安倍晋三は今年11月2日の朴氏との日韓首脳会談で何とも情けない歴史認識に関わる信念のなさを曝け出した

2015-12-11 09:54:55 | 政治


 安倍晋三が20115年11月1日の3年半ぶりの日中韓首脳会談に引き続いて翌2015年11月2日の朴韓国大統領との日韓首脳会談で国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産へ旧日本軍の従軍慰安婦問題に関する資料の登録を目指す韓国側の動きに懸念を示したと2015年12月8日付「47NEWS」記事が伝えていた。 

 日韓親善協会会長の河村建夫元官房長官が12月8日に行った自民党本部での講演で明らかにした情報だそうだ。

 安倍晋三「お互い『これで終わり』と言っているが、登録の動きがあるのはかなわない」

 朴韓国大統領「あれは非政府組織(NGO)、民間がやることだ」

 当時の記事は日韓首脳で慰安婦問題決着への交渉加速化で合意したと伝えていたが、安倍晋三が韓国側の主張である日本軍による従軍慰安婦の強制連行があったことは歴史的事実であるとする歴史認識を認めるわけはないから、交渉加速化は首脳会談の友好的雰囲気を演出する単なる儀式だと思っていたが、一方でユネスコを通して記憶遺産という形で歴史的事実とされることを恐れていたようだ。

 だが、この恐れは安倍晋三の信念に真向から反する。

 安倍晋三は「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」(2013年4月23日の参院予算委員会)と答弁して、日本の戦前の戦争を侵略戦争と認めない歴史認識を自らの信念として示している以上、日本軍が韓国人女性強制連行して従軍慰安婦に仕立てたという歴史認識は韓国側の言い分に過ぎない、日本側の歴史認識はその事実は一切ないとしていると決めつけて、従軍慰安婦に関わる歴史認識も侵略の定義と同列に扱うのが一貫した信念と言うものであるはずだ。

 「河野談話」は、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」として日本軍の強制連行を認めている。

 このような歴史認識に対して安倍晋三は辻元清美の安倍内閣の従軍慰安婦に関わる歴史認識を問う2007年3月8日提出の質問主意書への2007年3月16日の答弁書で、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」として、「河野談話」で認めた強制連行とする歴史認識を否定、それ以後、この答弁書を閣議決定した政府の歴史認識として正統性を与えて、「河野談話」は閣議決定されていない単なる官房長官談話に過ぎないとの格付けを行って、後者の歴史認識を正統性の座から引きずり下ろしている。

 この正統性付与と正統性剥奪の象徴的な意味づけを、安倍晋三が2012年9月12日に自民党総裁選挙立候補を表明、2012年9月16日の討論会での、「河野洋平官房長官談話によって強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている。安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある、孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」とした発言から最も的確に汲み取ることができる。

 2007年3月の閣議決定で「孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」と「河野談話を修正した」――

 この「河野談話」の完全否定は正統性付与と正統性剥奪の閣議決定が全てだとする宣言でもあり、その宣言は同時に従軍慰安婦の歴史認識に関わる自らの信念の正統性を示す宣言でもあったはずだ。

 但し「国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」とする考えを侵略の定義に限定することは自己中心であり、他の歴史認識に於いても同じ構造の考えを取ることによって公平性を成り立たせることができる。

 つまり、「従軍慰安婦の歴史認識に関しても国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて(評価が)違う」としなければ、安倍晋三は歴史認識に於ける自らの主張の一貫性を逸することになる。

 だとしたら、韓国側が日本軍の強制連行はあったとする文脈で従軍慰安婦問題をユネスコの記憶遺産に登録する動きをどう見せようと、ユネスコが記憶遺産をどう認定しようが、日本に於いてはと閣議決定を振り回して強制連行を完全否定する従軍慰安婦の歴史認識に関しての自らの信念の正統性を一貫して主張すればいい話なのだが、日韓首脳会談で、「登録の動きがあるのはかなわない」と、評価が違うとする「国と国との関係」を無視する信念のなさを曝け出した。

 何とも情けない無様な姿ではないだろうか。

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マタハラ被害調査、なぜ正社員約2割で派遣社員約5割なのか

2015-12-10 09:59:04 | 政治


 「毎日jp」記事から見てみる。  
 
 被害調査は労働政策研究・研修機構が厚労省の委託で今年9~10月に民間企業6500社を通じて25~44歳の女性計約3万1000人を対象に実施、妊娠や出産等の経験者のうち現在や以前の職場でマタニティハラスメント(マタハラ)を受けた割合を雇用形態別に統計を取っている。

 マタハラ経験者約3500人

 派遣社員 48・7%   
 正社員  21・8%

 被害経験率

 契約社員    13・3%
 パートタイマー  5・8%

 この「被害経験率」という言葉の意味が分からない。 「Weblio辞書」に広告用語として、「購入経験率」とは、「ある商品やブランドを過去に買ったかどうかで測定される。買った人(世帯)の数をサンプル数で割った比率」と出ていたから、マタニティハラスメント被害者数をサンプル数の「25~44歳の女性計約3万1000人」で割った比率のことなのだろうか。

 いずれにしても社内地な地位の点で弱い立場にある女性が被害の割合が高いことに変わりはない。

 尤も派遣社員や契約社員、パート等を弱い立場だと見ること自体が間違っているはずだ。能力や真面目さ等を正当な評価対象としていれば、正社員だろうと非正社員だろうと、あるいは男性・女性の別なく、人間としての扱いに変わりはないはずだが、地位の上下や性別で人間の価値を見ているから、能力や真面目さも地位の上下や男女の別に準拠させることになる。

 だから、同じ人間が社長等の上の地位の者にはペコペコと頭を下げて、地位が下の者には踏ん反り返るといったことが起きる。

 あるいは男性上司が地位の下の男性には同じ男性として気を使うが、同じ地位の下の女性に対しては命令口調となるといったことが同じ人間の中で起こることになる。

 地位の上下や男女の性別の違いで人間の価値や能力を計る思考及び行動を権威主義的思考様式・権威主義的行動様式と言う。

 当然、立場の弱い女性に対するマタニティハラスメントの割合が大きいということは地位で人間を見るだけではなく、男性を上に置き女性を下に置く男尊女卑の傾向も混じえた権威主義が深く関わっていることになる。
 
 正社員に対するマタニティハラスメントにしても加害者は主として社内的に地位が上の者か、上でなくても、より強い立場にある者と言うことになるはずだ。

 引き続いて調査結果を見てみる。

 マタハラの内容(複数回答)

 「迷惑」+「辞めたら」47・3%
 「雇い止め」+「解雇」 約20%

 加害者

 「直属の男性上司」19・1%
 「女性上司」   11・1%
 「同僚や部下」
          女性9・5%
          男性5・4%

 「女性上司」の部下の女性に対するマタニティハラスメントは男尊女卑に傾向からではなく、地位で人間の価値を計る権威主義からの態度であろう。

 「同僚や部下」が嫌がらせができるのも、地位とは関係なしに勤続年数が長いとか、上司と親戚関係にあるとか、自分の方が仕事の能力があるとか、それらを以って自身を上の価値に置き、相手を下の価値に置く権威主義性を関与させていなければ不可能な現象であるはずである。

 既に結論は出ている。派遣社員等の弱い立場にある妊娠や出産等の経験者の女性に対するマタニティハラスメントは地位の上下や性別で人間の価値を見る権威主義が深く関与している。

 その結果が現れた正社員約2割のより少ない割合であり、派遣社員約5割というより弱い立場の確率がより高いマタニティハラスメント被害と言うことであるはずだ。
 
 安倍政権が政策の決定過程への女性の参画を拡大するために2015年度末までに中央省庁の課長や室長以上の管理職に占める女性の国家公務員の割合を5%程度、国の地方機関の課長や中央省庁の課長補佐以上の役職に占める割合を10%程度にするとした数値目標を掲げているが、2015年7月現在で中央省庁の管理職に占める女性の国家公務員の割合が2014年年9月比+0.2ポイントの3.5%、国の地方機関の課長や中央省庁の課長補佐以上の役職に占める女性の割合は2014年1月比+0.6ポイントの6.2%だったと12月1日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていたが、安倍政権が数値目標を与えて尻を叩いて以てしても、それぞれ+0.2ポイントと+0.6ポイントしか増えていない。

