北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成二十九年度七月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.07.22/07.23)

2017-07-21 20:05:01 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 祇園祭宵山と月曜日に山鉾巡行後祭という今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末ですが、北海道を中心に自衛隊行事が熱い。

 千歳基地航空祭2017、真夏の北海道を沸かせる一大航空祭、千歳基地航空祭です。第2航空団隷下の第201飛行隊と第203飛行隊がF-15を運用、北部航空警戒管制団第1移動警戒隊や第3高射群の第9高射隊と第10高射隊が戦域防空担い、高射教導隊や北部航空施設隊第2作業隊、千歳救難隊、政府専用機運用の特別航空輸送隊第701飛行隊等が展開する。

 北海道は冷戦時代、ソ連に最も近い立地にあり、千歳基地は北海道唯一の戦闘機部隊が展開する基地です。現在は中国軍機の接近を正面から受ける那覇基地が防空の最前線ですが、基地防空群と戦闘機をシェルターに収容する掩体運用等、強大なソ連軍航空戦力へ徹底し備えました。現在も那覇基地に続く防空最前線として対領空侵犯措置任務に当っています。

 政府専用機を運用する特別航空輸送隊は、ボーイング747を運用しています、今年度は注目の部隊です。ジャンボ機と愛称される四発大型旅客機ですが、世界最多100機以上を運用した日本航空からは全て引退し、全日空も全機引退、海外航空会社が国際線で乗り入れますが日の丸ジャンボは政府専用機のみ、そして後継機ボーイング777が現在試験中です。

 釧路駐屯地創設64周年記念行事、第5旅団の第27普通科連隊と第14施設群第397施設中隊が駐屯しています。第27普通科連隊は道東地区平野部へ北方領土からの侵攻に備えています釧路市中心部から10kmほど離れた釧路郡釧路町にあります。釧路市は人口17万の道東最大ですが、その隣接自治体の釧路町に駐屯地はありますのでお間違えの無いように。

 幌別駐屯地創設64周年記念行事第3施設団第13施設群が駐屯しています。古くて新しい部隊で、2008年の第3施設団の北部方面施設隊への改編に伴い群編成を隊編成へと縮小しましたが、今年三月の第3施設団再編により第13施設群へと戻りました。群は第360施設中隊、第361施設中隊、第383施設中隊、第302水際障害中隊、を隷下に有しています。

 小月航空基地サマーフェスタ、山口県下関市に位置する海上自衛隊の航空基地で、小月航空教育群が展開、航第201教育航空隊がT-5練習機による固定翼基礎課程を行う。空基地スタンプラリーや操縦訓練装置体験抽選イベント、T-5練習機操縦席見学会や管制塔と航空消防車一般公開に紙飛行機教室等が行われ、子供たちの夏休み向け行事となっています。

 車力分屯基地開庁37周年記念行事、青森県つがる市に位置する航空自衛隊三沢基地の分屯基地で、第6高射群隷下の第21高射隊と第22高射隊がペトリオットミサイルによる戦域防空を担い、航空システム通信隊移動通信群第4移動通信隊が緊急時通信基盤を構築します。十年前から米軍が移動型XバンドレーダーAN/TPY-2を展開、弾道弾に備えている。

 さて撮影の話題、梅雨明けと共に猛暑の季節となりましたが、この季節にも千歳基地航空祭や横田基地フレンドシップデイに横須賀サマーフェスタや舞鶴サマーフェスタ、富士総合火力演習や祇園祭山鉾巡行と真夏の行事が多数行われます。ここでやはり注意したいのは熱中症でしょう。猛暑を甘く見ますと良くて救護所救急車、悪ければ全国ニュースで報じられる悲劇もある。

 熱中症に備えるには充分な水分補給と適量の塩分などの電解質を確保するほかありません、しかし、水分は1リットル1キログラムと相応の重さがあるだけでなく、相応に嵩張りまして、可能ならば現地で補給する事が出来るだろうと甘い判断で現地補給が出来なくなった場合、水分補給できる場所が遠く移動できない、危険な状況となる事も多々あり得ます。

 ミネラルウォーターを携行する場合ですが、昨今、柔軟な素材のペットボトル飲料が販売されており、飲んでしまえば丸めてコンパクトに携行する事も可能です。野外の水分摂取を阻害するのは嵩張る点で携行する量が少なくなり摂取過小が熱中症となる事にありますが、飲めば丸められる容器を多めに携行する事で、倒れるという危険性を回避できますね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・7月23日:釧路駐屯地創設64周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/5d/01_unit/butai/03_kushiro.html
・7月23日:幌別駐屯地創設64周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/
・7月23日:千歳基地航空祭2017…http://www.mod.go.jp/asdf/chitose/
・7月23日:車力分屯基地開庁37周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/shariki/
・7月23日:小月航空基地サマーフェスタ…http://www.mod.go.jp/msdf/oz-atg/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】祇園祭二〇一七,山鉾巡行は来週の後祭へ大船鉾はじめ山鉾十基は鉾建進む

2017-07-20 23:25:17 | 写真
■祇園祭は山鉾巡行後祭へ
 祇園祭は後の祭りという言葉の意味を再考させるものとなっています、それは後祭りの山鉾巡行の規模も大きい為で、疾病祓いの伝統行事、その準備の模様を紹介しましょう。

