■空往く明野レインボー
観閲飛行が完了しました明野駐屯地上空へ新たなヘリコプターの編隊が接近して参りましていよいよ次の展示が始まる。
明野レインボーの飛行展示が開始されました。明野レインボーとは航空学校の教官らで臨時編成されたヘリコプター展示飛行部隊であり、航空自衛隊のブルーインパルスとはちょっと違うのですが、ヘリコプターの各種機動性を展示するここ明野だけの飛行展示です。
TH-480練習ヘリコプター4機とUH-2多用途ヘリコプターにAH-1対戦車ヘリコプターおよびOH-1観測ヘリコプターという編成です。自衛隊は観測ヘリコプターと対戦車ヘリコプターについては全廃する方針で、どんな機種かは不明ですが無人機を代替機とする考え。
UH-2多用途ヘリコプターの機動性展示、ベル412EPをもとに軍用使用としたものでベル社もスバルUH-2として海外市場に提供している、一見2020年代の航空機の割には安直な設計のようには見えるのですが意外と新規採用する国が増えていまして、手堅く好評だ。
スバル、いや富士重工の名の方が親しんでいるので旧称を用いてしまうのですがUH-2,価格管理には成功していると思う。川崎重工は防衛省の養成に応えCH-47JAをCH-47D型仕様からCH-47G型仕様とした結果、値段が各国のCH-47G輸送ヘリコプターと同水準に。
AH-1S対戦車ヘリコプター、1970年代後半に自衛隊はHU-1Bへハイドラ70ロケット弾を搭載し武装ヘリコプター化を研究していました、ロケット弾発射機は10機分が取得されたものの芳しい成果をあげる事が出来ず、結果AH-1Sを検討、試験機が中々買えなかった。
試験機を2か年の予算に分けて調達したのですが、評価試験では当時の第2戦車大隊が参加、普通科1個中隊の防御陣地にAH-1Sが2機支援に加わり戦車大隊の攻撃を受けるという想定での試験で戦車大隊が損耗八割の大打撃を受け、AH-1Sの費用対効果が示されます。
富士重工がUH-1を、HU-1BからHU-1Hへとベル社とのライセンス生産契約を結び続けていましたので一旦AH-1Sの採用が決定するとAH-1Sライセンス生産契約はスムーズに流れ、結果自衛隊は96機、五個対戦車ヘリコプター隊と教育所要のAH-1Sを揃えました。
OH-1観測ヘリコプターの機動飛行、この機体は増大する戦闘ヘリコプターの脅威下でどのように観測ヘリコプターが任務遂行するかというオペレーションリサーチの先に開発され、機動性の高い専用機に高度な観測器材と空対空ミサイルを搭載する、とまとまったもの。
250機というまとまった数が調達されOH-6D観測ヘリコプター180機を置き換える構想でしたが、予算不足により試作機を含め33機のみが生産、OH-6Dの後継機が調達される事は無く、そのまま観測ヘリコプター全廃という。能登半島地震で、この機体が充分あれば。
TH-480練習ヘリコプター、OH-6D練習ヘリコプターの後継に、本命はMD-500だったのですが総合入札方式でTH-480に決定、その直後メーカーであるエンストロム社が中国企業に買収され、更に倒産しアメリカで、とちょっと後継機が気になる練習ヘリコプターだ。
UH-60JA多用途ヘリコプターの飛び入り参加へ。2000年から調達が開始され当初は多用途ヘリコプターを全てUH-1JからUH-60に置換える計画でしたが、そんな予算もあるはずなく、と。ライセンス生産を担う三菱重工は武装型をAH-1S後継機に提示していました。
宮古島沖墜落事故が発生するまでは事故の無い機体として絶大な信頼を集めていましたUH-60JAですが、救難ヘリコプターと同水準の航法装置や全天候飛行装備を備えていた為に取得費用が高騰し、UH-1多用途ヘリコプターの四倍程度という高額なものとなりました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