 数値目標を与えてもこの少なさはやはり地位の上下や男女の性別の違いで人間の価値や能力を計る権威主義性が影響しているように思える。
 
 例え尻を叩きに叩いてそれぞれの目標を達したとしても、もしそれぞれの組織に権威主義的な人間関係が渦巻いていたなら、あるいはそういった力学が無視できない強さで働いていたなら、自然発生的な女性登用の要素は削がれて、目標をクリアする義務感からのみの女性の登用ということになり、権威主義に侵されていない上司に恵まれて能力に応じて女性が登用されるという例はごく少数あるだろうが、多くは登用したものの、権威主義の力学が影響することになり、マタニティハラスメントと同様の上司や同僚・部下からの差別・軽蔑・嫌がらせ・無視といったパワーハラスメントを受けない保証はなく、どこかに無理が生じて、職務上の効率を失う恐れが出てくるように思える。

 女性の真の登用とその心おきない活躍は権威主義の思考様式・行動様式を排して、地位や性別で価値や能力を決めないことから始まるはずだ。

 そのことがまた、マタニティハラスメントを減らす方法でもあるはずだ。

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安倍晋三の「占領時代に作られた仕組みを変える」戦前回帰に手を貸すことになる来年参院選の自民への1票

2015-12-09 06:11:11 | 政治


 安倍晋三会長の右翼政治家の集まり「創生日本」が11月28日会合を開いて、安倍晋三が挨拶した。

 安倍晋三「憲法改正をはじめ占領時代に作られた仕組みを変えることが(自民党)立党の原点だ。

 そうしたことを推進するためにも、来年の参院選で支援をお願いしたい」(毎日jp/2015年11月28日 22時28分)

 安倍晋三は占領時代の占領政策によって「日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか」との表現で、日本が改造され、日本人の精神が悪影響を受けたとして占領時代と占領政策を否定する思想に立っているのだから、当然の主張であろう。

 仕組みを変えるためには頭数が必要となる。そのために参院選で勝たせて貰いたいとお願いした。

 と言うことは、来年の参院選で安倍自民党を勝たせることは有権者は、国民はと言ってもいいが、「占領時代に作られた仕組みを変える」手伝いをすることになる。

 それがいい事なら、お手伝いという表現で結構だが、悪い事なら、加担するという表現を使わなければならない。

 「占領時代に作られた仕組みを変える」と言うことは、占領時代に今まであった仕組みを変えられたから、その仕組をさらに変えるということであって、では、今まであった仕組みとは占領時代の前にあった仕組み――戦前の仕組みに他ならない。

 そのような仕組みを日本という国に相応しい仕組みと把えているということである。

 ここに安倍晋三の戦前回帰がある。常々言っていることだが、安倍晋三の言う「戦後レジームからの脱却」とは戦前回帰を意味する。

 勿論、戦前の仕組みをそのまま持ってくることはできない。戦前は天皇は大日本帝国憲法によって神聖にして侵すべからずの絶対的地位を与えられて国の統治権を持ち、「国体の本義」によって現人神として祭り上げられ、この「国体の本義」や「修身」、「教育勅語」等を通して国民は天皇と国家への忠義と奉仕を日本人の血肉・精神として求めらる思想教育によって天皇主体・国家主体の国家主義体制に国民は絡め取られていた。

 戦後の今日、今更現人神を持ち出すわけにもいかないし、天皇と国家への忠義と奉仕を押し出すわけにはいかないが、安倍晋三は「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのもの」であり、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と言って、天皇を日本の政治・文化・経済・歴史、ありとあらゆるものの中心に置いて天皇中心主義の血を疼かせている以上、民主主義の装いを施しはするが、憲法を改正しても天皇中心主義の思想を文言の底に沈めことになるはずだ。

 例えば現日本国憲法は前文で国民を最初に持ってきて、「ここに主権が国民に存することを宣言し」と、国民主権であることを規定しているが、自民党の憲法改正案の前文は、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」と、天皇を最初に持ってきて、「天皇を戴く国家」であるとして、天皇を「国民主権」の上に置いていることも戦前回帰の象徴的な顕現と見ないわけにはいかない。

 安倍第1次内閣の2006年に教育基本法を改正して、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と規定、他国の尊重や国際社会の平和と発展への寄与に触れながらも、安倍晋三とその一派が「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのもの」との思想を抱えている以上、天皇統治の戦前の日本と伝統と文化に繋げた「伝統と文化」であり、その尊重を先に持ってきて、愛国心の育みを求めたことは、やはりそこに戦前回帰の色彩を否応もなしに感じ取らざるを得ない。

 安倍晋三が戦前回帰の思想を持つに至ったのは、いわば「戦後レジームからの脱却」を唱えるに至ったのは戦前の天皇中心の日本の政治・文化・経済・歴史、ありとあらゆるものが占領軍の日本を民主化する占領政策によって中断されたからである。 

 だが、戦後の日本は占領軍の占領政策なくして民主主義国家とはなり得なかった。新憲法草案が最初日本人自身の手によって着手され、それを引き受けた当時の松本丞治国務相によって示された改正案は大日本帝国憲法が天皇の地位を「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定していたのに対して「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」と文言の多少の違いはあっても、同じく天皇を絶対的存在に規定、民主主義を一かけらも憲法の精神とすることができなかったのである。

 安倍晋三が「日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)の素人がたった8日間で作り上げた代物」だと日本国憲法を否定しようが、もし「たった8日間で作り上げ」ずに松本改正案を採用していたなら、安倍晋三が望む戦前同様の日本国家となっていたはずだ。

 安倍晋三は憲法改正の頭数を手に入れるためにも、来年の参院選挙での大勝利を狙っている。

 当然、有権者・国民が安倍自民党に1票を投ずか否かは安倍晋三の戦前回帰に手を貸すか、あるいは手を貸さないかの意味をも持つことになる。

 このことも心して投票しなければならない。

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夫婦同姓は人間の存在性無視の基本的人権の侵害ゆえ、「家族の絆・家族の一体感」を保障する制度足り得ない

2015-12-08 09:14:46 | 政治


 昨日 2015年12月7日、NHK総合テレビ「クローズアップ現代」」で選択的夫婦別姓を取り扱っていた。題名は《家族の名字 どう考えますか? ~“夫婦別姓”のゆくえ~》

 当ブログでも何度か「選択的夫婦別姓」を取り上げているが、番組は既に記事になっていた11月の夫婦別姓に関わるNHK世論調査を取り入れて、「姓」はどうあるべきかを議論していた。確か女性キャスターが現在4組に1組の割合で離婚していると言っていたと思うが、聞き間違いかもしれない。

 厚労省の《平成26年(2014)人口動態統計の年間推計》(2015 年1月1日発表)によると、「婚姻件数は64 万9000 組」に対して「離婚件数は22 万2000 組」。約3組に1組の割合となっている。

 あるいは2015年に入って離婚数が急激に増えて、現在4組に1組の状況になっているのだろうか。

 家庭内離婚、あるいは家庭内別居、その他結婚の形は維持したままの事実上の別居(別住まい)の数を加えると、夫婦破局の数は相当数にのぼるに違いない。

 番組が結婚数に対する離婚数を上げたのは夫婦同姓が別姓反対の主たる理由としている「家族の絆」や「家族の一体感」を必ずしも保障する制度とはなっていないことを示したかったからではないだろうか。

 「家族の絆」、や「家族の一体感」を決める条件は夫婦それぞれの自身の姿勢と相手に対する姿勢の兼ね合い(折り合いと言ってもいいが)であろう。自分という人間の姿勢とときにはそれとは微妙に異なるかもしれない相手に対する姿勢との兼ね合い(折り合い)が自身に対しても相手に対してもそれぞれに受容されるかどうかが絆や一体感の決め手になるように思うが、どうだろうか。

 このように説明しない限り、結婚しない形で別々の姓で家庭生活を営む同居・同棲といった事実婚に於ける良好な男女の関係は説明できなくなる。

 決して制度が決める結婚、その他の男女関係ではない。
 
 同姓であろうと、別姓であろうと、相手が受け入れる自身の相手への姿勢が本来的な自身の人間としての姿勢と大きく異なり、その修正が効かなくなったとき否応もなしに精神的な苦痛に見舞われだろうから、離婚を含めた男女関係の破局へと場面は急展開するように思える。

