニフェスト違反ではないと強弁した。

 民主党が2009年8月30日総選挙投開票で圧勝して政権を獲得した際の議員の任期は解散がなかった場合、2013年8月29日が任期満了である。自民党にしても消費税増税をマニフェストに掲げていたのだから、途中解散であっても、任期満了後の解散であっても、解散後に双方同じスタートラインに立って、ヨーイドンで消費税増税を国民に問い正しても良かったはずだ。

 少なくとも国民からマニフェスト違反の批判は受けることはなかった。つまり失点を少なくすることができた。ねじれ国会下、消費税増税法案を成立させるために自公の協力を得る必要上、「近いうちに国民の信を問う」と解散を交換条件にすることもなかった。

 また、その「近いうちに」をズルズルと伸ばして、「近いうちとはいつのこと」だと、なおマスコミや国民の嘲笑を誘い、さらに失点を重ねることとなったが、そういったこともなかったはずだ。

 失点を可能な限り抑えて、嘲笑の対象となることをできるだけ避けていたなら、自民党に大敗した2012年12月総選挙はまた違った様相を呈することになっただろう。

 政治には政局をも必要とするという考えに立って政局を政権運営の駆引きに利用することも満足にできなかったばかりか、政局との連携がないままに政策だけで突っ走る単純さが災いして民主党の凋落を招くことになった。

 菅無能にしても野田首相にしても、特に菅無能は民主党が評判を下げていく過程で小沢氏を悪者にして自分たちを正義の人に位置づけ、政権浮揚を謀ったが、所詮政治の素人に過ぎなかった。

 マスコミや野党も野田や菅無能の遣り方を真似た。小沢氏の民主党からの離党は周囲が追い込んだ側面もあったはずだ。

 海江田執行部は統一会派を組むことができるかどうか協議の結果、生活の党と組むことができるということなら、小沢氏から政局を少しは学ぶべきだろう。キレイゴトばかり言っても、政治は成り立たない。

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安倍晋三成長戦略中核「女性登用」のカギ長時間労働抑制は日本企業の国際競争力を失わせないか

2014-08-19 09:33:43 | Weblog


 2014年8月17日放送のNHK「日曜討論 どうあるべきか?”女性活躍”社会」は安倍晋三が成長戦略の中核としている女性の活躍・登用をテーマに議論していた。出演の女性陣は女性の活躍・登用を阻んでいる大きな壁の一つが男たちの長時間労働にあると批判していた。

 要するに男と一緒に長時間労働に励んでなどいられない。その理由は男共は長時間労働にハマり込んで家庭をなおざりにすることはできるが、特に子どものいる女性は長時間労働にかまけて家庭をなおざりにすることはできないということなのだろう。

 高い地位を目指そうとする女性は子どもに高い学歴を目指させる。目指す高い地位のバックボーンの一つとなる自身の高学歴に見合う高学歴を子どもに与える子育ての能力を仕事の能力に反して欠いた場合、優先順位を間違えたと取られるだろう。双方を両立させなければ、高い地位を得たとしても、盤石さを失うことになる。

 だからこそ、家庭を顧みないわけにはいかない。男たちは子育ての責任も女性におっかぶせて、家庭を顧みない長時間労働に埋没することができる。
 
 尤も番組によると、安倍内閣にしても女性の活躍・登用政策の一つに「男女共に仕事と子育てが両立できる環境整備」を掲げて、「待機児童解消・学童保育拡充」と共に「長時間労働の抑制」を目標としている。

 だが、果たして長時間労働を日本の企業文化から削り取ったら、日本の企業の国際競争力を削ぐことにならないだろうか。

 先ずは番組が用いた統計を主体に長時間労働に関する議論をざっと眺めてみる。

 安倍内閣の女性の活躍・登用政策

 ・女性の指導的地位に占める割合を2020年までに30%に引き上げる。
 ・中央省庁の幹部人事で女性職員を相次いで登用。局長級以上は8人から10人に増加している。

「民間企業調査―今後女性管理職が増えるかどうか」(帝国データバンク7月調査) 

 調査対象企業 23485社
 回答企業   11017社

 「増える」20%
 「変わらない」61%
 「減る」1%
 「分からない」18%

 女性登用に積極的ではない企業の姿が浮かんでくる。特に調査対象企業23485社に対して回答企業が11017社、つまり非回答企業12468社となっていて、回答企業よりも非回答企業が上回っているところにも女性の昇進に消極的である姿を窺うことができる。

●日本の15歳~64歳生産年齢人口

 2013年7901万人
 2060年4418万人(予測)

 後の方で大沢真知子日本女子大学教授が言っている。

 「働き方を選べないために働いていない女性が約300万人。非常に大きな人的資源のロスがある」

 生産年齢人口の減少を少しでも埋めるためにも女性の活躍・登用が喫緊の課題となっているというわけである。

「役員・管理職に占める女性の割合」(企業規模100人以上)

 2013年7.5%
 
 (「賃金構造基本統計調査」厚労省)

 加藤勝信内閣官房副長官「役員・管理職に占める女性の割合は7.5%ですが、2012年は6.9%で、1割増えていますから」

 自然な形の増加なのか、安倍内閣が「女性の活躍、女性の活躍」とうるさく言うから、企業側が尻を叩かれているような気がして受動的に増やしたのか、中身が問題となる。

 大体が欧米と比較して役員・管理職に占める女性の割合が低いのは日本人の権威主義を背景とした男尊女卑が戦後も後を引いてその名残りとして今もある男の女性に対する差別観に準じた能力評価も影響している一つの状況であって、このような差別観がなければ、欧米と比較した割合がこうまでも格差を生むことはないはずである。

 安倍内閣の「女性の活躍、女性の活躍」の声が影響していることは番組が紹介しているように経団連が女性管理職登用の自主行動計画策定を加盟企業に要請したことに現れている。

 この要請を受けて、トヨタは2020年までに女性管理職を3倍とする目標を掲げ、全日空が2020年までに女性役員を2名以上登用する目標を掲げたとしている。

 ここで女性の昇進意欲に関わる調査の報告が提示される。

「課長以上への昇進希望」(独立行政法人労働政策研究所・研修機構/平成24年度調査)

 女性11%
 男性60%

 調査対象企業6000社/回答企業1036社

 調査対象企業6000社に対して回答企業が1036社のみというのも女性の昇進に熱心でないことに対応した調査に対する不熱心と見ることができる。

 女性の低い昇進意欲は次の調査にも現れている。

「女性が希望する就業形態」(内閣府作成/平成25年度)

 正規16%
 非正規72%
 自営業5%
 その他7%

 番組は伝えていなかったが、平成26年(2014年)6月分「労働力調査(基本集計)」(速報)(総務省統計局/平成26年7月29日)による「男女雇用形態」は次のようになっている。

 役員を除く雇用者     5260万人  男性2903万人         女性2357万人
 正規の職員・従業員   3324万人   男性2274万人(78.3%)   女性1049万人(44.5%)
 非正規の職員・従業員  1936万人   男性629万人 (21.7%)  女性1309万人(55.5%  

 年度の違いは無視するが、要するに男性正規社員2274万人のうち60%が「課長以上への昇進希望」を持ち、女性正規社員1049万人のうち11%が「課長以上への昇進希望」を持っていると比較することができる。男性と女性の正規社員の数を同数とすると、女性の昇進意欲は24%程度となる。

 現在の女性に厳しい男女雇用状況に於いて男女昇進意欲の差が36%ということなら、雇用状況の改善によってその差はかなり縮まることが考えられる。キャリアを経験した女性が結婚・出産→退職→子育てと段階を経て、仕事上のブランクからキャリアに戻る道を閉ざされて不本意ながら非正規の仕事に再就職という形を取る、いわば大沢真知子日本女子大学教授が言っている「働き方を選べない」女性たちの昇進意欲を問題外とさせることになり、そういった状況を身近で学ぶ女性が現れた場合、そのような女性にまで影響する昇進意欲ということになって、これらのことを加味して男女昇進意欲の格差を考えずに単に数値だけを表面的に把えて男女の本質的な資質の問題としたなら、大きく過つことになるはずだ。

 次に番組が紹介した統計、「妻は家庭を守るべき」と考えている男性は半数を超えて、女性は約半々となっていて、女性自身の外で働く意欲はなかなかの旺盛さを示している。

「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきか」(内閣府/平成24年調査)

 男性          女性

 賛成55%       賛成48%
 反対41%       反対49%
 分からない4%      分からない3% 

 但し男性の場合、収入が多い男性程、「妻は家庭を守るべき」という傾向が多いはずだ。男性一人の収入での生活の遣り繰りが十分に可能であり、逆に低収入程、妻の収入が必要になって、タテマエは「妻は家庭を守るべき」と考えていたとしても、現実にはそんなことは言っていられないことになる。

