◆岡崎城探訪
愛知県岡崎市、矢作川にほどちかいこの街は、岡崎城の城下町として発展した。そして、この岡崎城こそ、あの江戸時代太平の世を築いた徳川家康が生まれた城である。
歴史的には有名なこの城郭であるが、京都からはやや遠く、今まで見学したことはない、しかし名鉄本線を利用していると目にする城郭、今回は、その岡崎城に足を運んでみた。同じく再建天守閣である清州城も、東海道本線からはよく目にする関係上、行きたいのだが、機会がない。岡崎城も機会が無かったのだが、今回、勢いがあったので行ってみた次第。
岡崎城へは、名鉄東岡崎駅から徒歩十分。東岡崎駅は特急・快速特急ともに停車する。JR岡崎駅からはやや距離があるので注意。名鉄といえば、全面展望が楽しめるハイデッカー展望車を備えた1000形パノラマSuperを利用(運賃のほかに350円の特別車両券が必要、展望車希望の場合は特別車両券購入時に希望すること)。
東岡崎へは、名鉄名古屋から快速特急/特急で30分。毎時四本運行されている。その昔、急行の大半がパノラマカーや5500形、5700形といった急行車であったのだが、今日では3500形シリーズや6000形シリーズにシフトしており、クロスシートで快適な移動を楽しむには特急利用が良いだろう(一般車は運賃のみで乗車可)。
さてさて、岡崎城であるが、今回のカテゴリは“旅行記”。これまでは“写真”に分類していたが、これからは京都府内の史跡を“写真”、そのほかの情景や史跡を“旅行記”に分類予定。本当は、“城郭探訪”という新カテゴリを考えたのだが、“城郭”自体、桃山城や田辺城くらい(山崎城址などなどもう少しある)しかない京都府だし、府内というのを一つの区切りにするのもいいのかな、と考えた次第。
岡崎城は、明大寺に西郷頼嗣が15世紀に城郭を築いたのがその起源とされ、徳川家康の祖父にあたる松平清康が、いまの場所に岡崎城を造営し、今日に至る。1542年、徳川家康がここ岡崎城にて生まれ、人質に出されていた先の今川義元が桶狭間の戦いにて討ち死にした1560年に家康は岡崎へ戻り、ここ岡崎城にて、天下平定の第一歩を歩みはじめた。
日光東照宮はじめ、神格化された家康の誕生の地として、江戸時代には重要視され、江戸時代には、石高こそ五万石ではあるものの、本多氏、水野氏、松平氏という家康の家系に近いという家格の高い譜代大名に、この岡崎城を守らせた、とのこと。。
当初、砦という規模であった岡崎城は、1592年には堀だけで総延長4.7kmという長大な城郭へ拡大。1617年には三層天守閣と井戸櫓、付櫓を備えた複合天守閣を有する城郭へと拡大され、この岡崎城へ東海道を改めて、宿場町を有する街、今日の岡崎市の繁栄に至る歴史の分岐点を進んだ。
しかし、日本の価値観が大きく狂った明治維新、天守閣は1873年に取り壊されてしまった次第。廃藩置県や鎮台の進駐など、明治維新における文化破壊を生き残った城郭は、少なくない数あったのだが、最後にとどめを刺されたのは第二次世界大戦。これにより名古屋城はじめ、ほぼすべての天守閣が爆撃で破壊されてしまい、姫路城、犬山城、彦根城、松本城のみが生き残り(戦前に再建された大阪城も)、今日にその面影を伝えている。
そもそも江戸時代という時代は、鎖国政策により国際関係からの距離を置いた時代であるが、あの長い時代に、下手に国際関係に関与すれば特に急速に勢力をのばしていた欧米諸国や近隣諸国との好ましくない関係も起きえたため、いわば、国際関係の中に引きずり出されるまでの期間、日本という国家を成長させ存続させた徳川幕府の遺構は当時、もう少し評価されてもよかったのでは、と考える次第。
岡崎城天守閣は、1959年に再建された。ちなみに天守閣、入場料200円が必要なのだが、この日、祭事の日に合わせて無料開放されていた。階段を進んでゆくと、二階に藩政に関しての歴史的展示、三階に城下町と文化・産業の形成、四階に城と城主という展示が行われていた。
天守閣からの眺望。みえているのは、三河武士の館家康館。金網が邪魔で、コンパクトデジカメがあれば、この金網を通り越して撮影することもできるのだが、悲しいかな、この一眼レフでは、金網がどうしても写りこんでしまう。ちなみに、ここからはいろいろなものが望見でき、名鉄本線も見ることができる。
岡崎城の最盛期を示した姿。城郭は、旧陸軍が鎮台を置くために進駐したりすることもあり、彦根城も国宝(現在)の白壁が、邪魔だ、ということで破壊されたりもした。運が悪いと天守閣も破壊される。そして大戦中は空襲。しかし、戦後に復興した天守閣は多く、文化財復興の機運を生んだ、復興を行える程度に余裕が、と考えると、やはり敗戦は大きな転換期だった訳か。
戦後、1959年という比較的早い時期に天守閣が復興された背景には、堀と石垣のみが残る城郭は、城下町として発達した市民にとり、やはり美しい天守閣が、という機運を醸成したという。鉄筋コンクリートとして再建された城郭は、たしかに木造の美しさからは離れているものの、当時の面影を極力再現しており、市民に親しまれつつ、今日に至る。
HARUNA
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