 男尊女卑の権威主義性の名残を今以て引き継いでいて、夫が男の側の姿勢のみしか認めない場合、中にはそれを当然として受け入れる、同じく女性の側からの権威主義性に囚われている女性も存在するだろうが、囚われていない権利意識がそれ相応に発達した女性は自身の姿勢が認められないことの権利の不当性にぶち当たることになって、権利と権利の衝突、あるいは正当性・不当性の争いが起きて離婚等の夫婦破局に至るというケースもあるはずだ。

 夫婦同姓を以てしても2014年は3組に1組の割合で離婚が存在する事実、さらに家庭内離婚や家庭内別居、そして夫婦の家から出る形式の別居等の夫婦破局の事実を加えると、夫婦同姓を「家族の絆」や「家族の一体感」を保障する制度と見做すのは制度が作り出してきた慣習に置いているに過ぎないと見なければならない。

 以前ブログに書いたことをもう一度ここに記してみる。〈夫婦同姓であれば、「家族の崩壊」も「一夫一婦制の婚姻制度の破壊」も「家族の一体感喪失」も、起こり得ない、あり得ない現象だとでも言うのだろうか。〉――

 勿論、夫婦別姓にしても同様で、別姓にしたからといって「家族の絆」や「家族の一体感」を保障するわけではない。制度が決める問題ではないことに変わりはないからだ。
  
 実質的には男女それぞれの自身の姿勢と相手への姿勢への兼ね合い、あるいは折り合いが良好な男女関係を保障する結婚、その他同棲や同居といった事実婚の条件であることを無視できない以上、法律が決めた夫婦同姓という制度を優先して人間の存在性を無視するのは人間らしく生きる保障である基本的人権の侵害に関わってくるはずだ。

 10月21日から23日のNHK世論調査記事、《夫婦別姓 世論調査で賛否大きく分かれる》(NHK NEWS WEB/2015年12月7日 7時06分)  

 「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」50%
 「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」46%

 年代別の割合はNHK NEWS WEBNHK記事から画像を貼り付けた。

 「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」の理由

 「同じ名字を使うことが当然だから」28%
 「家族の絆や一体感が弱まるから」26%
 「子どもに好ましくない影響を与えるから」22%

 「同じ名字か別の名字か選べるようにするべきだ」の理由

 「個人の意志を尊重すべきだから」59%
 「女性が名字を変えるケースが多く不平等だから」17%
 「どちらかの名字が途絶えることがあるから」13%
 
 「事実婚」について

 「とても理解できる」10%
 「ある程度理解できる」49%
 「あまり理解できない」23%
 「まったく理解できない」12%

 「とても理解できる」+「ある程度理解できる」全体の約6割

 同姓賛成の「夫婦は同じ名字を名乗るべきだ」は、その理由としている「同じ名字を使うことが当然だから」にしても、そういう制度だから、そうすべきだとする制度を慣習としていることからの無条件の固着観念に過ぎない。70代以上の同姓賛成が多いのは(=別姓反対が多いのは)同姓の制度に長く浸っていて、その慣習が精神に染みついているからだろう。

 「家族の絆や一体感が弱まるから」を理由とした別姓反対は、「子どもに好ましくない影響を与えるから」を含めて、夫婦同姓を「家族の絆」や「家族の一体感」の絶対的保障と見ていることになって、夫婦同姓であっても、少なくない数の離婚や別居等の夫婦破局の事例が絶対的保障となっていないことを見ていないことになる。

 既に触れたように夫婦別姓反対は制度を優先して人間の存在性を無視する類い過ぎない。繰返し言うことになるが、夫婦同姓が「家族の絆」や「家族一体感」を絶対的に保障する要件ではないし、絶対的要件となり得ることもないことは様々な形の夫婦破局が証明している。

 夫婦同姓という制度を優先して人間の存在性を無視する基本的人権の侵害は誰であろうと許されない。

 最後に記事が伝えている賛成・反対のそれぞれの識者の発言を記しておく。

 二宮周平立命館大学教授「今回の調査では60代以上が回答者の55%を占めた。若い世代では、夫婦別姓を選べるほうがいいという人が60%を超えている。20代から50代は、別々の名字を名乗ってもいいと思っている人が多く、『賛否きっ抗、反対派が多い』という調査結果の見方は誤りだ。夫婦同姓といっても96%以上が、女性が夫の名字を選択している今、夫婦別姓には個人の尊重と男女の平等、2つの意味が込められている。

 (世代によって意見が大きく異なっていることについて)「高齢の世代は、自分たちのこれまでの生活を否定する意見を持てないので、理解できないのではないか。一方、働いている男性や女性から見ると個人の呼称、自己の人格の象徴として、氏名を捉える人が多くなっているのではないか」

 高乗正臣平成国際大学名誉教授「(世論調査で賛否が大きく分かれていることについて)個人に重点を置くか、公の利益に立脚するかの違いではないか。個人の権利が大事だと考えると婚姻や戸籍の制度は拘束されるもののように映るが、こうした家族の制度は社会の秩序の維持や子どもの福祉に貢献してきた。名字が同じであることは家族を統合する重要で有力な手段なので、選択的であれ、夫婦が別の名字であることを認めると、社会の安定や福祉の基盤が崩壊していく危険があるのではないか。

 若い世代は多様な選択肢に寛容だが、社会にとっての家族の重要性をどれくらい理解しているのかが若干心配だ。これに対し、高齢者は家族の大切さを経験的に理解しているのではないか」

 過去の日本では高齢者ほど、夫が自身を大切にして、妻や子どもの意見や主張を犠牲にしても許される時代を長く過ごしてきた。

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出会い系サイト利用はイスラム国の国を跨ぐ国際テロの新しい方法なのか、新しい方法として学習されるのか

2015-12-07 08:32:20 | 政治
  


 12月2日に米カリフォルニア州のサンバーナーディーノの障害者支援福祉施設で起きた銃乱射事件はマスコミの報道によって色々と明らかになっている。

 14名が死亡、17名の重軽傷者。事件発生後に事件現場から数マイルの住宅街で警察によって容疑者2名が射殺された。

 容疑者2名は28歳の夫と27歳の妻、若い夫婦だった。二人は犯罪歴もなく、当局の監視対象外で、周囲の目にも普通の若い夫婦と映っていたと言う。自宅家賃も滞りなく支払われ、礼儀正しい印象だったという大家の証言も伝えている。

 ところが警察が二人の自宅を捜索したところ、イスラム教の教典コーランが置いてあり、大量の武器と弾薬が保管されていたと言う。

 福祉施設では当時地元郡のパーティが行われていて、加害者の夫も同じ群の職員として出席、途中で退席して妻と共に武装して会場に戻り、銃を乱射した。

 当局は事件発生後は「テロを排除せず」の捜査姿勢だったが、FBIがテロの疑いで捜査していく方針を示した。
 
 いわばテロ一本の捜査で固めた。

 若い夫婦の出会いなのだが、妻はパキスタン生まれ・サウジアラビア育ちで、夫とはイスラム教徒の出会い系サイトで知り合い、妻は2014年7月に婚約者ビザでサウジアラビアからアメリカに渡り、翌月に結婚したと言う。

 夫の顔写真を見ると、中東系の顔をしている。そのためにイスラム教徒の出会い系サイトを利用したのだろうか。
 
 捜査によって妻が「イスラム国」のバグダディ指導者に忠誠を誓うメッセージを別名でフェイスブックに書き込んでいたことまで判明した。

 「イスラム国」はアメリカやフランスなどの有志連合に加わる国々に住むイスラム教徒に対して敵対する国の市民であることを動機づけとした一般市民の殺害を呼びかける声明をインターネット上に出している。

 対して妻は「イスラム国」の指導者に忠誠を誓っていた。

 そのように「イスラム国」の思想に染まった妻が出会い系サイトを通じて中東系のアメリカ人を選び、一緒の生活を送ることになった。そして乱射事件を起こした。

 幾つかの記事が犯行の動機を妻の思想的な影響に置いている。

 問題は「イスラム国」の指示を受けて、出会い系サイトを利用して敵対国に潜入、出会った男に「イスラム国」の思想を吹き込み、テロを起こさせたのか、あるいは自身が考えてそうしたのかである。

 前者なら、国を跨いだ国際テロの新しい方法と見なければならないし、後者なら、国際テロの新しい有効な方法として学習され、学習したことを実行する形で今後利用される危険性が浮上する。