 番組への意見が紹介されている。

 66歳千葉県男性「全ての女性が先頭に立つ意欲と責任感を持つのは難しい」――

 「女性」を男性という言葉に置き換えても論理的に成り立つ。

 「全ての男性が先頭に立つ意欲と責任感を持つのは難しい」――

 女性だろうと男性だろうと、同じ状況下にある。だが、この66歳千葉県男性は「全ての女性が先頭に立つ意欲と責任感を持つのは難しい」と言うことによって、女性の資質を男性の資質の下に置いている。男女の性別に関係なしに個々の資質でその有能性を考えるべきだろう。

 番組で女性の昇進意欲の障害となっている長時間労働を雇用状況改善の一つとして最も強く槍玉に挙げていた出演者の発言をここに掲載してみる。

 小室淑恵株式会社ワーク・ライフバランス 代表取締役「現在の管理職の長時間労働では昇進したいという気持を起こさせない。管理職になるっていうのは無制限に働いて、責任が重くなって、残業代がなくなる。そして家庭が崩壊する職場を意味するから、そこに行くのは全くナンセンスであると(多くの女性たちが)言っている。

 管理職になりたくないって言ってるのではなく、今目の前にある管理職にはなりたくないと言っているに過ぎない。

 大事なのは女性をこれから登用しようと言うときに今までと同じ長時間労働にすべてを捨てる覚悟がある人は入れてあげますよということを続ける限りは、みんなで崩壊していくという道に入ってしまう。

 男性の長時間労働によって崩壊している方(かた)が多いですが、男性の働き方も変えていく。そして女性がきちんと両立しながら、上に上げるというイメージを持たなければならない。

 (中略)

 男女共に時間内で管理職が果たせるというモデルを作っていく。これをセットでやらなかったら、今回の女性活躍は大失敗で終わるのではないかと思う」――

 「男女共に時間内で管理職が果たせるというモデル」作成の必要性を説いている。要するに就業時間が夕方5時なら、管理職であっても、男女共に夕方の5時にまでに管理職の職務をこなして退社する制度としなければ、安倍晋三の女性の活躍・登用は「大失敗で終わる」とまで言い切っている。

 そうなれば確かに日本のサラリーマンは会社人間から脱することができる。

 だが、小室女史が言っていることは可能なのだろうか。

 加藤勝信内閣官房副長官(長時間労働抑制の必要性の文脈で)「現在でも霞ヶ関では週60時間の残業を働いている方が1割ぐらいいる」――

 改めなければならないと言っているのだが、現実の長時間労働文化を考えた場合、一朝一夕に改めることができるとは考えにくい。

 改める唯一の方法は夕方5時以降の残業仕事を新規に必要人数分を雇用して、外交等の特別な職務は除いて夕方5時までにその日の仕事をすべて終えさせることである。このような制度にすれば、全員がハッピーに夕方5時に退社することができる。

 この制度を民間会社・官公庁すべてに広げる。

 但し日本の企業や官公庁が社員や職員に長時間の残業労働を強いるのは人件費抑制策となるからである。例え残業時間分25%割増の残業代を支払っても、新規に雇用して、その人数分の厚生年金会社負担分や通勤費、住宅手当、家族手当等々を支払うよりも安く抑えることができるからだろう。新規雇用の負担が安くつくなら、誰が残業を強いるだろうか。

 いわば長時間労働抑制は企業の人件費増加策を伴って初めて可能となる。人件費増加は必然的に2913年9位の日本企業の国際競争力をなお低下させることになる。結果として企業の人件費の安い国への移転をなおのこと加速させない保証はない。

 長時間労働抑制策はまた、安倍晋三が掲げる、働いた時間に関係なく、成果に対して賃金を支払う仕組みのホワイトカラー・エグゼンプション、別名「残業代ゼロ」制度にも反することになる。

 成果が定例の就業時間内に上がればいいが、上がらないとなれば否応もなしに残業代ゼロで残業することになり、長時間労働抑制は有名無実化する。

 日本の企業文化とも言うべき長時間労働制度の壁は社員の精神にも染み付いていて、それを打ち破るのは至難の技である。だが、生産年齢人口減少を睨んだ女性の活躍・登用の機会を広げるためには長時間労働制度を打破しなければならない。

 長時間労働抑と女性の活躍・登用の両立の難解な方程式をどう解くかにかかっている。安倍晋三のお手並み拝見といくしかない。

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NHK報道「路上生活者4割襲撃経験」の現代日本社会と戦争中の社会的弱者排除の共通性

2014-08-18 09:36:47 | Weblog


 ツイッター、その他で次の記事がインターネット上で盛んに取り上げられていた。それだけ関心が高かったのだろう。その多くが批判的見地からの嘆かわしさを示す関心のようだった。

 《路上生活者の4割が襲撃受けた経験》NHK NEWS WEB/2014年8月14日 19時48分)
 
 東京都内でホームレス等を支援している団体が新宿や渋谷、池袋などのホームレス300人余りに聞き取り調査を行った。

 「襲撃を受けた経験」

 「よくある」7%
 「たまにある」20%
 「過去にはある」13%

 合計40%の経験。

 「加害者」

 「子どもや若者」38%
 「大人」22%
 「その他・不明」40%

 大人の加害者が存在するとは意外である。

 「具体的な襲撃の方法」

 「空き缶や石の投擲」
 「花火を打ち込み」
 「物を使った暴力」

 「物を使った暴力」とは、バットや棒を使って直接殴ったりすることなのだろうか。

 襲撃時期は夏場に多いということである。
 
 調査団体「こうした暴力が人の命を奪うことさえあることを、若者たちが認識していないとしたら恐ろしいことだ。人権について、教育現場でしっかり学べるようにしてほしい」

 周知のようにホームレス襲撃は今に始まったことではない。襲撃の口実もほぼ決まっていて、決まっているがゆえに月並み化することになっている。「ゴミ」、「最低」、「生きる価値がない」、「人間のクズ」といった、ほぼ同じ口実となっている。

 口実から現れる襲撃の本質的な理由はホームレスは社会に役立たない存在だということであろう。

 2007年5月にベンチに寝ていたホームレス男性の腹の上にライターオイルを入れたポリ袋を置いてライターで点火した5人の少年うち、主犯のタイル工(17歳)の取調べに対する供述に襲撃の口実が最も象徴的に凝縮されていいる。

 タイル工「ホームレスはゴミだ。人間として最低で、世の中の役に立っておらず、犬や猫と一緒。生きていようが死んでいようが気にしない」(スポーツ報知

 だが、このタイル工にしても、他の襲撃者本人にしても気づいていないが、襲撃の真に本質的な理由は襲撃者自身が襲撃行為によってホームレスを最低の人間の位置に置くことで自身をそれより上の位置に置いて、自分たちをホームレスと違って社会に役立つ存在だと確認することにある。

 なぜなら、「あいつは役に立たない人間だ」と言うとき、その人間との比較で自身を役に立つ人間だとしていることになるからであり、それと同じ論理に立っているからだ。

 ホームレスが例え社会に役立たない存在であったとしても、それぞれが喜怒哀楽の感情を持って生きている生身の人間である。思いならぬままに喜怒哀楽の感情の十全な活動を渇望し、その感情を呼吸させる権利は等しく誰にもある。 

 ホームレス襲撃者は社会に役立たない存在=喜怒哀楽の感情の十全な活動を許されない存在としている過ちに気づいていない。

 この記事に触れたとき、2014年8月9日(土)放送のNHK ETV特集『”戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~』を思い出した。再放送を8月16日(土)午前0時00分から行っている。

 番組は世田谷区にある昭和7年創立の肢体不自由児が通う光明(こうめい)特別支援学校が肢体不自由児は戦争に役立たないという一点で学童集団疎開から外されたことを題材としている。

 太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲による被害を避けるために国は大都市の児童約60万人を農村地帯などに学童の集団疎開を決め、昭和19年6月30日に「学童疎開促進要項」を閣議決定した。

 実施要項は国が一部補助金を出して東京都など対象の都府県が宿泊施設、移動手段、引率教職員の体制、疎開先での教育内容の準備等、疎開の手筈を整えることになっていた。

 学童集団疎開の理由。

 上田誠一内務省防空総本部総務局長「疎開によって人的にも物的にもいわゆる戦闘配置を整えて、国家戦略の増強に寄与せしめることを狙っておるのであります」

 要するに大都市空襲に備えて、子どもたちの避難や保護に手を煩わされることを前以て排除して戦闘に専念できる体制とするための学童集団疎開だった。突き詰めて言うと、足手纏いとならないようにしたということであろう。

 但し希望する全ての学童が対象ではなく、昭和19年7月10日策定の「帝都学童集団疎開実施細目」は「虚弱児童等ノ集団疎開ニ適セザル者ハ努メテ縁故疎開ニ依ラシムル如ク措置スルコト」となっていた。

