北大路機関

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【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(11)第11普通科連隊の完全装甲化された観閲行進(2011-10-09)

2022-06-12 20:05:58 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■89式装甲戦闘車登場
 第7師団特集の第11回が第11普通科連隊というのは何か偶然にしてもめでたいものです。機甲師団編成である第7師団唯一の普通科連隊は日本最大規模の普通科部隊だ。

 第11普通科連隊の観閲行進が始まりました、本部管理中隊とともに六個普通科中隊と重迫撃砲中隊という、六個普通科中隊を置く為に各戦車連隊へ普通科中隊を派遣し戦車連隊戦闘団を編成した場合でも旅団普通科連隊よりは強力な戦闘部隊が残るという編成です。

 東千歳駐屯地には実は戦車連隊は置かれていませんが、この第11普通科連隊と第7特科連隊が、強力な装甲部隊という印象を突き付けます。そしてこの連隊には自衛隊に配備されている89式装甲戦闘車がほぼ全て集約されています、他は教育部隊に配備されるのみ。

 89式装甲戦闘車は、35mm機関砲と79式対舟艇対戦車誘導弾を搭載し90式戦車の機動力に随伴できる防御力と機動力を兼ね備えた新時代の装甲車として開発されたのですが、新時代が冷戦終結後であった為に量産は68両と限られたものとなり数が揃いませんでした。

 35mm機関砲は開発当時に装甲戦闘車の代名詞がアメリカのM-2ブラッドレーの25mm機関砲と西側元祖と云われたドイツのマルダー1で20mm機関砲、イギリスのウォリアーが30mmでしたのでかなり強力といわれましたが、その後欧州では40mm時代が到来します。

 26tの戦闘重量を有する89式装甲戦闘車は開発当時、抜きんでた重装甲と呼ばれぜいたくすぎるとも称されましたが、その後欧州では、戦車よりも装甲戦闘車の方が全損した場合の人的被害が大き過ぎるとされ重装甲化が進み、今や40t台が普通となったのは驚いた。

 共通装軌車両として、89式装甲戦闘車の後継に車体のみを89式装甲戦闘車の延長線上という車輛を開発し73式装甲車と89式装甲戦闘車などを置換える構想があります、砲塔は新造しないという。ならばいっそ91両が量産された87式偵察警戒車砲塔も載せてはと思う。

 装甲戦闘車は世代交代している、この視点は重要であるように思う。89式装甲戦闘車などは第7師団にしなかいものですので良いものであるという認識がありますが、比較対象が73式装甲車ならば首肯できるものの、ASCODやCV-90と比較しても言い切れるのかと。

 近接戦闘、なにしろ戦車は500m以下の近接戦闘に脆弱性があり90m以下の近接戦闘はきわめて難しい、故に乗車歩兵が銃眼から撃退するという認識があったわけですが、これは恰も第一次大戦後から第二次世界大戦初期に散見された多砲塔戦車の概念に近いといえる。

 多砲塔戦車の利点は戦闘における死角の少なさではありますが、同時に中距離目標への戦車長の統率の低さがあり、これは主力戦車に第一世代走行戦闘車は依存しつつ小銃を銃眼から様々な角度に射撃するという概念でしたので、多砲塔戦車の概念と似るよう思う。

 ただ、これ陣地攻撃に際して、なにしろ陸上戦闘の根幹は土地の収奪にあり、これは古代から現代まで不変だ、その過程で下車戦闘に移行すると、敵陣地に接近した際こと近接戦闘の蓋然性が高くなるのに対して、その瞬間は歩兵はもう下車している矛盾がありました。

 ここが第二世代装甲戦闘車、世界では装甲戦闘車を戦車のように第一世代と第二世代と第三世代で訳ないのがふつうであるため便宜的なものですが、初期のものと現代のものでは、寧ろ装甲戦闘車の根幹は防御力の高さを挙げ、車体は重量化していったと説明できます。

 自衛隊はフィンランド製装輪装甲車であるパトリアAMVを三菱重工が16式機動戦闘車の車体を応用した機動装甲車と比較し、次期装輪装甲車を検討していますが、いっそのこと装甲戦闘車もスウェーデン製CV-90C装甲戦闘車あたりを検討しては、とも思うのですね。

