■筑波山とF-4ファントム
戦闘機は見上げるのも非日常ですが歴史や設計に関心を持ちますと過去の写真も輝いて見えてくるものです。

筑波山を借景に離陸するファントム、進路筑波山へ、という土浦や霞ケ浦に予科練が在った時代には遠景に見える筑波山に向けて練習機を飛ばしたという。百里基地もたどれば海軍百里ヶ原飛行場なのですが、筑波山と戦闘機という取り合わせは妙にこころしみます。

空母艦載機として設計されたファントム、ファントムもE型は空軍仕様となっていますので艦載機というのは原型のことなのだと留意は必要なのですけれども、筑波山と空母艦載機という取り合わせも、若鷲たちの戦後までの苦闘を含め、何か感じ入るものがあります。

ファントム、昨年2021年にとうとう航空自衛隊からは退役しまして、いやギリシャ空軍と韓国空軍に若干数残っていると撮影へ海を渡った方もいるとは聞きますが、それにしても基本設計の優秀さ所以とはいえ、よくぞ古い設計の機体が2020年代まで耐えた、と思う。

自衛隊がファントムを採用した際には競合機種としてF-111戦闘爆撃機や、あとはミラージュF-1にBAeライトニング等が候補となりましたが、F-111は空中戦が出来ませんしミラージュF-1は本命超音速VTOL機開発失敗の妥協案、実質F-4で決まっていたよう思う。

F-4戦闘機は1950年代の戦闘機ですが、設計としては合理的で、海軍の空母艦載機として設計されつつ空軍へ採用されるかを競合させた当時、空軍が推進した全自動戦闘機というべきF-106と選定した結果、無理に一名の操縦士で操縦させるF-106には限界があった。

F-106戦闘機が同時のコンピュータの技術でワンマンオペレーションを実現しようと苦闘したのに対し、F-4は一人が無理ならば二人で、とレーダー管制士官を操縦士の後ろに乗せるという複座方式を採用し、結果的にF-106を凌駕する性能を発揮することができました。

イーグルの時代へ。このファントムに続いて航空自衛隊はF-15イーグルを選定します、競合機種としてF-14トムキャットが検討され、かなり良い線に行ったといわれますが取得費用と運用費用の面でF-14は対象から脱落したともいう、そしてイーグルの時代が来ます。

F-15,この戦闘機を2020年代の視点から回顧しますと、ステルス性は無いが爆撃機並に積める、ということで、戦闘機業界のピックアップトラックとしてアメリカはF-15EXをイーグルⅡとして新型機扱いで採用、対してF-14は2006年に完全退役しているのですね。

F-15の原点は第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空隊で大活躍したP-51ムスタングにあるといわれます。P-51戦闘機はスピットファイアやゼロ戦ほど小回りは利きませんでしたし、ドルニエや疾風のような大口径機関砲を積むわけでもありません、しかし強かった。

ムスタングは航続距離が3000km以上あり戦闘行動半径は1400kmと、ゼロ戦の航続距離3400kmに、なにしろゼロ戦は航続距離と戦闘行動半径に徹した戦闘機、すなわち爆撃機に随伴でき、単独でも敵対空域へ進出し制空権を奪ってくるという運用が可能な水準でした。

P-51ムスタング、エンジンはピッカードV1650-9で出力2200hp、頑丈な機体を自由自在に繰る出力を有していました。そしてなにより洗練された品質管理とともに信頼性を誇り、戦闘機を評価する機動力や行動半径に打撃力や稼働率と操縦性など五項目があるとすれば。

戦闘機は全てで最強ではないが、複数項目であらゆる同世代機を圧倒できる性能を有していたという。一方、P-51は優れた汎用性を有し、欧州ではロケット弾を搭載し対地攻撃機としても大活躍し、例えば、戦車戦では強力なドイツ軍戦車に致命的な威力を発揮します。

空軍万能論ではありませんが、戦闘機の戦闘爆撃機としての性能、これは何故か続くF-86セイバー戦闘機にも継承され、制空権確保よりは護衛戦闘機として、また発展型とされるF-100スーパーセイバーがより設計思想で鮮明ですが対地攻撃攻撃能力が重視されます。

このための低翼面荷重の設計が実は空中戦に大きな威力を発揮しますが副次的なものであり、アメリカ空軍は本土防空用の、ジーニ空対空核兵器を搭載するような、迎撃戦闘機以外の機体を対地攻撃機へと発展してゆき、これは同時に制空戦闘機の根本を揺さぶる事に。

戦闘機の機動性という本来概念が忘れられるとは言い過ぎですが、筆頭の要求から徐々に多用途という言葉が取って代わるようになる。F-100スーパーセイバー、続いてF-101ブードゥーやF-102デルタダガーとF-106デルタダートは迎撃専用機ですが、問題はこちら。

F-105サンダーチーフなどは戦闘爆撃機とはいわれるものの戦闘の名を関することができるか疑問符が、ただ相応に空中戦で活躍はあるが、重い鈍重な戦闘機となっていました。極めつけはF-111アードバーグで、これは戦闘爆撃機とはいうものの、実態は別物です。

