■精鋭機甲部隊観閲行進
第2師団創設63周年旭川駐屯地祭、日曜特集写真集第三回は特科部隊と機甲部隊の観閲行進と、飛行隊祝賀飛行、そしていよいよ開始される訓練展示模擬戦の模様を。
大隊長乗車の82式指揮通信車率いる最新の99式自走榴弾砲。//第2師団は陸上自衛隊発足前の警察予備隊時代1950年に創設された第2管区隊まで起源を遡る事は出来ます、警察予備隊、朝鮮戦争を契機として日本進駐軍の国連軍転用を前に日本国土の防衛に充てる独自の警備部隊として、占領軍総司令部GHQが創設した組織です。
第2特科連隊第3大隊、99式自走榴弾砲は40km以遠の目標を砲撃可能とされる。//第2管区隊はアメリカ陸軍の歩兵師団を参考とした編成です。管区隊は師団に当たる区分で、師団司令部に当たる管区隊の司令部は管区総監部、という呼称で呼ばれていました、師団とは一方面の独自作戦能力を付与する編制区分で、管区総監部という呼称は相応しい。
52口径155mmの長砲身が勇ましい、特科大隊は10門、特科中隊は5門を装備する。//警察予備隊が保安隊に拡大改編された1952年、管区総監部は北日本全域を守る広大な警備管区を有していましたが、朝鮮戦争の拡大と共に東西冷戦構造が急速に形成され、第2管区隊は、警備隊発足と同時に創設された北部方面隊北部方面総監部の隷下に置かれました。
第2特科連隊第5大隊第14中隊、全般支援委当たる第5大隊は隷下に4個中隊を持つ。//陸上自衛隊が発足した1954年、第2管区隊は隷下に第3普通科連隊、第9普通科連隊、第10普通科連隊、第2特科連隊、第2特車大隊、と徐々にその編成を強化してゆきます、旧陸軍との区別から歩兵は普通科、砲兵は特科、機甲兵は特車科、と改めての部隊編制です。
第4大隊の75式自走榴弾砲、当時世界でも稀有な自動装填装置を持つ30口径155mm榴弾砲を装備している。//草創期の第2管区隊は隷下に第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊、を有していましたが、お気づきでしょうか第3普通科連隊は現在も第2師団隷下ですが、第9普通科連隊は既になく、第10普通科連隊は札幌真駒内の第11旅団の隷下部隊となっている。
75式自走榴弾砲は200門が生産され北部方面隊に広く配備されたが99式自走榴弾砲へ置き換えられ、この行事が自衛隊最後の参加となった。//普通科連隊も当時は単に連隊と呼称されていましたが、自衛隊草創期の普通科連隊は三個大隊編成で、戦車中隊等も隷下に置く混成団に近い重厚な編成を採用していました。アメリカ陸軍の歩兵連隊に相当する、草創期の連隊は現在の旅団並の規模を有していた訳です。
第2戦車連隊の観閲行進、併せて第2飛行隊の祝賀飛行編隊が上空に見える。//第一次防衛力整備計画時代、自衛隊発足間もないころの普通科連隊は、第一普通科大隊、第二普通科大隊、第三普通科大隊、第四普通科大隊、重迫撃砲中隊、特車中隊、衛生中隊、以上実に15個中隊を隷下に有しまして、定数上は戦車22両と重迫撃砲12門を有していた。
戦車連隊は5個中隊編成、最盛期は100両の戦車を装備した。//草創期の連隊は大きな編成であったのですが、警察予備隊が保安隊を経て陸上自衛隊に改編されると共に部隊数の増勢による全国への警備管区の配置、所謂、基盤的防衛力整備が求められ、草創期の連隊を構成する四個大隊が各々普通科連隊へ改編されていった訳です。
90式戦車と74式戦車を装備する。//日本国土防衛を担う自衛隊は、草創期に管区隊と機械化混成団を基幹部隊としていました、元々は管区隊だけであったのですが機械化混成団は、アメリカ陸軍歩兵師団を原型として編成されていたのに対し、機械化混成団は機械化歩兵部隊を基幹とした小型旅団を目指す。
荒井正芳連隊長乗車の90式戦車。//大型の普通科連隊は第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊がありましたが、陸上自衛隊は第2管区隊から第10普通科連隊を独立させ、第7混成団を編成します。一方、第2管区隊は順次第25普通科連隊と第26普通科連隊を遠軽と留萌へ、隷下に置きました。