 一方で、日本の国土を考えれば機甲部隊が運用できる地形は限られ、普通科部隊が主体になるのではないか、という指摘はあるようです。確かに北海道北部を見ますと山間部に隘路と盆地が並ぶ、一見機械化部隊が戦闘を展開するには適していないように錯覚しますが。

 フルダギャップと同じではないか、冷戦時代の東西ドイツ国境における東ドイツ国境線が突出部となっている地形と共通点を見い出せるのですね。冷戦時代にはドイツ北部地域が平野部となっていましたので、軍団規模の戦車部隊が戦闘を行う蓋然性が指摘されたもの。

 北海道北部とフルダギャップですが、フルダギャップは北部平原と比較し山間部と地形障害となるフルダ川が戦車部隊の前進を阻むものの、山間部とヘッセン東方の高地を抜ける先には平野部が広がり、地形障害無しにそのままドイツ経済の中枢フランクフルトに続く。

 音威子府隘路や上川盆地の旭川、その先に滝川岩見沢のラインを超えますと道都札幌まで地形障害がありません、しかし道北に伸びる国道12号線と国道40号線周辺では、戦車部隊の機動、上記フルダギャップの地形よりも容易な特性がありまして、機械化部隊が要る。

 泥炭湿地、北海道防衛に機械化部隊が重要であると考える背景にはもう一つ、この泥炭湿地という地質特性がありまして、戦車でも移動が困難な地質です、戦車が動けないならば、と思われるかもしれませんが履帯幅の大きい装軌車両は踏破できます、ここが肝要です。

 道北の地形は、言い換えれば路外機動性を成約する地形だからこそ路上の装甲部隊等は航空攻撃や砲兵曳火射撃の格好の標的となりますので、逆に路外を機動しなければなりません、すると徒歩機動で路外を右往左往するには膨大な数の普通科連隊を張り付ける必要が。

 ジャベリンのような対戦車ミサイルが有れば大丈夫だ、という視点もあるようですが機動力を持たない普通科部隊だけで守るには座布団部隊を全土に張り付ける必要があり、敵のこない地域の座布団部隊は必然的に遊兵化します、そんなに人的余裕はあるのか、と思う。

 集中運用してこその機械化部隊だ、とグデーリアンやマンシュタイン、昔の方はパウルカレルあたりまで引っ張り出して来るかもしれません、最後の人は誇張表現がかなりありまして、引用する人は減っていますが、80年前は戦車の分散運用は悪手であったのは、確か。

 C4Iの時代、分散運用が基本となったのは第二次大戦後の核兵器の時代にペントミック師団、つまり五単位師団をアメリカが示したように固まっていると戦術核で一挙に焼却されるという危惧から分散運用が模索されるようになります、そしてその後C4Iの時代が到来する。

 RMA軍事における技術革命と2000年ごろには盛んに喧伝されましたが、C4Iにより分散した部隊が孤立せず電子空間で秒単位の相互支援が可能となり確実な兵站と火力支援を受けられる時代となりますと、機械化部隊の分散運用が極めて有力な勝ち目、となってゆく。

 90式戦車や89式装甲戦闘車、いまは10式戦車の時代ですが中隊単位で分散しつつ電子の空間で確実に相互支援し必要ならば集結し危険ならば分散、この機動力、歩兵も未来にモビルスーツでも量産される時代が到来すれば別ですが、今はヘリボーンのほかありません。

 人員の方が予算よりも喫緊で、日本は人口から数万十数万を有事の際に遊兵化させる余裕も数万の人的損耗にも耐えられません、予算も人口も無いと財務省が反論しそうですがならば戦術核でも使うかと代案を出しつつ、基本的に機械化を進める必要が、あるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社,宇迦之御魂大神を奉じる社殿は如何にして五穀豊穣から商売繁盛へ進んだか

