■SHINKANSENを確立させた名車、明日が最後
東京~大阪間590km、高度経済成長下の日本では、神戸までの東海道本線沿線、京浜・中京・阪神工業地帯に全国工業生産の実に七割が集中、東海道本線は国鉄20520kmの中で路線としては2.9%に過ぎないが全輸送重要の四分の一を担う超過密輸送路線であった。
新幹線前夜、五十年前の1958年に誕生、ビジネス特急として脚光を浴びた東海道高速特急、その日に行ってその日に帰れる事から“こだま”と称された特急がある。こだま1号が、0700東京発→1350大阪着、帰路は大阪1600発2250時着で日帰り可能、こだま2号は東京1600時発→2320神戸着、帰路は神戸を翌日0630時発→東京に1350時着というもの。日帰りできると行っても、大阪滞在二時間十分はあんまりだ。
そこで、過密状態の東海道本線を緩和するべく新しい幹線を整備、併せて高速運転を実現させる高い線路規格、車両限界を採用することで東京⇔大阪間の所要時間を抜本的に短縮することによって、約三時間という当時では考えられない短時間にて結ぶ、という計画が建てられた。
こうして、国鉄理事会は1956年、東海道増強調査会を、続く1957年に新しい幹線に関する調査会を発足、新幹線の必要性を認めた。東海道新幹線は1959年に建設が開始され、1964年に完成した。最高速度210km/h、表定速度170km/hという高速運転を行うべく安全性は特に重視され、高速運転により延伸した制動距離と安全を両立するべく、信号機は車内信号に、また、全線に渡り自動列車制御装置ATCが、そして東京駅総合指令所に列車集中制御システムCTCが、それぞれ整備されている。
高速運転を行うべく、車両は電車列車とされ、道路との交差は踏切を排してすべて立体交差、軌間は1435㍉を採用(東海道本線は1067㍉)、曲線半径も2500㍍以上(東海道本線は400㍍)とし、変電所は20km間隔で25ヵ所を整備、交流25000ボルト架線を採用、という優れた路線が整備された。
車両は、風洞実験により得られたデータを元に、大型かつ空気抵抗を考慮した流線型を採用。車体は軽量化を行うべく航空機などに用いられる軽合金を用いた張殻構造を採用。車体は全長25㍍、全幅3.5㍍というおおきな車両限界のもとで設計され、海側三列・山側二列の転換式クロスシートを採用した(後期型はリクライニングシートを採用)。
0系新幹線は、基本を踏襲しつつ様々な改良を加え、1986年まで生産が続き、実に3216輌という新幹線車両としては空前にしておそらく絶後の生産数を誇った。当然のように1965年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞。前年の1964年は小田急ロマンスカー3100系が、翌年の1966年は名鉄北アルプス8000系が受賞、両車とも既に歴史の車両であり、改めて0系の寿命の長さを感じさせる。
新幹線の登場は、世界的に見ても大きな意義を有する。航空機が著しい発展を示す当時において、高い信頼性と安全性、定時運行能力を兼ね備えた高速輸送機関として、鉄道は充分な役割を果たしうることを示したもので、事実、今日に至るまで新幹線は開業以来、営業運転における衝突事故や脱線事故により死者を出すことなく(飛び込み自殺やホーム事故を除く)、今日に至っていることは誇りとするべきだろう。
さてさて、いまや最高速度300km/h、東海道山陽道はもちろん、九州鹿児島から将来的には北海道にまで延伸する計画がある新幹線であるが、その中で文字通り最古参の車両である0系は、明日まで山陽新幹線こだま運行として短縮化された編成が最後の活躍を続けている。JR西日本HPによれば●こだま629号 新大阪(6:12発)→博多(10:41着)●こだま639号 新大阪(7:59発)→博多(13:09着)●こだま659号 岡山(14:51発)→博多(18:21着)●こだま620号 福山(6:09発)→新大阪(7:47着)●こだま638号 博多(9:19発)→岡山(12:53着)に0系が充当されるとのことだ。なお、混雑回避のために1503時岡山始発1838時博多着の臨時こだま697号が、16輌編成の500系にて運転されるとのこと。
0系新幹線は、平日でも撮影に乗車に、かなりの人気である。写真は、そうとは知らず新大阪駅にて、のぞみ号をまっていられる皆さんの前に到着した0系という図。鉄道愛好家の皆さんに釣られて、一緒になってカメラを急ぎ取出し撮影する老夫婦もいらした。車内は大きく変わっており、短縮編成化された車両は、最盛期の姿からやや離れているものの、人気は、最盛期と何ら変わらず、明日、最後の営業運転を行う。
HARUNA
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