 大船鉾、祇園祭山鉾巡行後祭に向けて鉾建てが進んでいます。祇園祭、四条通から河原町通り、長刀鉾を先頭に23の山鉾が月曜日の山鉾巡行として前祭は盛況と共に幕を閉じました。そして来週月曜日には後祭として山鉾巡行が執り行われ、今週末は宵山を迎えます。

 神功皇后が三韓征伐として百済に任那加羅と新羅、朝鮮半島を攻めた故事を描く山鉾です。前祭には出征の威容を表現する船鉾が巡航しましたが、大船鉾は凱旋の故事を示すもの。実は近年まで幕末1864年に在った騒乱、蛤門の変にて発生した大火で焼失していました。

 神功皇后の御神像や舳に飾る大金幣は幸い戦火を免れ、2014年に実に150年ぶりの山鉾巡行を果たしました。33の山鉾が巡航しますが、休み山といわれる戦乱や大火により山鉾巡行に参加できない山鉾はまだ残り、最盛期の山鉾巡行は更に大規模なものだったとのこと。

 鯉山は鉾建てが進む後祭りの山鉾に在って特に進んでいる山鉾の一つです。鯉山とは中国の故事に因み、山の険しい川を上る鯉は登竜門へと至り、山を乗り越える事で龍となる、その登竜門を越えた瞬間を再現した山鉾です。鉾建て経て本番に鯉の絡繰りが冠せされる。

 ホメロスのトロイヤ戦争を描いた叙事詩イーリアス、鯉山にはこの一幕にあたるトロイヤのブリアモス王と王后カベーを描いたタペストリーが掲げられます。ベルギーのブリュッセルにて織られたタペストリーで、山鉾が動く美術館と称せられる所以といえるでしょう。

 八幡山は鉾建ての途上と云いますか、端緒に就いたばかりという印象です。前祭と後祭に分かれた祇園祭、かつては山鉾巡行が分け隔てられることなく全ての山鉾が一堂に会したものですが、二回に分けられますと、どうしても町々に祭事の空隙が目立つものですね。

 北観音山、鉾建てとして既にその威容を見上げる事が出来ます。1353年の創建という歴史を誇り、観音山と冠せられる通り、その内側には楊柳観音像と韋駄天立像を安置しています。破風下の木彫雲鶴は片岡友輔が刻んだものとされ動く寺社仏閣というところでしょう。

 楊柳観音像と韋駄天立像を安置する北観音山、組み上げられている途上ですが、山鉾巡行に際しては四方を縦断にて絢爛豪華に覆います。ペルシャ絨毯を正面に掲げるとともに胴懸東面はトルキスタン絨毯を挙げ、西面はインド絨毯と、華やかな出で立ちとなります。

 曳山を祭事に取り入れ巡行する行事は日本全国津々浦々に親しまれていますが、山車の多くは基本的にそのまま車庫に収められています。対し祇園祭の山鉾巡行は山鉾を都度組み上げ、分解しており、鉾建てという儀式そのものが祇園祭の要素といえるかもしれません。

 南観音山、楊柳観音像を報じた山鉾です。これは善財童子が南を南へと53の聖者を訪ね菩薩道修業をした華厳経の説話を再現するもので、インド更紗旧打敷を保存会が報じています。このインド更紗旧打敷は1684年のもので日本に存在する最古のものといわれている。

 疾病祓いの祇園祭ですが、南観音山は柳の大枝を差し既に組み上げを進めています。鉾建てとは文字通り倒して完成させたものを建てる。柳の大枝は疾病祓いの効能があると永く信じられ、柳を振るいつつ巡行する事で疾病予防のご利益を広く市中に広めるというもの。

 四神の図は塩川文麟下絵、昭和期の逸品である加山又造の龍王渡海図を掲げ、また数年前に従来使用した江戸中期のインド絨毯後懸について風化が顕著化したため、イラン製中東連花水辺に魚文様絨毯を掲げ山鉾巡行に臨みます。その組み上げは明日か明後日でしょう。

北大路機関:はるな くらま
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【京都発幕間旅情】犬山城天守閣被雷!,愛知県記録的七月豪雨と国宝天守閣鯱瓦破損緊急報告

2017-07-19 20:29:24 | 旅行記
■緊急報告,犬山城被雷
 今回は予定を変更し、先週発生した愛知県記録的豪雨の象徴的な被害に耐える国宝天守閣の様子をお伝えします。

 犬山城天守閣に落雷があり屋根の一部が破損、衝撃的な報道が全国を驚かせました。現存天守12城であるとともに犬山城は日本5国宝天守閣の一つに数えられ、姫路城、彦根城、松本城、そして新しく国宝指定を受けた松江城と共に城郭の威容と気風を湛える名城です。

 落雷による破損、愛知県全域に記録的豪雨による警戒が促されていた7月12日1600時頃、犬山城天守閣屋根にある鯱瓦が破損している事が犬山城を管理する財団法人犬山城白帝文庫職員の巡回により発見されました。当時会館中であり落雷の瞬間は記録されていません。

 織田広近を築城主とする犬山城は木曽川峡部に位置し、尾張国と美濃国の境という緊要地形に立地します。築城は応仁の乱時代まで遡りますが、先行して二層部分までが1537年に築城され、標高88mの小山上に立地する事から眺望に優れ徐々に郭が整備されてゆきます。

 小牧長久手の戦いや関ヶ原の戦いではその眺望から戦略拠点としての機能を有し、一方城郭としても野面積の天守台石垣は高さは5mに達し、更に木曽川岸に位置する立地により攻城戦に際しても木曽川の砂洲を除けば地形防御を最大限に活かせる構造とされてきました。