 男の方は単に女性との出会いを求めて出会い系サイトを利用したのに、国の機関に在職の国家の重要な機密情報を握り得る男に女を近づけて、その肉体を利用させて機密情報を流させる似た手口で夫婦生活を通じて「イスラム国」思想を植え付け、徐々に過激思想に洗脳していく。

 国際テロの有効な方法としないためにはアメリカは早急に銃規制に動き、簡単には殺傷能力の高い銃を入手できない体制を整えなければならないし、陸続きのヨーロッパ各国は銃の密輸を簡単には許さない厳しい入国審査制度を設けなければならない。

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『21世紀の資本』の著者トマ・ピケティ氏の説、テロの土壌は社会の不平等なのか、そうとは限らないのか

2015-12-06 06:13:33 | 政治


 2015年12月4日付「CNN」記事、《ピケティ氏、ISIS拡大の原因は「不平等」》という記事を昨日12月5日に読んだ。  

 トマ・ピケティ氏とはご存知のように一大ブームとなった『21世紀の資本』の著者であり、「Wikipedia」によると、フランスの経済学者であり、パリ経済学校設立の中心人物であり、現在はその教授だそうだ。

 2015年1月29日来日して、マスコミが追っかけ、東大で講演をした際、大盛況だったらしい。

 イスラムの過激派を生む土壌が不平等や格差等の社会的矛盾が原因だということはよく言われている。別に目新しいことではないように思えるが、この主張は仏紙ルモンドに寄稿したものだそうだ。

 記事が書いているピケティ氏の主張を下線で記した会話体に直した解説文を含めて記載してみる。

 ピケティ氏「明らかなことが1つある。テロは農民反乱の極端な形であり、中東の経済的不平等の上に栄えている。中東が火薬庫化するのに、我々は手を貸してきた。

 中東では人口の10%に過ぎない富裕層が富の約70%を握っている。そうした不平等な開発モデルは災厄しか生まない。それをいかなる形でも支えることは犯罪的だ」

 そして記事はこの主張に対する異論を紹介している。

 ダグ・ホルツイーキン米シンクタンク「アメリカン・アクション・フォーラム」総裁「彼の主張を裏付ける証拠は何もない。テロリストは貧しい階層の出身者とは限らない。国際テロ組織アルカイダの指導者、オサマ・ビンラディン容疑者は裕福なサウジアラビア人だった。また、米国や欧州の中流・上流階層出身者が過激派組織『イラク・シリア・イスラム国(ISIS)』などのテロ組織に加わろうとする例も多い

 アラン・クルーガー(プリンストン大学教授教授)(『テロの経済学』等の著作者)「世界各地のテロ組織や憎悪に基づき行動する過激派集団に加わった人々について調べた結果、経済力や教育水準は関係ないとの結論に達した

 デービッド・コトク(カンバーランド・マーケット・アドバイザーズ最高投資責任者)インドネシアやマレーシア、インドでも経済格差は大きく、イスラム教徒人口も多い。だがどこも、過激派の急拡大には至っていない。

 収入格差は宗教的過激派を突き動かす根本的な要因でもなければ小さな要因でさえない。ピケティ氏の議論は単純すぎる」

 記事はそれぞれの主張を並べただけで、記者の解説は入っていない。

 最後のデービッド・コトク最高投資責任者は「収入格差は宗教的過激派を突き動かす根本的な要因でもなければ小さな要因でさえない」と言って、イスラムの過激派を生む土壌として多くが見ている貧困や格差等の不平等を生み出している社会的矛盾説を素っ気なく一蹴している。

 一つ言えることがある。社会的な矛盾を憎むのは何も貧困の境遇や格差の底辺に置かれた者、不平等の悔しさに曝された者とは限らないだろうということである。

 オサマ・ビンラディンがこの例に入るかどうか知らないが、裕福な家庭に育ち、裕福な生活を送っていながら、貧困や格差、不平等といった社会の矛盾に無関心ではいられず、それが間違っていることを頭で理解し、その間違っている思いが募って矛盾をつくり出して社会に蔓延させて平気でいる国の政治とそのような政治を生み出している国家権力を握っている一部の政治家を憎悪するようになって、その憎悪を晴らすために社会の矛盾の犠牲者たちに如何に間違っているか知恵をつけ、武器を与えて、貧困や格差や不平等からの解放という名の下、戦うことの正当性を植えつけて、彼らをしてテロに走らせ、それを以て自らの行動とするということもあるはずだ。

 世界中で格差や貧困、不平等が蔓延している。その蔓延に取り込まれた多くがそれを宿命であるかのように受け入れている。村に水道が引いてなく、井戸もなく、何百メートルも離れた水汲み場に水を汲みに行かなければ生活ができない状況を何の疑問のなく受入れ、住まいと水汲み場を1日に何回か往復することを当然の日課とし、僅かな食料で細々と暮らしている貧しい住民たちにそれが当たり前の生活として与えられたものではなく、政治がつくり出した矛盾であり、その矛盾はそのような政治をつくり出している国家権力者たちを倒す戦いを始めなければ正すことはできないのだと教えて武器を与えたなら、武器を受け取って立ち上がる者は少なくないだろうし、それが次第に大きな集団へと広がっていくということもあるはずだ。

 欧米社会でも格差や貧困、不平等等の社会の矛盾に曝された者が政治や社会を憎むことを教えられるか、何かのキッカケで自分で学ぶかして、武器を取り、テロに走るよ例が存在するように見える。

 国家の政治や社会への憎悪が行動へと転換される一つの形がテロであり、そのようなテロを基本形として、テロを阻害する国内の政治勢力に外国政府が加わった場合、その外国に自らの仲間を送り込むか、その国で協力者を仕立てるかして起こすテロが国際テロということであるはずだ。

 テロ発生の土壌が何であれ、世界がこれ程にも大掛かりなテロリズムを憎悪のカタルシス(精神的な浄化作用)の方法として知り、使うようになった以上、世界に存在する貧困や格差等の不平等・社会的矛盾がテロ発生の要因の一つとしていることは否定できないことなのだから、それら全てを是正していく方向に努力しなければ、今後共テロはモグラ叩きのように思いがけない場所で思いがけない瞬間に引き続いて起こるに違いない。

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クロ現問題、国家権力を背負った高市早苗のNHKへの文書指導と自民調査会の事情聴取は報道圧力そのもの

2015-12-05 10:18:01 | 政治


 NHK会長の籾井勝人が12月3日の定例記者会見中、NHKの「クローズアップ現代」の番組に過剰演出があった問題で自民党情報通信戦略調査会がNHK幹部を呼んで事情聴取したことを記者に問われて答えている。

 籾井勝人「圧力ではなかった。我々は不偏不党でやってますから、自民党だろうが野党だろうが説明に来いと言われたら行く。そこでこの番組はどうだと言われたら『聞けません』と言う。

  (BPOの自民党側に対する批判について)コメントは差し控えたい。(自民の聴取について)番組について我々がプレッシャーを受けたということはない。これを言うと、また籾井は自民党寄りだと言われるかもしれないが、事実を言うと説明に行っただけ。圧力ととらまえるのは考えすぎでは」(asahi.com/2015年12月3日19時08分)

 要するに事情聴取は番組制作に関わる圧力ではなかった。圧力と解釈するのは考え過ぎで、例え圧力があったとしても、「聞けません」と跳ね返すと言うことなのだろう。

 圧力問題が出てきたのはご承知のように番組を審査したBPO(放送倫理・番組向上機構)が自民党の調査会がNHK幹部を呼んで事情聴取したことと、筋金入りの右翼、総務相の高市早苗が文書で行政指導したことに対して政権党による圧力であり、厳しく非難されるべきだと批判したことによる。

 だが、籾井勝人は「圧力ではなかった」と言っている。

 自民党側にしても圧力とはっきりと分かる露骨な圧力を見せるわけはない。見せたりしたら、野党や国民から批判されて、逆に窮地に立たされることになる。そこは狡猾に振舞うだろう。

 自民党側は常に政権党としての国家権力を背負って行動する。この点、野党が同じ行動を取ったとしても、異なることになる。結果的に他愛のない話で済んだとしても、問題視されている事柄を国家権力を担った者として検証する姿勢で臨むことになるから、結果はどうであれ、姿勢自体は自ずと国家権力で律する力学・意思を前提とする。あるいは律しようとする力学・意思を前提とする。