2022-06-12 18:22:25 | 写真
■宇迦之御魂大神への信仰
 日本社会で営む人々は先進国で最も神の実在を確信する割合は低いとされるものの神様がいてくれればなあと考える比率は一番たかいそうだ。

 宇迦之御魂大神を奉じる伏見稲荷大社、伊奈利と創建当初は崇められました稲荷さんですが、転じて稲成り、となりまして、五穀豊穣を祈る社殿として崇敬を集めました。商売繁盛を御利益としますのは大宮能売大神への信仰が転じたとも考えられているのですが。

 大宮能売大神は家内安全といいますか君臣の間を取り持つ神でもあり朝廷などの調和を図る神という位置づけでもあり、江戸時代ごろに、要するに接客の神様だ、といいますか超解釈が成立ちまして商売繁盛のご利益があるに違いないのだろうなあ、となったわけです。

 佐田彦大神と田中大神と四大神、五柱の総称としまして稲荷大神と称します訳です。キツネ様で有名なお稲荷さんですが、このキツネさんは元々船岡山あたりで住んでいたキツネさんの夫婦が良くしてくれた人間へお返しの為に伏見稲荷大社へ出仕、神使となったもの。

 田中大神、こちらもその名の通り田圃を司る神様ということでして、五穀豊穣に繋がるとなります。しかし、神使のキツネさまは穀倉をネズミさんから護るという、干支のネズミは方位神の御使いで有る筈なのですが、御キツネ様には相応の役割があるのもたしかです。

 清少納言も枕草子に伏見稲荷大社へ参詣した事を記していますし、蜻蛉日記や今昔物語にも記されていますのが伏見稲荷大社ですので、朝廷の崇敬や奉幣使の巡幸というだけでなく、広く平安時代の頃から親しまれていた社殿である事も確かではあるのですが、さて。

 五穀豊穣を司る、実のところ商売繁盛は五穀豊穣があってこその余剰が商売につながるものですので、五穀豊穣から商売繁盛へ信仰が移りましたのは江戸時代ごろからといいますので、やはり日本は江戸時代まで食うや食わずの時代も長く続いたことを示すのでしょう。

 鎌倉時代までは、ここ伏見稲荷大社は山頂の社殿となっていまして、神仏習合の独特の信仰と共に平安朝の時代から崇敬の在り方をかえていたようです、そして五穀豊穣から商売繁盛へと信仰が広まります時代に先んじまして、稲荷山を御神体としまして、広がります。

 五穀豊穣から商売繁盛へ信仰が変りゆきます少し前に、その社殿は広く山麓へ、つまりいまの時代の神域へと広がりを見せてゆく事となる。宇迦之御魂大神を奉じる伏見稲荷大社ですが、こうして神域が広がります背景には朝廷の保護よりも寄進のほうが背景が大きい。

 稲荷山を上りますと一之院はじめ、もともとの社殿の位置へと千本鳥居の参道は連綿と続いているのですが、広がりました社殿は、遷座というかたち永享10年こと西暦1438年、後花園天皇の勅命を受け室町将軍足利義教の手で社殿を山麓へ正式に遷座する事となった。

 応仁の乱はくじ引き将軍として横暴を重ねた足利義教の治世下が終わりますと生じた権力空白とともに京都を覆い、ここ伏見稲荷大社も山頂から山麓まで灰燼に帰す事となるのですが勧進により復興が始まり、豊臣秀吉は天下人となった際、楼門を造営し寄進しました。

 足利義教が折角寄進して広げた神域が、陣地の適地だったかどで応仁の乱にて山頂まで焼かれてしまうのは困ったものですが、しかし、改めて考えますと長期の戦争が共倒れとならず継続した背景には、やはり短期激戦の人口減少とは異なる背景、五穀豊穣が在る訳で。

 豊臣秀吉が造営した楼門は言い換えればその後の江戸時代と瓦解の明治維新に昭和の太平洋戦争、厳しい時代を幾つも挟むのですが太平であった時代も長かった訳です、そこでもう一度、神域から俗世に戻ります際に改めて宇迦之御魂大神へ一礼し、散策を続けました。

