■朱筆は日本出版文化の原点
京都散歩の醍醐味は意外な身近と思える文化の原点が直ぐ目の前に在るところでしょうね。

法然院は浄土宗の原点回帰を目指して再興された、とは記しましたが、そして浄土宗は学僧を本来重要視しており、先週念仏とともにこの法然院は江戸時代、今でいう校閲の聖地となる。元文2年こと西暦1737年に建立されました経蔵には、その歴史がつたわる。

法然院。京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町という、東山のなかにあってその中心部でありながら少し小高い傾斜地の中腹に位置しています、そしてここは、校閲と非常に関わりあるところでもあるのです。こういいますのも、赤ペンを入れる、その文化の始まりは、ここ。

新聞記者の方や新聞社の方とお付き合いする機会が増えますと、決まって誤字の多さを指摘されます、実際、誤字脱字は自衛隊の方にもCGS教育において誤字は恥ずかしいものである、こうした教育が在るものだとやんわりと窘められまして、実際わたしもはずかしい。

校閲部が北大路機関にも欲しいものだと考えたものですが、これも2010年代後半までは打つ手なしの状態が続いていまして、毎日更新を停止して偶数日のみの更新として一日を校了日に充てるという校閲日方式も検討しましたが、毎日更新が原点ゆえに換えるのは辛い。

誤字脱字、古くからの北大路機関閲覧の方はお気づきかもしれませんが北大路機関は2000時台に更新となったのはここ数年であり、前には2359時までに投稿できれば毎日更新、という文字通り気息奄々自転車操業が常態となっていました。校閲の時間などとても、ない。

大陸から渡来した経文は日本仏教の重要な経典となりましたが、現地での写本や口述には誤りも多かったように伝わります、しかし、経典は当時日本にも版木による経文の大量印刷技術がありました、そこで誤字脱字が在りますと、大量印刷で拡散してしまうのですね。

朱筆、要するに赤ペンを入れる事ですが法然院の経蔵には他の大寺院にて製本された教本へ朱筆をいれるという、渡来本も含めた校閲の役割を法然院が担っていたといいまして、大蔵経典へも容赦なく朱筆をいれていたといい、複数朱筆の入った経文も収められている。

教えられたように思えたのは校閲に時間がかかるのは当然であり、しかし重要な行程である、そこで執筆の様式を転換させる必要への認識なのですね。北大路機関、速報性は低下したものの多少誤字は減った、かなり減ったとはここ数年読まれる方からのおはなしです。

大蔵経典へも容赦なく朱筆というお話を聞きますと、しかし版木を組んだ僧侶などはこの法然院からの通知を知る事はあったのだろうか、やはり反省したのだろうけれども過度な叱責などはあったのだろうか、誤字脱字は恥ずかしいものですが、指摘もこわいものです。

執筆と校閲は表裏一体、ここを拝観しまして、また個展などにも門戸を開く寺院ですので、様々な方とも出会います。個展は方丈ではなく、浄土庭は水の湧くあたりの蔵にて行われていまして、流石にここで個展を開くような写真などは手元にないのですけれども、さて。

文筆家や哲学者の方でここを墓所として選ばれている方も多いようでして、実は墓地を散策することは当方は避けているのですけれども、細雪でしられる谷崎潤一郎の墓所もこちらにあるといいまして、文学を愛する方なども拝観に探訪するという、堂宇でもあります。

緑に溢れる寺院ですが紅葉も素晴らしく、そして隣接する銀閣寺程ではありませんが活況となるともいう。ただ、この頃の季節にはそれほど賑やかと云う事も無く、ふと熱い暑い季節の京都に少し清涼剤のような情景を、魅せてそして見せてくれる散策のひと時でした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
京都散歩の醍醐味は意外な身近と思える文化の原点が直ぐ目の前に在るところでしょうね。

法然院は浄土宗の原点回帰を目指して再興された、とは記しましたが、そして浄土宗は学僧を本来重要視しており、先週念仏とともにこの法然院は江戸時代、今でいう校閲の聖地となる。元文2年こと西暦1737年に建立されました経蔵には、その歴史がつたわる。

法然院。京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町という、東山のなかにあってその中心部でありながら少し小高い傾斜地の中腹に位置しています、そしてここは、校閲と非常に関わりあるところでもあるのです。こういいますのも、赤ペンを入れる、その文化の始まりは、ここ。

新聞記者の方や新聞社の方とお付き合いする機会が増えますと、決まって誤字の多さを指摘されます、実際、誤字脱字は自衛隊の方にもCGS教育において誤字は恥ずかしいものである、こうした教育が在るものだとやんわりと窘められまして、実際わたしもはずかしい。

校閲部が北大路機関にも欲しいものだと考えたものですが、これも2010年代後半までは打つ手なしの状態が続いていまして、毎日更新を停止して偶数日のみの更新として一日を校了日に充てるという校閲日方式も検討しましたが、毎日更新が原点ゆえに換えるのは辛い。

誤字脱字、古くからの北大路機関閲覧の方はお気づきかもしれませんが北大路機関は2000時台に更新となったのはここ数年であり、前には2359時までに投稿できれば毎日更新、という文字通り気息奄々自転車操業が常態となっていました。校閲の時間などとても、ない。

大陸から渡来した経文は日本仏教の重要な経典となりましたが、現地での写本や口述には誤りも多かったように伝わります、しかし、経典は当時日本にも版木による経文の大量印刷技術がありました、そこで誤字脱字が在りますと、大量印刷で拡散してしまうのですね。

朱筆、要するに赤ペンを入れる事ですが法然院の経蔵には他の大寺院にて製本された教本へ朱筆をいれるという、渡来本も含めた校閲の役割を法然院が担っていたといいまして、大蔵経典へも容赦なく朱筆をいれていたといい、複数朱筆の入った経文も収められている。

教えられたように思えたのは校閲に時間がかかるのは当然であり、しかし重要な行程である、そこで執筆の様式を転換させる必要への認識なのですね。北大路機関、速報性は低下したものの多少誤字は減った、かなり減ったとはここ数年読まれる方からのおはなしです。

大蔵経典へも容赦なく朱筆というお話を聞きますと、しかし版木を組んだ僧侶などはこの法然院からの通知を知る事はあったのだろうか、やはり反省したのだろうけれども過度な叱責などはあったのだろうか、誤字脱字は恥ずかしいものですが、指摘もこわいものです。

執筆と校閲は表裏一体、ここを拝観しまして、また個展などにも門戸を開く寺院ですので、様々な方とも出会います。個展は方丈ではなく、浄土庭は水の湧くあたりの蔵にて行われていまして、流石にここで個展を開くような写真などは手元にないのですけれども、さて。

文筆家や哲学者の方でここを墓所として選ばれている方も多いようでして、実は墓地を散策することは当方は避けているのですけれども、細雪でしられる谷崎潤一郎の墓所もこちらにあるといいまして、文学を愛する方なども拝観に探訪するという、堂宇でもあります。

緑に溢れる寺院ですが紅葉も素晴らしく、そして隣接する銀閣寺程ではありませんが活況となるともいう。ただ、この頃の季節にはそれほど賑やかと云う事も無く、ふと熱い暑い季節の京都に少し清涼剤のような情景を、魅せてそして見せてくれる散策のひと時でした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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