 力学・意思を“思い”という言葉に変えてもいい。

 国家権力で律する、あるいは律しようとする思いを前提とする。

 それだけで十分である。このような遣り方を誰も批判して止めなければ、前提とした姿勢で一度臨むことができれば、自分たちが問題視したい放送問題に同様の姿勢で臨むことを慣習とすることができるからだ。

 いわば何かあったら、いつでも我々は検証するぞ、黙っていないぞ、という国家権力側の姿勢を暗黙的に示すことができるし、そのような姿勢自体が意図せずとも圧力であり、圧力となる。 

 暴力団員が自分たちが縄張りとしている飲食店に顔を出す。その店が暴力団と馴れ合っている店ではなく、暴力団排除を意思している店であるなら、例え一人切りの来店で、特別なことを喋らずにただ単にビールを何杯か呑んで店を出たとしても、あるいは逆に客とバカっ話に興じたとしても、組員がそこに存在するだけで暴力団の属性を知らしめて圧力となるのと同じである。

 一度顔を出せば、暴力団排除を牽制する圧力として引き続いて顔を出すことになるだろう。何をするか分からない存在として常に自分たちを意識させること自体が圧力となる。

 高市早苗が文書で行政指導したことも、自民党の調査会がNHK幹部を呼びつけて事情聴取したことも、報道内容に干渉することのできる国家権力という存在を意識させる点、暴力団が自分たちの存在を意識させる圧力と何ら変わりはない。

 圧力ではないとする籾井勝人の認識は権力側に位置しているからだろう、甘い。

 BPOの報告書、《NHK総合テレビ『クローズアップ現代』“出家詐欺”報道に関する意見》(2015(平成27)年11月6日 放送倫理検証委員会決定 第23号)で番組制作は放送局の自律性に任せるべきで、番組内容に問題があると判断した場合はBPOの調査と放送局の改善策に任せるべき個々の問題だいった趣旨のことを述べているが、まさにそのとおりなのだが、自民党側は当然のことだが、誰もが圧力を否定している。

 菅義偉「総務省による行政指導は、NHKの取りまとめた調査報告書において放送法に抵触する点が認められたことから、放送法を所管する立場から必要な対応を行ったということだ。

 今回BPOは、放送法に規定する番組を編集する際の順守事項を単なる倫理規範であるとしているが、これは放送法の解釈を誤解しているものであり、(圧力だとする)今回の指摘はあたらない」

 谷垣幹事長「放送は新聞などと違い、貴重な電波を使っており影響力も極めて大きい。報道の自由があるから、一切『やらせ』に対して口をつぐんでいるのがよいとは思わない。おいでいただいて実情を聞くことはある」

 要するに「おいでいただいて実情を聞」いたとしても、報道の自由に対する圧力ではないと否定している。

 例え番組に不適切な内容があったとしても、それによって名誉を棄損されたなら、棄損された者が名誉毀損で裁判に訴え出て決着をつけるか、内容のみが過剰な演出であったり、事実に反していたりする不適切があった場合は放送局の調査委員会が調査するか、最終的にはBPOが審査してその不適切を認めたなら、放送局に改善を指示し、放送局はその指示に従って適切な改善を施していく自律性にこそ任せるべきで、その自律性を阻害する如何なる権限も、例え国家権力を握っていたとしても、ないはずである。

 にも関わらず、高市も自民党調査会も政権党としての国家権力を背負って行動する自分たちの属性を弁えもせずに自分たちの存在といつでも乗り出す姿勢の、否応もなしに圧力となる暗黙的な知らしめを正当性を装いながら演じる。

 少なくとも報道の自由に対する圧力の影を持たせている。

 上記BPOの報告書は放送法の第1章第1条第2項の「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」について、〈しばしば誤解されるところであるが、ここに言う「放送の不偏不党」「真実」や「自律」は、放送事業者や番組制作者に課せられた「義務」ではない。これらの原則を守るよう求められているのは、政府などの公権力である。〉と解釈しているが、確かに「保障」するのは国家権力であるが、放送局側は“保障される”ことによって、「不偏不党、真実及び自律」を守る義務と責任が生じる。

 国家が保障して、保障される側が守らななくてもいい、守る義務も責任もないでは国家の保障は有名無実となる。基本的人権について考えれば理解できる。国家が国民の思想・信条の自由を保証する以上、国民はそれを守る義務と責任を負う。

 つまり放送局は「不偏不党」に縛られていることになる。勿論、国家権力によってではなく、自律的にである。基本的人権について言うと、国民一人ひとりが自律した個人として基本的人権に縛られていることになる。

 不偏不党は思想・信条の自由といった基本的人権の点からも、マスメディアが国家権力の監視を役目の一つとしている点からも、人間の自然性の点からも反していて、放送法を改めるべき時が来ているのではないだろうか。

 政治的な思想・信条を自由に表現していいとしたなら、放送局自体が、あるいは番組自体がそれぞれに政治色、あるいは党派色に別れることになって、視聴者は自身の気に入る政治色、あるいは党派色の番組を見れば済む。

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安倍晋三の子どもの貧困対策は親の貧困を作っておいて支援する対処療法

2015-12-04 11:04:33 | 政治


 《子どもの貧困対策の推進に関する法律》が安倍政権下の2013年6月26日に施行されている。

 第1章総則 第1条で〈この法律は、子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図るため、子どもの貧困対策に関し、基本理念を定め、国等の責務を明らかにし、及び子どもの貧困対策の基本となる事項を定めることにより、子どもの貧困対策を総合的に推進することを目的とする。 〉と当法律の理念を述べている。

 それから約2年半、競艇の収益金を元に海洋船舶関連事業の支援や公益・福祉事業、国際協力事業を主に行なっている日本最大の資産規模を持つ公益財団法人であり、初代会長はマスメディアからは「右翼のドン」と呼ばれた笹川良一、現会長がその三男の笹川陽平である日本財団が、〈貧困状態にある子どもに教育などの支援を行わなかった場合、個人の所得が減る一方で、国の財政負担が増えることから、経済や国の財政に与えるマイナスの影響=「社会的損失」は、15歳の子どもの場合、4兆円に上る〉とする推計を公表したと各マスコミが伝えている。

 「NHK NEWS WEB」(2015年12月3日 17時07分)記事から見てみる。   

 現在貧困状態にある17歳以下の子どもの割合は国の推計で6人に1人。

 この6人に1人と言うのは《NHK時論公論 「待ったなし!子どもの貧困対策」》(2015年05月07日 (木) 午前0:00~)を参考にすると、国民の平均的な所得の半額値を言う「貧困ライン」以下の低所得の世帯に占める子どもの全子ども数に対する割合で、人数は約300万人、率にすると、16.3%、2012年の貧困ラインは122万円だという。

 但し母子家庭などの「ひとり親世帯」の子どもは2人に1人、貧困率は54.6%にも達するという。

 そしてこのような子供の貧困状態の背景には格差の拡大があると解説している。〈離婚などによるひとり親世帯の増加に加え、政府が規制緩和を進める中で、企業が正社員を減らし、賃金の低い非正規労働者を増やしてきたことが貧困率を押し上げている〉と。

 つまり政府が原因を作って、生じた結果に対して対策を講じているが、そういった対処療法がその結果に対しても満足に追いついていない構造を見ることになる。

 そもそもからして原因を作らないための原因療法が必要なのだが、それが疎かになっていることも一因となっているなかなか追いつくことができない状況でもあるはずだ。

 こういった子どもたちの深刻な状況を解決するために《子どもの貧困対策の推進に関する法律》を施行させたということなら、当然、原因療法に向かわなければならない責任を国は負ったことになるはずだ。

 調査対象は現在15歳の子どものうち生活保護世帯やひとり親家庭のおよそ18万人。

 調査は二つのケースを想定している。

 ・現状のまま進学や就職をした場合。

 ・学習支援などを行って高校や大学への進学率を貧困でない世帯と同じくらいにした場合。

 この二つのケースの場合、就職や所得がどのように変化するかを予測。

 ・現状のままの場合。

 正社員として就職する若者が9000人減。
 無職になる若者が4000人増。
 生涯所得2兆9000億円減。

 要するに後者のケースでは上記各数値が修正されてゼロに近づくことになる。

 この結果、税収や保険料の減少を招くことで生じる国の財政的負担は約1兆1000億円増。 

 経済や国家財政に与えるマイナスの影響としての全体的な「社会的損失」は所得の減少と国の財政負担の増加を合わせて4兆円に上ると推計。

 この調査は「社会的損失」の推計値として現れる膨大な金額を想定して、それを防ぐために社会的損失が現れる前段階でそれ相応の国家予算を注ぎ込んで、原因療法となる対策を打つべきだとの警告でもあろう。