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世界食糧危機の懸念-ロシア軍ウクライナオデッサ港封鎖と黒海封鎖,黒海上空に飛行制限空域が必要だ

2022-06-12 07:01:46 | 国際・政治
■現実化する穀物危機
 いま行動しなければ間に合わなくなる危惧があります、それはオデッサ港封鎖が先物市場へ影響し情勢不安を誘発する規模まで食料価格が高騰すること。

 黒海上空に飛行制限空域を設定し穀物輸出を再開できないか。オデッサ港からの穀物輸出がロシア軍の海上封鎖により事実上不可能となり、仮に輸出を再開するにしても機雷掃海を実施せねば成りません。機雷掃海は確実にロシア海軍の妨害を受けますし、なによりウクライナ海軍には掃海部隊が壊滅状態にあります。しかし穀物不足の影響は危機的です。

 ウクライナは世界第三位の穀物輸出国であり、青色と黄金色から構成されるウクライナ国旗は青空の下に広がる黄金の小麦畑を意味し、そして間の悪いことにまもなく冬小麦の収穫が本格化する一方、輸出に必要な海運がロシアによる海上封鎖により不可能、小麦不足は先物取引市場を経て小麦価格の高騰に繋がり、此処が新たな世界危機に繋がりかねない。

 穀物危機の恐ろしい点は、実物商品が不足する前に先物取引市場での高騰がはじまりますので、穀物は足りているという安心感がなければ仮に実際に足りたとしても市場価格が高騰します、これは経済大国である日本ではうどん一杯300円が400円500円になり高すぎると悪態をつく程度ですが、途上国には飢餓に直結する非常に懸念すべき状況となるのだ。

 飛行制限空域設定は、ウクライナ戦争初期にウクライナ政府がもとめたものの、ロシア空軍との戦闘という危機から各国が断念しています。ただ、開戦劈頭の頃とは事情が変わった、100日と長期戦となっており、飢餓というものが現実に見えてきました。海軍艦艇による護衛という選択もありますが、リスクは機動性に優れた飛行制限空域設定のほうが低い。

 飛行制限空域設定、もちろんNATOや国連軍と云う訳には参りません、NATOが設定するならば確実にロシア軍との戦闘に展開します、国連軍派遣には国連憲章上の安保理決議が必要となりロシアは拒否権を行使するでしょう。ただ、PKO国連平和維持活動、その権限を2002年以来20年ぶりの安保理から総会に戻し、派遣するならば現実的に可能となる。

 WFP世界食糧機関、現実的にはこれまで呼び掛けるだけで具体的な行動を避けてきました国連事務総長が動くとは思えません、涙ながらに訴えて動画も配信するでしょうが、意志としてはそこまでであり、WFPは各国に高騰した食料価格を前に分配への資金拠出を呼びかける、そしてロシアは高騰した食料価格を背景に小麦輸出で戦費を確保する事でしょう。

 ただ、問題はそれほど簡単ではないのかもしれません、価格高騰は穀物輸出国にとり輸出価格高騰が悪い話ではないように思われるかもしれませんが、世界には年収が日本の月収以下の国が数えきれないほどあり、こうした諸国で食料価格高騰は、食糧が足りなくて大変という段階ではなく、地域情勢への影響へ及ぶ可能性がある。ロシアにはここも狙いか。

 飢餓を武器に、これは太古から戦争の方法としては用いられ、1992年にはソマリアの武装勢力も用いましたが、今回は一歩進み、穀物不足をロシアが原因は欧米に在りロシア産小麦が欲しければロシアのウクライナ侵攻に協力しろとの論理で、世界の中でロシアに対し中立な立場をとる諸国を、ロシア支援に転換させようという狙いがあるのかもしれない。

 ロシアは、核兵器による恫喝で世界を揺さぶる事に失敗し、続いて天然ガス輸出の停止を通じて欧州諸国のロシア強硬路線に罅を入れる試みを行いましたが失敗しました、次は飢餓という武器を以て世界に挑む姿勢です。ただ、輸出が海上封鎖で遮断されている点が現時点での問題ですので、いま輸出できるよう各国が参画するならば、危機は回避できます。

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