■榛名神社榛名山散策記
榛名山は新生代に日本列島形成と共に生れ出た北関東有数の巨大火山で、盛んな噴火を引き起こす浅間山が過去に起こした記録は11世紀の火山爆発指数4という大噴火でしたが、榛名山は6世紀に火山爆発指数6の巨大噴火を引き起こし、火山としては榛名山が大きい。

用明天皇元年の586年、この地に祭祀の縄張りが記され、ここから現在の榛名神社の歴史が始まりました。興味深いのは二ッ岳有馬火山灰噴火という榛名山噴火が489年から550年に掛けて続き火山爆発指数4と火山爆発指数5連続噴火が漸く鎮静化した時期と重なる。

日本書紀に伝わる綏靖天皇治世下の神事に始まる榛名神社の歴史ですが、この地はその後の実に千年間を榛名山巨大噴火の火砕流とテフラに埋もれる訳で、用明天皇治世下の時代に行われた祭事こそが、今日の榛名神社に続く始まりの始り、といえるのかもしれません。

今日の榛名神社と云いますと、昔日の榛名神社があったかを思わせる言葉ですが、実は、あったようなのです。そして、火砕流に飲み込まれました、これは渋川市の金井東裏遺跡で榛名山噴火を鎮める神事が行われ、その最中火砕流が発生し呑みこまれた、というもの。

火山爆発指数6の噴火は10km3以上の火山性噴出物を発するもので、江戸時代の富士山宝永噴火が火山爆発指数5でした、セントヘレンズ山1980年噴火とヴェスヴィオ火山ポンペイ噴火も火山爆発指数5、在比米軍が撤退したフィリピンのピナトゥボ山噴火で漸く6です。

美しい山は人類と敵対しない、とは巨大火山に関する所感です。日本で火山爆発指数8以上の巨大噴火を起こす火山は、九州の阿蘇、姶良、加久藤、鬼界、この四火山です。加久藤火山は霧島火山帯の総称、姶良火山は桜島と錦江湾の真下、鬼界は九州沖海底火山です。

巨大火山は巨大噴火と共に噴火丘を吹き飛ばすため富士山のような美しい山容を保つ事が出来ません、富士山の本体は富士箱根一帯で、これが噴火すると過去の噴火から火砕流は横浜を600度の堆積物で埋め、火砕サージは東京23区に到達し、地上構造物等を焼き払う。

榛名山を見上げますと、榛名山はカルデラ湖だる榛名湖の周囲を環状に掃部ヶ岳に天目山と相馬山に二ッ岳烏帽子岳と鬢櫛山に水沢浅間山や鷹ノ巣山と三ッ峰山と杏ヶ岳と古賀良山と五万石が並ぶ、典型的な巨大火山としての地形となっている点に気付かされるところ。

東京という世界最大の大都会が広がる日本の首都は、北関東火山帯の榛名山が落ち着く7世紀に入り人が営みを拡大、10世紀の貞観富士噴火と貞観三陸地震と焼岳白鳳大噴火や浅間山の天仁大噴火11世紀に並ぶ巨大噴火が落ち着き、漸く人が住めるようになった印象も。

この高崎は豪族和田義信が和田城を築城し関東管領上杉家の配下に入りましたが、城主和田業繁が上杉謙信からへ武田信玄につき、戦国乱世の第一線へ、豊臣家の小田原攻めへ城主は北条小田原城籠城に参加、和田城は前田利家と上杉景勝により攻め落とされました。

徳川家康の関東入部に合わせ高崎は井伊直政の領地となり高崎城が造営、中山道と三国街道の分岐点という緊要地形を守る城郭として発展し、井伊直政は関ヶ原の戦いでの軍功により近江国彦根へ移封されましたが、重要な宿場町として栄え、今日の基礎を築きました。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
榛名山は新生代に日本列島形成と共に生れ出た北関東有数の巨大火山で、盛んな噴火を引き起こす浅間山が過去に起こした記録は11世紀の火山爆発指数4という大噴火でしたが、榛名山は6世紀に火山爆発指数6の巨大噴火を引き起こし、火山としては榛名山が大きい。

用明天皇元年の586年、この地に祭祀の縄張りが記され、ここから現在の榛名神社の歴史が始まりました。興味深いのは二ッ岳有馬火山灰噴火という榛名山噴火が489年から550年に掛けて続き火山爆発指数4と火山爆発指数5連続噴火が漸く鎮静化した時期と重なる。

日本書紀に伝わる綏靖天皇治世下の神事に始まる榛名神社の歴史ですが、この地はその後の実に千年間を榛名山巨大噴火の火砕流とテフラに埋もれる訳で、用明天皇治世下の時代に行われた祭事こそが、今日の榛名神社に続く始まりの始り、といえるのかもしれません。

今日の榛名神社と云いますと、昔日の榛名神社があったかを思わせる言葉ですが、実は、あったようなのです。そして、火砕流に飲み込まれました、これは渋川市の金井東裏遺跡で榛名山噴火を鎮める神事が行われ、その最中火砕流が発生し呑みこまれた、というもの。

火山爆発指数6の噴火は10km3以上の火山性噴出物を発するもので、江戸時代の富士山宝永噴火が火山爆発指数5でした、セントヘレンズ山1980年噴火とヴェスヴィオ火山ポンペイ噴火も火山爆発指数5、在比米軍が撤退したフィリピンのピナトゥボ山噴火で漸く6です。

美しい山は人類と敵対しない、とは巨大火山に関する所感です。日本で火山爆発指数8以上の巨大噴火を起こす火山は、九州の阿蘇、姶良、加久藤、鬼界、この四火山です。加久藤火山は霧島火山帯の総称、姶良火山は桜島と錦江湾の真下、鬼界は九州沖海底火山です。

巨大火山は巨大噴火と共に噴火丘を吹き飛ばすため富士山のような美しい山容を保つ事が出来ません、富士山の本体は富士箱根一帯で、これが噴火すると過去の噴火から火砕流は横浜を600度の堆積物で埋め、火砕サージは東京23区に到達し、地上構造物等を焼き払う。

榛名山を見上げますと、榛名山はカルデラ湖だる榛名湖の周囲を環状に掃部ヶ岳に天目山と相馬山に二ッ岳烏帽子岳と鬢櫛山に水沢浅間山や鷹ノ巣山と三ッ峰山と杏ヶ岳と古賀良山と五万石が並ぶ、典型的な巨大火山としての地形となっている点に気付かされるところ。

東京という世界最大の大都会が広がる日本の首都は、北関東火山帯の榛名山が落ち着く7世紀に入り人が営みを拡大、10世紀の貞観富士噴火と貞観三陸地震と焼岳白鳳大噴火や浅間山の天仁大噴火11世紀に並ぶ巨大噴火が落ち着き、漸く人が住めるようになった印象も。

この高崎は豪族和田義信が和田城を築城し関東管領上杉家の配下に入りましたが、城主和田業繁が上杉謙信からへ武田信玄につき、戦国乱世の第一線へ、豊臣家の小田原攻めへ城主は北条小田原城籠城に参加、和田城は前田利家と上杉景勝により攻め落とされました。

徳川家康の関東入部に合わせ高崎は井伊直政の領地となり高崎城が造営、中山道と三国街道の分岐点という緊要地形を守る城郭として発展し、井伊直政は関ヶ原の戦いでの軍功により近江国彦根へ移封されましたが、重要な宿場町として栄え、今日の基礎を築きました。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)