 安倍晋三は「日本人の命と幸せな暮らしを守り抜く」と兼々宣言しているのである。
 
 《子どもの貧困対策の推進に関する法律》は「子ども等に対する教育の支援」、「生活の支援」、「就労の支援」、「経済的支援」等の施策を講ずることを定めている。

 ところが上記「NHK時論公論」記事によると、《子どもの貧困対策の推進に関する法律》の施行から1年2カ月後の2014年2カ月後の2014年8月29日、法律の具体的な対策として「子供の貧困対策に関する大綱について」を閣議決定しているが、大綱の決定が法律施行から1年以上も経過していること自体がどれ程の熱心度か窺うことができ、法律に規定した通りに対策の柱を「教育支援」、「生活支援」、「保護者の就労支援」、「経済的支援」の項目に置いたものの、実際には勉強が遅れがちな子どもへの学習支援など「教育支援」が中心で、貧困家庭の解消をめざす対策――いわば原因療法は殆ど盛り込まれず予算がつかなかったと解説している。

 つまり大綱で「貧困の連鎖を防ぐための幼児教育の無償化の推進及び幼児教育の質の向上」と題して、〈幼児期における質の高い教育を保障することは、将来の進学率の上昇や所得の増大をもたらすなど、経済的な格差を是正し、貧困を防ぐ有効な手立てであると考えられる。このため、全ての子供が安心して質の高い幼児教育を受けられるよう、「第2期教育振興基本計画」等に基づき、幼児教育の無償化に向けた取組を財源を確保しながら段階的に進める。〉と謳っていることは、子どもに教育支援を施して可能な限り大学教育まで受けさせて所得を保障しようという将来的な格差の是正策、いわば将来的な原因療法であって、それまでは現在の格差はそのままにして子供の教育支援は対処療法で行うという政策と言うことになる。

 しかも国の予算を使わずに、民間の資金を当てにしている。

 このような姿勢が2015年11月24日発表のGDPに占める教育機関への公的支出の割合は日本は2012年は3.5%、加盟国34か国のうちでスロバキアと並んで最下位というOECD調査に現れる一因ともなっているのだろう。

 当然、親たちの現在の格差に対する原因療法は対象外と言うことになる。

 対象外としていて、子どもたちに対する主として民間資金依存の将来的な原因療法でゆくゆくは格差は是正されていくのだろうか、甚だ疑問である。

 なぜなら、正規社員が減少し、非正規社員が増加している現実があるからだ。

 「日経電子版」によると、厚労省の2015年11月4日発表の調査で、非正規雇用の理由は「賃金の節約」が38.8%(前回調査-5ポイント)を占めて最多、「仕事の繁閑への対応」33.4%(前回-0.5ポイント)、「即戦力・能力ある人材の確保」31.1%(前回調査+6.6ポイント)となっている。 

 「賃金の節約」が前回調査よりも5ポイント減っているものの、人手不足から節約を言っていられないという事情もあるのだろうが、他の質問を併せて全体的に見ると、「仕事の繁閑への対応」33.4%は不景気になって仕事が暇になれば、非正規という地位にある以上、最初に人員整理の対象となるだろうし、「即戦力・能力ある人材の確保」にしても、同じ境遇に立たされない保証はない。

 しかも非正規の賃金が上がったと言っても、2014年の1年間の平均給与で見てみると、正規労働者が1.0%増の478万円、派遣社員などの非正規労働者が1.1%増の170万円と、たったの1.1%であり、正規社員の36%しかなく、しかも平均であるから、非正規社員が増加している状況下では平均以下の所得が多くを占めているはずである。

 このような格差の根を断つ原因療法を施さない限り、現在貧困ライン以下にある子どもたちに対する教育支援を行ったとしても、少なくない誰かが非正規社員の生け贄に合い、親から子への貧困の連鎖は続くことになるはずだ。

 安倍晋三は所得の嵩上げに熱心だが、そのおこべれがほんの僅かに非正規社員に届き、その一方で企業が非正規社員を増やして利益を上げることを許している。

 ここに親の格差・貧困の根を断つ原因療法に思い至らない背景があるはずだ。

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小林同友会代表幹事の「原発事故は地球儀的にはローカル」発言から全体主義的国益観を見る

2015-12-03 09:31:05 | Weblog


 経済同友会の小林喜光代表幹事が12月1日の定例会見で地球温暖化の影響との比較で、「原発(事故)は地球儀的にいえば極めてローカルだ。ものすごく不幸なことだが、『劇症肝炎』みたいに一部が瞬間的にやられる」と述べたことを、〈性質の異なる問題を病に例え、原発事故を軽視しているとも受け止められかねない発言〉だと「asahi.com」記事が批判気味に伝えていたので、削除されているかもしれないと思いつつ経済同友会のサイトにアクセスしてみたら、ちゃんと載っていた。   

 定例記者会見だからだろう、株価や首相官邸開催の官民対話とか、税制とかの記者の質問に答えていたが、問題の発言の個所だけを取り上げてみる。小林氏の応答は段落なしに表記されていたから、読みやすいように適宜段落を入れた。

 小林氏の発言の丸括弧をつけた付け足し・注釈は最初から書き入れてあった。当方の注釈は青文字で記入した。

 《代表幹事定例記者会見(12月1日)発言要旨》(公益社団法人経済同友会/2015年12月01日)
    
 記者「COP21について、2030年までに2013年比26%削減という目標を掲げているが、日本の産業界、日本企業にとってビジネスチャンスになるのか。それとも、フランス、ドイツが訴えているように産業界で排出される炭素に価格をつけるという流れが足かせになるのか」

 記者の質問は砕けた言い方をすると、要するに「COP21」(「気候変動枠組み条約第21回締約国会議」)で決めることは日本にとって儲け話となるのかならないのかを趣旨としている。

 小林氏がこの趣旨にどう応じたかによって、原発事故の譬えの意味するところがわかってくる。

 小林代表幹事「130カ国以上の首相が行かれて、安倍首相はG20、APEC、ASEAN、パリとあちこち飛び回っている。特にCO2問題というのは世界の問題。テロもそうだが、グローバルになっている象徴的なものだ。中国で出そうが日本で出そうが、CO2は大気圏のなかでブロックされ、大気圏外に排出されるのに400年くらいかかる。一回溜まってしまうとほとんどアウト。どこから出ようが、一回出してしまったら(溜まるばかりだ)。

 産業革命以来(温暖化が進み、現在温度上昇を)2度以内に抑えようというと、2050年以降、CO2は出してはいけないとなる(状況だ)。私が常々言っているのは、原発(事故という大惨事)は地球儀的には(地球全体で考えると)ローカル(局地的)である。原発事故というのはものすごく不幸なことで、病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のものだ。きわめて瞬間的にやられる。

 CO2は気が付かないうちにむしばまれ、気が付いたら命を落とすような慢性の疾患のようなものだ。2100年になって5度も上がったら海水海面が80数センチも上がり、南の島しょ国は存在できないというくらい怖い病だ。そのような意味で、130カ国以上が一堂に会して問題意識を共有するという段階だと思う。

 非常に発展した国と、今から発展する国、これによってお金の考え方が全然違う。安倍首相は1兆3,000億円の補助をすると演説したが、新興国にとっては、先進国が勝手に今までさんざん(CO2を)出してきて、自分たちがこれから同じように発展しようと思ったらブロックするというのは、それはないだろう、だから援助を、というのは分かる。

 日本国としても1兆3,000億円と大盤振る舞い、比較的前向きに対応している。加えて、日本の場合は、石炭火力一つとっても、CCS(Carbon Capture and Storage)を含め、進歩した技術を持っている。化学業界では、10年くらい前からLED、有機系太陽電池、あるいはリチウムバッテリーより高度な蓄電池システムなど(に投資し)、日本は間違いなく進んでいるので、今から発展する国へ技術的支援をする。

 地球全体が汚れていくのをどれだけ防いでいくか、日本は統計にもよるがかつて(世界の)4%、いまだと2.8%。化学工業はかつてすごくCO2を出したが、技術を限界まで歩留まりを上げてCO2を出さないようにしてきている。そういう技術を中国なりインドなりで使えば、世界全体として良くなる。