 豊臣秀吉は小牧長久手の戦いに際して、ここ犬山城に本陣を置き、小牧山城に本陣を置く徳川家康と対峙しています。城主は転々としましたがその後、豊臣秀次の領地となり、関ヶ原の戦いののちには小笠原吉次、続いて尾張藩付家老の成瀬正成が城主となっています。

 成瀬正成が城主となって以降、犬山城は大規模な改修工事を行い複合式望楼型三層四階地下二階の天守閣は1620年の大改修により完成したものとされています。これにより仏閣伽藍を思わせる二層天守は三層四階となり、天守閣は重厚無比な現在の威容となった訳です。

 天守閣は往時の威容を保っていますが、城門や櫓等は廃藩置県に伴う廃城と共に破壊されています。この驚くべき文化財破壊は、城郭の軍事拠点としての重要性が色濃く残る明治初期において士族反乱が相次ぐ中、軍事拠点を予め破壊しておくという必要上によるもの。

 災害と犬山城という視点からは1891年の濃尾地震、現代史に記録される最大の内陸地震により天守閣の東南角の付櫓が破損すると共に、1959年の伊勢湾台風でも天守閣は被害を受けています。しかし、最大の破損は災害ではなく廃藩置県に伴う犬山城廃城の決定でした。

 落雷は7月12日1600時頃と考えられ、瓦製で高さが1mという鯱が破損しています。これは1964年に復元工事に合わせて取り替えられたもの、1600時は開館中で1700時まで天守閣には観光客がいましたが。屋根は一般開放される天守閣最上階から数m上にあります。

 犬山城では落雷によるけが人などは出ていません。鯱が落雷から観光客を護ったといえるでしょう。吹き飛んだ鯱瓦は天守閣周辺に破片となって降り注ぎましたが、落雷当時は一時間雨量100mmという記録的豪雨に見舞われ、観光客が雨宿りしていたのも、僥倖の一つ。

 落雷により鯱瓦と共に天守閣の電気系統が大きく破損し、火災報知機も破壊されました。犬山城では火災報知機の修理を行うと共に、電気系統などで漏電を引き起こす配線破壊の兆候が無いかを点検するよう消防署より求められ、安全第一、一般公開中止を決定します。

 鯱は落雷から天守を護るものでその役割を果たしたといえます。点検中天守閣への入場中止となりましたが、城郭の一般公開は行われ、入場料について徴収せず、無料開放されていました、現在は天守閣一般公開が再開されています。鯱瓦は国宝の天守閣一部、今後修理方法について文化庁と協議するとの事です。

北大路機関:はるな くらま
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巨大災害,次の有事への備え 15:南海トラフ地震、ネットワーク型部隊の災害対処

2017-07-18 21:07:20 | 防災・災害派遣
■ネットワーク型部隊の災害対処
 3.11型十万名動員部隊体系の将来改編,現行の態勢を維持する事の軍事技術的な難しさを前回示し新しいローラー作戦の方式が求められると、しました。

 新技術と新しいローラー作戦の方法論が求められる、この視点は特にデータリンク能力に依拠する情報共有を前提とする現在の陸上防衛力体系が、結果的に電子機材等の取得費用を第一線から後方支援部隊に上級司令部まで包括的に増大させる事を意味し、必然的に陸上防衛力を量から質へ転換させる、という事を意味し、結果人員規模縮小に収斂する。

 新師団通信システムとして開発された野外通信システムFC- Systemの整備により陸上自衛隊のデータリンク体制は大きく前進する事となりました。昨年中央観閲式に登場、本年も第12旅団、第1師団、第8師団、第3師団と今年も多くの師団旅団行事が行われましたが、従来の師団通信システムDICSは一挙に野外通信システムへ置き換えられたかたち。

 広帯域多目的無線機コータムの部隊配備は大車輪で進められていました。広帯域多目的無線機コータム、新型無線機であるHF&VHF&UHF周波数帯域対応のコータム、音声通信に併せデータ通信能力が付与されており、ここ数年間でコータム搭載の太い通信アンテナを搭載する戦車等が全国の部隊行事で普遍的に視る事が出来るようになっていました。

 巨大災害と野外通信システムFC- System、この関係性ですが東日本大震災と野外通信システムFC- Systemの普及は無関係ではありません。これは自衛隊が10万名という大規模な部隊を被災地へ展開した際、派遣部隊毎に無線機の新旧に格差があり、指揮通信体系という視点から現地にて、情報共有に限界が生じてしまったとの痛恨の戦訓があった訳です。

 基幹連隊指揮統制システムReCsとして自衛隊では第2師団と第6師団を実験部隊として、21世紀型戦闘に対応する陸上作戦体系の戦術ネットワーク構築へデータリンク能力基盤の整備を進めていました。野外通信システムFC- Systemは基幹連隊指揮統制システムReCsのデータリンク能力を継承するもので、陸上自衛隊は一挙に戦術体系を近代化し他訳です。

 野外通信システムFC- Systemは可搬通信速度11Mbpsというデータリンク能力を有しています。従来の基幹連隊指揮統制システムReCsは実験部隊配備が2007年という時代背景もあり可搬通信速度128Kbps程度であったとの事ですから、連隊規模での共通状況図の送受信に非常に多くの時間を要し、第一線部隊での評価は芳しいものではありませんでした。