 親戚とか知人を頼って個人的に疎開して貰いたいと。地方に親戚や知人がいない家庭は自身の居住地にとどまるしかない。

 昭和19年8月策定の、現在の品川区に入っている荏原区の「学童集団疎開衛生注意事項に関する件」、その他の区は「帝都学童集団疎開実施細目」の「虚弱児童等ノ集団疎開ニ適セザル者ハ努メテ縁故疎開ニ依ラシムル如ク措置スルコト」を受けて、「集団疎開参加不適当疾病異常標準」を決めて、その中に開放性結核、トラホーム、疥癬、喘息、癲癇、夜尿症、肢体不自由、性格異常等を指定している。

 肢体不自由児が通う光明(こうめい)特別支援学校は世田谷区に所属しているが、世田谷区も「集団疎開参加不適当疾病異常標準」に倣っていたのだろうか、国の学童集団疎開から外された。

 当時の日本は各地域から集団疎開参加不適当疾病者のみを一つの集団に編成して、集団疎開させるという思想がなかった。いわば肢体不自由児その他は足手纏いの中にも入れて貰えなかったということになる。人間の数のうちに入れてもらえなかった。

 当時の在校生「身体の不自由な人間に鉄砲は持てないから、生きている必要はないと言われた」

 当時の在校生「兵隊になれないのは人間じゃないみたいに思われた。人間扱い受けなくなった」

 鉄砲を持ってお国のために戦うことができるかどうか、一つの可能性に限定して、その他の可能性を排除し、一つの可能性のみで人間の価値を決める。一般市民としての生き方さえ認めようとしなかった。

 当時の松本保平校長手記「都の学務課に相談しても全くのお手上げ。一般学校の疎開事務に忙殺されて、光明までは手が回りかねるという。同じ学校でありながら、肢体不自由児学校は都の厄介者か。お荷物か」

 軍部の厄介者視・お荷物視を受けた都の厄介者視・お荷物視であろう。軍の命令・意向は絶対だったからである。勿論、軍部の障害者に対する厄介者視・お荷物視は日本人の障害者蔑視・障害者差別が背景にある。

 日本人の元々の障害者蔑視・障害者差別を受けた軍部の障害者に対する厄介者視・お荷物視である。

 松本保平校長手記「一個の生命が顧みられないところに、すべての個性は軽んじられる。教育は、すべてのものの教育である。肢体不自由児も教育を受けることによって有能な社会人となる」――

 昭和19年7月、松本保平校長は都心から通う子どもが多かったため周辺に田圃が広がる学校に避難させた方が安全と考えて、「現地疎開」と名づけて学校を疎開先とした合宿生活を決める。そして万が一を考えて、校庭に防空壕を4個所造る。

 光明学校に通っていた子どもたち111人のうち、半数を超える59人が親元を離れて学校に寝泊まりすることになる。現地疎開者は教職員と合わせて150人の総勢となった。

 そして昭和20年3月10日、東京都心が大空襲を受けることになる。

 校長手記「ここも安全な地ではない。これ以上とどまるのは危険である。『太古では、生存のための闘争が激しかったので足手まといの肢体不自由児や老人は常に取り残されて、死ぬがままに任された』と記録にあるが、いまは太古ではないはずだ。

 疎開先は自分で見つけるしかないだろう。しかし、光明の児童を引き受けてくれる県があるだろうか」

 松本保平校長は自力で集団疎開先を長野県の温泉地上山田村にやっとのことで決め、生徒の移動手段も荷物の運搬手段も自分で手配する。鉄道局に3日通い続けて、客車1両を貸し切って貰うことにし、治療器具の輸送は学校近くの陸軍の部隊長に直訴。「本土決戦になった場合、肢体不自由児は足手纏いになります。この児童がいなければ、それだけ戦力は増強します。 是非、引っ越しに手を貸して下さい」と、わざと陸軍にとっての邪魔者だからと逆説的迎合を用いて懇願、部隊長はトラック10台で治療器具運搬を引き受けさせるに至る。

 治療器具運搬がトラック十台も要し、対して生徒が50人の集団疎開。学校を合宿場所とした「現地疎開」そのものが生徒59人に対して教職員が91人も占めていた理由は、残されていた16ミリフィルムの映像でも紹介していたが、手足をマッサージしたり、不自由な体の部位を矯正する、今で言うリハビリを施す職員を大勢必要治していたからであって、そのための治療器具がトラック十台ということであるはずだ。

 教室での授業も普通の学校と同じ音楽や理科、算数等々を行い、手に職がつくようにと男子に対しても裁縫の授業を行っていた。

 それだけ手厚い、社会参加にも向けた教育も含めて行われていたということなのだろう。生徒それぞれに対して一個の人間としての価値を認め、尊重していた。

 だが、国は戦争に役立たない存在だという一点で肢体不自由児、その他を排除した。人間としての価値を認めない排除であった。

 肢体不自由児、その他の障害者の遥か上に自分たち人間を置いていた。

 当時の国や軍部や都や、さらには一般国民にもあった障害者に対する価値観は現在のホームレス襲撃者のホームレスに対する価値観に通じているはずだ。社会に役立たない存在と看做すことによって人間としての価値まで否定する思想に於いて両者は相通じ合っている。

 あるいは当時の国や軍部や都や、さらには一般国民にもあった障害者蔑視・障害者差別の価値観を現代のホームレス襲撃者は色濃く受け継ぎ、彼らの血の中に生きづいている。

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安倍晋三は8月15日敗戦記念日に実質的には何重にも靖国参拝をしている

2014-08-17 04:25:41 | Weblog


 安倍晋三は日本敗戦の日という日本国にとって重要且つ大事な8月15日に今年は靖国神社に自ら足を運んで、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれ」と参拝せずに、萩生田自民党総裁特別補佐を使って、「自民党総裁・安倍晋三」名で私費で玉串料を納めさせ、参拝に替えた。

 と言っても、萩生田が安倍晋三代理とし「お国のために尊い命を落とした」と参拝しなかったわけではあるまい。

 近親者のお墓参りにしても、自身は忙しいからと代理を頼んで墓参りさせることもある。自身は自宅の仏壇や遺影に手を合わせて拝んで墓参りの替りとする。

 安倍内閣では今回も古屋、新藤、稲田朋美の3閣僚が参拝を果たした。自民党からは国家主義のベッドで睦み合っている高市早苗が参拝。この連中にしても同じだろう。

 「総理の分まで頑張って参拝する」と意気込んで靖国神社に足を運び、先ず最初に、「これは総理の参拝です」と言って、総理として手を合わせて頭を下げ、次は自分の参拝として手を合わせて頭を下げる。

 参拝後機会を見つけて安倍晋三に、「総理の分まで参拝してきました。お国のために戦い、尊い命を犠牲にされた。日本が今あるのはあなた方が命を投げ打って国を守ろうとした、その気概があったからこそですとご英霊に総理の言葉として手向けてきました」とか言って報告する。

 安倍晋三自身も萩生田が靖国神社で頭を下げる時間を見計らって首相官邸の自身の執務室などから靖国神社の方向に顔を向けて手を合わせ、参拝したはずだ。 

 その上、古屋や新藤や稲田朋美や高市早苗やその他その他がが雁首を揃えるように次々と「総理の分まで」と安倍晋三に成り代わって参拝し、「総理の分まで参拝してきました」と手柄顔に報告する。

 安倍晋三が実際に靖国神社に足を運ばなくても、忠実な部下たちの忠実な行為に満足して、気分の上では実質的には何重にも参拝したと同じ達成感を得ることができていただろう。

 靖国参拝で戦没者を「お国のために命を捧げた」と顕彰することは戦没者の戦前日本国家に対する行為を正当化すると同時に戦前日本国家そのものの正当化に当たる。戦没者の戦前日本国家に対する行為は正当化するが、国家そのものは肯定しないと言うことなら、国家と兵士の関係に於ける相互性の矛盾を示すことになる。

 戦前の日本国家を思い浮かべて、「お国のために」とか「国のために」と言った瞬間、あるいは思った瞬間、戦前日本国家であるその「お国」を、あるいはその「国」を肯定し、正当化していることになるということである。

 当然、天皇制への郷愁も胸に抱いていることになる。国家主義者、我が安倍晋三の性懲りのなさよ!! 

