■DDH-144くらま
DDH144とは艦番号144でDDHとはヘリコプター搭載護衛艦という艦種を示します護衛艦の名は、くらま。
くらま、この名は海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦くらま、すでに全通飛行甲板型護衛艦であるヘリコプター搭載護衛艦かが、に現役の座を譲り退役していますが、旧海軍では巡洋戦艦鞍馬、起工前の1943年に建造中止となった航空母艦鞍馬など所縁ある名です。
ヘリコプター搭載護衛艦として、自衛隊観艦式では、2006年観艦式に2009年観艦式と2012年海上自衛隊60周年観艦式に2015年観艦式、四度の観艦式で観閲部隊の中心にて、内閣総理大臣が乗艦する観閲艦として艦隊を率いた海上自衛隊の象徴のような護衛艦でした。
巡洋戦艦鞍馬型、帝国海軍が1911年に建造した巡洋戦艦鞍馬、1909年に建造した伊吹とともに1923年にワシントン海軍軍縮条約により廃艦となるまで主力艦の一翼を担った常備排水量14636t、30.5cm艦砲を備えた戦艦の名で、大戦中に雲龍型空母の未成艦名ともなる。
鞍馬という名は、北大路機関にもくらまさん、と馴染みある響きなのですけれども護衛艦との関係でどうしても深い関心を持つところなのです。しかし、この由来というところが不思議にわかりにくい。少なくとも鞍馬とあるような馬の育成地でも馬具生産地でもない。
山城国の山として古くから和歌に詠まれていまして、歌初学抄や五代集歌枕にはこの鞍馬を、くらぶ山やくらま山を山城国の山であると説明しています。鞍馬山の古名を暗部山とする理解もあるようですが、逆に鞍馬山と暗部山は別の山ではないかとの理解も成り立つ。
暗部山に当たる山は不確かで、歌初学抄や五代集歌枕がふたつ名前を示しているのは別々の山という理解、しかし逆に誤植という理解や歌初学抄や五代集歌枕の執筆期間中に変遷があったという理解もなる立つのかもしれないし、古名がくらぶ山だったという理解も。
拾遺和歌集には、くらま山、という名が安法法師らの歌人に示されているという。このあたりが、くらぶ山を分けて記しているために別々の山だという理解につながるようですが、何しろこの頃の地図は山名に厳格でなく、もう少し歴史研究を俟つべきなのかもしれない。
貴船川を西に、東に鞍馬川が流れる地形にあります鞍馬山は二つの河川に南北に細長く削られるように標高584mという山容を構成したということなのでしょう。暗部山という由来はこのあたりが暗かったためという解釈も成り立つが、温泉も湧き隘路は思いの外広い。
巡洋戦艦鞍馬の時代にはまだ鞍馬弘教は存在しませんでした。他方で、天台宗系の寺院として、これも変遷を経ているのでしょうけれども平安遷都前から当地にあった歴史を考えますと、信仰に変遷があることは読み取れるのですが、少なくとも山名としては古く深い。
サナトクマーラ、ヒンドゥー教の神話に描かれる賢人の名が日本に定着した、という理解も為されるようでして、サンスクリット語ではこのサナトクマーラという名は“永遠の若者”と意味も持つものです。ヒンドゥー教と日本、信仰のあり方として不思議な繋がりが。
仏教はインドで誕生した、しかしインドという地は古代数学に“0”の概念をいち早く見出すなど世界の哲学的な一大拠点を構成していまして、ジャイナ教や仏教と様々な信仰と哲学が調和、続いてヒンドゥー教を形成しています。信仰という部分は境界線も曖昧という。
浄土宗と天台宗の対立のような背景が、ヒンドゥー教と仏教との間で成立していたのだろうか、どうしても実感の湧くのは見て届く範囲内と日常の習慣に裏打ちされた価値観ですので、日本風に理解しますとそういう流れなのだろうか、と不思議な親近感をもちました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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DDH144とは艦番号144でDDHとはヘリコプター搭載護衛艦という艦種を示します護衛艦の名は、くらま。