 可搬通信速度11Mbpsといわれる通信速度、ポケットWifiならば簡単と思われるかもしれませんが、離島や電子戦状況の中で独立して自衛隊のみが電子通信基盤を構築する能力は、街中のアンテナに依存する平時の感覚では中々想定できないものです。しかし、量産される民需通信が施設費を反映し高価であるのと同じく、自衛隊通信基盤整備も安価ではない。

 TOUGHBOOKを中隊単位で配備し小隊や小銃班単位で情報端末を普及させ、可搬通信速度11Mbpsにより即座に情報を共有する、アメリカ軍でも採用のパナソニック製TOUGHBOOKが象徴する21世紀型戦闘の姿ではありますが、御承知の通りTOUGHBOOKは高価です。この種の端末を大量普及させるという事が新しい課題の一つ。

 新技術と新しいローラー作戦の方法論が求められる、との視点は人員によるローラー作戦ではなく、情報によるローラー作戦への転換、例えば被災地の孤立地域や必要物資等の情報を野外通信システムFC- Systemにより共有し、被災地避難所や孤立地域の必要な物資や医療支援等の在り方、生存者捜索への無人機情報活用等へ昇華させる必要があるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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仏独将来戦闘機共同開発で合意:イギリスEU離脱後の欧州共同開発計画とフランスの主導権

2017-07-17 20:25:10 | 国際・政治
■ラファール/タイフーン後継機
 世界の戦闘機地図へ大きな影響を及ぼす大きな動きがありました。この決定は日本の戦闘機開発へも大きな影響を及ぼす可能性も高い。

 フランスとドイツは13日の両国閣僚会議後、新型戦闘機を共同開発する方針を発表しました。ドイツの現在の主力戦闘機はイギリスとイタリアにドイツが共同開発した欧州共通戦闘機ユーロファイタータイフーン、フランスは国産のラファール戦闘機と世界中に輸出されたミラージュ2000戦闘機を運用しています。新戦闘機はこれらに続く新世代機となる。

 第六世代戦闘機は日本でもX-2実験機により第六世代戦闘機の技術要素を研究しています。そして意外ですが、第五世代戦闘機開発の先を往く戦闘機開発では日本が比較的進んでいるのです。この背景には冷戦後の今日も中国との緊張関係増大と共に第六世代戦闘機の必要性が非常に高まっており、予算面での優先度が高くなっている結果、といえるでしょう。

 現在、欧州には欧州共同開発のユーロファイタータイフーン戦闘機、フランスのラファール戦闘機、スウェーデンのグリペン戦闘機が製造されています。タイフーンは冷戦時代の1970年代に欧州共同開発が行われたトーネード攻撃機の後継という位置づけで、当初はフランスも参加していましたが、要求仕様と自国製エンジン採用の可否等から離脱しました。逆に言うならば、今回の独仏共同開発はエンジンの選択肢がフランス一択となる事に他なりません。

 フランスは国内に有力な戦闘機メーカーであるダッソー社がミラージュシリーズを長く生産してきました。ミラージュシリーズは北東アジア地域では台湾が採用した程度ですが、戦後第一世代であるミステール戦闘機から現在の等ファール戦闘機までダッソー社は高品質で高性能の戦闘機を開発し続けています。また、エアバスという航空大手もあります。これは国策として航空産業を保護した為ですが、イギリスにもBAEの航空機開発能力を維持する必要があり、例えば日本との共同開発における技術供与等、産業延命へ展開する可能性も大きいのです。

 ミラージュにラファール、そして旅客機では二階建てのA-380から中距離路線のA-320まで、エアバス社は旅客機製造の世界最大手をボーイング社と競う企業で、フランスほど戦闘機開発の実績を持つのはアメリカイギリスとロシアくらいでしょう。ダッソー社、超音速戦闘機時代となった戦後第二世代戦闘機としてミラージュⅢが各国へ爆発的に販売され、多くの地域紛争で威力を発揮したほか、ライセンス生産からコピー機まで生産されました。

 ダッソー社、第三世代戦闘機としては垂直離着陸超音速戦闘機開発失敗などで打開策となった凡庸な性能のミラージュF1が販路開拓に失敗しましたが、第四世代戦闘機であるミラージュ2000は安価で高性能と一定の輸出成果を収め、4.5世代戦闘機であるラファールは開発当初こそ苦戦しつつ、ここ数年でエジプトやインド等へ急速に販路を拡大しています。

 EU離脱をイギリスが決定するまでは現在のユーロファイター戦闘機の後継となる将来戦闘機は当然、ドイツはイギリスと共同開発するものだと考えられてきました。しかし、イギリスがEUを離脱した場合、国際共同生産での部品相互供給での関税障壁が製造費用増大へと繋がり、EU共通安全保障政策から離脱するイギリスとの協同も難しくなりましょう、逆にイギリスの戦闘機製造技術を生存させるには日本との技術協力や日本のF-X開発への参加などが選択肢となる。

 イギリスが欧州将来戦闘機開発に参加しないことは非常に大きな意味があります。それはイギリスとフランスのみが戦闘機に必要なエンジンを開発し供給できるためで、ユーロファイターについてもイギリスのBAEが主としてエンジン技術を提供しユーロジェットエンジンが開発されました。将来、EUに戦闘機エンジンを供給できるのはフランスのみとなる。