120mm滑腔砲と複合装甲に1500馬力エンジンを備える90式戦車は、目標自動追尾装置や自走装填装置等様々な新機軸を備え現代でも世界第一級の戦車だ。//第7混成団は、第10普通科連隊が隷下に四個普通科大隊を置き、特科連隊は全般支援大隊と直接支援大隊に高射大隊を置く、その上で施設大隊と偵察中隊や通信中隊、後方支援部隊に当たる武器中隊と補給中隊に衛生中隊を置く編成で、後に第7師団と第11師団になる。
基幹連隊指揮統制システムを採用する第2師団において、90式戦車は高いデータリンク能力を持ち、この搭載により2010年代でも世界第一線級を超える戦車として返り咲いた。//第2師団は、第2管区隊からの改編により誕生しました、師団という編成が自衛隊に導入されたのは1962年です。第25普通科連隊と第26普通科連隊の創設は、第3普通科連隊と第9普通科連隊の普通科大隊を基幹として創設、老舗の暖簾分けと表現できる方式です。
戦車は通常単一目標しか対応できませんが90式戦車は車長用照準器と砲手用自動追尾装置の併用で二目標連続撃破という器用な戦闘が可能です。//普通科連隊は管区隊から師団への改編により小型化しました。これは、四個普通科大隊と重迫撃砲中隊に戦車大隊まで有していた部隊を大隊ごとに独立させ、四個大隊を三個連隊に暖簾分けしたのですから、ある意味規模の縮小は当然と云えたわけですが、もう一つ。
第2飛行隊の編隊飛行、祝賀飛行が戦車に続く。//新しい普通科連隊は連隊の下に大隊を置かない編成を採った背景には、1950年代にアメリカ陸軍が導入したペントミック師団編成の影響があります、ペントミック師団編成、言い換えれば五単位編成師団となりますが、この編成は五個連隊戦闘団を基幹部隊としました。
祝賀飛行編隊の広報には北部方面航空隊の対戦車ヘリコプター隊と方面ヘリコプター隊が帯広駐屯地と丘珠駐屯地から参加。//ペントミック師団は、編成部隊を小型化する事を主眼に部隊を事細かに細分化したのですが、これは当時、米軍師団が大規模な戦闘を展開する場合に核戦争が必至であると考えられ、その為には大型部隊を行動させる事は核攻撃の標的となり易く、分散させる目的から。
観閲行進は祝賀飛行と共に堂々の終了、旭川飛行場へ着陸する祝賀飛行参加編隊。//五単位編成部隊は師団の規模がそのままに基幹部隊数を増加させるので、連隊の下に大隊を置かず、連隊の下に中隊を配置し、連隊長が多数の中隊を直接指揮する、という視点から導入されました、自衛隊はこの連隊の下に中隊を置く、との編成方式のみ導入しました。
訓練展示状況開始、第2偵察隊の斥候小隊が駐屯地の一角へ敵部隊が浸透したとの情報を受け情報収集へ出動。//アメリカ陸軍ではペントミック師団編成は1960年代にはROAD師団編成に置き換えられます、三個旅団司令部を師団隷下に置き各種大隊を組み合わせるもので、改編の背景には師団を五単位に細分化すると一戦闘単位あたりに充分な部隊を配置させられなかった、と。
87式偵察警戒車が25mm機関砲を油断なく前方へ構えオートバイ斥候を超越、威力偵察へ進む。//自衛隊がこの連隊の下に中隊を置く編成を維持させた背景ですが、アメリカ陸軍が問題視したペントミック師団の打撃力と攻撃衝力持続性の限界が、自衛隊では地形と戦闘における正面緊迫や火力投射範囲の面で問題とならず、日本の狭隘地形に合致していたためです。
仮設敵部隊のBTR装甲車役の96式装輪装甲車が偵察部隊の威力偵察に射撃で応戦し、接触が始まった。//自衛隊は混成団の師団への改編を行い、北海道は第2師団と第5師団に加えて第7師団と第11師団が混成団から改編、第6混成団は第6師団へ、第8混成団は第8師団、第9混成団も第9師団、第10混成団を第10師団へ改編、13個師団体制が1962年に完結します。
偵察隊の任務は小規模な先頭戦闘により相手の戦闘力を図り、抵抗が小さければ撃破し前進する、敵の有無を図る任務は斥候という。//第2師団は東西冷戦の第一線へ重責を担いました。防衛正面には宗谷海峡を睨み、ソ連軍は第二次大戦の日本降伏後に占領した樺太から北海道へ照明弾等軍事行動を示威し、盛んに艦艇を往来、情報収集艦等の動向も多く、自衛隊は沿岸監視隊等を置き抑止力を強めた。