くらま、この名は海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦くらま、すでに全通飛行甲板型護衛艦であるヘリコプター搭載護衛艦かが、に現役の座を譲り退役していますが、旧海軍では巡洋戦艦鞍馬、起工前の1943年に建造中止となった航空母艦鞍馬など所縁ある名です。
ヘリコプター搭載護衛艦として、自衛隊観艦式では、2006年観艦式に2009年観艦式と2012年海上自衛隊60周年観艦式に2015年観艦式、四度の観艦式で観閲部隊の中心にて、内閣総理大臣が乗艦する観閲艦として艦隊を率いた海上自衛隊の象徴のような護衛艦でした。
巡洋戦艦鞍馬型、帝国海軍が1911年に建造した巡洋戦艦鞍馬、1909年に建造した伊吹とともに1923年にワシントン海軍軍縮条約により廃艦となるまで主力艦の一翼を担った常備排水量14636t、30.5cm艦砲を備えた戦艦の名で、大戦中に雲龍型空母の未成艦名ともなる。
鞍馬という名は、北大路機関にもくらまさん、と馴染みある響きなのですけれども護衛艦との関係でどうしても深い関心を持つところなのです。しかし、この由来というところが不思議にわかりにくい。少なくとも鞍馬とあるような馬の育成地でも馬具生産地でもない。
山城国の山として古くから和歌に詠まれていまして、歌初学抄や五代集歌枕にはこの鞍馬を、くらぶ山やくらま山を山城国の山であると説明しています。鞍馬山の古名を暗部山とする理解もあるようですが、逆に鞍馬山と暗部山は別の山ではないかとの理解も成り立つ。
暗部山に当たる山は不確かで、歌初学抄や五代集歌枕がふたつ名前を示しているのは別々の山という理解、しかし逆に誤植という理解や歌初学抄や五代集歌枕の執筆期間中に変遷があったという理解もなる立つのかもしれないし、古名がくらぶ山だったという理解も。
拾遺和歌集には、くらま山、という名が安法法師らの歌人に示されているという。このあたりが、くらぶ山を分けて記しているために別々の山だという理解につながるようですが、何しろこの頃の地図は山名に厳格でなく、もう少し歴史研究を俟つべきなのかもしれない。
貴船川を西に、東に鞍馬川が流れる地形にあります鞍馬山は二つの河川に南北に細長く削られるように標高584mという山容を構成したということなのでしょう。暗部山という由来はこのあたりが暗かったためという解釈も成り立つが、温泉も湧き隘路は思いの外広い。
巡洋戦艦鞍馬の時代にはまだ鞍馬弘教は存在しませんでした。他方で、天台宗系の寺院として、これも変遷を経ているのでしょうけれども平安遷都前から当地にあった歴史を考えますと、信仰に変遷があることは読み取れるのですが、少なくとも山名としては古く深い。
サナトクマーラ、ヒンドゥー教の神話に描かれる賢人の名が日本に定着した、という理解も為されるようでして、サンスクリット語ではこのサナトクマーラという名は“永遠の若者”と意味も持つものです。ヒンドゥー教と日本、信仰のあり方として不思議な繋がりが。
仏教はインドで誕生した、しかしインドという地は古代数学に“0”の概念をいち早く見出すなど世界の哲学的な一大拠点を構成していまして、ジャイナ教や仏教と様々な信仰と哲学が調和、続いてヒンドゥー教を形成しています。信仰という部分は境界線も曖昧という。
浄土宗と天台宗の対立のような背景が、ヒンドゥー教と仏教との間で成立していたのだろうか、どうしても実感の湧くのは見て届く範囲内と日常の習慣に裏打ちされた価値観ですので、日本風に理解しますとそういう流れなのだろうか、と不思議な親近感をもちました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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