 ラファールの改良型やラファールを原型としてステルス技術を加える等フランスが提示できる計画はありますが、ドイツには無く、フランスの提示案にドイツの要求と提示できる技術を加える他ない。こういうのも、エンジンが無ければ戦闘機は離陸できない。戦闘機は様々な構成要素から航空優勢確保と戦力投射というシステムを構成しますが、電子技術や機体制御技術の重要性は増すばかりである一方、大原則として戦闘機はエンジンがなければ離陸できません。このエンジンを有するが故のポテンシャルは大きく、フランスが開発の主導権を握る事となるのでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】祇園祭宵山二〇一七,京の夏暦と黄昏彩る疾病祓いの伝統行事は喧騒活気に沸く

2017-07-16 17:50:01 | 写真
■宵の口の灯を歩む祇園祭宵山
 祇園祭宵山、前祭の宵山が間もなくはじまります。今年や前祭の山鉾巡行が祭日とあり、宵宵宵山と宵宵山の熱気は想像できるでしょう、そこで本日はこれまでの写真から宵山散策のご案内などについて。

 祇園祭、平安時代からの疾病予防の伝統行事として今に至り、京都三大祭として全国に知られる中、特に日本三大祭りとしても数えられるという。京都三大祭と云えば、葵祭に祇園祭と時代祭ですが、祇園祭は実に一か月間続く行事としてその規模が違うところです。

 知人友人新人他人、京都の周りからいろいろな人を案内しましたが、成程、山鉾は一つ一つは美術館として謂れがありますし、展示されているもの、町内毎の保存会の紹介など、視てゆきますともう非常に時間がかかります、そこで今回は幾つか見て回る視点を、と。

 京都では祇園祭は祇園囃子が夏の知らせを、というものでして山鉾巡行や宵山の喧騒は流石に足を運ぶものではない、と一段高い位置から言いたくなる一方、KBS京都放送が中継をしましたり、やはりお祭り、一枚噛んでおきたいという認識はこれまたあるようです。

 さて、一か月間の祇園祭なのですが、やはり主題となりますのは宵山と山鉾巡行にありまして、特に宵山は宵宵宵山と宵宵山に宵山と三日間続きますので、足を運びやすい、更に祇園祭は山鉾巡行が前祭と後祭に分かれ出会う機会が多くなったのが記憶に新しいところ。

 この中で、しかし、昔のように何日も四条界隈を散策する時間を捻出できず、全て灯が落とされた山鉾を深夜に散策しつつ、こんなものか、と思いをはせるのは昨今の四条、もとい私情なのですが、丸一日費やせる時間を創ったとして、やはり一日では回りきれません。

 通りごとに、山鉾を区切ってみてゆき、全部を五年ほどかけて回るのはどうか。当方が提示したいのは四条通沿いから遮二無二廻ってゆくのではなく、碁盤目状に広がる四条と御池の界隈を、本年はこの通り、来年はあの通り、と分けて何年かまわってゆくというもの。

 御承知の通り千年の都、今上陛下が御退位成れば上皇へ登られ京都御所へ戻られる日も遠くないと考える千年の都、ですので、この京都の三大祭、疾病予防の祈念行事は十年二十年では変化なく、千年の都続く限り散策する事が出来る事は確かですのでゆっくり回れる。

 山鉾は、タペストリーがそのまま御伽草子の世界を、この世の歴史を、社会観を、それぞれ描いているもので、勿論全部違います。全国に山車を用いる行事は多々あるのですが、聞けばそのまま車庫に山車を治めている行事が多く、しかし祇園祭はそうではありません。

 毎年、山鉾巡行に向けて鉾建行事としまして一つ一つの部材をくみ上げて壮大な祭事に向かうものですので、組み立てに際して、その行程や進捗と共に展示される内容が変わってゆくところです。それ故、タペストリー部分は組み上げられる前に展示されるということ。

 保存会が維持存続してゆきますが、どうしても区画整理や戦乱、応仁の乱の被害が大きかったようですが、これにより最盛期60近い山鉾が並んでいましたものの、今日存続しているのは半分強に過ぎません、これが維持できる山鉾の規模などを左右してしまうわけです。

 しかし、これも歴史の必然、というものでして。逆に今に残る風情を感じる事もまたその時代を生きてゆく故の、というものでしょうか。しかし、保存会が頑張る町内では展示の維持に関わる熱意と心意気も、そのまま開放される施設や展示方法へ影響してくるもの。

 一日で一挙に廻る事は勿論不可能ではないのですけれども、それは一回程度にとどめ、時間を掛けて一つ一つ時間の過ぎるままに廻ってゆく事、祇園祭を一つ愉しむ風情なのではないか、そう考えます次第です。最近人出が多くなり、走って回るのは野暮ですし、ね。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第十八回》日本版ハリアー開発期す科学技術庁VTOL機研究

2017-07-15 20:31:04 | 先端軍事テクノロジー
■NAL-V/STOL機研究
 日本の空母建造計画は時期尚早として見送られますが、同時期に日本がハリアー攻撃機のような垂直離着陸機研究を行っていたのはご存知でしょうか。

 ハリアー攻撃機、イギリスで開発された滑走路を必要としない垂直離着陸が可能な亜音速攻撃機で、冷戦時代に滑走路が破壊された場合を想定しての前線航空機として開発されましたが、滑走路を必要としない利点は飛行甲板の短い航空巡洋艦でも運用できることを意味し、ハリアー軽空母という従来の航空母艦よりも遥かに小型の艦種を構成しました。

