■第10特科連隊の行事
一眼レフを車両と航空機が巻き上げる砂塵の影響から守りつつの撮影となりましたが中々良い構図の写真が撮れていました。
豊川駐屯地創設記念行事、EOS-7Dと連装していましたのは最初はM-5だったのですがレンズが短すぎましたので、やはり24-600mmという超望遠ズームを誇るG3Xに切替えて撮影します、部隊整列からして望遠が弱いEF-Mレンズではなかなか撮影できません。
国旗入場、起立し静態で日章旗を迎えます。我が国では護憲や平和主義という声が多い割には、その憲法は日本国憲法であり国旗と国家が民主主義により成り立つとともにその憲法と国家体制を現在のものとしているという認識が希薄であるのは、一種不思議におもう。
連隊旗、この連隊旗とともに第10特科連隊はしかし年度末の部隊改編により中部方面特科連隊へ編入され、中部方面特科連隊第2大隊となります。他方、第3特科連隊の第3特科隊縮小後、久しく連隊旗から離れていた姫路駐屯地に、中部方面特科連隊本部が置かれる。
観閲行進準備の号令とともに、82式指揮通信車3両が並びます。そろそろ老朽化が目立っている82式指揮通信車は、どうやら日本製鋼がライセンス生産を行うフィンランドの装甲車パトリアAMVにより置換えられることとなりそう。パトリアとは祖国という意味だ。
82式指揮通信車は、もともと1970年代に中型装甲車として三菱重工と小松製作所が競作していました装輪装甲車で、当時全国へ整備が進んでいた高速道路網を背景に全国の普通科部隊へ大量配備される計画でしたが、オイルショックにより頓挫し、いまにいたります。
第10特科連隊の連隊旗が観閲行進を進む。師団祭などでは連隊旗は82式指揮通信車に掲げられますが、今回は観閲行進の先頭に82式指揮通信車が通ってしまいましたので、1/2tトラックことパジェロが連隊旗を掲げて行進します、その背景には満員のスタンド席が。
情報中隊の観閲行進、気象測定装置や対砲レーダ装置と対迫レーダ装置、そして特価情報装置を駆使し敵砲兵の動向を探る。遠くない将来に特科部隊にも観測用無人機が配備されるのでしょう。特科のおかげで自衛隊のデータリンク能力整備は世界的に見て早かった。
第1大隊本部の観閲行進、背景の奥の方にFH-70榴弾砲を牽引する中砲牽引車が見える。古い火砲、という印象があるFH-70ですが自走装置のおかげでウクライナではイタリア軍が供与した14門のFH-70が撃破される事無くロシア軍に大火力を叩きつけているのだ。
観閲行進、豊川駐屯地の撮影位置はいろいろあるのですが、個人的に観閲行進をしっかり撮影できるのは、この車輛が豊川訓練場を出てゆく公道に面した歩道側、公道は観閲行進により交通規制で一般車は入れない為、歩道側も交通を妨害する事無く撮影できます。
FH-70榴弾砲、39口径155mm榴弾砲、欧州で未来の火砲として開発され自走能力や長砲身と牽引砲の限界を目指してイギリスドイツイタリアが共同開発しましたが、高性能によりかえってM-109自走榴弾砲よりも高価になってしまい、欧州は380門が生産されたのみ。
M-109自走榴弾砲は、しかし日本の国土を考えた場合で戦略機動性の低さなどから本土特科部隊近代化の切り札として牽引砲を選択、M-198とFH-77とFH-70を比較した結果、自衛隊はこのFH-70を選定し、日本製鋼所により実に479門もの多数を量産しました。
G3X,それにしても改めて写真を見ると仕上がりが良い、2019年以来の補助機種ですが、なにしろ撮影はEOS-7DmarkⅡに集中していますので、G3Xは何が映っているか撮影中は気にする余裕はありません、それがしっかり撮影出来ている仕上がり、凄い性能ですよね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