 ICCA(国際化学工業協会協議会)で年に2回、アメリカとヨーロッパで会議があり、去年は日本であったが、特に化学産業など、エネルギー多消費型産業は、最も先鋭的にCO2のエミッション(放出・放射・大気汚染物質)を減らす研究開発をやってきた。

 それをいかに新興国に転換するかを、各業界もCOP21に行き宣伝している。京都議定書の後、こうして機運がようやく高まった。宣言してノーオブリゲーション(「義務は負わない」)、単に「私は2030年までに2013年比26%減らします」と言うだけでだけでいいのか、法律的な規制が加わるのかという議論はこの10日間で行われるのだろうが、アメリカ・中国はあまり乗り気ではない(ようだ)。

 当面は、皆がこうした問題意識をもって2030年に向かってやるというのが落ち着きどころかと思う。温暖化ガス、GHGとは、CO2だけでなくメタンもフッ素系もある。ある国ではCO2しか測っていない。日本はメタンもフッ素系も測っており、メタンは30倍ほども(温室効果の)ファクターが高い。フッ素系は1万倍以上高い。測定法、分析方法もまだ標準化されておらず、それぞれ独自にやっている段階だ。ヨーロッパや日本など先鋭的に地球環境(保護に取り組み)、GHG(Greenhouse gas=温室効果ガス)を減らすという貢献を事業とともにやれば、最後はビジネスチャンスになると思う」(以上)

 「非常に発展した国と、今から発展する国、これによってお金の考え方が全然違う」という発言、「日本国としても1兆3,000億円と大盤振る舞い、比較的前向きに対応している」という発言、そして最後の「先鋭的に地球環境(保護に取り組み)、GHG(Greenhouse gas=温室効果ガス)を減らすという貢献を事業とともにやれば、最後はビジネスチャンスになると思う」という発言、これらを通すと、儲け話(=ビジネスチャンス)の文脈となっていて、記者の質問の趣旨に添った発言ということになる。

 当然、日本の技術は「間違いなく進んでいるので、今から発展する国へ技術的支援をする」と言っている技術支援、日本の優れた有害大気汚染物質排出抑制技術を「いかに新興国に転換するかを、各業界もCOP21に行き宣伝している」と言ってい技術転換はすべて儲け話(=ビジネスチャンス)の観点からの物言いと見なければならない。

 では改めて「asahi.com」記事が問題とした発言を見てみる。

 「私が常々言っているのは、原発(事故という大惨事)は地球儀的には(地球全体で考えると)ローカル(局地的)である。原発事故というのはものすごく不幸なことで、病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のものだ。きわめて瞬間的にやられる。

 CO2は気が付かないうちにむしばまれ、気が付いたら命を落とすような慢性の疾患のようなものだ。2100年になって5度も上がったら海水海面が80数センチも上がり、南の島しょ国は存在できないというくらい怖い病だ。そのような意味で、130カ国以上が一堂に会して問題意識を共有するという段階だと思う」――

 地球温暖化問題の深刻さを訴えるためにわざわざ原発事故を持ち出して、後者の深刻さが、例え「病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のもの」であったとしても、「地球儀的にはローカル」な問題に過ぎないと見做して、前者の深刻さを「地球儀的」な規模のものだと遙か上に置く位置づけで両者を対比させたのも、「気が付かないうちにむしばまれ、気が付いたら命を落とすような慢性の疾患のようなもの」だとする前者の譬え、「一度に命を落とすような劇症のもの」だとする後者の譬え自体は不適正ではなかったとしても、国家規模の儲け話(=ビジネスチャンス)を背景に置いた、その範囲内の発想からの緊急な解決必要性を訴えた発言ということになる。

 原発事故による原子炉からの放射能物質の大量の漏洩は自国の原発事故を想定させることで放射能汚染に対する不安は世界中に広がるとしても、被害自体は地球規模から見た場合、原発事故を起こした地域と周辺地域、日本のように国土が狭ければ、その一国、あるいは陸続きの国が原発事故の地域と近接していたなら、その隣国等々に限定されて、確かにローカル、局地的な問題と言うことができる。

 だとしても、そのローカル(局地的)な中で放射能被害を受けた住民にとってはいくら地球儀的な規模の被害ではなくても、放射能被害の中心に置かれることになって、ローカル(局地的)では済まされない非常に深刻な重大な被害に見舞われることになる。小林氏の譬えを借りると、「病気に例えれば一度に命を落とすような劇症のもの」、「きわめて瞬間的にやられる」状況下に生命が曝されることになるのである。

 だが、儲け話(=ビジネスチャンス)の観点から温室効果ガスの問題を原発事故と対比して「地球儀的にはローカル」な問題だとすることができたのは、あるいはこの指摘が間違っていて、そのような背景からではなく、温室効果ガスの問題は地球儀的な問題であり、原発事故を「地球儀的にはローカル」な問題だと単純に対比させせた過ぎないとしても、そのように対比させることができたのはローカル(局地的)では済まされない状況下に置かれている、あるいは置かれることになるだろう一人ひとりを見ていないからだろう。

 もし原発事故下の一人ひとりを見ていたなら、とてものこと、「地球儀的にはローカル」だと、地球規模で把えた事故の規模で見ることはできない。

 見ることができたのは、やはりこれらの発言が儲け話(=ビジネスチャンス)を基本としていたからだろう。儲け話(=ビジネスチャンス)を基準とすることによって温室効果ガスの問題の方が遥かに儲け話(=ビジネスチャンス)に合致することなる。

 小林代表幹事のこの一人ひとりを見ない視点には全体主義的傾向を感取しないわけにはいかない。全体主義とは個人の利益よりも全体の利益を優先する思想を言う。個人は全体の利益に奉仕することによってのみ個人としての利益を得ることができる。

 安倍晋三を見れば理解できることだが、上に立つ者がこの傾向に毒されると、国家を優先する考えに立つことになって、その分、個人個人を見る目が弱められることになる。結果、原発事故に見舞われた被災者一人ひとりの不安を見ないことになる。

 地球温暖化で気温が「2100年になって5度も上がったら海水海面が80数センチも上がり、南の島しょ国は存在できないというくらい怖い病だ」と言っていることも、日本の優れた温暖化ガス排出抑制技術の活用の機会に向けた儲け話(=ビジネスチャンス)を日本の国益として捉えた発言とすることができて、他の発言との整合性を見ることができる。

 上記「asahi.com」記事は小林氏は記者会見後、記者団に「温暖化は原発事故と同じくらい深刻な被害を招くと言いたかった」と釈明したと伝えているが、記者会見の趣旨と釈明の趣旨は全くの別物である。同じだとすると、原発事故は「地球儀的にはローカル」という言葉を使った意味を全く失う。誤魔化しているに過ぎない。

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高村正彦の自衛隊活動「やれる仕事は増えても、やる仕事が増えるとは限らず」の詭弁、前者と後者は相互対応

2015-12-02 09:23:24 | Weblog



        「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《12月1日「生活」機関紙第30号(電子版)発行ご案内》    

       【今号の主な内容】
       ◆小沢一郎代表 巻頭提言
        「オリーブの木構想で野党が一体となって戦えば必ず政権交代は実現する」 
       ◆全国街頭記者会見を敢行 山本太郎代表 
       ◆議員活動報告 主濱了副代表、谷亮子副代表
       ◆海外レポート 玉城デニー幹事長
       ◆ベトナムの大学生を日本に招待 小沢一郎代表
       ◆パリ同時多発テロ事件に関して(声明)

 詭弁の名人自民党副総裁の高村正彦が11月28日、仙台市での自民党員向けセミナーで次のような発言をしたと「asahi.com」記事が伝えている。 

 なかなかの名言である。勿論詭弁の範囲内の名言であることは断るまでもない。

 高村正彦「(安全保障法制で)今までやらなかったことを自衛隊がより広くやれるようになるんだから、より自衛隊員が大勢必要になる、あるいは、余計に予算がかかるんじゃないか、というのは本末転倒の議論だ。

 中国の軍事費がどんどん伸び、それに合わせて伸ばせないから日米同盟を強化している。我が国自らの軍拡をしたくないために、日米同盟をより強固にしようというのが私たちの考えだ。

 確かに(他国軍を後方支援する)一般法(ができたこと)で、いろいろなことができるようになった。やれるメニューが増えることと、やることが増えることは同じではない。メニューがたくさんあるレストランに行ったら、3倍も4倍も食べますか。そんなことはない。やれるメニューはあるけれども、日本がその状況で一番やるのにふさわしいことをやる。やれる仕事は増えても、やる仕事が増えるとは限らない」(以上)