 F-35B戦闘機の岩国航空基地配備が開始されましたが、F-35B戦闘機はハリアー攻撃機の後継機として開発されました。遡ればイギリスにて画期的な垂直離着陸機技術実証型P.1127が1960年に初飛行を果たしました。続いて1965年からは対潜母艦用の垂直離着陸航空機ケストレル実験機による研究試験を開始、今日のハリアーへと発展してゆきます。

 垂直離着陸機、滑走路を必要としない未来の航空機として1960年代には多くの国々が研究を重ねていましたが、その実用化の筆頭となったのがイギリスのハリアーです。しかし、アメリカやソ連での研究が進められ、ドイツやフランスでも同種の研究が実施、未来を往く最先端の航空技術という事で日本も垂直離着陸航空機研究諸国の例外ではありません。

 我が国では当時の科学技術庁が主体となり航空宇宙技術研究所V/STOL機研究として進められていました。航空宇宙技術研究所NALにおけるV/STOL機研究として進められていたものです。航空宇宙技術研究所NALは宇宙航空研究開発機構JAXAの前身にあたる組織です。V/STOL機は新分野の航空機であり、技術的開拓の余地が大きいとされた技術の一つ。

 JR-100エンジンとして、当時、IHI石川島播磨重工が開発していた国産実用ジェットエンジンJ-3の技術を応用し、垂直離着陸用の派生型を開発しました。J-3エンジンは航空自衛隊の戦後初の国産ジェット練習機T-1Bや、海上自衛隊のP-2J対潜哨戒機等に採用されているエンジンです。これは戦時中の国産ジェットエンジンネ20の開発者が主導しました。

 J-3エンジンはジェットエンジン先進国イギリスのブリストル社製エンジンやロールスロイス社製エンジンに対抗するべく、当時の通商産業省と防衛庁が国内重工大手五社の出資を主導し創設した日本ジェットエンジン社NJEにより開発したものです。試作品は高熱に耐えられずタービンブレードが溶解し弾け飛ぶ等の散々な失敗から成功の芽を育てました。

 日本の垂直離着陸航空機はJR-100エンジンの圧縮空気を姿勢制御に応用しアニュラー型燃焼器からジェットを噴射させ離陸する方式を採り、まず航空宇宙技術研究所JR-100フライングテストベッドとして、先ずは離陸する事を第一目標として航空力学等は考慮せず開始され、これは骨組みにJR-100を直に搭載した実験機により飛行試験を実施しています。

 T-1練習機改造機にJR-100エンジンを搭載する実用航空機開発は、このJR-100フライングテストベッドに続いて予定されていました。NAL-V/STOL機研究とはいうものの第一段階の研究ではエンジンを実証しただけに過ぎず、航空機の形状を採っていなかった為です。T-1練習機改造機は高速飛行に適した後退翼構造を直線翼に改めJR-100エンジンを置く。

 NAL-V/STOL機研究とはいうものの、実際にはJR-100エンジンをT-1練習機改造の機体構造中心部に置くもので、構造上、VTOL飛行は出来るものの、飛行制御プログラム等を有さない構造であり、STOL機としての短距離離陸は非常に実用性を欠いたものであったかもしれません。しかし残念ながらT-1練習機改造V/STOL機研究機が実現しませんでした。

 JR-100フライングテストベッドののち、T-1練習機の縮尺模型による飛行実証試験は行われたとも言われますが、科学技術庁と防衛庁はそれ以上の段階まで進めていません。JR-100フライングテストベッドはその後保存され、岐阜県かかみがはら航空宇宙博物館にて展示されています。日本版ハリアーとは行きませんでしたが研究自体が、興味深い事実です。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度七月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.07.15/07.16/07.17)

2017-07-14 19:15:21 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 月曜日に祇園祭山鉾巡行という今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末は三連休という事で様々な行事が行われます。

 静内駐屯地創設53周年記念行事、第7師団隷下の第7高射特科連隊が駐屯しています。高射特科連隊編成は機甲師団である第7師団を航空攻撃から防護するべく強化されたもので、87式自走高射機関砲32両と81式短距離地対空誘導弾10セットが集中配備されています。特筆すべきは駐屯地祭で機関砲やミサイルの実弾射撃を行うことで、日本広しといえどもミサイルの実弾射撃が広報されるのはここしかありません。

 遠軽駐屯地創設66周年記念行事、紋別郡の駐屯地で第25普通科連隊、110mという長大な隊舎が有名です。第2師団隷下の部隊であり、最近まで106mm無反動砲などが装備された部隊として有名ですが、装甲車中隊を有する精鋭普通科連隊です。遠軽は厳寒地としても知られ、名寄の第3普通科連隊と並びスキー機動に定評がある部隊です。ただ、昨今現在の北海道は猛暑、熱中症にはご注意ください。

 美幌駐屯地創設66周年記念行事、第5旅団隷下の第6普通科連隊が駐屯しています。1991年の映画ゴジラvsキングギドラにて復活したゴジラの上陸を監視していた駐屯地、ということで一部で有名ですね。また、第1特科団の第1特科群第101特科大隊が203mm自走流弾砲部隊を展開させており、203mm自走流弾砲は年々削減されてゆきますが、3個中隊の強力な軍団支援火砲が展示に迫力を加えてくれることでしょう。

 小松島航空基地サマーフェスタ2017、四国小松島にある海上自衛隊第24航空隊の航空基地です。徳島駅から路線バスが僅かですが運行されていまして、駐車場などもあります。SH-60哨戒ヘリコプター部隊が配置されており、呉基地の第4護衛隊群、旗艦かが以下の艦載機を運用しているほか、大阪湾の入り口に当たる由良水道をにらむ海上自衛隊の精鋭部隊です。