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安倍晋三の積極的平和主義も地球儀を俯瞰する外交も見えない戦没者追悼式式辞

2014-08-16 07:44:23 | Weblog

 
 安倍晋三の今年2014年8月15日の全国戦没者追悼式式辞が第1次安倍内閣を含めて歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省の言葉、それに「不戦の誓い」が抜け落ちていると話題になっている。

 但し今回は「平和への誓いを新たにする日です」と言っているから、文言上、あくまでも文言上、不戦への決意は弱められることになるが、「平和への誓い」イコール「不戦の誓い」だと言えないことはない。

 言葉通り「不戦の誓い」を掲げた場合、安倍晋三は集団的自衛権行使で戦争をする国へと変貌を成し遂げようとしているのだから、実際に戦争した場合、後から戦没者追悼式式辞でウソをついたと非難を受けることになる。それを前以て避けるために「不戦の誓い」から「平和への誓い」へと変えたと見るべきだろう。

 例え戦争をして、「平和への誓い」を破ったのではないかと批判されても、「平和のための戦争だ」と言い抜けることができる。

 だとしても、2007年の第1次安倍内閣の式辞で述べた「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」とした加害と反省の言葉の抜け落ちは見過ごしてもいいだろうか。

 確かに戦没者追悼式は日本人の戦没者を相手とした式典であって、日本と戦って亡くなったアジアや欧米の戦没者を相手とした式典ではない。具体的な追悼対象者は第2次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人と空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人となっている。日本人の戦没者と日本の国に思いを馳せるのみで役目を果たすことができる。

 昨年と今年の安倍晋三の式辞はそういった内容となっていて、十分に役目を果たしたことになる。そしてその思いの馳せは次の言葉に要約されている。

 「戦没者の皆様の貴い犠牲の上に今、私たちが享受する平和と繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません」――

 例え現在、「平和と繁栄」を享受していたとしても、サイパン陥落を受けて米軍の投降勧告に応じずにバンザイクリフから海に身を投じた約1万人の日本軍兵士と民間人の戦没者、あるいは極寒のシベリアに抑留されて飢えと重労働に耐え切れずに亡くなった戦没者、あるいは引き揚げの途中で敵軍に殺されたり、飢えで亡くなったりして帰国を果たすことができずに亡くなった民間の戦没者、その他その他の戦没者やその在り様を直接見るなり、伝え聞くなりして身近で知り得ていた近親者たちの戦没者たちに対する記憶、あるいは引き揚げの途中で日本軍から子どもは足手纏いだからと毒入りの牛乳を手渡されて我が子に飲ませることになった親たちや満足な食糧もなく飢えに苦しめられながら兎に角も戦争を生き抜いて帰国を果たすことができた等々の戦争という時代を兵士として、あるいは一般人としてやっとの思いで乗り越えてきた国民の戦争に対する記憶は苦悩や後悔や疚しさや済まなさといった感情を帯びて折に触れて思い出すことになって、現在の「平和と繁栄」が記憶の遮断や末梢に役立つわけでもないはずだ。

 逆に現在が平和であればある程、あるいは繁栄の時代であればある程、そのような時代を生きることができている自分を、生きることができなかった戦没者に対しての済まなさを却って募らせるということもあるだろう。我が子を幼いうちに亡くしてしまった母親が時折り自分が満足な暮らしの中で生きていることに済まなさを感じるように。

 このような折に触れた記憶の甦えりは戦争を生き延びた日本の兵士や日本の民間人や日本の戦没者の近親者だけではなく、日本が始めた戦争を戦ったり、戦争に協力させられて生き延びた外国の兵士や外国の民間人、あるいは敢え無く戦没した外国の兵士や外国の民間人の在り様を直接見るなり、伝え聞くなりして身近で知り得ていた外国の近親者にしても、同じ感情作用として働くはずだ。

 日本の全国戦没者追悼式だからと言って、日本が始めた戦争である以上、日本人の戦没者と日本の国の将来に思いを馳せればいいというわけにはいかないということである。

 もしそれのみで良しとするなら、余りにも独善的に過ぎる。余りにも一国主義的平和志向に陥ることになる。

 多くの外国の国民が兵士として、あるいは民間人として相互に関わった日本の戦没者であり、日本の帰還兵士、日本の帰還民間人である。そして外国に於いても、多くの戦没者を出した。

 その一例を3年半前の古い番組だが、2011年2月27日放送NHK「証言記録 市民たちの戦争『“朝鮮人軍夫”の沖縄戦』」を参考に挙げてみる。

 戦争末期、アメリカ軍の日本本土上陸を沖縄で阻止するために日本軍は沖縄に大量の兵力・武器・弾薬・爆弾を送り込んだ。その武器や爆弾を船から荷揚げして背負って基地まで運搬する多くの軍夫を日本の植民地だった朝鮮半島で募集、沖縄に連れてきた。中には貧しさ故に生活のために自分から応じた者もいたが、畑で働いてきたとき、「飛行場で働くだけだ」と日本兵と朝鮮人警官に騙されて連れて来られた者もいたと番組は伝えている。

 番組の舞台は沖縄本島から船で約1時間の、1945年3月にアメリカ軍が最初に上陸した阿嘉島(あかしま)となっている。そこに連れて行かれて過酷な労働を強いられた環境下、生き延びて現在韓国で生活している元朝鮮人軍夫の証言から、どのような状況に置かれていたか、番組は歴史の再現を試みる。

 基地を整えたあと、大量の火薬を積んでアメリカ艦船に体当りする特攻用の小型ボート仕立ての船艇を隠す壕掘りや、その船艇を壕から波打ち際までロープで引っ張り出して、また壕に戻して隠す訓練等の危険な重労働を強いられた朝鮮人軍夫のかなりの者が命を落としていった。

 食糧不足によって満足に食事が与えられなかったことからの栄養不良も原因していた。いわば朝鮮人軍夫は人間扱いされなかった。その最も象徴的な出来事が些細な罪での銃殺刑となって現れる。

 当時阿嘉島青年団員の垣花武一さんの証言「我々が銀飯(ぎんめし)を食うとき、あの人たち(朝鮮人軍夫)はおかゆ。我々がおかゆに変わるときは、あの人たちは雑炊とか粗末な食事。量も半分くらい。だから、あれですよ。あの壕掘りとか重労働に耐えられなかったと思うんですよ。そういう食料で」

 日本軍はアメリカの阿嘉島上陸に対して殆ど満足に抵抗できす、特攻用の船艇も壕に隠してあったのを見つけられて、使わずじまいのまま火をつけて焼かれてしまう。朝鮮人軍夫はアメリカ軍の攻撃を逃れるために空腹のままだったのだろう、武器・弾薬を背負って山に逃れる。

 朝鮮人軍夫証言「日本兵は食事を取るのに、私たちには何もくれませんでした。あまりにも空腹で民間人の作った稲や芋をこっそりと食べていました。ポケットの稲が(軍人に)見つかった人がいました。13人ぐらいが見つかって、手を縛られ、銃殺されることになったのです」

 数人の朝鮮人軍夫の仲間が銃殺場所まで連れて行かれ、一列に並ばされた13人の幅相当の穴を掘るよう命ぜられ、掘ったあと、目の前で13人が一斉に銃で撃たれる。

 朝鮮人軍夫証言「銃殺は唯死ぬのではなく、凄くもがいてから倒れるんです。見ている私たちも言葉が出ない程辛かった」

 銃殺された仲間の撃たれる直前の言葉。

 「故郷で白米を供えて自分を供養してくれ」

 満腹の白米を望みながら、思いだけで果たすことができなかった食べ物への執着が言わせた遺言であろう。

 餓死を選ぶか、ちょっとした盗みを働いて飢えを凌ぐか、その瀬戸際に立たされて、ちょっとした盗みを働いただけで銃殺刑に処すことのできる日本軍兵士の残酷な懲罰意志は見事である。その残酷さに13人の朝鮮人軍夫はいとも簡単に犠牲となった。

 番組はその最初の方で戦時中日本軍が纏め、現在韓国の政府記録保存所に保管されている『船舶軍(沖縄)留守名簿』をカメラで写して、主に海上の任務についていた部隊に所属していた朝鮮半島出身者約2900人の名前が記されていると紹介していたが、番組の最後でそのような朝鮮人軍夫のうち、その半数が日本で亡くなったとされているが、正確な数字は分からないと解説していた。

 番組が取り上げていた朝鮮人軍夫は揚陸艦や上陸用舟艇等の船舶兵器を扱っていた海上任務の船舶軍(陸軍船舶部隊)ではなく、陸地任務の部隊所属のような体裁で放送していたから、インターネットで調べると、約1~2万人という記述を見つけることができた。

 《沖縄戦記録・研究の現状と課題 ―“軍隊と民衆”の視点から― 》林博史・関東学院大学経済学部一般教育論集『自然・人間・社会』第8号/1987年4月)
 