観閲飛行が完了しました明野駐屯地上空へ新たなヘリコプターの編隊が接近して参りましていよいよ次の展示が始まる。
明野レインボーの飛行展示が開始されました。明野レインボーとは航空学校の教官らで臨時編成されたヘリコプター展示飛行部隊であり、航空自衛隊のブルーインパルスとはちょっと違うのですが、ヘリコプターの各種機動性を展示するここ明野だけの飛行展示です。
TH-480練習ヘリコプター4機とUH-2多用途ヘリコプターにAH-1対戦車ヘリコプターおよびOH-1観測ヘリコプターという編成です。自衛隊は観測ヘリコプターと対戦車ヘリコプターについては全廃する方針で、どんな機種かは不明ですが無人機を代替機とする考え。
UH-2多用途ヘリコプターの機動性展示、ベル412EPをもとに軍用使用としたものでベル社もスバルUH-2として海外市場に提供している、一見2020年代の航空機の割には安直な設計のようには見えるのですが意外と新規採用する国が増えていまして、手堅く好評だ。
スバル、いや富士重工の名の方が親しんでいるので旧称を用いてしまうのですがUH-2,価格管理には成功していると思う。川崎重工は防衛省の養成に応えCH-47JAをCH-47D型仕様からCH-47G型仕様とした結果、値段が各国のCH-47G輸送ヘリコプターと同水準に。
AH-1S対戦車ヘリコプター、1970年代後半に自衛隊はHU-1Bへハイドラ70ロケット弾を搭載し武装ヘリコプター化を研究していました、ロケット弾発射機は10機分が取得されたものの芳しい成果をあげる事が出来ず、結果AH-1Sを検討、試験機が中々買えなかった。
試験機を2か年の予算に分けて調達したのですが、評価試験では当時の第2戦車大隊が参加、普通科1個中隊の防御陣地にAH-1Sが2機支援に加わり戦車大隊の攻撃を受けるという想定での試験で戦車大隊が損耗八割の大打撃を受け、AH-1Sの費用対効果が示されます。
富士重工がUH-1を、HU-1BからHU-1Hへとベル社とのライセンス生産契約を結び続けていましたので一旦AH-1Sの採用が決定するとAH-1Sライセンス生産契約はスムーズに流れ、結果自衛隊は96機、五個対戦車ヘリコプター隊と教育所要のAH-1Sを揃えました。
OH-1観測ヘリコプターの機動飛行、この機体は増大する戦闘ヘリコプターの脅威下でどのように観測ヘリコプターが任務遂行するかというオペレーションリサーチの先に開発され、機動性の高い専用機に高度な観測器材と空対空ミサイルを搭載する、とまとまったもの。
250機というまとまった数が調達されOH-6D観測ヘリコプター180機を置き換える構想でしたが、予算不足により試作機を含め33機のみが生産、OH-6Dの後継機が調達される事は無く、そのまま観測ヘリコプター全廃という。能登半島地震で、この機体が充分あれば。
TH-480練習ヘリコプター、OH-6D練習ヘリコプターの後継に、本命はMD-500だったのですが総合入札方式でTH-480に決定、その直後メーカーであるエンストロム社が中国企業に買収され、更に倒産しアメリカで、とちょっと後継機が気になる練習ヘリコプターだ。
UH-60JA多用途ヘリコプターの飛び入り参加へ。2000年から調達が開始され当初は多用途ヘリコプターを全てUH-1JからUH-60に置換える計画でしたが、そんな予算もあるはずなく、と。ライセンス生産を担う三菱重工は武装型をAH-1S後継機に提示していました。
宮古島沖墜落事故が発生するまでは事故の無い機体として絶大な信頼を集めていましたUH-60JAですが、救難ヘリコプターと同水準の航法装置や全天候飛行装備を備えていた為に取得費用が高騰し、UH-1多用途ヘリコプターの四倍程度という高額なものとなりました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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