 先ず「(安全保障法制で)今までやらなかったことを自衛隊がより広くやれるようになるんだから、より自衛隊員が大勢必要になる、あるいは、余計に予算がかかるんじゃないか、というのは本末転倒の議論だ」と言っている。

 安倍政権下で着実に防衛関係費は増加している。

 平成25年度 4兆7538億円
 平成26年度 4兆8848億円
 平成27年度 4兆9801億円
 平成28年度概算要求額 5兆911億円(自民党国防部会に於いて了承)
 
 平成28年度概算要求額は見て分かる通り、平成27年度防衛関係費から一挙に1兆円も膨らんでいる。

 2015年9月1日付「TOKYO Web」記事に(既に記事はネット上から削除されているためにリンクを貼ることが不可能)「後年度負担」について書いてあり、〈(2016年度)概算要求に盛り込んだ武器購入費は、17年度以降にローンが発生し、総額2兆5648億円となる。これとは別に、17年度以降に支払わなければならない、過去に購入した武器のローン総額は2兆3617億円。総額4兆8815億円で、防衛省の概算要求総額に匹敵する。〉と解説しているが、予算以外に別に支払う金額というわけではないはずだ。

 防衛省は「平成26年版防衛白書 防衛関係費の内訳」「後年度負担」についてこう書いてある。
 
 〈歳出予算とは別に、翌年度以降の支払を示すものとして新規後年度負担額がある。防衛力整備においては、艦船・航空機などの主要な装備品の調達や格納庫・隊舎などの建設のように、契約から納入、完成までに複数年度を要するものが多い。

 しかし、わが国の予算は毎会計年度国会の議決を経なければならないため、原則として予算により認められた国費の支出は当該年度に限られる。そのため、契約から納入、完成までに複数年度を要するものについては、複数年度に及ぶ契約を行い、将来(原則5年以内)の一定時期に支払うことを契約時にあらかじめ約束するという手法をとっている。このような複数年度に及ぶ契約に基づき、契約の翌年度以降に支払う金額を後年度負担額といい、平成26年度に新たに負担することとなった後年度負担額(新規後年度負担額)は、前年度から2,948億円(17.8%)の増額となっている。〉――

 〈防衛力整備には複数年度にわたるものがある。その場合、契約する年度と代価を支払う年度が異なるため、まず将来における債務負担の上限額を、国庫債務負担行為(債務を負う権限のみが与えられる予算形式であり、契約締結はできるが、支払はできない。)として予算に計上する。

 それを根拠として契約し、原則として完成・納入が行われる年度に、支払に必要な経費を歳出予算(債務を負う権限と支出権限が与えられる予算形式であり、契約締結および支払ができる。)として計上する。このように、過去の契約に基づく支払のため計上される歳出予算を歳出化経費といい、次年度以降に支払う予定の部分を後年度負担という。〉――

 「我が国の防衛と予算」(防衛省)には平成26年度と27年度の「新規後年度負担額」が記載されている。 

 「新規後年度負担額」
 
 平成26年度予算額 2兆1733億円 対前年度増△減額 +2948億円
 平成27年度予算額 2兆5623億円 対前年度増△減額 +3534億円

 平成26年度の「新規後年度負担額」の対前年度増減額は上記既出の「2,948億円」に合致する。

 但し対前年度増減額はSACO関係経費(沖縄県民の負担を軽減するためにSACO最終報告の内容を実施するための経費)と米軍再編関係経費を含まない額であって、含むと次のようになる。

 平成26年度予算額対前年度増△減額 +3891億円
 平成27年度予算額対前年度増△減額 +4434億円

 マスコミはSACO関係経費と米軍再編関係経費を含めて「防衛関係経費」、あるいは「防衛予算」として伝えている。防衛省は少なく見せるためか、逆に含まない額を最初に記載している。

 このようにローン形式での支払いであっても防衛予算の中に「新規後年度負担額」として計上しておいて、支払いの段階に来た場合、1回分の支払い額を「歳出化経費」として計上していくが、それはあくまでも既に予算計上した「新規後年度負担額」の中に含まれている金額であって、そうでなければ二重の予算額となる。

 何をどうローンを組んでいても、通常の予算額の範囲内で見ればいいはずだ。

 民主党政権下〈2009年(平成21年)9月16日~ 2012年(平成24年)12月26〉の防衛関係費の推移を見てみる。

 平成22年度 4兆7903億円 
 平成23年度 4兆7752億円
 平成24年度 4兆7138億円

 漸減傾向にあったが、上記記載したように安倍政権になって一転増加している。

 高村正彦は「中国の軍事費がどんどん伸び、それに合わせて伸ばせないから日米同盟を強化している」と言っているが、中国から見た場合、対峙しているのは自衛隊+在日米軍(+αとして在日米軍以外のアメリカ太平洋軍)であって、日本は日本も負担している在日米軍の経費込みの防衛費で見なければならないのだから、日本の防衛費のみで中国の軍事費と比較するのは詭弁そのものである。

 それが証拠に中国が自国領だとしている尖閣諸島を獲りに来ないのは防衛を約束している在日米軍(+アルファ)が背後に控えているからだろ。

 だからと言って、日米同盟の強化を全面に出すことばかり進めると、そのことに対応して中国も日本向けの防衛力を強化することになり、結局は防衛装備の強化競争に走ることになる。

 詭弁中の最たる詭弁は「確かに(他国軍を後方支援する)一般法(ができたこと)で、いろいろなことができるようになった。やれるメニューが増えることと、やることが増えることは同じではない。メニューがたくさんあるレストランに行ったら、3倍も4倍も食べますか。そんなことはない。やれるメニューはあるけれども、日本がその状況で一番やるのにふさわしいことをやる。やれる仕事は増えても、やる仕事が増えるとは限らない」の発言である。

 高村正彦が言っていることは自衛隊を少人数の集団扱いとすることで初めて可能となるゴマカシの論理に過ぎない。

 現在は自衛官247,160人、予備自衛官47,900人、即応予備自衛官8,175人、予備自衛官補4,600人等、50万人を超す人的戦力を抱えている。現役自衛官24700人だけであっても、効率よくローテーションを組んで役割分担すれば、増えた「やれる仕事」に対応して「やる仕事」を増やすこともできる。決して不可能ではない。

 だが、自衛隊がごく少人数の自衛官しか抱えていなかった場合、ローテーションを組むことも役割分担することも困難となり、いくら「やれる仕事は増えても、やる仕事」に限界が生じることになって、「やる仕事」を増やすことはできない。

 高村正彦は新安保法制によって自衛隊の後方支援や米艦防護等の新たな任務が生じても、任務が増えるわけではない、当然、リスクが高まるわけではないと国民に思わせるためにメニューがたくさんあるレストランで一人が一度に味わうことのできるメニューを増やすことはできない譬えで証明しようとして結果的に自衛隊を少人数の集団扱いにしたのである。 

 そのような集団に限ってのみ、“分担”や“ローテーション”といった役割は不可能とすることができることに愚かにも気づかずに詭弁を弄した。ただの国会議員ならまだしも、自民党の副総裁であり、新安保法制を自民党側から推し進めてきた中心人物である、こういった詭弁は許すされるはずもないし、国民をバカにする詭弁中の詭弁である。

 「やれる仕事」が増えれば、当然、「やる仕事が増える」のは当然のことで、両者は常に相互対応の関係にある。相互対応の関係を崩さないために、当然、予備を活用しても自衛官が不足するなら、自衛官を増員することになるだろう。企業にしても仕事が増えて、人手が足りなくなれば、新規募集をする。新規募集せずに人出が足りなくなるのを指をくわえて眺めているわけはない。

 それとも、自衛官の数が少ないから、海外へ後方支援のための派遣はできません、米艦の防護もできませんと断るのだろうか。

 そんなはずはない。安全保障法を十分に機能させることを最優先にして、そのために自衛官を募集するだろうし、自衛官が募集に応じて集まらなければ、安倍晋三は「日本国憲法 第3章国民の権利及び義務 第18条」の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」 の規定を根拠に徴兵制を否定しているが、愛国心を掲げることで徴兵制から苦役の側面を外して徴兵制に走る可能性もある。

 国民は安倍政権の様々なインチキに誤魔化されてはいけない。

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