 〈また当時,約1万余あるいは2万人ほどが沖縄にいたとみられる朝鮮人の軍夫や従軍慰安婦は多くが戦死したと思われるが,その数は概数すらもわかっていない。〉――

 いずれにしても日本政府も日本軍も満足に記録していなかった。

 多分、従軍慰安婦強制連行と同様に、「政府発見の資料『船舶軍(沖縄)留守名簿』からは約2900人の名前を見つけることができるが、1~2万人という記述は見当たらないし、政府発見の他の資料は見当たらないことから、2900人が妥当な人数に思える」と、従軍慰安婦強制連行と同様の論理で最小限に収めてしまうに違いない。

 番組は、戦後犠牲者の多くは靖国神社に祀られたが、日本国籍が失われたために軍人や軍属に対する遺族年金や恩給は一切支給されていないと解説している。

 かくまでに人間扱いをされてこなかった。

 飢えと重労働の残酷な環境下に置かれたのは沖縄の朝鮮人軍夫ばかりではなく、他の土地に送られた朝鮮人軍夫や炭鉱や銅山に送り込まれて、満足な食事を与えられずに過酷な重労働を強いられた朝鮮人や中国人も同じであったろう。

 こう見てくると、常識的には全国戦没者追悼式が日本人の戦没者と戦没者の近親者、さらに日本の国に思いを馳せることのみで良しとすることも、あるいは日本国民が現在、「平和と繁栄」を享受できているからと良しとすることもできず、決して看過できない外国の戦没者の在り様や、それら戦没者の在り様を直接見るなり、伝え聞くなりして身近で知り得ていた外国の近親者たちの思いや感情であるはずだ。

 だが、安倍晋三は式辞で日本の戦争に関わらせた外国の戦没者と戦没者の近親者の在り様に無頓着なまま、日本人の戦没者と戦没者の近親者、さらに日本の国に思いを馳せることのみで良しとした。

 このことは安倍晋三本人が掲げる「地球儀を俯瞰する外交」、さらには「積極的平和主義」がどこからも見えてこない、その宗旨に反する戦前の日本の戦争に関わる自らの思想ということにならないだろうか。

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なぜ朝日は「吉田証言」の虚偽を認めた上で他の占領地域では真正事実であることを対抗策としなかったのか

2014-08-15 09:30:43 | Weblog



      生活の党PR



       《8月15日 『終戦記念日にあたって』 小沢一郎代表談話》


 『終戦記念日にあたって』

 平成26年8月15日生活の党代表小沢一郎

 本日、終戦記念日を迎えるにあたり、先の大戦において犠牲となられた内外のすべての人々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 今、果たしてどれだけの方々が「戦争」というものを実感できるでしょうか。確かにこの時期メディアでは盛んに戦前・戦時中の映像が流れます。しかし、実際に戦争を体験していない国民が大半となった今、戦争の恐ろしさや残忍さを理解できる人の数は極めて少なくなっているのではないでしょうか。

 戦争は国家・国民間の感情的な積み重なりの中で、偶発的に起こり得るものです。だからこそ為政者はいつでも冷静でなければなりません。国民にも感情的な動きの自制を呼びかけて、何としても平和を維持しなければならないのです。それが政治の最大の使命です。

 しかし、この国はどこに向かっているのでしょうか。今や一内閣が憲法を無視して集団的自衛権の行使を容認し、一部メディアには、近隣の国を過激に攻撃する論調も目立つようになりました。最近では、国連から「ヘイトスピーチ」の禁止を求められています。

 このような昨今の政治状況や社会の風潮に対し、今必要なのは、戦後平和を維持するために努力を傾注してきた「先達」の声に耳を傾け、戦争の悲惨さと平和の大切さに思いを致し、可能な限り次の世代へと語り継いでいくことです。それこそが、この国を正しい方向に導く道標となります。

 わが党は、このような認識の下、過去のさまざまな歴史的教訓の上に立って、終戦記念日である本日、世界の平和と、この国のより良い未来の創造のため、引き続き全力で取り組んで参ることをここに固くお誓い申し上げます。    


 朝日新聞が8月5日付(2014年)朝刊で、かつて自らの報道で歴史の事実として取り上げた従軍慰安婦に関わるいわゆる「吉田証言」について、「虚偽だと判断し、記事を取り消します」と、誤報であったと報じた。

 だが、全面的に謝罪した訳でも、従軍慰安婦の記事の全部の取り消しを宣言したわけではないことと、朝日新聞の報道が日韓関係悪化の発端となったとする主張にも影響されて、朝日に対して多くの非難が寄せられた。この非難の程度は「産経・FNN世論調査」に現れている。《朝日検証報道、7割が不十分 女性に厳しい反応》MSN産経/014.8.11 19:36)

 「朝日の検証内容」について

 「十分だと思う」
 男性16・6%
 女性7・5%

 「不十分だと思う」
 男性69・4%
 女性72・0%

 年代別
 「不十分」
 女性20代78・7%
 女性30代77・5%
 男性20~50代70%超
 男性60代59・2%
 
 「十分」
 男性60代20・1%、

 支持政党別
 「不十分」
 次世代の党100%
 自民党74・2%
 みんなの党71・4%
 公明党66・7%
 暫定的な「日本維新の会」66・7%

 「十分だとは思わない」
 民主党52・4%、
 社民党66・7%
 共産党64・3%

 安倍晋三も8月8日産経新聞のインタビューで朝日報道が日韓関係に影響を与えたと言っている。

 安倍晋三「朝日新聞が取り消した証言について、事実として報道されたことによって2国間関係に大きな影響を与えたわけです。そして同時に、全ての教科書にも『強制連行』の記述が出たのも事実です。

 第1次安倍政権において『政府発見の資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を示すような記述は見当たらなかった』とする答弁書の閣議決定を行ったところですが、その際も、この閣議決定に対する批判は行われていました。しかし、この閣議決定自体が改めて間違っていなかったということが証明されたのではないかと思います。

 いずれにせよ、こうした報道によって、2国間関係にも影響を及ぼすわけです。その結果、自民党の石破茂幹事長も言っておられたことですが、その報道によって多くの人たちが悲しみ、そして苦しむことになっていくわけです。そうした結果を招くということに対する自覚と責任感の下に、常に検証を行っていくということが大切なのではないかということを改めて認識しました」(MSN産経)――
 
 戦前の大日本国家を善の存在とし、戦前の戦争を侵略戦争だと肯定したくない安倍晋三以下の国家主義者たちの一派は従軍慰安婦の日本軍による強制連行と暴力的な性行為強要を否定しているが、朝日新聞が「吉田証言」の歴史事実を虚偽と認めて、これまでの記事を取り消したとしても、従軍慰安婦の強制連行の歴史事実を全否定することにはならない。

 全面否定したとしたら、臭い物に蓋をすることになる。

 一度ブログに書いたが、8月10日(2014年)フジテレビ「新報道2001」が「慰安婦問題を巡る誤報の徹底検証」と題したコーナーで、当然のこととして「吉田証言」を取り上げていた。それがどのような内容であるか、番組での小倉紀蔵(日本の韓国学者、哲学者、京都大学教授)の発言が要約している。

 小倉紀蔵「90年代の初めに韓国に行ったとき、この問題があった。テレビで連日のように、いわゆる再現フィルムというのをやるわけですよ。これが要するに『吉田証言』に基づいた、奴隷狩りのような、いたいけな14歳ぐらいの少女が畑で働いているのを、嫌だ、嫌だと言っているのを、リヤカーに連れ込まれて、日本の軍人がやっている。

 そう言うことを連日見せられたら、どうなるんですか」――

 当時の韓国に於いて日本軍が韓国の未成年少女を略取・誘拐の形で無理矢理連行して従軍慰安婦に狩り立て、性奴隷とすることが歴史事実としてテレビで連日のように放送された。対日憎悪の韓国世論が沸騰して、日韓関係が悪化するのは当然だという文脈で発言している。

 例え「吉田証言」が虚偽の歴史事実を描いていたとしても、皮肉なことにそれが真正な歴史事実として日本軍占領下のインドネシアに演じられていたことを、『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)が元インドネシア女性従軍慰安婦の証言で証明している。

 フィリッピンでも真正な歴事実として存在していたことが証言されている。「吉田証言」の韓国とインドネシアやフィリッピン、台湾等の日本軍占領地とどういう糸でつながっていたのかは、「吉田証言」の虚偽の歴史事実が似た形でそれらの地域で真正な歴史事実として再現されていたということから考えて、例え前者が虚偽の歴史事実であったとしても、その糸は日本軍の体質としてつながっていたとしか言い様がない。

 安倍晋三が言うように「政府発見の資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を示すような記述は見当たらなかった」としても、韓国の元従軍慰安婦が証言しているように韓国でも日本軍による強制連行と性奴隷が実際に行われていて、それが日本軍の体質としてつながっていた真正な歴史事実であるということであるはずだ。

