北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

緊急発進回数883回 西日本沖の中国機行動異常増大!今年度第3四半期までの回数が過去最大

2017-01-23 21:12:21 | 防衛・安全保障
■緊張は九州沖縄から西日本へ
 対領空侵犯措置任務緊急発進回数が883回、一年間ではなく第3四半期までの回数で緊急発進回数が883回という驚くべき数字が防衛省より発表されました。

 緊急発進回数が883回という規模ですが、比較としまして冷戦後最大とされた2015年度の回数が一年間で873回、過去最大の規模は1984年の944回でした。しかし、1984年の944回という規模は米ソ対立が最も激化していた時期であり、冷戦時代でも500回を超える事は稀でした、冷戦後には200回以下が続き、しかし十年経ずして一挙に四倍以上、異常増大というほかありません。

 対領空侵犯措置任務は我が国領空の外縁に設定された防空識別圏内へ国籍不明機が侵入した際に確認し必要であれば領空侵犯事案を抑止するべく実施するものです。この防空識別圏は飛行情報区に合せ設定されていて国際民間航空機関 ICAOが設定し割り当てた航空管制及び航空保安に当たる空域に沿って飛行情報区が設定、併せて防空識別圏としています。

 日本の空の安全は、南西諸島での中国軍機活動増加と、冷戦後一次低調であったロシア軍機の活動再開により、再度緊急発進の回数が増加しました、統計では1991年の604回を最後に2013年までその回数が500回を超えることは無く、特に1998年から2004年までは緊急発進回数が200回を下回っていたほどで、自衛隊の戦闘機数も合わせ縮小されました。

 中国軍機の活動増大ですが、冷戦時代には現在ほど大きく展開されなかった背景として、中国軍機は小型の戦闘機が多く、中国本土から距離を隔てた我が国南西諸島まで飛行する事が難しかった事由を挙げられます、しかし、1992年より長距離を飛行可能なロシア製戦闘機Su-27を運用開始、中国経済の成長と共にSu-27のコピー生産等増強を続けています、エンジン以外は国産化に成功し規模は年々増強される。

 数字の上からも、緊急発進全体での中国機に対する実施は約7割に当たる644回となっており、それでも過去最高となった前年度同期と比較し271回も増加しています。中国からの航空機は南西諸島へ集中し、更にその一部はここ数年から南九州へ及び、今年には北九州方面への展開が確認され始めました。最早九州沖縄の問題ではなく西日本の問題、南西諸島から日本海へ入り既に本州、西日本を狙う経路へ変化しつつあるところ。

 加えて、10機前後の戦闘機を自衛隊が緊急発進させなければならない脅威度、質的な変化が近年の傾向となってきました。中国空軍はH-6長距離爆撃機を運用しており、近年巡航ミサイル爆撃機として運用しています、爆撃機編隊が護衛戦闘機等を伴い、日本列島に沿っての長距離飛行を実施する事例が散見され、一箇所からの緊急発進では対応できません。

 更に中国戦闘機が敵対行動を執っているとの報道、退官者や双方からの発言があります、緊急発進では自衛隊戦闘機は必要な装備を搭載し発進します、中国機から火器管制用レーダーによる照準を受ければ、ミサイル攻撃を回避するIRフレアーという高熱源やレーダー照準を攪乱する特殊金属片チャフが自動散布、退避行動を執ります、この実弾攻撃への照準を回避しなければならない状況が生じ始めているのだ、と。

 自衛隊法84条の対領空侵犯措置に位置付けられるこの緊急発進は、全国七カ所の要撃飛行隊基地より空対空ミサイルと機関砲弾を搭載した戦闘機が五分待機の体制を執っており、全国の防空監視所より運用されるレーダー情報に合せ即座の緊急発進を実施できる体制としています、実弾が搭載され必要であれば平時であっても必要な措置を採る事が可能です。