仮設敵のT-72戦車役の74式戦車が威力偵察を撃破するべく125mm砲役の105mm戦車砲で攻撃を仕掛け、刹那、空包のひっぱたくような衝撃波が会場観衆に叩きつけられた。//61式戦車に60式装甲車と60式無反動砲や64式対戦車誘導弾、74式戦車に73式装甲車と75式自走榴弾砲と75式装甲ドーザや79式対舟艇対戦車誘導弾、最新装備を順次揃え90式戦車の配備が開始され始めた頃に漸くソ連が崩壊、自衛隊は日本を守り抜きました。
偵察隊の25mm戦車では敵戦車に全く歯が立たないが、敵の戦闘力は把握した瞬間に任務は完了し俊足で離脱する、更なる状況解明へOH-6D観測ヘリコプターが発進する。//日本の防衛力整備は構想に五年と画定に五年、整備に五年を要します。1995年、第2戦車大隊が第2戦車連隊へ拡大改編を受けます、これは戦車北転事業として本土戦車大隊から各1個中隊を抽出し北海道の戦車部隊増強に充て、冷戦時代の施策が遅れて完結したもの。
第2対舟艇対戦車隊が敵戦車発見の報に接し96式多目的誘導弾システムを展開、敵戦車の動きを留める拘束部隊として進出した。//冷戦後、自衛隊縮小の機運が細川内閣時代に強まり、第2師団も縮小改編を受ける事となります、1995年防衛大綱改訂を受けてのもので師団は第9普通科連隊と第2対戦車隊を廃止しました、第5師団と第11師団に第12師団と第13師団の旅団化が同時期実施されます。
こうして第2高射特科大隊の展開など、訓練展示が本格化しました。//新世紀を迎えた第2師団ですが、防衛大綱の中期防衛力整備計画単位での改訂と共に重装備縮小の暴風が吹く中、90式戦車、96式装備車輪装甲車、96式多目的誘導弾、99式自走榴弾砲、87式自走高射機関砲、10式戦車等優秀装備を揃えた精鋭部隊として今に至ります。
北大路機関:はるな くらま
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第2師団創設63周年旭川駐屯地祭、日曜特集写真集第三回は特科部隊と機甲部隊の観閲行進と、飛行隊祝賀飛行、そしていよいよ開始される訓練展示模擬戦の模様を。
大隊長乗車の82式指揮通信車率いる最新の99式自走榴弾砲。//第2師団は陸上自衛隊発足前の警察予備隊時代1950年に創設された第2管区隊まで起源を遡る事は出来ます、警察予備隊、朝鮮戦争を契機として日本進駐軍の国連軍転用を前に日本国土の防衛に充てる独自の警備部隊として、占領軍総司令部GHQが創設した組織です。
第2特科連隊第3大隊、99式自走榴弾砲は40km以遠の目標を砲撃可能とされる。//第2管区隊はアメリカ陸軍の歩兵師団を参考とした編成です。管区隊は師団に当たる区分で、師団司令部に当たる管区隊の司令部は管区総監部、という呼称で呼ばれていました、師団とは一方面の独自作戦能力を付与する編制区分で、管区総監部という呼称は相応しい。
52口径155mmの長砲身が勇ましい、特科大隊は10門、特科中隊は5門を装備する。//警察予備隊が保安隊に拡大改編された1952年、管区総監部は北日本全域を守る広大な警備管区を有していましたが、朝鮮戦争の拡大と共に東西冷戦構造が急速に形成され、第2管区隊は、警備隊発足と同時に創設された北部方面隊北部方面総監部の隷下に置かれました。
第2特科連隊第5大隊第14中隊、全般支援委当たる第5大隊は隷下に4個中隊を持つ。//陸上自衛隊が発足した1954年、第2管区隊は隷下に第3普通科連隊、第9普通科連隊、第10普通科連隊、第2特科連隊、第2特車大隊、と徐々にその編成を強化してゆきます、旧陸軍との区別から歩兵は普通科、砲兵は特科、機甲兵は特車科、と改めての部隊編制です。
第4大隊の75式自走榴弾砲、当時世界でも稀有な自動装填装置を持つ30口径155mm榴弾砲を装備している。//草創期の第2管区隊は隷下に第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊、を有していましたが、お気づきでしょうか第3普通科連隊は現在も第2師団隷下ですが、第9普通科連隊は既になく、第10普通科連隊は札幌真駒内の第11旅団の隷下部隊となっている。
