■おかめさんはおかめ桜
千本釈迦堂は決して大きな寺院ではないのかもしれませんがたたえている歴史はどの寺院にも、とおもうのです。
おかめさん。おかめ納豆とかで有名になりましたおかめさんですが、ここ千本釈迦堂のおかめさんがもととなっています。と、こう断言しますともともとおかめとお多福の神話上の親和性などを示していやいや、といわれるかもしれませんが、ここはひとつ。
長井飛騨守高次さんという、千本釈迦堂の工事に携わった大工の棟梁さんがいましたが、当時替えの利かない木材の寸法を誤って切り落としてしまい、これでは堂宇が完工できないとして大いに困った、という話がありまして。当時の日本でも太い木材は貴重で。
組み木式に斗組を組んではどうか、とこう長井飛騨守高次さんの細君といいますか奥様のおかめさんが助言しまして、なるほどということで無事落成させられたのですが、おかめさんは、当時の男社会で女性の助言を基に完工させたことで考えることとなる。
堂宇は無事完成したのですが、夫に引け目を取らせないようにおかめさんは自害してしまった、と。このことを大いに悔やんだ長井飛騨守高次さんは求法上人義空さんにことのしだいをはなしまして、そして現代にもつながる宝篋印塔が造営されたとのこと。
時代錯誤、と800年前の価値観を今と混同しないように思えるのですが、最近の方は歴史を考えることのできずに主義主張を、縄文時代にも議会民主制を求めかねないような主張を為さいます型が中にはいますので、いろいろいわれるのかもしれませんが。
歴史は、しかしいろいろといわれますおかめさんの様々な話の源流が、此処千本釈迦堂の片隅から始まることを示していまして、おかめさんの銅像はいまもおかめ桜の枝垂れた花々の隙間から、御簾の向こうの様なしおらしさとともに、みえているわけですね。
さくらの季節はこうして千本釈迦堂から始まっています。平野神社もほぼほぼ、歩いてみますと、まだまだだなあ、とおもうところもありますが、梅花と違い桜花はあっという間、すると季節の移ろいにちょっと急ぎ、を醸すようになる新年度のころあいでして。
京都市観光協会の桜花開花情報、気をつけた方がいい、この暖冬と、しかし昨日からの寒の戻りにより、情報はそれこそ寸秒とともに変化しまして、特に三月末尾は土日の休日でしたが、開花情報は平日に出された為に数日の違いが景観を激変させる。
枝垂桜は、もう満開に近い時期であっても染井吉野はまだ二分咲き、開花宣言後は高温もあって一気に花が、という天気予報なんかは多くTVを賑わしていましたが実際にはそんなことは、というような寒の戻りもありましたので、予報があてにならないのだ。
染井吉野の開花は関係なく、では実際行ってみるべきなのか、と思いますと、先日平日に醍醐寺に行かれた方の話ですけれども混雑といいますか先ず自動車の駐車場がないという、自動車の移動とは思い切った観桜だと思いましたが、そんな話も聞きまして。
観桜は予報よりも経験、過去数年前ではなく十年前くらいの気象と開花状況を見て散策するべきなのかなあ、と思ったりも。そして、やっぱり醍醐寺は混雑するのね、とも改めて。千本釈迦堂は、穴場、という訳ではないのですが静かな寺院となっています。
大寺の桜名所を巡るのも確かに、花見をしたのだ、という思い出にはいいのかもしれませんが、歴史ある古刹は数多並ぶのが京都ですので、一つ順路を決めて散歩道のように巡るのも、京都らしい花見の一日を過ごすにはいいのかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
千本釈迦堂は決して大きな寺院ではないのかもしれませんがたたえている歴史はどの寺院にも、とおもうのです。
おかめさん。おかめ納豆とかで有名になりましたおかめさんですが、ここ千本釈迦堂のおかめさんがもととなっています。と、こう断言しますともともとおかめとお多福の神話上の親和性などを示していやいや、といわれるかもしれませんが、ここはひとつ。
長井飛騨守高次さんという、千本釈迦堂の工事に携わった大工の棟梁さんがいましたが、当時替えの利かない木材の寸法を誤って切り落としてしまい、これでは堂宇が完工できないとして大いに困った、という話がありまして。当時の日本でも太い木材は貴重で。
組み木式に斗組を組んではどうか、とこう長井飛騨守高次さんの細君といいますか奥様のおかめさんが助言しまして、なるほどということで無事落成させられたのですが、おかめさんは、当時の男社会で女性の助言を基に完工させたことで考えることとなる。
堂宇は無事完成したのですが、夫に引け目を取らせないようにおかめさんは自害してしまった、と。このことを大いに悔やんだ長井飛騨守高次さんは求法上人義空さんにことのしだいをはなしまして、そして現代にもつながる宝篋印塔が造営されたとのこと。
時代錯誤、と800年前の価値観を今と混同しないように思えるのですが、最近の方は歴史を考えることのできずに主義主張を、縄文時代にも議会民主制を求めかねないような主張を為さいます型が中にはいますので、いろいろいわれるのかもしれませんが。
歴史は、しかしいろいろといわれますおかめさんの様々な話の源流が、此処千本釈迦堂の片隅から始まることを示していまして、おかめさんの銅像はいまもおかめ桜の枝垂れた花々の隙間から、御簾の向こうの様なしおらしさとともに、みえているわけですね。
さくらの季節はこうして千本釈迦堂から始まっています。平野神社もほぼほぼ、歩いてみますと、まだまだだなあ、とおもうところもありますが、梅花と違い桜花はあっという間、すると季節の移ろいにちょっと急ぎ、を醸すようになる新年度のころあいでして。
京都市観光協会の桜花開花情報、気をつけた方がいい、この暖冬と、しかし昨日からの寒の戻りにより、情報はそれこそ寸秒とともに変化しまして、特に三月末尾は土日の休日でしたが、開花情報は平日に出された為に数日の違いが景観を激変させる。
枝垂桜は、もう満開に近い時期であっても染井吉野はまだ二分咲き、開花宣言後は高温もあって一気に花が、という天気予報なんかは多くTVを賑わしていましたが実際にはそんなことは、というような寒の戻りもありましたので、予報があてにならないのだ。
染井吉野の開花は関係なく、では実際行ってみるべきなのか、と思いますと、先日平日に醍醐寺に行かれた方の話ですけれども混雑といいますか先ず自動車の駐車場がないという、自動車の移動とは思い切った観桜だと思いましたが、そんな話も聞きまして。
観桜は予報よりも経験、過去数年前ではなく十年前くらいの気象と開花状況を見て散策するべきなのかなあ、と思ったりも。そして、やっぱり醍醐寺は混雑するのね、とも改めて。千本釈迦堂は、穴場、という訳ではないのですが静かな寺院となっています。
大寺の桜名所を巡るのも確かに、花見をしたのだ、という思い出にはいいのかもしれませんが、歴史ある古刹は数多並ぶのが京都ですので、一つ順路を決めて散歩道のように巡るのも、京都らしい花見の一日を過ごすにはいいのかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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