 戦闘機に実弾を搭載し緊急発進、これは平時と有事の境界線に当たるものですが、境界線の平時側にあっても、緊張度は非常に高いものと云えます。第3四半期までの回数で緊急発進回数が883回、24時間に3回前後という状況は、実のところへ異常とは言い難い状況と云わざるを得ません。そして緊張状態、世界をみれば戦闘に至らない衝突が散見される実情を認識しておくべきでしょう。

 戦闘機同士のミサイルの撃ちあい、不測の事態としまして、世界の緊急発進をみますと、そのまま戦闘状態には至らないものの、空対空ミサイルにより相手を撃墜する衝突事案は発生し得ます、例えば、ロシア軍機のシリア空爆に際し緊急発進したトルコ空軍機が撃墜した事例がありました、一過性でその後に武力紛争に至らなかった為、戦闘ではなく衝突ですが航空戦闘が展開された訳です。

 航空自衛隊は、この状況をあらかじめ想定し、南西諸島と九州への戦闘機部隊増強を継続してきました。冷戦時代、前述の通り南西諸島へは経空脅威は顕在化していませんでしたが、中国機の増大に合わせ、従来、F-4一個飛行隊のみが配置されていた那覇基地の航空隊を首都防空から新しいF-15戦闘機飛行隊を交替させ質的に増強、対処能力を強化しました。

 沖縄空の守りは那覇基地へ、更に北九州からF-15戦闘機1個飛行隊を抽出し那覇の航空隊を航空団へ増強、北九州へも青森県より最も新しいF-2飛行隊を1個飛行隊抽出し増強するとともに、南九州へ配備された旧型のF-4飛行隊を首都防空のF-15と交代させ、首都防空は全て1960年代のF-4飛行隊となりましたが、九州沖縄の防空体制だけ強化されます。

 もう一つ、西日本全般は、在日米軍により大幅に補強されます。2005年の米軍再編日米合意に基づく、アメリカ海軍第5空母航空団が神奈川県厚木基地より山口県岩国基地へ移駐が年内にも完了され、これによりF/A-18C及びF/A-18E戦闘機50機が東日本から西日本へ移駐、更に岩国基地の海兵航空団へ最新のF-35B戦闘機配備が先週から開始、同盟国に助けられた。

 防衛はもう一段、南西諸島へは、鹿児島県島嶼部馬毛島が空母艦載機陸上空母離着陸訓練FCLP予定地として用地取得が進められており、これは空母が入港中にも330mという空母の飛行甲板に戦闘機等を着艦させる技術を搭乗員が維持できるよう従来、小笠原諸島硫黄島で実施されていた訓練を、岩国基地近傍へ移転する事業でしたが、これも防空へ一助ともありましょう。

 しかし、如何に繕おうとも現在の防空能力は限界に達しているのではないでしょうか、防空とは対領空侵犯措置任務だけではなく有事の際に航空優勢を確保し、端的に言うならば、広島長崎原爆投下や大阪大空襲や東京大空襲のような戦火が国民の頭上に及ばないよう、空を守る事に在ります、平時にこれだけ展開させる脅威は有事にもその能力が発揮される。

 ただ、戦闘機の数について一点。280機の戦闘機が現在日本の空を守っています、この規模、緊急発進が200回を下回った時代は260機でしたので20機増強されたとはいえるかもしれませんが、冷戦時代に緊急発進が1984年の944回と過去最大の規模に至った時代には350機の戦闘機が運用されていました、70機は2個航空団に匹敵します。戦闘機部隊が不足している実情を無視してはなりません。

 H-6爆撃機の長距離飛行、中国海軍の空母部隊による太平洋での訓練が開始され、冷戦時代にはそれほど脅威度を受けなかった西日本や中日本、具体的には四国南方海域や小笠原諸島への航空脅威も現実的な脅威として認識するべき時代は遠くないのでしょう。緊急発進の増大は脅威増大の一端でしかありません、防衛力整備の方向性をそろそろ再考する必要性が来ているのではないか、そう考える次第です。

北大路機関:はるな くらま
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