■大阪琵琶湖直通時代
昭和初期といいますと太平洋戦争を先に思い浮かべるのですが考えてみると当たり前だが大正デモクラシーの次の時代でもあったのですね。
ロマンスカー、この呼称を初めて鉄道車両に命名したのは京阪電鉄です。いまでは小田急電鉄のロマンスカーが有名になっていますが。それは男女が向かい合って着席し、ロマンスを紡ぎながら観光地に行く事が出来たという、大正浪漫の延長線上に設計された。
びわこ号という、1934年に導入された京阪60系電車がロマンスカーの走りというもので、大阪の天満橋駅から京津線を経て石山坂本線に直接乗入れて琵琶湖遊覧船を愉しめたというダイヤグラムが1934年に組まれていました。なお60系は寝屋川車庫に保存されている。
600系電車、石山坂本線の主力車両ですが令和時代の現在この路線では、びわこ号リバイバル塗装の列車が運行されています、旧塗装の更にその前の塗装、もちろん、いまは京津線乗入れこそ行っておらず、京津線も京都市営地下鉄東西線と一体化してしまっているのですけれども。
60系電車と600系電車、10倍になっているというのはさておき、60系電車は流線型電車という当時世界最先端の車体形状を日本で導入したものであり、こうした鉄道車両の設計や車内の余裕を昭和の、そろそろ大戦という時代にあっても維持していたのは感慨深い。
800系電車、さてロマンスカーびわこ号は、琵琶湖遊覧船という観光へ大阪からの観光輸送を実現した車両なのですが、大阪から琵琶湖直通というのは今や昔、現在はこの編成の若干長い800系電車が、大阪ではなく京都市内へ地下鉄乗入れにてむすんでいるのですが。
車輛限界が東西線と京阪本線ではもはやかなり差異が生じてしまっている故に、もうどう頑張っても京阪三条から地下鉄を京阪本線乗入れなんてことは出来なくなってしまっているのですけれども、昔は変なところで凄い時代であったのだなあ、と思ってしまうのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
昭和初期といいますと太平洋戦争を先に思い浮かべるのですが考えてみると当たり前だが大正デモクラシーの次の時代でもあったのですね。
ロマンスカー、この呼称を初めて鉄道車両に命名したのは京阪電鉄です。いまでは小田急電鉄のロマンスカーが有名になっていますが。それは男女が向かい合って着席し、ロマンスを紡ぎながら観光地に行く事が出来たという、大正浪漫の延長線上に設計された。
びわこ号という、1934年に導入された京阪60系電車がロマンスカーの走りというもので、大阪の天満橋駅から京津線を経て石山坂本線に直接乗入れて琵琶湖遊覧船を愉しめたというダイヤグラムが1934年に組まれていました。なお60系は寝屋川車庫に保存されている。
600系電車、石山坂本線の主力車両ですが令和時代の現在この路線では、びわこ号リバイバル塗装の列車が運行されています、旧塗装の更にその前の塗装、もちろん、いまは京津線乗入れこそ行っておらず、京津線も京都市営地下鉄東西線と一体化してしまっているのですけれども。
60系電車と600系電車、10倍になっているというのはさておき、60系電車は流線型電車という当時世界最先端の車体形状を日本で導入したものであり、こうした鉄道車両の設計や車内の余裕を昭和の、そろそろ大戦という時代にあっても維持していたのは感慨深い。
800系電車、さてロマンスカーびわこ号は、琵琶湖遊覧船という観光へ大阪からの観光輸送を実現した車両なのですが、大阪から琵琶湖直通というのは今や昔、現在はこの編成の若干長い800系電車が、大阪ではなく京都市内へ地下鉄乗入れにてむすんでいるのですが。
車輛限界が東西線と京阪本線ではもはやかなり差異が生じてしまっている故に、もうどう頑張っても京阪三条から地下鉄を京阪本線乗入れなんてことは出来なくなってしまっているのですけれども、昔は変なところで凄い時代であったのだなあ、と思ってしまうのです。
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