75式自走榴弾砲は200門が生産され北部方面隊に広く配備されたが99式自走榴弾砲へ置き換えられ、この行事が自衛隊最後の参加となった。//普通科連隊も当時は単に連隊と呼称されていましたが、自衛隊草創期の普通科連隊は三個大隊編成で、戦車中隊等も隷下に置く混成団に近い重厚な編成を採用していました。アメリカ陸軍の歩兵連隊に相当する、草創期の連隊は現在の旅団並の規模を有していた訳です。
第2戦車連隊の観閲行進、併せて第2飛行隊の祝賀飛行編隊が上空に見える。//第一次防衛力整備計画時代、自衛隊発足間もないころの普通科連隊は、第一普通科大隊、第二普通科大隊、第三普通科大隊、第四普通科大隊、重迫撃砲中隊、特車中隊、衛生中隊、以上実に15個中隊を隷下に有しまして、定数上は戦車22両と重迫撃砲12門を有していた。
戦車連隊は5個中隊編成、最盛期は100両の戦車を装備した。//草創期の連隊は大きな編成であったのですが、警察予備隊が保安隊を経て陸上自衛隊に改編されると共に部隊数の増勢による全国への警備管区の配置、所謂、基盤的防衛力整備が求められ、草創期の連隊を構成する四個大隊が各々普通科連隊へ改編されていった訳です。
90式戦車と74式戦車を装備する。//日本国土防衛を担う自衛隊は、草創期に管区隊と機械化混成団を基幹部隊としていました、元々は管区隊だけであったのですが機械化混成団は、アメリカ陸軍歩兵師団を原型として編成されていたのに対し、機械化混成団は機械化歩兵部隊を基幹とした小型旅団を目指す。
荒井正芳連隊長乗車の90式戦車。//大型の普通科連隊は第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊がありましたが、陸上自衛隊は第2管区隊から第10普通科連隊を独立させ、第7混成団を編成します。一方、第2管区隊は順次第25普通科連隊と第26普通科連隊を遠軽と留萌へ、隷下に置きました。
120mm滑腔砲と複合装甲に1500馬力エンジンを備える90式戦車は、目標自動追尾装置や自走装填装置等様々な新機軸を備え現代でも世界第一級の戦車だ。//第7混成団は、第10普通科連隊が隷下に四個普通科大隊を置き、特科連隊は全般支援大隊と直接支援大隊に高射大隊を置く、その上で施設大隊と偵察中隊や通信中隊、後方支援部隊に当たる武器中隊と補給中隊に衛生中隊を置く編成で、後に第7師団と第11師団になる。
基幹連隊指揮統制システムを採用する第2師団において、90式戦車は高いデータリンク能力を持ち、この搭載により2010年代でも世界第一線級を超える戦車として返り咲いた。//第2師団は、第2管区隊からの改編により誕生しました、師団という編成が自衛隊に導入されたのは1962年です。第25普通科連隊と第26普通科連隊の創設は、第3普通科連隊と第9普通科連隊の普通科大隊を基幹として創設、老舗の暖簾分けと表現できる方式です。
戦車は通常単一目標しか対応できませんが90式戦車は車長用照準器と砲手用自動追尾装置の併用で二目標連続撃破という器用な戦闘が可能です。//普通科連隊は管区隊から師団への改編により小型化しました。これは、四個普通科大隊と重迫撃砲中隊に戦車大隊まで有していた部隊を大隊ごとに独立させ、四個大隊を三個連隊に暖簾分けしたのですから、ある意味規模の縮小は当然と云えたわけですが、もう一つ。
第2飛行隊の編隊飛行、祝賀飛行が戦車に続く。//新しい普通科連隊は連隊の下に大隊を置かない編成を採った背景には、1950年代にアメリカ陸軍が導入したペントミック師団編成の影響があります、ペントミック師団編成、言い換えれば五単位編成師団となりますが、この編成は五個連隊戦闘団を基幹部隊としました。
祝賀飛行編隊の広報には北部方面航空隊の対戦車ヘリコプター隊と方面ヘリコプター隊が帯広駐屯地と丘珠駐屯地から参加。//ペントミック師団は、編成部隊を小型化する事を主眼に部隊を事細かに細分化したのですが、これは当時、米軍師団が大規模な戦闘を展開する場合に核戦争が必至であると考えられ、その為には大型部隊を行動させる事は核攻撃の標的となり易く、分散させる目的から。