F-111アードバーグ、可変翼と並列複座の操縦席を持つ巨大な戦闘爆撃機です。本来はB-52爆撃機など戦略爆撃機を運用する戦略空軍が爆撃機として採用するほどに爆撃性能が重視された機体となります。これで良いのか、戦闘機部隊のもつ危機感は当然といえましょう。

ロバートマクナマラ。F-111の生みの親にフォード自動車社長を務め、その経営合理化手腕を当時のケネディ大統領に見いだされ国防長官となった政治家がいます。マクナマラ国防長官は、合理化視点から海軍と空軍が別々の戦闘機を運用している点が無駄に見えてゆく。

海軍と空軍の戦闘機、この機種の統合を図ることで国防費の最適化をはかるようにします。実際、第二次大戦中であれば小型のF8Fベアキャットと大柄のP-51ムスタングを統合する案などはでなかったのでしょうが、空母艦載機というものはじょおに大型化してゆく。

アメリカの空母はミッドウェー級、フォレスタル級、原子力空母エンタープライズ、と艦載機を運用できる空母そのものが大型化しています。しかし、艦隊防空を第一とする戦闘機と、相手国上空に乗り込んで迎撃機をすべて打ち落とす制空戦闘機とでは、用途が違う。

艦隊防空と制空戦闘、ゴールキーパーとフォワードほどに任務が異なり、無理に無理を重ねた結果、十分なミサイルと巨大なレーダー搭載能力を兼ね備えた、巨大なF-111が開発されることとなりました。海軍はこれでは巨大すぎて空母に載らないとして難色を示す。

空母を仮に大型化しても空母航空団を収容できなくなるとして大きすぎる艦載機に狭くなる空母格納庫を心配し、空軍は大きすぎて鈍重であり戦闘機か疑わしい、と用途を失うようになります。もっとも、戦闘機ではなく爆撃機としては特に高性能であるのだけれども。

F-111の設計は、しかし当時アメリカに爆撃機万能論があり、その背景にソビエト連邦との東西冷戦下、第一撃で数千メガトンの核兵器をぶつけ合うべく準備し、その一環としてB-52爆撃機が飛行群単位で三六五日二十四時間水爆を搭載し空中待機する時代の反映でした。

こうした中で、空軍にはSAC戦略空軍とTAC戦術空軍があり、爆撃機万能論の一翼を担う性能があれば、戦闘機でも爆撃機の予算を用いる事が出来た、そんな事情がありました。自由の国アメリカでも、いやアメリカだからこその官僚主義というものがあったのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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戦闘機は見上げるのも非日常ですが歴史や設計に関心を持ちますと過去の写真も輝いて見えてくるものです。

筑波山を借景に離陸するファントム、進路筑波山へ、という土浦や霞ケ浦に予科練が在った時代には遠景に見える筑波山に向けて練習機を飛ばしたという。百里基地もたどれば海軍百里ヶ原飛行場なのですが、筑波山と戦闘機という取り合わせは妙にこころしみます。

空母艦載機として設計されたファントム、ファントムもE型は空軍仕様となっていますので艦載機というのは原型のことなのだと留意は必要なのですけれども、筑波山と空母艦載機という取り合わせも、若鷲たちの戦後までの苦闘を含め、何か感じ入るものがあります。

ファントム、昨年2021年にとうとう航空自衛隊からは退役しまして、いやギリシャ空軍と韓国空軍に若干数残っていると撮影へ海を渡った方もいるとは聞きますが、それにしても基本設計の優秀さ所以とはいえ、よくぞ古い設計の機体が2020年代まで耐えた、と思う。

自衛隊がファントムを採用した際には競合機種としてF-111戦闘爆撃機や、あとはミラージュF-1にBAeライトニング等が候補となりましたが、F-111は空中戦が出来ませんしミラージュF-1は本命超音速VTOL機開発失敗の妥協案、実質F-4で決まっていたよう思う。

F-4戦闘機は1950年代の戦闘機ですが、設計としては合理的で、海軍の空母艦載機として設計されつつ空軍へ採用されるかを競合させた当時、空軍が推進した全自動戦闘機というべきF-106と選定した結果、無理に一名の操縦士で操縦させるF-106には限界があった。

F-106戦闘機が同時のコンピュータの技術でワンマンオペレーションを実現しようと苦闘したのに対し、F-4は一人が無理ならば二人で、とレーダー管制士官を操縦士の後ろに乗せるという複座方式を採用し、結果的にF-106を凌駕する性能を発揮することができました。

イーグルの時代へ。このファントムに続いて航空自衛隊はF-15イーグルを選定します、競合機種としてF-14トムキャットが検討され、かなり良い線に行ったといわれますが取得費用と運用費用の面でF-14は対象から脱落したともいう、そしてイーグルの時代が来ます。

F-15,この戦闘機を2020年代の視点から回顧しますと、ステルス性は無いが爆撃機並に積める、ということで、戦闘機業界のピックアップトラックとしてアメリカはF-15EXをイーグルⅡとして新型機扱いで採用、対してF-14は2006年に完全退役しているのですね。