 なぜ朝日新聞は著者本人が1995年に著書自体を創作だと、いわば虚偽の歴史事実だと認めた時点でそれまでの報道の誤りを認めて謝罪し、その上でカネと手間と人手をかけて、日本軍各占領地の従軍慰安婦に関わる証言を自ら集めるなり、あるいは他者の手によって既に集められている証言を利用するなりして、「吉田証言」の虚偽の歴史事実が他の占領地域では真正な事実として演じれれていたことを証明、「吉田証言」の虚偽の歴史事実を抹消することによって他の地域の真正な歴史事実まで抹消することは日本軍の従軍慰安婦の強制連行と性奴隷の歴史に対して臭い物に蓋をすることになると、新たな戦いをなぜ挑まなかったのだろうか。

 だが、1995年から19年後の記事取り消しとなっている。

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自衛隊入隊宣誓「事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責任の完遂に務め」は死を目的とした玉砕とは違う

2014-08-14 09:00:39 | Weblog


 8月10日(2014年)夜9時からNHK総合でNHKスペシャル『60年目の自衛隊 ~現場からの報告~』を放送していた。NHKの番組案内には次のように書き記している。

 2014年〈7月1日。政府は、これまでの憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定し、戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えた。同じ日、自衛隊は創設から60年を迎えた。自衛官は、発足以来、「日本国憲法及び法令を遵守し、政治的活動に関与せず、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」などとする任官時の宣誓のもと、訓練や任務に臨んできた。今後の議論次第では任務が大きく変わる可能性があるいま、隊員たちは、どのような思いでいるのか。番組では、国内外の訓練の現場などを取材。自衛隊がこれまで積み上げてきたものを明らかにするとともに、60年目の今の姿を伝えていく。〉――

 戦前の大日本帝国軍隊は兵士に対して「死ぬまで戦え」と、戦いの最終目的に死を置き、死を目的とさせて戦場に臨ませていた。死に照準を合わせさせて、戦いに於ける生命エネルギーの徹頭徹尾の放出を求めた。「死を恐れるな」と、命を懸けさせた。

 戦闘、もしくは戦争は命を懸けて戦う性質の職務だろうか。命を懸けるとはその先に死を置いていることになる。

 戦死は結果である。目的ではない。任務・使命の遂行の過程で予期せずに生じる結果としなければならない。例え常に死と背中合わせの危険な生の日々であったとしても、実際に命を懸けさせ、死を目的とさせてはならないはずだ。

 だが、戦前の大日本帝国軍隊が逆を行っていたことは陸軍省制定、1941年(昭和16年)1月7日上奏、翌8日全軍示達の「戦陣訓」(戦陣での訓戒のこと)に現れている。日本時間1941年12月8日未明の真珠湾攻撃に遡る11カ月前の示達である。

 いわば太平洋戦争中、日本軍及び日本軍兵士は戦陣訓の精神の支配下にあった。

 〈特に戦陣は、服従の精神実践の極致を発揮すべき処とす。死生困苦の間に処し、命令一下欣然として死地に投じ、黙々として献身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり。〉

 命令一下、喜んで「死地に投ぜよ」と、最初から死を目的とさせていた。最初から命を懸けることを求めていた。

 〈攻撃に方りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已まざるべし。防禦又克く(よく「念を入れてするさま」)攻勢の鋭気を包蔵し、必ず主動の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委(い「任せる」)すること勿れ。追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし。〉

 「敵を粉砕せずんば已まざるべし」という言葉で、敵を粉砕するまで戦いを止めてはならないと言っていることは、撤退も、撤退して部隊を再編し直して再度戦う仕切り直しも許さず戦い通せの意味であって、粉砕不可能となれば、玉砕――部隊全員戦死を結果とすることになって、死を目的とさせて戦場に臨ませていたことに変わりはない。命を懸けさせた。

 〈戦友の道義は、大義の下死生相結び、互に信頼の至情を致し、常に切磋琢磨し、緩急相救い、非違相戒めて、倶に軍人の本分を完うするに在り。〉

 「死生相結び」と生死を共にすることを求めているが、死は決して共に求めてはならないものである。求めることによって、兵士それぞれの意識の中に相互に、いよいよとなったらと、死を目的とさせ、命を懸けさせるさせることになる。

 「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ

 典型的なまでに死を目的とさせ、命を懸けさせようとしている。捕虜になる前に戦死せよと。そうすることが死して罪禍の汚名を残さない唯一の手段だと。

 戦闘を交えようという段階で兵士同士が撤退も捕虜も許されないという覚悟を先に立て、生死を共にしようという思いを持ち合い、“死地に投じる”心構えでいたなら、戦闘開始と同時に死へ向かって一直線に「敵を粉砕せずんば已まざるべし」と、死を目的に据えて戦ったとしても不思議はない。

 また、「敵を粉砕せずんば已まざるべし」は玉砕を最終目的に置いた言葉である。当然、兵士は最初から玉砕を覚悟の悲壮感で命を懸ける戦いを行うことになる。

 【玉砕】「玉のように美しくくだけ散ること。全力で戦い、名誉・忠節を守って潔く死ぬこと。「デジタル大辞泉」

 果たして冷静に敵味方の動きを把えながら科学的に合理的な戦術に則って戦うことができたのだろうか。戦死は任務・使命の遂行の過程で予期せずに生じる結果と看做して、任務・使命の遂行のみを念頭に置いて戦っていてこそ、兵士一人ひとりが冷静に科学的に合理的な戦術を駆使し得るはずである。

 だが、最初から“死”という余分な障害物を頭や意識に置いて戦場に臨んでいた。

 『玉砕』という言葉がいつ頃から使われ始めたのか、「Wikipedia」で調べてみた。

〈太平洋戦争当時の日本で「玉砕」の表現が初めて公式発表で使われたのは1943年のアッツ島玉砕であるが、軍隊内での文章などではそれ以前より使用例が見られる。

 例えば、1942年(昭和17年)2月の第一次バターン半島の戦いでは、木村部隊から師団司令部へ「第一大隊ハ玉砕セントス」との電文が送られている。また、公刊戦史上は、1942年(昭和17年)12月8日にニューギニア戦線のゴナにおけるバサブア守備隊の玉砕を記録、続く連合軍の攻勢により、1943年(昭和18年)1月2日には同じニューギニア戦線でブナの陸海軍守備隊が玉砕したが、これらが国民に知らされたのは1944年(昭和19 年)2月以降であった。

 1943年(昭和18年)5月29日、アッツ島の日本軍守備隊が全滅した際、大本営発表として初めて「玉砕」の表現を使用した。これは「全滅」という言葉が国民に与える動揺を少しでも軽くして「玉の如くに清く砕け散った」と印象付けようと意図したものであった。また補給路を絶たれて守備隊への効果的な援軍や補給ができないまま、結果的に「見殺し」にしてしまった軍上層部への責任論を回避させるものであった。

 「アッツ島玉砕」では守備隊2,650名のうち、29名が捕虜になった。〉――

 1942年頃から使われ出したとしても、1941年1月8日全軍示達の「戦陣訓」に既に“玉砕思想”が現れていた。

 問題は、この“玉砕思想”を民主主義の現代の自衛隊が引き継いでいるかどうかである。NHKスペシャル『60年目の自衛隊 ~現場からの報告~』から、関係箇所を引き出してみる。
 
 インタビューに答えて。

 前田忠男陸将補・陸上自衛隊幹部候補生学校長「今の候補生は我々以上に厳しい現実に置かれているんだと、校長としては思っています。これからの有事は如何なる有事かと言うと、我々ば、校長が経験したときの有事と違うかもしれない。

 その中でも全く崩れないものがあって、それは国民のみなさんに被害を出してはならないし、我々の仲間にも出してはならない。但し任務ということを遂行するためにそういうことが起こり得るという覚悟は持たなければならない」――

 任務遂行のみを視野に入れ、被害(=例えば死)を結果に置いている。こうも言っている。

 前田忠男陸将補・陸上自衛隊幹部候補生学校長「最も強い組織は最も謙虚でなければならない」――

 戦前の軍人は自分たちを何様に置いた。天皇の軍隊だと、天皇の虎の威を借りて国民の上に自分たちを置いていた。軍人の役目の中に死をも役目に置いていたために、国民に対してお前たちとは違うんだ、別人種だという驕りを生じせしめていたのかもしれない。

 6月下旬、陸上自衛隊幹部候補生学校(福岡・久留米市)

 「任務と命の重みを考える授業」が行われていたと女性の解説者が話していた。命に重みを置くとは、死を如何なる目的ともしないということであろう。

 殉職した自衛官の遺影が飾ってある部屋に幹部候補生たちが一人ずつ一礼して入室。この学校で訓練などで殉職した幹部たちの遺影が額縁に入れて並んでいる。チーンと「鈴」(りん)を鳴らしてから、一同黙祷。