観閲行進は祝賀飛行と共に堂々の終了、旭川飛行場へ着陸する祝賀飛行参加編隊。//五単位編成部隊は師団の規模がそのままに基幹部隊数を増加させるので、連隊の下に大隊を置かず、連隊の下に中隊を配置し、連隊長が多数の中隊を直接指揮する、という視点から導入されました、自衛隊はこの連隊の下に中隊を置く、との編成方式のみ導入しました。
訓練展示状況開始、第2偵察隊の斥候小隊が駐屯地の一角へ敵部隊が浸透したとの情報を受け情報収集へ出動。//アメリカ陸軍ではペントミック師団編成は1960年代にはROAD師団編成に置き換えられます、三個旅団司令部を師団隷下に置き各種大隊を組み合わせるもので、改編の背景には師団を五単位に細分化すると一戦闘単位あたりに充分な部隊を配置させられなかった、と。
87式偵察警戒車が25mm機関砲を油断なく前方へ構えオートバイ斥候を超越、威力偵察へ進む。//自衛隊がこの連隊の下に中隊を置く編成を維持させた背景ですが、アメリカ陸軍が問題視したペントミック師団の打撃力と攻撃衝力持続性の限界が、自衛隊では地形と戦闘における正面緊迫や火力投射範囲の面で問題とならず、日本の狭隘地形に合致していたためです。
仮設敵部隊のBTR装甲車役の96式装輪装甲車が偵察部隊の威力偵察に射撃で応戦し、接触が始まった。//自衛隊は混成団の師団への改編を行い、北海道は第2師団と第5師団に加えて第7師団と第11師団が混成団から改編、第6混成団は第6師団へ、第8混成団は第8師団、第9混成団も第9師団、第10混成団を第10師団へ改編、13個師団体制が1962年に完結します。
偵察隊の任務は小規模な先頭戦闘により相手の戦闘力を図り、抵抗が小さければ撃破し前進する、敵の有無を図る任務は斥候という。//第2師団は東西冷戦の第一線へ重責を担いました。防衛正面には宗谷海峡を睨み、ソ連軍は第二次大戦の日本降伏後に占領した樺太から北海道へ照明弾等軍事行動を示威し、盛んに艦艇を往来、情報収集艦等の動向も多く、自衛隊は沿岸監視隊等を置き抑止力を強めた。
仮設敵のT-72戦車役の74式戦車が威力偵察を撃破するべく125mm砲役の105mm戦車砲で攻撃を仕掛け、刹那、空包のひっぱたくような衝撃波が会場観衆に叩きつけられた。//61式戦車に60式装甲車と60式無反動砲や64式対戦車誘導弾、74式戦車に73式装甲車と75式自走榴弾砲と75式装甲ドーザや79式対舟艇対戦車誘導弾、最新装備を順次揃え90式戦車の配備が開始され始めた頃に漸くソ連が崩壊、自衛隊は日本を守り抜きました。
偵察隊の25mm戦車では敵戦車に全く歯が立たないが、敵の戦闘力は把握した瞬間に任務は完了し俊足で離脱する、更なる状況解明へOH-6D観測ヘリコプターが発進する。//日本の防衛力整備は構想に五年と画定に五年、整備に五年を要します。1995年、第2戦車大隊が第2戦車連隊へ拡大改編を受けます、これは戦車北転事業として本土戦車大隊から各1個中隊を抽出し北海道の戦車部隊増強に充て、冷戦時代の施策が遅れて完結したもの。
第2対舟艇対戦車隊が敵戦車発見の報に接し96式多目的誘導弾システムを展開、敵戦車の動きを留める拘束部隊として進出した。//冷戦後、自衛隊縮小の機運が細川内閣時代に強まり、第2師団も縮小改編を受ける事となります、1995年防衛大綱改訂を受けてのもので師団は第9普通科連隊と第2対戦車隊を廃止しました、第5師団と第11師団に第12師団と第13師団の旅団化が同時期実施されます。
こうして第2高射特科大隊の展開など、訓練展示が本格化しました。//新世紀を迎えた第2師団ですが、防衛大綱の中期防衛力整備計画単位での改訂と共に重装備縮小の暴風が吹く中、90式戦車、96式装備車輪装甲車、96式多目的誘導弾、99式自走榴弾砲、87式自走高射機関砲、10式戦車等優秀装備を揃えた精鋭部隊として今に至ります。
北大路機関:はるな くらま
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