 八雲分屯基地開庁40周年記念行事、北海道二海郡にあります航空自衛隊の分屯基地です。第6高射群の第20高射隊と第23高射隊のペトリオットミサイル部隊が展開しているほか、八雲飛行場が分屯基地内にあり、全長1800mの臨時飛行場としての運用が可能、千歳基地と函館空港が有事の際などに航空攻撃を受けた場合には、臨時基地となる代替飛行場の一つ。

 さて撮影の話題、DOMKEのカメラマンベストは凄い、とは愛用者の共通した言葉ではあります。収容力は元よりも頑丈である為、一通りも撮影機材を収容する事が出来る、というもの。一通りとはいってもピンキリだろう、とは当方の印象なのですが、なんとCANON-EF100-400mmISⅡレンズをフロントポケットに収容した場合でも十分に耐える頑丈な縫合だといいます。

 カメラ以上に高価なレンズは数多あります、逆に一定水準を超えるレンズは非常に高価なものが多いものでして、これをカメラマンベストに収容する事は脱落するという非常な懸念と心配が払拭できません。言い換えれば、入れて落とした場合の損害、修理代の大きさもありますが、その時点で撮影展開がほぼ水泡に帰す、との懸念が併せてあるということ。

 ベストは様々な製品があり、多くのポケットを有するものの、重要として3kg以上のレンズを収容して確実に保持できる逸品となれば限られる事は確か、薄手のポケットを有するメーカー品では擦過傷と経年劣化により破孔が生じ、収容器材が脱落しかねません、コンパクトデジカメ収容程度を想定するものが多いのですが中には頑丈なものもあるようです。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・7月17日:遠軽駐屯地創設66周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/unit/butai/engaru/
・7月17日:美幌駐屯地創設66周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/5d/01_unit/butai/02_bihoro.html
・7月16日:静内駐屯地創設53周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/hensei/team/aa/7aa.html
・7月16日:八雲分屯基地開庁40周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/yakumo/
・7月16日:小松島航空基地サマーフェスタ2017…http://www.mod.go.jp/msdf/22aw/intoroduction/24fs/top/top.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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九州北部豪雨災害派遣、岡崎レッドサラマンダー全地形車両が活躍!自衛隊にも必要な装備

2017-07-13 23:05:22 | 防災・災害派遣
■全地形車両,山岳/両用戦で活躍
 防衛災害派遣共に全地形車両は必要、今回の九州北部豪雨災害派遣を見まして改めてそう考えさせられました。本日はこの視点から。

 九州北部豪雨災害、日を増すごとに行方不明者が残念な報道となりまして心が痛みます。九州は豪雨災害が多く、嵐山や宇治市で視られるような豪雨災害とは段違いの被害を及ぼす事を今回改めて実感しました。しかし、被災地へは総務省が東日本大震災後に導入し愛知県岡崎消防が運用する水陸両用車ブロンコ-レッドサラマンダーが活躍しているとのこと。

 小牧基地航空祭においてC-130輸送機から災害派遣展示にて参加する一つの常連といえる岡崎消防レッドサラマンダーですがシンガポールのST重工により製造されています。C-130から発進する展示が多い為、遠く九州の水害という事ですから小牧基地からC-130により築城基地か大分空港へ進出したのかと思えば、今回は陸路で輸送されたとの事です。

 レッドサラマンダー、二両の車両が連接したような形状の車両は全地形車両といいまして、スウェーデンのBV-206が代表的な雪上車、雪の上から湿地帯に傾斜地から海岸線まで起動出来るもので、航空自衛隊が積雪地のレーダーサイトにおける分屯基地内輸送用に採用しており、隊本部から山頂のレーダーアンテナと管理棟との物資運搬や人員交替に活躍します。レッドサラマンダーを含め日本には十数両しかない一両が今回、派遣されました。

 全地形車両、今回は愛知県岡崎市から被災地へ展開し、発災翌日の夕刻には現地へ到達したとの事で、車体そのものが浮航しますし、急傾斜地でも50パーミルという登攀力を持ちます。路上最高速度は56km/hと、あの74式戦車よりも若干迅く重量は12tと96式装輪装甲車よりも軽量という事で、被災地の土砂崩れ等道なき道を踏破し活躍しているもよう。

 自衛隊の普通科連隊や戦車大隊等の本部にも全地形車両は必要ではないか、この視点はこれまで、特に東日本大震災以降何度も提示してきましたが、今回改めて必要性を感じました。何故ならば岡崎市から陸路で九州に展開した結果、被災地展開が翌日の夕刻となった為です。被災地近傍の玖珠駐屯地第4戦車大隊本部にあれば、即日投入できたでしょう。

 全地形車両、この車種は各国陸軍で使用されています。山岳戦や両用戦で最適だからです。BV-206を開発したスウェーデン軍では地形障害を踏破し輸送任務に充てる車両として活躍しています。自衛隊には600両以上の78式雪上車と10式雪上車が配備されていますが、雪上車は夏季に用途が無いのに対し全地形車両は通年仕様可能です。もっともBV-206は8000万円以上、雪上車よりも遥かに高く、軽装甲機動車の二倍以上です。

