■阪急十三駅で執筆以来
2005年7月29日、神戸三宮での慰労会の帰路、乗り換えを待った阪急十三駅のホームでノートパソコンをPHS回線にて繋いで立ち上げたのが、このWeblog北大路機関。
2005年の富士総合火力演習に、初めて一眼デジカメを撮影に投入、それまでデジタル懐疑派のフィルム派にて、毎回膨大なフィルム代と現像料とともに限られた行事に参加していた次第。なんとなれ、一回の行事における写真関連の一連の費用で、場合によっては京都から東京までの往復費用が出てしまうわけで、これがデジタルではほぼ不要になった事から、数多くの行事に行くことができるようになった次第。
こんな写真を撮りたい!というような写真を求め続けて、できる限り様々なアングルを試したのだけれども、気づけば記事の総数が999に達していたわけで、月日の経つものは早いものだなあと思いつつ、加えて、もともとの北大路機関は、開店休業状態なのに、Weblogに関して、よく今まで継続できたものだ、と友人からもよく言われる次第。
そろそろ本格的なHP化しては、ともよく言われるのだが、これに関しては、そのおおもととなる時間がまったく無く、このWeblogを更新するだけが精一杯でリニューアル工事なんて出来ません、という東海道新幹線のような状況。他方で、第二北大路機関(通称:2北)を含め、多くの方に見ていただいているのは書き手としては望外の喜び、ありがとうございます。
さてさて、学部受験の際に廃業(?)した鉄、の部分ですが、気づけばブルートレインは20世紀の頃と比べ激減、100系新幹線が東京に行かなくなったと思ったら間もなく0系が無くなり、数年で300系が無くなるという状況、あわててジャーナルとファンの購読を再開した次第。
久しぶりに撮影に名鉄を探訪すれば、いつのまにやら5500形は絶滅、数年間でデジタルに一枚も収めることなくいくつもの車両が無くなっており、十年前の鉄道ファンで廃止開始が報じられた7000形パノラマカーも、気づけば7500形は全滅しているという状況、7700形も例外を除き三河線専用に、大急ぎで撮影を開始した次第。
そもそも、京都のように、古いものは古いままに、と伽藍が広がり近代都市の一角は、悠久の時の流れに任せているのは例外中の例外で、6300系までも廃車が始まっている。記録できるのは今だけなのだ、という状況。そんな中で、記録を兼て、Weblog北大路機関は2北とともに、これからも前に進んでいこうと考えています。よろしくお願いいたします。
北大路機関