F-15の原点は第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空隊で大活躍したP-51ムスタングにあるといわれます。P-51戦闘機はスピットファイアやゼロ戦ほど小回りは利きませんでしたし、ドルニエや疾風のような大口径機関砲を積むわけでもありません、しかし強かった。

ムスタングは航続距離が3000km以上あり戦闘行動半径は1400kmと、ゼロ戦の航続距離3400kmに、なにしろゼロ戦は航続距離と戦闘行動半径に徹した戦闘機、すなわち爆撃機に随伴でき、単独でも敵対空域へ進出し制空権を奪ってくるという運用が可能な水準でした。

P-51ムスタング、エンジンはピッカードV1650-9で出力2200hp、頑丈な機体を自由自在に繰る出力を有していました。そしてなにより洗練された品質管理とともに信頼性を誇り、戦闘機を評価する機動力や行動半径に打撃力や稼働率と操縦性など五項目があるとすれば。

戦闘機は全てで最強ではないが、複数項目であらゆる同世代機を圧倒できる性能を有していたという。一方、P-51は優れた汎用性を有し、欧州ではロケット弾を搭載し対地攻撃機としても大活躍し、例えば、戦車戦では強力なドイツ軍戦車に致命的な威力を発揮します。

空軍万能論ではありませんが、戦闘機の戦闘爆撃機としての性能、これは何故か続くF-86セイバー戦闘機にも継承され、制空権確保よりは護衛戦闘機として、また発展型とされるF-100スーパーセイバーがより設計思想で鮮明ですが対地攻撃攻撃能力が重視されます。

このための低翼面荷重の設計が実は空中戦に大きな威力を発揮しますが副次的なものであり、アメリカ空軍は本土防空用の、ジーニ空対空核兵器を搭載するような、迎撃戦闘機以外の機体を対地攻撃機へと発展してゆき、これは同時に制空戦闘機の根本を揺さぶる事に。

戦闘機の機動性という本来概念が忘れられるとは言い過ぎですが、筆頭の要求から徐々に多用途という言葉が取って代わるようになる。F-100スーパーセイバー、続いてF-101ブードゥーやF-102デルタダガーとF-106デルタダートは迎撃専用機ですが、問題はこちら。

F-105サンダーチーフなどは戦闘爆撃機とはいわれるものの戦闘の名を関することができるか疑問符が、ただ相応に空中戦で活躍はあるが、重い鈍重な戦闘機となっていました。極めつけはF-111アードバーグで、これは戦闘爆撃機とはいうものの、実態は別物です。

F-111アードバーグ、可変翼と並列複座の操縦席を持つ巨大な戦闘爆撃機です。本来はB-52爆撃機など戦略爆撃機を運用する戦略空軍が爆撃機として採用するほどに爆撃性能が重視された機体となります。これで良いのか、戦闘機部隊のもつ危機感は当然といえましょう。

ロバートマクナマラ。F-111の生みの親にフォード自動車社長を務め、その経営合理化手腕を当時のケネディ大統領に見いだされ国防長官となった政治家がいます。マクナマラ国防長官は、合理化視点から海軍と空軍が別々の戦闘機を運用している点が無駄に見えてゆく。

海軍と空軍の戦闘機、この機種の統合を図ることで国防費の最適化をはかるようにします。実際、第二次大戦中であれば小型のF8Fベアキャットと大柄のP-51ムスタングを統合する案などはでなかったのでしょうが、空母艦載機というものはじょおに大型化してゆく。

アメリカの空母はミッドウェー級、フォレスタル級、原子力空母エンタープライズ、と艦載機を運用できる空母そのものが大型化しています。しかし、艦隊防空を第一とする戦闘機と、相手国上空に乗り込んで迎撃機をすべて打ち落とす制空戦闘機とでは、用途が違う。

艦隊防空と制空戦闘、ゴールキーパーとフォワードほどに任務が異なり、無理に無理を重ねた結果、十分なミサイルと巨大なレーダー搭載能力を兼ね備えた、巨大なF-111が開発されることとなりました。海軍はこれでは巨大すぎて空母に載らないとして難色を示す。

空母を仮に大型化しても空母航空団を収容できなくなるとして大きすぎる艦載機に狭くなる空母格納庫を心配し、空軍は大きすぎて鈍重であり戦闘機か疑わしい、と用途を失うようになります。もっとも、戦闘機ではなく爆撃機としては特に高性能であるのだけれども。

F-111の設計は、しかし当時アメリカに爆撃機万能論があり、その背景にソビエト連邦との東西冷戦下、第一撃で数千メガトンの核兵器をぶつけ合うべく準備し、その一環としてB-52爆撃機が飛行群単位で三六五日二十四時間水爆を搭載し空中待機する時代の反映でした。

こうした中で、空軍にはSAC戦略空軍とTAC戦術空軍があり、爆撃機万能論の一翼を担う性能があれば、戦闘機でも爆撃機の予算を用いる事が出来た、そんな事情がありました。自由の国アメリカでも、いやアメリカだからこその官僚主義というものがあったのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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