北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】光明院,広がりゆく東福寺の金山明昶和尚開いた塔頭で見上げる青空と撮影後に巡らせる関心

2022-06-22 20:22:00 | 写真
■拝観後の関心は写真から
 光明院は美しい庭園と落ち着く時間が禅寺の風情に共感を与えてくれるのですが、撮影しました写真とともにその歴史を調べますと専門家ではない故に限界を感じるところ。

 東福寺は京都最大の寺院となる事を願い嘉禎2年こと西暦1236年から19年間を要して造営された寺院です。東福寺の伽藍面、こう呼ばれますのは巨大な三門や法堂、創建当時には五重塔も並んだ、壮大伽藍故でしたが、塔頭寺院となりますと、そこには静けさが。

 摂政九條道家が東大寺と興福寺から一文字づつを用いて造営した寺院、これは当時最新の仏教である禅宗、武家と結びつき鎌倉時代に急成長を果たした禅宗の寺院を貴族が造営するという大きな意義がありました、九條道家は鎌倉幕府四代将軍藤原頼経の実父でもある。

 光明院はその東福寺に在って明徳2年こと西暦1391年、金山明昶を招き創建された塔頭です。東福寺造営が嘉禎2年こと西暦1236年ですので、広がりゆく東福寺の塔頭という一つでした。東福寺はいまをもって京都最大の寺院、こう呼ばれるのですが当時は更に広い。

 塔頭寺院は現存するものは25塔頭、しかし、幕末の頃の塔頭寺院は70に迫ったといいまして、廃仏毀釈により規模を徐々に縮小し、今に至ります。しかし、この東福寺の界隈を散策し巡りますと広さに驚かされるものでして、夕刻に門扉が閉まるのは寂しいものです。

 退耕庵、同聚院、芬陀院、永明院、龍吟庵、即宗院、南明院、正覚庵、桂昌院、荘厳院、天得院、一華院、霊雲院、大機院、善慧院、霊源院、栗棘庵、海蔵院、龍眠庵、盛光院、勝林寺、願成寺、東光寺、万寿寺、塔頭寺院はこう並びまして、今なおというひろまりが。

 同聚院と芬陀院、そしてここ光明院のように一般公開されている塔頭もありますが、一般公開されていない塔頭も多く、しかし秋の時期などに特別公開を行っています塔頭もあります。勝林寺さんなどは特別公開でも写真を自由に撮影できたりしまして、思い返せる。

 勝林寺さんは、これは改めて紹介したいところですが、良いところ。特別公開の寺院というものはこの少林寺壇の様に撮影出来る場所は逆に少数派で、見せてやっているのだから的な視線であるも、拝観料を奉納して後に撮影禁止を知らせる寺院などがあり、欲しいのはカネか、というところも名は出さないが、ある。

 勝林寺さんを見習ってほしい、拝観に来ているのであって物見遊山に来ているのではない、しかし写真を撮影できるものがあります寺院とそうでない寺院とでは、正直思い返して歴史や由来を調べる機会があるか、変な思い出だけ残るのかという違いがありまして、寺院側ももう少し考えてほしい。

 金山明昶さん。ここ光明院を創建されました開山の高僧ですが、なかなか調べようとしましても一筋縄では参りません、いや近くに龍谷大学があるのだから聞けよ、と思われるかもしれませんが、今はコロナの敷居もありますので、そのように一筋縄ではいかないのですよね。

 萬年山極楽寺、十年ほど前にこの寺院から明祖禅師六百年遠諱記念にあわせ金山明昶和尚語録という研究論文が発表されています。このお寺は兵庫県豊岡市城崎町湯島にあります臨済宗大徳寺派の仏教寺院でして、金山明昶が開山となり造営された歴史があるという。

 城崎まで歩み進めれば、もう少し金山明昶和尚の人となりや歴史とも巡り合えるのだろうなあ、こう思いつつ、しかし改めてコロナ対策とはいえ光明院の受付が門扉を閉ざしている現状を寂しく思うものです。歴史との出会い、なるほどこれも今は距離の時代なのだ。

 波心の庭を眺めつつ、そして幾度もこの情景を季節とともに時間を過ごしつつ、そんな御寺も知っているようで何も歴史を知らないのだなあ、と改めて思う次第です。Webでいつでもわかりそうな時代、インターネットでも限界、そんな事をふと心地よくも感じますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】光明院,禅寺の伽藍面と称される慧日山東福寺二十五の塔頭寺院にあってここは静かなのです

2022-06-22 20:00:01 | 写真
■京に夏がやってくる
 光明院に久しぶりの拝観へ歩み進めましたならば面持ちが変っていて驚きました。庭園の美しさはそのままなのですが中は前衛的に。

 東福寺、京都駅を一駅のところに東福寺駅がありまして、まあ京都駅といえば東本願寺が目の前に、新幹線ホームからは東寺、こう京都を代表する寺院に囲まれているところなのですけれども、一駅隣に、その御山の名を冠した寺院がしずかな広がりを見せています。

 慧日山東福寺、その創建は嘉禎2年こと西暦1236年に造営をはじめまして実に19年、建長7年こと西暦1255年に落成を成し遂げました寺院です。もともとここには藤原氏の氏寺が広まっていましたが、その氏寺はいまは小さく、しかし確固と東福寺駅前に佇んでいる。

 摂政九條道家、東福寺の山号は時の摂政九條道家が命名したもので、南都奈良にあって最大の規模を誇る寺院である東大寺と、最大の優美さを誇る興福寺、この二つの寺院から文字を用いまして、禅宗の寺院が京都最大の寺院となる事を願い冠せられた、といいます。