一眼レフを車両と航空機が巻き上げる砂塵の影響から守りつつの撮影となりましたが中々良い構図の写真が撮れていました。
豊川駐屯地創設記念行事、EOS-7Dと連装していましたのは最初はM-5だったのですがレンズが短すぎましたので、やはり24-600mmという超望遠ズームを誇るG3Xに切替えて撮影します、部隊整列からして望遠が弱いEF-Mレンズではなかなか撮影できません。
国旗入場、起立し静態で日章旗を迎えます。我が国では護憲や平和主義という声が多い割には、その憲法は日本国憲法であり国旗と国家が民主主義により成り立つとともにその憲法と国家体制を現在のものとしているという認識が希薄であるのは、一種不思議におもう。
連隊旗、この連隊旗とともに第10特科連隊はしかし年度末の部隊改編により中部方面特科連隊へ編入され、中部方面特科連隊第2大隊となります。他方、第3特科連隊の第3特科隊縮小後、久しく連隊旗から離れていた姫路駐屯地に、中部方面特科連隊本部が置かれる。
観閲行進準備の号令とともに、82式指揮通信車3両が並びます。そろそろ老朽化が目立っている82式指揮通信車は、どうやら日本製鋼がライセンス生産を行うフィンランドの装甲車パトリアAMVにより置換えられることとなりそう。パトリアとは祖国という意味だ。
82式指揮通信車は、もともと1970年代に中型装甲車として三菱重工と小松製作所が競作していました装輪装甲車で、当時全国へ整備が進んでいた高速道路網を背景に全国の普通科部隊へ大量配備される計画でしたが、オイルショックにより頓挫し、いまにいたります。
第10特科連隊の連隊旗が観閲行進を進む。師団祭などでは連隊旗は82式指揮通信車に掲げられますが、今回は観閲行進の先頭に82式指揮通信車が通ってしまいましたので、1/2tトラックことパジェロが連隊旗を掲げて行進します、その背景には満員のスタンド席が。
情報中隊の観閲行進、気象測定装置や対砲レーダ装置と対迫レーダ装置、そして特価情報装置を駆使し敵砲兵の動向を探る。遠くない将来に特科部隊にも観測用無人機が配備されるのでしょう。特科のおかげで自衛隊のデータリンク能力整備は世界的に見て早かった。
第1大隊本部の観閲行進、背景の奥の方にFH-70榴弾砲を牽引する中砲牽引車が見える。古い火砲、という印象があるFH-70ですが自走装置のおかげでウクライナではイタリア軍が供与した14門のFH-70が撃破される事無くロシア軍に大火力を叩きつけているのだ。
観閲行進、豊川駐屯地の撮影位置はいろいろあるのですが、個人的に観閲行進をしっかり撮影できるのは、この車輛が豊川訓練場を出てゆく公道に面した歩道側、公道は観閲行進により交通規制で一般車は入れない為、歩道側も交通を妨害する事無く撮影できます。
FH-70榴弾砲、39口径155mm榴弾砲、欧州で未来の火砲として開発され自走能力や長砲身と牽引砲の限界を目指してイギリスドイツイタリアが共同開発しましたが、高性能によりかえってM-109自走榴弾砲よりも高価になってしまい、欧州は380門が生産されたのみ。
M-109自走榴弾砲は、しかし日本の国土を考えた場合で戦略機動性の低さなどから本土特科部隊近代化の切り札として牽引砲を選択、M-198とFH-77とFH-70を比較した結果、自衛隊はこのFH-70を選定し、日本製鋼所により実に479門もの多数を量産しました。
G3X,それにしても改めて写真を見ると仕上がりが良い、2019年以来の補助機種ですが、なにしろ撮影はEOS-7DmarkⅡに集中していますので、G3Xは何が映っているか撮影中は気にする余裕はありません、それがしっかり撮影出来ている仕上がり、凄い性能ですよね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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