 防衛任務に全地形車両はどのように使えるのか、例えば隣国韓国陸軍ではBV-206全地形車両をM-30/120mm迫撃砲を不整地踏破し機動する自走迫撃砲、ミストラル地対空ミサイルを後部に搭載し山間部の稜線へ展開する機動手段として用いています。錯綜地形のおおい我が国では山間部などに重火器を展開する上で最適で、日本に多数あれば91式携帯地対空誘導弾や81mm迫撃砲、中距離多目的誘導弾等の機動に活躍するでしょう。

 玖珠駐屯地、被災地から20kmの近傍に在る玖珠にはAAV-7両用強襲車が配備されています、水陸機動団創設準備のための一時配備ですが、水上を13km/hで機動可能な水陸両用者ですが、車体重量は26tと重く車幅も3.2mもある為、今回瓦礫の下の生存者を押し潰す危険と、海岸で揚陸に用いる装甲車で山間部運用を想定しない為、今回投入されていません。

 BV-206全地形車両であれば航空自衛隊が山間部のレーダーサイトで運用実績がありますし、ブロンコはレッドサラマンダーとして今回活躍しました。市町村消防には費用が高く多数そろえる事は出来ませんが、普通科連隊本部管理中隊施設作業小隊等に各4両程度配備したならば、今回のような大規模水害、南海トラフ地震等津波災害へも寄与すると考えます。

北大路機関:はるな くらま
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【EOS-M3特報】さよなら!元護衛艦しらね/標的艦舞鶴出港とXASM-3試験(2017-07-11)

2017-07-12 23:06:10 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■元護衛艦しらね舞鶴出港
 元護衛艦しらね、舞鶴出港しました。ミサイル実験標的艦としての出港です。その様子をEOS-M3にて撮影しましたのでご紹介しましょう。

 ヘリコプター搭載護衛艦しらね、2015年に新護衛艦いずも竣工をもって自衛艦旗を返納、舞鶴にて除籍されました。長く海上自衛隊の象徴的護衛艦として横須賀を母港としていた護衛艦しらね、全通飛行甲板型護衛艦である新護衛艦ひゅうが竣工とともに、転籍します。

 ここ舞鶴を新しい母港として転籍、その後は日本海防衛の任務にあたっていました。除籍された護衛艦はどうなるのか、諸外国では歴史的水上戦闘艦などは保存運動の機運に応じて洋上博物館として長く維持されることもあるのですが、我が国では非常に例外的です。

 旧海軍戦艦三笠、呉の潜水艦あきしお、砕氷艦しらせ、砕氷艦ふじ、と保存される自衛艦や旧海軍艦艇は希有となっています。すると多くの護衛艦は民間業者へ解体用に払い下げ解体という運命をたどるのですが、中には最後のご奉公として標的艦となる艦もあります。

 元護衛艦しらね、は今回、防衛装備長が開発する新型対艦ミサイルXASM-3の標的艦となることが決定し、このほど舞鶴を出航しました。舞鶴での除籍後、一時は舞鶴港内に係留、そのようすは前島埠頭新日本海フェリーのターミナルビルから近く、よくみえていました。

 除籍同年には練習艦隊近海練習航海旗艦として全国を巡航していました護衛艦くらま、しらね型二番艦とも港内で最後の再開を果たしています。そしてその後、江田島にて標的艦への改修を実施し2017年に久々に舞鶴へ戻りました。曳船に引かれ自力航行は出来ません。

 ヘリコプター搭載護衛艦の優美な艦容は、除籍の時点で52番砲を撤去するなど、厳しい我が国周辺情勢へ除籍艦からも艦砲を流用せねばならぬ実状です。標的艦となったのちには蒸気タービン艦の艦影を示すマック構造が全て撤去され、往事の面影を僅かに残すのみ。

 XASM-3、防衛装備庁が開発するF-2支援戦闘機用の最新型の空対艦ミサイルです。この特色は超音速低空飛行能力にあり、従来、亜音速で超低空を目標の艦船に向かっていたミサイルに難しい超音速巡航能力を付与し、多様な新技術を盛り込んだ最新型ミサイルです。

 冷戦後は1980年に制式となったASM-1,1993年に制式となった改良型で射程延伸型のASM-2が運用されていましたが、開発は一時延期されています。ASM-1からASM-2へは射程だけでも40kmから150kmへと大幅に延伸しており、性能は大きく強化されている。

 中国の海洋進出、空母部隊建造など、日本の周辺情勢は徐々に緊迫度を増し、ASM-2での対応は徐々に難しくなったため、新たにXASM-3の開発が再開されました。現在は航空自衛隊岐阜基地飛行開発実験団が開発支援に当たり、F-2での搭載試験が継続的に実施中です。

 XASM-3は空母キラーというべき新型ミサイルで、その搭載試験用筐体は岐阜基地航空祭でも展示されていました。超音速低空飛行は相手がレーダーで捕捉後、迎撃へ着手する時間的余裕を講じる前に命中させることを目的として、新しい脅威へも対応できましょう。

 新護衛艦かが舞鶴入港、この日に元護衛艦しらね、は舞鶴にて最新鋭の護衛艦かが、を貨物船の影から出迎え、午後に3隻の曳船により舞鶴を出航しました。現在は日本海洋上に遊弋していると考えられます。なお、現在日本海でロシア艦艦隊16隻が行動中とのこと。

 舞鶴親海公園から、出港の情景を撮影、このまま試験が延期されたならば舞鶴へ戻ることもあるのかもしれませんが、XASM-3の実射試験が実施されたならば、今度こそその任務を終えることとなるでしょう。そして日本海の海底から我が国を見守り続けるのですね。

北大路機関:はるな くらま
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