 夏がやってくる、いや京都に夏がやってきた、というべきでしょうか。蒸し暑い、熱さというものには色々とあるのですが、特に京都は気温もさることながら蒸し暑く、そして京都を探訪される方は寺社仏閣巡りをされる方多く、こうした場所は基本冷房がありません。

 光明院、東福寺の塔頭にあって少し南の方にありまして、紅葉の季節などに東福寺の通天橋が京都駅のコンコース並に混雑する頃合いにあっても、ふと拝観へ探訪しますと不思議と静寂さが保たれていまして、静けさを欲するときには歩み進める寺院の一つなのです。

 庵主さんに拝観料を納めて、とまあ日常の作法で拝観に臨もうとしますとなにかこう静かだ、いや静かということは求めているところなのですが、拝観の受付が静かというのは不思議なものでして、見れば竹筒が、大きな竹筒が三本立てられており、ここに収めるもの。

 東福寺も感染対策なのだ、こう痛感させられたところです。ポストコロナなんて言葉が曖昧にも時折耳に目にするところですが、しかしコロナ対策で2019年までは通年拝観していた寺院が門扉を固く閉ざし、2020年2021年を経て2022年を迎えてしまった御山も多い。

 JR東海の東海道新幹線ポスターにも選ばれたという庭園の情景、御本尊に手を合せて拝みました後に、涼しさをはこんでくれます庭園の、その広い縁に、ちょっとお行儀のわるい、それでも楽な座り方にてゆったりを眺める事としました、人も少ないので自由に過ごそう。

 庭園の静けさは、しかしそのまま保たされています。先日法隆寺がクラウドファンディングによりその維持費用の捻出を広く募った事に驚くとともに、しかしその報道では初日にほぼ費用を集める事が出来たという朗報が伝えられていたところですが、実際これは響く。

 光明院の庭園は躑躅がところどころに植えられた、波心の庭というものなのですが、こうしたものの維持費はやはりもととなるのは拝観料、つまりこの庭園を撮影する際に収めました竹筒へのお金がもととなっています、そして繰り返しますが、ここは静かなのです。

 禅宗庭園故に雑踏というものは相反するものですので静けさというものは勿論個人的には歓迎なのですが、庭師さんはじめこの庭園の維持には相応の費用が掛かっている事は間違いありません、すると大丈夫なのかなあ、この情景はどのようにして維持されるのか、と。

 なんとかなるさ、という楽観論で眺めるには現状はそう甘いものではないようですし、しかしもう駄目だ京都は滅亡だあ、というほどに悲観するほどでもない、ただただ、これは太平洋戦争以降としては初めての、厳しい状況になっていることは確かなのかもしれない。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアへのリトアニアの禁制品禁輸措置-カリーニングラードEU欧州連合のロシア制裁が引き起こす次の緊張

2022-06-22 07:01:49 | 国際・政治
■臨時情報-バルト海情勢
 核兵器禁止条約初の締約国会議がウィーンにて開幕されましたのと同じころ、ロシアバルチック艦隊司令部の置かれるカリーニングラードを中心に危機が醸成されている。

 ロシア軍ウクライナ侵攻に伴うEU欧州連合の制裁措置が、ウクライナに撃づいてロシア軍が侵攻する蓋然性が高いとされた地域に緊張を増大させています。ロシア大統領府のぺスコフ報道官は6月20日の記者会見において、ロシア飛び地であるカリーニングラードへ向かう貨物列車の一部を路線が通るリトアニアが通過拒否した問題を強く批判しました。

 リトアニア政府は6月18日現地時間0000時を以て、EU欧州連合禁制品を積載した貨物列車のカリーニングラード搬入を認めないとの通知をロシア政府へ行いました。注意すべき点は旅客列車の運行は維持されている点ですが、EU禁止している物資には建築資材やセメントが含まれ、貨物列車手続き等煩雑化します。ただ、海上航路は封鎖されていません。

 ぺスコフ報道官はリトアニア政府の貨物列車によるEU禁制品輸送禁止を受け、リトアニア国民に痛みを与える報復措置を行うと警告しました。これに対し、リトアニアのシモニテ首相は、カリーニングラードを封鎖している訳ではないと反論し全ての国際条約に違反している国からリトアニアが条約に違反したと非難を受けるとは皮肉だ、と発言しました。

 ロシア政府のリトアニアによる貨物列車制限を受けての事実上の報復措置検討ですが、重大な意味があります、それはリトアニアは元々、NATOがロシア軍侵攻の蓋然性が高い地域として、カリーニングラードとロシアの衛星国であるベラルーシに挟まれた地域にあり、その幅は100km、スヴァルキギャップとしてロシア軍の動向を警戒している地域です。

 カリーニングラードにはロシア第二の都市であるサンクトペテルブルクがあり、この都市の人口だけで540万、そしてロシアはNATOに囲まれている訳ではありませんが、カリーニングラードについては、バルト三国とポーランドのNATO加盟により囲まれているという状況にあり、ここにロシア軍が侵攻した場合は駐留NATO軍との戦闘開始を意味します。

 リトアニアによるカリーニングラードへのEU近世物資輸送禁止経済制裁ですが、ロシアが過剰反応を起こす懸念があります、それは二つの歴史によるもの。先ず一つはカリーニングラードにあるロシア第二の都市サンクトペテルブルクが、プーチン大統領の出生地である事、指導者の出生地は第二次大戦中のスターリングラードのような政治問題となる。

 サンクトペテルブルクはもう一つ、第二次大戦中のレニングラード包囲という苦い経験があります、繰り返しますがリトアニアは今回封鎖はしていません、しかし、第二次大戦中にレニングラードがドイツ軍に包囲され数十万の餓死者を出したという歴史があり、EU制裁にて過去の歴史を抉られる事で過剰反応を招く可能性がある、こうした認識も必要です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする