■日本の“正義”とは何か
日本の“正義”とは何か、初春討論は第二段としまして、国家が自らを防衛する際の最大の問題について、考えてみる事としました。この検証、アメリカトランプ新政権の発足とともに求められるであろう防衛負担、この命題を考える前提の論理として避けられません。
いま自主防衛力を問う,としまして全三回に渡り、日本の安全保障問題を、沖縄米軍基地問題を含め、自主防衛力の整備という視点から論じました。在日米軍を日本が代替する事は不可能ではないが、緊急展開と戦力投射は憲法上の制約があり、戦時備蓄の問題があるがこれを超えれば可能と結論しました。しかし戦争を行う国家決意を支えるのは国民です。
軍事的に日本が独立するためには文民統制の原理を個々人から為政者までの単位で理解しなければ、10式戦車をロシアに対抗して10000両揃えても、あさひ型護衛艦で中国を圧倒するべく100隻揃えても、F-35A戦闘機を1000機取得してアメリカ空軍に伍する態勢を構築しても、軍事的な独立を司る軍事政策と政軍関係を構築する事には繋がらないでしょう。
日本国家における正義とは何か、国家が国民に呼びかけ国民が国家へ付託する全ての選択基準とは何か、国家が荒廃するとも最後に次の世代に残さなければならない価値観とは何か、軍事的に独立する事は外交面での独自政策を明確化し、またその基準は客観的に明白で、世界政治の価値基準との明確な境界線と定義を堅持できるものでなければなりません。
正義の哲学、西田幾多郎先生くらいしか思い浮かばないのは当方の教養の限界で、日本の正義を正面から論じ体系化を果たした哲学者の理論、難しいものがあります。この点については是非広い議論を望みたいところですが、曖昧模糊としたものではなく正義とはこういうものだ、と確立した概念を持たなければ多種多様な正義の定義に論理が埋没します。
ロールズの原初状態と配分的正義、正義論に示された自由主義に基づく正義の在り方が、アメリカの正義の定義を体系化している概念だと考えます。原初状態とは云わば生まれた時点での平等を示し、貴族制を排し初等教育に重点を置くアメリカの施策はこの概念を具現化していますし、自由貿易の牽引や人権重視の姿勢もこの哲学の表れといえるでしょう。
アメリカは軍事行動を行う際に、こうした基準点を持っており、この為一見無計画に軍事行動を行っていると誤解されるものですが、原初状態と配分的正義という体制が危機に曝された際には介入する指針を採っています、東西冷戦の要因となった政治イデオロギー対立の一端には社会主義が自由主義と完全に受け入れられないものがあった点が挙げられる。
ハンナアーレントの公的領域と活動的生活という人間の条件に示された概念、ジョルジョアガンベンの権力形成の転換点における正統性のあり方を示す例外状態、正義の在り方と正当性のあり方は人類史と同じ重厚な討議と論議の蓄積と体系化や分派と対比に検証と再評価が蓄積されていますが、日本国家が示す正義の形は余りに不明確と云わざるを得ない。
欧州各国も基本的に正義の定義は有り、これが欧州連合を価値観の共同体と称し得る要素ですが、自国の正義に関する価値観を確たるものとするからこそ、その正義を憲法や公共道徳観に基づく法秩序を構成し、其処に記された正義の定義を国民が国家と共に共有するからこそ、国家が戦争を決意し国民を促す際、国民は支持や参加で応える構図が成り立つ。
国家の正義とは勿論一元論で突き付けた場合反発を招きますし、二元論として排他的に討議する事は紛争を招きかねませんが、それでも正義の定義へ沈黙を以て示さない事の方が長期的な対立を招きかねません、この国は何を考えているのか、何を以て社会正義としているのか、この基本指針、国家政治システムの計算公式があってこそ一貫した政治が保つ。
正義とは定義がいろいろありますので、国家間でその正義を討議する事は不毛出るだけでは無く危険ですし、国家が提示する正義を国民が無思慮に受け入れる事もやはり健全な民主主義国家としては危険でもあります。しかし、討議と合意を形成するためには国家がまず正義の定義を示さなねば国民が自発的に討議し調整し合意するという事は有り得ません。
現在の日本ですが、そもそも外交関係の延長線上の戦争を憲法により禁止しています、しかし、国権の発動たる戦争を禁じているとの憲法の明示ですが、憲法が禁止している戦争の定義は明確ではありません、こういいますのも憲法は武力行使を禁じていますが、この武力行使という単語は国際法上、外交関係の断絶や経済制裁等の非軍事手段も含みます。
日本の正義の定義について。戦争をしない事が日本の正義なのか、と問われますと、しかし、それでは日本国家は戦争を阻止する事へ、世界政治において発言や経済援助以外の関与は行っていないではないか、という視点で応じられた場合、反論はあまりありません、戦争は国際関係から生じるもので、一方が放棄しても廃絶し得ない事は歴史が示す為です。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
日本の“正義”とは何か、初春討論は第二段としまして、国家が自らを防衛する際の最大の問題について、考えてみる事としました。この検証、アメリカトランプ新政権の発足とともに求められるであろう防衛負担、この命題を考える前提の論理として避けられません。
いま自主防衛力を問う,としまして全三回に渡り、日本の安全保障問題を、沖縄米軍基地問題を含め、自主防衛力の整備という視点から論じました。在日米軍を日本が代替する事は不可能ではないが、緊急展開と戦力投射は憲法上の制約があり、戦時備蓄の問題があるがこれを超えれば可能と結論しました。しかし戦争を行う国家決意を支えるのは国民です。
軍事的に日本が独立するためには文民統制の原理を個々人から為政者までの単位で理解しなければ、10式戦車をロシアに対抗して10000両揃えても、あさひ型護衛艦で中国を圧倒するべく100隻揃えても、F-35A戦闘機を1000機取得してアメリカ空軍に伍する態勢を構築しても、軍事的な独立を司る軍事政策と政軍関係を構築する事には繋がらないでしょう。
日本国家における正義とは何か、国家が国民に呼びかけ国民が国家へ付託する全ての選択基準とは何か、国家が荒廃するとも最後に次の世代に残さなければならない価値観とは何か、軍事的に独立する事は外交面での独自政策を明確化し、またその基準は客観的に明白で、世界政治の価値基準との明確な境界線と定義を堅持できるものでなければなりません。
正義の哲学、西田幾多郎先生くらいしか思い浮かばないのは当方の教養の限界で、日本の正義を正面から論じ体系化を果たした哲学者の理論、難しいものがあります。この点については是非広い議論を望みたいところですが、曖昧模糊としたものではなく正義とはこういうものだ、と確立した概念を持たなければ多種多様な正義の定義に論理が埋没します。
ロールズの原初状態と配分的正義、正義論に示された自由主義に基づく正義の在り方が、アメリカの正義の定義を体系化している概念だと考えます。原初状態とは云わば生まれた時点での平等を示し、貴族制を排し初等教育に重点を置くアメリカの施策はこの概念を具現化していますし、自由貿易の牽引や人権重視の姿勢もこの哲学の表れといえるでしょう。
アメリカは軍事行動を行う際に、こうした基準点を持っており、この為一見無計画に軍事行動を行っていると誤解されるものですが、原初状態と配分的正義という体制が危機に曝された際には介入する指針を採っています、東西冷戦の要因となった政治イデオロギー対立の一端には社会主義が自由主義と完全に受け入れられないものがあった点が挙げられる。
ハンナアーレントの公的領域と活動的生活という人間の条件に示された概念、ジョルジョアガンベンの権力形成の転換点における正統性のあり方を示す例外状態、正義の在り方と正当性のあり方は人類史と同じ重厚な討議と論議の蓄積と体系化や分派と対比に検証と再評価が蓄積されていますが、日本国家が示す正義の形は余りに不明確と云わざるを得ない。
欧州各国も基本的に正義の定義は有り、これが欧州連合を価値観の共同体と称し得る要素ですが、自国の正義に関する価値観を確たるものとするからこそ、その正義を憲法や公共道徳観に基づく法秩序を構成し、其処に記された正義の定義を国民が国家と共に共有するからこそ、国家が戦争を決意し国民を促す際、国民は支持や参加で応える構図が成り立つ。
国家の正義とは勿論一元論で突き付けた場合反発を招きますし、二元論として排他的に討議する事は紛争を招きかねませんが、それでも正義の定義へ沈黙を以て示さない事の方が長期的な対立を招きかねません、この国は何を考えているのか、何を以て社会正義としているのか、この基本指針、国家政治システムの計算公式があってこそ一貫した政治が保つ。
正義とは定義がいろいろありますので、国家間でその正義を討議する事は不毛出るだけでは無く危険ですし、国家が提示する正義を国民が無思慮に受け入れる事もやはり健全な民主主義国家としては危険でもあります。しかし、討議と合意を形成するためには国家がまず正義の定義を示さなねば国民が自発的に討議し調整し合意するという事は有り得ません。
現在の日本ですが、そもそも外交関係の延長線上の戦争を憲法により禁止しています、しかし、国権の発動たる戦争を禁じているとの憲法の明示ですが、憲法が禁止している戦争の定義は明確ではありません、こういいますのも憲法は武力行使を禁じていますが、この武力行使という単語は国際法上、外交関係の断絶や経済制裁等の非軍事手段も含みます。
日本の正義の定義について。戦争をしない事が日本の正義なのか、と問われますと、しかし、それでは日本国家は戦争を阻止する事へ、世界政治において発言や経済援助以外の関与は行っていないではないか、という視点で応じられた場合、反論はあまりありません、戦争は国際関係から生じるもので、一方が放棄しても廃絶し得ない事は歴史が示す為です。
北大路機関:はるな くらま
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