 教官「志半ば、職務遂行中に殉職をされた方々、148柱、おられる。君たちはやっぱり歴史を学ぶ以上、過去を学ぶ以上、この人たちの功績があって、今に至る。この人たちが色々とやってくれたんで、それぞれ今の幹部候補生学校であったり、陸上自衛隊であったり、自衛隊がある。それは忘れないように」

 そして遺影の反対側の壁に生徒一同向かい合う。壁には入隊時の宣誓書が額に入れられて掛けてある。

 女性解説者「『日本国憲法を遵守し、事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責任の完遂に務める』(と宣誓書を要約してから)、教官は任務に命を懸けることの意味を教えるよう伝えていました」――

 今の時代の自衛隊に於いて「任務に命を懸ける」とは何を意味するのだろうか。

 インターネットじ調べた自衛隊入隊宣誓は次のようになっている。

 「私はわが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身を以って責任の完遂に務め、以って国民の負託に応えることを誓います」――

 入隊宣言のどこにも、任務に命を懸けることを求めていない。

 教官「『事に臨んでは危険を顧みず、身を以って』――(聞き取れない。「事に」と言ったのか)立ち会う。『身を以って』という部分、そういう身分ですよ。

 そこは忘れないように。それをずっと考える必要はない。しかしそういう立場にあるよ。そこはしっかりと自分で整理して、しっかりとする。整理をして、やる。

 これはどう取り繕おうと、事実だから、そこは根源はどこかにありますよ、自衛隊員としてはここは、ここでしっかりと思ってほしい」――

 部屋から退場するとき、生徒一同、出入口のところで部屋に振り返って一礼してから去る。

 女性解説者「教官は任務に命を懸けることの意味を教えるよう伝えていました」と解説していたが、教官は一言も「命を懸ける」という言葉を使っていない。「身を以って」ということの意味を伝えようとはしていた。

 だが、「身を以って」とは命を懸けることを意味しているわけではない。

 【身を以て】(みをもって)「1 自分自身で。みずから。「―範を示す」 2 からだ一つで。やっとのことで。「―難を逃れる」(デジタル大辞泉

 宣言にある「身を以って」の意味は、「自らの判断とその判断に応じた自らの身体動作を通して」という意味であるはずだ。「事に臨んでは危険を顧みず、自らの判断とその判断に応じた自らの身体動作を通して責任の完遂に務め、以って国民の負託に応える」ことを求め、自衛官は求められているということであろう。

 要するに「身を以って」「責任の完遂」と「国民の負託」への対応を求めている。

 そしてその判断とは日本国憲法及び法令の遵守と自衛隊の使命、任務遂行上の責任、学んだ戦術、あるいは経験上知り得た知識等々に従った臨機応変の身体的・頭脳的対応に基づいていなければならない。

 教官がこの「身を以って」を命を懸けることだと解釈しているとしたら、愚かしいばかりに危険である。

 例え命を懸けることが「死ぬか生きるかの覚悟で事に当たる」(大辞林)意味であり、覚悟を言っている言葉であっても、覚悟の中に死を予期しない結果とするのではなく、死を目的とする意識を含んでいるからである。

 この覚悟が先鋭化した場合、あるいは過剰な形を取った場合、戦前のようにいつ、どこで玉砕思想と重ね合わせて、死を明確な目的とした戦いを求めないとも限らない。

 安倍晋三の次の言葉も玉砕思想を含んでいる。

 安倍晋三「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」(『この国を守る決意』)

 いくら国を守るための戦争であっても、命を投げ打つ決意を少しでも求めたなら、戦前のようにそこに死を以って国家に奉じる意識や風潮が生じて死を最終目的として戦うことになり、否応もなしに精神論を優先させることになる。それが自衛隊全体の玉砕思想へと変じた場合、同じく戦前のように合理的且つ科学的な戦術や戦略を排除することになる。

 例えそれが確率の高いものであっても、あるいは死を日常的に意識することがあったとしても、戦死はあくまでも自らの判断とその判断に応じた自らの身体動作を通した任務・使命の冷静果敢な遂行の果ての予期しない結果としなければならない。

 NHKの番組を見て思い出した安倍晋三の言葉と番組の感想から、以上のことを書いてみた。

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8月3日フジテレビ「新報道2001」出演 金美齢の言う「正義」が世界を救う

2014-08-13 07:57:27 | Weblog



 8月3日日曜日のフジテレビ「新報道2001」は「北朝鮮との拉致問題交渉の行方について」のコーナーを設けて、拉致問題の常連、東京基督教大学教授で、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」会長の西岡力や台湾出身日本国籍の評論家金美齢、その他が出演して議論していた。

 金美齢も拉致問題では常連の一人と言うことができる。「たかじんのそこまで言って委員会」ではレギュラーでパネラーを務めている。金美齢が右であろうと左であろうと、評論家として知識豊富で適切な判断能力を有しているということである。

 適切な判断能力者は独断と偏見とは無縁でなければならない。その点、金美齢は保証付きである。何様めいた口の利き方もしない。その金美齢が番組で「正義」を語った。非常に心強く思わせる「正義」論である。多くの人に知って貰いたいと思って、と言っても、我がブログの読者は少数者だから、多くというわけにはいかないが、一人でも多くと思って、金美齢の正義論をここで取り上げてみることにした。

 番組は拉致問題のコーナーの最初に首都圏500人対象の「拉致調査 北朝鮮を信用できるか」を質問とした「新報道2001」世論調査の結果を示してる。
 
 「いいえ」93.0%
 「はい」6.4%
 「その他分からない」0.6%

 調査対象の500人の93%が拉致問題は素直には解決に向かわないと見ていることになる。

 金美齢の発言で、「日本のハードルを高くしている」と言っている個所は少し前に西岡力が北朝鮮側の情報として、北朝鮮当局が日本側が拉致被害者一括返還のカードを出したことをハードルを上げてきたと受け止めていて、そのための対応で時間がかかっているのではないのかと推測発言していたことを指している。

 吉田恵アナ「日本政府のこれまでの対応を見て、どうですか」

 金美齢「私はね、6カ国協議をやってましたでしょ、散々。そのときからずっとね、あれは時間のムダだとずっと言ってたんですよ。要するに、要するに向こうは時間稼ぎをやっている。6カ国それぞれが思惑が違う中でね、延々とやってましたでしょ。

 アタシその時代からね、あれ脱退しろと。やめなさいってずっと言ってきたんですよ。ここへ来て、まあ、日朝で直接話をするということ。

 実はね、特別調査委員会始まる前にね、アタシ、最近ちょっと、プライベートなことで古屋大臣に何回かお会いしたんですよ。で、その始まる前にね、お会いしたときにね、ふっとね、何にも仰らないけども、ふっとね、あれ、これちょっと進展があるかもしれないという、そういう空気を感じたんですよ」

 吉田恵アナ「具体的に何か仰ったんですか」

 金美齢「具体的なことは言えません。だけどもね、何ていいますかね。具体的には仰ってはいないんですけども、ちょっと漏らした言葉はね、アタシにはね、あっ、これはちょっとね、これは拉致問題はね、ちょっとね、進展するかな、しかかってるかな、というふうに思ったんですよ。

 で、数日前に会ったときに、要するに私がまた尋ねたんですよ。『どうなってるんですか』と。あれから日本のハードルを高くしているとか。

 で、今の調査でね、大多数の人は信用できないと言っているわけでしょ。これはもうアタシは今までのプロセスで、兎に角時間稼ぎ、時間稼ぎ、騙されて、騙されてということがあるから、当然、誰も信用できないっていう思いは持ちますよね。

 でも、その中で交渉しなくっちゃならないとしたら、交渉する側はどうするかって言うことですよ。

 だって、交渉事っていうのことはね、それはやっぱりカードをたくさん持った方が勝ちなんですよ」

 吉田恵アナ「なる程――」

 金美齢「相手(金正恩)はこれだけの人間(拉致被害者)を押さえているわけですから、それはね、もう、絶対的に強いカードなんですよ。でも、我々には正義があるわけ。

 正義が我々の側にあるわけですよね。それをどうね、しかも、まあ、北朝鮮はね、まあ、壊れかけているわけですから、どうしても、まあ、人道的援助というキレイな言葉を使いたがるんですけども、それをどうね、我々は持っているカードを、何枚も何枚も持っているカードを、どう上手にプレーするかっていうことなんですよ。

 でもね、今ね、(西岡力が)日本側がハードルを上げたというようなことを言ってますけど、胸突き八丁とか、そういうところに行ってるんじゃないかなっていう気がします」――

 吉田恵アナは拉致問題に関しての「日本政府のこれまでの対応」について尋ねた。決して6カ国協議の是非について尋ねたわけではない。

 だが、金美齢は「日本政府のこれまでの対応」の是非については一言も答えずに自身の6カ国協議脱退論を正論と位置づけて主張した。

 6カ国協議が議題としている北朝鮮の核開発とミサイル開発に日本が一切関係していないわけではない。いわば日本は拉致問題だけを考えていれば済む立場にはない。もし日本が6カ国協議を脱退したら、他の5カ国からだけではなく、世界的に批判を受けることになるだろう。その批判をモノとはせずに無視して拉致問題の解決のみに集中し、進展に応じて制裁解除を行っていき、大きく解決したら北朝鮮に経済援助で以って応える。

 北朝鮮の核やミサイル問題が解決しない中での日本の制裁解除・経済援助の独断専行は金正恩独裁体制維持・延命の側面的補強を意味する。このことは、日本の経済援助が北朝鮮国民の貧困からの救済に少しは役立つことはあっても、北朝鮮国民の人権抑圧の固定化に手を貸すことにもなる。

 そして経済援助の多くは核開発やミサイル開発等に回されることになるだろう。

 金美齢は日本が6カ国協議から脱退できるはずもないのに自身の脱退論を正論であるかのようにご披露に及んだ。この客観的にして的確な判断能力はさすがにテレビに出演を求められて自身の主張を全国に向けて発信する資格を与えられた者にふさわしい主張と言うことができる。

 日本が6カ国協議をもし脱退したら、1933年の日本の国際連盟脱退に譬えられるかもしれない。

 日本は6カ国協議という場で北朝鮮の核やミサイル問題の解決に向けた議論をしながら、それでも拉致問題を解決しなければならないという難しい状況に立たされた中で北朝鮮と拉致問題に関して交渉しなければならない制約を背負っている。

 金美齢は古屋拉致担当相を会ったとき、相手は何も言わなかったが、拉致問題に進展があるかもしれいないという空気を感じた。金美齢には相手の雰囲気で言葉では何も言わずとも内心の思いを読み取る予知能力があるらしい。科学的根拠に基づいた発言が求められる評論家にしては珍しい存在ということになる。

 そして再度古屋担当相に会ったとき、「どうなってるんですか」と拉致問題についてまた尋ねた。しかし北朝鮮当局が日本がハードルを高くしていると受け止めているとしている西岡力が披露した北朝鮮側の情報に触れたのみで、古屋担当相が何を言い、どう答えたのか、「進展があるかもしれないという、そういう空気を感じた」根拠は何か、どのような進展であったのか、それらの内容を一切明かさず仕舞いで、世論調査で93%が北朝鮮は信用できないという思いは持つのは当然だと、すらっと話題を変えている。

 議論の起承転結という点からも、評論家の能力と言えるのか、些か疑問を感じないわけにはいかない。

 金美齢は北朝鮮がいくら信用できなくても、「その中で交渉しなくっちゃならないとしたら、交渉する側はどうするかって言うことですよ。

 だって、交渉事っていうのことはね、それはやっぱりカードをたくさん持った方が勝ちなんですよ」と言っているが、安部政権にしても失敗は許されないから、信用できないことは百も承知で、いくら信用できなくても、その中で交渉しなければならないのは当然の措置であって、言うまでもないことを金美齢は言ったに過ぎない。

 要するに極くごく当たり前のことを得々として喋ったに過ぎない。

 但し、「カードをたくさん持った方が勝ち」とは限らない。吉田恵アナは「なる程」と納得がいく言葉を漏らしたが、手持ちカードが少なくても、一枚のカードが逆転するケースもあるはずだ。

 また、カード自体に意味があっても、使い方で意味を失う場合もある。重要なカードでも、出すときに出さなければ、いわば出すポイントを外したなら、その後の展開が同じであるとは限らない。

 戦前の日本政府は国体維持(=天皇制維持)に拘る余り、無条件降伏というカードを出す時期を間違えて、二発の原爆とソ連参戦を招くことになった。その間、どれ程の多くの日本国民が犠牲になったことだろう。

 確かに敗戦間際の日本は列強と比較して手持ちのカードが少なかっただろう。だが、カードの多い少ないに意味があるのではなく、何を優先させ、優先に応じたカードを事態の展開の中でいつ出すか、適切な時期を如何に想定するかが重要であるはずだ。

 金美齢は「カードをたくさん持った方が勝ち」と言い、独裁体制を利用して多くの人間を押さえている金正恩のカードは「絶対的に強いカード」だと言いながら、「我々には正義がある」と言って、正義がカードに優るとする矛盾したことを平気で言ってのけている。

 つまり、正義こそ絶対だというわけである。

 正義が絶対であるなら、金美齢の言う「正義」は世界を救うことになるだろう。

 金正恩にしたら、親子三代父子継承の独裁体制は絶対正義である。金日成も正義の存在であり、金正日も正義の存在であり、金正恩も、自身を正義の存在に位置づけているはずだ。

 核開発もミサイル開発も、核実験もミサイル発射も、西欧世界がどう悪と位置づけようとも、北朝鮮の正義として行っている。

 北朝鮮国民の中で貧困に苦しめられている層は独裁体制に正義を認めることはできなだろうが、独裁体制を正義ではないとする国民の正義は無力である。

 オサマ・ビンラディンは自身のテロ行為を正義として行っていたはずで、西欧世界を悪と位置づけていた。

 正義はそれぞれの価値観に応じる。自分たちの価値観をこそ正義としている以上、価値観の違いに応じて正義が数々存在することになり、対立する正義が出現することになる。対立した正義を相互に先鋭化させたとき、最悪戦争という形を取る。一つの正義を他の正義を押しのけて広めようとしたとき、そこに正義の対立が発生して、戦争による決着を待つこともある。

 イスラエルの正義、パレスチナの正義。

 相互に自分たちの正義を絶対とすることによって、それぞれの正義を相互に非絶対化へと導くことになる。

 正義は世界を救うどころか、世界の混乱を生み出している。

 だが、評論家として知識豊富で適切な判断能力を有している金美齢は「我々には正義がある」と、正義の絶対性を主張している。 この感覚は素晴らしい。

 参考までに。

 2014年6月30日Blog――《6月28日「新報道2001」出演の金美齢発言から社会・政治問題の提言者としていることの正当性を問う - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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安倍は国民が自らの命と平和な暮しをどのような安全保障で守って貰いたいと思っているのか、国民自身に問え

2014-08-12 04:32:58 | Weblog

 

 安倍晋三は8月6日午前、広島市で開催の原爆死没者慰霊式・平和祈念式に参列後、被爆者七団体の代表者と面談した。被爆者側は集団的自衛権行使を容認する7月1日の閣議決定を撤回するよう要望したという。

 《集団的自衛権「撤回を」 被爆者の訴え、首相応じず》TOKYO Web/2014年8月7日)

 七団体要望書「日本を戦争の出来る国に変え、国民の命を危機に陥れる閣議決定の撤回を。(閣議決定は)歴史的事実を偽り、被爆者の願いに背くもの

 安倍晋三「(閣議決定は)日本をめぐる安全保障環境が厳しさを増す中、国民の命と平和な暮らしを守るためだ。戦争をする国にするつもりは毛頭ない

 吉岡幸雄広島被爆者団体連絡会議事務局長「平和記念公園の記念碑に『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』と刻まれている。閣議決定は碑文の誓いを破り、過ちを繰り返すものだ」

 下線個所は別の「TOKYO Web」記事から。

 安倍晋三は二言目にはバカの一つ覚えのように「国民の命と平和な暮らしを守るため」と言うが、国民が自らの命と平和な暮しをどのような安全保障で守って貰いたいと思っているのか、国民自身に問うべきだろう。

 断るまでもなく安全保障とは何も軍事的防衛のみを指すわけではない。経済(=国民の暮し)も重要であるし、外交も日本の安全保障に欠かすことはできない。外交を機能させて安全保障を第一番に図らなければならない軍事大国中国に対して何ら外交を機能させることができないままに対立関係にある。

 その外交無能を隠蔽するためにだろう、「地球儀を俯瞰する外交だ」、「積極平和主義外交だ」を掲げて良好な関係にある外国を回って、30個所だ、40個所だ、外国を訪問し、何人の首脳と会談したと自らの外交能力の勲章としている。

 中国との対立の原因は安倍晋三が自身の深層に国家主義的大国願望を巣食わせていることにあるはずだ。アメリカに対しては従属的意志を持ちながら、アジアに於いては第一番を占めたい国家主義の日本大国願望から、中国の現在の世界的地位を素直に受け止めることができず、柔軟な是々非々の立場に立つことができない。

 国家主義的大国願望から中国に対して軍事力の備えを突出させる安全保障は危険である。

 こういったことを含めて、改めて言うが、国民が自らの命と平和な暮しをどのような安全保障で守って貰いたいと思っているのか、国民自身に問うべきだろう。

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